いつから、子供ではなくなったの?
翔の目からその答を探そうとした。女になった今なら、それを知れる気がしたけれど、やっぱりわからない。
「なんだよ。その困った顔」
「いつまでも、お兄ちゃんに追いつけない子供だと思っていたから……。なんだか急に女になったみたいで変な気持ち、もあるの……」
いまなら満ち足りた微笑みを見せてくれるはずの彼女が、まだ心から微笑むことができないその訳を知り、翔の目が困惑している。でもすぐ迷いなく小鳥を見つめてくれる。
「小鳥は子供でも。いつかは大人の小鳥。俺は見えていたと思う」
「子供だけれど、いつかは大人。いつからだったの?」
「俺も、知らないうちに」
やっぱり大人の男はわからない言い方をすると、小鳥はきょとんと胸の中から彼を見上げた。
「そうだな。『いつからか』と強いていうならば、あの黒いワンピースだろうな。俺が東京土産でみつけてきた」
「まだ高校生だったのに、すごい大人っぽいワンピースをみつけてきてくれてびっくりしたんだけど」
英児父が仕入れで年に数回東京へ行く。その時、翔がお供でついていく。高校三年生の時、そんな翔が『小鳥にお土産』と買ってきてくれたのが、大人っぽい黒のシャツワンピースだった。サファリ風ポケットにシャツ衿。甘くないクールなデザインで、当時の小鳥には着こなせるものではなかった。でも。大学生になってそのワンピースを着ると、誰もが『小鳥にピッタリ。よく似合っている』と絶賛してくれた。ファッションにはうるさい本多のおじさんでさえ『それだよ、それ。それがお前にピッタリの雰囲気』と太鼓判の――。
お気に入りすぎて何度も着たので、近頃は襟元がすり切れてきて、生地も色褪せてきて、だんだんと着る回数が減ってしまって残念に思っていたところ。
そんな服を選んだ男の人。翔兄は私のことをよく知ってくれているんだと、着るたびに、そして、みんなが似合うと褒めてくれるたびに感じられた。小鳥を想って選んでくれた翔の気持ちが本物なんだと実感できて本当に嬉しかった。
そのドンピシャだったワンピースを選んだ男が、今になって言う。
「見えたんだよ。そのワンピースをひと目見た時、小鳥が見えた。大人になったらきっと小鳥はこういう服が似合って、カッコイイ女になるんだろうなって。そうでなければ疎い男の俺が、女物の洋服なんて東京の綺麗なショップで買ってくるわけないだろ」
あれはもの凄いインスピレーションだったと初めて、お土産を買ってきてくれた時の話をしてくれ、小鳥は驚いて彼を見上げた。
「俺の目は間違いなかった。そう確信したのは、小鳥がそのワンピースを初めて着てくれた日だ」
初めて着る日は決めていた。お兄ちゃんから譲ってもらった愛車『MR2に初めて乗る日』。他の同級生より少し遅く免許を取ることになった小鳥が、初めてMR2に乗ることになったのは、大学生になった初夏だった。ちょうどワンピースの季節。その黒いワンピースを着込んでMR2の運転席に乗り込んだ。
龍星轟のみんなが、初運転初出発を見送ってくれた。その時、お兄ちゃんもいた……。
「クールな黒いワンピースを着て、MR2に乗ってアクセルを踏んで飛び出していくカノジョ。ああ、俺が思ったとおりの、あの時、見えたとおりの女になりそうだなあと……」
そこまで語ってくれた翔が急に、小鳥を腕の中へ固く固く抱きしめる。
「たぶん、この時。MR2に乗って飛びしていったあの日からだ。小鳥が大人の女になっていくんだと、子供ではなくなったのは――」
そ、そうだったんだ。やっとわかった。『いつから子供ではなくなっていたの?』。小鳥のこれまでの不安。まだ子供のはずなのに、ハタチの誕生日を前にして急にお兄ちゃんが小鳥を『女』として見るようになって、触れてくれるようになったと。
「ここ一年は、相当な我慢だったなー」
彼が笑い出した。そして抱きしめている小鳥の耳元に、翔は静かに鼻先を沿わせて……。
「こんな女っぽい匂いがするのに。もう小鳥が無防備すぎて。俺にも他の男にも」
お洒落な恰好じゃない、綺麗な容姿でもない、それでも魅惑的な女には、いい匂いがする雰囲気がある。英児父が時々言うことだった。それを彼が小鳥にはそれがあると耳元にキスをする。
「そ、そうだったの?」
「そうだよ。車の中で二人きり。キスをしてくれた小鳥じゃない、俺の方が相当我慢していたんだよ。だいぶ前から小鳥を襲いそうで危なかったんだぞ。他の男と出かけていくのだって、女らしくないから誰も相手にしてくれないから大丈夫とか子供だから大丈夫とか、なのに長い足を出してでかけたり、胸元が良くわかる服を着ていったりして、気持ちも服装も無防備にもほどがある。本当にもう親父さんと一緒に、俺も心配で心配で。だから『せめて』夜のドライブは俺と一緒にいて欲しいと思って、一緒にいることだけは死守してきたんだからな」
「し、知らなかった。ほんとうにわからなかった。だってお兄ちゃん、ぜんぜんそんな顔しないし様子にも出さないし、一緒にいたってそんなことひとことも」
だけれど、そんな落ち着きでクールな横顔に固めてしまうのが『この人』だと小鳥もわかっていた。だけれど、やっぱりわかりにくい!
