* ラブリーラッシュ♪ * 

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23.愛の突撃もお任せあれ

 

 真夜中と言えども、基地はそれなりに稼働している。
 明るい警備口をチェックインする。
 夜中もお構いなしに基地にやってくることもある為、警備員達もマイクがこの時間にやってきても、それほど驚きはしない。

 だが、今夜のマイクは気が競っている。
 いつも無駄な動きをしないために、それに適した場所にきちっと車を停めるのに、今夜は適当なところに置いてしまう。
 それがどんなに無駄な動きだろうと、とにかく、入り口が見えたからすぐにそこに向かいたいという焦りから、そこが見えた時点で車を降りたくなっただけの事で……。つまりそれだけ気が競っている。

 一直線に向かった秘書室ではロビンが一人で番をしているところだった。
 しかしマイクはロビンと目が合うなり、直ぐさま彼のデスクに詰め寄った。

「ロビン。他に何かメールは来てなかったか? 例えば、隼人君からとか、レイの大佐室からとか……!」

 来るなり、まくし立てられ、ロビンもたじろいでいる。そんなマイクの唐突な質問に直ぐには言葉にならなかったようだが、その代わりに小さく首を振って教えてくれた。
 今知っている情報はそれ以外は秘書室に来ても判らないと知り、マイクは彼のデスクに手をついてがっくりと項垂れる。

「届いたメールがこれです。詳細が記されていないので、もしかすると、たいしたことはないのかと……」

 デスクにあるノートパソコンの画面を、ロビンが見せてくれ、マイクも確認する。
 業務に差し支えがでたということ、その理由はブラウン大尉に『ドクターストップが出たから』という簡略的な報告だった。
 マイクがジャッジ中佐として判断するなら、この報告では『不合格』だ!

 なにもかもが居ても立ってもいられないマイクは、『こんな報告納得できないぞ!』とロビンに飛びかかってしまう。

「たいしたことがなくても! きちんとした理由を記すべきだろう? そう、思わないか。ロビン!」
「そ、そうですね。私もそう思いましたよ……!」

 まだマイクの勢いに押されっぱなしのロビンは、同意の頷きをぶんぶんしてくれるだけ。
 そのロビンが、このようならしくないマイクから逃れる為か、次なる提案をしてくれた。

「あの、あの、マリアの携帯電話に個人的な連絡をしてみましたか?」

 マイクはハッとして、制服のポケットを叩きまくる。いつも入れているはずのポケットを先に叩けばいいのに、それすらも……。
 しかし、思わぬ事に気が付いた。

「わ、忘れた」
「え……。中佐?」

 いつだって忘れることなく必需品として身につけているのに、『忘れた』!
 先ほど、ロビンから連絡を受けて切ってしまった後、テーブルに置いて、そのまま……。その周りにあった書類などはしっかりアタッシュケースに詰めてきたというのに?

 こ、こんなこと初めてだ。

 ついに身体中の力が抜けてしまい、ロビンの隣の席にある椅子にマイクはがっくりと座り込んだ。

 な、なんてことだろう!?
 このジャッジ中佐がこの慌てよう。
 昼間でなくて良かった? この有様は他の部下には絶対に見せられない!

「……ロビン。おかしいな、俺」

 机に突っ伏したまま、マイクは小さく呻った。

「いえ。彼女の事になると、中佐は『ちょっとだけ』中佐らしくなくなるだけです。それだけですよ」
「──『ちょっと』か? 毎度、かなりだよ。あの彼女には、ほんっとう、やられる」
「……ですね。ほんっとう、ここにいなくても、彼女はやってくれますねえー」

