-- A to Z;ero -- * 熱帯模様 *

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1.お嬢様方々

 最新ビルは警備も厳しいらしく、入り口の回転ドア付近では、制服姿のガードマンが、軍服姿の隼人と小夜をジッと監視していた。
 そして正面には、優雅なたたずまいを見せている『受付嬢』の笑顔。
 そこで『彗星システムズ』のシステム課長──『常盤課長』への取り次ぎをお願いする。

『暫くお待ち下さいませ』

 受付嬢の優雅な笑顔に、圧倒されていた気持ちが少しは和らぐ。
 それでも小夜は、隼人の背後にピトとくっついて不安そうにしていた。

「いらっしゃい。澤村中佐!」

 そこへカジュアルな服装で、眼鏡をかけている『常盤』が手を振って現れた。
 彼の『中佐!』というかけ声に、ロビーにいる人々が振り返ったから、隼人が驚く前に、小夜がビクッとしているではないか?
 隼人は『もう、どうでもいいや』と、小夜は新米だから、もうどうなっても仕方がない……と、さじを投げたい気持ちで苦笑いをこぼしながら、常盤に一礼をした。

 青地に白ストライプのカジュアルなシャツの裾を、ソフトパンツの上に出している砕けた格好の常盤。
 砕けているのだが、それがだらしがないのではなく、どこか都会的な砕けた着方で、彼の姿はこの近代ビルの中で、プログラミング第一線の仕事をしている『技術者』の威厳をしっかりと醸し出していた。
 黒髪に少し白髪が交じっているが、笑顔は若々しい。
 歳は三十代後半だと聞いている。
 もさっとしているようで、そうではない。不思議と男の色気は感じるのだ。

「おや? 今日は可愛らしい女の子連れで。まさか……大佐嬢……ではなさそうだね」
「え、ええ。私のアシスタントです」
「アシスタント! いや〜中佐ともなると、こんな可愛い女の子が!?」
「可愛いでしょうが、仕事はまったくですので、今回から側に置きますが、大目に宜しくお願いします」
「結構、結構。なにしたって可愛い子は、なんでも許せるよー♪」

 横長レンズの眼鏡の奥から、そんな大人の男の軽くにやけた笑顔に、かえって小夜が固まったのが分かったのだが。
 隼人が、もうただの可愛い女の子連れでもいいやと今回は諦めかけた時……。

「小笠原第四中隊本部室の吉田小夜……と申します。宜しくお願い致します」

 隼人の背からちゃんと出て、きっちりと背筋を伸ばし、立派な角度でお辞儀をした。
 この子、やる時はやるんだよなーと……。
 そりゃ小夜が経験がないと言っても小笠原という国際基地への配属を、何倍もの倍率の中を勝ち抜いてきた人材である事は間違いないのであるから、これぐらいは……『花形の本部員』として当然の所。
 それでも隼人の方が、急に凛々しくなった小夜に唖然としていた時だった。

「僕にもアシスタントをつけたんだ。候補が結構いてねー。選考でひともめあったりなかったり」
「そうですか。常盤課長のアシスタントですから、皆さん、やりたがるでしょうね」
「なんせ、今回は──おっきな話だからね。経験を積むには良いチャンス」
「なるほど」
「つれてきているんだ。僕の方も紹介しておこう」

 噂の常盤課長──そのアシスタントを獲得したのはどんな男性だろう? と、隼人も興味津々。
 ところが……だった。

「うちのはそちらみたいに可愛くないのね」
「は?」

 可愛くない? に、隼人が眉をひそめていると……その『彼女』に向かって、常盤が手招きをする。
 そして彼は、彼女をこう呼んだ。

『青柳! こっちだ』

 『青柳』!?
 隼人が、おや? と、目を凝らしたその先には……!

「いらっしゃいませ。“澤村君”」
「青柳! この会社だったのか!?」

 そこにはシンプルな黒いパンツスーツを、あの日のようにかっちりと着こなしている『佳奈』がいた!

