2.ろくでなし

 

「ちょっと! 遠野君、いい加減に隼人を振り回すのはやめてくれない!?」

『バン!!』と、彼女がデスクに両手をついて詰め寄ってきた。

流石に祐介はたじろいだが……

自分より少しばかり歳が上の女性先輩だからとて、

『この女にだけは!』、怯むつもりはない。

それに地位も同じ『大尉』だ、遠慮はいらない!

だから……椅子に座ったままシラっと長い足を組んで冷めた目つきでため息。

 

「なんだよ。朝っぱらから……」

「身に覚えがないとは言わせないわよ! 昨夜、隼人をまた夜遊びに誘ったでしょう!?

自宅に戻って黙々と本ばかり読んでいる彼が、ここのところ毎晩でないにせよ

お酒臭くなって帰ってくるのが頻繁なんだから!」

「隼人が『行く』と言ったんだ。俺に抗議する前に、直接本人に言えよ?」

そこは日本人同士の『言い合い』であるから『日本語』なのだが

通訳無しでも、周りのフランス同僚達は『毎度の攻撃』と

ありありと疲れた表情で皆が揃って、ため息をもらしたようだ。

 

まったく……朝の業務中に、職場で喚くことではないぞ? 

と、祐介は耳の穴に指を突っ込んで面倒くさそうに口元を曲げるだけ。

 

その男の態度に、目の前の魔女はまたメラメラと燃え上がったご様子。

「アンタみたいな『ろくでなし』と一緒にいるから、隼人が変な男になるのよ!」

 

そう……『俺はろくでなしだ』と自分で自覚しているのだから、腹も立たないはずなのだが……

 

「黙れ。この魔女」

 

男が怒鳴っては大人げないので、そこは淡々とした口調で呟いた。

今日はどうした事か、祐介は虫の居所が悪かったらしい。

どんなに『狙った女性』と素敵な一夜を過ごしたって、本当に得たい物は手に入らないもどかしさ。

素敵な一夜を過ごすほど、その『一時しのぎ』が無性に『虚しくなる』のだ。

それを祐介はここの所、ありありと自分自身で感じ始めていた。

だから……虫の居所が悪い。

自業自得の『ろくでなし』解っていても、この『くされ魔女』に言われるとさらに腹が立ったのだ!

 

勿論……姿は美しいと自信がある魔女は

『魔女』と言われ、顔を真っ赤にして、また机に大きな音を立て詰め寄ってきた。

魔女が口を開きかけたその時。

祐介はスラックスのポケットに手を突っ込んで『ゆらり』と立ち上がった。

 

黒い前髪の隙間から輝く、切れ長眼の鋭い眼光。

それが身長180センチ以上ある祐介の位置からかなり下になる魔女に注がれる。

魔女が一瞬、怯んだ。

細面の祐介は、頬骨が少しばかり角張っていて、

その厳つい表情から豹のような眼光を放つと、

あの感情の起伏があまりない隼人でさえ……

怯えることがあるぐらいの『気迫』を持っていた。

隼人だけじゃなく……それは周りの同僚にも浸透していた。

 

『ユウを本気で怒らせると危ないぞ』

いつからかそう言われていた。

だから、流石の『さえずり魔女』も怯んだようだ。

 

「あのな、アンタもかなり格好悪いぞ。隼人に恥をかかせるな。

俺に突っかかるなら『業務時間外』が『正当』じゃないか?

これを聞いたら、隼人が怒って益々、夜帰ってこなくなるぞ?

頭、冷やせよな。

職場とプライベートの境線も解らないバカ女じゃ、いくら隼人でも疲れるだろうさ」

 

「なんですって!? あなたが振り回しているから隼人が疲れているんじゃないの?」

 

いつになくムキに向かってくる魔女に、祐介はデスクの角に腰をかけて

ニヤリ……と微笑みかけると、魔女はまた怯んだのだ。

 

「なんだ。最近、抱かれていないのか? イライラしてんな。

俺に当たり散らしたところで、『欲求不満の問題解決』にはならないだろう?