 ロビンが笑い出す。
 数年前、葉月の帰省をきっかけに、マリアは秘書室とは徐々に親密になり、今ではプライベートでも親しくしている。
 勤務中は決してこの秘書室に業務以外のコンタクトは取らないと言う、中将の娘としても秘書室と親しい間柄であることも考慮しているマリアは、そこはかなり徹底させていてマイクも感心していた。
 それでも──。彼女がなにかの予定で暫く姿を見せなかったりすると、必ず誰かが、『最近、マリア嬢を見ませんね』と言いだし、そして必ず誰かが『静かだな』、『なんか足りないな』と言うようになった。
 マイクもそこは決して口に出来る立場ではなかった為、自分から言う事はなかったが、後輩に部下達がそう言ってくれると、ひっそりと微笑み同感。
 それほどに、マリアは秘書室を明るく賑やかに彩っていてくれたのだ。

 だから、マイクもやっと笑っている。

「そうだ。緊急を要するなら、隼人君も直ぐに連絡をしてくれているはずだよな」
「では、先ずはそちらに連絡をしてみますね」

 ロビンが再び席に着く。
 彼は電話の受話器を手に取り、小笠原基地へとコンタクトを取ってくれる。
 小笠原基地の、六中隊の、そして工学科科長室。そこまで繋がるのに、少し時間がかかる。

「ジャッジ中佐。御園中佐です」

 いつもの落ち着いている補佐官の顔で、ロビンが受話器を差し出した。
 運良く、隼人が科長室にいたらしく、直ぐに声が聞けると分かったマイクは、受話器を手にするなり隼人にすかさず尋ねた。

「お疲れさま。マリアからのメールを先ほど、確認したのだけれど……。ドクターストップがかかるだなんていったい……」

 どのような症状なのかと尋ねようとしたら、その前に隼人が『あ〜、マリアの〜』と妙に疲れた声で返答してきたので眉をひそめるマイク。

「彼女、倒れたとか、寝込んでいるとか」
『あの、マイク兄さんのところに、マリアからの連絡はまだですか?』
「来ていない。マリアからの連絡がこないから、君に聞いている。フロリダ側としても、そこの詳細をぼかされただけの連絡メールを送信されても困る。彼女にもそう注意したいところだ!」

 業務的にもっともなところであるのだから、マイクはそこを大いに突っ込んでみた。
 そうすれば、隼人がきちんとした詳細を教えてくれると思ったからだ。彼ならそこは分かってくれると。
 しかし返ってきた反応は、いつもの彼らしくないもの。彼は受話器の向こうで少し呆れた溜息をこぼしたかと思ったら、今度は小さく笑っている。

『あの、俺からは言えません』

 『はあ? どうしてだ!』と、マイクは叫びたいところを何とか堪え、もう一度、隼人に尋ねた。

「何故、隼人君から言えないのかな? 君はマリアを……いやブラウン大尉を直接受け入れているところの、上官じゃないか。預かっている隊員の──」
『申し訳ありません。わたくしからはどうにも──。四中隊の大佐室に内線を回しますね』

 業務的に問いつめれば、隼人も解ってくれるかと思ったのだが、そう詰め寄ろうとした瞬間に、隼人からぷっつりと通信を遮断されてしまった!
 内線を繋いでいる間のメロディが流れはじめ、マイクは唖然として受話器を見てしまった。

「中佐──。判りましたか?」
「判るもなにも! あの隼人君が逃げた」

 『確かにそれはおかしいですね』と、ロビンも流石に怪訝そうだった。
 そうしている間に、お待ちかねの大佐室に内線が繋がった。

『第四中隊大佐室の御園です』

 業務的に出てきた葉月の声を聞いて、マイクはなおさら苛立ちが募り、しかしそこを抑えに抑え彼女に向かう。

「ハロー、レイ。フロリダのお兄さんだけれど。マリアの事を聞きたいのだけれどね」

 わざと個人的な連絡の如くマイクは切り出してみた。

『うん、隼人さんから聞いたわ』

 おお、今度は話が早そうだとマイクは明るい兆しを見た気がしたのだが……。

『でも、私も同じ。私からも言えないわ』
「レイ! どういうことなんだ!」
『言えない事は言えない。それにマリアはちゃんと安静にして元気にしているから。もう少ししたら彼女から連絡があると思うわ。それまで待っていてくれない?』
「待てないと言っているんだ! ドクターストップだなんて、余程の事だろう!!」
『うん、余程の事よ。それに半分はマイクのせいなんだから、ちょっとは落ち着いて待っていてよ。ジャッジ中佐ならそれぐらい出来るでしょう?』
「ドクターストップで、落ち着け? 俺のせい? どういうことなんだよ。言っている意味が分からない。レイこそ、君らしくないじゃないか! ドクターストップがかかっていて安静にしているのに、大丈夫とは……」

