-- メイビー、メイビー --

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13.四日だけ御主人様

 

 なにが新しい恋だ。こんなことあってたまるか!

「もしかして、大佐。怒っています?」

 ビールを飲み干す隼人の顔を、可愛らしい小さな顔が覗き込む。
 その愛らしさも無意味とばかりに、隼人は一気に飲み干したグラスをカウンターにかつんと置いた。

「翼君、おかわり」
「なにか他のものにしますか」
「では。マスターのおまかせで一杯」

 颯爽とした身のこなしで、ここの店主である『翼』がシェイカーを手に取る。
 彼は妻の葉月と同い年だったはず。隼人と同様に『不惑の年代』に入っただろうに。出会った時と変わらず、スマートな体型に洒落たシャツに男らしくデニムパンツを穿きこなし、髪も綺麗に染められ、まだまだ若々しい男。大人の男としての雰囲気も存分に醸し出され、随分といい男に。そのせいか、店の中は女性客も多かった。

「大佐って銀座のクラブに来ても、あんなにお堅い学者さんみたいな男性だったから、こんなお洒落なショットバーに通っているだなんて意外でした」

 連れてきた華子が店を見渡して、どこか可笑しそうに隼人を見た。

「小笠原でもショットバーに通っているけどな」
「そういえば、英太も急にショットバーに出かけるようになったみたい?」
「へえ、あいつ。やっぱり華ちゃんには自分の日常生活を結構、報告するんだな」

 何故、英太が小笠原のショットバー『ムーンライトビーチ』に通い始めたのか、隼人は『勿論』知っていた。『うちの嫁』が『いつでも話ができるならここ』と会いに来ることを許したとか許さないとか?
 でもまあ、いいのだ。英太が葉月を奪うとか奪わないとか、そういう次元の気持ちではないことを、『夫妻』揃って見抜いていたから。
 それでもだ。あの英太がそうして夜、ついに俺の嫁さんに会いに行く……その姿を見ていると、またどうしようもない気持ちになる。
 ところが、これがまた……。英太と葉月がその店で一緒になったことがまだないのだ。葉月は決まった日にいままで通りに行くが、英太はたまに違う曜日に来て楽しんでいたり、ようやっと木曜日に顔を見せたかと思ったら、葉月が来ていなかったり。そんな噛み合わない二人をみていても、隼人はなんとも言えない気持ちになる。
 ――もう、あの二人は。話すなら話す! ちゃんと会う日を決めて、さっさと済ませろ。なんて本音もあったりするのだ。
 そういう苛つきがおまけで湧いてきた。

「だから、大佐。怒っています?」
「別に」

 素っ気なく返事をすると、目の前の華子がちょっと拗ねた顔になった。
 可愛い顔をするんだよなあと、隼人はつい横目で見てしまう。
 そのうち、あの岩佐もこんな華子を知って夢中になって行くに違いない。そう思う。
 特に華子からは、香水とは違う柔らかないい匂いを感じる時がある。それがまったく同じ匂いではないけど、これまた妻を思い出す匂いなのだ。雰囲気の問題ではなく、本当に『匂い』。ひとことでは言い表せない。もしかすると毎日側にいる男だけが知っている匂いなのかも知れない。
 ということは? 英太は華子のこの匂いが既に染みついているから、うちの嫁さんの匂いにもクラッとしたわけか??? なんだかそんな気になる。隼人が華子に少なからずとも『いい感じ』と心が緩んでしまうのも、そう言うことのような気もする?
 この匂いを持つ女の側にいるようになったら、岩佐だって――!
 やっぱり岩佐があのやり手の手腕で、うまく華子を掴み取るのも時間の問題か?
 何故か隼人の気が急く。

「あのさ、本当にこのまま岩佐君の希望通りに婚約者としていくつもり?」
「はい。いまさら断るだなんて……、今日だって東條会長から、選んだお洋服を頂いてしまったし」

 華子という女の子を気に入ったと、蘭子はあの三通りに選んだ服をすべて『応援するわ』とプレゼントしてくれたのだ。
 見初めた彼女が華夜の会の女主に気に入られ、岩佐はほくほく顔になっていたが、華子は畏れ多くて最後まで『ちゃんと自分で揃えます』と言い張っていた。そこでも本当だったら岩佐が揃えてやるべきだと、隼人はまた岩佐に一喝。『俺だってそのつもりでしたよー!』なんて言っていたが、その洋服選びが終わって、さて帰ろうかという時になって、あの岩佐め『俺、いまから急ぎの仕事なんで。それでは』とあっさり華子を置いて帰ってしまったのだ。

