■ Mr.BlueSky ■

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6.奥さんが単身赴任したならば

 

 まったくもって必ずこうなる。新任大佐と大佐嬢が対峙する『ただでは終わらなかった』会議が終了。
 新任の細川大佐と御園大佐嬢の一騎打ち。二人の闘志は熱くはなく、どこまでも冷たく会場を凍えさせたのだが。解散後、幹部達はひそひそと囁き合い、各々の見解を言い合っているよう。そちらの方が熱気をかんじるほど。
「澤村中佐」
 声をかけられ、隼人はバインダー小脇に振り返る。そこには、人前では滅多に声を掛け合わない奥さんがいた。
「なんでしょうか。大佐嬢」
 達也は相変わらずの、交流営業で他中隊の先輩達の輪の中。話に盛り上がっている。いま、大佐嬢の横に常に控えているのは、隼人のポジションを譲った後輩のテッド。その二人が隼人を呼び止めている。
「よろしかったら、大佐室へいかがかしら」
 定時後にふらっと立ち寄ることはある古巣。だが通常勤務時間中は、用事がない限り気ままに足を運ぶことは今はない。そこには既に達也とテッドのやり方があるだろうから……。でもそこに彼女から誘ってくれている。
「特に……。大佐とお話しすることなどは……」
 本心は『お前、トーマス准将とどでかい研修の計画でも立てているのかと思ったら。伝説フライトチームの復活てなんなんだよ』と真っ正面から問いただしたい。
 だがそれは『夫』としてであって、工学科の一中佐が意見することではない。故に、今は大佐嬢と話すことはないと見なしたのだが……。
「工学科から提案された空部隊訓練と連携した、システム構築のお話。もっと詳しく聞かせていただけたらと思って」
 工学科の提案は、開発中の戦闘機と、訓練データーを管理するシステムと、新しく編成される空部隊大隊本部をリンクさせるという配置システムの提案。
 勿論、妻には『空部隊を管理するシステムを提案するつもり』とは告げたが、こちらも詳細は夫妻でも内密。だが妻も『戦闘機+データー+本部』の構築案に非常に興味を持ってくれたようだった。
「そういうことなら……。では、お邪魔いたします」
 やはり誰もが夫と妻が向き合う様子をそれとなく窺っている視線を感じる。
 こんな時隼人は、尚更に妻には腰を低くして彼女を際だたせる。
 妻は将官目の前の、若き大佐嬢。夫はとことん側近体質、縁の下で自由に動き回る万年中佐。――それでいいと本気で思っている。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 「お邪魔いたします」
 四中隊本部事務室で一礼をすると、事務所にいる懐かしい面々が隼人を見て席を立つ。
 ――『澤村中佐、お帰りなさい!』。
 経理班の河上女史、空部管理班のクリストファー、テリー、そして後輩達。総合管理班の柏木に、陸部管理班にいるデイビットも。
「おっす、お疲れ。この時間に珍しいな」
 目の前にもうジョイはない。でもその隣のデスクには相変わらず、がたいの良い陸部中佐の山中兄さん。
「お疲れ様。兄さん、お邪魔します。なんか、やっぱりただごとで終わらせてくれなくて……」
 苦笑いを浮かべながら隼人は隣にいる奥さんを指さした。
「あれぐらいやらないと、本当に横須賀に飛ばされていたわよ。正義兄様のメリットになる作戦を考えておいて正解だった」
 あの葉月がぶすっとした不機嫌な様子を露わにしている。会議室では定着している無感情令嬢を保っておきながらも、やはりここは自分のテリトリー。やや本心が現れてしまうようだったが。葉月の『横須賀に飛ばされる』の一言を聞いて、山中のお兄さんが驚いた顔に。
「お嬢、それ……本当なのか」
 葉月も思わずと言ったところか、ハッとした顔になりあたりを見渡した。
