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2.おっぱい魔女っ子ちゃん

 

 冷たいカフェオレを一杯。人もまばらのカフェテリア、特等席の窓際で一人。隼人は真美がごちゃごちゃにしてくれた資料を手に、もってきたミニノートにはいじられまくったデーターを立ち上げ、それを眺めて愕然としていた。

「そりゃ……佐々木女史も怒るしかないな、これは」

 一人ガックリ項垂れる。しかもしかも。横須賀ではあの長沼が目を通して、あちらも目を丸くしているに違いない。その次には『あの工学科科長室の仕事がこれ』と笑いがこみ上げて仕方がないだろう。クロウズでは、義兄も目に通すはずだ。『お前、なにやっているんだ』。義兄にも後で説教を喰らうだろう。救いは本部のフロリダにまだ送っていなかったことだ。

「こんなに散々な目に遭うのは、何年ぶりだ」

 とにかく。今から方々に頭を下げなくてはならない。
 意を決し、隼人はビジネス用の携帯電話を手にする。勿論、最初のコンタクトは『奈々美』。
 部署宛に連絡をし、電話口に出てくれた若い社員にもひとまずの詫びを入れ、それから奈々美を呼んでもらう。

「あーら。いつになったらこのミスに気が付くのかと待っていたら、ちっとも気が付かないから、『まさか、私から言いださない限り逃げ切るつもりかしら!』とか思って、ついついクレームを入れてしまったんだけど、『頭下げる覚悟』はちゃんとあったのね。余計なお世話をしちゃってごめんなさいねー。私が言わなくても気が付いてくれると思っていたんだけれどねー。でも、察するわー。流石の大佐もあんまりの大量ミスに合わす顔がなくて逃げたくもなるわよねえ。私だったら死にたいところよー」

 相変わらずの、きっつい一発を最初にドンと投げつけてきてくれ、覚悟はしていたのに隼人も『奈々美爆撃』に散る想い。この歳になって、ここまでのポジションを得て、それでもこんな辛いミスに遭う。それでも工学科科長である以上、瀕死になっても言わねばならない。

「私の責任です。本当に『佐々木様』からのお知らせがなければ、まったく気が付かなかったのかと思うと、情けないばかりで。申し訳ありませんでした」

 悔しいが、悔しいが! それでもミスはミス、ここで保身を謀る正当化をしようものなら、大佐としての格を疑われる。そうまでして嘘を付かねばならないケースもあるだろうが、こちらは『信頼関係が一番のパートナー』でもある宇佐美重工様。しかも相手は気が抜けない鉄の工学女奈々美だ。

「まあ、いいわ」

 あれ。嫌味はそれでお終いか。一度で終わったので、隼人は拍子抜けし頭を上げた。
 電話の向こうでも、なにやら考えあぐねている様子で、じっと黙っているのが彼女らしくなかったのだが。

「どーせあの『おっぱい魔女っ子ちゃん』が原因なんでしょう」
「おっぱい魔女っ子ちゃんって。あはは!」

 誰か直ぐに分かったのだが、あまりのネーミングに隼人は噴き出してしまった。

「笑い事なの!」
「はいはい。すみませーん」
「ちょっと、なにその、反省まったくなしの返事」

 いつもの調子の、憎まれ口同士に戻ったので隼人は笑ってしまった。奈々美はいつもの如く怒っているが、それはそれで彼女の毎度の調子でもあった。
 そんな奈々美が呆れながら、溜め息。

「あの子なら、貴方達工学科スタッフが積み上げたものを思わぬドジや思考でぶっ壊しそうだもの。あの理屈も自然界の原理も吹っ飛ばすような思いもつかないミスの仕方はある意味『魔法?』とか思っちゃう程だもの。今まで危なっかしいところ、私も目撃しているしね……」

 隼人が『神業』と思ったように、奈々美は『魔法』と来た。だから『おっぱい魔女っ子ちゃん』ということらしい。あのミスを『人間界とはかけ離れた』と見たところ、感覚が似ていてびっくり。だからこそ『分かってくれて、サンクス』と、隼人はとびつきたくなった。奈々美が女でなければ、最高の男友達になってくれそうだといつも思う惜しい仕事仲間なのだ。