 『あの男め〜。自分から華子を引っ張り出したんだから、ちゃんと送って帰るぐらいしろ!』。そうして隼人はぽつんと残された華子を、こうして連れて帰っている途中。元々、今夜は翼が経営しているショットバー『ウィング』に顔を出すつもりだったので、ついでに華子も誘ったところだった。

 やはりあの男に、英太の幼馴染みは渡せない!
 つまりそういう怒りに渦巻かれている最中――。

「今なら間に合うよ、まだ。蘭子さんだって、財閥の長。そんなケチなこといわない。あんな、華ちゃんに負担ばかりかけるくせに、華ちゃんを送りもせずに自分だけさっさと帰って……」

 あんな男、やめてしまえ。
 そう言いそうになったところで、華子がケラケラと笑い出した。

「やっだ、大佐ったら。まるで私が本当に岩佐社長の婚約者みたいじゃないですか。偽物なのに、そんな本物の婚約者みたいに丁寧に扱われても」

 華子の言葉に、隼人もやっと我に返る。
 そうだった……! 岩佐は密かに本気でも、華子にとってはまだ『偽婚約者の仕事、彼とはそれ以外はただの知り合い』でしかないのだ。

「そうだけどなー、そうなんだけどなー」

 あー、もう。華子にとっては今はそうなのだが、岩佐はそう見せかけておいて実はそうではないから隼人の中では『気を付けろ』なのに。

 二人の前に、洒落たカクテルがそれぞれに出てきた。

「お連れ様には『ベビー・フェイス』、大佐は『ホワイト・リリィ』です」

 洗練された手つきで翼がカクテルを二つ。華子の目が楽しそうに輝いた。

「えー、私ってベビー・フェイスですか? それに大佐がホワイト・リリィって」

 華子はまた『大佐には似合わない』とばかりに笑ったが、隼人も笑いながらグラスを手に取る。

「名は優雅だけど、これで結構辛口でね」
「大佐の奥様のように?」

 その切り返しに、そこは隼人はぎょっとしてしまった。仕事柄話し上手だろうが、そういうある意味面白い切り返しが生意気。でも、翼が目の前でもう笑っていたのだ。

「なんだよ。翼君まで。まさかそういうつもりで、これを俺に?」
「空軍の男達も敵わないやり手の奥様ですからね。大佐が女性に優しいのは構いませんが、ベビー・フェイスのお嬢さんを連れて誤解されませんように」
「なんだ忠告の一杯か」

 でも隣の華子は、自分には似合わないと言いながらも『美味しい!』と喜んでいる。

「華ちゃん、あまり無理をするなよ」

 彼女が楽しそうにしているから、もう老婆心からくるおじさんの話などするまい……。その一言で済まそうとした。

「あー、美味しい! こんな男前のマスターがいて、こんな美味しいお酒が飲めるお店なんてひっさしぶり〜。マスター、もう一杯!」

 銀座での奥ゆかしい夜の蝶はどこへやら? 年相応の自然体の女の子になっているようだった。
 でも隼人は隣でそんな若い女の子を見て『そうだ、それが一番だよな』と、そっと笑っていた。
  銀座で作り上げた仕事での厳格な自分より、こうして本当の華子らしく生きていける方が幸せに決まっている。岩佐との結婚はやっぱり……。隼人はそう思う。あの妻だって、仕事では冷たい横顔の氷の女だし出会った頃も隼人に慣れてくれるまではあの顔だった。それが今でもその顔はしても、家庭では子供のように明るく無邪気になってくれることも多くなった。
 英太や華子には、彼等がどの道を選んだにしても、どんな生い立ちがあってもそんな家庭を持って欲しいという先に生きてきた者の願い。

「今夜は勿論俺のおごり。気が済むまでいくらでも飲んでいいよ」
「やったーっ! 大佐すてきー!」

 あれ。本当にあの『優美/ゆうび』のトップホステスとは思えない子供っぽさ?