 今度は妹分だから言いたい事は遠慮なく言い放っていると、やがて葉月も呆れた溜息のようなものをこちらはあからさまにこぼした。

『とにかく。私が言いたい事は、マリアは大丈夫だから連絡を待て。そして私からは絶対に言えないってこと。じゃあね!』

 がちゃりと、こちらも容赦なく電話を切ってしまった。
 今度は完全な通信遮断。マイクはまたまた呆気にとられ受話器を眺めたが、プープーと鳴っているだけになってしまった。

「中佐……。大佐嬢にも切られちゃったのですか?」

 あの大佐嬢相手では仕方がないとでも言いたそうな、ロビンの気の毒そうな顔。
 大佐嬢とマリアのタッグは、『レイマリア』とでも命名したくなるような大型ハリケーン並と秘書室でも認定されている。遭遇したら、それはもう諦めるしかないとも言われ……。マイクは静かに受話器を戻し、またがっくりと椅子に崩れた。

「どういうことなんだ」

 何故、誰も教えてくれない?
 ドクターストップがかかっているのに、どうしてあれほど彼等は落ち着いてマイクをあしらってしまうのか?
 もしや、またマリアが何かを企んでいて、葉月と隼人を巻き込んだマイクを避ける作戦でも実行中なのか?

 いや、そんなことあるはずない。
 一ヶ月前、彼女と気持ちを確かめ合ってちゃんと送り出し、そして彼女も納得できた笑顔で旅立っていったのだ。

 それとも? もしや、この一ヶ月の離れている間に、なにかの心変わりが?

 悶々とマイクは考え込んでしまっていた。

「どうも、マリアの連絡を待つしかないようですね……。本当に大変な事なら、御園ご夫妻はきちんと説明するでしょうし、どうしても言えない事でも、マリアの事も大事にサポートし、体調が悪いならきちんと看病をしてくださるはずですから」

 今日落ち着いているのは、後輩のロビン。
 そんな彼になだめられ、マイクも少し深呼吸をしてみる。

「そ、そうだ。今度こそ、マリアと連絡を取ってみよう」

 番号を登録している携帯電話を置き忘れてしまったので、マイクはアタッシュケースからシステム手帳を取りだして番号を探した。
 受話器を手にして、今度こそ! と、意気込んでプッシュボタンを押そうとした時だった。

「やはり、ここだったかね」

 急に秘書室のドアが開き、そこから軍服姿のリチャードが現れたのだ。
 部下であるマイクもロビンも驚いて、条件反射というのだろうか……? 手にしているもの、今現在面と向かっているものを放って、上官に向けてビシッと起立し敬礼をしてしまう。

「ブラウン中将、如何されましたか。こちらへ来られるような御用なら、私共にお迎えのご連絡をくださりませんと──」
「マイクの携帯電話にかけても、留守電になるのでね。おかしいなと──。自分の車で来てしまったよ」

 上官からの連絡が入った携帯電話を持っていないのはどういうことか。つまり、必ず持っていなくてはいけない必需品を、『うっかり』置き忘れた。──この、中将秘書室を守る長である中佐が、そんな失態! それをボスである中将に知られたと判って、マイクは血の気が引いた。いや、ボスに怒られるよりも、こんな失態をしたことがない自分の首を自分で絞めてこれでもかってくらいに戒めたい気分だった。

「も、申し訳ありません。将軍。あの、その……」

 こうして側近として口ごもるマイクも、リチャードは初めて見た事だろう。
 いつだってきちんとした返答をする部下の当惑している姿が目に余ったのか、リチャードが渋い顔になってしまった。
 しかし次のリチャードは、瞬く間に申し訳ない顔になり、マイクに詫びてきた。