「なになに!? 青柳と澤村君は知り合いなの?」
「中学の同級生です」

 佳奈が上司の常盤に、素っ気なく伝える。
 常盤は驚き、そして小夜もなんだか興味津々に佳奈を食い入るように見ている。
 そんな中、佳奈は隼人ににっこりと微笑みかけてきた。

「課長には『知り合い』と言う事で選考で先入観を持ってほしくなかったので」
「晃司は知っていたのか?」
「結城君には黙っていてもらったの。澤村君にも先入観は持って欲しくなかったから」

 そして佳奈の目が、隼人に向かって真剣に煌めいた。

「でも、やっと掴んだチャンスよ。知り合いもなにもない……公正な選考で課長のアシスタントを勝ち得たと思っているわ」
「そうか。おめでとう」

 そして、隼人は先日の佳奈の真剣さと苦労を思い出し、そっと手を差し出した。

「良い仕事を共に。青柳さん──よろしく」
「ええ、お願い致します。“澤村中佐”」

 対等に握手を交わした『同窓生』を、小夜がちょっと恨めしそうな目で見ている気がしたが。
 常盤課長は、腕を組んで溜め息をついていた。

「ね。うちの“子”──可愛げないでしょう? 黙っているなんて」
「なにかおっしゃいましたか? 常盤課長。ミーティング室でお出迎えの準備、出来ております。ご案内致しますね」
「はいはい」

 どんな時も、肩の力を抜いてざっくばらんとしている常盤に対し、佳奈の方は『隙がない』ように隼人には見えた。
 そんなキリッとしている佳奈の後を、常盤がちょっと茶化しながらついていっても、佳奈は知らぬふりを決め込んでいる。
 『可愛げがない』──は、正解かもと。
 それでも常盤がその『可愛げなさ』を楽しんでいるように見えて、その上手な余裕はすごいなと、隼人は思わず見入ってしまたのだ。
 そんな中、ちょっと手間がかかるお嬢ちゃんが一言。

「澤村中佐の……初恋の人?」
「こらっ」

 隼人の背でこそっと呟いたので、『逆だ、逆!』と叫びたい所をぐっと堪えつつ、またもや、目くじらを立ててしまったのだが。
 あー、常盤さんなら、笑い飛ばすんだろうなーと、隼人はちょっぴりうなだれたのである。

 それにしても──同窓生と仕事か?
 初めての事だった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「はー! 小笠原もあっちいなぁー」

 炎天下の午後──。
 達也が山中と一緒に仕切っている外訓練から帰ってきた。

「お疲れ様。海野中佐」

 隼人が出張に行っている為、大佐室には葉月が一人、留守を守っていた所。

「冷房が効いているだけじゃなさそうだな。大佐嬢の顔を見ただけで、なんだか涼しいなー」
「それって、嫌味?」
「凛々しい──って誉めているに決まっているだろう」

 達也のにやけた顔に、葉月は軽く睨みをきかせてふてくされる。
 いつもの如く、達也の軽口。
 そうしてふてくされたり、ムキになる葉月を楽しむのは『昔から』だ。

 それで葉月がツンとした顔を見せても、達也は楽しそうに笑って、キッチンへと姿を消す。
 冷蔵庫を開ける音。
 葉月が常備しているジャスミンの香りを付けているウーロン茶。
 そのポットを取りだして、コップに注ぐ音。

「ふぅ。うまいなーコレっ!」

 この一言も、達也が毎度こぼす言葉。
 決まったような流れに、最後の決まっている一言に、葉月もつい笑みをこぼしてしまった。

 真夏になり、肩章がついている白シャツ制服に切り替えた者が殆ど。
 そんな中でもこの大佐室の三人は、重みある席にいつ呼ばれるか判らない為、つねに長袖の上着も持ってきている。
 それでも暑いので、椅子の背にかけたままにしているのだが。

 そんな達也も、白いシャツ制服。
 シャワーを浴びてきたのか、柔らかくてちょっと癖がある黒髪の毛先が丸まってしっとりしている。
 その前髪を、手櫛で整えながら、中佐席に戻ってくる。

 そしてマウスを握りしめながら、ザッと長身の身体を椅子に預ける。
 さらに、達也らしい砕けた座り方で、パソコンモニターに頬杖で向かう。

『……ですねー。あはははは!』
『そんなんじゃ、困りますやんっ』

 なんだか妙に賑やかな声が彼の席から流れてくる。
 関西弁混じりの会話。
 テンポ良い会話の流れを耳で追っていると、どうも『お笑い芸人』が画面を賑わしているようだと判る。

 つまり、達也はパソコン画面に『テレビ放送』を呼び出して、眺めているのだ。
 だけれど、葉月はその賑やかな声が聞こえてきても、注意はしない。
 あと……五分もすれば、達也の目的になるからだ。
 だから、葉月もまったく聞こえていないも同然で、書類に向かっているだけだ。

 達也は、目的の画面が映り出すまで、コップのお茶を味わう続きを楽しんだり、今度は櫛で前髪を整えたり、胸元まで開け放していたボタンを首元まできっちりと締めたりをしている。