「本当はさ。『優美/ゆうび』にいる『華というホステス』は、かなりの造りモノだろ」

 オフではかなり生意気そうな華子に『本当の姿』になってほしくて、カマをかけてみた。
 すると、そこで一瞬、あれだけ明るい華子が黙ってしまったのだが。

「えへ、そうなの。英太と一緒の私はこんなかんじ。……大佐には知っておいてもらってもいいかなって」

 すぐに明るく笑い飛ばしたが、隼人にはそれが普段の明るさでもちょっとした影を見た気がしたのだ。

「まあ、俺は。この前、俺を試した華ちゃんの方が『らしい』気がしたんだけどね」
「いい目の保養だったでしょ。奥さんと足の長さを比べて負けちゃったみたいだけど、見るもんは大佐も見たんだから」
「そりゃ目が行くだろ。あんなふうにおじさんをからかって。本気にするおじさんがいたらどうするんだ」

 まただ。明るく笑い飛ばしている割には、途端に表情が暗くなる。だが、またもや一瞬。

「……大佐がアレで本気になろうが無関心になろうが結果なんてどうでもいいけど。男ってそんなもんでしょ。大佐だってしっかり見ていたんだから」

 隼人ではない、何処とも言えない一点を見据えた華子の目が尖った気がした。
 男をもてなす仕事をしているのに、男に反発しているように見えた。

「マスター、もっとキツイのちょうだい。そうだ、大佐が飲んでいる『辛口奥様』を私も呑んでみたい」

 華子は二杯目もすぐ空にし、今度は不機嫌な様子で次を求めた。
 翼が少しばかり案じた目線を隼人に送ってきたが、隼人は『好きにさせてやってくれ』と目で返した。

「ホワイト・リリィです」

 翼が出してすぐ、それを手に取った華子は味わう様子もなく一気に飲み干してしまった。
 飲み慣れているだろうから、酒には弱くはないだろう――。そう思っていたが、グラスをかつんとカウンターに置いたその目が、もう据わっていた。

「なんかムカツク。余裕たっぷりで動じない旦那に、男共が跪くやり手の奥様。上流階級にいて困ったことがあってもお金と地位と人脈でなんでも出来るの。沢山もっているあんた達になにがわかるのよ」

 なんでも明るく笑い飛ばしていた華子から、そんなひねた声。
 隼人は翼と顔を見合わせたが……。そのまま黙って触らなかった。
 これが彼女の心の底にある本音?

「マスター、もっとちょうだい!!」

 隼人を伺うまでもなく、今度は翼自身から、なにもかも分かった顔でシェイカーを手にする。

「なによ、なによ。大佐なんか……私の足を見てもちっともだらしがない男の目にならなかったし。そんなに奥さんとラブラブで幸せで、いつだって余裕ってことなんでしょ。それで簡単に英太を手懐けちゃって。良い人で当然じゃん。なんでも持っているから、すぐに簡単にできるのよ。そんな人たちが、なにが『本当の私』よ!」

 やれやれ。感謝されたり、妬まれたり。隼人も『俺ももう一杯』と今度はウィスキーを頼んだ。
 そのうちに華子が隼人の横で『わーっ』と泣き出したので、びっくりたじろいだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい!! 本当は大佐にすっごく感謝しているの。だって、本当は英太が連絡つかない海の上にいるって不安なんだもの! 甥の英太がいない間に、たった一人の肉親の叔母になにかあったらどうしようってーー」

 と思ったら、今度は隼人の腕にしがみついて大泣き。

「わ、わかった。わかった。華ちゃんの気持ちは解っている。そうだ、そうだ。俺だけの感覚で、余計なお世話もしたかもな」
「わーん! そうじゃないの、そうじゃないの、大佐ー」

 ついには隼人の胸に飛び込んできて、わんわん泣き出したので流石の隼人も困惑。
 まわりの客がこちらを見て唖然としている。まるで、若い女の子をたぶらかして泣かせた中年男みたいではないか。

