-- 蒼い月の秘密 --

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5.豪の大和撫子

 

まったく大事な任務着任前に、あれこれと仕事を増やしてくれること――。

 葉月はため息をつきながら、側近のテッドと一緒に准将室を出たところだった。
 以前は静かな高官棟ではあったはずなのだが、三階にこの空部隊本部とミラー大佐のシステム管理室を准将室の隣にくっつけてからは、この三階だけは活気づいてざわめいている。
 ただ准将室の前だけが、異様に静かで、そこだけ聖域のようにして隊員達は滅多に近づかない。

 そんな自分の部屋を出たミセス准将は、少しばかりご機嫌斜め。

「あー。一度にこれだけのことを持ち込んでくれるとは――」

 ぶつぶつ言っていると、背中をいつもついてくるテッドが先にため息をついていた。

「言っておきますが、貴女が引き抜いた青年ですよ。彼があれぐらいの『お痛』をすることぐらい予想していたでしょうに」

 そらきた。テッドのお説教が。いつもならここで膨れ面で訴えてみる葉月なのだが、今日だけは泣きたくなってきた。なのに手厳しい側近がたたみかけてくる。

「あのアンコントロールがホワイトに起きたが為に、今回の過密スケジュールが出来上がったことは、文句の言いようがありませんよ」

 全て貴女自身の決断で物事がこれだけ動いたのですよ。
 テッドも容赦ない。

 あの鈴木青年のあってはいけないのに、データーとしては開発側が欲しがっていた結果をだしてくれたアンコントロール飛行から数日。
 あのあと、鈴木青年は着艦すると、葉月が怒り出す前に、隼人にガンガンに怒鳴られ、ミラー大佐には懇々と説教され、かなりこってり絞られていた。どこか納得できないような顔はしていたが、それでもあの日は彼なりにやりたいことをやったわけだから、鈴木青年もあの日はそれで引き下がることが出来たようだった。

(まったく。あの眼!)

 夫の御園大佐にひっつかまえられるように甲板を去っていく時。あの青年は葉月を真っ直ぐに睨んでいたのだ。その眼がなんとも生意気な!
 その燃える眼に、葉月は一瞬、囚われてしまっていた。何故だろうか。
 だが、そんな生意気な眼差しは一時だけ。彼はいつのまにか葉月をずうっと遠くに見るようにどこか寂しそうな眼差しを見せ、謝りたかったのか一礼を置いて去っていったのだ。

 葉月が一声あげるまえに、教官である隼人が『処分』として声を上げた。
 それが『ホワイト実習延期』だった。鈴木青年はやっとホワイトに乗れたのに、またチェンジに逆戻りと知り、それはそれは驚きの顔をしていたのだ。空に早く出たい彼には、一番のお灸だろう。流石、旦那様。
 葉月としてはこちらが吠えたいところの処分だったが、それを悟った夫が直属の上司としてすっぱりとやってくれたことで余計な手出しをせずに済んだ。彼はまだ、夫の手の中にある卒業をしていないパイロットなのだ。雷神にいる葉月が今からガミガミやってあげるようなパイロットではない。それを隼人もミラーもきっちりと分かってくれていて、葉月をその棚の上にきちんと据える役を担ってくれている。葉月がその雛壇からうかつに降りようとすると、彼等がこうして『お前はそこから降りてくるな』と阻止してくれる。それがミセス准将の高さなのだとばかりに。現准将のクオリティは彼等が作り、維持してくれているようなものだった。だから葉月も男達の頑張りとポリシーを無駄にしないよう黙っていることも多い。

 だからまだ、彼の傍に葉月からは歩み寄ってあげられないのだ。
 葉月からも何かを問いただしたい衝動があるにはある。だがまだ確信がないから、自分からもまだ動く気がない。

