・・フランス航空部隊・・

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17.ワインに気を付けろ

 

 藤波夫妻の自宅にて、葉月がフランスまで来た歓迎の晩餐が始まる。

 雪江のフランス仕込みの軽い食事と、隼人が買ってきた極上のチーズ。
 そして、彼が買ってきた辛口の白ワイン。
 康夫のとっておきの赤ワイン。

 本場フランススタイルの晩餐。

「なに澄ましているんだよ! 隼人兄も飲めよ!」

 康夫は、頬を赤くしてもう出来上がる寸前。すっかりほろ酔いになってきたようだが、そんな彼にどんどんと勧められるままグラスを重ねていた葉月も、実は隼人の様子を気にしていた。
 隼人が『はいはい』と面倒くさそうにしてグラスを突き出すと、康夫がムスッとふくれた。

「なんだよ〜。いっつも冷静でさあ〜。隼人兄は壊れたこと無いのかぁっ」

 康夫がいよいよ絡み始める。
 呑むとこの同期生は、ちょっとしつこくなるを葉月は知っている。
 可哀想に。早速、そんな康夫のお相手に、隼人は捕まってしまったようだ。

(それにしても、大尉も結構飲んでるのに……)

 葉月はもう限界が来ているのを自分で感じていたが、同じくらい飲んでいる隼人は顔色一つ変えていなかった。

(もしかして、強者……?)

 葉月は、いつも引きずり回されているフライトチームの同僚であるお兄さん達を思い出していた。そんな彼等の酒豪振りを思い出させる程に、隼人も匹敵するのではと思うほどに、彼は呑んでいる。それもその飲み方までもが、淡々と落ち着いている。
 パイロットの兄様方は康夫のようにはじけるタイプで悪のりもするのだが、隼人は飲んでも飲んでもいつもと一緒。冷たい顔で飲んでいる。それが見ていて余計に『恐ろしい』とさえ、葉月は感じてしまっていた。

「葉月、飲めよ! せっかくフランスまで出向いてきたんだから!!」

 お調子全開の康夫に押されて、葉月も『はいはい』と苦笑いでグラスを出す。
 彼の『おかまいなしの、お調子』はさらに加速する。
 葉月も溜め息で流す事しか出来ない。そんな康夫だから、彼の口もだいぶ軽くなる。

「葉月〜〜。真一は元気か?」

 ほろ酔いの康夫は、ここの晩餐で初めて仲間にいる『隼人』がいることを忘れたかのように、葉月の家族の事を話し始める。
 葉月はすこしだけ、ヒヤヒヤしてしまう……。だけれど、なんとか平静に応える。

「元気よ、康夫兄ちゃんにも雪江さんにもよろしく言ってくれって」

 別に甥っ子のことぐらい聞かれてもなんともない。流石に酔っていても康夫なら、『肝心な部分』をほのめかされる事は決してしないだろう、大丈夫と信頼はしているのだが……。

 だけれども、やはり隼人は聞き逃さなかったようだ。
 『真一って、誰?』と、聞き慣れない名前を耳にして雪江に尋ねている姿が見え、葉月はそれだけで落ち着かなくなる。。

『葉月ちゃんの甥っ子よ』
『甥っ子がいるのか、そうなんだ』

 雪江はそれ以上は言わなかったし、隼人もそれで納得をしていた。
 何故か、葉月はほっと胸をなで下ろし安心した……。

「しかし、健気だよな。死んだ親の意志を引き継いで『軍医』を目指すなんて」

 酔いが回っている康夫の口が軽くなって来て、やはり葉月はドキリとしてしまい、背筋を伸ばした。
 葉月は……隼人の方をチラリと見たが、なんだか知らぬ存ぜぬと言ったふうで、ただ静かにワインを飲んでいるだけ。

「しっかりしろよ、葉月。真一には、お前しかいないんだからな!」

 葉月は、もう康夫を殴って気を失わせてやろうかと思うぐらい固まった。

「康夫? 葉月ちゃんはしっかりしてるわよ。あなたの方がちゃんとしてよ!」

 酒を飲むと妙に説教くさくなる夫に呆れた雪江が間に入ってきてくれて、葉月はホッとしたが、今度は隼人が反応してグラスを傾ける手を止めていた。
 そして彼がついに、葉月に尋ねてきた。