『……時になりました。報道ニュースをお伝えします』

 達也の顔つきが変わる。
 彼が待っていたのは、この『報道ニュース』だ。
 夕刊に載るだろう内容が、いち早くこのニュースで取り上げられたりするのだ。
 達也は、毎日、それをチェックしている。
 いち早い『情報』が彼は欲しいのだ。
 だから、葉月も何も言わないのである。

 大抵は達也にとっては『なんてことないお知らせ』で終わるようだが、時には『なんだって!?』と顔色を変える事もある。
 どうも、『将軍秘書室』にいた時からの癖のようで、日本に帰国してからは『このスタイル』で、気持ちを落ち着かせているようなのだ。

 今日もなんてことないお知らせで終わったようだ。
 そのテレビ放送をつけっぱなしで、彼がキッチンにコップを片づけに行く。
 普段はちゃらけたり、男性特有の『おおざっぱさ』があるのに、こと『仕事』と『側近』となると彼は手抜きない立派な男になる。
 そこも秘書室で鍛えてきたせいか、飲みっぱなしで放らないで、ちゃんと自分でコップを洗う。
 後輩に任せる事はない。

『皆様、こんにちは! 本日のお客様は……』

 昼下がりまっただなか。
 有名人を招いてのトーク番組が始まった。
 ここまでくると、達也は興味があまりないらしく、すぐに画面を切り替えるのだが……。

『本日のお客様は、今、話題の社長様。若槻 修さんです!』
「!」

 葉月がぴくっと反応した時、達也は席に座ってマウスを握った所。
 指がカチっとクリックをする寸前!

「待って!!!」
「っはぁ! なんだよ、その大声は! 驚くだろ!」

 静かな大佐室──そこで素の大声を張り上げた葉月に驚いた達也は、胸を押さえ込んで大きな一息をついて落ち着こうとしている。
 そんな彼に構わずに、葉月は達也を押しのけるようにして、中佐席のモニターに食いついた。

『また大変な話題を呼ぶお仕事を始められましたね』
『いいえ、僕が初めて試みたという訳ではありません。日本では先駆けになるかも知れませんが、うちの試みだけで終わらず、国内でも普及し、皆様に楽しんで頂けたらと思っております。思い切ってやる事にしましたのも、“皆さん、一緒に始めましょう”というつもりです』

 兄達の後輩──若槻が、相変わらず若々しい実業家の爽やかな笑顔で、画面に映っている。

「あ。若槻社長じゃんか」

 やっと気が付いたのかと、葉月は自分の目の前の興味にだけ全力集中する達也に呆れた眼差しだけ向けておく。
 若槻は相変わらず、業界でもメディアでも話題を呼んで賑わせている。
 しかし、カメラが彼を追ってその映像がメディアで公開されることがあっても、彼がこうして番組に出向くという形はあまりない。
 だから、葉月もちょっと驚いて見入ってしまっていたのだが。
 さらに、若槻らしからぬ『ワイドショー沙汰』になっている事が、近頃ひとつ。
 それも気になった理由であるのだが──その気になっている『話題』を司会者が切り出した。

『あら、本日もご一緒のようですね。噂の……』
『はい、秘書でございますから──』

 それは台本で用意され、若槻の了承を前もって得ている『話題』なのか?
 司会者はちょっと触れにくそうにしつつも、それでも興味があるのよ──と、いった風な口振りで、スタジオセットからスッと目線を逸らす。
 そして、若槻も『用意された話題』だからなのか、それとも、彼特有の余裕なのか、にっこりと微笑んだままサラッと返答。

 その『噂の秘書』とやらを捕らえる為か、カメラがクッとセット外のスタジオ隅に動く。

 そこは、スタジオの照明が差していない薄暗い場所。
 それでも、そこには顔にはサングラス、真っ白でシンプルなスーツ、けれど輝くばかりのオーラを放っている『金髪の美女』が優美に微笑みながら、愛想良い手振りをカメラに返している姿が……!

『大変、お美しい方で。もしかすると今、社長より注目されているかも知れませんね』
『あははは! そうかもしれません。参りましたね!』
『大変、失礼ですがー。近頃のお噂の真相はどうなのでしょう?』

 これまた、司会者が遠慮もなく突っ込んでくるので、葉月はヒヤッとする。
 けれど、これも用意されていたのか? 若槻は動揺することなくにっこりと微笑んだまま。

 そして……そのカメラがまた『彼女』を写し出す。

『本当に、最近、採用したばかりの“通訳”兼の秘書です』
『英語とフランス語がお得意だとか──』
『はい、けれど、日本語は僕が通訳なんです。可笑しいでしょ!』

「あ、また彼女が出ているなー。本当、真相はどうなんだよ? ロイ中将は親戚がこんな風に取りざたされていて平気なのかなー?」
「……」

 達也のその言葉に──葉月は小さく唸る。
 彼女はロイの親戚なんかではないから……。
 けれど、隼人と達也はロイが言うまま『親戚だ』と信じているのだ。

 その彼女とは──『アリス』だ。
 彼女が、今、その『噂の秘書』なのだ。

 

