-- A to Z;ero -- * きらめく晩夏 *

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5.花園烈風

 こんなに熱くなっているのは……自分だけだと、葉月は思っていた。

 肌はしっとりと湿っているみたいで既に熱いし、それになんだか喉が渇きそうなぐらいに、息が荒くなりそうで、密かにじっと抑えるのにせいいっぱいで……。
 それに、唇は堪えきれない欲求に震えているし、瞳だって自分でも潤んでいるのが分かるぐらいに涙目っぽい……。

 タクシーに乗って、待ち合わせていたホテルに戻ってきた。
 レストラン前で捕まえたタクシーの中でも……なんだかお互いに無言で。
 ホテルに戻ってきても、フロントでも、この部屋の鍵を彼が開ける時までも──どうしてか目も合わせられなくて、それでいて言葉も出てこない。
 時折、隼人が何か短い一言を話しかけてくれたのだが? たぶん『どうした?』とか『大丈夫か?』とか、そんな事だと思うけど、葉月は意味が繋がらなくてもただ頷くだけになっていたと思う。でも、隼人もそれだけ──葉月の『頷き』で充分、通じていたようだから、彼も言葉を続けない。

 ふたりの間に、とてもピンとした何かが張りつめている様だった。
 その『テンション』が、ぷっつりと切れた時には……?
 隼人がカードキーで部屋のドアを開ける。
 一緒に暗がりの部屋に入った。

「さすが、良い眺めだ」

 玄関からの短い廊下を抜けると、ふっと広い空間に出る。
 割と広い部屋で、これは彼がかなり奮発したかも? と、思えてしまうデラックスなダブルの部屋だった。
 その広い部屋の雰囲気を眺める為に、ここで明るくなるはずなのに……。だけれど、隼人は灯りをつけようとはしなかった。
 葉月も、その部屋の入り口でたたずむ。
 彼が言う通り……部屋の窓には素晴らしい夜景のプラネタリウム。
 赤や黄色、白色の小さなイルミネーションが瞬く夜景。そして、その夜景の中でも一番目をひく東京タワー。
 その明かりだけで充分……部屋の中は、ほんのりと浮かびあがっていた。

 とても大きなベッドの足元に立った隼人が、夜景に背を向けてジャケットを脱ぎ、静かに置いた。
 そして、まだ部屋の入り口にいる葉月に振り返る。

「どうした? そんな所に立ったまま……」
「……」
「外、暑かったな。喉、渇いていないか? 何か、飲むか」
「……」

 喉、渇いている、すごく──そう言いたいけど、葉月は黙りこくったまま。
 ついに隼人が、そんな葉月を訝しそうに見て、歩み寄ってきた。

「変じゃないか……」
「とてもね。自分でも分かっているわ」
「ふうん」

 途端に、隼人はなにもかも分かったかのような余裕げな眼差しで、葉月を見下ろしている。
 その眼が……葉月は、なにかの術にかかったように身体が固まる。
 いいや、違う。
 固まるではなくて、動かされる──だろうか?
 口が勝手に物を言った。

「喉、渇いているわ。でも、お水はいらない」
「……で、どうすればいいんだよ」

 そっと隼人を見上げると、解っているような顔。
 それも葉月に何かを促すかのように、『お前の思っている通りにすればいいだろう』と言う妙に高圧的な。
 視線が絡み合う中、隼人がツイッと葉月の顎を指先でなぞるだけの仕草で、上へと向かせる。
 だから、先程もそうだったように葉月がそこで瞳を閉じれば、いつもと同じ事なのだろうけど……。
 葉月はじっと隼人を見つめたまま……。
 すると『今夜は不思議』と言いたくなるぐらいに、彼に思っている事が通じる。

 隼人から目を閉じた……。

 それを見た葉月は、相手の手で上を向かされてはいるが、自分から彼の顎先に唇を寄せる。
 そこで一度小さなキスを押して、そのままさらに首を伸ばし、彼の唇に艶めくルージュをひいた唇を合わせた。

「熱い……」

 それが彼の感想?
 葉月はただ唇を重ねたまま、そこで止めてしまう。
 そういえば、隼人の唇の方がひんやりしている気がする。
 それ程に、葉月自身が火照ってしまっているという事……?
 確かに……。彼の唇をくすぐった吐息──密かに押さえ込んでるのに、それが微かに震えながら漏れて、熱く湿っているのだって、ちゃんと自分で感じている程。
 私──とても火照ってしまっている? 葉月は彼を上回る程に身体が熱くなってる自分をどうして良いか解らなくなってくる。

