◇・◇ 愛シテアゲル ◇・◇

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 1-2 やっぱりお兄ちゃん。 

 

 小鳥、ハタチの誕生日。おめでとう! 乾杯!!
 
 いつものサークルのメンバーが居酒屋に集まって、小鳥の誕生日会をしてくれた。
 幹事は提携している国大アウトドアサークルのサブリーダーである勝部先輩と、小鳥の親友である『花梨』。
「ということは、小鳥もついに俺達と一緒に酒が飲めるってわけだ」
 テーブルのど真ん中に座らされた小鳥へと全員の視線が集まる。だけれど小鳥が持っているのはオレンジジュース。
 やっぱりね。と思いながら、小鳥はキッパリと言い返す。
「絶対ダメ。エンゼルに乗って帰るから」
 国大生の男子達が『あー』と気の抜けた顔をする。
「つーかさあ。お前が車を乗らない日ってあるのかよ」
「そうだ、そうだ。いつ飲む日が来るんだよ」
「飲まなくちゃいけないの? 飲まなくても楽しくできるよね」
 また男子達が呆れた顔をした。だけど小鳥ももう子供じゃない、男子と食い違えばとっくみあいをしていたのはもう昔の話。
「お酒が美味しくて気分がアガることでみんなと楽しくできるのは私もわかっているよ。じゃあ、今度、先輩のランドクルーザーに乗せてもらった時に飲むね。その時に私でも美味しく飲めるお酒、教えてくださいね」
 笑顔で返すと、やっと彼等もご機嫌な笑みを揃えてくれる。
 誕生日会とは名ばかり、それを名目にしてただ男と女が集まってわいわいと楽しく過ごしたい。そんな集まり。だから時間が経つと『いつも通り』。
「すいませーん。このお皿、下げてください。あと、中ジョッキを四つと、冷たいお水を二、三杯、持ってきれくれますか」
 個室の端っこ。ふすまの前。そこが小鳥のいつもの定位置だった。主役としてど真ん中に座っていたのは、だいだい三十分くらいだろうか。
「わりい、小鳥。南美がサラダまだ食いたいってよ」
「オーライ。他に追加はないかな」
 次々と挙手があり、小鳥が要望を聞き、まとめてオーダーをする。
「はーい。ビールきたよー。このカクテル頼んだのは誰ー」
 入り口でこうして食事会をまとめることに慣れてしまい、そして誰もがそこに小鳥がいることを当たり前に思っていた。
「もう。小鳥ちゃん。相変わらず。今日は主役なんだよ。私が替わるから!」
 艶々の栗髪、毛先は女の子らしいカールにして、まつげもぱっちりキラキラの瞳。すっかりオトナ女子になった花梨が小鳥の隣にやってきた。
 元々美人で目立っていた花梨は、大学生になるとますます男子の目に付く美人女子大生に。さらに、竜太と別れてから『男に遠慮して自分を騙していたのがいけなかった』ことを悔いたとかで、それからハキハキと物を言う女子に変身。いつもは男子が花梨花梨と周りを固めるほどモテるのだが、キッパリ嫌なことは嫌、いけないことはいけないときちんと言うので、男子も強気に突っ込んでくることがなくなった。その潔い性格がまた信頼されているようだが、逆に『姉御肌の小鳥と強気美人の花梨には敵わない』と男子に言われるようになってしまった。
 サークルを管理している上で、花梨は小鳥にとってパートナー。高校時代以上になくてはならない存在になっている。
「いいよ、花梨ちゃん。それより酔って、うちの女の子に悪さしないか見ておいて。さりげなく助けてあげて」
 特に、あそこ。小鳥は目線をそこへ向ける。美人の花梨は容易に落とせないとわかっている男子が、酔った勢いで最後に悪ふざけをするところも決まっていた。
「小鳥が飲めないなら、代わりにスミレが飲め!」
「だめですよ。私まだ未成年です」
「お前達、堅いな。本当はこっそりみんな、大学に入ったらアルコールデビューしているんだぞ」
