◇・◇ 愛シテアゲル ◇・◇

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 1-12 アイ、あい……、愛?

 

 海辺を離れ、翔が運転するMR2は静かな民家町の車道へと入る。
 お遍路さんがお参りする八十八カ所札所のお寺がいくつかある寺町。古くて狭い車道ばかり。街から離れた古い町。信号も少ないけれど、そのぶん、人が歩いていたり信号なしの横断歩道を渡ることもあるので慎重に走らなくてはならない道。
 そこをMR2は、うしろのランサーエボリューションの影を感じながら、ダム湖へ向かう。
「お兄ちゃん、後ろに来たよ」
 ライトを点けた白い車が見えると、翔がハンドルを切って細かい道をすぐに曲がってしまう。
「たぶん、俺の方が道を知っている」
 妙に断定的に呟く落ち着きに、小鳥は首を傾げる。
 なんだかお兄ちゃん。もうランエボのドライバーが誰か判っているみたい? そう思うほど、落ち着いている。
 ステアリングを回しながら、翔の目は鋭くフロントミラーを何度も確認している。
 だけれどとても冷静。慌てた無茶なスピードも出さず、信号無視もせず。まるで後ろにやってくるランエボとの車間距離や追いつかれるスピードも計算し尽くされているかのように。
 仕事で見せている以上のクールな面持ち。一重の涼やかな目元から放たれる眼差しは、夜明かりの中、ぎらりと研ぎ澄まされている。
 古い民家が並ぶ、寺町、町はずれの道。狭い車道をMR2は順調に進んでいく。そして後ろを振り返ると、ランエボがいない――。
「お兄ちゃん。ランエボが見えなくなっちゃったよ。これじゃあ、アイツ、諦めて追いかけてこないよ」
「大丈夫。絶対に追いついてくる」
 また奇妙な気持ちになる。なぜそんな断定的に言い切れるのかと。
 その通りに、翔が少しスピードを落として走行すると、向こうが必ず追いついてくる。また後ろに白い車が見えた。
「来たよ」
「アイツも、今夜は絶対に逃がさないと思っているんだろう」
 ほら。また――。まるで向こうのドライバーの気持ちを手に取るかのように言い切る。
 不可解で釈然としない小鳥は、ますます険しい横顔で神経と尖らせている翔からなにかを知ろうと見つめてしまう。
 その視線に、翔が気がつき、ちらりと横目で小鳥を見た。その目を信じて小鳥は問う。
「お兄ちゃん、アイツが誰か判ったとか……」
 彼の目線がフロントに帰り、黙ってしまう。だけれど、しばらくすると大好きな八重歯の笑みを見せてくれた。
「社長に『俺の考えがある』と言っただろう」
 うん、言っていたね――と小鳥も頷く。そしてその考えを翔兄は確証がないからと誰にも言おうとしなかった。
「たぶん。あの白いランエボは、『走り好き』ではない。あのランエボに一時的に乗っている『にわかの走り屋』だ。そして、ほんとうに狙っているのは『この俺』だ」
 唐突に出てきた言葉に、小鳥はとてつもなく驚き硬直する。絶対的上司である英児父が促しても言わなかったことを、先に小鳥に言ってくれた驚きも――。
 いや、そんなことより!
「ど、どうして翔兄なの!? だって、あいつが最初にぶつかってきたのは、私のエンゼル……」
 そこでハッとする。小鳥も気がついた。
「え、もしかして……。翔兄の車だと、思っていたとか……?」
 翔が頷く。
「そうだ。小鳥が乗っているエンゼルだから、ぶつかったんじゃない。俺の元愛車だからぶつかってきたんだろう。つまり、向こうはこのMR2のナンバーを覚えていて、このMR2だから襲うと決めていたんだ」
 さあっと小鳥は青ざめる。どうしてお兄ちゃんが狙われるの? じゃあ、さっきもぶつかってこようとしたのも、お兄ちゃんが運転席にいたから? いまも執拗に追いかけてくるのは、お兄ちゃんが運転している車を見つけたから?