「その子って……」

 隼人がそこまで言ってやめた。
 おそらくもう素早く感づいただろうと。
 康夫があれだけお調子全開で喋っていたのだから当然だ。
 隼人が途中で言葉を止めたのも、『甥っ子』がどのような状態か察したからなのだろう。
 葉月はそう思って、深くため息をつき、諦めたように答えた。

「甥っ子は姉の子なの。私が十歳の時、姉が二十歳だった時に生まれたの。姉は出産の時に亡くなってしまったから、その後はその子の父親が育てて……その父親も横須賀の軍医だったのだけれど、急に心臓が弱くなって、甥っ子が五歳の時に、また亡くなってしまったの。甥っ子は今は同じ島で医学訓練校生。私の側にいるのよ」

 葉月はそれだけ言い切って、なんとか微笑みを見せる。
 その葉月の様子に気が付いたのか、康夫がやっと、酔いが醒めたようにシャンと背筋を伸ばし、助けに入ってくれた。

「そ、そうなんだよ。これがまた、栗毛の目が可愛い男の子でさ。俺が初めて会った時は、まだ小学生だったな」

 康夫だけではなく、雪江も中に入ってくれる。

「そうね。私が日本で康夫と挙式をした時にも会いに来てくれたけど、その時はもう訓練校の制服で紺色の詰め襟服を着ていたわ。でも、まだまだ可愛い男の子だったけど。どう? もう葉月ちゃんぐらい大きくなったかしら?」
「いいえ。身長は伸びたけど百六十五センチと言ったところかしら? その内に抜かれると思うけど」
「へぇ。お嬢さんに、そんな弟みたいな甥っ子がいたんだ。意外だなあ?」

 先程まで『素知らぬ顔』でやり過ごしていた隼人が、案外するりと身内話に入ってきた。

「それはなに? 私はやっぱり『末娘』みたいだから?」

 葉月は、ワイングラスを揺らしながら、おどけてみせる。
 実際に、葉月はいつだって家族親類に『末娘扱い』しかされていないから言われ慣れていることだった。

「いや? そういう訳では。それにお嬢さんが『どんな末娘』か俺はまだ知らないよ。それよりも。実は俺の弟も今年十七歳の高校二年生。俺もそんな『兄貴』には見えないだろ?」
「本当に!? そんなに歳の離れた弟さんがいるの?」

 とても驚かされた。隼人が今三十歳。弟が十七。──十三歳も離れているじゃないかと!

「見えないだろ? それと一緒」

 でも、急に? 隼人がちょっとやるせなさそうにワイングラスを揺らしてうつむいたように、葉月には見えた。
 しかし、それは一瞬……。隼人はすぐに、いつものお兄さんスマイルに戻って葉月に笑いかけてきた。

「と、言うことは……。お嬢さんの甥っ子君とうちの弟は、一歳違いってことか」

 今の隼人のほんの僅かな仕草がひっかかったが、彼の弟と甥っ子が一つ違いという事に逆に驚いてしまい、葉月の気はそちらに逸れてしまった。
 康夫もハッとした表情になり、改めて驚いたようだ。

「言われてみればそうだな。今まで気が付かなかった!」

 雪江も同じく『あら、本当ね!』と、ハッとしている。
 そして酔いが醒めた様子の康夫は、今度は大尉の事を話し始めた。

「隼人兄は『横浜』の出身なんだぜ?」
「横浜!?」

 経歴書で彼が神奈川の生まれとは葉月も知っていたが、横浜と言ったら、横須賀基地も近いじゃないか?
 なのに訓練校からフランスにしたのは何故か!? と、思ってしまったのだ。

「もう。俺の話はいいだろう!?」

 葉月の驚きも束の間──。
 それを知りたい前に、なんだか彼のその言い方がとても厳しい言い方だったので、流石に葉月も固まってしまった。
 落ち着きある彼が声を荒げたのは、これで二度目。あの綺麗な黒髪の女性とすれ違った時も、彼らしくない憤りを見せた。今もまさにそれ……。
 康夫も何か気づいたかのように、声をすぼめた。

 そんな冷静を匂わせていた大尉が『らしくない様子』で狂わしたような空気に、取りなし上手の雪江すらも狼狽えている。

(何? 自分のことは言いたくないって事?)