 だが。今はそれどころではない。
 今まで懸念していたホワイトの繊細で軽い操作性は、雷神のパイロット達からも『実際の窮地に置かれたら、とてもじゃないが思い切り操縦桿の舵は切れそうもない』という意見があったにはあった。だから、安全性を重視してパイロット達の操作を規制させていたのは確か。それを――まだなにも知らない来たばかりの青年だからこそやってのけられたのか。あの青年がおもいっきり無茶なやんちゃで、ついに危惧していたデーターを弾き出してしまった。

 それから数日。これについてどうするかという空部隊幹部達とミーティングの連続。
 それどころか、宇佐美重工の佐々木奈々美がこのデーター結果をもらいうけ『明日。そちらに行くわよ。よろしくね』と、いきなりの小笠原訪問。今日の午後便でこちらにやってくる。
 それだけじゃない。ミラー大佐がある提案をしてきて、『俺は甲板で君の言うことにきっちり従った。今度は俺の提案に協力してもらおうか?』と――。アンコントロールの飛行をわざとさせただろうという弱みを握って、葉月はミラーの意のままにここ数日動かされていた。

 だから半泣き……。

「そんな顔されても。貴女とご主人の澤村大佐が上手く引き出したこととはいえ、やはり急激すぎたんですよ」
「でも、航行前にはっきりとホワイトは今はつかえないと判断することは出来たわ」
「それが佐々木女史のプライドに火を付けたんでしょう。今度の航行で任務戦線のラインに『実験的でもとりあえずでも初めて実務に乗っかる』と信じていたんですよ女史は。それを空部隊トップの貴女が『テスト飛行以外には使えない』と判断してしまったら、彼女も黙っていないでしょう」

 だからなのだ。奈々美が小笠原にやってくるのは、葉月に文句を言いに来るということ。あるいは強力な説得に来ると言うことを意味する。
 葉月は今、その奈々美を迎えに行くところなのだ。

「うー、テッド。奈々美さんが怖いわー」
「良い雰囲気の、渚のカフェで穏やかにいきましょう。私が車を出して二人をお連れしますから」

 仕方がない、ミセスのやり出したこと、覚悟してくださいと、手厳しいテッドではあるが、こうして葉月のためになんとかなるようなフォローはしてくれる。

「……甘いパフェを食べるわ。奈々美さんにも勧めるの。彼女も甘いもの弱いから」
「御勝手に。経費では落ちませんから、ポケットマネーです。存分にご堪能下さい」

 厳しい側近に、葉月は「鬼!」と叫んでしまった。それでもテッドはこれだけやっかいごとを増やしたのはミセス自身だとつんとしている。

 だが……。この息苦しい高官棟を抜けて、忙しい基地を抜け出して、ほんのちょっとの時間だけれど、女性同士あの奈々美と渚のカフェで基地とは雰囲気を変えてお仕事のお話。
 それだけでも、葉月は気分が明るくなってきた。そこでうんと甘いパフェを食べたら、私……ミラー大佐の弱みを握りしめているあの嫌味な指示にも提案にも従うわ! と、さえ思ってしまった。
 しかしそんな浮かれている葉月が高官棟の一階にやってきてエレベーターを降りた時、そこでなんと――あの細川正義連隊長とばったり出くわしてしまった。

 ここ数日、葉月はあからさまに彼を避けていたのに。
 こればっかりは逃げ場がなく、葉月は思いっきり固まってしまっていた。

「お疲れ、葉月。宇佐美の佐々木女史が来るらしいな」

 流石、元秘書官。情報収集はばっちりね?と、葉月はまた泣き出したくなった。
 しかもあの眼鏡の奥の切れ長の眼が、ほそーくほそく、葉月を薄笑いで見ている。そこには何故、奈々美が来ることになったか『俺はよーく知っている。葉月がどんなに隠そうとも、基地のことは全て把握している』とでも言いたそうな顔! 隣に控えている水沢中佐が、昔馴染みの元お嬢ちゃんが追いやられているのをちょっと気の毒そうに見ていた。