「そろそろ処遇を考えた方が良いわよ。あの子が来るまで、貴方の科長室でこんなミスなかった。他のスタッフは流石貴方の部下だと思う隊員ばかりなのに。しかもリーダーの神谷君がこんなミスを負わされ、彼を信じて一手に任せていた大佐の貴方すらこんな恥をかかされて」
「まあねえ。俺だって、ずっとそうは思っていたけれど」
「私だったら直ぐに切るわよ。まさかとは思うけど、『縁故』とか言わないでしょうね」

 隼人は押し黙る。その間を女史に読まれた。

「うっそ、信じられない! 大佐程の男が『縁故』なんてものに振り回されていたなんて」
「俺だけだったら切っているって。なにせ連隊長経由、」
「あの連隊長が『縁故採用』ですって!? 私、小笠原不信になっちゃうっ」
「だろ、だろ。俺だって最初は思ったよ。けどさ、縦社会で抑えつけられてきた軍人気質の俺が上にたてつけるわけないでしょっ」
「どの口が『抑えつけられた軍人さん』なんて言ったのよ。上官でもある奥さんをおちょくってばかりいるくせに」
「失礼な。俺ほど、ミセスに忠実で従順な部下はいないと思うけどなあ」
「へえ、従順なんて思考が貴方の中にあったの」

 いちいち大袈裟にやり合うのが、隼人と奈々美のコミュニケーションだった。分かっていて大袈裟に驚き、必要以上に毒を盛って、それで結構二人で楽しんでいるのだ。
 だがある程度して話の核心へとなれば、大人に戻る。

「まさかねー。あの連隊長相手では、流石の大佐も切るに切れないわね」
「まあ、『是非、育ててくれ』と頼まれて『勿論です。イエッサー』とは言ったものの……。ここまでとは……」

 弱みを見せたくない女史でも、仕事の本音を漏らすことは互いに良くあること。その『弱った本音』が言えるのも、彼女が『善し悪し』をきちんと見極めてくれるビジネスレディだからだった。

「貴方じゃなくても、あの子はムリ。きっと細川さんでもムリ。いくら『女性隊員教育はエキスパートな御園大佐』でも、出来ないことがあるって事よ」
「まったくそのとーり。痛み入りました。僕にだって出来ないことはありますよ」
「当たり前じゃないの。いつからそんな思い上がっていたのよ、ナルシスト大佐」
「最初から思ってねーよ!」

 互いに分かっていての憎まれ口の応酬なのに、それでもたまに過剰反応してどちらかが本気で憤るのも毎度のこと。
 あの御園大佐が男の子みたいにムキになったと、奈々美は大喜びで大笑い。まあ、隼人もそれで佐々木女史の気が済んだならお安いものだと、電話口で密かに溜め息、でも安堵の一息も一緒についた。

「でもねー、大佐。今回のこと、ちょおっとおかしいわよ。いくら彼女が『おっぱい魔女っ子ちゃん』でも、あの神谷君の目をすり抜けてこうまでデーターをひっかきまわすだなんて……。この魔女っ子ちゃん、なにもしなくても男が寄って来るみたいだから、つねに甘えさせてくれる相手を確保するのが上手みたいだものね。だからこそ、非常にきな臭い、ほんときな臭い」

 流石、佐々木女史。と、隼人はドキリとさせられたのだが。

「ビンゴ。流石、奈々美女史」

 隠さずに反応すると、奈々美の驚きで引いた息づかいが伝わってきた。

「冗談じゃないわ。よりによってホワイトのデーターを嗅ぎ回るだなんて」
「目的はまだはっきりしていない。それに、これが、またちょっと笑えるんだが。魔女っ子ちゃんを使おうとした奴が、実は魔女っ子ちゃんのドジっぷりは見抜けず、尻尾を出すという失態」
「まあ! じゃあ、あの子がドジ踏まなくちゃ、かえって危なかったって事なの?」
「吉田が魔女っ子ちゃんの動向や人間関係に目を光らせておいてくれて助かった。マークすべき人間は分かったから、少しの間泳がしておくよ。もう二度とそちらに迷惑をかけるようなミスはしない。だから、今回のこと、ほどほどで勘弁してくれないかな」