 さらに翔兄が続ける。
「向こうの運転手は、俺がこの青いMR2に乗っていたことを知っている男だ。なおかつ、俺がMR2からスープラに乗り換えたことを知らない男――」
「それで、一番最初にお兄ちゃんが乗っていると思って、私が運転しているMR2に体当たりをしてきたってこと?」
「そう。だけれどぶつけた時にライトに当たって見えた運転手の顔が俺ではなく、女だった。だからひとまず引き下がった。その次にぶつけたのはマコのNSX――」
 あっ。小鳥もやっと見えてきた!
 翔がなにを思って、『俺が狙われている』と思うようになったのか。そういう考えを起点にすると全てが繋がっていく――!
「まさか。マコちゃんのNSXにぶつかったのも……。お兄ちゃんが乗っているかもと思って?」
「そうだ。MR2に乗っていたはずの男が、MR2を手放して他の車に乗り換えた。だったらどの車に乗り換えた?」
「お兄ちゃんが次に乗り換える車にしたいと言っていた候補は、スープラに、セリカ。そしてお兄ちゃんは、ホンダのNSXにも惚れ込んでいて、いつか乗りたい車のひとつだよね」
 そうだと彼が静かに頷いた。
「じゃあ……。どうして、お兄ちゃんが乗りたがっていた車に狙いを定めているの?」
 そこでは翔もため息をつく――。
「だから確証がないんだ。そこまでは『もしかしてそうではないか』と気がついたんだけれど、相手に心当たりもないし、恨まれる覚えもない」
「走りの勝負をした相手とか――」
「顔も知らない男とは絶対にやらない。向こうから煽って無茶な勝負をしかけてきたとか、自分の身を守るためなら致し方ないけれど、そこまでの相手に出会ったことがない。だいたいは気心知れた龍星轟オフ会の仲間だけだ」
「だよね。荒っぽい走りをすると父ちゃんに店を追い出されるもんね」
 龍星轟なりのポリシーは、従業員にも浸透していて、顧客もそこを信頼して集まってくれている大事な信条だった。
「でも! まだそうと決まったわけじゃないよね。龍星轟狩りが目的なだけかもしれないし」
「どっちにしても、アイツは龍星轟と俺を目印に走り回っていたんだろう。目的はわからない」
 翔がアクセルを強く踏んだ。振り返るとすぐ後ろにランエボが近づいてきた。
「どうして壊そうとするの。MR2も、ランエボだって大事な車じゃないの?」
 キチガイと思えるほどの奇行から、そんな想いが膨れあがる。
 その想いに翔が答える。
「アイツは、走り屋じゃない。一時的に、戦闘用の捨て車にランエボを選んだだけだ」
「捨て車? ひ、ひどい!」
 やっぱり、ランエボは生け贄? ぐしゃぐしゃになってもかまわない、相手の車はもっとぐしゃぐしゃにしたい? もし本当に翔兄を狙ってやっているんだったら何の恨み?
 もし本当に『怨恨』だったなら、どうして――。大学時代からの友人や、龍星轟で知り合った顧客と親しくなっても、翔はそつなく付き合っていて人間関係は順調だと思う。
 そんなお兄ちゃんだから、安心して傍にいられるというのもあるのに――。
「もうすぐダム湖へ上がる峠道だ」
 それを目の前にして、信号が赤になる。後部を気にしながら翔がブレーキを踏んで停車した。
 小鳥も振り返ったが、この信号で停車することを考慮していたのか、だいぶ引き離した後だった。
「小鳥、ダッシュボードにあるものを出してくれ」
 言われたとおりにすると、ダッシュボードの中に耳掛け用の小さなインカムと無線機がでてきて、首をひねった。
「ランエボを特定する作戦の為に、武智専務が登録許可の準備をしてくれて、それで社長と運転しながら通信が出来るんだ」
「え! そんな準備までしていたの!?」
「急いでくれ。アイツがもう来る」
 説明は後、ハンドルを握ったまま頭だけを小鳥へと傾けてきたので、小鳥も黙って彼の耳にインカムヘッドセットを取り付けた。
「三坂でつかっていたままだからチャンネルは合っている。スイッチをいれてくれ」
 スイッチを入れると、耳になにか届いたのか、翔が目をつむった。その途端、後ろからハイビームのライトが当たる。ランエボがすぐそこまで追いついてきた。
