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11.マイ・フェア・メン

 

 エドが運転するベンツが都内を丁寧に走る。

「忘れずに『正装制服』を持ってきたわよね」
「持ってきましたよ」

 今回の広報出張で葉月さんから出た指示は『きちんと清潔にみえる制服、白の正装制服、スーツ二着を準備』だった。
 しかし英太が持っているスーツは、成人式に春美があつらえてくれたもの一着のみ。それを言う前に、葉月さんが言った。――『スーツは持っていないと言っていたから、こちらでなんとかします』と。
 谷村社長とか旦那さんの隼人さんとか、ラングラー中佐とか。誰かから借りるのかと思ったら『今からショップに揃えにいく』と車に乗った葉月さんが言った。驚いたが、今回の英太はひらすら黙ってついていくことしかできないようだった。

 目的地に到着。そこは煌びやかな紳士服のショップだった。

「前もって貴方に合うものを揃えておくように伝えてあるから」

 口を開け、英太はそのガラスに輝くメンズショップを見上げた。

「懐かしいわね。テッドも私と初めて一緒に出張に行く時、軍服なしのコンタクトもあるからスーツもいるわよといったら『私服しかない』と言ったのよ」
「あのラングラー中佐が?」
「そうよ。それで初めての1着をここで彼も揃えたの」

 ウィンドーに飾られている洒落たシャツにネクタイ、そして颯爽ときめられているジャケットとスラックス。ノーマルなスタイルから、少し着崩したカジュアルなスタイルまで。ディスプレイは男でも、生き生きと自由なお洒落は出来るんだと訴えるかのようだった。

「これから貴方にも『スーツという私服』が必要よ。私といろいろなところに行き、様々な人と会う。いいわね」

 英太はすぐさま頷いた。そんなもんいらねー、なんて今はもう思っていない。

 エドを付き添わせショップに入っていく葉月さんの背を英太は見つめる。
 そうだ。彼女と一緒に歩くなら、俺もそれに見合うスタイルを築かなくてはならない。

 スーツといえばあの谷村社長。彼お馴染みの真っ黒なスーツを着こなしている大人の男っぷりは、基地の女性達にも評判。若い女性だって『これぞアダルトな男ってかんじ。素敵』とざわめいているほど。そしてきっと隼人さんも、私服でスーツを着たら男前に違いない。同世代の真一先生だって、彼に似合うトラッドなカジュアルで大人の男の着こなしをしていた。そしてエドも個性的なネクタイをしているのに、派手に見せないのは彼にとても似合っているからなのか。御園の男は『自分で決めた男のお洒落が出来る男』に違いない。
 俺も、これから着る。探す。まだまだ葉月さんに見立ててもらうような小僧だけれど。それでも葉月さんの横に並んでも見劣りしない男になってみせる。

 今はまだ葉月さんにいろいろと教えてもらうしかない『マイ・フェア・メン』。
 でも近い将来、それを卒業してやる。まずはスーツを着る。それを今の使命のようにして、英太も葉月さんの後をついてショップに入った。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 土曜。眠らない港街、横浜。都会の街が夕なずむと、人々の笑顔が煌びやかに見えるのはこの街だからなのか。

 この部屋の窓から見える街に、少しずつ小さな灯りが星のように灯り始める頃。その部屋にいる主である女性も、昼間とは違う妖しい女性へと変わろうとしていた。

「驚いたわね。お直しがいらないなんて」

 夕刻。もうすぐ橘中佐と約束の時間。それを前に、英太は揃えてもらったスーツに着替えているところ。
 自分でネクタイを締めたのに、エドに『ちょっと結び方が違いますね。制服のネクタイとは違うものと思ってください』と直されてしまう。

 そしてこの部屋に泊まっている女主人はソファーでお茶をしながら、青年部下の身支度を眺めているところだった。

「大尉は身長もありますし、体型も鍛えられて引き締まっていて、日本人離れしたスタイルですから」
「その体型が、日本人ながら外人のパイロットと張り合ってこられた要因でもあったわけね。でも良かったわね英太。お直しなしですぐに持って帰ってこられて」

 お直しがあるかもしれないから、午前から合わせに行ったのに。と葉月さん。でもいざ試着してみると、袖も裾も英太にぴったりだったので、ショップのスタッフも『モデル並ですね。日本でもそんなにおりませんよ』と驚いてくれた程だった。

 スーツは三着。二着は御園家からの贈り物――と言われた。勿論、とんでもない申し訳ないと言ったのだが。エドが『これはお嬢様が貴方に投資するのですよ。いい男になって欲しいという期待を込めた投資です。お祝いなんかではありませんよ。心して着こなしてください』。葉月さんに聞こえないよう、どこか男の先輩として諭すような厳しさを込めての耳打ち。そんなエドの諭しには英太も納得。エドと葉月さんが見立ててくれた二着を受け取った。
 そしてもう一着は自分で選んだ。どんなにちぐはぐなコーディネイトでも、自分で。そして自分で買った。その申し出には、葉月さんもエドも快く聞き入れてくれ、そして英太自身の初めてのスーツ選びにとことん付き合ってくれた。

 それでも今夜は、葉月さんとエドが見立ててくれた紺色のスーツを着ていく。
 二人は『好青年風』と言って揃えてくれた。リクルートではない大人の渋い紺。そして爽やかなブルーストライプのクレリックシャツ。ざっくりとした織りでニュアンスを醸し出す白の無地ネクタイ。
 三十代を間近に控えた英太の、そしてまだお洒落慣れしない男の、慣れていない爽やかさがテーマと二人が言っていただけに、本当にそれは英太も袖を通して『既に着慣れた感じがする』程、自分に馴染んでいると思ったから、この一着を今夜のために選んだ。