「ひとくちだけ、ひとくちだけな。来年、成人する前の練習だよ、練習」
 スミレを始めとしたおとなしめの女の子が二、三人固まって座っているところへと、男達が集まる。
 毎度のパターンは決して覆ることなく、小鳥と花梨は一緒にため息をついた。
「んーもう、しょうがないな。聖児のために行ってくる」
「はあ、聖児のため……」
 小鳥は苦笑いをこぼした。
 スミレが龍星轟へ頻繁に訪ねてくるようになってから、いつのまにか……だった。弟と後輩のスミレのふたりは密かに交流するようになっていた。たぶん、まだ『交流』。交際じゃなくて交流。それとも? 彼等なりにもうお付き合いはしているのかもしれない。
 見ていたらわかる。スミレは奥手な女の子で男子の前ではそれほど積極的ではない。むしろ警戒して一歩引いているところがある。だけれど、聖児と向かうと外では見せない笑顔で快活に話したり、ふざけあったりしている。聖児も同じく。高校入学当時はいきなり茶髪に染めたりして気怠そうなヤンキー男を気取っていたが、スミレと出会った途端に黒髪に戻し、それからは硬派な強面男として一目置かれるようになっていた。
 外では無愛想。人見知りが災いしてそれが誤解を招くこともあるが、自宅ではおちゃらけたやんちゃ坊主。外ではなかなか地を出せないふたりだからこそなのか、龍星轟という場所で会っては、楽しそうにしている姿を姉として見てきた。
 それは親友の花梨も同じで、彼女も龍星轟には良く出入りしているので、こちらもいつのまにか『姉心』が芽生えているようだった。
「ちょっと。他のサークルはそうかもしれないけど、うちは絶対にダメだからね。そう決まっているの!」
 二、三人の男子がスミレに突き出していたチューハイグラスを花梨が片っ端から奪ってテーブルにおいた。
「なんだよ、いつも邪魔しやがって。じゃあ、花梨が飲め」
 男達が飲め飲めと花梨を煽る。こういうことも毎度のことで、小鳥はいつもここでハラハラしている。今夜だって自分がハタチになったことで、あんなふうにされるんだと案じていたそのままを花梨が押しつけられている。
 だけどそこは強気の『花梨ちゃん』。強引に別の話題へ持っていく。
「ねえねえ、そんなことより! 国大にドライブサークルができたってホント? 一年生しかいないのかな。ねえ、小鳥ちゃん知っている?」
 ドライブサークルと聞いただけで、そこにいた男子三人が眉間にしわを寄せた。
「ああ、うん。小谷君が立ち上げたらしくって」
「えーー。小谷君って、1コ下の小谷君!? 小鳥ちゃんと同じ自動車愛好クラブにいた二年生だった小谷!?」
 わざとらしい花梨の声にたじろぎながらも、小鳥も『そうだよ』と返してみる。
 そんなに驚かなくても、花梨自身も既に知っていることだった。同じ高校のクラブでの後輩だった彼が国大に合格し、一年生のうちになんとかメンバーを集めて最近になって形になり立ち上げたものだった。
 小鳥が高校生の時に立ち上げた『自動車愛好クラブ』。その部員のひとり、ひとつ後輩に小谷という男子生徒がいた。その彼に次期部長を任せ、小鳥は卒業。その後も連絡は取り合っていて、彼も大学生になってすぐに車に乗ってダム湖の峠まで小鳥に会いに来てくれた。
「良いクラブが出来たね。今度、彼等とも交流してみない?」
 花梨が声高にいうと、ついに傍にいた国大生男子達が我慢できないとばかりに切り返してきた。
「でもよ。あいつら『オタク』じゃん。機械工学オタクみたいな、車のスペックを自慢に走るだけだろ。小鳥はともかく、他の女の子はそれでいいのかなあ?」
 小鳥は黙ってしまう。小鳥が立ち上げたドライブサークルに来てくれた女の子達の大半が『提携している国大男子に会える』というのが目的だったから。いまさら『車云々に夢中な大人しい男子』は興味がないと言いたいのだろう。