 でも──そこでやっと、隼人が葉月の栗毛を頬からかきあげ、頭の後ろに持っていった手を自分の口元まで強く寄せてきた。

「あ……うん……」

 隼人のいつもの熱っぽい口づけ。
 葉月に逃げ道を与えないかのように、頭の後ろに回された栗毛に埋もれている大きな手が力強く、彼の身体と唇まで引き寄せていった。
 葉月のウエストを悠々と一回りした彼の長い腕も、ぎゅっと引き寄せてくる。
 まだ続く、情熱的な口づけ。
 いつものとても労ってくれるような、日常の口づけではない。
 二人が本当に、強く求め合う時、そしてどうしようもなく欲している時に交わされる『本当のキス』。

「ああ、本当だ。渇いているな……」
「う……ん」

 本当にそう感じたかどうかは判らないけれど、それでも隼人はそう言ってくれる。
 私の渇きを癒してよ──と、言う意味を、ちゃんと解ってくれてたかのような潤う口づけをしてくれる。

「あぅんっ。は・・やと……さん、まっ・・って」

 いつまで経っても、そんな口づけを繰り返されていて、流石の葉月もどうにかなりそうになって離れようとした。
 でも許してくれない。
 そんな抵抗の囁きなんか、もう二度と許してくれないくらいに、ずっと強く唇を塞がれてしまった。
 頭は左右にも流せない程に固定されてしまったから、唇は彼の言う事を聞くしかない。
 鼻先で喘いでみるのだけれど、それだけじゃ息苦しい……そのしわ寄せが、一番自由がきく指先に行く。
 彼の背中と、彼の肩の上、ぎゅっと水色のシャツを握りしめた。

 やっと彼の唇が離れた時には、もうすっかりお互いの唇は濡れていた。
 口の奥まで彼の唇の愛撫で潤っても、葉月の吐息は余計に荒く熱くなって、もっと震えていた。
 それを確かめた隼人が、もうそれだけで、恋人に力を預けてしまった葉月の肩を抱いて、ベッドまで連れていく。

「ここ、立ってくれ」
「うん……」

 先程、隼人がジャケットを脱いだ所──ベッドの足元だ。
 この部屋、ベッドに寝ると大窓の夜景が見えるようになっている。
 つまり、葉月は夜景が見えるベッドの足元に、窓辺の景色が見えるように立たされたのだ。

 今から、男と女がする事をする。
 そんな言い方、あからさますぎるかもしれないけれど、今夜は暗黙で決まっている事。
 それを判っていて、隼人に『立ってくれ』と指示される。
 なにを、されるのか?
 前なら、そんな事、少しばかり警戒していたのに。

 今夜は違う。
 もう、彼の意のまま──。
 葉月はそっと目を閉じた。

「お前って、本当にすごいよな」
「え?」

 目をつむって、無抵抗を示している葉月を見下ろしているだろう彼が可笑しそうに笑っている。
 だから、ふと目を開けてしまった。
 彼の片手が頬を持ち上げて、上向きになった頬と栗毛に口付けていた。
 その柔らかい仕草に、葉月は再びうっとりと目を閉じる。
 その耳元で隼人が囁いた。

「本気になると、もの凄く……一直線に燃えるんだな」
「そう……かしら」
「そうだよ。ずっと、俺より集中しているだろ。もう、外にいる時から……」
「うん……そうかも」

 無言で黙りこくって。でも、一人で密かにその燃ゆる炎を堪えているのを……見抜かれていた。

 でも、見抜かれても良い……貴方なら。
 どこまでも見通されてしまっても良い。
 私のはしたない心も、もう止まらない想いも、もしかすると貴方を焼き尽くすかも知れない燃ゆる炎をずっと隠し持っていた本性も──。
 もう、隠す事はないもの、ないもの。 

 また、そんな思いを心の中で呟いただけなのに、それが通じたように、再び唇を塞がれる。
 ……そのまま彼の大きな両手が滑らかな手つきで、栗毛から葉月の両肩を滑っていき、そして身体の線をなぞるように艶やかなシルクの生地の上を滑りながら、胸の膨らみを僅かに押し包み……。
 それから先の下に行く為か、隼人が跪く。
 葉月の唇から離れた隼人は柔らかに乳房を包み込んだまま、左胸に付けた大輪の白いコサージュを本物の花の香りをかぐかのような仕草で口付けていった……。