 『まあ、上手い具合にすり抜けられたわね』と、やや不満そうな奈々美。あれだけの失敗だったのに、彼女の失敗のおかげでその向こうに見えていなかった大損害の影を知ることが出来た。だから許さざる得ないだなんて――ということだろう。

「そんなの、俺だって同じ気持ちなんだよ。きるにきれなくなったからな」
「連隊長にはそのことをちゃんと告げてくれるんでしょうね」
「勿論。連隊長が連れてきた魔女っ子ちゃんだからなあ。まあ、連隊長も渋々横須賀の上層部から引き受けたみたいだったけどな」
「あー、いやな世界! あの細川さんまでもが『縁故』なんてカードを無理矢理握らされるだなんて! だから連隊長も困って、貴方に押しつけたのね」
「んー、ここまで酷いとは。俺も、まあ今となっては連隊長も思っていなかったみたいで。とにかく、細川少将とも今度の対処については話しておくから、また連絡する」
「オーライ。こっちも変なのが近づかないよう気を付けておくわ」

 なんとか丸く収まった。隼人はほっとし電話を切った。

「次は、横須賀の長沼中佐か」

 さて。彼も事情を話せば分かってくれるだろうが。奈々美同様、最初の一発目は彼もさぞやきつめだろうなあ……と思うと、番号を押す指が上手く動かなかったりする。

「お疲れ様です。小笠原工学科の御園ですが」
「みましたよ〜、大佐。いやー、大佐の資料はいつだって見やすいと、こっちの会議では大評判で。貴方を信じていた私までとっても褒められてしまいましたよー」

 出た、すんごい嫌味。しかも会議にあのまま出したのかっ――隼人は青ざめた。まあ、それも長沼の冗談だと後で知るのだが。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 どれだけのミスがあったか把握し、今後どのようにすべきか。その先をイメージし終え、隼人はカフェテリアを出る。
 工学科科長室に戻ると、いつもはなんでも余裕でやりこなしてくれる科長があれだけ感情を露わにしていただけに、スタッフは隼人の姿を見ただけで小夜以外はさっと青ざめた顔を揃えた。

「今日は急ぎはなかったな」

 いつもの落ち着いた問いに、スタッフが頷いた。

「それなら今日はもう、業務は中止だ」

 小脇に抱えていたバインダーにミニノートPCを科長席へと置きに向かう姿を、部下達が目で追いながら『え』と驚きの顔。
 科長席に持っていたものを置くと、隼人は部下に指示をする。

「事務室の掃除をする。並びに、席替えだ」

 心機一転、そして気持ちを清める意味でも本日は清掃を本気でしようと隼人は決めた。しかもびっちり自分の目で監視する清掃。
 誰がどのような動きをするのか見るのに丁度良い。勿論、普段に仕事をみて充分に分かっていたつもりだが、もう一度この目でしっかり見ておこうと思う。
 きっと小夜に神谷は信じたとおりに動いてくれるだろう。若い青年の藤川に津島も戸惑いながらも自分達がやるべきことを見出していくだろう。さて、おっぱい魔女っ子ちゃんは……。
 隼人は科長席からおどおどしている真美へと視線を向けた。彼女は科長の隼人と目が合うと蛇に睨まれた蛙の如くビクッと身体を強ばらせていた。それでも、隼人は彼女に険しく告げる。

「野口。今日からお前の席はここだ」

 隼人は自分の席の真ん前を指さした。そう真っ正面、向かい合う位置へと。
 小夜に神谷がギョッとした顔になったが、それでも直ぐに隼人の意図を組んでくれたよう。

「野口は暫くの間、俺付きのアシスタントにする。俺の許可無く手伝いに駆り出さないこと。彼女は俺の言いつけた仕事だけに集中させる。なので、俺と彼女の席を、そこに移動、向かい合わせする。あとの四席は以前通りの向かい合わせに戻してくれ」

