50.不協和音

 

 投票が終わった後の講義は活気づいた。

まず、葉月が初めて生徒達に詳しい内容とスケジュールが組まれた冊子を配る。

すると…。

「中佐。一言宜しいですか?」

やっといつもの落ち着きを戻したジャンが葉月に話しかけた。

「何?」

「研修生がこれからポジション組みをするためにも

一通りの流れは把握しておいた方がよろしいでしょう?

私たちの訓練風景を見ながら誰がなんの時何をするか

事細かく設定させるには一度見学させた方がよろしいかと…」

「よろしいの?訓練の邪魔にならないかしら?」

「私たちも見届ける責任があります。

しどろもどろにやられてはたまりませんから…。

見学の時間をスケジュールの中に組んでいただけませんか?」

ジャンはかなり葉月の風に煽られたようで真剣に入れ込み始めたのが隼人にも伝わってくる。

葉月はそっと隼人の表情を伺うように振り向いてきた。

「そうした方が…生徒達もポジション決め…楽に出来ると思う。

すみませんね…。キャプテン…。」

隼人はジャンの心遣いに感謝して葉月に受け入れるように促した。

「メルシー。ジャルジェ少佐。助かります」

葉月の満面の笑みにジャンはいつもなら男として照れるのだが…

「では。早速、メンバー達と相談してきます。詳細は後ほど、中佐室で」

かなり、凛とした引き締まった表情を残して講義室を出ていった。

「俺も帰る。こっちもメンバーに伝えておく」

康夫は…かなりムッスリとしていた。

『負けず嫌い』が起動したらしい。でも隼人は知っている。

本当は全てが赤だと解った瞬間康夫が一番に微笑んでいたのを…。

『アイツは台風で、こっちも負けてられねえ!!ってなるんだ!』

今まさに…そんな心境になり、康夫も葉月の風に煽られているのだろう。

そして隼人も。なんとしてもこの『方法』でキッチリやりのけてやる…と言う闘志が湧いてきた。

生徒達が自分たちだけの手で事を運ぶとなると

急に隼人に質問をいつも以上に執拗に飛ばしてくる。

隼人はその賑やかさに紛れながら…教壇でそっと微笑みながら静かに

自分が作った投票用紙を箱に片づけている葉月を見つめていた。

 

 

