32.ホームステイダディ

 

 「ボンソワール。ママン。隼人だけど──」

 

 隼人はその日の夕方アパートに戻り夕食を食べた後、とあるところに電話をかけた。

『まぁ。隼人。ひさしぶりね?元気でやってる??』

「久しぶりって事ないよ?4月に俺のバースディ祝ってくれたじゃん。

アレって恥ずかしいよ。俺。今年30になったんだから。

日本じゃもう祝う歳じゃないのに。」

『またそんなこといって。相変わらず“あまのじゃく”ね。』

隼人が言うママンの優しい声。

どんなにあまのじゃくを言っても笑って優しく返事をくれる。

『それよりどうしたの?なにかあったの?

あなたが電話してくるなんて。何かあっても隣町に住んでいるんだから

いつも来れば済むって言っているあなたが…。』

ママンの心配声が隼人の胸をもっと柔らかくほぐしてくれる。

「ミシェール。いる?」

『残念。今夜は“顧問会”に出ていって…。パパじゃないとダメなの?』

「うん。仕事でちょっと…。」

『仕事で!?あなたが??珍しいわね!!』

ママンの驚きも無理はない。隼人はこんな風に“パパ”を頼ったことがなかった。

「ママン??“御園”って知っている?」

『…。どうしたの急に。そりゃ知っているわよ。ウチだって軍人一家ですもの』

「その…。今そこの女の子と仕事していて…。」

隼人は言いにくいなぁと思いつつ電話をせっかくしたし

ママンの声を聞いてしまったので切るのがもったいなくなってきた。

『まぁ!!』

その一声でママンの息が止まったかと思うほどちょっと沈黙が流れた。

「ママン???」

隼人は心配になって思わず受話器に叫んでしまう。

『あら。ごめんなさい。いきなりでビックリしたのよ。

それで?その女の子がどうしたの??』

「どうしたのって。」

どう言って良いか隼人も実際上手くまとめていないのだ。

『その子と上手く行かないの??』

「いや。そうじゃなくて…。なんて言うのかなぁ。元気ないい子なんだけど。

ちょっと色々聞いておきたいことがあって。」

するとママンの声がまた止まった。

「??ママン?」

『隼人。近いウチにいらっしゃい。パパなら色々教えてくれると思うわ。』

「そう?だったら今度の週末にいる?」

『いるわよ。パパにも言っておくから』

「解った。じゃぁ。」

『あ…。隼人??』

「なに?」

『その子と楽しく仕事してるのね??』

「あ…。うん。そっちの方は大丈夫。彼女しっかりしてるから

俺も助かっているほうだし…。」

『そうでしょうね。あの子は“中佐”ですものね。じゃぁ。ボン・ニュイ。ハヤト』

(え?彼女が中佐だって知っているのか!?)