それとも? 隼人に言うと嫌われるから、俺にぶつけてるのか? 

うぶなプチマドモアゼルちゃん?」

 

日本語で言い合っていたのだが……そこは『ワザ』とフランス語で言ってみた。

 

『ぷっ』

『くす』

 

どこからともなく……本部内のあちこちでそんな漏らした声が響いた。

遊び慣れていると有名な男が余裕たっぷり、年上の女性を見下す笑顔。

女の扱いは『なんのその』と、東洋人なのに逞しい体つきで

フランスマドモアゼルを虜にしている男に、黒髪美人がそう言い捨てられる。

 

これ以上の『侮辱』が、美しく頭脳明晰と自信家の魔女にあろうか?

当然──

「侮辱したわね! 取り消しなさいよ!!!」

魔女は今度は、真っ赤な顔でなくかなり本気で叫び、

それこそ気が高ぶったのか涙を浮かべそうにしていたが、祐介はおかまいなし。

ただ冷めた目つきで、魔女を見降ろすだけ。

 

「ふん。俺に侮辱されて致し方ない喧嘩を、この場で売ったのはそっちだぜ?

いつも言っているが、俺と喧嘩したいなら……」

祐介はそこで、ちゃらけてデスクの角に腰をかけるのをやめて

すっとデスクの前に姿勢を正して、両手を『バン!』とついて

黒髪の美女の前に額を近づる。

 

「今後は、場をわきまえてもらおうか? タカハシ大尉!」

祐介の鋭い眼光を、美しい魔女の輝かしい大きな瞳に突き刺した!

豹と魔女の一騎打ち。

「そうでなければ、言葉が通じないと見て俺も構わず思っていること口にする。

公然の面前でな!」

 

それだけいうと、祐介はフッと額の黒髪をかき上げて、椅子に腰をかけた。

手元にある書類を広げて何事もなかった様にペンを握る。

 

「絶対、アンタのせいよ……私の隼人をあんなにして」

魔女は唇を噛みしめて……瞳を潤ませつつも決して表情は

か弱い女性らしく崩れることはなかった。

まさに……『執念の魔女』と言いたいところだ。

 

「ミツコ!」

本部の入り口に、メンテナンス作業服を着た『黒髪の王子様』が現れたのだ。

「隼人……」

王子様が現れた途端に……急にしおらしい声。

一直線に王子様の元へと走り去っていったのだ。

 

祐介はウンザリ……ペンを握ったままため息をついた。

「なんだ、ハヤトじゃないとどうにもならないだろうと思って、こっそり呼んだのに」

先程、ミツコを入り口で差し止めてくれた同僚が祐介の席に寄ってきた。

「なんだ、ピエールが呼んでくれたのか?」

「だってよー。朝からあの魔女の喚きは、他人事ながらウンザリだからな。

ユウも今日はどうしたんだよ? いつもお前の方が『侮辱』されても

軽くあしらうのに……強烈な仕返しだったな? ま、スッとしたが?」

ピエールは『ククッ』と肩を揺らして笑いを噛み殺しているのだ。

(俺の虫を、暴れさせたからな)

だが……自分もやや……『八つ当たりだったか?』と、後味が悪くなってきた。

 

魔女がメソメソと王子様の肩に、額を引っ付けて

『遠野君が私を侮辱した』と言っているのが聞こえて

本部中の隊員が呆れたため息……。

隼人がミツコの肩をとりあえず撫でているのだが……

額を引っ付けて離れない魔女の隙を縫って、祐介にそっと一礼をしたのだ。

そして、魔女を連れて姿を消したのだ。

 

「なんだかな……? ハヤトも大変だな。

あの魔女だと変に切り捨てると、執念深く恨まれるゾ?