 「参ったよ…」

今日の講義が終わって隼人は一言…。葉月にそう告げる。

「何が?」 葉月は始終平静だった。

「少しくらいは、怖じ気づいて反対がいるとは思ったんだけど…」

「私もよ」

そこも、平坦なのだ。こんなに隼人が感動しているのに…。

葉月はまさに『無感情令嬢』なのだから呆れてしまった。

「嬉しくないのかよ??中佐がやってきたこと、あいつら全員が信じているんだぜ?」

喜び勇んでいるのは自分だけなのか?と隼人はいきりたつ。

「大尉」

葉月が瞳を輝かせてフッと隼人を見上げる。

「なんだよ…」

「より困難な方法は、『島』では当たり前よ。それからね。喜ぶのは実践で『成功』してから。

もし、失敗したら…『この方法のせいだ』と言われ兼ねないのよ?」

そこはやはり…『最新基地』に属する『中佐』の顔だった。

「そ…そうだね…」

そうとしか言えなくなった。少し心に隙間が出来た気がした。

今、隼人と葉月何が違うかというと…そういう事なのかも知れない。

隼人はそんな風に感じて、また『劣等感』が生じる。

「でも。ホッとした。この二ヶ月無駄じゃなかったみたい。

これで成功したら。心おきなく『島』に帰ることが出来るわ。

大尉もありがとう。こんなじゃじゃ馬に付き合ってくれて。散々だったでしょ?」

『ありがとう』なんて言われるほどじゃないのに…と、隼人は思わず照れてしまった。

「でも。お嬢さんのお陰で俺は…」

隼人は感動も手伝って『素直に』心の内を口にしようとした。

葉月も瞳を輝かせて『何?』と、待ちかまえている。

その時…。

「隼人!!!」

階段から誰かが駆け上がってきて、二人は近く寄り添っていたところ

取り立てて後ろめたくもないのにサッと距離をお互いに離してしまった。

「あ。」

隼人がまず、苦い表情を刻んだ。葉月も…「!」と躊躇した。

「隼人!!」

そう言って、二人が話しているにもかかわらず『彼女』は駆け寄ってきて

ガバッと隼人に抱きついたのだ。

葉月の視界に艶やかになびく黒髪が舞っていた。

「ミツコ!」

隼人は抱きつかれるなり持っていたテキストをバサバサ床に落としてしまった。

とにかく、ミツコの勢いがすごいのだ。首に巻き付かれて離れやしない。

「あ!中佐!?」

隼人が困惑している間に葉月はすたすたと早足で階段を下りる角に消えようとしていた。

「おい!離せよ!中佐と大事な仕事の話をしていたのに!!」

隼人はミツコの勢いにたじろぎながら首に巻き付く腕を払おうとしたが

ミツコががっちり固めて離れもしなかった。 その内に、葉月の姿が角に消えてしまった。

葉月は階段を駆け下りて踊り場で立ち止まる。

(あれが?隼人さんの元恋人???)

自分とはまったく正反対で葉月も混乱していた。

素直に彼に抱きつける。素直に彼の所に飛んでゆく。そんな事したことがなかった。

踊り場でふと上を見上げた。隼人は戻ってこない。そして…。

『なんだよ!!生徒が見ているだろう??』

『だって…。隼人が『引き抜かれる』っていうから』

葉月はその微かな会話に耳を澄ましてドキリとした。

(噂になり始めているのね?)

葉月も、『噂で終わる様に何とかしなくては』と頭によぎった。

『そんなのみんなのからかいだよ!そんな話は…』

『嘘!あなたが望んでなくてもあのお嬢ちゃんが無理に引き抜くわよ!!』

葉月は彼女の言葉を聞いてサッと階段を駆け下りる。

『隼人はフランスは出ていかないって言ってたじゃない?大丈夫よね?』

その後の隼人の声は聞きたくはなかったのだ。

そして…隼人には美しい黒髪の…大和撫子が愛してくれている。

自分とはまったく正反対の…。

自分より小柄な彼女が隼人に抱きついたとき、急に隼人がたくましい男に見えた。

初めて胸の中で隼人に対して『せつなさ』を感じた気がした。

 

 