と、聞き返そうと思ったらママンの方から切られてしまった。

「ボン・ニュイ。ママン」

もう聞こえないのに隼人はため息混じりに受話器につぶやいた。

隼人は15歳で単身フランスにやってきた。

元々はパイロットが志望だったが視力がないので

『家系』である機械工学科に進んだ。

フランスを選んだのは航空が発達しているから。

もちろん家族は反対した。

だが、最後には父親が“男の旅立ち”として見送ってくれた。

ただし条件が一つ。

父親が安心できるところに預かってもらうことだった。

父は軍内に出入りする仕事をしていてそのつてで探し当てたのが

フランス訓練校の校長を務める“ミシェール=ダンヒル”の家だった。

そこで隼人はホームステイをしながら訓練校に通った。

20歳で卒業して入隊と共に“自立”して今の一人暮らしをして10年になる。

訓練校は基地の隣町にある。だから、校長の家は隣町にあるのだ。

校長と言っても、もう退官をしたので“元校長”なのだが

今は。訓練校の“相談役顧問”の役員をしているのだ。

そこまでの地位についていた“ホームステイダディ”なら

御園はどうあっても知っているだろう。

それにパパは時々“御園”の話をする。

それは葉月のことでなくて、彼女の亡くなった祖父のこと。

それから。彼女のスペイン人の祖母のことを。

つまり。『友人』だったわけだ。

そんなパパに『御園の嬢ちゃんと仕事しているよ』など言ったら大変である。

特にダンヒル夫妻の子供二人は上手い具合に結婚を済ませて子供もいる。

隼人を末息子のように思ってくれていて未だ独身でいることを心配したりする。

その上。あの妙にしつこい大和撫子の彼女につきまとわれているのを心配していた。

ママンは『彼女はやめなさい』とひどく黒髪の彼女を嫌っていた。

可愛がってくれるのはすごく感謝しているが、

ちょっとすぎると心配性に変わる。

葉月と仕事をしているなどと言ったら

『昇進のチャンス』とか『仲良く出来たら結婚したら?』とか、

それは基地のもの達がささやくようなことを言うのは目に見えていて、

だから隼人は黙っていたのだ。

でも。ここ数日の心の中の葛藤みたいなものは

とうとう隼人をこんな風にやりたくないところまで動かせてしまったのだ。

ママンの様子では『葉月』の事を良く知っているような素振りに思えた。

パパなら色々教えてくれると言うことに胸騒ぎがした。

(彼女の肩の傷。いったい何なんだろう??)

隼人はまた週末までこの気持ちのままかと思うと

気が晴れなくてムシャクシャした。

(フロ入って寝よ)

そうすることでしかこの気持ちから逃れる術はなさそうだった。

 

 

 次の日。

隼人は中佐室で一人雑務をこなしていた。

本日の講義が終わって葉月は早速康夫と共に訓練に出ていったのだ。

隼人は窓辺に目を向けた。

(お〜。やってる、やってる)

葉月が機体に乗っているかいないか知らないが、なんだか激しい音が右へ左へと流れていく。

『フジナミチームが今年の選抜を狙っている』

そんな噂が早速昼には流れていた。

『御園中佐がつくらしいぞ』

となると、康夫のチームが急成長するという噂も。

彼女は今やフランス基地では誰もが注目するようになっていた。

そのせいか、隼人の元彼女もあれ以来大きくは出てこなかった。

ここで葉月に体当たりしては自分に分が悪いと思ったのだろう。

そんなところは頭が良いからタチが悪いと隼人は思った。

あげくに果てにあの隼人の同期生である

栗毛のメンテナンスキャプテンが

『隼人!!御園中佐が訓練に出るってホントか!?』

と、朝から大騒ぎ。いや。大はしゃぎ。

『そんなに嬉しいか??』とからかうと…

『あったりまえだろ!!仕事はもとより彼女と一緒にいれるんだぞ!

お前ばっかり側に置いて“この野郎!!”と思っていたからな!!』

彼も警備口の彼同様、急に色めき立って見れたものじゃなかった。

(まったく。どいつもこいつも)

隼人はため息をついて窓辺を眺めた。

このセリフもつい最近までは“しらける”時につぶやいていたのに

今は…。

(彼女のことなんにも知らないくせに)