「いえ。航行前に、ホワイトの在り方についてきちんと話し合っておくことにいたしまして」
「ふうむ。たとえば、アンコントロールになる飛行機など、俺も持っていて欲しくないと思うような話し合いか?」

 うわん。全部、ばれていると……。
 いや、隼人に『あの正義さんは絶対に嗅ぎつけるから覚悟しておけ』と言われていたから分かっていたのだが。だからここ数日、正義の出没ポイントはことごとく避けてきたのに、ついに鉢合わせをしてしまった。

 だが正義はいつもの威圧的な笑みを見せながら、葉月を押しのけてエレベーターへと乗り込んでしまう。

「データーが無ければ、ただの噂話ということにしかならないなあ。俺はこの眼でアンコントロールは見ていないわけだしな……」

 正義はそれだけいうと『そういうことだ』というきっぱりとした一言を残して、エレベーターの扉を閉めてしまった。
 つまり――? 葉月の脳に、正義の本意が到達するまで暫く時間が掛かったが、テッドは嬉しそうな顔で葉月に言った。

「ほら。隼人さんが言ったとおりに、データーさえなければ、細川連隊長も分かっていても目をつむってくれると……。これで連隊長から今回はお許しが出ましたね」

 彼も葉月に合わせて、正義と鉢合わせにならないよう神経を尖らせていた数日だったのだろう。これで連隊長避けから解放されるとばかりに、ホッとした顔になった。
 葉月もとりあえず、ひとつは問題が片づいた気分になった。さあ、今からは奈々美だ。彼女は強者だけに、同じ女性でも気が抜けない人だ。特に彼女がずっと手がけているホワイトに関しては、もう『私の人生よ』と言うようになったほどに、彼女は全てを注いでいる。

 未だに独身。でも出会った頃からの、凛としつつも楚々とした大和撫子的な可愛らしさもそのままだった。

 そんな奈々美と今から、ちょっと力んだ話し合いになりそうだと、葉月はいったん緩まった気力を締め直した。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 小柄だが、彼女は等身が良いのだろう。ますます様になってきたパンツスーツ姿で、すらりとそこに立っていた。

「葉月さん、やってくれたわね」

 葉月以上にひややかな眼差しを持つ女性。
 迎えに出た滑走路で、さりげなく巻いていた彼女の白いストールが、ひらりと翻る。
 近頃は、目が悪くなったと眼鏡をかけるようになった奈々美。そんな彼女の眼差しも、先程、やっと解放された正義にそっくりで仕事には容赦ない挑むばかりの眼差し。
 葉月はまたひやりとさせられた。やり手で気の抜けない女性ではあるが同じような感覚を持つ女性だから、遠慮無く話し合うことを繰り返してきた。

「でも、よく見つけたわね。私も待っていたわよ、そんなパイロットを――」

 彼女がふと微笑む。細い黒縁の角がきらりと光った。

 そんな奈々美だが、心の内ではかなりエキサイトしているようだった。
 テッドのスマートなエスコートに少しばかりその興奮している気持ちを抑え、彼女もいつもの知的な女性の顔を保って、テッドが用意したジープに乗ってくれた。

「渚のカフェなの。デザートが美味しいわよ」
「本当? 横須賀の飛行機に乗るまでも会議を二つこなしてきたところ。男ばっかりで本当にうんざり。貴女の顔を見てホッとしたわ。甘い物食べたい」

 奈々美の表情がやっと女性らしく緩まった。
 いや、男ばかりでうんざりって……。それは葉月も同じだが、でもまだ女性が周りにいるほうなのだろうなと、奈々美の工学マンとしての日々を聞くと痛感してしまう。特に奈々美ほどのキャリアになると、周りは男性がより一層多くなってしまうようだった。