 信号はもうすぐ青。交差点の歩行者用信号機が赤になったところ。翔がフロントミラーで後部を確認しながら、ギアを握り、アクセルをふかした。
「社長。桧垣です。いま真後ろにランエボが追いついてきたところ。いまから峠に入ります」
 もう父と会話をしていた。向こうも装着して走行中らしい。
「来たよ。お兄ちゃん!」
 信号が青になる。ランエボが真後ろで煽る寸前、青いMR2が発進する。
 そのまま峠道に入った。その途端、向こうが真後ろではなく真横につこうと並んできた。
 一車線なのに、対向車線にそうして入ってくる。本当にキチガイ――。
「対向車線を使って、エンゼルの真横につけています。もうなにもかも捨てているように感じます」
 翔はもう父との交信と運転に集中している。だから、小鳥も余計なことは話しかけず助手席で黙っていた。
「社長。確証がないとお伝えできなかったことなのですが――」
 『狙いは俺だ』。小鳥に教えてくれた確証がない『予測』を、英児父にも報告しようとしている。
 最初のカーブにさしかかる。翔が通信をやめ黙ってステアリングを回す。
 最初のカーブはMR2がインコース。小鳥が乗っている助手席から見える外は峠斜面の土砂を保護しているコンクリート。だが、そこでランエボが小鳥にもやったように、MR2をインカーブに閉じこめ岩肌へと幅寄せを始めた。
 父との通信会話を止め、翔がハンドルを回しながら目は真横に流して、寄ってくるランサーエボリューションを窺っている。
 小鳥がいる助手席側のドアに峠斜面コンクリートすれすれに寄る。翔の運転席側にランサーエボリューション。そして小鳥はついに見てしまう。運転手の顔を――。
 やっぱり男。ネクタイをしている! 会社員!?
「瀬戸田――?」
 翔も気がついた。
 気がついてやや茫然としている様子が小鳥にもわかった。
 そんな、やっぱりお兄ちゃんの友達? そうなって欲しくない人が犯人だったてこと!?
 信じていた恋人が手のひらを返して自分の元を去っていった時の顔と一緒だった。小鳥はあの時、いつもは落ち着いているお兄ちゃんが荒れ狂ったのを傍で見ている。彼の気が済むまでつきあったし、ついていった。
 あの時の彼は彼ではなかった。また……それが、いま、この大事な時に?
 だけれど、案じた小鳥の目の前で、翔はハンドルを握り直すと真っ直ぐに目の前を見据えた。一度アクセルを思いきり踏んで、紙一重でランサーエボリューションから頭ひとつ分前に出る。向こうがアウトカーブでやや後ろに下がった。
「社長。俺の予測、当たっていました」
 ――どういうことだ。
 そんな父の声が聞こえてきそうだった。
 彼がおちついて報告する。
「ランサーエボリューションXのドライバーは、俺の知り合いです。彼の狙いは、俺が乗っている車と俺にダメージを与えることです。小鳥にぶつかってきたのではありません。俺だと思ってぶつかってきたんです。マコのNSXは、――」
 小鳥に説明した通りのことを、翔は同じように父に報告した。淡々と言葉を連ね、淡々と運転をしている。
「学生時代、サークルで一緒だった時期があります。走り屋ではありません。外車乗りで、向こうはライトなドライブ派。サークルはすぐに退会したんですが……」
 ですが……。その後の答を、翔が躊躇っていた。
 そこでまたカーブが見えてくる。また一勝負始まる。翔がいったん黙る。
 対向車線を走るリスクを一応考えているランサーエボリューションは一度後退してからは、MR2の後部にピタリとくっついていつでも押し付けられる位置にいる。
 カーブにさしかかる。
 今度はMR2がアウトコース、ランエボがインコース。だが先ほどのカーブで頭ひとつ分翔に抜かれたランエボも、今度はかなり本気。インカーブで抜かしていけばいいのに、遠心力で大きく回るMR2の不利を利用してまた幅寄せをしてくる。
 早く走り抜けることではない。彼の目的はまさに『車体潰し』!