 『あれから』間もなくして、アリスはロイの家を出て『若槻』の所に身を寄せた。
 彼女たっての希望で、『何処でも良いから働きたいの!』とロイに頼んだという。
 しかし、一般人であるアリスを小笠原基地内の何処かでアルバイトさせると言っても、彼女に適応しそうな場がない事、さらに小笠原という場が限られている離島で、アリスのような外国人が直ぐにお勤め出来る場所もない……もっと言うと彼女は一度死んだ事になっている『身元不明者』と言う事に、ロイは頭を悩ませていたようで。
 そこでロイが思いついたのか? それとも若槻がロイに助け船を出したのかは知らないが……?

『レイ! 私、トウキョウに行く事になったの! 今度、遊びに来てね!』

 若槻に預けられる事となり、アリスは小笠原を直ぐに出て行った。
 けれど……まるでロイの家を『実家』の様にして、出て行った後も若槻と一緒に、二、三回は小笠原に帰ってきていた。
 その時は、アリスから声がかかって、葉月もフランク家に出向いて、一緒に夕食をしたり……。
 いつのまにか、彼女とは『なにかの戦友?』みたいにして、気兼ねなく話せる仲に……。
 むしろ、アリスの方が積極的に葉月に寄ってきてくれる。
 性格の差があるのかもしれないが、声をかけてくるのは彼女ばかりで、葉月はその声に快く応じる側。
 でも、心より彼女が声をかけてくれるのを楽しみにしているし、アリスも淡泊な葉月の性分を把握しているかは判らないが、判っているかのように彼女から積極的に誘ってくれる。
 なんだか、そんな無理しないお付き合いが、彼女とは難なく成立してしまったのだ。
 アリスの小笠原帰省だけでなく、葉月が本島に出向いた時に、二人きりで都内でお茶をしたり、ちょっとした買い物をしたりして、アリスのセンスで洋服を選んでもらった事もある。

 ところが……ここ二ヶ月余り。
 アリスを急にテレビ画面で見かけるようになってしまったのだ。
 最初は若槻を追うカメラの隅に映っていただけ。
 本当にただ、若槻が連れ添っているだけ。
 なのに……急にマスコミが彼女に興味を持ち始める。

 最初は他愛もなく『社長と一緒にいる謎の美女』なんて言われているだけ。
 けれど雰囲気はばっちりと『優秀秘書』を決めているのに、彼女が『通訳』と言われながら『日本語が余り出来ない』事が発覚? してからは急に『社長と熱愛中!?』なんて、記事にテレビの見出しが目につくように!!

 これには葉月はおろか、ロイも唖然としていて、『若槻、大丈夫か!?』なんてロイが慌てたぐらい。
 けれど若槻は──『あはは。騒ぐだけ、騒がせて下さいな。あれもアリスの天性なんでしょうね。何もしていないのに、凄い注目度』と、余裕いっぱい。
 彼女なりにやりたい事をやらせているし、教えて欲しいと願った事をを教えてあげただけで、いつのまにか『秘書』をやらせるようになっていたとの事。
 後は、『見習い秘書』なのに、マスコミが仰々しく彼女を取りざたしているだけとの事だった。

 それに彼女も慣れているのか、あの優雅な余裕が余計にカメラを惹きつけてしまう様……。
 だから葉月は、うんと心配はしていない。
 義兄の腕から飛びだしていった『虹の美女』は、キラキラと輝き始めている。

「お前、来週──音楽会に行く時に、彼女に会うんだろう?」
「そうよ、久し振りなの! でもね〜こういう状態だと……安易に会えない気がして……」
「だよなー? お前までカメラに追っかけられる事になったら……なぁ?」
「え? 私はないと思うわよ。彼女の側にいるとね……彼女のあの綺麗な輝きパワーの側ではくすんじゃうだけ」
「それでもな。マスコミはなんとでもネタにするからな? お前が小笠原の大佐嬢だなんて判った日には、また若槻社長の『意外な繋がり』となるからな」
「……」

 そうなのだ。
 そこも考えて、ロイに『どうやって会えばいい?』と相談していた所。

 だったら『右京と若槻』と一緒に会えばいい──という返事になり、右京もアリスと交流をいつのまにか持っていた様なので、一緒に人目つかぬ場で夜の食事をする約束になっているのだ。
 それを達也に教えると『そっか、兄ちゃんが一緒なら大丈夫だな』と、安心してくれた。