 さてこの調子で穏やかにいきますように。
 親近感を得るために、葉月は後部座席で奈々美と肩を並べて乗っているのだが、彼女の隣でそれを願うばかりだった。

 渚のカフェは、葉月が結婚して新築の家に越してから開店した、小笠原ではまだ新しいカフェ。
 自宅から歩いては遠いが、車では割とすぐのところにあるので、休日は一家でブランチ代わりにモーニングを食べに来ることも良くある。葉月がフロリダでは母登貴子とよくそうしていたことを思いだし、それを隼人に懐かしそうに話したら、『では我が家でもやってみよう』と、子供達を連れて通うようになった。初めて訪れた時はまだ開店したばかりで子供達も小さかった。だが、それだけに海人も杏奈も、日曜日はここという感覚が染みついている店になった。今は鎌倉にいる杏奈も週末に帰ってきた時にはここに行きたがる。彼女はこの店の、タマゴサンドにシナモントーストがお気に入り。そしてキャラメルミルクを頼むのが定番だった。

「ふうん。良い雰囲気ね。日頃、自分からも行こうと思わないから……」

 仕事一筋なのか、元よりカフェでゆっくりなどという感覚はなさそうだなと、店にはいるとゆったりとひと眺めしている奈々美を見て葉月はそう思ってしまった。
 だが彼女も女性――その気になれば、こんな波の音が聞こえるカフェで、自分のためだけの贅沢な時間と食事をと願ってもいるのだろう。そんな顔に見えてホッとした。

 いつも女同士の話し合いには、静かに付き添っているだけのテッドが、きちんとテラスのテーブルを取ってエスコートしてくれる。
 そこは既に接客も上々のテッドは、きちんと奈々美のための椅子を引いて、彼女を丁寧に椅子に迎え入れる。

「ふふ。テッドにエスコートしてもらうのは、いつも気分が良いわ。そこらへんのスーツの男よりずっとよ」
「有り難うございます」
「ご結婚、おめでとう。ますます男っぷりがあがったわね」

 いつも奈々美に褒められても、そこは下積みをきっちりしてきた誇りを持つテッドは落ち着いているのだが、流石に『結婚で男っぷりがあがった』などとあの余裕の年上キャリアウーマンの笑顔で言われると、照れてしまったようだった。

「小夜さんにも、お祝いしなくちゃ。あとで会えるかしら」
「ええ。もうお腹が出てきているのよ」
「テッドがパパねえ。ますます男っぷりが――」

「そこのあたりで勘弁してくださいよ」

 プライベートが一番の弱点になりそうねと、奈々美が可笑しそうに笑う。
 本島でガチガチのキャリアの鎧を着込んで前進する女性、奈々美。そんな彼女も、離島の珊瑚礁の海を目の前にして、徐々に彼女自身へとほぐれてきたようだった。

「メニューをどうぞ」

 テッドの毎度の気配りで、女性二人はメニューをのぞき込む。

「私はもう決めてきたの。絶対にこのチョコレートパフェよ」
「貴女って本当に、甘い物が好きね。私、流石にそこまでは……」
「絶対にって決めてきたの。だってももう……」

 葉月も気を許して、両手で頬を覆う。
 そこに悲痛の表情を挟んでいるのに奈々美も気がついたようだ。

「そうね。私も、データーを届けてもらって、そんな気持ち! 私は抹茶パフェにするわ」

 彼女もむしゃくしゃしているのは間違いないようだった。
 テッドがマスターを呼んでオーダーをしてくれる。ファミリーで来ると気の良い笑顔で話しかけてくれるマスターだが、葉月が軍服で来る時は『ビジネス』と理解してくれているようでどんなに良い雰囲気でも一歩退いて接客してくれる。

「さて。本題よ、葉月さん」

 せめてパフェが来てからにして。と、葉月は懇願したくなったのだが、奈々美としてはもうかなり溜め込んできたといったふうだった。
 それでもこのカフェに来るまで、それなりに気持ちを抑えてきたんだからと言わんばかりの顔。

 テスト飛行としてしか持っていけないとはどういうことか。
 アンコントロールになるような機体だったなんて自分でもがっかりだとか。
 彼女が言わなくても、葉月にだって奈々美の口惜しさは理解しているつもり。きっとそんなことを、彼女も葉月の目の前だから遠慮せずに今からぶちまけてくるだろうと身構える。

 だが、奈々美は葉月を見てにっこりと……、妙に意味深な笑みを浮かべている?