 やがて、彼の手先も唇も……下腹へと届く。
 シルクの生地の上で、狂おしそうに彷徨っている彼の両手……。
 太股とヒップをなでながら、彼が最後に口づけたのは……ドレスの上でも、その下腹に位置している秘密の場所。

 そこで一度、隼人が何かを乞うように、下から葉月を見上げた。
 跪いた騎士のように。
 葉月はただ、そっと瞳を伏せただけ。
 今夜はそんな僅かな仕草だけで充分のようだ……。

 葉月の最後の意志を確認したかのように、彼の鼻先が迷うことなく……二人だけが堪能する事が出来る秘密の場所へと押しつけられる。
 それだけじゃない。彼の彷徨っていた両手が、今度は躊躇いもなくドレスの裾を、花びらをめくるようにして素足の上を滑り始める。

「まだ、固いな……。もっと、楽にして」
「……」

 艶やかな光沢を放っている生地の上で、そんなふうに隼人が笑った。
 そして、隼人が急に──葉月の足首を片方だけ、握りしめた。
 彼がそのまま、可笑しそうに上を向いた。

「少しでいいから、開いて」
「うん……」

 彼の力が向くまま、葉月は握られた足首をそのまま外側に動かす。
 肩幅ほど、そっと開くと……嬉しそうに微笑んだ隼人は、今度は先に滑っていった手先を追うように、僅かにたくし上げたドレスの裾の側、そこの素肌に鼻先を滑らし、ついに……その頂点に達した。

 葉月には見えないけれど、柔らかくたくし上げられているドレスの裾の影で、彼の動きが止まっていた。
 それがなんなのか、葉月はちょっと戸惑うように目線が宙に泳いでしまった。

「……ずいぶん、大胆だな」
「上とお揃いだっただけよ……」
「ふうん?」

 隼人が驚いたのは、葉月が着けているショーツが『小さめのデザイン』だったからなのだろう?
 今日のランジェリーは、ドレスに合わせて濃い色、黒色。
 柄はなくて、すべてレエスでエレガントなニュアンスが醸し出されているものだった。だけど、ショーツはそのレエスのエレガントさ以上に、小さくギリギリに隠すといったようなもので……。

 前なら、下半身を全て覆ってくれるジーンズなら、時たま『密かな女心』をたった一人で感じたくて身につける事はあっても、今夜みたいにドレスの下にたった一枚だけ……なんて、初めて。
 心もとないはずなのに、今日は彼の顔を思い浮かべたら、そんな不安なんてどうしてかなくなっていた。
 そんな彼がやっと目にして……『どうしたんだ?』と言う目を向けてきた。
  ああ、もう……それ以上は聞かないでと、葉月はそっぽを向ける。
 お揃いにしたいのも、密かに勝負だったのも、そこは女心なのだけど。でも──そこを悟られて気付かれてしまったのを知ってしまうのは、やっぱり恥ずかしい。

 でも、こんな言い方は変なのかも知れないけれど、葉月になら当てはまるかも知れない。『頑張ったのよ、私だって』──と。
 また頬が火照ってきて、もう、それ以上は黙って見ていないでよ。と、葉月は観る事を楽しんでいるかのような隼人に叫びたくなった。

 だけど、彼がその鑑賞をやめるって事は……だった。
 急に、葉月の下腹部から狂おしい物が込み上げてきた!

「──はっ……ぁ、んっ!」

 まるで噛み付くみたいに、隼人がクロッチの部分に吸い付いていた。
 急激に込み上げてくる狂おしい波に、思わず顎をあげて葉月は声を漏らしてしまった。

「こんな上等のご馳走を用意してくれていたなんて。ちゃんと頂かないと失礼だろうな……」
「あっ……ぁ、あ」

 さっきまで、とても静かな流れだったのに……!
 途端に隼人は荒っぽい。
 そして秘密の場所に、熱烈に施される口づけの嵐。
 まだそんなに直接的に愛撫されてはいないのに、その布を一枚挟んだ強烈な唇の攻撃は……妙に刺激的に感じて仕様がない。
 それになんだか、もどかしさを感じてしまう。
 直接に触れて欲しいような、ううん? 一番敏感な部分に触れられるととても刺激が強くて泣きたい程に狂ってしまうだろうから、このままそれとなくまったりとしたもどかしい感触を続けて欲しいような? そんな葛藤……。
 そう思っただけで、また身体が燃える。
 今度はゆらゆらと揺らめいていた炎でなくて、身体の芯まで焦がしていくような烈風が巻き起こる──!
 だから、近頃の葉月がすっかりそうであるように、谷間の奥にある泉からじわっと銀色の水が滲み出て湧き上がってきた……それが自分でも判る。

