・・フランス航空部隊・・

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22.御園の娘

「本日は、機体カタパルト装着の実習を始める」

 管制塔近くの飛行機体車庫にて、今日の実習講義が始められる。
 一機の戦闘機の下で二十名ほどの生徒が隼人の声の下、整列をしていた。

 葉月は『島』で着用している、深緑の飛行服。
 紺色のキャップをかぶり、その後ろ穴から一つに束ねた髪を通していた。
 バインダーを抱えて生徒の動向をチェックする。
 五人一組でまず、一通りの手順を通してやってみる。

 その次はタイムウォッチでどれくらい早く作業運びが出来るかをチェック。

「訓練でも当たり前ですが『本番』ではより確実に速く。パイロットは、皆さんの作業を信じて空に旅立ちます。機体の整備も重要ですが、発進、離陸、着陸。すべて皆さんの判断を道しるべにパイロットは動きます。言ってみれば皆さんの方がかなりの精神力が要求されます。メンテナンスチームがいなくてはパイロットは動けません。それだけ、皆さんは重要なのです。パイロットが空を飛ぶには皆さんは不可欠。『縁の下の力持ち』で、地味な作業かも知れませんが、それだけ皆さんの仕事は重要なのです」

 もっともな葉月の言葉に生徒達も頷いていた。
 隼人の指示で、動かぬ戦闘機と学習用のカタパルト装置で作業を始める。

「出来ました!」

 五人が整列をしたら今度は、葉月が戦闘機に乗り込む。
 ハッチは開けたままエンジンだけかける。

「よろしいです。これで空に飛んでいけます」

 機体チェックに何処も異常がない事を隼人が下を確認して、葉月は操縦側のコックピットチェックをする。
 これを繰り返して、時間も計る。

「さすが、大尉の生徒ね。迅速」

 生徒達の真剣な実習を並んで見守っている隼人に、葉月はそう言ってみた。

「残念。実は彼等、訓練校の成績は『中の上』クラス。つまり良くもなく悪くもなくの奴らなんだ。トップクラスでは、もっとレベルが高い中隊に振り分けられる。勿論、そんなレベルの者はここではない上を目指して、中佐みたいにフロリダに特校に行った者もいるしね」

 隼人は、葉月の評価は買いかぶりだとばかりに、納得していないように微笑んだ。

(なるほど。そういう点から言われてしまえば、確かに)

 葉月は溜め息をつく。
 迅速さは評価できるが、確かにまだ手元はおぼつかない気がした。
 でも、それは、実際にパイロットを空に送り出すようになれば慣れてくる事と思って、褒めたのは本心。
 だけれど、隼人としては『若い教官』だから、この程度の生徒を廻されたと思っているのかは分からないが、だからこそ? いつも、厳しいことを彼等に要求はしているのかもしれない。
 それが、あの『航空学書』を、取り入れた授業だったり。とにかく彼等をフランス基地の中でも、恥ずかしくない一人前にしてやろうという気迫を、この頃感じずにいられなかった。

 もちろん葉月もそれは願って指導をしている。
 彼等も自分のランクは解っているのか、それなりに真剣なのも伝わって来る。
 だから、余計に後押しをしてやりたくなるというもの。

 そんな気持ちも芽生え始めてきたこの頃だった──。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

「では、本日もこれまで」

 終業時間がやってきて隼人の号令で解散となった。
 ところが、ここのところ妙な『お決まり』が出来上がって、生徒達が車庫の隅から大きなマットを運んでくる。

「中佐! 今日もお願いします!」
「今日は、背負い投げ、お願いしますよ!」

 生徒達はそう言って帰ろうとせずに、葉月を『武道稽古』で引き留める。

 『またぁ?』と、葉月は疲れたため息をこぼしつつも、その次には微笑んで生徒達の所に行ってしまう。
 何かあってはいけないので、隼人も帰るに帰れずに彼女と生徒のふれあいを見守るのだ。

 今はこうして見守っているが。
 初めて、生徒達が申し込んだときは──『何考えているんだ! 中佐は女性だぞ! 習いたいならそういうカリキュラムで習え!』──と、叱ったのだが……。『いいのよ。私も空を飛んでいないから、身体がなまっているの』と、いやに余裕の微笑みを浮かべて生徒達の申し込みを受け入れてしまったのだ。

(冗談じゃない!!)