「そんな、いつも会えるところはカノジョの親父さんでもある上司がいる職場で、カノジョにとっては家族がいる自宅。そこのお嬢さんを相手に仕事そっちのけでイライラする様子なんて見せられるもんか。しかも、大学生の若い男を相手に嫉妬丸出しにするなんてみっともない。好きな女にそんな小さい男だって見られたくないだろ。これでも必死だったんだからな、この二年」
えー。じゃあじゃあ。あの誕生日五日前にお兄ちゃんがフライングをして小鳥の肌を愛してくれたのも、私が我慢できなくてキスしちゃったのも、もうあの時には二人揃っていっぱいいっぱいだったんだとわかり、本当に突然小鳥ちゃんが女になったわけでもないんだと、やっと落ち着いてくる。
「小鳥。だからもう子供だなんて……言うなよ」
「う、うん」
「他の男だって、女に見えているんだから。これからは大人の女の気持ちで、ちゃんとしろよ」
「うん、わかりました」
それでもきっと。まだ社会人として未熟なところ、大人の女性として経験していないことは、ずっとお兄ちゃんに助けてもらっていくんだろうなと思いながら――。
だけれど今夜、私は大人のカラダになって、彼が愛してくれる甘い匂いの肌で彼に抱きしめてもらっている。
だから、私からも――。小鳥も彼の顎先に指先を這わせ唇を寄せた。
「翔、だけだよ。ずうっと翔だけ……。これからも」
愛してる。なんてまだ言えない。でもそんな気持ちで小鳥から彼の唇を愛した。
彼からもお返しの、熱くて深いキス。抱きしめられていた身体が、ふたたびシーツの上に寝かされた。
「さすがに疲れた……。すこし休もう」
「うん」
大きなベッドの真ん中、素肌で抱き合った。
この家は、とても静か――。
椿さんが終わっても、まだ夜中はきりこむ冬の空気に覆われている。
でもここだけは温かくて。とても安心する匂いに包まれていて。
微睡みが優しく小鳥の中に忍んできた頃。大切そうに身体を抱きしめていてくれた彼の方が寝息をたてていた。
なにもかも終わって彼の顔もやっと穏やかになって眠っている。まだランエボに乗っていた後輩との決着が残っているけれど、あの乱暴な車はもう誰も襲わない。翔兄が闘ってくれたおかげ。小鳥のことも、やっとハジメテ繋げてくれた。
彼の失ったもの、手に入れたもの。そんな忙しい一夜だったに違いない。
時計を見ると――。
小鳥は静かに素肌の身体を起こし、翔に気付かれないようベッドルームを出た。
―◆・◆・◆・◆・◆―
いつもの服をまとうと、いつもの自分に戻った。つい先ほどまで、自分ではなかった。そんな気分。
エンゼルを事務所前に駐車し、小鳥はすぐに父が待ちかまえている事務所の扉を開ける。
「ただいま。父ちゃん」
殴られる覚悟で、小鳥は社長デスクの前に立った。
ひたすら待っていた父親の気持ちで膨らんでいる眼が、小鳥を貫く。
心臓がドキドキしていた。
「翔と話せたのか」
「う、うん。いろいろ話してきた」
あれ。翔兄はどうしたとは聞かなかったな……と安堵したけれど、逆にそこを避けられるのもかえって恐ろしい気もした。
だけれど、英児父はそのまま続ける。
「ランエボの男、どんな男か聞いたのか」
「お兄ちゃんの後輩だったよ。瀬戸田という人。大学のサークルで少しだけ一緒だったんだって。瞳子さんのことがすごく好きだったみたい」
「他になにか聞いたか?」
男とほぼ一晩一緒にいた娘を待ちかまえたのかと思っていたけれど、英児父はランエボの男のことばかり気にしているようで、小鳥は意外に思いつつも答える。
「あんなことをした男だけれど、学生時代から優秀な人だったみたいだよ。大阪にある大手商社でエリートになって活躍していると翔兄は聞いていたみたい」