「だめだな、最近の葉月は──」
「だ、だって……」

 泉の銀水が、瑞々しい果汁が滲み出たような有様に、彼が微笑む。
 それを──『最近の葉月はだめだ』と、彼が言っているのだ。

 『だめだ』だなんて、意地悪な言い方。
 でも、嬉しいくせに……。
 葉月は知っている。
 この頃、彼と睦み合うと隼人は決まって、敏感な葉月の事を嬉しそうに口にする。
 時には照れ隠しなのか、ちょっと意地悪な言い方でからかう。それで恥じらう葉月を楽しんでいる節がある。
 今夜も、そう。
 もしかすると、来た場所が場所だけに、小笠原を出た慣れていない所では『駄目かもな』と彼は思っていたかも知れない。
 でも──そんな心配は必要がなかったとでも言いたそうに、夢中に愛してくれる。

 ああ、でも……こんなに彷彿とさせられてしまったなら、これは意地悪じゃないかも知れない。と、葉月は思った。
 もう、だめ、もう……。頭の中が混濁する。
 彼から薫る清涼な香り。自分から薫る今夜のトワレの花の香り。
 それとは異なる甘い匂いが混じっていて、それは彼が懸命に愛撫してくれている所から、ふわっと熱気のように立ち上ってきている気もする?
 そして……目の前の夜景プラネタリウム。

「……も、もう」

 それはつきあい始めた頃から、隼人のやり方なのかも知れない。
 いつまでたっても、先に進めようとしないで、しつこいくらいに同じ事を繰り返しているのだ。
 まるで葉月が『もう、いい』と満足するまで、その命令を待っているかのように……。
 男が当たり前に欲するだろう肝心なこと……忘れているみたいに、クロッチの上からただ吸い付いているだけ。
 だけど、葉月のその力ない呟きを合図のようにして、ついにそのクロッチを指でのけられた。
 まだ、脱がすまでいかない彼の次なる行為は、そのまま素の部分へとステップした事だけ。

 でも、布一枚分なくなっただけでも、随分と違う。
 そこだけがものすごく湿って熱い。
 自分の芯が熱くなっているのもそうだけど、彼の夢中な愛撫の熱気も吐息も入り乱れているのが解る。

「だめよ。ねぇ……このままじゃだめ」

 隼人の触れ方に、葉月は思う。
 もう、そのまま続けられたら立っていられなくなるんだから……と。
 でも、彼の指先は『いつもと同じように』葉月の栗毛の茂みの奥へと這っていった。

「う、うう……っ」

 もう、知り尽くしているからこそ……どんな事をされるかも分かっている。
 その葉月の秘密の園に囁くように動く彼の唇と、巧みに動いている指先。
 それは葉月にとっては、敵う術がない唇の呪文に、指先でかけられる術。
 いつもそれで、どれだけ自我が崩壊する程の薔薇色の世界につれていかれるか……。

 もう、とろけそうに力が抜けた為か、葉月の膝が落ちそうになる。
 すると、隼人がそれを判っていたかのように、落ちてくる葉月の腰をがっしりと両手で掴んで止めた。
 これだけ腰が抜けたのだから、もう、横になってもいいだろうと、葉月がベッドに手をつこうとしたら、隼人の目が『それはだめだ』と言いたそうな怖い目を見せていた。

「そこじゃない。俺の肩だ」

 ものすごい命令口調で、葉月はちょっとドッキリ。
 でも──従ってしまった。
 少しばかり前屈みなって、後ろのベッドでなくて隼人の肩に手を置いて頼った。
 彼は満足そうに微笑んで、また……元の行為に戻っていく。

 いつまでも続く、隼人が描き始める官能的な時間。

 もう、頭の中で……匂い高い大輪の花がひとつ、ふたつ開きかけている。
 葉月の頭の中でのたとえは、そんなロマンチックなものでも、実際──彼と触れ合っている部分のありさまは、かなりエロチックな光景だ。
 彼の口づけが泉から湧き出た銀色の水を味わう音も、術をかける為に谷間の奥でうごめいている指も。
 それどころか、ふと気が付けば、その周りの太股も濡れ始めていた。
 自分のか、隼人のかは解らないけど……。そこに執着して、葉月に吸い付いている隼人の身体……首もとのネクタイが、その汚れた部分に触れようとしているのに気が付いた。