「すまない。また私の娘が君を困らせているのだね」
「──あの、もしや、お父様の方に連絡が?」
「ああ、先ほどね。マイクの携帯電話にかけても自宅にかけても出てくれないから、いつものようにコンタクトがとれない仕事に出かけているのかという確認する連絡が実家にあり、マドレーヌがその電話を取ったんだよ」
「あの、彼女は……!」

 マリアが自分に連絡をしてくれた──。それを知っただけで、中佐として携帯電話を置き忘れてしまった失態も、今までにないほどに自分が慌てている事も、もうなにもかもが吹っ飛んだマイクは、ボスではない、恋人の父親としてリチャードに答を迫った。

「いや、それが……」

 こちらも困った顔のパパになる。

「彼女にドクターストップが出て、フロリダに帰ってきたいというメールが届いたのですよ。彼女に何が起きたか、小笠原のレイも隼人君も教えてくれなくて……」
「わかったから、マイク。落ち着いて」
「お父さん! お嬢様が遠い日本で倒れたのですよ!! しかもドクターストップが出て、代行する隊員を要請しているほどの体調だという報告が届いたのですよ!?」
「ああ、マリアから聞いたよ」
「だったら! それがなんなのか教えてください! そして、そして……」

 その先をボスであるリチャードに言うのは躊躇いが生じた、一瞬……。しかしマイクはついにリチャードに叫んでしまう。

「俺を、迎えに行かせてください。彼女を俺が連れて帰ってきますから。お願いします、中将!」

 マイクは深々と頭を下げた。
 ──二度目だ。この前は出張に出かける彼女にどうしても会っておきたいとこのボスに頭を下げた。今までそんなことなどした事がない主席側近が頭を下げたから、ボスであるリチャードは許してくれた。しかし今度は二度目。前回の願いが一生に一度の……という勢いで頭を下げたのに、また、恋人の事でこのような私情を挟んだ申し出をしている。
 目の前のボスが、父親としてならば恋人である娘を案じる男として少しは認めてくれるかもしれないが、将軍といつだって一体であるはずの側近という関係では、もう……『ボス将軍よりも、恋人を取るのか』と見限られる可能性も大いにあるところだ。
 そして、リチャードはやはり深々とした溜息をこぼし、冷めた目でマイクを見ていた。

「本当に、うちの娘はどうしようもない。しかしだからとて、マイクがそこまでになってしまうのも遺憾だね。出来るならば、どのようなことでもシビアに流せる男であって欲しかったと残念で堪らないところだね」

 『ごもっともです。本当にごもっとも』と、マイクは何度も頭を下げた。
 そこは解っている。解った上で頭を下げている。ここで見限られても仕方がない。でも、彼女は……同居人の彼女は二度と逃がしたくない大切な女性。今までのように仕事を優先にして、たまに自分に余裕がある時だけ振り返るような、そんな勝手な恋愛を繰り返してきたマイクがもうこれ以上無くしたくはない存在。そして彼女のように予想外に驚かせてくれたり喜ばせてくれる意外性な素質を持つ女性なんて、滅多にいるものじゃない。そんな女性は彼女、マリアだけだ。そんな彼女の傍らにいられる日々にどうしようもない喜びや楽しみを見つけてしまったのだから、否定しようがない。

 それならば、失うべきは……!

