60.ひとり

 

 「申し訳ありませんでした」

 

 葉月は次の日すぐに出勤をして兄様分のロイ=フランク中将を訪ねた。

立派な木造の大きな机…。ゆったりとした革張りの椅子で

麗しい金髪の若中将が悠々と足を組んで葉月を青い瞳で見つめていた。

「ま。しょうがないな。『相手が悪かった』な」

『悪くはない』と言い返したかったが…仕事として自分が『説得出来なかった』から

なんにも言い返せやしなかった。

ロイは前髪をサラリとかき上げてまるで葉月を威嚇するように

ニヤリと微笑みかけてきた。

「それで?お前はこれから先どうしたいって言うんだ?」

「………」

葉月はいつもは優しい兄様だが『仕事』となると嫌に厳しいので…

答えは慎重に捜して…考え抜いた結果…。

「次の候補を捜して下されば…面談致します。」

「ほう??どんな相手でも…いいのか??」

ロイは隼人と会うときと違って急に『職務的』に輝きだした妹中佐に

期待を滲ませた目元で身を乗り出してきた。

「はい。どんな方でも…。中隊のためにやってくれる人なら…文句は言いません」

「と?いうことは。お前は『隊長』になってもいいって事だな??」

ロイの念押しに葉月は益々…迷ったが…フランスで得てきたことは無駄にしたくなかった。

「はい。おこがましい小娘ですが…サポートをしてくれる優秀な側近が付いたら…

ちから及ばずとも…亡くなった遠野大佐のために中隊を支えていこうと思います。」

「………。そうか…。お前。フランスに行って何か落ち着いたな。

もうメソメソしていたお前じゃないな…。よっぽど向こうでじゃじゃ馬をやってきたな??」

いつもの麗しい兄様の笑顔になったロイに詰め寄られて葉月はそっと顔を赤らめた。

「向こうの連隊長が随分お前を持ち上げていたぞ。『やっぱり御園の娘』とな。

俺はこの基地の連隊長として鼻高々だ。側近のことはまぁいい。

『研修』の成果が上々だったから許してやる。フジナミにもそう言っておいた。

ただで帰ってこないところがお前らしいな。ま、次も頑張れよ」

ロイのニッコリ満足そうな笑顔に葉月もホッと一安心。

「所で…次の候補なんだが…」

早速…見つけたのかと葉月はドキリとした。

「相手の出方待ちの段階でな。返事を待っているんだ。1ヶ月後には答えを出してくれる。

それまで暫く乗っていなかった戦闘機操縦の勘でも戻しておくんだな」

「それは…空軍の隊員ですか?」

「もちろんだ。お前の部隊に足りないのは『空部』を仕切る隊員だ。」

「どこの出身で?」

「なるべく日本人に標準を定めている」

「どこの基地の?」

葉月がいろいろ聞き出そうとするとロイがため息をついた。

「今はこれしか言えないな。お前がまた『人見知り』をして怖じけずいてもいけないから

面談の時のお楽しみだ」

ロイがニヤリというので…葉月は『う…』と唸ってそれ以上聞き出せなくなった。

「解りました。では…次の候補は1ヶ月後と言うことですわね」

葉月は顔をしかめてふてくされた。

すると…そんな葉月を見てロイがケラケラ笑い出す。

「まぁ。楽しみにしていろ。なるべく『色男』を捜してやる」

「結構です。」

きっぱり言い返すとロイがまた大笑い。葉月は益々ふてくされた。

「真一はどうだったか?」

「いつも通りでしたわ。姉様の物も、手を着けた跡はありませんでした。

でも…やっぱり…そこら中探し回った跡があって…」

『そうか』

ロイはそこは急に心配そうな弱々しい顔つきになった。

ロイは…葉月の姉の元婚約者だった。昔の話だが…

ロイが知らない内に姉が『妊娠』してしまったらしいが。

その縁があって…ロイは真一を自分の息子のように可愛がっているのだ。

ロイは姉の妊娠よりも姉と葉月が受けた被害に未だに傷ついていた。

だから…葉月のことをすぐに心配する『兄様』。

そして…真一の『父親代わり』

「気を付けろよ。真一にはまだ知られたくない。出来れば…一生な。」

ロイはかなり真剣に葉月に言い含めた。

「勿論です。私だって…」

「お前が一番の生き証人だが…」

ロイはそこまで言って口を閉ざした。葉月に思い出させるようなことを言いそうになったからだ。

葉月も…ちょっと気分が悪くなってきた。

そこに気が付いてロイはサッと帰るように促したので葉月もそこで中将室を後にした。

 

 