 小鳥が提携したこのアウトドアサークルの先輩達は、どちらかというとイケてる男子の集まり。ファッションも、車も、勉強も趣味も、及第点から平均以上という活発男子の集まりだった。しかし彼等にも悩みが……。
「オタクって。先輩達だってオタクみたいなものでしょう。もう何事も男しか踏み入れられないようなハードなところまで追及しちゃうから」
 小鳥の言い分に、花梨の擁護も加わる。
「そーよ。先輩達だって、好きなことをとことん突き詰めようとする趣旨なんか、まさにオタクじゃない。登山部でもワンゲル部でもないのに雪山で天体観察をしようとか、北海道の雪山斜面でスノボーに挑戦とか、とんでもなくリスキーで面倒くさい遠出ばっかり。よっぽど好きな女子じゃないとついていかないって」
 彼等の悩みもまたそこで。趣味もとことんやろうとするので、気軽に交流したい女子大生がなかなか集まってくれないのだとか。
 時には男子と、時には女子と、気楽に集まってわいわいしたい。だけど同じ趣味の仲間とはとことんやりたい。その利害が一致して、小鳥のサークルと提携してくれたのだ。この二サークルが集まる時は『楽しいアウトドアなおでかけ』という決まりになっている。たとえば、観光名所へおでかけとか、キャンプに海水浴に野外バーベキュー、スキーにお花見に……など。楽しい交流を目的として提携している。
「俺らは、酒飲んでも明るく楽しい男達だけど。あいつらは車だけ、だろ」
「気の利いたことしてくんねーぞ。ああいう奴らは」
 それ言い過ぎと小鳥は言い返したいが、『既に言い返せない状況』になっているのは内緒の話。
 後輩の小谷圭太朗はまさにそういう『勉強は出来るが、異性には奥手な真面目男子』、小鳥と花梨には慣れているが他の女子数人を連れていくと、しどろもどろな男子になってしまい、女友達の反応はいまいち。ここの彼等が言うように『うーん、車を中心としたおつきあいはちょっとー』という結果は既に出ていた。
 まあ、さっきのは花梨が彼等の気を逸らすために大袈裟に話題を変えただけのことで、結局、サークルとしては彼等とこうして組んで、メンバー達からの不満はなくうまく交流が成り立っていた。
「そろそろ、デザートが食べたいです。私、白玉あんみつにしようかなー」
 今度はスミレがやんわりと、違う流れに変えてくれる。気の弱い女の子の顔をしているが、本当の彼女は気が利くし、機転も利く。易々男の誘いにはなびかない、お育ちも良いが、芯もあるしっかりした意志を持っていることに好感を抱いている男子も多く、だからいつも『男慣れしていないスミレをついついからかっちゃう』なんてなってしまうようだった。
「じゃあ、デザートのオーダー取るよ。アイスの人ー」
 いつものように、小鳥がとりまとめる。
 最後の支払いも、幹事をしてくれた花梨とまとめて、今夜はスムーズにお開きに。
 駐車場でも気を抜かない。悪ふざけも盛り上げるためと思えば目をつむれるし、本当はしっかりした男子達だとわかっている。普段の彼等は段取りも良く、相談に乗っても的確に答えてくれる男ばかり。だけれどそんな『しっかり男子』でも酔っていたら別。勢いで『わけもわからず、乗ってしまった。運転してしまった』となることだってあるかもしれない。そこを監視するのがグループのリーダーとしての勤め。
 特に今夜は、国大生を仕切っている『リーダー先輩』が欠席だった。『小鳥のハタチの誕生日会なのに、ごめんな』と前もってメールが来ていた。
 彼等も四回生で、就職活動が既に始まっている。その予定でどうしても本州に帰らなくてはならなかったようで、男子をしきってくれる彼がいないから、小鳥が今日は目を配っている。