美女にはなにかあるってね?」

「あんなの美女なんかじゃないぜ」

祐介は『美女美学』を汚されるような気がして、冷淡に言い切った。

「ユウも毎度……大変だな」

 

「ま。これが日常ってヤツ。 隼人程じゃないさ」

 

祐介はこんな騒々しい『日常』以上に、もっと『深刻』な事を抱えている。

それが……妻とのすれ違い生活になるのだが。

今のところ、現状に甘んじている。

そう……『ろくでなし』という現状に──。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 その頃──隼人は黙々と、恋人の腕を引っ張って

中隊本部から遠ざかろうと廊下を突き進んでいた。

 

「なに? 隼人……痛いじゃない……!」

メンテナンスの作業着を着た隼人は、ただ真っ直ぐに

廊下を突き進んで彼女の腕を引っ張る。

人気がない非常口に近づいた。

 

「もう、なによ!」

ミツコも彼が憮然としている様子から、『機嫌を損ねた事』は解っているようで

隼人が引っ張る腕を、そこでやっと振り払って立ち止まった。

隼人も、スッと後ろで立ち止まった彼女と向き合った。

 

「いい加減にしてくれよ」

隼人が睨んでも、ミツコは知らん顔。

「どうしてよ? 隼人が連絡も無しに遅く帰ってくるのがいけないんじゃないの?」

「連絡なんてしなくても、帰るところは一緒だろ? 俺は昨夜ちゃんと帰った」

「私がどんな気持ちで待っていたと思うの!? ご飯だって作って待っていたのに!」

「それは謝る。だけど、いつも言っているだろ?

俺に構わずに、先に食べていてくれればいいんだよ。

俺だって、仕事で急に遅くなることがあることぐらい解っているだろ?

それがたまたま昨日は、先輩に誘われて出かけただけじゃないか?」

「だから、遠野君が悪いんじゃない!」

「どうして先輩が悪いんだよ!? 俺がついていったんだから!」

隼人がどんなに祐介をかばっても……

「隼人は解っていない! あの男がどんなにだらしがない男か!」

「どういうところが?」

なんて……聞き返したところで、隼人も実は耳が痛くなるくらいミツコに聞かされている。

『仕事が出来てもろくでなし』と……。

「昨日だって、事務課の女をたぶらかしていたに決まっているのよ!

隼人だって、見たんでしょ??」

「見ていないよ」

いや……本当は見た。

事務課の女性数名と、本当は夕食を供にしたのだ。

全部、祐介が一声かけて『俺の奢り♪』と引っかけてきた女性達と。

その中で、祐介がここ数週間狙っていた女性も誰か知っていた。

夕食の後は、皆でバーに繰り出した。

そこで一人、二人と女性達は平日のために帰宅する。

隼人はソフィーを口説くのに夢中な祐介を横目に

そんな他の女性達が無事に帰宅できるように送り出す。

最後に隼人が一人残って……、祐介とソフィーと三人で夜が更けるまで呑んだ。

その時は、祐介はかなり酔っていて、隼人の前でもあからさまにソフィーを口説いていた。

だけど──気にならない。

何故なら……隼人が二人の側にいるのは『時間つぶし』の様なものだったから……。

適当に二人の甘い会話に、簡単に言葉を挟むだけ。

無言で酒を呑んでいても、頭の中には、色々な事を考えていけたから……。

『ねぇ? ハヤト、ユウがこんな事、私に言うのよ? なんとかして?』

ソフィーは困りつつも、顔は嫌がっていなかった。

『まぁ……自分で何とかしなよ? 俺、そろそろ帰るよ』

そこで本当に困っているなら彼女は隼人に置いてかれることに危機感を感じて

ついてくると思った。

そんな時だけ……祐介は、それを試すかのように真顔になったのだ。

ここでソフィーが、隼人についてくれば、祐介は酔っていた戯れと笑い飛ばしただろう?

隼人に彼女を任せて……また、一人酒を呑むに違いない。

だけど……彼女は、ついてこなかった。

『これは決まったな……』

隼人は予感した。

ソフィーは、今夜は先輩の手に墜ちると……。

どうやらその様になったらしい?

 

こんな男……女性から見ると確かに『ろくでなし』かもしれない。

独身であれば『ろくでなし』とはならないだろうが?