 それから、生徒達はジャルジェチームの訓練風景を週末まで見学して

今週中にお互いの『ポジション』を決めて隼人に提出をしてきた。

実習講義で早速一通りの練習が行われた。

隼人の声がいつも以上に生徒達をせかし始め、生徒達も戸惑いながらもそれに応じていた。

「…佐?…中佐!!」

隼人の厳しい声で葉月はハッと我に返る。

今は…車庫の中。葉月は深緑色の訓練着に身を包んでいた。

「あ…何?」

葉月はバインダーを抱えなおして隼人を見上げた。

白いベージュ色の作業着を着込んだ隼人から鋭い視線を返される。

「困るな!あさってはもう本番だぜ!?何をぼんやりしているんだよ!!」

教官が日本語で上官のお嬢さんを叱りとばしているのを見て生徒達が振り返った。

「ごめんなさい…」

葉月は早速集中しようと生徒達の方にかけていった。

週末の休みの間も生徒達は車庫に出て『練習』をすると言い出して

葉月も隼人も見守りに出ていた。

その間、隼人はそうでもなかったが葉月の方が隼人を意識してしまって

何処かしらギクシャクしたままだった。

『おつかれさん。ついでに何処か美味いモノ食いに行こうか?』

隼人がさり気なく誘ってくれたのに対して…

『ごめんなさい。甥っ子に頼まれていたモノ捜しに行かなくちゃ』

と、断って一人ぶらりと隣町まで買い物に行ったが…

甥っ子が着られそうな洋服を買い込んでお茶を一杯飲んで夜帰ってきた。

『どうしたのだい?この前から元気ないねぇ』

ホテルのレストランで食事をとるとママンにもそう言われた。

葉月にも、そんな『もの思い』が宿っていたのだ。

自分でも…らしくないと思うからよけいだった。

隼人が『好き』だが『恋している』とは認めたくなかった。

認めたら…別れが辛いから。

葉月はそんな週末を思い返しながらおもむろに生徒達にせかされてコックピットに乗り込む。

「中佐…顔色悪いですよ?」

「ここのところ休んでいないのでしょう?」

自分より五つほど若い生徒達が週末引っぱり出したことを気に病んでいるのか

そんな風にいじらしく心配してくれる。

「気のせいよ」

葉月はニッコリ微笑んでコックピットに乗り込んだ。

葉月の笑顔にホッとしたのか生徒達は自分の持ち場に散らばっていった。

葉月は機体を起動させる。目の前のパネルに電気が灯る。

生徒達の整備がキチンと整っているかバインダーにチェックを入れていると…。

コックピットに乗り込む梯子からニュッと隼人が登ってきた。

「どう?」

「ええ。大丈夫よ。キチンと飛べる体制に機体は整っているわ。

次は離陸誘導ね。週末にしたようにテイクオフにはいる位置を決めて…」

「彼女のことだけど…」

「は?」

仕事中に隼人がそんなこと言い出すなんて葉月はビックリした。

彼女のことが言いたいから隼人が食事に誘ったのだと思っていた。

聞きたくないから断った。隼人にしてみればこんな時でなければ

言えないと思っての強行なのだと葉月は思った。しかし

「大尉。早く生徒達を誘導して。」

冷たく言い切っていた。隼人は、難しい顔をしたが…引き下がろうとしなかった。

「わかった。確かに今するべき話じゃないよな。でも一言。俺はアイツとは終わってる!」

隼人はそれだけ言うとサッと梯子を下りていった。

葉月もうつむいてふと反省。

自分も仕事中に…ぼんやりしていたのだから。だから…隼人が今こんな話を持ちかけることに。

それと共に。(なんで?お互いにそんなこと気にしなくちゃいけないの?)と

ハタと我に返った。そして、葉月はコックピットで立ち上がる。

「大尉!!」

叫ぶと隼人がキャップのつばをつまんで下から葉月を見上げた。

「そんなこと!私には関係ないわよ!!!」

あっかんべーとやると…生徒達があっけにとられて葉月を見上げていた。

葉月もハッとしておずおずとコックピットに腰を沈めた。

すると…『アハハハ!!!』と隼人が大笑いをしてお腹を抱え始めたのだ。

「確かにね!了解♪」

敬礼を飛ばして隼人は生徒達に再び厳しい声を飛ばし始めた。

(これでいいのよね〜♪)

それだけでお互いが通じ合えるだけで充分だと葉月は微笑む。

葉月は隼人にとって『じゃじゃ馬』でいる方が…らしいに違いない。

大和撫子にはなれないに決まっている。

葉月はそっと帽子の後ろ穴から出ている束ねた栗毛をなでてみた。

 

 