 本来なら科長で大佐である隼人の専属アシスタントなら大抜擢という意味合いで、それはそれは誰もが羨んだだろう。
 だが違う。今回は『他の仕事は一切触るな。科長の俺、直々の監視付き』という名だけのアシスタントという意味。それを若い青年二人もすぐに察して、動き始めてくれた。

「あの、あのっ。大佐のアシスタントなんて無理ですっ」

 真美が困惑した様子で、隼人のところにやってきた。

「大丈夫。おじさんがつているから」

 ある意味合いを込め、隼人はニンマリ。おっぱい魔女っ子ちゃんを見下ろした。彼女のうるっとした眼差しと目が合う。
 来たな、来たな。俺はそれには騙されないぞ。

「あの、せいいっぱい頑張ります」
「うんうん、そうしてくれ。期待しているからな」

 これは大抜擢ではない人選だと分かっているのか、分かっていないのか。
 その悪気ない清々しい前向きさが、建前でも何でもなく本気であるのが哀しいなあ……と隼人は心の中でひっそり溜め息をこぼした。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 あの人の声が聞こえないフライトは、どこかが欠けたような気持ちになる。

『スコーピオン、バレット、位置に着いたか』

 たまにこの大佐の指揮下にはいるが、同じ冷めた声でもテンションが全然違う。こちらはネーム通り血が通っていない『精密機械』そのもの。でも葉月さんは……。どこかそこはかとない血が湧き上がる、でも粛々とした情熱を英太は嗅ぎ取れることがある。
 今日は8機チームとは無線チャンネルが異なるので、葉月さんの声は絶対に聞こえてこないし、気配も感じられない。

『バレット、簡単に作戦を組もう。スタートしたら、4機4機に分裂させよう。空母を狙う俺が低空に引っ張っていく、バレットは上空に4機引っ張り上げてくれ』
「オーライ、スコーピオン」

 これはスナイダー先輩のコンバット。だから彼に従うと決めていた。

『どうせバレットは感覚飛行が先行するだろうから、細かいことは言わない。俺のバックを頼む。4機4機なんて綺麗な分断が理想だが、まあ無理だろう。俺に対して集中攻撃を狙ってくるだろうから、後続機はお前に任せる』
「ラジャー」
『その時々、俺の指示に従ってくれ。迷う時は最終的にはバレットの感覚に任せる』
「ラジャー。異存なし」

 シンプルな指示だった。英太もそれで良いと思う。自分もスナイダー先輩も先へ先へ急ぐタイプのパイロット。スポーツで言えば、フォワードみたいなもんだった。そんな判断力は異なっても、考え方が似ている同士が『俺はこうしよう、お前はこうしよう』なんて細かなこと決めたほうが混乱する。
 要は『俺達二人の感覚で行こうぜ』という……。まあ、先輩もこうなったらどう転んでも天のみぞ知る的な覚悟をしたんだろうな、と英太は感じていた。

 スコーピオンが希望した高度と位置についた。

『いいか』
『イエス、サー』
「イエッサー!」

【GOT・THUNDER― Go fight】

 大佐のスタートボイス。『ラジャー』と返答すると同時に英太の目はレーダーへ、そして操縦桿を握る手は既に反応していた。

 蜘蛛の巣にかかった獲物を捕らえようと、一気に8機チームがバレット機とスコーピオン機に向かってくる。

『バレット、俺とお前、エース候補タックの力をみせてやろうぜ』
「いいっすねえ。俺と先輩で無敵ってことっすね」
『いいテストだろう。いままでなかったなからな、この組み合わせ』

 初めて組む二人は、今や雷神のエース級パイロット。この先輩と組んで、他のベテラン達を出し抜いてやる。英太の胸も高鳴る。

 

 

 

 

Update/2010.10.20
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