ミツコが言うところの『ろくでなし』は、

彼が祖国に妻をおいてけぼりにしているにも関わらず、

単身赴任中に、外国美人をくどきまくる所にあることは隼人も解っている。

それが『いけないこと』であることも解っている。

 

「先輩には先輩の事情があるんだ」

隼人が無表情にそう呟くと、ミツコが『ハン!』と、荒い息を突き上げる。

「何が事情よ!? 結婚している男がする事じゃないわよ?

隼人はそれに『荷担』しているのよ!?」

「…………」

そうかもしれない? と、隼人だって何度も思った。

だけど……どうも違うのだ。

祐介の寂しそうな顔を何度も見てきたし……彼の妻にも会ったことがある。

祐介より、ちょっとだけ年下の確かに美人な女性だった。

だけど……

『え? これが先輩の奥さん??』と……

あの仕事も堂々とこなし人を引きつける魅力もある彼の妻にしては……

あまりにも『保守的』で、そして『鈍い』と感じたのだ。

『鈍い』といえば、言葉が悪いかもしれない。

でも──

異国で一人、頑張っている夫を心配して会いに来た妻と言ったふうではなくて

それを目にしてから隼人は益々……祐介の『彷徨い』に口を挟む気がなくなった。

彼の妻は気が付いていない……。

夫の『孤独感』を──。

なのに……祐介が細々と暮らしているアパートに泊まることを嫌って

『隼人、参ったな? どこか女房が気に入るようなホテルって通勤範囲であるかな?』

それを聞いたときびっくりしたぐらい。

祐介の安アパートが居心地悪かった様だ。

『えっと……ダディに聞いてみる』

マルセイユという土地柄……地中海に面したパパの家の近くに

ペンション風の安いホテルが見つかったのでそこを紹介した。

妻が滞在中、祐介はそこから毎日、部隊に通っていたのだ。

その次は……

『パリに行きたいってうるさくて……休み取れるかな?

なぁ……隼人、パリで良い店ってしっているか?』

『あの……奥さん、仕事のことは気にしてくれないんですか?』

隼人は……失礼と解っていて祐介に尋ねたことがある。

すると、祐介はちょっと寂しそうに、でも、致し方なくおどけて笑っただけ。

『パリって言っても近くじゃないですよ? 飛行機使わないと……』

『解っている』

『日帰りは……無理ですよ? 観光するなら泊まらないと』

『解っているよ』

『説得できないんですか?』

『……日本で一人で暮らしているから、会ったときぐらいはね』

そう……そうして祐介はなんとかして堪えて

妻と折り合いを付けようとしていた。

マルセイユだけでも充分楽しめる土地柄なのに……

それでも『パリ』に行きたいだなんて……。

何が『目的』なんだろう?

滅多にフランスに来ることもないなら、パリに行きたいかもしれない?

隼人はそう思って……

祐介が初めてフランスに妻が来るとご機嫌だった顔を忘れられず、

祐介がここで妻が『フランスで一緒に暮らしたい』と思ってもらうために

一生懸命だったから……。

祐介が手間取らない観光ルートと交通機関を教えてあげたのだ。

そういう夫に会いに来た『意味』という事を

『ほんとうに、解っているの?』と問いただしたくなるような『鈍さ』の事を

隼人は言いたいのだ。

祐介はこの妻の『フランス初訪問』の時は、かなり妻中心に動いていた。

それもあの堂々とした彼が、妻に下手に出るように……。

そんな夫としての彼をみて……口では絶対に言えないが『哀れ』とまで思った程だ。

『結婚って何?』と、首を傾げる出来事でもあった。

だけど……祐介の妻への願いはうち砕かれたようだった。

彼の妻は、帰る日にブランド品の土産をいっぱい抱えて日本へ笑顔で帰っていった。

 

それを、今、目の前の『同居人』にも説明すれば解ってくれると

普通の恋人同士なら話し合うのだろうが……

『ふーん……あの遠野君の奥さんって、そんなつまんない女なの! お笑いね!!』

最初から、年下で同じ大尉である祐介を『敵視』していた恋人が

『ニヤリ』と微笑んで『弱みを握った』と意気揚々となる様が目に見えて

言えなかったのだ。

 

