・・フランス航空部隊・・

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10.ニアミス

 藤波中佐室に戻ると、やっぱり康夫が席で腕組みをして待ちかまえていた。
 葉月を見るなり、デスクに手をつき、立ち上がって突っ込んでくる。

「コラッ! じゃじゃ馬! 何処に行っていたんだよッ! 長い昼飯だな!!」

 早速のお言葉に葉月はプイッとそっぽを向く。

「フランス料理って長いじゃない? せっかくだからフルコースで食べてきたの!」

 これも嘘だが、それぐらい言ってやらないと、すっぽかされて途方に暮れさせられた気が収まらない。

「外に行って来たのか!? まったく……。相変わらずやる事大胆だな」

 康夫は怒りつつも呆れ返って、力を抜き、席に座り直した。
 だが、葉月はその落ち着いた康夫をよそに、スーツケースとボストンバッグを手にして、そこを去ろうとする。

「じゃぁね」
「オイ! “じゃぁね”って何処行くんだよ!?」

 康夫が再び立ち上がる。
 今度は“心配顔”だった。

「安心して。少なくとも明日は出勤するから。今夜帰ると言っても、もう、便がないしね」
「何だ!? すっぽかされたぐらいで引き下がるのか?? おまえらしくない」

 いつもなら、余裕たっぷり……見透かし笑いの康夫なのに、ロイの申し出を断ってまで自分で始めた企画が倒れるんじゃないか、という慌て振りだった。

「逃げてるのは“彼”の方でしょ」

 葉月のしらけた眼差しと、静かな口調に、康夫がグッと黙り込んだ。

「二階にいるんでしょ?」
「は?」
「“雪江さん”よ。挨拶をしたいの。今日はそれからホテルに帰るけど、いいでしょ? “中佐”」

 一応、中隊主の康夫に“退出”の許可を得ようと、わざとらしく念を押してみる。

「あ……ああ。二階の“統括科事務局”だ。エレベーターで降りたらすぐ目に付くはずだ」

 康夫も、側の机の主が帰ってこない限り、引き留めようがないと観念したらしくスッと退いてくれた。

「じゃぁ。明日の朝ね。時差ボケ直しておく」

 葉月は“ニッコリ”手を振り、“散々だ”というような康夫を尻目に藤波中隊を後にした。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

 康夫の妻、雪江に会うために、葉月は今度こそ一人でスーツケースをゴロゴロと引いて、人目にも慣れたせいか手際よくエレベーターに乗る。
 辿り着いた二階で、周りを見渡すと、またざわめきのある一室を発見。
 ドアの上の札を見上げると、“統括科”とフランス語で記してあり、開け放しているドアをそっと覗いてみる。

 勿論、見慣れない栗毛の女性が現れて、統括科の殆どの隊員が雑務の手を止めて葉月を見る。
 “嫌な視線”と怖じ気づく前に、一人の黒髪の女性とバッチリ目が合って、お互いにすぐさま微笑み合った。

 ショートカットのその日本人女性は手元の作業もほったらかして、嬉しそうに入り口にすっ飛んできた。

「葉月ちゃん!」
「雪江さん!」

 二人は“国際派”らしくお互いに抱き合ったが、クォーターの葉月は170pに近い身長がありパイロットとして鍛えてきた均整の取れた身体で、小柄な雪江を大きく抱き止める形になってしまう。

「よく来たわね! どう? アラ……やっぱり少し痩せたかしら?」

 雪江は喜びも半分、葉月のシャープになった表情を見てため息をこぼした。

「ううん。訓練でトレーニングしているからよ。近頃パイロット兄様方にも言われるのよ。“すっかり身体が出来上がってきたな”って」

 葉月は心配させまいと笑顔を努めたというのもあるが、その言葉は本当のことだった。

「当然よね。マッハのスピードで上空について行くには、重力に耐える筋力が必要だもの。羨ましい……。ぜい肉の一つもなさそうね。モデルみたいに背が高いし……」

 雪江は、変わらず優雅なたたずまいの葉月を見上げ……自分の身体を見下ろしてため息をこぼした。

「私は……やっぱり“母様”や“雪江さん”のように“黒髪”で可愛らしい女性に憧れるわ。こんな身体だと、だぁれも女だって見てくれないし」
「よっくいうわよぉ!!」

 いつもはつらつとしている雪江に、早速パシリと胸をはたかれて、葉月は僅かによろめいたが、それが自分でも可笑しくて笑っていた。
 雪江は康夫の妻らしく、明るくていつも元気な女性なのだ。
 大きな瞳が愛らしくてそれでいてしっかり者。葉月より一つ年上の27歳。
 彼女に会うと葉月は必ず元気を分けてもらえるのだ。

「それで? 大尉はどうだったの?」

 雪江は急に不安げな様子でチラリ……と葉月を見上げてきた。

「それが……」

 葉月は気心知れた同性とあって、肩肘張り合いの康夫には見せない素直さを彼女の前に出してうつむいた。

「やっぱりね。絶対そうなるって昨夜も康夫に言っていたのよ? 私。“隼人さん”って、本当は康夫なんかより上手なの。当然よね。大尉とはいえこのフランスで十年以上働いているし、おまけに康夫よりずっと“お兄さん”だし」

 “隼人さん”と、軽々いう雪江に葉月はちょっと驚いた。
 つまり、それだけ藤波夫妻とは親しい……と、いうことになる。
 異国の地で日本人同士。当たり前と言えば、当たり前なのだが……。
 そして、雪江はあきれたため息をこぼして、さらに続けた。