 葉月は、昨日の自分と今の隼人を重ねてしまった。
 『そんなに探って欲しくない。私の事は……』──あの気持ちと同じように感じていた。
 葉月としては、それは昨日だけでなく『いつもそれ』なのだが。
 だからこそ、隼人のそのらしくない様子が、『探って欲しくない。放っておいて欲しい』という強い気持ちを秘めたものに見えて仕方がなかった。

 だから、葉月はここでまったく違う話を投げてみる。

「あ──そうだわ、康夫。コリンズ中佐がね? 研修中にやった『フォーメーション』を自分のメンバーで出来るならやって見ろ! と言うお言葉をくれたわよ」
「なんだって?」

 康夫の負けず嫌いが、早速この言葉に食いついてきて葉月はホッとした。
 空気ががらりと元に戻った気がした。
 雪江もニコリと微笑みを戻し、安心した顔。
 隼人も……元の素知らぬ顔に落ち着いていた。

 コリンズ中佐は葉月のチームのキャプテンで第五中隊に所属していた。
 歳は八歳年上で、彼は遠野大佐とはフロリダ特校で親しい仲だったようだ。所属は違えど、同い年と言うせいもあって、顔見知りの友人であったのだ。
 コリンズ中佐は葉月のことを、いつも『嬢ちゃん』と言う。
 葉月をパイロットとして育ててくれた厳しい中にも、気の良さがある親日家の先輩なのだ。

 金髪で青い目だが、ロイのような麗しさはなく、一言で言うならば『超・熱血野郎』。
 短髪でいかにも軍人という、がっしりしている体型のアメリカ人。
 日本に赴任してきて十年経ち、なんだかもう日本語もペラペラのキャプテンなのである。

 若いチームを任されて、こちらも負けん気が強い。
 だから、康夫とも気があったりする。
 そして康夫は、そんなコリンズ中佐に憧れている。
 豪快で男気があって、それでいて自分と同じように若いチームを引っ張っているからだ。
 飛び方も康夫と似ていた。
 とにかく突進型。一直線の熱血野郎なのだ。

 葉月のチームは若いながらも既に基地一般公開で披露する『航空ショー』に選抜されたことのあるチームであった。
 負けん気の強いキャプテンは『若いだけのチームだとバカにされたくないぞ!』とばかりに、葉月やチームメンバー達もたじろぐような飛行を提案。
 それをものの見事にこなしたので、コリンズチームは今や若手のパイロットチームでは、かなりの注目を浴びているのだ。その上、チームに葉月という女性パイロットもいたからよけいに注目を浴びた。
 そんなコリンズの若さのリスクにもめげない、威勢の良い指導力にも康夫は尊敬している。
 航空ショーに選抜されると言うことは、パイロットにとってはある意味名誉なことで『勲章』なのだ。
 葉月はその経験を既にしているのだが、康夫はまだない。
 康夫が先日の小笠原研修に来たとき、彼はコリンズチームでそれも学んでいった。
 その若手一押しのキャプテンが編み出した難度が高い『飛行フォーメーション』。康夫も研修中にコリンズチームの中ではこなせるようになっていた。だが、コリンズ曰く『さて? 自分のチームに戻って他のパイロットははついてこられるだろうか?』が、康夫への課題だと言うのだ。

 そんな康夫を葉月の、熱いパイロット畑の話題。

「それって、どんなフォーメーションなんだろう? 俺も知りたいな。康夫が春から試行錯誤しているあれだろう?」

 隼人も急に話の輪に入ってきた。

 隼人の様子で気まずくなった雰囲気も、葉月が話し始めた内容に康夫が食いついてきたので違う意味で賑やかになった。
 隼人も葉月から、『島』の事を熱心に尋ねてくる。
 康夫は、いつも通り負けん気を出して突っかかってくる。
 雪江はそんな『空軍人』に任せてニッコリとワインを飲んだり、新しい料理を出したりに徹していた。

 この後、『空軍』の話でかなり盛り上がった。

 そして葉月も、自分のことをあれ以上話さなくて済んでほっとした。
 でも、きっと……それは隼人も同じなのかも知れないとも思った。
 彼も、話したくないことがある。
 それでもちょっぴり気になった夜。
 人のことが気になるなんて。どうかしていると葉月は思った。

 

 

 

Update/2008.1.11
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