「主席を外れても構いません。行かせてください」

 これで最後。これで許してもらえねば、もう……これ以上は……。
 覚悟を決めた。
 しかしその時。頭を下げているマイクの目の前に、銀色の携帯電話が……。

『パパ? マイクと連絡取れたの? 彼をどこに仕事に行かせているの? ねえパパ、 教えてよ! 今度はいつものような待っていられる連絡じゃないのっ。マイクに一番に教えなくちゃいけないうんと大切な大切な大切なことなの! マイクに報せたら、ちゃんとパパにも報告するから……!』

 携帯電話からはそんな女性の叫び声が響いてきた。
 マリアの声だ! マイクがハッとし頭を上げると、リチャードが自分の携帯電話を既に通話中の状態で差し出していた。

「娘は先ずマイクに報告をしなければ、父親である私にも、ドクターストップの訳は話せないと言っている。娘の強情さ、言い出したら聞かないのは私が良く知っている。だからマドレーヌにもねえ、直ぐに秘書室に行ってマイクを探してこいとどやされてねえ……」

 私も女性にお尻を叩かれて、ここにやってきたんだと、ちょっと照れくさい顔でリチャードが教えてくれた。
 つまり、マリアも急いでマイクを探しているという事らしい。なのに、マイクは携帯電話を忘れ、そして自宅を飛び出してしまった。だから連絡が取れずに、彼女も慌てているようだった。

『パパ!! 聞いているの!?』

 父親に叫んでいる彼女の声は、いつも通りに賑やかしく元気だった。
 どこがドクターストップ? マイクは唖然としそうになる。
 葉月が言っていたとおりに、大丈夫そうだ。そしてほっと一安心。マイクはやっとボスの携帯電話を手にしていた。

「マリア。俺なら、ここにいる」
『マ、マイク──! そこどこなの!? また大変な仕事に籠もっているなら、直ぐに電話を切るから、少しだけ話を聞いて!』

 いつだって『貴方は基地一番の秘書官のままでいて欲しいの』と、何日放っておいてもそう言ってくれたマリア。今まで秘書官として突き進んできたマイクの誇りを大事にしてくれる彼女の、そんな気遣いがまた身に染みる。
 でも『今はそんな仕事の最中ではない。ただ単に、君のドクターストップの報告を聞きつけ慌てて家を飛び出してしまい、携帯電話を置き忘れてしまっただけ。そんな失態。きっと君も信じてくれないだろうね』と、マイクはそれを彼女に教えてやろうと口を開いたのだが。マイクが重要な仕事の最中と思い込んでいるマリアは『直ぐに終わる話』だと、先へ先へとマイクの反応も待たずに話し始めた。

『良く聞いて、マイク』
「マリー。慌てなくていいよ。俺は今……」
『私のドクターストップは、病気じゃないのよ。だから心配しないで、直ぐに帰る手続き、葉月が取ってくれているから、安心して待っていて!』

 いつもの如く、喋りだしたら彼女の方が勢いは圧倒している。
 弾丸が飛び出す如く彼女がバンバン喋りだしたら、その弾が撃ち終わるまで待つ。それが彼女と接している時のマイクの信条のひとつ。しかしそこで『病気じゃない』という一言にマイクはひっかかりを感じ、その撃たれ続ける弾の中をかき分けてでもそこを問いただそうとしたのだが、やはり彼女の方が次なる弾を撃ち放った。しかもかなり強烈な弾丸を、一発。

『私の中に、貴方の子がいたの』

 その強烈な弾丸が、見事にマイクの心臓にどっくんと命中した。
 一瞬、マイクは目が点になった。
 胸に打ち込まれた弾丸が、ロボットのような平坦な口調で何かを喋った。
 ──ワタシノナカニ、アナタノコガイタ──
 マイクも復唱してみたのだが……。