 テレビではまだ賑やかに若槻をからかう話題だったのが、やっと……彼に対する真面目な質問に切り替わっている。

「もういいか? 消して」
「うん、いいわ」

 達也がそのテレビを閉じる。
 大佐室がまたシンとする。

 葉月は大佐席に戻り、いつもの仕事に。
 達也もマウス片手に、かちかちと音を鳴らしながら事務作業に──。
 暫く時間が経った時だった。

「今度の音楽会は……仲間だけなのか?」
「ううん? 一応、パーティー形式で。演奏者の知り合いも招待しているわ。主催はお兄ちゃまよ」
「へぇ? 四谷も行くの?」
「お誘いはしたけれど、今回は兄様の軍外の知り合いが多いから、遠慮したみたい」
「ふぅん? お利口さんなんだ、少佐は……。じゃぁ、俺みたいなのは、行っちゃいけないわけ?」
「そんな事はないと思うけれど……」

 急にどうしたのだろう? と、葉月は首を傾げる。
 けれど、達也はそれ程重要な質問をしているような真剣な格好はしていず、いつもの何処か砕けた格好でマウスを動かし画面を見ているだけ。
 葉月の方を一切見ずに話しかけているにもかかわらず、顔つきはいつになく神妙なのだ。
 そんな達也が言い出した。

「俺、行きたいな。そのパーティー。なんとかならないのか?」
「え……?」

 またもや達也は、躊躇う素振りも無しにサラッと言い、姿勢は片手頬杖でマウスを動かし、足を組んだリラックスした格好で力んでいる様子もない。
 彼のそんなごく自然に出てきた『要望』は、ごく自然なはずなのに、長年の付き合いがある葉月には妙に『強気』な言い方に聞こえる。
 だから──暫く、どう答えて良いか分からずに、黙ってしまっていた。
 すると、やっと達也がチラリと大佐席に視線を流してきた。

「……聞きたいし、見たいんだよな。今の葉月を。俺にはそんな機会がないから」
「そ、そうね」

 なんだか威圧されているようで、葉月の方が妙にぎこちない。
 でも、達也の『静かなる攻撃』は止まない。

「別に、隼人兄だけの物ではないんだろう? 葉月の音を聞けるのは。それとも何? 好きな人以外は聞かせられないわけ、お前の音って奴は」
「一人の為に弾いているつもりはないけれど……」
「だったら、いいだろう? 右京さんに聞いておいてくれよ」
「わ、分かったわ」

 思わず、葉月は頷いてしまった。
 何処かで訳が分からない罪悪感みたいな物を感じるのは、隼人を差し置いて……という気持ちなのだろうか?
 葉月には良く分からなかったが、そんな受け入れ難そうな葉月の様子を達也は見逃していず、こう言い出した。

「勿論──兄さんも誘っておけよ。お前が招待したら、絶対に来るって。俺はただ、お前がヴァイオリンを持つ所を、久々に見たいだけ」
「そう。そうするわ」

 これも何処かでほっとしたりして。
 達也にこんな事を言ってもらって安心するだなんて──『まだ依存的だな』なんて葉月は自己嫌悪に陥る。

 達也はそれだけ言うと、何事もなかったかのような涼しい顔で仕事に集中し始めてしまう。

 葉月は小さな溜め息をこぼす。

 昔からそう──。
 達也は自分が『欲しい、やりたい』と思った事には一直線に進んでいく。
 周りのしがらみなど、あってないような物で、俺には関係ないとばかりに突き進む。
 それが時には頼もしく、時には強引に見え、時には子供っぽくみえたり、男らしく見えたり……。
 彼のこの強引さが、頑なな葉月をリードしてきた時期もあった。

 昔も──こうして。
 葉月が曖昧にしている『隙』に、どんどんと入ってきて、そしてどんどん葉月を引き込んでいった。

 でも……あの時は、楽しかった。
 彼には気兼ねする事が、いつのまにかなくなっていて。
 素の自分を出しても、笑い飛ばして気楽になるようにしてくれたし、時には本当に解って欲しい時には一緒にじっくりと考えてくれたりしてくれた。
 本当に一枚のガラスを挟んで向き合っている『異性の分身』のような気にさせられた。