「ますた〜、もっとちょうだーい」

 空になったグラスを翼に差し出し、涙で崩れた顔のまま華子がもう一杯呑もうとしていた。

「ダメだ。今日は帰ろう」

 グラスを取り上げたが。

「まあ、大佐。いいではありませんか。夜の蝶なんでしょ。彼女達もたまにはお酒で崩れて、ガス抜きしたくなるんですよ」
「さっすが、マスタ〜。夜の世界をわかっている〜」

 夜の男と夜蝶同士だからわかるのか? 隼人にはわからないが、翼は華子が望むままにカクテルをもう一杯、さらに二杯……と作っていった。
 隼人はそれを隣で眺めているだけになってしまった。その間、華子はやっぱり一人でブツブツと文句を言っていた。
 隼人のこともそう、英太のこともそう。そして最後に自分が一番悪いんだと卑下して……。
 ところが、翼が作った何杯目かを飲んでいる途中で、華子がカウンターに突っ伏してしまった。
 本当に突然……! ぷち、と電源が切れたようにがっくりと。隼人はびっくりして、華子の身体を揺すったが反応なし。顔を覗くと眠っている!!?

「おい、銀座の女がこれぐらいの酒で潰れる気か」

 だが華子は『みんなバカ、私もバカ』とゴニョゴニョ呟いて力尽きているのだ。

「こんなことって……」

 おののく隼人を見て、ついに翼が笑い出した。

「思った通り。彼女、それほどお酒に強くなさそうですね。きっと仕事ではうまく調整していると思いますよ。あと、かなりストレスが溜まっているんでしょう」

 夜の男が言うことに、隼人は目を見張った。
 グラスを磨く翼が、ふと俯いた。

「綺麗な言葉遣い、でも大佐に気を許した時の強がった口。すぐにわかりましたよ。ああ、彼女は貴方をとても信頼しているから、我が儘をいいたくなったり、悪さをして受け入れて欲しかったり」
「いや、それは……」
「男と女と言うより、まるでお父さんにごねるお嬢さんにみえましたね」
「お父さんって! 俺、子持ちでもこんなでかい娘がいるような年齢じゃないけどな〜」
「信頼できる大人ってことなのでしょう。彼女、甘えるのが下手みたいですね。普段、我慢していることを言いたいけど、まだ貴方に全てはさらけだせない。でもさらけだそうとすると、文句を言いたくなる。普段、物わかりの良い気が利くお嬢さんを演じているんでしょう。でもそうではない。貴方に見つけて欲しいんじゃないかな」

 俺に? そう思ったが、第三者で見てくれたのがその眼を信用している翼だったので、隼人は何も言えなくなってしまった。

「それに。隼人さんはそういう人ですからね。出会った時、奥様を守ろうとあんなに全力だった人。貴方を見て、俺も美波をどんなことがあっても守って行かなくてはと思わせてくれた出会いだったんですから」

 隼人が数ヶ月か半年に一回、ここに翼に会いに来るのは、互いの妻達の近況を知らせるためだった。
 被害者と加害者の家族――。でも二人はここで会う。その時、隼人は正直に葉月がいまどんな状態か伝えた。そして翼も。だが夫達は妻達に会っていることは言わない。そこでなにを話し合ったかも言わない。
 被害者の妻を持つの夫として、隼人は加害者の娘の夫になった翼に『不眠と過呼吸、軽度のパニック症候群』を起こすことを知らせ、翼からは『それなりに子育てを頑張っている。環境が整わない子供を助けるボランティアをしている』等の報告をしてもらっていた。

「彼女、いま、葉月が期待を寄せ育てているパイロットの幼馴染みで、家族なんだ。そのパイロットがまた、葉月と同じように殺害未遂の被害者でね。彼女も訳ありのようなんだけれど、パイロットの青年を気にかけていたら、家族同然で暮らしている彼女のことも放っておけなくなって」
「そうでしたか。彼の方は大丈夫なんですか」
「ああ。一度も、葉月のような症状は起きていないから。ただ、飛び方が無茶ばかりしていた葉月にそっくりで。今は葉月が彼の未熟な心をサポートしてコントロールして、だいぶ成熟してきたところだな」
「ご自分の痛みを、若い者のために……。奥様、そうすることが出来るようになってきたんですね」
「うん。でも、彼にはこの銀座の彼女が必要だと思って……」