「奈々美さん?」
「ええ、ショックよ。でも、いつになったらあれぐらいのテスト飛行をしてくれるかと待っていたには待っていたわよ。だけれど私も分かっている。すごく危険なこと。貴女にすべての責任があること。なによりも、パイロットの生命に関わるのですもの。でも、『しでかしてくれたパイロット』に今回は感謝したいぐらいだわ」

 ん? なんだか自分が予想して恐れていた様子とは違うわねと、葉月はあからさまに疑問を抱いた顔を奈々美に向けていたようだ。
 そんなミセス准将の顔を見て、奈々美が笑う。

「あら、私がグダグダ言うと思った? 言わなくても貴女なら、私の口惜しさ、もう分かってくれていたのでしょう? 私の中のグダグダと苛々はもう本島で爆発済みよ」
「爆発? 貴女が?」
「即刻、彗星システムズの常盤さんと、うちの製造部に改良をしてもらうように走り回ったわよ。もう怒鳴り続けて喉がからからになるぐらいね。昨夜のビールは苦かったわ」

 うーん、男並み。外見は楚々とした大和撫子に見えるのに中身はかなり豪気な本性に、流石の葉月も苦笑い。

「ということで、私は貴女にグダグダと文句を言う前に、自分のところでやるべきことは手配済みよ。だから、次は貴女の番――」

 ますます奈々美が優越感を秘めた笑みを葉月に向けている。
 葉月はどっきりと固まった。このお姉さんが今からとんでもないことを言い出すという予感でもあった。そしてそれは当たる。

「改良テスト版を次の航行までに間に合わせるから、航行中は空母で新たなるテストをしてちょうだい。そのパイロットを指名したいわ。そして、私もその航行の空母に乗せてもらうわよ」

 はあ!?

 と、固まったのは葉月だけじゃない。以上にそれがどんなことであるか一番負担が掛かるであろうテッドが『なんですって』と声を上げたほど。

「待ってください、奈々美さん! 空母での任務航行では一般人の乗船はとても難しいのですよ」
「あら、映画の撮影でも乗せているのに? 私はその空母に乗る白い戦闘機の開発担当者よ!」

 あの奈々美がばんとテーブルを叩いた。
 平日の午後で客が自分達しかいなかったから良かったが、外の席でも店内にいるマスターがびくりとこちらを見たほど響いたようだ。

「ちょっと、奈々美さん。落ち着いて――」
「そのパイロットに会わせてちょうだい。そして改良機のテスト飛行をこの目で見せてちょうだい。どうせ澤村大佐は小笠原で留守番なのでしょう? 私がデーター監視をするわ」

 来たー。この前起きたことの文句ではなく、もっと突っ込んだところでの要求。流石、佐々木奈々美。葉月はやっぱり一筋縄ではいかなかったかとがっくりと項垂れた。
 だがテッドはまだまだ引き下がらない。

「ですけど、奈々美さん。一般人の、しかも女性が空母に乗り込むことがどれだけ危険で、負担があるかわかりますか? 准将だってかなりのガードを組織して着任するのですよ」
「だから、その葉月さんが乗り込まなければ、私だってこんなことをいいやしないわ。それに覚悟もしていくわよ」
「か、覚悟って……」

