■ Mr.BlueSky ■

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9.喧嘩するほど仲が良い

 

 原因は、野ネズミが思わぬところに入り込み、配線を囓っていたことだった。
   
 細川ジュニアがその後、つきっきりで対処をしてくれたようで、後に配送課課長から工学科にいる隼人まで『捕獲協力、有り難うございました』という改めての礼の内線があった。
 でも。隼人はジュニアに付き添っていただけで、実際はなにもしていないのがちょっと心苦しい。後処理の迅速さといい、どのようなことにも柔軟に対策を施すようやっているのは間違いなくあのジュニア大佐殿自身の成せる技だった。
 正義兄様は隼人を誘いに来たのは、あの一度きり。もう工学科まで『地図通りの散歩をしよう』なんて来ることもなくなってしまった。
 ただ。隼人のデスクに『安全対策室』という臨時で設置された部署から配布されてきた書類がある。
『どのようなことでも、困っていることがあれば申請すること』
 と記されたものが配布されてきた。責任者は『細川大佐』。業務隊長の席に転任してきたわけではないし、副連隊長の永田准将の退官はまだ先。連隊長になるまで少し時間がある。そこで彼がこの小笠原で早速みつけた仕事がこれのようだった。
 そして隼人は笑った。
「じゃじゃウサの副業を、引き継いだのか」
 葉月の場合、こっそり目を配っていたのか、あるいは散歩で偶然見つけて請け負ってしまうことばかりなのかわからないが、細川大佐は『これは就任前には片づけておく』とばかりに、そんな庶務を自らかって出たようだ。おそらく自分が守る基地を把握しながら改善していくのは、忙しくなる前の今だと取り組むことにしたのだろう。
    