 マイクは携帯電話を耳に当てたまま、そこにいるリチャードとロビンを交互に見てしまった。

「どうした、マイク。マリアはなんと、どのような体調だと?」

 心配する父親の顔になっているリチャード。

「中佐、マリアは大丈夫なんですよね? 中佐が迎えに行かなくても大丈夫なんですよね? 元気な声、俺も聞こえましたよ」

 マイクが男として飛び出すのは止められないが、でも、ここで主席辞退という出来事に発展して欲しくないと必死になっているロビンの懸命な顔。

 そしてマリアも叫びすぎたのか、息切れて疲れ始めている声も聞こえてきた。

『マイク……。覚えているわよね? あの時しかないもの』

 覚えている。あの時の……。

 彼女のその呼びかけに、マイクも心の奥底でふと気に留めていた一夜を直ぐさま思い出す。
 自分から仕掛けた。彼女の中を素で愛してみたい、愛したい、今夜だからこそ──。そう意を決した自分を思い返す。いつも男女間の決定的な場面に遭遇すると愛しい金色の彼女はマイクを突き飛ばして逃げていく。初めての一夜の時も翌朝逃げられた。恋人になろうという申し出もするりと逃げられ、そして恋人として初めて田舎の両親に紹介したいという申し出も逃げられ、プロポーズも逃げられた。だから、ベッドの上、男と女の決定的な結びつきを欲したことにも、彼女に突き飛ばされる覚悟をした。でも、どうしてもどうしてもそうしたかった。あの晩だけは……彼女を心から欲した。だから……。
 そうしたら、思いの外、彼女とピッタリと息も波長もあって最後まで愛し合っていた。
 翌朝の、彼女の煌めく笑顔をマイクはあれから毎日思い返している程。そしてその度に『もしかするかも、しないかも』とは一瞬思うのだが、日々の忙しさに紛れ、彼女の心を捕まえる事に没頭し、そんなことを気にするのは二の次になっていた。
 でも、どこかでずっとそれが引っかかっていた事は事実であり、さらには逆に『俺にそんな現実は起こるのだろうか?』と実感が持てなかったり、『受け入れてくれたのは、無難な時期だったのだろう』とも思っていたのだ。

 なのに。ワタシノナカニ、アナタノコガイタ!
 つまり、マリアは? あの夜、その可能性があるにもかかわらず、マイクを真っ正面から受け入れてくれていたのだと? そう思うと素直に喜びを感じた。
 あの一夜はそれほどに、自分と彼女が身も心も深く結ばれたのは間違いなかったのだと!
 マイクも思っている。『俺だって忘れるものか。俺にとっても忘れられない一夜だった』。だから、それを彼女にきちんと伝える。

「ああ、俺も良く覚えているよ。マリー」
『私も、忘れないわ。貴方をとても近くに感じた一夜だったもの──。マイク、愛している。そう強く感じたの』

 マリアが、今まで以上に懸命に自分の中ある気持ちを伝えてくれているような気がした。

『妊娠している、貴方の子を。私も実感が直ぐには湧かなかったけれど、今やっと実感が湧いているところなの。実感が湧いて思ったの。私、もう、迷わない』

 フロリダでは男と女の間に起きる決定的な事を避けてきた離婚歴のあるマリアが、本当に、今までマイクになかなか伝えてくれなかった事を伝えてくれている。それだけで、マイクは今まで、彼女のペースに合わせてじれったい日々を送ってきた苦労が報われた気がした。

「マリア、俺も……」

 色々なことが自分に襲ってきたせいか、上手く言葉が返せなかった。
 しかし、そんなふうにまだのんびりとして実感が湧かないマイクの様子などお構いなしのマリアが、ついにとどめを刺すようなことを言った。

『私、貴方と結婚するわ。貴方の子のママになる』

 彼女に的確に急所を捉えられ、心臓に撃ちこまれていた弾が……貫通した。
 マイクはふと微笑みながら、またそこにある椅子に力無く座り込むと撃ち取られ倒れるが如く肩をがくりと落とした。
 がっくりと力が抜けたのは、この自分に子供が出来た驚きからとか、プロポーズを断ったはずの彼女から、急にOKの返事をもらえた驚きからではなかった。
 本当に彼女はなんて素晴らしい『突撃女』であることか。『降参』だ。この彼女に俺は撃ち取られたんだ。きっともうこれからもずっと、彼女に勝つ事は出来ないだろう──。そんな今までのなにもかもが彼女のお陰で変わってしまいそうな、それでもそれに従わざる得ないような、そんな降参だ。

「参ったな。降参だよ、マリー」
『え?』
「いや。有難うと感謝しているんだ。俺にも、こんなことが起きるんだなと……」
『一緒よ! 私だってびっくりしちゃったんだから! とにかく、そういうことだから心配しないでね。数日後には帰るから、その時にゆっくり話しましょう!』

 またお構いなしに自分のペースで矢継ぎ早に言葉を繰り出すマリアが、また最後にばしっと言い放った。

『じゃあ、仕事中にごめんなさい!!』

 おっと、待て!
 そう言いかけたと同時に、ぷっつりという音。

 ハッと気が付いた時には、こちらの彼女も躊躇いもなく電話を切ってしまっていた!

