-- 蒼い月の秘密 --

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3.絶対彼女

 

 白い飛行服姿のパイロット達、そしてメンテナンサー達。
 そこだけ甲板が白く染められている。

 だが、雨よけのテントの下には紺色の指揮官服を着ている上官達が並んでいた。
 どっしりと重厚な管理機器を前にして、その機材のチェックをしている訓練官、そして――。『彼女』がそこの中心にいる。初めて彼女を目にした時のように幾人もの男達に囲まれ、そのど真ん中でどん構えて立っている。彼女の隣には当然とばかりにあのラングラー中佐が側に寄り添っている。そして彼女の両脇には、あの銀髪のミラー大佐が、そしてコリンズ大佐も彼女の隣にいる。

 どうやら今日の訓練はビーストームと組んでいるらしい。

 そんな『総監一行』を目の前にして、御園大佐が彼等に敬礼をした。

「本日から、鈴木大尉がホワイト本機の最終実習に入ります。お邪魔になるかと思いますが、よろしくお願い致します」

 彼の挨拶に反応したのは、『彼女』ではなく、ミラー大佐だった。

「こちらの訓練空域とぶつからないよう、お願いします」
「もちろんです。気をつけます」

 そんな大佐同士の会話。
 『彼女』は、いつもの冷めた顔、冷めた目つきでこちらを見ただけで、ふっと視線を逸らしてしまった。

(相変わらず、偉そうだな)

 男達に囲まれて、なんでも彼等を動かせ自らは手を下さない。
 全て、両脇にいる男達が、そして周りを囲んでいる男達が、自分の手足となって、時には細かい処理すら男達が細やかな指先になってなんでもやってくれる。

 彼女はそこにいるだけだ。
 まるで『脳』のよう。
 彼女は指令だけを考えていればいいといわんばかりの。

(だが、そこからその身体ごと、空に引っ張り出してやるからな)

 思い出させてやる。
 空でどれだけの思いの丈をぶつけてパイロットが飛ぶか。
 それがそこに立っているだけでは分かるまい?
 時々、飛びたくなるだろう?

 それが証拠に、彼女の前には各機の飛行を逐一チェックする『ホワイト通信システム』がずしんと構えている。
 講義でも聴かされた。このシステムが作られるきっかけになったのは、ミセスが自分も飛んでいるように、飛んでいるパイロットのことを知りたいと言ったからだと。
 つまり、甲板にいても、彼女はコックピットを感じていたいからあのようなシステムを――。

 それならば。辞めずに子供を産んでからもコックピットに戻ってくれば良かったんだと思う。

「では、鈴木。行こう」

 御園大佐が指さす先には、真っ白な戦闘機。

 ――あれが、俺の。

 英太の胸が騒いだ。 

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 真っ白な機体にマリンブルーのライン。
 それはまるで『ホワイトスーツ』とお揃いのようなカラーリング。

「チェンジもこのカラーリングでしたね」

 残念ながら雨に濡れている『ホワイト』だったが、それでも艶々と照り輝いている。英太はすっかり見上げたまま見とれてしまっていた。

「白地にマリンブルー。海軍の象徴だ。シアトルのトーマス准将が切望したカラーだ」
「あのトーマス准将が」

 いつか会ってみたい『憧れの将軍様』だ。
 英太だけじゃない。きっとパイロットの誰もが。
 彼こそが『元祖雷神パイロット』。どんなにニュー雷神のパイロットになれても『元祖』の伝説には勝てないのだから。
 雷神の結成を成功させたその男は、パイロット達にはとても尊敬され、そして誰もが憧れている男。

 そんなトーマス准将に会えたかのようにして、英太はホワイトをずうっと見つめている。微笑みながら。
 その顔を見た御園大佐が少し可笑しそうに笑っている。きっと『お前でもそんな無心になれる顔をするのか』と思ったのだろう? 英太はすぐに顔を改めた。

「トーマス准将にいつかは会えるだろう。雷神には年に一度か二度は合同訓練がある」
「ほんっとっすか!」

 シアトルの雷神が本当の『トップフライト』と言っても良いだろう。もちろん、フロリダにもそれだけのフライトがあるのは知っているが、今となってはこのトーマス准将が率いる『雷神』のネームバリューに勝るフライトはいないのだ。そんなフライトにいつか一緒に飛べるかもしれないという英太の喜び。だが、御園大佐はそんな喜びを見せる英太を見て、表情を一転、渋い顔つきになった。

「言っておくが。トーマス准将の目に掛かりたいなら、小笠原の雷神のカラーに染まらなくちゃ意味がない」
「分かっていますよ……」
「イコール、それは、ミセス准将の指揮に染まるということだ。分かっているんだろうな」