そして……今度はこんな隼人を先輩・祐介は『哀れ』と思っているに違いない。

だけど……

 

「わかった。これからは、出かけるときはちゃんと連絡するし。

だから……先輩のことで言いたいことがあるなら、頼むから俺に言ってくれ。

気に入らないことは、俺が全部聞くって約束だろ?」

彼女に『夢中』になった時期を隼人は思いだして、なんとかそう言えた。

そう、祐介が朝っぱらから業務中にも関わらず、攻撃されたのは

自分がミツコをほんのちょっと遠ざけ、『同居のルール』を破った事が原因だから……。

なのに──

「そういう意味じゃないでしょ! 私が言いたいのはね!?」

ミツコはすごい剣幕で向かってくる。

きっとこの剣幕で本部にいる祐介に抗議したのだと隼人は悟る。

「もう、いい」

隼人は、そこですっかり疲れたという様にため息をこぼすと、ミツコがサッと引いた。

「ね? 隼人、あのね?」

急に隼人を伺うように、顔を覗き込むのだ。

「なに? 俺、今から空母艦なんだ。じゃぁな」

「まって!」

背を向けた隼人に、ミツコが飛びついてきた。

フッと振り向くと、ミツコがいじらしい瞳で隼人を見上げているのだ。

その瞳。

大きくて煌めいていて、まつげが長くてぱっちりとした泣きそうな瞳。

それに見つめられると時々、なにも言えなくなる。

おいてけぼりを食らうような子犬のような瞳なのだ。

「今夜は帰るから」

サッと、その眼差しから視線を逸らしてしまった。

その瞳に弱かった。

隼人の心の中にある『切望』を揺さぶる瞳なのだ。

視線を逸らされてしまっても……ミツコはそこで満面の愛らしい微笑みを浮かべた。

「じゃ。ご飯作って待っているわね♪ 頑張ってね! 訓練♪」

先程の剣幕も何処へやら?

ミツコは輝く黒髪をなびかせて、すっかりご機嫌で去っていった。

本当に……万事彼女の思い通りになれば、あれほど愛らしい女性なのに……。

隼人は、そう思って一つため息。

 

(これで一日大丈夫だろう?)

工学科の人間からも、ちょくちょく抗議を受ける。

『頼むよ。ハヤトと上手く行かないと一日大変なんだ』

こういう『公認の仲』になるとは最初は思っていなくて

職場恋愛についてちょっとやり方間違えたと、隼人は『後悔』しているのである。

 

隼人はため息をついて、時計を見てびっくり!

「わ! 連絡船が出る時間じゃないか!!」

メンテの仲間が、恋人が何かやらかしたと隼人が飛び出したのは解ってくれていたが

皆がそこを解って、待っていてくれるか不安になりつつ隼人はダッシュ!

 

それにしても、こう度々、あちこちに迷惑がかかるのは隼人も『ストレス』

それを近頃、徐々に感じ始めていたのだ。

 

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 訓練が終わって、隼人はカフェテリアで食事を取ろうと制服に着替えて仲間と向かう。

だが、この日はちょっとだけ朝から気分がだるいのである。

連絡船には、仲間がちゃんと出航を引き留めて待っていてくれた。

『大丈夫かよ? 隼人、本部にしょっちゅう迷惑がかかると後がやっかいだぜ?』

隣りに座った栗毛の同期生『ジャン=ジャルジェ』が、呆れたように囁いた。

『先輩がなんとかしてくれるさ』

『そうだな』

ジャンは最初、ミツコと付き合うと決めたときに、かなり反対した一人だった。

一番最初に、真っ先に反対した男だった。

だけど最後には

『そこまでお前が決心したなら何も言わない』

そういって、今はあたらずさわらずの距離で大きく口を挟んでくることはない。

だけど──

遅れてきた隼人の行為に……ジャンはそれから口を聞いてくれなかった。

きっと呆れているに違いない……。

仲がよい同期生にもこんな風に接されると、隼人もちょっと胸が痛い。

今までは……

『彼女だって良いところいっぱいあるよ』

そう言ってきた。

だけど……近頃のこのセリフがスッと隼人の口からも出なくなってしまっていた。

 