 その時、隼人はそう思った。
 いくら中佐という権力があっても、相手は彼女より体格がいい血気盛んな若者だ。
 ちょっとした弾みで組み伏せられて、自分の生徒を疑いたくはないが、変な男心を触発され、『暴走』されても困るのだ。
 生徒達は、葉月が難なく応対してくれて半分面白がっていたから余計にだった。
 隼人は、ハラハラして生徒と彼女のやりとりを見張っていたのだが──。

『あれ?』

 最初に手ほどきを受けた生徒が、マットの上でキョトンと寝そべっていた。
 『お嬢さんの護身術』程度に思っていたのだろう生徒達がシンと静まりかえった。
 その時、隼人も驚いて、目をこすってしまった程、信じられない光景を見ていたのだ。

『ビックリした? もう一度来てみる?』

 襟元を掴まれた途端に、難無くマットに沈められたのだ。
 キョトンとしていた生徒は『油断した』とばかりに頭を押さえて、今度は構わず葉月の首元に手を掛けて、本気の顔になった。
 それに気が付いた隼人は、流石の葉月も力では敵わぬだろうと、生徒を止める為に『こらっ』と叫ぼうとした。しかし──同じ光景が繰り返された。葉月がどうあっても難無く、大外刈りやなにやらで倒してしまうのだ。

『お前はおしまい! 今度は俺!!』

 生徒達がムキになり始めていた。
 『俺はそうはいかない。俺なら倒してみせる!』──そんな気迫がみなぎっていた。
 だが、誰がどんなに気迫充分に突っ込んでいっても、青年達よりも細い身体の葉月は、流れるような動作で彼等の動きを止め、軽々と腕をねじ上げ、マットに沈めてしまう。
 ある時は、相手の攻撃具合で大胆にも一本背おい投げで跳ね飛ばす。
 それが決まったときはさすがの生徒達も拍手喝采。
 またまた。逆に葉月に飲み込まれていたのだ。
 康夫の言葉をまた、隼人は思い出していた。──『いつの間にか飲み込まれる。軍人の時は弟』。確かに……!
 こうして『私には変な気を起こしても、敵いっこないのよ』とばかりに、彼女がそれとなく『護身の巧みさ』をアピールをして『男』を威嚇しているのだと解ったのだ。

 それに、生徒達を次々と投げ飛ばす彼女は『お嬢さん』には見えなかった。
 『じゃじゃ馬』に見えるし──。
 髪を一つに束ねているのが『牛若丸』のようで『若様』にも見えてくる。
 生徒達をいつも巻き込んでしまうところは『台風』とも言えるかも知れない。

(ウ〜ン。台風に弟か。なるほど)

 隼人は、苦笑いをしてその様子を見守っていたのだ。
 それからだ。実習講義で車庫に出てきた時は、生徒の方が葉月を帰さない。
 彼女とやりたい。から『俺もその技、習いたい』に変わってきていたのだ。
 こうして隼人は康夫の言葉を一つ一つ認めざる得ない驚きの日々を送っていた。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

「お疲れ。悪いね。相手させて……」

 生徒達に解放されて戻ってきた葉月に、隼人も労いの言葉を掛ける。

「いいの。これぐらいしていないと、先輩達に鈍ったと言われてしまうから」

 キャップをかぶり直し汗を拭う彼女は、何故か清々しい顔をしている。

「身体動かしている方がいいみたいだね」
「なんにも考えなくていいから」

 その時、彼女が少しだけやるせなさそうに微笑み、帽子の影に瞳を隠したようにも見えた。

「親父さんが? あんなに仕込んだの?」
「ええ。女は自分で身を守るものだって」
「厳しいね。守ってくれる男を探せ。とは、言わないんだ?」

 すると、彼女がまた再び表情を陰らせたようにも見えた。

「その男はどれだけ信用できるの?」
「え?」
「女にとって男が一番危ないと思わない?」

 彼女の顔はもう和やかではなく、冷たい令嬢のいつもの顔になっていた。
 隼人はドキリとした。なんだか今まで以上に冷たい表情に見えたのだ。
 『私も男嫌い』──先日の彼女の言葉が隼人の脳裏を過ぎ去り、『そうかもしれないけど』としか言えなかった。