「……ネ、ネクタイ、汚れちゃう」
「いいんだ。今夜の為だけに揃えたみたいなもんだ。汚されるぐらいに葉月が感じている方が俺には大事なことだ」
「な、なにいっているよ……」

 とっても落ち着いた声。
 まるで、一緒に仕事をしている時と変わらない彼の冷静な喋り方に、葉月はなんだか悔しくなってくる。

「おねがい……。それ、似合っているの。はずして」
「……」

 隼人がやっとそこから離れた。
 だけど、見下ろすと……まるで『邪魔したな』とでも言いたそうな、とても不満そうな顔。

 葉月が戸惑っていると……隼人は何を思ったのか、ネクタイを外すのではなくて葉月の足の甲を撫でるようにそっと触れてきた。
 訝しみながら眺めていると、彼は葉月が履いているサンダルの黒いストラップベルトに指を滑らし、それを留めているボタンを外した。
 片足だけ、彼の手がそっと、葉月のつま先からそのサンダルを取り去った。

「な……に?」
「こうすれば、汚れないだろう」
「──!」

 そのサンダルを脱がされた片足を……腿を隼人が手で持ち上げていく。
 そして、隼人は葉月のつま先をそのまま自分の片肩に置いた。
 その格好が、どういうものであるか……! あからさまな開脚を描かれた葉月は言葉を失うしかない。
 彼の目の前に、煌々とさらされてしまう秘密の園──。
 そこに間を置かず、葉月の反応も確かめずに、隼人はまた唇を寄せた……!

「……や、ちょ、ちょっと」
「待った、なしだ。もう、俺もだいぶ堪えているんだからな」
「ーーっ!」

 ああ、でも……なんだろう? 先程までとは全く違う感触が、葉月の身体中をザッと駆け抜けていった。
 確かに、これだけ足を開かされたら、隼人は顎をあげていればいい。ネクタイも……よごれ、な……。それも、もう、どうでもいいかもしれない気持ちが渦巻いてきた。

「あ、ああ・・ん」

 大人しく従ってしまった葉月に指先の術をかけながら、隼人が囁く。
 『落ちてこいよ、ここまで。今夜も落ちてこい』と……。
 彼は何を言っているのだろう? この時点で既に彼の勝ち。私はもう、ずっと前に落ちているのに……この期に及んで、まだ落ちてこいと言っているのだから。その上、とんでもない要求もしてくる。
 『もっと俺に、お前を見せてくれ』って……そんな、どんな事かと、うっすらと目を開けると、前屈みになって堪えている葉月の胸の膨らみを指さしている。
 何を欲しているか判ったが、隼人はずっと指さしたまま。そして葉月を見つめている。目で何かを訴えている? ううん……やっぱり指示しているよう。

「……わ、私が?」

 彼がこっくりと頷く。
 ああ、そうなんだ──今夜は、如何にこの人が愛したい女になれるか。きっと、そういう夜なのだ──そう思った葉月は、震える指先でなんとか後ろのファスナーを降ろして、自分でブラジャーを取り払った。
 もう、これ以上は……駄目よ。と、いう眼差しで、隼人に懇願する。
 でも、夜灯りにぼんやりと浮かび上がる白い乳房の先には、紅桜がほんのりと彩っている光景。
 やっと彼が満足そうに見上げた気がしたので、葉月はホッとしたのだけれど、それでは終わらせてくれなかった。

「花を……髪に付けてくれないか」
「……?」
「手で持って……耳の側に。それで俺を見下ろしてくれ」

 最初、何を言っているのか解らなかったけれど。
 隼人の煌めく黒い瞳には、肩から落ちたドレスに付いているコサージュが映っていた。
 今度は、隼人がドレスからその白い花を取って葉月に差し出してくれた。
 それを、葉月は大人しく手に取る……。

「……こう?」

 ヘアピンがついた髪飾りじゃないから、手を離せない。
 でも、葉月は耳元にそっと、その飾りをつけるかのように添えた。

 そうしたら、彼がそれを一目見て、とても幸せそうに微笑んだ。
 そんなふうに微笑んでくれるだなんて……葉月は思ってもいない表情を見せられてしまい、とんでもない格好をさせられているのかもしれないけれど、どこか自分までとても嬉しくて、幸せな気分になってしまっていた。