 指先と指先が触れ合った時の『シンクロ』するような感覚を──葉月は今でも忘れていない。
 彼は今、とてもセクシーな大人の男になってしまったけれど、まだ危なっかしくて向こう見ずの無茶ばかり……そんな青年だった頃のはじけるように熱っぽかった彼を思い出す。
 同じように笑って、同じように怒って、同じように哀しんだあの頃。
 危なっかしさまで一緒で、あの頃、自分達の隊長で大佐だったロイには『お前等が一番、悩みの種! 目が離せない子供!!』とよく叱られた。
 そんな彼と一緒にいた時間は、『仲間』であったり、『家族』みたいな感覚で、葉月の生活に安心感を与えてくれていた。

 あの時も──私にとっては輝く時間であったのは間違いない。
 葉月は、そんな輝いていた今より若かった日々を……達也を見つめながら思い出していた。

「なんだよ」
「うん? ちょっとね……」

 またあの姿勢で、達也が呟いた。
 葉月はクスリとこぼしただけ。

「……そんな目で、俺を見るな」
「どうしたの? 急に……何か怒っている?」
「……ているんだ」
「え?」

 すると彼の顔が、急に苛ついたように険しくなった。
 その上、達也が溜め息をつきながら勢いよく立ち上がる。

「これでも結構、我慢しているんだ!」
「……!」

 何を『我慢している』か?
 そんな事、聞くだけ無駄だ。
 いつも何事にも余裕に笑い飛ばしてしまう達也のそんな苦悩顔──。
 葉月も解っているから……何も言葉が返せなくなってしまった。

「兄さんが……いないから。気をつけろよな!」
「た、達也?」

 達也はそれだけ言うと、大佐室を出て行ってしまった。

 彼が小笠原に戻ってきてもうすぐ一年──。
 二人きりの大佐室で起きた……避けられないかもしれない出来事。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 まだ出来たばかりの建物特有の匂いがする小さな会議室。
 そこで『彗星システムズ』の面々と隼人は対面する。

 本日はメンバー紹介だ。
 今回、軍と提携するプロジェクトに携わるチームメンバー。
 常盤課長を筆頭に、若手の男性達が五名程。
 その中に、青柳佳奈──。
 彼女は、そのチームの中では、まだ常盤課長のサポート、チームのマネージャーと言った位置のようだ。

 近いうちに小笠原基地にこの六名で訪問するとの事。
 軍に訪問する為の手続きや、日程、スケジュールなどを相談する。
 だいたいが決まって、後は隼人とも年代が近い男性達……彼等の好奇心ある軍隊への質問を交え、座談会で盛り上がる。
 時には若い小夜が引き合いに出され、『女の子が軍でお勤めするのはどんなかんじ?』などの、ありきたりな質問も混じった。
 だが、小夜は隼人の予想以上にきちんと返答し、彼等に好印象を与えていた。
 隼人も本番に強い小夜になんだか腑に落ちない部分があるが、安心した。

「さて──なんと言っても、僕の一番の楽しみは『大佐嬢』──」

 最後に常盤がちょっとふざけた口調で、笑い出す。

「ですよねー! 課長。俺も楽しみだなー」
「澤村君、彼女、パイロットなんだって?」

 常盤の手元には、隼人が所属している『四中隊』のデーターがあるのは当然の事。
 その中に、隼人の上官である『大佐嬢』の経歴が知らせてあるのも当然の事。
 だから、隼人もそこは素直に答える。

「はい。女性ながらに飛行技術は評価されておりまして。今は、指揮側に配置換えされて甲板でチームの指揮にあたっています」
「うーん。これで28歳というのが、驚きだね」
「十代からのアメリカ仕込みで、帰国してきましたからね。僕らよりスタートが早かったと言うのもありますね」
「本当の軍人一家のお嬢さんなんだ」
「お嬢さんなら、楽なんですけれどね。……何をするか判らないじゃじゃ馬と言っておきましょう」
「それは大変だね〜。側近の澤村君は!」

 それでも常盤は、益々、大佐嬢の話に興奮したようだ。
 隼人は『何も知らないから』とばかりに、苦笑いをこぼして付け加える。

「皆さんも、気をつけて下さいね。ほんとに、ドッキリさせられて、寿命が縮まりますよ」
「側近でしょ、澤村君! いいの? そんな事言っちゃって。僕、告げ口しようかな〜」
「あはは! 勘弁して下さいよ、課長!」

 隼人が笑い飛ばすと、他の男性陣も可笑しそうに笑い出す。
 小夜はどう反応して良いか分からない顔を保っている。
 上官の事を一緒に笑えない……と、言う所だろう。
 そして──佳奈は、男性達の笑いを冷めた目で見て、そして静かな表情を保っていた。

 隼人にはそれが少し気になった。

 