 彼が本気になって英太を厳しくしつけようとしている時の目になる。
 英太はこの目が苦手だった。偉そうで、威圧感があって、そしていつものように反抗したいのに、本当は彼が英太のためを思って何を言いたいかがとてもわかってしまうから言い返せなくなっている……。そんな目で英太に釘を刺している。

「わ、分かっています。ミセスがトーマス准将の一番弟子だってことも」
「その通りだ。トーマス准将は妻にとことん空の厳しさを教え込んでくれた男だ。この小笠原では妻が雷神だ」

 ――また妻と言いやがったと、英太は鼻白む。
 時々妙に強く『妻』とこのおっさんは言い切ってくれる。その妻と言い出した時の気持ちがよく解らないから、まあ良いだろうと英太も聞き流す。

「サワムラキャプテン、そいつ?」

 御園大佐の背後に、赤毛の整備士が立っていた。
 中年の男性。おそらく御園大佐とそれほど年が変わらないだろう……。真っ白い整備服、そしてグレーの少し険しい眼差しが大佐の肩を通り越し英太を見据えていた。

「エディ、俺はもうキャプテンじゃない。やめてくれ」
「俺にとっては一生、キャプテンだ」
「甲板では、ロベルトがキャプテンだろ」

 そう言ってくれるのは嬉しいがやめてくれと、御園大佐はちょっと照れくさそう。だが赤毛の整備士は真剣な口調を変えなかった。

「エディ。彼が鈴木大尉だ。鈴木、こちらは雷神メンテナンスのサブキャプテンをしているキャンベラ少佐だ」

 サブキャプテンと聞いて、英太は丁寧に敬礼をして『初めまして、鈴木です』と挨拶をした。するとどうしたことか、赤毛のおじさんがにやっと意味深な笑みを浮かべ、つぶらなグレーの瞳もきらりと光らせ英太を貫く。

「お前、またあんなふうに飛んでくれるんだろうな」
「はい?」
「滑走路でやったやつ。今度は甲板でやってくれよ。どんどん機体ぶっ壊してこい。俺がいくらでも修理してやる」

 英太は呆気にとられて思わず御園大佐を見てしまった。彼もちょっと困った顔をしている。

「エディ。安全第一だ。そんなことを言うんじゃない」
「ったく。キャプテンはいつからそんな保守的になったんだよ。『レイ』なら、あれぐらい平気でやってのけている。レイもレイだ。近頃は型にはまった訓練を執拗に繰り返していて詰まらない。テスト飛行もそうだ。もどかしいままで……」
「エディ。そこまでだ。それ以上言うなら、今日は違う整備士に頼む」

 キャンベラ少佐の口から次々とこぼれてくる不服に、御園大佐があの厳しい眼差しでぴしゃりと言い放つ。少しふてくされつつも、少佐もそこで口をつぐんだ。
 だが、少佐の不満から出てきた現状を知って、英太の胸がまたドキドキと騒いできた。『レイ』とは誰のことかはっきりは分からないが、どう聞いても『ミセス』のことのよう? だとしたら……。

(やはり……。馴染みの整備士から見たら今の雷神は『葉月さんらしくない』ってことなんだな?)

 しかもテスト飛行では思った通りの結果が得られていない段階であることも、英太は既に講義で知っていた。
 だが御園大佐は『慌てずゆっくり、少しずつ結果を出す。安全が第一』とこれまたパイロットにマインドコントロールのような暗示でもかけるつもりかというぐらいに、ことあるごとに口にしていた。ミセスにしても然り。その訓練はあらゆるパターンを想定した演習ではあるが、その演習はすべてミセスとミラー大佐が造りあげたマニュアル通りにしか実行されていないと聞かされている。つまり――この二人が指示する飛行が『雷神バイブル』ということだ。そうしてパイロット達は慣らされている。

 英太はすでにそれに『反発』を感じていた。
 どんなに『妻が雷神』と言われても。そんなマニュアルなどと言うガイドラインを造り出してしまうような、小さく収まるミセス准将であって欲しくないと思う!

 彼女ならもっと、もっと。自由に大きく飛べるはずだ。 
 あれだけの度胸と大胆さと、そして……英太と飛んでくれた柔軟さがあるのだから。

(何故、あんたは俺を見つけてくれたんだ?)