 すっかり寝入ってしまった華子を隼人は見た。

「彼女、明るく見えましたが、かなりたまっていると思いますよ。なのに造りあげた『嘘の自分』が今まで自分を守ってきたから、それで今も強がっている――。このまま放っておくと、彼女自身もわからない方向へ転がっていく」

 嘘の自分に振り回されて、彼女自身が壊れていく。そういうタイプ。今までそんな夜の女は幾人も見てきたと翼が言った。

「そうか。わかった」

 翼の言葉に、隼人は迷っていた心を正した。

「どうされるのですか」
「葉月とその青年がやっていることを二人でやってこそ意味ある成果があると思って黙って見守ってきたつもりだったけど。でもこの華子ちゃんと出会って、黙っていてもちっとも進まないような気がしたんだ」
「面白そうですね。奥様は青年の育成、ご主人はお嬢さんの育成ですか」
「そう。ウサギに宣戦布告。景気づけに、あいつが好きなマティーニを最後に一杯」

 そういうと、翼がなにもかもわかってくれた顔で『かしこまりました』と笑顔をみせてくれた。

 締めのマティーニを味わっている間、華子はすっかり寝息を立て、無邪気な顔を隼人に見せていた。

・・・◇・◇・◇・・・

 

 とてもいい匂いがした。
 甘い、なにかを焼いたお菓子のような匂い。それからふんわりとした、洗い立ての匂い。
 うっすらと開けた目には、花柄のシーツに陽射しに映える水色のカーテンに……。

 わっ! ここ、どこ!?

 華子は飛び起きる。

「も、も、もしかしてっ。ひさびさに、やっちゃった!?」

 二十歳になって飲酒が出来るようになってから、気を抜いてお酒を飲むといつの間にか眠ってしまうことがあった。
 それで目が覚めたら店の客が裸で隣にいたりとか、知らない男が隣にいたりとか……! そんなことが数回あった。もちろん、英太には内緒。でもこんな失敗をした時は華子自身とても落ち込むので、英太に話さなくても彼も『なにがあったんだ。まさかまた男となにかトラブっているんじゃないだろうな』と悟られてしまう。知らない内に子供が出来たらどうするんだと英太に怒られたこともある。
 そして思う。男は気を抜いて判断力がつかなくなった女を平気で食うのだと。

「ま、まさか……。あの大佐まで……」

 青ざめた。知らない部屋にいるというところから、既に『大佐にここに連れられてきた』のは明白。
 ……でも。落ち着いて自分の身体を見ると。昨日着てきた服のまま。ジャケットは脱がされていたが、ブラウスとスカートもそのまま。太股のあたりも胸元だって乱れていない。

「あれ? じゃあ、ここ、どこ?」

 なにもされていないことを確信できて、落ち着いた華子はやっと辺りを見渡した。

 ベッドは青い小花柄の可愛らしいシーツ。枕はラベンダーの香り。カーテンも空のように綺麗な水色で、窓からは同じような青空が見えていた。
 十畳ぐらいのこの部屋には、木造の机がひとつ。そこにはオルゴールや花柄のブックカバーがされている本が数冊、積んである。コートハンガーには、白いカーディガンがつるされ、そこには華子が着てきたジャケットも綺麗にかけられていた。
 とても優雅で女性らしいインテリアとファブリックで整えられた部屋。
 ホテルでもないし、大佐の部屋にも見えない。いったいどこ?

『おはようございます』
『あら、おはよう。隼人君、よく眠れた?』
『はい、おかげさまで。でもゆうべは突然に申し訳ありませんでした』
『いいのよ。それより彼女は起こさなくていいの?』

 部屋の外から、大佐と女性の声が聞こえてきた。
 誰か、知り合いの家に連れてこられたとわかった。

「どうしよう。きっと私……」

 昨日、どことなく気分がむしゃくしゃしていたせいか、美味しいお酒に任せて大佐に悪態をついていたのを思い出した。
 それだけなら、ちょっとした強がりって言うか……。強がりのかけあいで、大佐も華子の毒など逆に面白可笑しく返して、大人の会話をしてくれるだろう。そう思っていたのに。華子にはうっすらと記憶がある。