「では、横須賀基地出入りの許可と、定期便の席を予約しておきます。それでは、来月、お待ちしております」
「うん、大佐嬢にもよろしくお伝えしてね」
「はい。課長──」

 そこで、今回の『出張』の目的であった打ち合わせが終わった。
 課長はロビーまで見送ると言ってくれたが、彼等も仕事中の為、隼人の方から丁重にお断りをする。
 常盤は笑顔で、事務所の入り口で見送ってくれた。

「はぁ。緊張しました」
「そうか? それにしては度胸満点。物怖じせずに良くやっていたよ」
「本当ですかー! ああ、良かった」

 隼人に評価され、小夜はほっとしたついでに明るい笑顔をこぼした。

「でも、いくつか『注意点』がある。反省会をしよう」
「えー。反省会ですか……?」

 いつも小言はたっぷりの『澤村中佐』と小夜も分かってきたのか、途端に嫌そうな顔を露わにした。

「そう、たっぷり説教。でも、俺のおごり」
「え!?」

 エレベーターをおり、最新式のセキュリティーゲートに本日限りの『ゲストカード』をセンサーにあてる。
 そこを守っている警備員がゲストカードを回収、その時に警備員のおじさんが笑顔で敬礼をしてくれて、隼人は逆に会釈をしてしまった。

 ロビーに出ると真夏とは言え、もう夕方へと傾いた日差しがキラキラと入ってきている。
 この時間帯から『おごり』と言えば、ひとつしかない。
 つまり一緒に夕食を取るのだ。
 どちらにせよ、同じビジネスホテルに宿を取っている。
 上官とその後輩部下が出張先で食事を共にする事は不自然な事でもない。

 でも、小夜は驚いた後、暫くして立ち止まってしまった。
 そして……食事を喜んでくれると思っていた隼人の予想を裏切って、とても辛そうに俯いていた。

「あの……反省会をするというなら、別の形でしてください」
「え? どうしたの?」
「私……そこまで調子よく出来ません」
「……」

 『ああ、なーるほど』と、隼人は曲がった事が嫌いでそれを他人にぶつけ続けてきた彼女らしい……感じ方だなと、呆れたりした。
 人にやって来た分、自分に跳ね返ってくるようになって、彼女は今『自己嫌悪シーズン』にはまっているのだろう。
 他人に主張してきた事を、自分の時に曲げる事は、今の彼女には許せない事──そして、他人に後ろ指さされない為に、自分のプライドの為にも譲れない所なのかも知れない。
 だが、隼人は黒髪をかきながら、大きく溜め息をついた。

「君が今まで人に随分と厳しく主張していた事って……自分でやってみてどうなんだ?」
「自分でやって? ですか?」
「自分でやっても、結構『きついなー。辛いなー』と思っているだろ」
「……」

 小夜が黙り込む。
 どうやら明るく振る舞っているが、隼人とマンツーマンになってから、かなり風当たりが強くなっているようだ。
 それに負けては『今まで私が主張してきてた事を覆す事』になる──つまり、嘘の主張者になってしまうのだ。
 だから、今は『嘘つきにならない為』に堪えているが、彼女も『正しいだけの毎日』は辛いに違いない。

「つまり、はっきり言わせてもらうが『他人様にきつい事』だけを主張してきたって事だ。そしてそれは自分にも辛い事だった。たとえ出来たとしても、皆が自分と同じように出来ると思ってもいけない。──だろ?」
「は、はい……」
「だから、もう『ここ』で、やめよう」
「え?」
「俺が『やめた保証人』になってやるから。今は、『今までの事』を言われて辛いかも知れないけれど、それは君自身も『悪かった』と反省しているんだから、まったく悪いわけでもない。けれど今は甘んじて受けて、その痛みを今後の糧にして、やり直せば良いんだよ。だから今夜も『俺の説教から逃げるな』──行くぞ、食事に!」
「……ちゅ、中佐」