 そう思っている。
 きっちりとおりこうさんのパイロットだけが欲しいなら、こんなアウトローな若僧パイロットなど引き抜きもしないはずだ。

 この前からなにかもやもやする、そして甲板に出てきてなおさらに何かが晴れないすっきりとしないものがある。
 だけれど、英太は拳を握りしめ、なんとなく確信している。

 俺が雷神を引っかき回しても良いのではないかと――。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 そんな密かなる決意を胸に、英太はついにホワイトのコックピットに乗り込んでいた。
 コックピット、梯子の下では、御園大佐とキャンベラ少佐がなにかの打ち合わせをしている。やがて御園大佐がこちらを見上げたが、梯子を登ってきたのはキャンベラ少佐だった。

「操縦桿、どうだ」

 整備士の彼に問われ、英太は初めてホワイトの操縦桿を握った。

「……すごい、ソフトっすね」

 柔らかく繊細そうなタッチ感。これはチェンジと異なった。

「チェンジは重力感を出すために操縦桿の操作性を重くしていはずだ。動かしてみて、柔すぎると感じるなら今から堅く調整できる。ちょっと、手を見せてみな」

 キャンベラ少佐に言われ、英太は黒い革手袋をしている手を出してみせる。
 それを少佐は殊の外真剣顔で眺め、やがては触り始める。

「俺の手を思いっきり握ってみてくれ」
「はい」

 力を入れてみたが彼に『もっと本気で握れ』と言われ、英太は怖々としながらぎゅっと握ってみた。

「でっかい手だな。それに結構な馬鹿力を出しそうだ。操縦桿の操作は『おおざっぱ』。いちいち大きく動かす。柔らかくしすぎると機体を大振りに操作してしまうタイプだな。車で言えば、スピンばかりする――」

 キャンベラ少佐の診断に、英太はものすごくどっきりとしてしまい、思わず胸に手を当ててしまった。『当たっている』と思ったからだ。

「堅めが妥当だな。ちょっとどいて」

 梯子にいる彼と入れ替わる。コックピットに座った彼が工具を持って操縦桿の調整を始めた。

「すごいっすね。手を見ただけで分かるんすか」
「まあね。長年の勘。逆に『レイ』は力がないから柔らかくしてやらないと、駄目なんだ。それに男以上に細かに動かす――」

 その言葉にも英太は驚かずにいられなかった。
 それはまさしく、先日ミセスとチェンジに乗り合わせた時に英太が感じたもの。彼女との操作性の違いをまざまざと突きつけられた時に感じさせられたものだった。

「あの、『レイ』って……。ミセスのことですよね? 何故そのように呼ばれるのですか」

 気になるので聞いてみると、操縦桿を調整しているままの横顔で、赤毛の少佐がふと笑った。

「彼女の、フロリダでの愛称だよ。俺と初めて会った時、彼女は俺には『御園』とも『大佐嬢』とも言わなかった。ただ『レイ』と名乗っただけ。あとで彼女が御園のお嬢ちゃんだって知った」
「フロリダでの? 愛称?」
「……らしいな。なんでもスペイン人の祖母さんに似ているらしくて、その祖母さんの名前から幼少の愛称として昔からフロリダの兄貴達には『レイ』と呼ばれていたみたいだ。だから、俺もずっと『レイ』って呼んでいる」

 祖母がスペイン人! ミセスの日本人離れしている顔も、そして何処か日本人らしくない感性もやっと頷けた気がした英太。
 思わず、梯子の上から遠くで雷神を指揮している葉月さんへと振り返った。
 栗毛で、横顔はつんとした鼻先、そして冷めた目。だけれど暖かみある茶色の目。ちいさく尖った唇を英太は間近に感じるように思い描いていた。

「お前、レイを信じてついていきな。彼女は男が望んだところに引っ張っていくことが出来る女だよ。それにお前はきっとレイと相性が良いと思う」

 他の計器までチェックを始めた少佐のいきなりの言葉に、英太は戸惑ったのだが……。

「思いっきり飛びな。俺はお前が来てくれてワクワクしている。やっとレイがお前のようなパイロットを見つけてきてくれたって……」

 また英太の胸がドキドキする。ミセスの昔なじみの男からの言葉だけに、『それを丸ごと信じて良いのか』と思いながらも『そうであって欲しい』と言う英太の期待。

「だが忘れるな。今は彼女は『総監』だ。最後は彼女が絶対だ。彼女が止めても、彼女が実はどこまでを願っているか、密かに読みとれる、そして危ないところでは退ける。彼女が言わなくてもそこの融通を上手くきかせられるようになってこそ、彼女の翼を担う男ってことだ」

 『彼女の翼を担う男』――。
 その一言がどうしてか英太の胸を激しく貫いた。

「上官はパイロットを守るのが仕事だ。いちいち小さくまとめようとするように感じるかもしれないが、それを破ってくれる部下を密かに待っている。だが、破りすぎは『プロ』じゃない」