 彼が潤んだ熱っぽい眼差しで、葉月を見上げている。

「……完璧だ。お前はずっとそうして、俺の女王でいてくれたらいい」
「そ、そんな……」
「そのまま、じっとしていろよ」
「──あっ」

 彼から渾身の術をかけられる。
 煌めく都会のプラネタリウムを目の前に、素敵な術をかけられる……。

 やがて……葉月の手から、白い花が指先からこぼれ落ちる。
 ひらりとカーペットの上に、そのカトレアの花が静かに落ちた時……葉月も、花園に落ちた歓喜の声をあげていた。

 葉月の心と身体にかけられていたリボンが、ふわっととけてしまった瞬間だった。

 後の事は、もう……彼にされるがまま。
 昇りつめてしまい、すっかり力をなくした葉月を、隼人が軽々とベッドへと押し倒した。

 シーツに栗毛が広がり、葉月は力なく横たえる。
 その上に、隼人が両手をついて覆い被さってきた。
 当然……葉月は術をかけられて陥ってしまったのだから、ピクリとも動けやしない。

 静かに横たわっている内に、徐々に気がハッキリしてくる。
 その時、耳元で衣擦れのような音……。
 そっと瞳を動かすと、覆い被さっている隼人が、葉月の額に口づけながら、ネクタイを解いている所だった。
 襟元もネクタイも、結局──濡れてしまったみたいだけれど、葉月はもう気にならなかった。

「とても甘い匂いがした……」
「……去年のトワレ……よ」

 そう、きっと隼人が嗅いだのは……ずっと封印していたあのトワレ。
 去年、彼が誕生日にとフロリダでくれたティファニーのトワレ。
 それをつけてきた。
 あまり普段かぐことのない匂いだから彼が気が付いたのだと思ったのだが、まだ腰に巻き付いているドレスを葉月の頭の方へと脱がそうとしている隼人が首を振った。

「違う。女独特の匂いだ」
「え?」
「まさか、こんな強烈なのを葉月から感じられるとはね……」

 隼人の目がこの薄暗い中でも、爛々と輝いている。
 葉月の胸は、ドクリと大きく動いた……。

「ああ、もうどうにかなりそうだ。俺」
「隼人さん……」
「どうなっても、いいか? なあ、葉月……もう、いいだろう?」

 もっと余裕があると思っていた彼だったが、ドレスをベッドの下に放った後、待ちきれないような慌ただしい手つきに変わっていた。
 隼人は全てを脱ぎきれないまま、葉月の顔を見下ろしている。
 彼の素肌も熱かった。
 近づいてきた吐息も、葉月と全く一緒──熱くて、震えている。
 それでも、彼は最後の最後はきちんと『女王様』のお許しを乞うているのだ。

 だから、葉月は静かに瞳を閉じて、こっくりと頷いた──。

 そして、その後はずっと──我を忘れたような彼に、うんと、愛される。
 もう、彼が言っている所の『どうにかなってしまった彼』でも……葉月は存分に受け止められる。
 むしろ、そんなふうに熱烈に愛される歓びを身体一杯に感じていた。

 どれだけ時間が経ったかは解らなくなった。
 でも、ふと気が付いた時、葉月の目にはだいぶ落ち着いた瞬きだけになってしまった都会の宝石箱が浮かんでいた。
 それが夢の始まりのように……そのまままどろんでしまったのが、今夜、最後の記憶だっただけ……。

 小笠原の満天の星の方が好き。
 でも、日常にはないこの都会の夜景は──とても幻想的だった。
 そんな世界でみた、熱い花園の夢。

 身体中が火照ったままだったけれど、全てを彼に吸い尽くされ与え尽くした葉月は、そのまま眠りに落ちていった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 紺色の絹が一枚、ひらりと舞っている。
 その一枚の絹がするりとのいた後から、ひらひらと蝶が舞っていった。
 そして、隼人の目の前を、ひらひらとつかず離れず飛んでいる。

『っあっつ!』
「!?」

 そんな声が聞こえて、隼人は唸る。

『あーん、もう……』

 聞いた事がある甘い声。
 ああ、あの可愛い彼女の声かな……。

 そう思うと、まだ浸っていたい夢の世界よりも、そっちの方に行きたくなる。
 隼人は目を開けた。

「……」

 ほのかに明るい天上が見えた。 
 夜とは違う明るさだ。
 ぼんやりとそのまま眺めている内に、それが『夜明け』なのだと判ってきた。

 隼人はそのまま起きあがろうとしたのだが、なんだか頭が朦朧としている気がして、額を押さえてしまった。
 その上……なんだ? 腰が重い。
 唸りながら、なんとか半身を起こした。