「ごめんなさい、お兄さん。まだ内示にも至っていないから、内緒にしていて」
「な、なんだ。決定事項かと思った。驚かすなよ……」
 だけれど。山中の兄さんはひやっとしたのか汗もでていないのに額を拭った。
「マジかよ。横須賀の先輩達から聞いていたけど、ほんとうにやる人なんだな……・」
 横須賀出身の男達は軒並み『あの細川ジュニアは恐ろしい』と言うが、隼人も痛感したところ。同じように汗なし額を拭いたくなる気持ち。
 だけれど、葉月はいつもの『にんまり』を既にみせていた。
「デメリット大っ嫌い。兄様にとって私はその『デメリット』。だったら、こっちから美味しい『メリット』を『新連隊長様』に奉納しなくっちゃねえ」
 葉月のニンマリした微笑みに、山中の兄さんがたじろぐ。
「お嬢もこええー。お嬢が笑うとこええー」
 隼人も同感。
「お兄様にたてつく気満々で、俺も安心いたしました。大佐嬢様」
 結局、俺達四中隊補佐官チームがどんなに案じても無駄無駄。そのうちに大佐嬢様は台風になって、俺達は巻き込まれていくしかないんだから。山中の兄さんと一緒に隼人も笑うと、葉月が『なんなのよ。本当に転属してやるからね』とムキになって言い返してきて、結局、彼女を笑う兄貴になっているのも、ここに来ると変わっていない。
   
 そんな懐かしい古巣にて肩の力が抜けたところで、さらに懐かしい元仕事場である大佐室へ隼人はお邪魔する。
「あ、テッド。いいわよ。中佐には私がお茶を入れるから」
 大佐室のドアがしまるなりキッチンにてお茶を入れようとしていたテッドを葉月が止める。
 隼人も驚いた。気心しれている大佐室に戻った途端、葉月がすっかり奥さんの顔になってくれていたからだ。
「かしこまりました。では私はカフェテリアでお茶菓子を揃えてきますね」
 気遣ってくれたのだろうか。葉月に付き添っていたテッドがすぐさま大佐室を出て行ってしまった。
 そんな葉月も大佐席に持っていた資料を置くと、すぐにキッチンへと行ってしまう。
「ここで貴方にカフェオレをご馳走するのは久しぶりね」
 そこのソファーで休んでいてね――と言われ、隼人も応接テーブルの上にバインダーを置いたのだが。……古巣の事務室なのに、お客さん扱いされると落ち着かなかった。
 やがて。背後から珈琲の香り……。あの大佐嬢がお茶を淹れてくれている。
「いい匂いだな」
 ついに隼人はキッチンの中へ、カフェオレボウルで珈琲とミルクを混ぜている奥さんの傍に行ってしまう。
「ここでは懐かしいでしょう」
「そうだな。時々だけど、大佐嬢が側近の俺にカフェオレをいれてくれた」
 葉月がふと笑う。
「私は毎日、ミルクティーを入れてもらっていたわね」
「おかげさまで。今ではお義母様にもお褒め頂けて……。婿としても良い訓練でした」
 なんて言ってみると、ついに葉月が笑い出す。
「それは辛い訓練をさせてしまいました。中佐殿」
「いえいえ。大佐嬢には頭が上がりません」
 またふざけると、あの大佐嬢がくすくすと声を漏らして笑い出してしまう。そんな彼女をみると、隼人は夫としても元側近としても微笑ましくて仕方がない。
「それに大佐嬢ときたら、相変わらず。男と真っ正面から『仕事』でとっくみあいだもんなあ……。まあ、良かった。雷神の計画は空部隊が出来上がってからと思っていたけど」
「最初から、空部隊設立で立ち上げようとトーマス教官と計画していたけれどね。でも、発表のタイミングはかなり早めてしまったわね」
 やっぱり……と、隼人はシンクに背をもたれ、うなだれため息をついた。
「いや。雷神ぐらいの威力がないと、あの細川大佐には跳ね返されていただろうな」
「そんな予感があったのよ。私、知っているの」
「知っている?」
 急に葉月の顔が、和やかだった妻から元の冷徹な大佐嬢へ。その顔で、彼女がカップとソーサーをセットし出来上がったカフェオレを隼人に差し出してくれている。