 前もって決められていた運転手の車に、お酒を飲んだメンバーが滞りなく乗ったのを見て、小鳥もひと息。自分もMR2へと向かった。
 だが、小鳥は花梨を探した。彼女に翔とのことを報告しようかどうか迷っていて、ついにこの日になってしまった。
 お開きの後、二人きりになったら、今度こそ、花梨ちゃんに報告しよう。五日前、ひとりで岬に行くと言った夜に、翔兄が追いかけてきてくれて、両想いになれたんだよ。それで、今夜……、初めて彼の部屋に行くんだけど……その、もしかして、あんなことになるんじゃないかと……。ねえ、花梨ちゃん、どうしたらいい。花梨ちゃんはどうだったの。恥ずかしいけれど、そう聞こうと決めていた。
 だけれど、小鳥の背後、車のドアがバタリと閉まる音がした。
 振り返ると、サブリーダーである勝部先輩のレガシィーツーリングワゴンの助手席に花梨が乗っているのを見てしまう。
「か、花梨ちゃん」
 ここのところ、彼の隣にいる花梨を見てしまう。他の女子メンバーには見られないよう、最後にふたりが乗り合わせているのを何度も見た。まるで小鳥には見られても平気とばかりに……。
 郊外居酒屋の広い駐車場出口からバイパスへとその車が出て行く時、助手席の窓から彼女が笑顔で手を振っているのが見えた。手を振り返す前に、レガシィは車道へと消えていく。小鳥は最後にひとり残り、力んでいた肩を落とした。
 どうして。花梨ちゃん。勝部先輩には、地元に彼女がいるじゃない。
 しかも、小鳥は花梨が本当に好きな人を知っていた。だけどその人が振り向いてくれないことも……。そしてその人が花梨のハジメテの男性だとも聞かされている。
 今夜、その人がいなかった。でもいてもいなくても、きっと花梨はあの男の車に乗っていくつもりだったのだろう。
 乗っていっただけで、その後どうしているかは知らない。だけど二人きりになった時を何度か目撃したが、その時の素振りで予感していた。特に花梨よりも勝部の方が引き寄せているように見えた。花梨に触れるその手が、男の気を放っていた。
 まさか。そんな、適当な、関係?
 花梨がなにもかもを投げ出したくなるような気持ちもわからないでもない。でも、やっぱり小鳥は彼女にそんなふうになって欲しくなかった。
 MR2の運転席に乗り込むと、メールの着信音。エンジンをかける前にバッグから取り出してみる。
 
【 小鳥ちゃん、お誕生日おめでとう! 今度はふたりだけで飲もうね。 せっかくの誕生日じゃない。岬で決心を固めてきたんでしょう。思い切って今夜、翔兄を誘っちゃいなよ。私、絶対に翔兄は小鳥ちゃんのことを好きになっていると思う! 翔兄たら真面目すぎるから、『社長の娘』とか気遣ったりして、自分からはなかなか打ち明けてくれないと思うよ〜。小鳥ちゃんからぶつかっちゃえ! 応援しているからね。また聞かせて♪ 】
 
 そんなメール。ケイタイを握りしめ、小鳥はハンドルに項垂れた。
 レガシィの助手席で打って送信してくれたのかと思うと、やるせない。
【 ありがとう。花梨ちゃん。今度、ゆっくり話そうね。今夜はお疲れ様 】―― そこまで打って、早く帰るんだよとか真っ直ぐ帰ってねとか……打てなかった。
「あーあ。花梨ちゃんにもっと早く報告しておけば良かった」
 まだ何も知らない親友の応援が身に染みる。
 ずうっと小鳥の片想いを見守ってきてくれた花梨ちゃん。真っ先にいちばんに報告したかったのに、まだ自分でも信じられなくて、実感が湧かなくて。そして、恥ずかしくて、照れちゃって、今日になってしまった。
 そして今夜――。どうなるのだろう。
 せっかくのお洒落もせずに、普段着。そのまま小鳥はシートベルトを締めるとエンジンキーをまわし、サイドブレーキを下ろし、アクセルを踏んだ。