「軍人になった以上、より必要だって父に言われたの」

 今度は割り切っているいつもの笑顔。それだけで隼人は何故かホッとした。

「あの……聞いてもいいかい? お姉さんは結婚して?」

 末娘の葉月まで軍に携わってる程の軍人一家。亡くなったという姉は軍人になろうと思わなかったのだろうか? と、何気なく尋ねたつもりだった。
 それに彼女姉は、亡くなる前に男の子を産み落としている……。だとしたら、結婚とかしていたのだろうが、この前聞いた話では、かなり若い年だったではないか?
 彼女がそこでまた硬い表情に変わってしまったが、静かに答えてくれる。

「そう。未婚で産んだの。二十歳だったから、思わぬ妊娠だったみたい。姉も軍人だったの。海陸教官だった……」

(陸部だったのか!?)

 パイロットも大変だが身体全体を使う陸の方が女としてはより大変じゃないかと、隼人は驚いた。

「私の目標だったわ」
(だった?)

 彼女がそこは懐かしそうに微笑んでうつむいた。

「姉は。神奈川の訓練校とフロリダ特校を出るまでの間に2ステップの進級をして。卒業で大尉。教官。私はパイロットの道を選んだので教官にはならずにチームにはいることにしたの。私なんかより勇ましくてとっても強い姉だったわ。私は、姉が死んだ年齢も超えて、中佐になれた。でも……超えはしたけど、姉の信念は今でもお手本」

 『なんだか。姉さんの方が強い女っぽいなあ』と、隼人はつい、苦笑い。

「姉は──。男性のように勇ましい女性だったけど、優しい頼りがいあるお姉ちゃまだったの。両親が外国を飛び回っている間も、叔父のいる鎌倉に預けられていたのだけど、歳が離れている妹の私を守ってくれて、学校に行くとき髪結いをしてくれたり、自分が女らしくできないからって、私には可愛い服を着せてくれて、髪は大切にって……」

 その時の葉月の目……。
 彼女の眼差しが見たこともない暖かみに満ちていき、隼人は『意外』とつい見入ってしまった。

「それで? 髪を伸ばしているんだ?」
「え? ああ、そうね。そうかも知れないわ。訓練生の時は短かったの。男の子によく間違われたわ。でも、卒業したら伸ばそうって。ただそれだけ……」

 葉月が一つに束ねている髪を肩越しに寄せてきたそっと撫でた。
 艶やかで、しなやかで、柔らかそうな栗毛。
 いかに彼女が大切に手入れをしているかが分かる。

 そうしてきらめく栗毛を慈しんでいる葉月が、姉でも思い出すかのように微笑んでいる笑顔が優しかったので……。
 ……隼人はなんだか胸がときめいてしまった。
 そんな思わぬ感触が自分で認めがたいがために、そこはついつい、いつもの『あまのじゃく』が──。

「へぇ。お嬢さんでもそんな女心があるんだ」

 自分でも気の利かないヤツと、この時ばかりは隼人は思った。
 せっかく彼女が優しい顔を見せてくれたのに。
 当然。彼女はムッとしていたが。こちらも『じゃじゃ馬』。

「軍人としては光栄なお言葉ね。有り難く受け取っておくわ」

 また微笑みは不敵になり、隼人に負けじと向かって来た。
 それでも、隼人にとっては『女』として気を遣わなくていいのも、既に彼女との付き合い易さの一つ。
 ここで、すねられっぱなしでは『女って扱いにくい』と冷たくあしらっているところだ。
 その点、彼女はなんのその。

(なるほど。弟ね)

 隼人は、益々康夫の言葉を認めてしまった。
 それでも身体は女性なので、康夫の言う通り最低限の気は遣っている。

(妹かな?)

 隼人はそう思うことにした。
 それでも。時々彼女が妙に『探られる』のを避けているようにも思えた。
 誰もが聞いて当たり前の質問をすると急に緊張感を漂わすのだ。
 簡素な返事は返してくれるが、多くは語らなかった。
 その後、しばらくガードが堅くなる。
 隼人は、彼女の『お嬢様』という以上の警戒を感じていた。

 御園の娘として彼女は今まで、何を感じてきたのだろう?
 いつもなら、他人事なのだが少し気になり始めていたのだ。

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