「大阪の商社? 活躍してるエリート?」
そこで英児父の片眉がわずかに吊り上がった。
「本当は優秀な男で、それこそ瞳子さんが望んでいるような男になれたから自信を持って会いに行ったんじゃないかって翔兄が言っていたけれど……」
「学生時代以来なのにか? ずいぶんと唐突だな」
父が眉をひそめ、また考え込んでしまう。
「瞳子さんのことすごく好きだったんでしょう。うんと好きな人が幸せそうじゃなかったら、やっぱり腹が立つんじゃないの。なんかわかる気もして」
だがそこで英児父がバンと手のひらで机を激しく叩いた。その時、小鳥は既に下から元ヤン親父にギッと睨まれていた。
さすがにゾッとした小鳥はそのまま硬直してなにも言えなくなる。
「それはよう小鳥。てめえだけの『めでたい思想』だって覚えておけ」
うんと好きだった人への想いは、時が経っても大切なもの。瀬戸田という男の人だって同じで、だから彼に少しだけ同情はしていた。
翔兄は黙って聞いてくれた。でも父ちゃんはそうではない。
「大阪の商社マンと聞いて、やっとあいつの腹がわかったわ」
え。どういうこと? 商社マンと知っただけで、なにもかも見通した英児父の眼が燃えている。それは男への怒りなのか、おめでたい娘への怒りなのかよくわからないけれど、急に怒っている。
「ほんとうのエリート商社マンはな。自分の首を絞めるような選択はしねえんだよ。あんな犯罪まがいな行動を選択した時点で、もう終わっているんだよ。都会の仕事ができる会社員だったなら、地方の走り屋にムキになっている暇なんかねえはずなんだよ」
ではあの瀬戸田という男はどうしてあんな暴挙に? 小鳥が尋ねることをわかっていたように、英児父が続ける。
「あの瀬戸田という男は、それだけ憂さを晴らす場所を探していたってことだ。瞳子さんも翔も、なにもかもアイツの都合の良いこじつけにされているだけだ。おそらくなにもかも上手くいっていなかったんだろう。転属してきたのも経歴を積む修行を兼ねた転属ではなさそうだ。おそらく『意にそぐわない出向』か『左遷』だろう。あの気性だから仕事関係がうまく行かなかったんじゃないか。瞳子さんのことだって急に思い出したんだろ。彼女なら優秀な自分のことを今なら認めてくれるかもしれない。なんだその自信のない選択は。エリートなら女の方から寄ってくるわ。それを学生時代の遠い想い出の女にしか自信がねえってことはよ、つまり、あの男は瞳子さんのこともバカにしてるんだよ。その見下して近づいた瞳子さんに逆にバカにされたんだろ。その腹いせが今度は翔に向いたような気がする」
「それって……。じゃあ、瀬戸田って人は瞳子さんに近づいていたってこと?」
「もしかすると。瞳子さんが翔のところに急に逃げてきたのも、あいつにつけ回されていたかもしれねえな」
「え、でも。それなら旦那さんに相談すれば……」
まだわからずに首を傾げると、そこは父がおかしそうにふと笑った。
「やっぱお前はまだ子供だな」
そりゃ父ちゃんから見たらそうでしょうと小鳥はむくれた。せっかく今夜、大人の女になれたと思ったのに気分台無しだった。
「女心ってヤツだろう。それだけ……瞳子さんとご主人はまだ信頼関係が出来上がっていないんだろう。形だけの夫妻、だから相談ができず、できそうな翔のところに逃げてきたのかもしれねえ」
「そうだったのかな。それだったら瞳子さん、ひとりで留守番している時に赤ちゃんと二人で、心細かったのかな」
そう呟くと、英児父がまた黙って小鳥を見つめている。
「でもよ。俺の娘は、そんなおめでたいとバカにされるほどの『純情バカ』で、父ちゃんはそっちのほうが嬉しい」
「父ちゃん……」
世間では『おめでたいバカ』。でも父には『純情バカ娘』。