 いまどきの大学生が乗っているには珍しい、90年代親父世代のスポーツカー。そのエンジンをひときわ高く唸らせ、小鳥はハンドルを回す。
 メールはもう一件、あった。
【さっき仕事が終わって自宅に戻った。サークルの誕生日会、大丈夫か。悪ふざけがエスカレートしないように気をつけて】
 彼が待っていてくれる。小鳥は港へ向かう。龍星轟のちかくにある港町、そこに翔は住んでいる。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 隣町は港。その手前、市街ベッドタウン。港へと住居が減り始めるその境目に、翔のマンションがある。
 ――龍星轟のように、俺の部屋からも海が見える。
 岬の夜、翔兄がそう教えてくれた。
 港には富裕層向けのタワーマンションもあるので、郊外でもリゾート的な雰囲気もある街で、海が見えるように建てられたマンションが多い。翔のマンションもそのひとつ。
 彼のマンションがどこにあるかは知っていた。だけどそこを訪ねるのはハジメテ。翔が空けておいてくれた駐車場にMR2を駐車し、小鳥はわりと階数があるマンションを見上げた。
「五階だっけ」
 バッグからカモメの合い鍵を取り出し、握りしめた。
 ついにその部屋番号のドアの前に小鳥は立った。チャイムボタンへと指が向かいハッと気がつく。
 虹色を含んだホワイトシェルで出来ているカモメが揺れる鍵を持っているのに――と。
 鍵穴に差し込み静かにまわすと、鍵が開く音。
 本当に開いちゃった。でも、やっぱりチャイムを鳴らしてから開けて入った方が良いかな。そう思いあぐねてしまい、ドアノブを握れずにいた。
 ――小鳥?
 ドアの向こうから、彼の声。
「お兄ちゃん、こんばんは」
 ドアの外で小さく呟くと、そのドアが開いた。
「なんだよ。鍵で開けたなら入ればいいのに」
 彼がちょっと残念そうな顔で小鳥を見下ろしていた。その目と合ってしまい、小鳥は気恥ずかしくなり目を逸らしてしまう。
「やっぱり、いきなりは失礼かなーっと思って」
「なんだよ、そんなこと大丈夫だから。入れよ」
 その手が小鳥の肩を優しく包んで、玄関中へと静かに入れてくれた。男らしいけど、柔らかに誘ってくれるその手先だけで、小鳥はもう緊張してしまった。
 しかも。ついに翔兄の部屋に来ちゃった! やっぱり玄関に入っただけで『匂い』が違う! だけど弟たちの部屋の匂いとも違う。父ちゃんとも違う。さらに玄関の廊下はピカピカに光っていて、埃もない。綺麗。几帳面そうな翔兄らしい清潔感が空気にも漂っていた。なのに、やっぱり『男の匂い』が微か混じっている。小鳥が知らない空気だ。
「わりと早かったな。日付が変わるまで大騒ぎをして、二次会三次会と長引くかと覚悟していたんだけど」
 先に玄関をあがった翔兄が、ほっとした顔を見せた。
「そうだね。花梨ちゃんが幹事をしてくれたからかな。テキパキしているもん、いつも助かる」
 まだ遊びたいとごねる男子もいなかったし、最後の支払いもスムーズに終わったなあとふと思った。
「ふうん、花梨ちゃんが幹事だったのか。ならば、花梨ちゃんとスミレちゃんが気遣ってくれたのかな。長引くと責任感が強い小鳥がいつまでも帰らないからと――。誕生日ぐらい自分の時間を過ごせと言いそうだな、あの彼女達は」
 なにもかも見通したようにして、翔兄が肩越しで微笑む。それを聞いて、小鳥も気がついた。
 そう言えば、早々にデザートが食べたいと言いだしたのはスミレだったし、花梨も、一緒に幹事をしていた勝部先輩も、今日はテキパキと皆を駐車場へと追い出していた。
 そして最後、花梨はさっと帰った。そして応援のメール。もしかして花梨だけじゃなくて、あれは勝部先輩も、スミレも、他のメンバーも揃ってやってくれていたこと?