「これ、どうぞ」
 テーブルまで礼儀正しく運ばず、このキッチンで気軽に夫に差し出すそのカフェオレを、隼人も受け取る。
「お砂糖、いる?」
「今日はいらない」
 まるで自宅のキッチンのようで、葉月も淹れた側から自分の分も手にとってそのままシンクに寄りかかってカップに口を付けた。
 あまりにもざっくばらんなティータイム。でも……隼人が微笑むと、真顔だった妻もにっこり笑ってくれる。
 大佐と中佐という姿勢を崩さないよう心がけてきた職場で、ひっそりとこうして夫妻のひととき。厳しい会議の後、こんな時間をくれるようになった妻に喜びを隠せず、隼人はカフェオレを堪能してしまうのだが……。
 だが、そこはぐっと堪えて本題を。
「知っているって、なんだよ」
 すっかり気が緩んだ奥さんの可愛い顔でカフェオレを飲んでいる葉月も、静かにカップをソーサーに戻して調理台に戻してしまった。
 その途端、彼女の茶色の瞳がきらりと輝く。もう大佐嬢の不敵な笑みをみせている。
「あのお兄様ね。あれでも、細川のおじ様が、自分の父親がジャックナイフと呼ばれたパイロットであったことがすっごく自慢なのよ」
「え、そうなのかよ」
「そう。自分からべらべら自慢するとかではなくてね。話を振ると多少気が緩むという噂を耳にしてね……」
 とニンマリ奥さん。じゃじゃ馬娘の微笑み。
「すげえなあ、お前。どこからそんな噂を聞きつけるんだよっ」
 本当に敵わない大佐嬢になってきたなと、近頃本当にそう思う。
「あのお兄様が、伝説のフライト『雷神』を知らないはずがないもの。私が目障りだとなにか仕掛けてくるなら、初顔見せの今日の会議で絶対に速攻戦をしかけてくると思ったから、この日に早めて発表することにしたの」
「なんと、まあ……。はらはら致しました」
 もう言い返す気もない旦那になるしかない隼人も、奥さんが淹れてくれた特上カフェオレを飲み干した。
「でも、葉月。本当に転属を言い渡されたらどうする」
「雷神ごと、横須賀に行ってやるわよ。さようなら」
 と、葉月は笑うが頬が引きつっていた。そんな気は毛頭ないと言うこと。
「いや。俺達のことだよ。もし……も考えておかないと」
 夫として冷静に告げると、今度は百戦錬磨になってきた奥さんがしょんぼりしてしまった。
「どうしよう……。子供達と離れて、私だけ単身赴任?」
「いや、子供は母親といた方が良いと思う」
「でも、うちは隼人さんが完璧に母親同等の子育てが出来るし……。子供達はこの島で育ってきたし、お隣の達也一家も一緒だし。晃と兄弟みたいだし。あの子達の生まれてからの日常はここにあるんだもの」
 それもそうだな……と、隼人もため息をついた。
「でも。小さい内なら、違う土地で過ごすのも経験だと思うんだ。横須賀ならお祖父ちゃんとお祖母ちゃんもいるし、真一も、それに鎌倉の親戚もいるし……。今の右京兄さんとジャンヌ姉さんなら時間的にも余裕があるからいくらでも協力してもらえると思うんだ」
 そんなことになって欲しくないと思いながらも、隼人は妻に告げる。
「確かに。お前と同等になれるよう俺も子育ては頑張ってきたつもりだけれど。でもだからこそ判るんだよ」
「なにが……?」
 実は転属はショックだったのは葉月自身なのだろう、自信がなさそうな返答。二人きりでこうして話し合うとかなりめげている顔をやっと見せてくれる。
「やっぱり子供は、生まれる前からずっと一緒にいたママのこと、自分を産むために痛い思いをしてくれたママのこと、生まれて直ぐに肌に触れておっぱいをくれたママのこと。ちゃんと知っているんだって。俺が面倒を見ていても『ママは、ママは』と必ず聞くもんな」
「私が面倒を見ていても『パパは』て聞くわよ」
「杏奈をみただろ。あいつ、ママの肌に触れただけで今でも赤ちゃんみたいな顔をする。安心するんだ、やっぱり」
 そこで二人一緒に黙ってしまう。そして……