そんな事もあったから……

今日はちょっと仲間とは食事が一緒に取りにくい。

それで、テイクアウトでサンドウィッチでも買って裏庭で一人食事をしようと決めていた。

ジャンは機嫌が悪いのか、メンテの先輩と肩を並べて前を歩いていて

隼人の側には居なかった。

隼人も、ジャンの気持ちは解っているから悔しくはないし……

先輩達が隼人が出航に遅れてきたことに、からかいにくどい文句を言わないように

ジャンが注意を逸らしているとも感じられて

そっとチームの後ろをついてゆくように歩いていただけ。

 

階段を上っていると……

「ハヤト……」

後ろからか細い女性の声。

フッと立ち止まって後ろを振り返ると、

階段の踊り場に赤毛の女性隊員がにっこり手を振っていた。

おかっぱ頭で、そばかすがあるチャーミングな笑顔の女の子。

「ニナじゃないか?」

隼人は遠目に目にすることはあっても、こうして声をかけられたのは久し振りで

思わずニッコリ微笑み返した。

「どうしたんだよ? 久し振りだな?」

「うん……」

彼女はただひっそり微笑むだけ。

そう……大人しい女性なのだ。

「あのね……ハヤトに知らせたいことがあって……」

「なに?」

そう言っても、彼女は控えめな笑顔でただ、恥ずかしそうに微笑み俯いただけ。

「あ。俺……裏庭でランチをしようと思っていた所。

ニナは? もうランチは終わった?」

彼女は、そっと頭を振った……。

「そう。 あ、ニナはトマトサラダサンドが好きだったな?

俺、買ってくるから……そこで待っていて!」

「でも……」

「いいの、いいの! 俺もニナと話したいから!」

『あ……ハヤト?』

彼女のか細い声を耳にかすめて、隼人は階段を駆け上がった。

 

先輩達と仲間をまいて……隼人はサンドウィッチを手にして階段に戻ると。

言われた通りにニナが同じ場所で待っていた。

 

「ごめんね? ハヤト……メンテの皆に何も言われなかった?」

ニナが申し訳なさそうに隼人を見上げた。

「ううん? 俺、今日は元々一人ランチの気分だったから……」

「そう、それならいいの……」

ニナの大人しい控えめな微笑みを隼人はニッコリ見下ろした。

 

そして……彼女の白い首筋に目がついた。

 

「……元気そうだね?」

「うん」

彼女が元気で頑張っていることは、隼人にとっても何故か嬉しいことなのだ。

その白い首筋に……昔の想い出があるからだ。

「ニナ、綺麗になったね」

「え? そう??」

彼女がそばかす顔で、グレーの瞳をキラキラと輝かせて微笑み返してくれる。

「ニナが綺麗になると俺もかなり自慢したくなるからね」

「なぁに? ハヤトったら??」

ニナがクスクスと笑った。

「だって……俺の初めての女性だモンな?」

そういうと、彼女がそっと頬を染める。

「……私だって……ハヤトが初めてでハヤトのお陰で今があるんだもの……」

 

そう──

『ニナ』は、隼人にとって『性初体験』の女性なのだ。

だから……彼女が綺麗になると隼人も男として自慢なのである。

だけど……『恋人』ではなかった。

彼女はその時、熱烈に恋い焦がれていた男性がいた。

 

そう……あの『祐介』だった。

それがニナの憧れていた男性。

その女性と隼人は肌を合わせたのである。

いきさつは……色々とあっての事。

だけど……隼人にとって彼女は今でも、心の中では良い想い出の女性なのだ。

 

そのそばかす美人を連れて、隼人は裏庭へとサンドウィッチ片手にランチに向かう……。

 

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