 一息付くと、目の前には空が白み始めている都会の景色がある事に気が付く。
 そして、自分は裸で、とてもふんわりとした心地よいベッドにいた。

「……隼人さん」

 目を覚ましてくれた彼女の声が聞こえて、隼人はそちらをおもむろに向いた。
 そこにはバスローブ姿の栗毛の彼女。
 昨夜、存分に愛し抜いた、そして愛してくれた恋人がいた。

「お前、何時だと思っているんだよ」
「五時、かしら?」

 あれだけ熱く愛し合った一夜だったのだから、もうちょっと優しい言葉をかけられないものかと、隼人自身が思ってしまうぐらいに『いつもの俺』で向かっていた。
 だが、彼女も一緒だ。
 そんな隼人がどうしたとばかりに、いつもの女の子みたいな顔できょとんとしているだけだ。
 昨夜の女は何処に行った!? と、さえ思った。
 そしてその彼女が泣くように喋り始めた。

「頭がぼんやりするから、しゃきっとしたくて。シャワーを浴びてコーヒーを入れようとしたの。そうしたら、こぼしちゃったの!」

 そう言う彼女のバスローブの裾のあたりに、珈琲色の染みがついていた。
 それを濡れたタオルで拭いている所だったようだ。

「なにやっているんだよ。こんな朝早くから……騒々しい」
「起こしちゃったの? ごめんなさい」
「いいけど……。お前、昨夜はいつもよりずっと遅かったのに、相変わらず、朝は早いなー」

 そうだ、昨夜──確かに存分に深夜まで愛し合ったのだが、隼人が力尽きた途端に、それを待っていたみたいに彼女がすとんと眠ってしまったのは、隼人も唖然としたのだ。
 急に、夢が覚めたかのように。
 その終えた後の余韻をもっと彼女と楽しめるかと思えば、そうでもなかった。
 だが、そう言う隼人も……それ以降の記憶がない。
 おそらく、自分も眠りに落ちたのだと、今、判る。

「入れ直すけど、隼人さんもいる?」
「……。そうだな」

 そのにっこりと微笑んでくれた愛らしさに、隼人は降参してしまった。
 裸のまま、ベッドを降りた。
 彼女が入れてくれる間、隼人もシャワーを浴びる事にした。
 彼女が言ったように『頭がぼんやりする』のは同じようだ。
 だから、彼女がそうしたように隼人も熱めのシャワーを浴びて、このホテル特有の厚みがあるローブを羽織って、外に出た。

 すると、窓辺にある細長いソファーで、カップ片手に、都会の夜明けを満足げに眺めている彼女がいた。
 その目の前のテーブルに、もうひとつのカップ。
 紺色の長いソファー。彼女が座っている隣に腰をかけて、隼人もカップに手を伸ばした。
 同じように、都会を一望しながら、コーヒーをひとくち。ブラックでかなり濃いめだ。
 目覚めにはもってこいの作り方に、隼人は流石と唸った。

 徐々に頭がすっきりしてくる。
 隣にいる彼女の顔も、昨夜のように火照った紅色の頬はうかがえず、とても清々しい顔つきに戻っていた。
 そんな彼女が楚々とした仕草で、カップをもつ指先には何故か見とれてしまう。
 ふと目を伏せて、コーヒーをひとくち飲み込む彼女の様子を、隼人はやっぱり見とれていた。
 その時の姿は『女』だった。

 そんな彼女と、ふっと目が合ってしまった。
 何故だろう? あれだけ愛し合ったばかりじゃないか? なのに、目を逸らしたくなる程に、隼人の胸が脈打った。
 でも、まだ弱々しい夜明けの光の中、彼女はとてもキラキラとした瞳で隼人を見つめている……。

「隼人さん」
「な、なんだ?」

 彼女が優美に微笑んだ。

「素敵な一夜だったわ。有り難う」
「……葉月」
「まだ、胸が……ドキドキしているの」
「……」

 隼人は『俺もだ』と言いたくて、言葉にならずに、そのまま煌めくばかりの彼女に釘付けになっていた。
 でも、やがて隼人の手は、隣にいる彼女を抱き寄せていた。
 バスローブを羽織っているのに……まだ、彼女の身体が火照って熱くなっている気がした。風呂上がりのせいだろうか?
 その胸の合わせから、昨夜と同じ甘い匂いが立ち込めてきていた。もう、トワレだって洗い落とされてるはずなのに。石鹸の香りだろうか?
 そんな彼女を抱きしめただけで、また、胸がどくどくと脈打ってきた気がする。
 それでも、隼人も抱きしめる。