 とうとう…『デビュー実施』の当日になった。

『いよいよ明日だね。今夜は早く寝ろよ』

『解ってるわよ。寝れないのは生徒達かもね』

隼人とは昨日の仕上げ訓練後、すっかり暗くなった中、自転車で共に帰って別れた。

「さぁて。いよいよだな♪」

康夫も朝から気合い充分だ。ジャンの班室からも「皆。盛り上がってますよ」と言う

報告が班室から届けられた。

「じゃ。そろそろ行こうか?」

「そうね」

隼人と葉月はお互いの手を打ちならして車庫に向かった。

二人の間に週末の不協和音はもう無かった。

車庫に向かうとそわそわした生徒達が葉月達を待ちかまえていた。

康夫達も飛行服に着替えてちらほら出てくると生徒達の緊張は一気に高まったようだ。

ジャルジェチームも次々と車庫に集まってくる。

「集合!!」

康夫の掛け声でサッとそれぞれが整列をする。

康夫が開始の挨拶をする。その後隼人が…葉月が大まかな流れを確認。

ジャンが生徒一人に自分のチーム員を振り分ける。

そんな中だった。

車庫の鉄階段にそっと一人の男が現れた。

『連隊長だ!』

生徒達の声が密かにざわめきたった…。

上官の康夫もさすがに振り返った。が…

「しめしめ♪お前のやることが気になったんだな。

連隊長自らの見学ならいいハクが付くぞ。このデビューは」

などと、さすがトップ狙いの男だった。

葉月もそこは同じ心境だし、隼人もシラッといつも通り。

ジャンは心なしか落ち着かないようだが、他の三人が落ち着いているので

気合いをチームメイトに入れ直していた。

「さって!始めるぞ!パイロットは機体に乗り込め!」

康夫が張りきって声をかけるとフジナミチームは一気に散らばってコックピットに向かってゆく。

ジャルジェチームはよけいな「声」は掛けてはいけない方針なので生徒達の行動開始を待っている。

しかし生徒達は舞い上がっていた。

とうとう本番。目の前には連隊長。パイロット達がいつものようにコックピットに乗り込んでしまって…。

もう、教官の隼人もコーチの葉月も遠くに離れてこちらを眺めているだけ。

「だめだ。舞い上がってしまったな。康夫はああいうけど…連隊長はよけいだよ」

隼人はハッキリ連隊長が来てもそう言いきった。

葉月も疲れたため息をこぼす。しかし…。

「ちょっと。行って来る」

隼人にバインダーを預けてサッと生徒達がわらわら固まっている列に駆けていってしまった。

「中佐??」

何を言いに行くんだと隼人はジッと葉月を眺めることしかできない。

「サワムラ君。めずらしい事すると聞きつけてやってきたんだけど?どうだい?」

50代の連隊長がニッコリ…側近を付けて隼人の元に降りてきた。

隼人も「さぁ?今からですから」と苦笑い。

葉月はなにやら生徒達をまとめてジャルジェチームを横に追い払っていた。

「中佐…」

葉月にすがるような眼差しで生徒達がうなだれていた。

「どうしたの? 昨夜、遅くまで完璧に流していたじゃない??」

生徒達がいきなりモジモジとし始めて葉月はまたため息。

「いい??ここで私の『七光り』存分に利用してよね!」

『は??』と、生徒達は揃って顔をあげた。

「こんな方法通ったのも『七光り』。連隊長が見学に来たのも『七光り』

ここで成功したら連隊長の目に止まるのよ??こんなチャンスある??

こう言ってなんだけど…連隊長は私のじゃじゃ馬を見に来たのよ!

私は今日はおとなしくしていなくちゃいけないんだから…

私のじゃじゃ馬を代わりにしてくれなくちゃ連隊長がビックリしないじゃない!?」

葉月がふてくされて言うと…生徒達はまた唖然と葉月を見つめて…そして。

キャプテン役の金髪の男の子がお腹を抱えて笑い始めた。

「アハハハ!!!俺達が中佐の代わりにじゃじゃ馬???」

「そうっすよ…。人驚かすのを押しつけるなんて…」

「『七光り』を利用しろなんて自分で言いますか???」

生徒達は途端に全員で笑い始めた。

「中佐。メルシー。中佐じゃなきゃ…こんなチャンス俺達には巡ってこないですよね」

キャプテン役の彼がそっと微笑んだ。

「チャンスは自分でモノにしてよ」

葉月が彼の肩を叩くと急に生徒達の顔が引き締まった。

「よし!行くぞ!!」

『おう!』

生徒達が一気に戦闘機に駆けだしていった。

それを見てジャルジェチームもいきなり盛り返した後輩にビックリして後を追いかける。

「おや?いきなり盛り返したようだね?中佐嬢は何を言ったのかな?」

隼人の横で連隊長がニンマリ顎をなでて満足そうだった。

「さぁ?じゃじゃ馬流でもたきつけたのでしょう」

「なるほどね。彼女らしいね。」

隼人は葉月が自分を楯にして笑わせたことを解っていた。

『七光りを利用しなさいよ』そう言いそうだと…。

遠くで見ていてももう葉月のことはそれとなく解る自分が誇らしく思うようになっていて

それももう驚きではなくて素直に認められるようになった。

生徒達が旗を手に康夫達の機体を車庫から引き出そうとしていた。

「大尉。何とかなったみたい♪」

「ご苦労様」

隼人と葉月はバインダー片手に先輩達を付けても

きびきびいつも通りに動き出した生徒達を眺めて、ニッコリ微笑みあった。

青空が広がる車庫の外に生徒達の誘導で戦闘機が輝くように滑走路に出てゆく。