 テッドが口ごもる。そこには男として女性には面と向かって言えない懸念が含まれている。そして奈々美もそれをちゃんと把握しているのだ。

「こんなとうがたったおばさんですけれどね。男ばかりの隔離された特殊な環境の中では、『穴』がある生き物ってだけで、美味しい餌だって覚悟よ」

 ……葉月もテッドも唖然とした。
 だけれど、奈々美はとても真剣で、少しも怯んでいなかった。それほどの大胆な発言でさえ、あの冷ややかな顔で言い除けている。そしてそこまで言い切れるほどに、乗船には身の危険は承知と覚悟していることを見せつけているようだった。
 テッドが降参したように額を抱えて項垂れた。

「ああ、もう。なんか、貴女達の恥じらいもない言い回しがそっくりで……姉妹に見えてきましたよ、俺」
「あら。私だけじゃないってことは、葉月さんもそんなことを?」

 あー、この前、甲板で『ホワイトは女性だから、恋人を抱くように優しく操縦しろ。彼女を抱く時に優しく触らないのか』と咄嗟に出たアドバイスのことをテッドは言っているのかと、葉月はそっと頬を染めた。
 咄嗟だっただけに、自分だってあとで振り返って恥ずかしくなったにはなったのだ。しかもあの日の夜、自宅に帰ったら、旦那さんが不機嫌なこと、不機嫌なこと。他人様の前、しかも男性が沢山いる甲板で、あんな発言あるかと、小言を言われた。もう俺、恥ずかしかった。あとでミラー大佐にもコリンズ大佐にもからかわられたと彼も真っ赤になっていたぐらいだった。

 女もこれぐらいの歳になると、そっちでも少しばかり大胆になっちゃうんです。

 言っても、旦那さんもテッドも分かってくれないだろうなと、葉月は思っていた。
 そして奈々美も、同じなんだなあと、急に思ってしまった葉月は――。

「分かったわ。検討してみるから。改良のほう、お願いしますね」
「准将!」

 テッドに止められたが、まだ検討としか言っていない。
 それでも奈々美は満足してくれたようだ。
 性への恥じらいが薄れただけで、大胆なわけじゃない。若い時の戸惑いも迷いもそれなりに自分なりに彷徨ってきたから……。だからこそ今こそ、向かう力も益々我がものと……。若い時より世渡りを覚えた女性が、一番強く向かっていける時なのかもしれない。奈々美の最近のパワーはきっとそうなのだと思ったから。

「パイロットにも会わせて。なんでも、とんでもない度胸の青年だそうね」

 どうやら奈々美にとって、鈴木青年は新しい風のようだ。
 そして葉月もこの後、奈々美に見てもらいたい物がある。

「よろしいわよ。でも今日は駄目だわ。明日か明後日、その青年のことでミラー大佐がちょっとね、あることをするの。それが終わってからにして」
「まあ、なにやら楽しそうね。いいわ。日程を延ばして、それまで小笠原にいて甲板で雷神の飛行を見せてちょうだい」

 暫く、奈々美は小笠原に滞在することになった。

 この後、やっと甘い甘いデザートに出会えて、葉月はうれし涙。

(うー、正義兄様はなんとかなったわ。奈々美さんもなんとか……)

 本日、残るはミラー大佐とのミーティングかと、葉月はクリームをたっぷりスプーンに乗せて頬張った。
 一時の、甘味のくつろぎ。ずうっと続かないかしらと思ってしまった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 工学科へ挨拶へ行くという奈々美をテッドに任せ、葉月はクリストファーを伴って、今度はミラー大佐の元へ。

「あれから准将も大変っすねー」
「もうー、今日もさぼる暇なしよ」
「その癖も、相変わらずですね」

 いつまで経ってもふらっと何処かへ消えてしまう葉月を知っている長年の後輩であるクリストファーも、そこで笑ってはくれたが、ちょっと疲れた顔をしていた。
 アンコントロールの飛行から数日、空部隊大隊本部で空軍管理のリーダーをしているクリストファーも、そのデーター管理に分析に、ホワイトに携わる民間企業各社と軍隊担当部署とのコンセンサスに駆け回っていた。