 くっ! 歯を食いしばる翔から、力んだ声が漏れる。流石の翔もアウトカーブの不利を突かれ、思うままに峠斜面へと吸い寄せられ――。ぶ、ぶつかる! 小鳥も目をつむった。助手席側にいると本当に斜面は目の前。エンゼルがまたこすれて壊される!
 その時、小鳥の耳に聞き覚えのある爆音が聞こえた。
 ドウン!
 火を噴くようなエンジン音。それが聞こえた途端に、反対車線を陣取っていたランサーエボリューションがスピードを上げ、MR2の目の前を駆け抜けていってしまう。
 横にぴったりつけて、体当たりを望んでいた男が逃げるように去っていく。同時にMR2、翔の運転席の横には真っ黒な影が寄り添っていた。
 日産スカイライン、R32GTR――。黒い車が白いランサーエボリューションの後ろをぐいぐいと煽っている。
「父ちゃん!」
「社長!」
 剛力のR32GTRに後部を煽られ、白のランエボが致し方なくMR2の正面へと滑り込んできた。
 だが英児父はそのまま対向車線を使って、白いランエボの真横に並んだ。
「と、父ちゃんが。あんなこと……」
 いつもは絶対にやらない走り方だった。卑怯なランエボがやった対向車線を塞ぐ横付け。それを父がやっている。
「よほど頭に来ているんだ。血が上っている。いやでも、社長のことだから……もしかして……」
 窮地を救ってもらった翔もやや愕然とした面持ちでスカイラインを見据えている。だけれどその眼に不信はない。信じている眼差し。
「父ちゃんは無線でなにか言っている?」
   翔が首を振る。いま英児父にはランエボしか見えていないのだろう。ここで会ったが百年目、ランサーエボリューションと一対一のタイマン勝負、そんな気迫が走っている姿を見ているだけで伝わってくる。
「いや。社長は冷静だ」
 翔が言い直した。
「見ろ。ぴったり横付けはしているけれど、幅寄せはしていない。本当にぴったり繋がれたようにランエボに合わせて走っている」
「……本当だ」
 白と黒の二台は互いをトレースするように綺麗に並んで走っている。
「あれって、実際はすごく鬱陶しいんだ」
「わかる。なにをされるわけでもなくて、ただ真似されてくっついてくるだけで、無言のプレッシャーみたいなヤツだよね」
 二人で意志を合わせてやるなら、息があって美しい走行に見える。だけれど、目の前の二台は敵対しているのに、息があったようにぴたりと美しい走行をしている。
 意志を合わせていないのに、あれほど綺麗に見えるのは、ランエボに腕があるんじゃない。
「社長じゃなくちゃ、あれはきっとできない」
 ランエボが抜こうとしたら英児父が同じ速度で息を合わせているように見せているだけ。すべては英児父の技――。
 あれではランエボのドライバーも脅威を感じているだろうし、苛ついているはず。そうしてランエボを牽制してくれている。
 英児父のスカイラインが出現した途端、ランエボも翔のMR2でさえ次の動きを止められてしまっている。ここにいる三台の統率を司っているのはまさに英児父のスカイラインだった。
 小鳥は目の前で悠然とかっ飛ばしているスカイラインを見て、ドキドキしていた。やっぱ父ちゃん、格好いい! いざというとき、うちの父ちゃんは本当に格好いい!