「翔をかばおうと飛び込んでいったお前を見て『うわあ、やっぱり琴子の娘だわ』――と思ったよ」
あれ? あんなバカなことするのって、元ヤンの父ちゃんの方じゃないの? こんなところで唐突に『琴子に似ている』と言われて小鳥はまた首を傾げてしまう。
だけれど英児父は、その人のことを想っているのか、急に柔らかい眼差しになって静かに微笑んでいる。
「女ってスゲエなって。琴子だけじゃねえ、小鳥、お前からも感じるようになるだなんてな」
「お母さんって、そんな無茶する人に見えないんだけれど」
すると父が急にケラケラと笑い出した。
「そっか。娘のお前には『当たり前』に見えているのかもな。俺とか矢野じいなんて、ここに初めてきた琴子がやることに振りまわされたもんだよ。あの、俺の、スカイライン……あんなにして……」
「え、なにそれ! お母さん、ここに初めて来た時、父ちゃんのスカイラインになにしちゃったの?」
「いや、その。俺のスカイラインをさあ〜、あはは!」
何を思い出したのか、英児父は一人で笑い転げて楽しそう。そんな父の想い出に娘の小鳥が入れる隙もなさそうだった。
そんな父がひと息ついて、小鳥の頬を指さした。
「翔は、その赤く腫れた頬になにもしてくれなかったのか」
「湿布を貼ろうとしてくれたけれど、私がしなくていいと断ったの」
全てを見透かしたようにして、英児父が微笑んでいる。でも目がちょっと哀しそうにも見えた。
そんな父のなんとも言えない顔を見て、なにもかも知られていると悟った。
「父ちゃん。かっこよかったよ。父ちゃんのスカイラインがランエボと並んで走っている姿、すんごいドキドキした。やっぱり父ちゃんが一番だよ」
英児父が唖然とした顔で静止した。
「ば、ばっかやろう。なに言い出すんだ」
「本当だよ。父ちゃん、かっこいい男だよ」
「お、おめえ。なんだかズルイ娘だなあっ」
「え。なんで、ズルイの?」
心からの気持ちを言ったのに。今度は急にぷりぷりと英児父がむくれている。
「うっせい。もういい。琴子も心配して待っている。殴られたことも言ってねえからよ、女同士でなんとかしろ」
「はい。ご心配かけました。ごめんなさい」
最後にきちんと頭を下げて謝ったけれど、英児父に背を向けられてしまう。
社長デスクでなにをしていたわけでもなく、なにかを始める訳でもなく。ただ小鳥に背を向け、腕を組んでじっとしているだけだった。
そんな父を思いやるように、小鳥は事務所のドアを開け、二階自宅へと向かう。
―◆・◆・◆・◆・◆―
「小鳥ちゃん!」
玄関のドアを開けるなり、琴子母がリビングから駆け寄ってきた。
「お母さん。ごめんなさい」
だけれど琴子母はなにもいわずに小鳥に抱きついてきた。
背丈がある小鳥より小さな母。でも、ふんわり優しくて温かい肌が小鳥を包んでくれている。その背を小鳥は抱き返した。
「もう。エンゼルにぶつかってきたランエボの男とまた遭遇したなんてお父さんから聞いて、小鳥ちゃんが乗っている車がまた狙われて壊されるんじゃないかと、お父さんが助けに向かってもお母さん心配で心配で――」
安心してくれたのか琴子母は両手で顔覆い、その目に涙を滲ませていた。
龍星轟の男達が追っている危険な車、その危ない作戦に娘が巻き込まれて、その帰りを待っていることしかできない琴子母の気持ち。『待つことしかできない母の気持』なんだと申し訳なく思ったのも『一瞬』。
「いてもたってもいられなくなって、お母さんもゼットに乗ってダム湖まで追いかけていこうとしたのよ」
えー! 小鳥は目を丸くして、しとやかな母を見下ろした。そんな、お母さんがそんなゼットをぶっ飛ばして娘の元に駆けつける姿なんて、想像できない!