 抱き寄せると、彼女も躊躇うことなく隼人の胸の中に身体を預けて頬をうずめてくる。
 ふと彼女の耳たぶがキラリと光った。

「あ、開けてくれたんだ」
「うん。気に入ったから、早速つけてみたわ」

 それは、隼人が昨夜……彼女にプレゼントした物だった。
 小粒だけれど本物のダイヤのピアスだ。
 誕生石も考えたが毎日つけて欲しかったので、色味のない、でも輝きはさりげなく存在感がある物を選んだ。
 その輝きに、彼女が耳に付け替えてくれたことを知らなかった隼人でも気が付いた。
 これを選んだのは、正解だったと隼人も満足だ。

 そこで、隼人はある事を思いだし、抱きしめている彼女をそっと手放して、立ち上がった。

「なに? どうしたの?」

 訝しそうな彼女に、隼人は尋ねてみる。

「今日も……持っていると思うけど」
「何を?」
「指輪とご両親からもらったクロス」
「ええ……鎖が切れちゃったから、包んでいるけど。バッグに入れているわよ」
「それ、見せてくれ」

 隼人にそう言われて、葉月もハンドバッグを取りに立ち上がった。
 そして隼人も、訝しそうな彼女をよそに、昨夜来ていたスーツジャケットの内ポケットから、小さな紙袋を取りだした。
 先に戻ってきた葉月が、バッグの中から花柄の小さい巾着を取りだして、そこから指輪と十字架、そして……隼人が引きちぎってしまった銀色の鎖を、テーブルに並べた。

 戻ってきた隼人も葉月の隣に座り直し、その小さな紙袋の中身を手の平の上に取り出す。
 白い紙袋から、隼人の手の平に、さらさらとした音と共に銀色に煌めく鎖が現れる。

「それ……」
「ああ、新しい鎖だ」
「!」

 葉月が驚いている目の前で、隼人はテーブルの上にあるクロスを手にとって、鎖に通した。
 そして……当然、彼女が命のように大事だと言ってくれた銀のリングを、隼人は重みを感じながら鎖に通す。

「……今、俺はここまでしか出来ないけど」
「隼人さん……」
「俺が自分に納得が出来るまで、待っていてくれ」

 新しい鎖に通されたリングとクロスのネックレス。
 それを隼人は葉月の首に持っていく。
 留め金を外し、彼女の首にかけ……そして、栗毛をかき分けて、彼女の首の後ろでそっと留めてやる。

「……嬉しい。こうして持っていて良いのね」
「ああ、もう『罪』じゃない」
「……うん」

 気後れした彼女の返事。
 きっと、そのネックレスの重みから罪が消えても、彼女は心に密やかにでも残して、きっと……一生、隼人に償っていくつもりでいるのだと。
 そう、思えた。
 でも、隼人はもう、何も言わない。
 そんな彼女ごと、愛していけると断言が出来る。

「私も、指にはめても良いと自分で思えるまで頑張るから」

 とても嬉しそうに微笑んでいる葉月の頬がまた、染まった。

 その首にかけてもらった指輪とクロスを、葉月はいつまでも……愛おしそうに首元で握りしめていた。

 夜が明けていく──。
 俺達は、もしかすると……『やり直す』という段階を通り抜け、やっと『始まった』のかもしれないと隼人は思った。

 そしてある男性の言葉が思い浮かんだ。

『お前と澤村はまだ……なにも始まっちゃいないんだ』
『お前はただ……脱げきれないサナギの殻を半分着たまま、不格好に片方の翼で飛ぼうとしている蝶みたいなもんだ。澤村が願っているのは、サナギから綺麗に翼を広げて美しく飛ぶ姿なんだよ!』

 昨年……俺達は離れなくては何も残らないと思い、離れる事を決した時に、彼女の従兄が言ってくれた言葉。
 結果は隼人が思った通りに、彼女が戻ってきたものの──修復するまでの過程がこんなに長くて重くて苦しい物である事は、覚悟を決めていた隼人でも、そこは想定外だった。
 本当に、『もう駄目だ』と何度も思った。
 でも、隼人が決した事は、ここでやっと実ったのかも知れない。

 目の前に、綺麗な蝶がいる。
 昨夜、紺色のドレスを脱ぎ去って、美しく舞ってくれた……最高に麗しい恋人がいた。

 

 もう、二度と手放さない。 

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