 それから暫くして。隼人もなにげなく果ての部署へと空いている時間に一人で出向いてしまった。
 先日と同じ時間。やはりそこにはあの彼女たちが自販機前で休憩をしているところだった。
「こんにちは。お疲れ様」
 隼人が一人で姿を見せると、彼女達が再び驚いた顔を見せた。だが今度はすぐに笑顔で迎えてくれる。
「お疲れ様です、御園中佐」
「先日は、有り難うございました」
 もう野ネズミは出ないかと聞くと、『はい』という彼女達。
「あの後、細川大佐が漁村にいる駆除に詳しい方を探してきてくださって。ちゃんと裏山の森に帰して、進入経路も調べてバリケードを設置してくれましたから」
 やっぱり。離島でどうやるべきか、来たばかりなのに仕事が速いなと隼人は唸った。
 そして隼人は、小脇に抱えていた箱を彼女達に差し出した。
「ああ、これ。本島からの土産物なんだけど。うちは女性が吉田大尉だけなんで、減らないんだ」
 いつもの調子で、今日は滅多に顔を合わせない彼女達に持ってきてみた。
 だけど。こちらの彼女達、すぐに喜びはせず、ちょっと困った顔。中枢で事務に就いている女性隊員達とはカフェテリアで良く情報交換はする隼人だが、確かに、一般庶務に携わっている彼女達とも間違いなくカフェテリアですれ違っているのだろうけど、そういう声かけをする機会など皆無だった。
 それでも。いちばん年長の彼女が『ありがとうございます』と丁寧に受け取ってくれた。
 その後、箱を開くと、やっぱり『わあ。あそこのお菓子よ』と女の子特有の笑顔に煌めく。
 だがやがて、その声がくすくすとしたものに変わっていく。なんだか隼人を見て笑っている?
「……えっと。なにか変だったかな。だよね、工学科にいるのにいきなりここにって」
 だが彼女達が首を振る。
「私たち、なかなか気がつてもらえなくて、なのにやって当たり前の業務だと思われているんだわと思うこともあるのですが。でも……」
「ちょっと得もしているよねと、時々話しているんです」
 なんでと隼人が首を傾げると、やっぱり彼女達は可笑しそうに言った。
「昨日も大佐嬢がこちらにいらして『禁止令解けたから』と、箱菓子を譲ってくれたものですから」
「え! うちの……、昨日来たんだ」
 確かにあの後すぐ、三日と経たずに細川ジュニアから『もう勝手に散歩をしてもよい』と解禁のお達しがあった。
 そして葉月は早速、この果ての部署に足を運んでたという……。おおざっぱにみえて、結構まめなことしてんだなと隼人はまた驚いたり。
「あの御園のご夫妻が、同じようにお菓子の箱を持って来てくれるなんて。他のところでもなかなかないと思うのですよ。どうしてこんなことになったのでしょうね」
「でも。嬉しいです」
「いただきます。御園中佐」
 彼女達の笑顔に、隼人はかえって恐縮。何故って。散歩を禁止にして、彼女の足跡を追って、やっと気がついたことばかり。それはきっと……表向き認めたくないだろうが、細川ジュニアも同じ心境だったのではないだろうか。
「あ、御園中佐ではないですか」
 事務所からあの白髪の課長が出てきた。
「先日は、ご苦労様でした。課長」
 その課長の片手に、珈琲サーバー。彼が現れた途端に薫り高い珈琲の匂いがぱあっと廊下に広がった。まるで純喫茶に来たような上等な匂い。
「はあ、見つかっちゃいましたか」
 課長が気恥ずかしそうに頭をかいて笑う。そして彼女達も楽しそうに教えてくれた。
「課長の趣味なんです。珈琲を淹れることが」
「え、そうなのですか。いえ、その……すっごく良い香りですね」
 これでカフェオレ飲んだら、美味いだろうな。ふとそう思った。
「中佐はフランス帰りでカフェオレがお好きとか。どうですか、一杯。先日の御礼にご馳走いたしますよ」
 え、本当に、本当に? そのお誘いには隼人も頬がつい緩み。
「では、その……お言葉に甘えて」
 これじゃあ、奥さんのサボタージュを注意することなんてできなくなってしまう。だけれど彼女達が『どうぞどうぞ』と事務所の中に隼人の背中を押して勧めてくれる。ついに隼人はお邪魔することに。
 小さな給湯室で、課長が丁寧にじっくりカフェオレを淹れてくれる。給湯室なのに何故か机が……。この事務所で珈琲を飲むために既に設置されている。なんだか隼人だけがここに座っただけではなさそうだった。
 簡易机で待っていた隼人の目の前にカップが置かれた。
 いい匂いに誘われるまま戴いたそれは、本当に極上だった。いろいろな秘書官補佐官のものを飲んできたし、自分もお茶入れは精進してきたつもりだったのに。
「う、美味いです!」
 課長は嬉しそうだった。そして彼が一言。
「大佐嬢もとっても気に入ってくださってね」
「え。アイツ……もしかして。時々ここにお邪魔しているとか」
 簡易的に置かれた机の訳を知ったような気になる。
 つい漏らしてもらったとばかりに、課長がハッと我に返ったかと思うと、バツが悪い笑みを見せた。
「あー、つい。ご主人だからと思って言ってしまいましたが。知らなかったことにしてください。飲んで行くといっても、私と顔を合わせた時で、まあ月に一度か二度あるかないかですよ。彼女も忙しいでしょうし」
 だが隼人は膝を打つ。
「わかった。アイツ、課長の一杯が美味いからここに来るようになったんだな」
 それだけではないとはわかりつつも、そう思いたくなる『妻の知られざる日常』だった。
「あはは、まさか。ですが、目を配ってくださっていることは安心感がありますね。あ、細川大佐が臨時設置した安全対策室から配布された書類。あれも助かりますね」
「そうですね。これであちこち目が行き届くと考えられたんだと思います。うちの奥さんの副業がなくなってしまいますね」
 そこで課長が少し眼差しを陰らせた。