 じゃあ、花梨ちゃんは。小鳥を一刻も早く一人にするため、自由にするために、勝部先輩の車に乗っただけ? 
 それに気がついて、小鳥は急に力が抜けるような気がした。靴も脱げずにそこで壁にもたれていると、リビングへと向かおうとしていた翔兄が怪訝そうにして戻ってきた。
「どうした、小鳥」
 今度はあの涼しげな一重の目で強い眼差しを注いでくれている。
 そんな頼もしい眼差しの彼を知って、小鳥はついにその胸に飛び込んで、彼が着ているネルシャツを握りしめ顔を埋めてしまう。
「小鳥。なにかあったのか」
「翔兄……。私、すごく心配なことがあって……。でも、でも、違っていたのかもって、安心して力が抜けちゃって……」
 長い腕が、力が抜けていきそうな小鳥の身体をその胸へと抱きしめ支えてくれていた。
 こうして彼の胸に飛び込むなんて、今までだってなかった。そうしたくても出来なかった。そして彼だって、小鳥を抱きしめるだなんて……。あるわけがなかった。
 抱き合ったのは、彼がまだMR2に乗っていた頃、恋人と別れた夜の日。ひとりじゃないよと小鳥が抱きついた。戸惑いながら抱き返してくれた翔兄は『しばらく、人がこんなに温かいんだと忘れていた』と小鳥を抱き返してくれた。でも堅く躊躇っている身体で小鳥を抱いてくれたその腕はまさに『関係のない異性』への反応だった。
 二年経ち、五日前の岬の夜はもう違っていた。やっとこの人の胸の熱さと柔らかさを知った。とても居心地が良くて、しばらく彼とただ抱き合ってから岬を後にした。
 それをもう小鳥の身体はよく覚えていたんだと、自分で思い知る。今夜、ここに来ることであんなに緊張していたのに、いざとなったら、お兄ちゃんの胸に飛び込んでいる――。そして翔兄も、もうすっかり慣れたような腕で、柔らかに抱きしめてくれている。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 目の前に、小鳥が好きなレモンスカッシュを注いだグラスを置いてくれた。
 すっかり落ち着いた小鳥は、翔に案内されたテーブルの椅子に座っていた。
 
 そんなに広くはないリビングにはテレビとソファーとローテーブルと、そして小さなダイニングテーブル。対面式のキッチンがあった。
 その隣のドアが開いていて、そこには男らしくモノトーンでまとめられたベッドルームが見えて、小鳥はまた意識して見ないように目線を逸らす。
「そうだったのか。花梨ちゃん、本命の彼と上手くいかなくて、遠距離恋愛中の男とね……」
 翔兄が神妙な面持ちになり、隣の椅子を引いてそこに座った。
「でもまだ確かじゃないから、彼女から言い出すまで、余計なこと言っちゃいけないと思って」
 レモンスカッシュのグラスを手にして、小鳥はひとくち飲み込んだ。
「そうだな。そう見えても、あまり言わない方が良いかもな。花梨ちゃんだってもしそうなら、何が悪くて、そして自分も傷つけていることはわかっていると思うな。ただ、どうしようもないだけで……」
「どうしようもないって?」
 小鳥の隣の椅子に座った翔兄は、そこに無造作に置かれたカモメの合い鍵をいじりながら、言いかねる様子を見せている。言って良いのか悪いのか、迷っているように……。
「あのな、そういう時期があるんだと思う。想いとはうらはらに、人肌寂しいというのかな。遠距離恋愛で潰れていく仲間を俺もだいぶ見てきたから。想いがあっても、若さゆえの、そういう寂しさっていうのかな。たぶん、その彼も花梨ちゃんもそういう意味で上手く噛み合ってしまったんだと思う。遠距離中の彼もカノジョの元に帰るつもりなんだろうし、花梨ちゃんもただその時だけの男でしかないとかね」