「いよいよ明日ですね。澤村精機に連絡しましたら、副社長の和人さんがまた張り切って……」
「助かるわ。和人君ならチェンジで一発で再現してくれるわ。なにせ開発者ですもの」

 今度、明日は和人を迎え入れる。だが彼ももう小笠原は慣れっこ。頻繁に来ている。――いや、今回も半ば好奇心で来るのだろうなと葉月は思っている。
 葉月や兄の隼人が何かをやり始めようとすると、ちょっと覗きたくなるようで、なにかと用事をつくっては小笠原のチェンジを名目にやってくる。
 それはクリストファーも良く知っていて――。

「いやーでも、副社長の場合、今回のチェンジに放り込もうとしている新データーを見てみたいってところでしょうかね」
「まったく、ミラー大佐が目くじらを立てると、にっちもさっちも行かないと言うか……」
「准将も、ミラー大佐……昔からちょっと苦手ですよね」

 苦手というのは、避けるとか嫌うとかそう言う意味ではなく。クリストファーが言っているのは、葉月でも頭が上がらない時があるという意味。
 まったくその通りで、普段は葉月を立ててその手腕を発揮してくれる空部隊の右腕だが、ひとたび『俺は君の先輩だ』というポジションを彼が取り始めると、葉月は頭が上がらなくなることばかり。

「そうよ、そうだわ。あの人が来た時、私、凄く苦手でどう付き合って良いか悩んでいたんだもの」
「懐かしいっすねー」

 クリストファーが明るく笑い出す。
 葉月も、渚のショットバー『ムーンライトビーチ』で意地悪なカクテルをご馳走になったことをいつも思い出す。

 アンコントロールの飛行のすぐ後、ミラー大佐が『君とコリンズ大佐に協力して欲しい』とある提案をした。
 ここ数日。ミラーのその案は唐突でも彼の指針と意向に葉月もデイブも賛成し、ミラーが指揮を執る『新データー投入』のミーティングと準備をしている。一日、一時間ほどの話し合い。忙しい管理官として、三人がその時間を捻出してミーティングをする。場所は、准将室の隣にあるミラー大佐の『システム管理室』。
 そこに辿り着き、葉月はドアを開ける。

「待っていたぞ、嬢」
「忙しいのは分かっているが、時間厳守だ」

 既にデイブは来ていて、ミラーは相変わらず手厳しく、苛々している様子。
 あのですね。私だって、あっちへこっちへ、今、大変なのよっ。奈々美さんがあんなことを言い出すし……などと言い返したいが、そこはぐっと堪える。

「遅れまして申し訳ありません。お待たせ致しました」

 うーん、待って。私の方が偉い准将様よね??
 時々、自分でもそう思う……。普段は階級など関係ない、昔なじみの戦友で同僚でパイロット同志のお兄様方だとは思っても。

「まあ、いい。君も今、大変だろうから。だが、いよいよ明日が本番だ」
「きっちりと最終確認と、意思疎通をしておこうぜ」

 彼等の手元には飛行図。
 三機の戦闘機の模型も。
 紙には番号が振ってあり、三機の戦闘機が右往左往絡み合っている『ドッグファイ』の飛行展開図だった。

 これをここ数日、三人で話し合っていた。
 実はこの『ドッグファイ』のデーターを、三人でチェンジに乗って新しく投入し、現役のパイロット達のために残しておこうというミラー大佐の新たなる試みだ。
 いや……違うか。葉月は率先して説明を始めたミラーの横顔を見ながら思った。
 ――彼も鈴木青年のあの飛行を見て、掻き立てられているのだと。
 パイロットとしてのプライドもそうだろうが、きっと……指揮者として空の先輩として『あれは危ない』と予感しているのだと。
 彼も一度、『本物のドッグファイ』で命を危険にさらされた経験があるだけに、あの青年の『それだけの飛行』が許せなかったのだろう。
 ミラーの厳しい横顔に、葉月はそんなことを感じていた。

 

 

 

Update/2008.10.17
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