「なのに。英児さんが『それだけはやめてくれ』なんて言って行かせてくれないの。聖児と玲児まで『危ないから行くな。お母さんがいるだけで父ちゃんが集中できなくなるから』と言って止めるのよ」
英児父が龍星轟を出発するその時、この自宅でも一悶着あったということになる。飛び出そうと突っ走る琴子母を、父と弟たち『男三人』で必死に止めたようだった。
小鳥は絶句していた。そして英児父が言ったとおり!? 『琴子は無茶をする』というのは本当だった? もしかして、それを元ヤンの父ちゃんが上手く受け止めて抑えていた?? 初めて知った母の熱い姿だった気がする。
「我慢して我慢して、やっとお父さんから『なにもかも終わったから大丈夫。小鳥は後から帰ってくる。翔と一緒だから安心しろ』とだけ連絡があって。なのに小鳥ちゃんは帰ってこないし……」
「どうして帰ってこないのか、父ちゃんからなんて聞いているの」
小鳥の問いに、琴子母がなにかを感じたのか怪訝そうに小鳥を見上げた。
どうして娘は父親と一緒に帰宅しなかったのか。お父さんはそれを知っているはずなのに、妻の自分には詳しい報告はしてくれなかった。それはなぜ? 母らしく静かに考えている目。小鳥はそっと俯いてしまった。
「……。これ、どうしたの。腫れているじゃない」
案ずる気持ちが落ち着いたのか、母は小鳥の顔を見て頬に気がついた。
「翔兄がその男に殴られそうになって、私、お兄ちゃんを助けたくて『やめて』って飛び込んだの。そうしたら私が殴られちゃって」
なんですって、と――琴子母の息が引いた。
小鳥はきつく目をつむる。どうしてそんなことをしたの! どうしていつも男の子がするみたいなことを平気でするの! それまで散々こんな後先考えない行動で母には心配をかけてきた。その度に母は『小鳥ちゃんは男の子じゃないの。男の子と同じ力はないのよ。同じじゃないのよ』と懇々と叱られてきた。だから今回も騒ぐと思った。なのに、静かだった。
そっと目を開けると、琴子母は目を潤ませたまま、そっと指先で小鳥の頬に触れた。
「そう。桧垣君を助けたかったのね……そう」
これまた意外な反応で、小鳥はきょとんとしてしまった。
だけれど、小鳥は心配していた母には言っておこうと思う。
「そうしたかったの。翔兄が傷つくのが、とても嫌だったんだ。そう思ったら飛び込んでいたの」
告げた途端、また母に抱きしめられていた。
「そうね。きっとお母さんも、英児さんが誰かに傷つけられそうだと思ったら、小鳥ちゃんみたいに飛び込んでいる」
同じ気持ちよ。そう伝えてくれ、小鳥は再び驚きを隠せない。
そして気がついた。そうなんだ。きっともう……『子供』とは思っていないんだ。『女性』として接してくれているんだと。
そう思ったら、急に涙が溢れてきた。
「お母さん……お母さん……」
ランエボの男も怖かったし、翔兄と一緒の戦いも怖かったよ。それにあの男の狂ったような暴力も怖かった。
それに。大人のカラダになった幸せもあるけれど……。でも、それも怖かったよ。本当は。誰にも相談できない、男と女ふたりだけのヒミツは、大人だから一人で決めて一人で向き合わないといけない。
もう甘えられない。彼を好きになって、彼の大人の恋人になることは、両親に言えいないことが増えること。そして本当に、この人達から私は離れていくんだと急に思えたから。
「湿布、貼ってあげるからいらっしゃい」
結局、この腫れた頬を最後に労ってくれたのは母の手だった。
あれ? もしかして翔兄も父ちゃんも、そう思って最後にお母さんに手渡してくれたのかな? そんなふうにすら思えた。
湿布を貼る琴子母が最後に笑った。
相変わらずやんちゃでも、いつのまにかレディさんね――と。
Update/2013.1.16