「ヤダ、そんなの! 地元の彼女も可哀想だし、花梨ちゃんだって虚しくなるだけじゃん!」
 すかさず叫んだ小鳥を見て、翔は致し方ない笑みを見せた。でも、大きな手が小鳥の頬へと触れ、頬に沿う黒髪をそっと撫でた。
「そう言い出すと思った。小鳥らしいけど……。だけどな、誰だって真っ直ぐでいたい、だけど上手くいかないことが多いんだよ。わかるよな。花梨ちゃんの葛藤。それに、今夜は小鳥に自分のための時間にしてもらおうと、皆が小鳥の手を煩わせないよう早く切り上げてくれたことだってわかったんだろ。それなら、もう少し花梨ちゃんを信じて、様子を見ればいいじゃないか」
 決して、激しく反論などしない優しい声に、小鳥の尖った気持ちもなだらかに収まっていく。
「うん、そうだね。そうする。幹事同士で帰っただけなのかもしれないし」
「いつもならエンゼルの助手席は花梨ちゃんなんだろう。今夜は小鳥を早く一人にしてあげたかったのかもしれないしな」
「うん。きっとそうだ。うん、きっと……」
 まだ綺麗に不安を払拭できた訳ではないけれど。でも、やはり彼は大人だと思った。そして小鳥はこんな夜でも、今までどおり、その日にあったいろいろなことを彼に話して、そして困ったら相談して、そして教えてもらっている。
「良かった。俺の家に来るなり、急に玄関で泣き顔になってへたり込むから」
「ご、ごめんなさい。うん、でも、ハジメテの合い鍵。緊張してた」
 笑うと、やっと翔兄も八重歯の笑みで声を立てて笑ってくれる。
「よーし。じゃあ、お兄ちゃんとハジメテの誕生日会をしよう」
 そういうと翔は冷蔵庫を開けて、なにかの準備を始める。なんだろうと待っていると、小さなダイニングテーブルに、小さな苺の白いケーキが置かれた。
「今日の昼休みに、車を飛ばして買っておいたんだ。もう龍星轟の冷蔵庫にしまっておくのに、社長に見つからないかひやひやしたんだからな」
「えー、お兄ちゃんってこんなこと考えてくれていたの? こういうことって嫌いなのかと思っていた!」
 照れくさくてちょっとからかうように言っただけなのに、そこで翔は黙ってしまった。黙ったが、彼はそのまま静かにケーキの上に、細長く赤いろうそくを立てた。
「そうだな。俺、自分からこんなことはしたことがないな。彼女に言われてやっと気がつくというか。誕生日なんてなくても、普段の日が良ければそれでいいじゃないかと思っていた。たぶん……女には冷たい男……」
 恋人と別れてしまった昔の自分を思い出してしまったようで、小鳥は『しまった』と顔をしかめた。
「お兄ちゃん。私もそう思うよ。誕生日だからなにかをしなくちゃとか、別にいいよ。今日も父ちゃんに言われたんだ。もう大人になったから誕生日の祝いはしない。これからはその日は自分が一緒にいたいと思った人間と過ごしたり、自分の為の時間だと思って歳を重ねていけって」
「社長が、そんなことを」
 隣にいる大好きな彼。やっと想いが通じた彼の大きな手を、小鳥から手にとって握りしめた。
「今夜だって、こうしてお兄ちゃんと二人きりでいられるなんて嘘みたい。私、これだけでドキドキして、でも嬉しい。お兄ちゃんが私になにかをする日じゃないよ。私がお兄ちゃんと一緒にいたいの。だからお兄ちゃんがいるところに、私が行くね。一緒にいてって私から言う」