と、心で付け加えるようになってふっと我に返ることが多くなっていた。

そこでまた一つため息。

(早く週末にならないかな?)と思ってしまう。

そんな時外線が鳴ったので隼人はフランス語で出てみた。

『おう!隼人か??』

その野太い声は隼人が敬愛している“パパ”だったのでビックリした。

「ミシェール??どうしたんだよ?」

『どうしたもあるか?お前何故黙っていた??“葉月”と仕事をしているって?』

“そら来た”と隼人は頬を引きつらせた。

「別に。仕事できているだけだから。」

『まったく。相変わらず素っ気ない坊主だ!!まぁ。それはいい。

なんだって?葉月のことで何か気になることが??』

「うん。まぁ。今はちょっと。」

『葉月は今そこにいるのか??』

かなり彼女のことを知っているような口振りで隼人は胸が高鳴った。

(きっと。知っているパパは)と感じたからだ。

今すぐここで聞き出したい衝動に駆られた。

「いや?フジナミと訓練に出ている。」

『どうだい??綺麗なレディになっているかい??』

ミシェールの声が懐かしそうに弾んだので隼人は益々衝動に渦巻かれた。

「さぁ?俺昔の彼女知らないし。」

やっぱりあまのじゃくと解ったのかパパが豪快に電話の向こうで笑い出した。

『さて。わしもずっと逢っていなくてな。確か最後にあったのは

そうだな。あの子の爺さんが“殉職”したときの葬儀でだったな。』

「殉職!?」

隼人はビックリした。やっぱり軍人一家は凄まじい?と。

その上。ミシェールも葉月も面識がある。

これは益々何かをハッキリ知れるだろうと言う核心が

隼人の胸をせかしてゆく。

『まぁ。そんな話は今度だな。隼人。週末に来るのか?』

「教えてくれるの?」

『なにをだ?』

その声がいつも明朗であるパパの声でなかったような気がした。

「彼女がどうやって軍人生活をこなしてきたか」

『ほう?坊主がそんな人のことを気にするとはな?』

今度は“ニヤリ”とした声で隼人はふてくされて口をとがらせた。

「どうだって良いだろ??とにかく彼女とそつなく仕事をして

日本に無事に帰らせたいんだよ。俺が彼女と上手く行かなかったら

フジナミに迷惑がかかるだろう??」

また、それとないことを言ってあまのじゃく…。

で…。パパはやっぱり大笑いをしたので

隼人はかなわないと思いつつも腹が立ってきて

今すぐ電話を切ってやろうかとも思ったぐらいだ。

『教えて欲しいなら。彼女も一緒に連れて来るんだな。』

「え!?」

なんて事言い出すんだと隼人は声を張り上げてしまった。

葉月を連れていくなんてとんでもない!!

彼女に知られないようにこうして探っているというのに。

「それっておかしくない??俺は彼女にも聞けないからこうして!!」

あまのじゃくも何処かにすっ飛んでいった。本気で叫んでしまった。

『だったら。おしえん。彼女に逢いたくてな。連れてこないなら

日曜は娘の所にマリー(ママン)と出掛ける予定だったからな。そうする。』

(このくそ意地悪じじ!!)と隼人は苦虫をつぶした。

しかし、パパがママンと一緒に隼人を可愛がってくれた“アンジェリカ姉”の所の

孫に会いにゆく予定をつぶそうとしていたことを知って

隼人は自分のことで予定を割こうとしてくれるパパに申し訳ないからそこで考えた。

「彼女を連れてきてもちゃんと教えてくれるのか?」

『ああ。隼人次第と彼女の様子でな』

その声がまた強ばっていたように感じた。

(これは絶対何かある)隼人はそう確信した。

パパの様子だと“葉月ナシでは語りたくない”と言った感じにも取れる。

「わかった。彼女に聞いてみて今夜連絡する。」

『そうか?それは楽しみだ♪葉月によろしく

“リトル・レイ”ってな?』

「“リトル・レイ”?」

そんな愛称まであるのかと隼人はやっぱり“真実”はパパが握っていると、

そして、康夫達が言えないがパパなら上手く告げてくれると言う

期待と妙な胸騒ぎが始まる。

『そう。彼女のばあさんは“レイチェル”という名前でな。

彼女と亡くなってしまった姉のサツキはよく似ていた。

小さい葉月のことをみんなで“リトル・レイ”と呼んでいたんだよ。

サツキは“勇ましい”レディだったんでな。葉月の方に、そんな名が付いた。

サツキがそう呼び始めたんだよ。妹想いの良い子だったのになぁ。』

そこでいつも快活なパパが疲れたようなため息をこぼした。

『マリーがな。“隼人と葉月が一緒に仕事しているなんてなんて素敵な偶然か”って

隼人が葉月を連れてくるのも楽しみに待っているぞ?』

それを聞いてママンには弱い隼人はマリーが楽しみにしているなら

連れていった方が良いなと心に決めた。

「解った。とにかく連絡する」

『そっか? では、オヴォワー』

「オヴォワー。パパ」

隼人はそっと受話器を置いた。

葉月を連れていくことはちょっと不安だが…。

この妙な気持ちは確かに日曜日には晴れることだろうと、

隼人は葉月を連れていくことを致し方なく心に決めたのだ。