「じゃあ、隼人さんの結論は。私が子供を連れて、横須賀で両親と親戚と一緒に子育てをするってことなのね」
「うん。逆単身赴任する、俺」
 逆、単身赴任――。葉月がそれを聞いて面食らい、そしてついに笑い出していた。
「なにそれ。もう……。やだ。隼人さんがなんでも一人で出来ちゃうから、そんな言葉が出来ちゃうの!」
 転属を言い渡された妻が子供を連れていき、転属を言い渡されていない夫が一人暮らしを決断。逆単身赴任。
 だけれど、葉月はすぐに笑うのをやめてしまう。
「絶対、嫌。そんなの。貴方を一人にしてしまうだなんて。やっと家族になれたのに」
 本当のところ、葉月よりも隼人自身の方が『家族になりたかった』想いは強かったと振り返る。そこは達也も同じだったから、男二人『二世帯で乗り切ろうぜ』という流れになって今の『二世帯家族』が誕生したほど――。
「そうだけれど。まあ、どこの家族も一度や二度は直面する問題だろうからなあ……」
「そうよね。今までロイ兄様の庇護の下、ここで続けてこられたことは否めないわね。これからどう動かされるか、覚悟していかないと」
 家族持ち。あの葉月がそうして家族を思う真剣な顔。それを見ていたら、隼人はつい……。目の前にいる大佐嬢を構わずに両手を広げ、胸の中に引き寄せていた。
 胸まで抱き寄せられた葉月が驚いて、隼人を見上げる――。
「隼人さん……」
 さらにきつく抱きしめ、彼女のつむじに頬を寄せる。
「大丈夫だ。離れたってなんとかなる。本当に横須賀に転属させられても……。週に一度、必ず一緒に会うようにしよう」
 そう告げると、葉月も感極まったのかそっと夫の制服の胸元に頬を埋めてきた。
「うん、当然よ。私も子供を連れて、島に帰ってくるから。私の家は、今の家だもの」
 どうなるのだろうか。あの氷の刃のような目つきの細川ジュニアに、ばっさりやられてしまっても今は何も言えない……。
 そうしてひっそり、二人きりで抱き合い。それでも職場だからいつものドライな関係に戻ろうと互いに離れた途端だった。
「あれ。えっと……御園大佐……?」
 自動ドアが開いた音と共に、山中のお兄さんが大佐席へと葉月を探す姿。
「ここよ。中佐。どうかしたの」
 兄さんが葉月を見つける。葉月もすっかりいつもの冷めた横顔に変貌し、キッチンを出て行ってしまった。
「ホプキンス中佐が訪ねていらっしゃって……」
「リッキーが? どうぞ、お通しして」
 ときたま葉月をからかいにくるリッキー兄さんが来たと知り、隼人もキッチンから出る。
「お邪魔いたしますよ。大佐嬢」
 いつものにこやかな笑顔。だけれど、葉月はもう警戒心バリバリの険しい目つきをリッキー兄様に向けている。
「怪しいわね。リッキーがそんな顔で笑うと怪しい」
 お嬢は笑うと怖くて、ホプキンス中佐は笑うと怪しい。それは隼人も同感だった。
「まあ、怪しいかどうかはこの後直ぐ。隼人君もいるんだ……。ちょうどいい。二人揃って、ちょっと付き合ってくれないかな」
「付き合うってなに。はっきりしっかり教えてよ」
 警戒している葉月がきっぱり切り返すのだが。リッキー兄さんの笑みがますますにこやかになる。
「大佐嬢。出向かれた方がよろしいかと思いますよ」
「わ、わかったわよ……。ロイ兄様が呼んでこいと言ったのね」
「ええ。そういうことですね……」
 またもや歯切れが悪いリッキー兄さんの怪しい笑みに、葉月はいつまでも不審そうに兄さんを睨んでいた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 先ほどの会議で手元にあった資料をすべて持参して、俺の後をついてくるように。
 リッキー兄さんにそう言われ、隼人と葉月は揃って、手放したばかりの会議用資料を手にして彼の後に付いていく。
 連隊長秘書官の遣いとしてやってきた彼の指示は、連隊長の指示そのもの。だから隼人も、そして葉月も、黙ってついていく。