「康夫はね。隼人さんが“わかった”と言って承知したからと安心していたけど。隼人さんの“わかった”は当てにならないと言ったのよ? 隼人さんはね、“自分に正直な人”なの。上に媚びない、下にも甘くない、“出世に向いていない”と、自分でわかっているのよ。だからね……」

 『なるほどー』と、葉月は雪江がつらつら語る中一人で頷いていた。
 『自分に正直』の一言でもう充分──。
 彼が、今日、葉月……つまり『中佐』に対して取った態度そのものである。
 葉月の周りに、そんな人間がどれ程いようか。
 なかなかの人じゃないかと……思った。

「残念だったわね。でもね、いくら彼でも、いつまでも逃げていられないと思うし、明日にはひょっこり顔を出すわよ。今日のことは、彼にとっては一つの“表現”と言うか……“けじめ”と言うか……」

 雪江の話に聞き入っている最中……葉月が立っているこの廊下の向こうに、人影が現れてドキリとした。
 あの分厚い本を読んでいた眼鏡の彼だったのだ。
 パイロットとしての視力には自信があり、葉月はハッとした。
 ここで再び鉢合わせては、せっかくつきとおした嘘の労力が無駄になる。
 雪江と知り合い。並んで、その夫の中佐とも通じているとは思われたくなかったのだ。

「あ! 雪江さん! 私……基地の外にある月極のホテルアパートに宿を取ったの。もうチェックインしないと!!」
「え? あ……そうね。めでたく大尉と対面したなら、今夜ウチで食事でもと思ってたんだけど……」
「気遣わないで。今夜はゆっくり時差ボケでも直すわ。じゃぁー」
「あ……葉月ちゃん?」

 葉月は慌ててスーツケースを引きずって統括科横のエレベーターの、そのまた横にある階段へと身を隠した。
 ひょい……と、覗くと──。
 眼鏡の彼が、統括科の入り口で置いて行かれて呆けている雪江に話しかけていた。

(事務の用事かしら? さっき、明日のチェックするって言っていたし……)

 今、彼は眼鏡をかけていなかったが……雪江は、彼に話しかけられるなり、ニッコリ笑って室内に戻っていった。
 間もなく──やはり雪江が彼に書類束を手渡していたので、葉月はそれを見届け、今更、エレベーターの前に姿は見せられないので、いたしかたなくスーツケースを引きずって階段を下りることにした。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

「今……雪江さん。誰かと話していた? 俺……眼鏡がなくてぼんやりだったけど。スーツケースを引きずっていたような?」

 彼の一言に、雪江はムッとして睨み付ける。

「そうね、話していたわよ。それが何か? あなたには関係ない事だと思うわよ」

 雪江のつっけんどんな言い方に、彼の表情がピタリと止まった。

「今の人……栗毛の女の子? “通訳”の仕事できているんだろ?」

 “何の事?”──と、 雪江は、葉月のことを“通訳”と、決め付けている彼の言葉に顔をしかめる。

「違うのかい?」
「いいえ。……通訳かも知れないわね。何故? 彼女が通訳で“秘書科”の子だって知っているの?」
「え? いや〜その……」

 彼が急に照れくさそうに口ごもったので、雪江はいぶかしげに首をかしげた。すると──

「“通訳”の仕事でなければ、“パイロット”かもな」

 彼が葉月が去った方を眺めて、大きなため息をついたので雪江はビックリした。

「!! 知っているの? 今のが……『御園中佐』だって!?」

 二人が出逢う接点などあるはず無いのに!? と、ばかりに雪江が一声上げると、彼は少しの間、驚いて……そして再び、今度は大きくて深いため息を足元めがけてついていた。

『やっぱりね』と、黒髪をかく彼──。

「やっぱり……て?」 

 雪江には、分からない。

「いいや。こっちの事。それより、俺さ……。今日ちょっとヤバイんだ。康夫に言っておいてくれる? 明日の朝、必ず“会う”から、今日のことは見逃してくれって。俺、このままもう帰るよ」

 彼が書類束を小脇に抱えて去ろうとしている。

「本当なの? 本気になったの??」

 雪江の驚き声に、彼が踏みとどまった。
 雪江にしてみれば、“どういう心境の変化?”と言ったところで、彼の口から“会う”という言葉が出た事が信じられなかったのだ。
 すると、今度の彼は、めんどくさそうに前髪をかき上げている。

「“うっかり”ってヤツさ」
「うっかり??」

 雪江には彼が何のことをいっているのか解らない。
 そんな中、彼がちょっと口の端を上げて微笑んだのだ。

「まぁ……明日。ちょっと面白いことになるかもね」

 “じゃぁ”と── 彼は、雪江にはニッコリ満面の笑みを向け、片手を挙げて去って行く。

「あ……! ちょっと!? “隼人さん”?」

 雪江は中途半端で、意味不明な言葉を残す彼を呼び止めたが……彼は、葉月が去っていった階段の方へと足早に行ってしまった。

(なぁに? まったく……。いつも何を考えてることやら……?)

 雪江は首をしばし傾け、元のデスクへと戻ることにした。

 逢わなくてはならない、逢えない二人が、実は既に鉢合わせているのを知っているのは“彼”─『澤村 隼人』のみだった。
 隼人は、葉月が去っていった後を追ってみる。

 階段を下りて行くと、重たそうに一人でスーツケースを引きずっている彼女を見つけた。
 上から階段の手すりの影で隼人はジッと栗毛の彼女の様子をうかがう。
 まるで、『一人でも大丈夫』と言うように、一生懸命スーツケースを引きずっている──“出逢ってしまった女の子”。

(なるほどねぇ〜)

 隼人は手すりに頬杖を付いて、葉月が見えなくなるまで一人でクスクスと、笑っていたのだった。

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