 彼の言ってくれたことが、ひとつひとつ英太の中に染みこんできた。
 計器のチェックが終わったからなのか、それとも、話が終わったからなのか。少佐の整備が終わり、コックピットへと英太は再び入れ替わる。

「そこんとこ心得て、暴れてきな。俺はお前を応援してやるよ」

 キャンベラ少佐が英太の背を激励するように叩くと、そのまま梯子を下りていった。

「鈴木、雷神が出て行ったらお前も発進するぞ。準備しろ」

 インカムヘッドホンを装着した御園大佐からの声が聞こえてきた。
 英太の向こうに見えるカタパルトでは、真っ白な戦闘機が次々と空へと飛び立っているところ。

「ラジャー、大佐!」

 英太もヘルメットを被り、キャノピーを閉めた。

『今日の発進は、このキャンベラが担当する。空に出たらまず水平飛行で待機だ。いいな』
「イエッサー!」

 いつの間にか小雨が止んでいる。
 英太が向かい始めたカタパルトの向こうの雲の切れ間から、ほんの少しの青空が見えていた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 あの青年がついに真っ白な戦闘機で空に出る。

 葉月の周りにいる男達が固唾を呑んでいるのが分かった。
 隼人が仕組んだ『滑走路飛行』は、空部隊の男達の間ではかなりの話題になっていた。どの男も度肝を抜かれ、そして何処かで嫉妬しているのだ。
 だが葉月はそれを傍観しつつ表情は変えずとも、ひっそりとほくそ笑んでいたのだ。
 夫の悪戯に、この妻でさえ最初は度肝を抜かれたが、今となっては感謝したいぐらい。流石、私の旦那様。あの青年をこれほどに印象づけてくれるとは――。

 あれがなくても、いずれ鈴木青年は人々の目にとまることとなっただろうと葉月は思っていた。
 それだけ彼の飛行は目立ちすぎるのだ。だがそれは逆に『悪評』として目立つことになったはず。そして今からもきっとそこは避けられない飛行を彼は必ずやると葉月は覚悟していた。
 だが夫はそうなる前に、そのイメージが定着してしまう前に、ただ鈴木というパイロットの一番おいしいところを、一番おいしい場所で、この小笠原に上手く披露してくれたのだ。

 葉月の側にいる男達の今日の熱気は尋常じゃない。
 特に……。パイロット達は、そして元パイロットの男達も。

「ミセス。雷神は全て空に出た」

 ミラーからの報告に、葉月も頷く。

「では、ミラー大佐。いつもの指示をお願いします」

 いつもは二人でそれぞれに指揮を執っている。そこを今日はひとまず、彼に任せてみた。
 ミラーは葉月の魂胆など知らないまま、疑うことなくホワイトの通信機材の前へと立ちはだかる。彼の目の前に四つのモニター画面、スイッチひとつで今飛んでいる六機のコックピットの様子と、飛んでいる景色が映し出される。彼は一機を選んで画面を切り替え、訓練を始めた。

 その隙に、葉月は隣に同じようにセッティングされているもう一台のホワイト通信機を見る。

「ミセス、鈴木が空に行く」

 夫の御園大佐がそこへやってきた。
 もう一台のホワイト通信機は、テスト飛行用だった。だいたいはそこに夫の隼人が立ってデーターを収集している。
 隼人はその通信機の前にいつものように構え、側にいる工学科の部下達に指示を出している。

 カタパルトには既に、鈴木青年が乗り込んだホワイトが発進を迎えようとしていた。
 それを見据えている夫が何かの期待を込めたかのように、にやりとしたのが見えた。

 夫が密かに期待しているもの。
 それが葉月にも分かる。

「葉月」

 そんな夫と目があった。
 そして夫が今から何を言うかも葉月には分かっていた。

「あいつ、絶対にやるぞ」

 葉月もつい、にやりとしてしまった。

「あの子は、そういう子よ」
「最後はお前が絶対だ。頼んだぞ」
「分かっているわ、貴方」

 互いに何かを確信している夫妻を、ミラーが怪訝そうに見ている。

「おいおい。妙な騒ぎは御免だな。御園夫妻が揃って何かを始めるとろくなことがない」

 ミラーの嫌そうな顔。
 そして彼も何年も振り回されてきたということ。
 夫妻の息のあった企みを知って、今日は嫌な予感を走らせたことだろう。

 だけれど御園夫妻は揃ってカタパルトを見つめる。

 鈴木青年を乗せた真っ白な戦闘機がついに空へと飛び立っていく。
 それを葉月と隼人は揃って見上げる。

「始まるぞ、葉月」
「ええ、ついに始まったわ」

 青年が飛ぶ。
 そして夫妻も、共に飛ぶ気持ち。

 

 

 

Update/2008.9.17
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