 気持ちを落ち着けるため…葉月は中隊にはすぐに帰らずに当てもなく廊下を歩いた。

「御園中佐!」

妙なイントネーションの日本語が聞こえて葉月は振り返った。

「!!」

ちょっと…走って逃げたくなった…。

「おかえり。夕べ帰ってきたんだって??」

「ハリス少佐…」

葉月の元に息切らして走ってきたのは…春に別れた『メンテの元恋人』だった。

葉月よりずっと背が高くて…スマートで…

葉月より濃い栗毛をオールバックにして…手入れが行き届いた細い口ひげがある

何とも優雅なアメリカ人。

つぶらなグレーの瞳が恥ずかしそうに葉月を見下ろすので…

相変わらず…少年のような人…。と葉月は久々に見とれてしまった。

「その…」

何が言いたいか解っていたが彼は言い出しにくそうに口ごもっていた。

彼の左薬指に…葉月が見たことない銀のリングが光っていた。

「結婚されるんですってね。おめでとう…。ロベルト…。」

葉月からニッコリ切り出すと…途端に彼が哀しそうな表情を刻んだ。

「地獄耳…だね」

「向こうに行ってる間…。ジョイから聞いたわ」

「『側近』…ダメだったんだってね?」

「ええ。」

暫く…人気のない廊下で二人は揃って沈黙した。

「葉月…」

つい最近まで…耳元で優しくそう囁いてくれた彼の呼び声に葉月は顔を上げた。

「俺…。葉月のことだから…気にそぐわない候補だったらへそ曲げてすぐに帰ってくると思っていた。

でも…葉月は帰ってこなかった。つまり…その男を気に入ったんだと思って。

俺は言ったよね。葉月の側にいる男になりたいって…。他の男が来るくらいなら…」

「振られたの」

ロベルトの話を葉月がきっぱり遮ると…ロベルトはビックリ声を止めた。

「やっぱり?そいつに惚れちゃったんだ」

「………」

「そんな気がしたんだ」

ロベルトがなんだかガッカリ…額をかき上げた。

「ロニー…。幸せになってね。なんにもしてあげられなくて…ごめんなさい」

葉月に久々に愛称で呼ばれて…ロベルトは急に目を潤ませたようだった。

「今だって、葉月のこと愛しているよ。でも、やっぱり、俺には力不足だったみたいだね」

葉月はそっと首を振った。

「俺は今まで通り、遠くで葉月を見守っているよ。そう思って、次に進んだんだ」

それが『結婚』を決めた…と言うことらしい。

「私だって…本当は…」

「いや。解っているよ。不器用なお嬢さん」

今度は葉月の言葉をニッコリ遮られた。『愛していた』と…素直に言おうとしたのに…。

「その先は…今度こそ好きになった男に言ってあげて。俺は…ちゃんと感じていたよ。

でもビックリ…。不器用な葉月が…そんなこと口で言おうとするなんて…

フランスで何があったの??その振った奴…許せないね。もったいないことするヤツ。」

ロベルトがそう言うので葉月は思わず笑ってしまった。

「そんな風に…笑えるようになったんだね」

ロベルトは…また寂しそうに微笑んだ。

すると…。人気のない廊下で葉月は細長い長身の彼に急に壁に肩を押さえつけられた。

そっと…彼の柔らかい髭が懐かしいように葉月の鼻をくすぐった。

しかし一瞬だった…。そして…

『Good−bye ハヅキ…』

ロベルトはそれだけ囁くと…サッと立ち去っていてしまった。

葉月は唇をさすって暫くうつむいていた。

そして…胸ポケットから草の香がする『緑の葉っぱ』を取り出して…鼻に当てた。

『…一人になったわ』

そしてまた…。そっとポケットにしまった。

『そんな…落ちていくように例えるなよ…』

隼人の声がまだ耳の奥に残っていた。

 

 

 気を取り直して葉月は廊下を歩き出す。

「あ!!いたぞ!!」

葉月は大勢の男が急にわらわら廊下の角から出てきてビックリ飛び上がった。

先頭には…金髪スポーツ刈りの兄様パイロット…『コリンズ中佐』だった。

「コラ!!嬢ちゃん!!待ちくたびれたぞ!!

何をウロチョロしているんだ!!すぐ訓練だ!」

葉月は落ち着く間もない『帰国』に『ひゃ〜』と苦笑いをした。

「フランスでなまった腕を叩き直してやる!!行くぞ!!」

感傷に浸る間もなくコリンズに腕を引っ張り上げられた。

「お嬢。側近ダメだったんだってな!!」

「そりゃ。そうだ。じゃじゃ馬馴らしをしたいって男はそうそういないぞ?」

他の兄様パイロット達の相変わらずのずけずけな物言い…。

「何よ!!!皆で!!」

「ほ〜らな♪すぐこれだ♪」

「ちょっとは休ませてよ!!!」

「馬鹿者!二ヶ月も留守して!!どうせ失敗したならもっと早く帰ってこい!!」

コリンズに兄様パイロット達にずるずると引きずられて葉月は…

また…こんな風な賑やかさに紛れていく内に…

緑の葉っぱも枯れて…トワレの香りも消えてゆくだろう…。

でも…写真の中の隼人はいつまでも微笑んでくれているから。

そして心の中で…あの陽気なマルセイユでのひとときの夏もずっと残ってゆくだろう…と。

美しいフランスの海が綺麗な幻になっても…

葉月はそこでまた息を吹き返したのだ。

 

小笠原で葉月のいつもの日々がまた始まる…。

 

フランス航空部隊編   完。

2000.10 完結


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