「お嬢様、そろそろお約束のお時間です」

 葉月さんも立ち上がる。そんなお嬢様にエドがジャケットを差し出す。ミルキーピンクのボウタイブラウスの上に真っ黒なジャケットを羽織らせる。葉月さんが袖を通し、ボタンを留めている間に、エドがささっと大きく結っていたボウタイのリボンに小さなブローチを付けている。
 甘い姿だった葉月さんが黒いジャケットを羽織っただけで、いつもの『ミセス准将』のムードをキリッと醸し出した。

 小さくてもキラキラと上品に光る黒いハンドバッグをエドが差し出し、葉月さんがそれを持つ。

「さあ。行きましょう、大尉」

 英太じゃなくて大尉。どんなにビシッと決めた私服同士であっても、葉月さんの今からの心積もりは『仕事に行く』ということだと英太にも通じてきた。
 だから英太はいつも通りに返事をする。

「イエス、マム」

 どんなにレディでも、今の葉月さんにエスコートは不要。
 彼女はいつだって英太の前を歩く。そして英太はまだついていくだけ。
 まだまだミセス准将と一介のパイロットだった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 エドが運転する車の中、後部座席で並んで座っている葉月さんが急に『打ち合わせをしておきましょう』と言いだした。

「貴方を連れて行くのにも意味はあるの。でも、私が橘さんと何を話し出しても驚かず黙っていて。でも『仕事の話』以外の、懐かしむような他愛もない話には貴方も気軽に、いつもの貴方で参加してね」
「仕事の話は、まだ俺にも教えてくれないんですね」

 葉月さんが何かを企んでいることを、英太はもう察していた。だから突っ込んでみたが、やはり葉月さんはちょっと困った顔をしていた。

「ごめんなさいね。黙ってみていて」
「俺が行く意味がほんとうにあるのですか。黙っているだけでいいなんて」
「あるわよ。貴方は私の部下でもあって、橘さんの部下でもあったのだから」
「つまり。俺は繋ぎってわけですか」

 葉月さんが真顔で黙ってしまった。

「そうね、そうとも言うかもしれないわ」

 だが英太はそれでも良いと思っている。

「分かりました。准将が思っているとおりに俺を使ってください」

 潔い返事に、葉月さんがほっとした顔を見せてくれた。

「そのうちに貴方にもわかるわよ。それまでは平気な顔をして欲しいの。……だって、英太ったら。教えたら顔に出てしまいそうなんだもの」

 それは当たっているかも――と、英太自身も思ってしまった。

「そんなにすごいことするつもりなんですか」

 同伴させる部下にも『本番まで言えない事』だなんて、かなりの極秘行動に葉月さんが打って出ている気がしたのだ。だが、葉月さんはあっさりと言った。

「そうよ。これに失敗したら、また正義さんにぶったたかれるかもしれないわね」
「マジで! もう嫌ですよ。あんな、葉月さんが容赦なくぶったたかれるだなんて!」
「だから、上手くやりたいから、英太はじっとしていてよ。分かったわね」

 『分かった』と答えたが、これって『打ち合わせか?』とも思ってしまった。
 そんな極秘で動いている葉月さんが、これからなにをしようとしているのか。彼女のこうした『ミセス准将として腕の見せ所』であるその場を目の前で見ることが出来るなんて滅多にないだろう。英太もドキドキしてきた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 18時。その男は既にレストランで待ちかまえていた。
 鬱蒼とした蔦の葉が絡まる洋館。どこか隠れ家的なフレンチレストラン。そこが葉月さんが指定した待ち合わせ場所。

「いらっしゃいませ。御園様。お嬢様、ご無沙汰しておりました」
「お久しぶりです、麻生さん。本日、仕事の話をしますので、よろしくお願い致します」
「承知致しております。どうぞ、お手伝いをさせてくださいませ」

 随分と親しい様子だった。また御園の行きつけということらしい。

「こちら。私が監督しているフライト雷神のパイロット、鈴木英太大尉です」
「鈴木大尉、いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり」
「鈴木英太です。よろしくお願い致します」

 隠れ家的な、一軒家のレストラン。でもそれなりに客席は多く、ほとんどのテーブルが埋まっている。大人の店なのか、食事でざわめきつつも落ち着いた雰囲気。浮かれた賑わいはなかった。

 そんな大人のレストランの、一番奥の窓際の席に葉月さんは案内をされる。
ふと気が付くと、もうエドはいなかった。『決して同席はしない』という彼の護衛人としての気構えをまた見た気がする。

「お連れ様、お待ちでございます」
「有り難う」

 周りに客がいない奥の席。そこは静かで、そしてアンティークなガラス窓のすぐそこは薔薇の植え込みが見える芝庭。そのテーブルで一人待っていた男がこちらを見た。

「橘さん。お待たせ致しました」

 葉月さんが現れ、そこで待っていた男がとても驚いた顔。それは英太がこの日一日見てきたことそのまま、隊長も目の当たりにしているのだとすぐに分かった。
 だが英太も驚いている。何故なら、あのもっさい隊長が綺麗に身なりを整え、男っぷりばっちりスーツ姿で決めていたからだった。

 

 

 

 

Update/2010.12.28
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