 フランク連隊長がわざわざ会議終了後に呼んでくれたのは……。隼人の心は『期待』していた。
 葉月の転属を阻止してくれるのだろうか。
 その為になにかアドバイスをくれるのだろうか。それとも……。
 こちらの若将軍のお兄様からの指示も毎度、気が抜けない。この人も成果を上げるためなら、女だろうが可愛がっている妹分だろうが、この子ならやれる適任だと思えば本当に過酷な状況に投下してしまうのだから。彼の導きがあって、葉月は大佐になれたようなもの。今度は何を……。
 それは吉なのか凶なのか――。
 しかし、リッキー兄さんの後をついていくと、隼人は葉月と共に異変に気がついた。
「待って、リッキー。連隊長室のロイ兄様のところに行くのではないの?」
 肩越しに振り向いた彼が、また意味深な笑み。
「トップシークレット扱いで。と、指示されているんで……」
 連隊長室とは逆方向、トップシークレット。ホプキンス中佐が案内。それだけで、隼人も彼にどこに案内されているのか判ってしまう。葉月も判ったのか無言になった。
「いつもの部屋だけど。こちらでお待ちですから」
 ――いつもの部屋。近頃、このリッキー兄さんが大佐嬢になにやら秘密裏に情報を伝えてくれる時に待ち合わせに使うようになった事務室。『陸部訓練科訓練班』。連隊長主席秘書官のホプキンス中佐が動かしている『秘密隊員』を忍ばせている架空部署。またここに連れてこられた。
「お待ちですって、ロイ兄様ではないわよね」
 葉月の横顔が途端に緊張したのを隼人は見た。そして隼人も……同じ事を感じている。もし、そうならば。リッキー兄さんが開けるドアの向こうにいるのは。
 リッキー兄さんがドアを開ける。
「わざわざご足労。こちらへ来てくれ」
 葉月とリッキー兄さんが良く密会するようになった机が一つしかない架空事務所。そのたった一つのデスクに座り待ちかまえていたのは『細川ジュニア』だった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 先ほど、大佐嬢の葉月と真っ向から冷めた視線をぶつけ合っていた次期連隊長候補の大佐兄様。
 その男性が、会議が終わるやいなや。自分より先輩であるリッキー兄さんを従え、秘密を管理する架空部署事務室へと御園夫妻をすぐさま呼びつけてきた。
 ――さて。その意図は?
「手短に済ませたい。そこへ」
 何事も淡泊に済ませたい様子の細川ジュニアが、自分の正面に据えた椅子へと隼人と葉月を促した。
 夫妻は顔を見合わせつつも、ここからは四中隊隊長大佐嬢と、工学科副科長である澤村中佐へと気持ちを切り替える。
 しかも二人一緒に椅子に座ると、前置きもなく始まる。
「まず、御園大佐嬢」
「はい」
「本日の資料を眺めさせてもらったのだが、」
「はい」
「トーマス准将の発起人としての宣言書らしきサイン書面までご丁寧に添えているが。これの原本をみせてもらおうか」
「かしこまりました」
 幹部が集まる会議に提出するのだから、偽物であるはずがないのに――。だがそこもしっかりチェックをする細川ジュニア。あるいは、噂のじゃじゃ馬嬢が時には『派手なはったり』を打つことがあるので疑っているのか。
 だが、葉月は抱えてきたバインダーの一ページを開けると、それごと細川ジュニアへと差し出した。
「うん。間違いなさそうだ」
「お疑いならば、シアトルへお問い合わせくださいませ」
「結構。これで充分――」
 しかも細川ジュニアは、大佐嬢が厳重にして持ち歩いているはずのバインダーを、彼女の許可なくバラバラとめくり始める。
 だが葉月は平然としていた。彼女も『なんでも見ていただいて結構』という覚悟で手厳しいジュニアに手渡したのかもしれない。