 そこで翔が再び、耳元のインカムを抑えた。
「……はい、はい。もちろんです。やらせてください」
 落ち着いた翔が父となにか話し合っている。
「もうこれは要らない。小鳥、持っていてくれ」
 インカムを耳から取り去り、助手席にいる小鳥の膝の上へと放ってきた。集中したいのだろう。
 いったいなにを父と決めたのか。小鳥はそのインカムを、入れ替わりで耳につけた。
「父ちゃん」
 ――小鳥か。
「父ちゃん。対向車線、危ないよ!」
 ――ダム湖の駐車場でこっちに下ってくる車が来る場合は、武智が報せてくれる仕組みになっている。
「武ちゃんも来ているの?」
 ――もちろん。清家の兄ちゃんのCR−Xも待っている。マコもノブも、みんな来ている。
 龍星轟総出で待ちかまえていた瞬間。皆がそれぞれの役割を持って立ち向かっていることが小鳥にも通じてくる。
『小鳥、邪魔するなよ。訳あり関係を持つ男と男のケジメだ。それに、いまから翔がお前の敵を討ってくれる。今度はしくじるなと伝えておけ』
 言い終えると、目の前で並んで走っていたスカイラインがスピードを上げ、ランエボを抜かし対向車線から外れる。ランエボの目の前に滑り込んでも、そのままスピードを落とさずに、さっさと先へ走り去ってしまう。
「小鳥、行くぞ。アイツを振り切って、ダム湖の駐車場に追い込む」
「追い込む? どうやって?」
「すこし荒っぽくなるかもしれない。掴まっていろよ」
 英児父が整えた勝負のステージへと、翔のMR2が突き進む。
 それでも前をランエボに獲られてしまっている。どうやって抜かしていくのか――。
 翔も対向車線から攻めるのかどうか。どこかをポイントに狙いを定めているのか。インカムも外して集中している彼にはもう話しかけられない。
 でも。小鳥は……。ギアを握っている彼の手に、そっと自分の手を乗せた。
 お兄ちゃんが失恋して、最西端にある岬まで飛ばした夜も、小鳥はこの車のこのシートに座っていた。
 今夜も一緒。知っている人に裏切られただろう貴方の傍に、今夜も私は一緒にいる。これから荒っぽい争いが繰り広げられるとしても……。
「小鳥」
 ギアを握っていた手が、今度は小鳥の上に優しく重ねられる。大きくて熱い手。汗ばんでいる手。指先は父親同様、整備のオイルで黒く汚れている手。
「いつも俺の傍にいてくれて、ありがとうな。どんな俺も知っていて、どんな俺も好きだと言ってくれるのは小鳥だけだ。それだけで俺はこうして……アクセル踏める、走っていける」
「うん。好きだよ。大好きだよ」
「俺は……、あい……」
 え。なに?
 ドキリと胸が高鳴った途端だった。優しく握られていた手を弾かれ、彼がギアを強く握り返す。
 フロントへと視線を戻すと、ランサーエボリューションがスピードをあげ、MR2を引き離し始める。
「社長が出てきて焦ったのか。あのスカイラインの威圧がよほどだったみたいだな」
「え。まさかここまでのことやっておいて、逃げるつもりなの!?」
 本当に卑怯! 手強い男が出てきたから、もうここでオシマイ? そのまま逃げる? だが翔がそこで教えてくれる。
「そういうヤツだよ。あの瀬戸田という男は――」
 その男となにがあったのだろう? あのお兄ちゃんが憎々しい表情を刻んだ。
 でもその逃げていくランサーエボリューションをMR2が追いかける。
 すぐに向こうのテールランプを捕らえる。
「もうすぐ頂上だよ、翔兄」
「どうであろうと、頂上までにアイツを抜く」
 対向車線を走行することも厭わない。英児父がいざというときその禁じ手を一瞬だけ使ったように。翔もその決意を固めていた。
「わかったよ、翔兄。ダム湖から降りてくる車が対向車線に来るかどうかは私が無線で確認するから、思いきり行って……」
 どんなお兄ちゃんでもついていくよ。怖くないよ。アイツが私たちのエンゼルに襲いかかってきても。これからお兄ちゃんにどんな辛いことが起きても――。
 一緒にいるよ――。
 心で唱え、小鳥も前を見据える。
 ふたりの愛車はエンゼル。並ぶシートで、気持ちはひとつだって。いま小鳥はしっかりと感じている。
 子供みたいな私をどうして? そう思っていた。
 でも自分の想いは、小鳥が想う形のまま彼に届いていた。それが嬉しい――。
 あのランエボを抜き去った向こうで、きっとまた大好きなお兄ちゃんが笑ってくれるはず……。
 ――そう祈って。

 

 

 

 

Update/2013.11.21
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