「マ、マリー? マリア!?」

 同じだ。葉月と同じだった。──もう、本当に『この子達』はどうしてくれようか! マイクはそこに現れた栗毛の女の子二名の幻想に飛びかかれるものなら飛びかかってフォールしたくなる思いで、項垂れた。
 またマイクは発信音しかしない携帯電話を眺めるだけになってしまった。

「マイク。娘はなんと言っているのかね? 私にも替わってくれないかね」

 すっかり娘を心配しているリチャードのその声に気が付いて、マイクはギクリとした。

 ええっと? パパへ報告しなくて良かったのかい? マリア??

 言うだけ言って、切ってしまうだなんて。
 こちらに撃沈の一発を放つだけ放って、切ってしまうだなんて。
 彼女の逆プロポーズの突撃に、もう喜ぶ間も与えてくれないほどにあっけなく切ってしまうだなんて。
 そして彼に大事な報告をしたら、パパにも報告すると言って、パパを秘書室まで引っ張り出しておいて切ってしまうだなんて?

「き、切れました」
「な、なんだって?」

 茫然とパパの携帯電話を力無く差し出すと、リチャードも娘のいつもの勝手気ままなやり方についにおかんむりになったようで、マイクの手から荒っぽく携帯電話を取り去っていった。
 こちらのパパも、いつもは大人しいぐらいに静かな人なのに、今夜はそうもいかないらしい。

「まったく! あの娘は……!」

 パパはまた娘に連絡をしようとしていたのだが。
 そんなパパに、マイクはぽつんと呟いてみた。

「あの、彼女は病気ではありませんでした。つまり……中将は、もうすぐお祖父ちゃんになるんだそうです。その……そういう体調だという報告、でした」
「お祖父ちゃん?」

 側にいるロビンはピンと来たようで、彼は直ぐさま喜びの笑顔を見せてくれた。

「そうです。えっと、私がパパで、中将がグランパということになりましょうか。彼女に出たドクターストップは、つまりは、それが判明したからだそうで……」
「パパ、グランパ……」
「ええ。そして奥様のマドレーヌママが、今度はグランマということに」
「パパ、グランパ、グランマ!!」

 ついにリチャードの脳にも『正しい回答』が到達したようだ。

「つ、つ、つまり? うちの子が、その『子供』を……ということかね?」
「はい。そうでございます、中将」

 マイクは将来のパパについ敬礼。
 やはりリチャードも頭が真っ白になったか硬直してしまったようだ。
 やがてパパの肩がふるふると震え始め、リチャードが最後に叫んだ。

 まったくお騒がせ娘め!

 でも今回のお騒がせは、本当に葉月が言うとおり、マイクも半分荷担している。
 やや取り乱したパパを目の前に、マイクはなんだか面目ない思い。

 彼女のドクターストップが、病気ではないと判り、父親のリチャードもほっとした顔に戻った。

「それなら、葉月に任せていればマリアも安心だろうし、無事に帰るように手厚く送り出してくれるだろう」

 そう安堵したリチャードは早速、マリアの母親マドレーヌにも安心するようにという連絡をしていた。
 マイクもそう思う。あちらの御園ファミリーが側にいれば間違いはない。待っていれば、彼女はもうすぐ帰ってくる。しかも、予定より早く──。

 しかし、マイクの心は決まっていた。

 『待っていられない。やはりマリーを迎えに行こう!』

 

 

 

Update/2008.3.4
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