 先ほどは会議室でピリピリとしていた二人だったはずなのに。いま大佐嬢を邪魔者扱いをした大佐兄様は彼女の手の内を黙って眺め、そして葉月はそれを受け入れている静かな横顔――。隼人も黙って眺めているしかない。
「もう、パイロットの候補まで……」
 あのジュニアがため息をこぼした。銀縁の眼鏡をひょいと指先で直すと、さらに食い入るようにして大佐嬢の手の内を眺めている。
「このクラス分けだが……」
「最上段がキャプテン候補、その直ぐ下はキャプテン候補の予備軍。その次は副キャプテン、サブに適っているだろうと思われるパイロット候補です」
「ふむ。実力別……ということか」
「いえ。どのパイロットも実力はあって当然のものです。ですが『キャリア』はそうはいきません。ですので、経歴、経験をふまえ、実力+αで判断した段階です」
「キャプテンとその予備軍。サブキャプテン、中堅、若手――か。若手は結構候補がいるな」
「経験のないコックピット歴数年のものばかりですので、すべてが未知数です。なのでこれはと思った若手はキャリアに関係なくチェックしております。ですがキャリアを積んだとなるとそうはおりませんので、若手に比べて人数は絞られております」
「なるほど」
 ――先ほどの対立はどこへ?
 するすると話を交わすロボット的な二人の様子に、隼人は目を見張っていた。
「キャプテン候補が五名、既に三名……消去線らしきもので除外されているようなのだが……これは?」
 葉月がそこでふと致し方なさそうな微笑を見せる。
「それが。これぞと思って白羽の矢を立てたのですが……」
 葉月が黙る。彼女を見ず、大佐嬢の雷神計画虎の巻だけを食い入るように眺めていたジュニアが、ふと眼鏡の奥の目線を向ける。
「なにか不都合でもあったのか。あちらから断られた、とか。大佐嬢の説得で不足とあれば、こちらで何とかしても良いが?」
「いいえ。そちらの候補から除外した三名は、シアトル行きが既に決定しています」
「……つまり? トーマス准将も同じように見立てていた、ということか」
「はい。教官と見定めがかちあってしまい、少し前に一悶着……」
「ほう、それはそれは」
 彼が初めて晴れがましい笑みをみせた。眼鏡のフレームを掴み、どこか面白そうに……。
「師匠と見立てが一緒だったと言うのだな。しかし何故、そこで退いた。たとえ師匠でも遠慮はせずに全力で獲得すればよいのでは」
「いえ。教官と同じ見立てだったということだけで、私にとっては良き結果でございます。それに、まずはあちらの雷神から好スタートを切っていただかなければ、小笠原の第二隊のネームバリューへと繋がりませんので」
「それもそうだな。大佐嬢一人が『雷神復活』と唱えても『いつものやりたがり計画』と説得力は減少するだろうが、元雷神のパイロットであるトーマス准将が先に立ち上げるならば、そのネームバリューは確かなものになるだろう」
 『お嬢様の周りを巻き込んだやりたがり』――は、既に葉月がよく言われていること。細川ジュニアも世間と同じ目で見ていたようだった。
 しかし、葉月はそのように見られていても意に介せぬ微笑みをみせた。出た。その笑み――。
 そして冷めた表情ばかりの葉月が笑ったので、やはり細川ジュニアの淡泊な眼差しが、またそこに留まる。
「トーマス准将とかち合ってしまった候補者引き抜きを巡り、『私も目をつけていたんだから、そのパイロットをこちらによこせ、よこせ』とかなり騒ぎました。キャプテンクラスを三人も獲るのか。一人ぐらいと――。ですが最後に『譲りました』。小笠原の雷神がスタートを切った時、どのパイロットも我先にと入隊を希望するよう、シアトルの第一陣で話題をさらって欲しいとお願いいたしました。さらに。おそらく後に、教官からも『譲ったお返し』があるかと思いましたので」
 ――師匠に恩を売っておいた。そう葉月が微笑む。気のせいか? 一瞬、細川ジュニアが葉月をじっとみたまま惚けているように見えたが? 気のせいかと隼人も目を懲らす。