 隼人が言いたい事。
 小夜にはきちんと理解でき、伝わったようだ。
 彼女はロビーの日差しの中で、急に涙を瞳に溜めている。

「行こう」

 隼人はそっと小夜の背を押して、前へと促した。
 けれど、小夜はついに涙を流し始める。

「私……頑張ります。中佐に恩返ししますから──」
「うん、期待しているからな」
「大佐の為にも頑張ります」
「うん、それを聞いたら彼女も喜ぶ」

 小夜がやっと涙を拭いて笑顔に戻った。

 回転ドアを出ようとした時だった。

「澤村君──」

 振り向くと佳奈が小走りでロビーを横切って来る所。
 隼人と小夜の目の前に来た。

「青柳、なにか?」
「あら? 素っ気ないわね。同窓生なのに」

 隼人はなんだか違和感を感じて、相づちを打つ事は出来なかったのだが。

「せっかく都内に出てきたんでしょう? 今夜、どう? 結城君も誘えないの?」
「食事って事か?」
「そうよ」

 佳奈がにこりと微笑む。
 隼人の側で、小夜が少しばかり不安そうな顔。
 そんな『若い子』が目に入っていないかのように、佳奈は隼人を見ているだけだ。

「やっぱり格好良いわね。真っ白いシャツに星の肩章の軍服は」
「見違えたとか言うんだろう? 普段は洒落っ気ないからな俺」
「そんな事ないわよ。本当に中佐なんだわって。堂々としていて素敵だったわよ」
「有り難う」

 佳奈の褒め言葉は、本当は嬉しいが──。
 隼人の性分……女性に誉められても素っ気なく淡々とした態度になってしまうのだ。
 それを見て、佳奈はただ可笑しそうに笑う。

「変わらないわね──澤村君」

 そんな風に、気心知れているように笑顔ばかりの彼女。
 先程は先輩達の会話にも笑顔をひとつも浮かべなかったその差が……男が多い分野の職場で女だてらに強がって、男性以上にシビアにしているのかどうか解らないが、その差がどうも? 隼人には好感触が得られなかった。

「悪いな、青柳。この子と……いや部下とまだ仕事が残っているんで、一緒に食事を・・・」

 隼人が色ない声できっぱり言い放とうとした時。

「あの……中佐。私は構いません。お知り合いとのお付き合いを……」
「仕事の話があるので、申し訳ありません。青柳さん──」

 遮ってきた小夜の気遣いを、今度は隼人が先程以上の強い意志を込めて、遮り返した。

「そ、そう……」
「中佐……」

 佳奈の驚いた顔に、小夜のほっと安心した顔。

「そうでしたか、澤村中佐。失礼致しました」

 小夜と決めたスケジュールは譲れなかった事もあるが、これから一緒に仕事をする上で『同窓生』という関係をあからさまにしたくなかったのだ。
 それは──彼女もそう心に誓っていたのではないか?
 なのに、途端に『一緒に食事』はないだろう? と……隼人も厳しいかもしれないが、なんとなく『こっちのケース』はこうするべきと、直感してしまったのだ。

 佳奈がお辞儀をして背を向けた。
 『悪いな』と言いたいが、隼人は堪えて心の中で呟いた。
 その時──去ろうとしていた佳奈が、立ち止まって肩越しに振り向いた。

「この前、澤村君が言っていた『俺より出来る彼女』って……もしかして、あなたの隊の女大佐の事?」
「ああ、そうだ」
「!」

 この前の晩の『俺より出来る彼女』は、イコール──『隼人の恋人』となる。
 そこはきっぱり言い放った隼人に、佳奈が驚いて完全に振り返った。

「もしかして──あの晩の『嫌味なお嬢様』じゃないでしょうね?」
「嫌味? 嫌味だったのは同伴していた男の方だっただろう?」
「あら、かばっているの? 分かったわ。あのお嬢様ってわけ。なーるほどね? ああいうお嬢様が『軍人一家』って事で、大佐をしてるの? それは楽しみね」
「!」

 佳奈の顔つきが変わった。
 隼人にサッと何か予感が走る──!
 彼女の苦労、そして、勝ち得たもの。
 そして……彼女の頑ななポリシー。
 それに比べられた『大佐嬢のイメージ』

「言っておくが……」
「大佐はお嬢様じゃありません!!!」
「!」

 隼人が冷静に言い返そうと思ったら!
 隼人の背中から、小夜が佳奈に噛み付いていたので、驚きおののいた!
 まったく! この嬢ちゃんは本当に『血気早い』!

「こら! 吉田! 行くぞ!!」
「だって! 中佐──!」
「失礼致しました。この無礼は、こちらできちんと厳重に注意しておきますので……」

 『お許しください』──佳奈が唖然としている間に、隼人は頭を下げ、小夜を引っ張り急いで外に出た。

「こら!!」
「す、すみません! でも……あの人。この前の私みたいな事を……」

 隼人の目くじらに、またもや小夜は『きゃ』と肩をすくめたが……。
 隼人は笑っていた。
 小夜はそんな隼人を見上げて、首を傾げているだけ。

「サンキュ。すっきりした。本音」

 隼人が笑うと、小夜はちょっぴり舌を出して笑い出す。

『さて、何を食べるかな』
『イタリアンが良いです!』

 その調子の良さに、隼人は頬を引きつらせたが……でも、やっぱり笑っていた。

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