「あーん、お酒にのまれて、きっと言っちゃいけないこといっぱい言っていたに違いないんだからっ」

 口が悪いのは性分だって自分でも解っている。でも、まだ数回しかあっていない御園大佐に、しかも、とても感謝している大佐に……なんてことを。
 華子はがっくり項垂れた。こういう抑えがきかなくなることがある。たぶん、華子のこの性格を知ったら大抵の男は去っていくはず。笑って受け流してくれるのは英太だけ……。
 せめて、あの大佐の前では口は悪くても『生意気な女の子』ぐらいで収めておきたかったのに。これじゃあ、情けない自分を大佐に押しつけて『甘えた』ということになってしまう。生意気な女の子で、でもしっかり者の英太の幼馴染みでいたかったのに……!
 あまりの情けなさに打ちひしがれていると、そのうちにドアから『コンコン』とノックが聞こえ、華子は背筋を伸ばした。

「華ちゃん、起きたかな?」

 大佐の声がした。

「は、はいっ」
『はいってもいいかな』
「はいっ」

 とりあえず、寝起きの髪だけ手で整え、華子はベッドから出た。

「おはよう。二日酔いとか、大丈夫?」

 昨日はシックなスーツ姿だった御園大佐だったが、今日はいつもの彼に逆戻り、黒いネクタイの軍制服姿に戻っていた。

「大丈夫です。あの、私……」

 謝ろうと思って、でも謝ることがありすぎて、どこから謝ろうかと迷っていると、眼鏡の大佐がにっこりと爽やかな笑みを見せた。

「目が覚めて、わけがわからなかっただろ。ここ、俺の奥さんの実家ね」

 ――奥さんの実家!?
 それを聞いただけで、華子は気を失いそうになった。

「な、な、な、なんで、大佐っ。奥さんの実家に、昨夜一緒に呑んでいたわけのわからない銀座の女を連れてきたってことでしょ! 奥さんのお母様とお父様は……!」

 婿養子で肩身が狭いだろうし、なによりもそのお父さんとお母さんって、御園家の御当主ってわけでしょ? そんな一番不都合なことは知られたくないはずの奥さんのご両親の自宅に、昨夜、酔いつぶれた若い女を連れて帰った婿殿って!?
 だけれど、大佐はおかしそうに笑い出しただけ。

「あはははっ。華ちゃんのその顔が見てみたかったよ。俺だけ悪戯されてさー、悔しかったもんで!」
「私の悪戯のお返しに、奥様の実家を使ったってこと!?」
「ふーん、まだ華ちゃんには、わからないだろうなあ。何故、そんなことが出来たのかって」

 そこに大佐の勝ち誇った笑みが、嫌味なほど華子に向けられていた。
 だが大佐が次にはちょっと怖い顔に変貌したような気がした。

「身体の調子はどう?」
「いえ、大丈夫です」

 その顔がすごく真剣味を帯びたような気がして、素直に答えていたのだが。

「今日から、俺にそんな敬語はいらない。あの悪態をついた素の華子で話してもらおうか」
「え、今日からって?」

 すると大佐が、その怖い顔のまま華子に言った。

「今日から四日間、クラブ優美/ゆうびのホステス『華』は、俺の貸し切り。昨夜のうちに、優美子ママとも話が付いている」
「貸し切り!?」
「そう、つまり。俺と一緒にいるのが今日から華ちゃんの仕事ってわけ」

 それを四日間と大佐が言いだして、華子は仰天した。

「昨夜のこと、悪いと思っているなら、今から俺の言うことを聞いてもらおうか」

 その顔が怒っているように華子には見えた。
 やっぱり! 昨夜、かなり酷いことを大佐にズケズケと言っていたに違いない? 寝込んだのをいいことに、身体を自由にされたわけでもなかったが、『俺の言うことを四日間聞け』とか言うそれ以上の思わぬ報復!?

 すっかり呆然とさせられた華子に、御園大佐はさらに言った。

「今から、小笠原に一緒に行くんだ。四日間、俺と共に行動すること。いいな」

 小笠原に――!? どうして??

 目が覚めたら、異世界に来たような朝。
 あれこれとなにが起きているのか把握する前に、大佐がどんどん先手を打って華子を知らない世界に連れて行ってしまうような感覚に陥る。もう絶句するしかなかった。

 

 

 

 

Update/2010.5.5
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