 細川ジュニアがやっと動き、『はあ』とため息を落としながら、大佐嬢の雷神バインダーを閉じる。
 そしてそれをボンと荒っぽく葉月の目の前に突き返してきた。
「シアトルの雷神スタート予定時期は」
「来年、早々に。教官、もといトーマス准将の元には一発OKのパイロットが既に転属段階に入っています。あちらは従来のホーネット、こちらは開発機でやっていくつもりですが、テーマカラーは二隊揃えたいというのがトーマス准将の意向です。テーマカラーは『白地にネイビーライン』。飛行服は白。これをシンボルと致します。勿論、雷神ワッペンのデザインも手配済みです」
「夜空に、稲妻だったな」
「いえ、今度は白昼の稲妻。こちらも白いワッペンにしようかと」
「そうか……。あのワッペンが」
 彼の唇の端が、この時だけ穏やかに緩んだ。
 葉月が言っていた『パイロットの父親が自慢』という話。隼人も実感した。――『この男も、空が好きな男だ』と。それならば、伝説のフライトを配下に持つ連隊長になることは、この上ない名誉に感じているに違いない。
 それでも彼の表情はすぐに大佐嬢にも負けない感情なきロボットへと固まっていく。
「すぐに引き抜きにかかれ。定員にしている十名揃ってからでは遅い。シアトルの雷神がスタートして遅くても半年後、五名でもいい、いや三名でもいい。とにかく小笠原にのれん分けされた第二隊があることをアピールしたい。そうすれば、残りの定員は我先にとパイロットから望んでくるだろう」
「承知いたしました。許可をありがとうございます」
 なんと――。会議の様子ではこれから対立してひと騒動かと思いきや。細川ジュニアは、雷神復活計画にかなりの乗り気。だが隼人はこの流れを見て思った。ただの頭が堅い男ではないと。そりゃそうだ。あの横須賀の業務隊長になったのだから、柔軟性だってあるだろう。そう思い改め、どこか安堵した。『これで妻の転属はなくなりそうだ』と。
「では。次、澤村中佐」
 葉月との話し合いもさっと終わってしまい、すぐさま隼人へと切り替わるその素早さも見事。
「はい」
「そちらも。見せていただこうか」
 妻同様、その大事に抱えている『すべて』を潔くこちらに渡せ。そう言われていると理解したのだが。勿論、隠すことなどなにもない。隼人も理解してもらい協力してもらいたいのだから。
 だが、本日。抱えているこの中には『あれ』がある。勿論、彼に見せるため、本日まで駆け回っていたはずなのだが。
 妻と違い躊躇っている隼人を見て、眼鏡の大佐がふとため息。すると彼から驚くことを言いだした。
「私に見せたくて集めていたのではないのか」
 何を言われているのか、直ぐに判った。だが、それを昨日転属してきたばかりの彼に何故知られている?
「特に空部隊のほとんどの幹部がサインしたようだが。まあ、先ほどの会議でここぞとばかりに皆に提示したら、大笑いしてやろうと思ったのにな。命拾いしたな、澤村中佐」
 ――なにもかも。判っている!
 隼人が著名運動をしていることも。そして先ほどの会議で、この大佐が言いだしたことで状況が一変し署名書を皆に提示する予定が狂ったこと。急遽、ひっこめたことすらも見抜かれている。しかも何故引っ込めたか。その心情もすっかり見抜かれている。
「それを出してもらおうか」
「承知いたしました」
 観念し、隼人は署名書を最初に差し出し、その後、大佐嬢同様に資料を集めているバインダーを手渡した。
 まずは。懸命に集めた署名書を彼が広げて眺めている。
「まったくもって、無駄なことを。これは没収とする」
 感情に訴えるのは無理な男。そう教えてもらったとおりの判決を下す新しい上司。
 隼人は密かに唇を噛んだのだが。

 

 

 

 

Update/2011.9.27
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