 小鳥を見つめたまま、固まっているお兄ちゃんの顔がある。思わぬことを言われたと、驚いているような顔の。
「えっと、私の独りよがりすぎるかな」
 人の気持ちも考えないで押しかけていくように見えたのかと、不安になった。
 翔がゆっくりと頬をほころばせると、小鳥は隣の椅子にいる彼に引っ張られ、胸元に強く抱きしめられていた。
「小鳥はやっぱり小鳥だな。来年も一緒にいような」
 『うん』と彼の腕の中、嬉しくて顔を上げると、ふっと柔らかいものが小鳥の唇の端に。
 唇の端に、熱くて柔らかい感触。でも熱く濡れる感触も。
 すぐに中を侵さない、優しいキス。なのに翔は唇の端でも、そこを静かにゆっくりと吸った。激しくはないけど、じっくりとしたその愛撫に小鳥もつい吐息を漏らしてしまう。
「しょ、しょう……にい」
 前触れもなく、いきなり。心の準備がまだ……。ううん、どんな心の準備だって今夜は役に立たない。翔兄が触れただけで、きっと小鳥のなにもかもが大慌てで大騒ぎにしかならない。
 五日前、初めて知った大人のキス。味も感触も、やり方も。もう体験済みだから、どうキスを交わせばいいかわかっているはずなのに。小鳥はなにも出来ず、今夜も彼にされるまま。
 そして翔も。五日前はあんなに激しく小鳥の中に入ってきたのに、今日は唇の端だけを吸って、舌先でなぞるだけ。
 でも、それだけでも、小鳥の身体に甘い痺れが駆けめぐって、もう気が遠くなりそうだった。
「あの印、まだ残っているのか」
 彼のキスが耳元に移る。抑えた声の囁きが熱く、耳たぶを震わせる。そのくすぐったさに、とろけてしまいそうになりながら、『うん』となんとか頷いた。
「まだ、あるよ。だいぶ薄くなっちゃったけど……」
 そう答えると、翔の手が小鳥のシャツの下へとくぐっていく。
「あんなに強く吸ったから、痛かっただろう。でも、今日まで残しておきたくて」
 彼の予約の痕。他の男が見てしまうなんてことはないけれど、それは歳が離れている小鳥を自由にさせてくれる余裕とはうらはらの、彼なりの心配が顕れている痕。
 それを確かめたくて、安心したくて、彼の手が急いでいる。忙しく小鳥のデニムパンツからタンクトップの裾を引っ張り出す。丁寧で慎重な翔兄らしくない乱し方……だった。
 そんなに心配しなくても……。確かに同世代の男子といることは多いけど、お兄ちゃんが一番なのに。そう伝えたい。
「痛かったよ。でも、嬉しかった。ハジメテのキスマーク。どんな時もすぐ傍に翔兄がいてくれるみたいで……」
 ――小鳥。
 ずっとずっと前から好きだった笑顔を見せてくれる。そしてついに、小鳥の肌に男の熱い手が触れる。
 彼が探しているもの。彼が欲しいもの。そのなにもかもを解っていて、小鳥は覚悟を決める。
 その時、ハジメテ。身体の奥でつきんとした狂おしい痛みを感じた。下腹の奥で熱く。何かが滲み出てくるような、切ない痛み。
 岬の夜よりずっと強く感じた。これが女になるサインなんだと、小鳥は翔の肩先に頬を押しつけて、今度は自分から彼の背にしがみつく。
「おいで」
 隣の椅子に座っていた翔が、小鳥の手を引いて立ち上がる。
 その手を引かれて、連れて行かれたのは。あのベッドルーム。

 

 

 

 

Update/2013.5.20
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