「仕事と割り切っておりますが。正直、ここは静かすぎるんです。本部事務所から身をひいてあと五年で退官です。最後の勤めと思ってこちらに参りましたがね。あのようなアクシデントはあっても、中隊がひしめいているざわめきがとても遠く感じるんですよ」
 隼人はすこし困惑する。こちらの課長は元本部員ということで、まだ恵まれている異動ではある。本部員を勤め上げ、このような大きな基地の一部署の課長を任命されることは、それだけ認められていた証拠。同じ本部員でも本島の横須賀の窓際になるか、訓練校の雑務に回されるか、僻地の駐屯地へ行かされるか。老兵が最後に勤める道はそのようになってしまう。
 自分たちより先に切り開いてきてくれただろう大先輩達が、いま盛り立てている若者を見て遠い眼差し。それに応える言葉が隼人にはすぐには思い浮かべられなかった。
 だけれど、課長は珈琲カップを傾けながら、ようやっと明るい笑顔を見せてくれる。
「そこへ、あのお嬢さんがふらふらって来るでしょう。それもしょっちゅう。それはそれで、なんだか私たちもまだ置き去りにはされていず、彼女のような大佐嬢と同じところで勤めているんだなと思えるんですよ」
 そんな意図、まったくないだろうが。あのウサギは、昔からそう。フロリダ基地へ出向いた時もこんなかんじで、歩く先々でいろいろな拾いものをして、またはそこで出会った人から与えてもらっている。
「単なるふらふらなんですけどね。はあ、なのにどうしてかな。捕まえられないウサギというところなんですよ」
 まだ気心も知れていない出会ったばかりの課長に、隼人はうっかり『夫の顔』を見せてしまっていた。
 はっと我に返った時には遅し。課長が意味深な笑みで隼人を黙って見ている。だけど何も言わない。
「なるほど。ウサギ。この果ての棟に迷い込んできた大佐嬢にピッタリなたとえですね」
 ――なんて、流してくれたが。きっと思ったことだろう。『奥さんをウサギと呼んでからかっているのだろう』と。
 ここで隼人は、にこやかな笑顔の下に潜む課長の食えない一面を見たような気がした。
 なんだかんだいって、あちらは隼人など足元にも及ばない年配軍人。高い地位は得られなかったのだろうが、あの必死な形相でこの果てを守っていた歯を食いしばる顔を思い出していた。あのガッツで本部員をしていたのではないだろうかと。
 それにこの美味い珈琲。趣味なのか? 趣味でこんな熟練の味を出せるのだろうか。
 急にとてつもなく課長のことが気になり始める。
「おかわりいかがですか」
 ミルクをさらに温めているが、隼人はもうご馳走様ですと告げる。
「あの……」
 課長の横顔に隼人は尋ねる。
「失礼ですが。こちらに来られる前にはどちらに」
 小さな泡立て器でゆっくりと小鍋のミルクを温めている課長だが、返事がなかった。しかも横顔が隼人の視界から逸らされ、小鍋をコンロから降ろし背を向けられてしまう。
「お伝えしても、他愛もないところですので」
 うわー。ますます怪しい! まさか左遷でこちらに来たとか、そんな暗い過去があるわけじゃないだろうな――と隼人は密かに勘ぐってしまう。
 福留一成(ふくとめかずなり)大尉。その名を隼人はもう充分に刻み込んでいた。
 工学科のデスクに帰ったら、さっそく調べてみようと思いながら、美味しい最後の一口を飲み干した時だった。
「福留課長、お疲れ様です」
 果ての部署、配送課のささやかな給湯室に、あの険しい切れ長の目つきを持つ眼鏡の男性が現れる。
 しかもその男性も、隼人が暢気にカップを傾けている姿を見て驚いた顔。
「澤村まで……!」
 あれだけ締め上げて注意をした女房と同じことをしているのか! そう叱責されるのかと思った隼人は流石に慌てて立ち上がった。
「いえ。その、その後の様子を知りたくてつい」
 だが思ったよりも、眼鏡の大佐殿は食いついては来なかった。それどころか、やや困惑したまま黙り込んで、こちらも隼人から目を逸らす。
 あれ。なんだか様子が変だなと思うと、福留課長が柔らかに笑っている。
「いらっしゃいませ。細川大佐。いま丁度、カフェオレを淹れいているところでした。『今日は』カフェオレも如何ですか」
 『今日は』という言葉に、隼人の耳がぴくりと反応。そう話しかけられ、あの大佐がまた困った顔で隼人と目を合わせてくれない。
 つまり……。彼もここで課長のおもてなしを既に受けていたということ?
「カフェオレか。たまにはいいかもな」
 『いただこう』と、彼も隼人の傍に座り込んでしまった。
「課長。対策室に届いたこちら配送課からの申請書を見させて頂いたのだが」
 その一枚を細川大佐が小さな机の上に置いた。見ても構わないようだったので、隼人もそっと眺めてみる。
 そこには何月になにが出やすいという、裏山近いこの部署と野生物との関係が並べられていた。
「この、大佐嬢が以前駆除したというスズメバチの巣は、毎年どこかに作られているようだな」
「そうですね。基地故に様々な施設がありますから死角も多いのでしょう。森の中よりも外敵が少ない人間のテリトリーの方が安全だと思う本能があるのかもしれませんね」
「これ。いままで駆除をした場所を教えて欲しいのだが」
「かしこまりました。ですが、毎年注意をして駆除をしていけばそれでいいのかと最近は思っています」
「なにを。隊員が刺されて万が一、アナフィラキーショックでも起こしてみろ。あってはならないことだ」
 完璧な対策を望む、そんなところこの大佐らしいなと隼人は思った。しかもそれは結局、隊員のためともなっている。
「どうぞ。カフェオレです」
 細川ジュニアの目元が柔らかに緩む。
「うん。カフェオレもうまいですね。最高です」
 大佐の顔を忘れて、他部署の親父さんと親しむような姿を隼人はそっと眺めるだけ。
 時々、目上の人を敬う言葉をちゃんと使っているんだもんな……。厳しいだけではないことを隼人は見てしまう。
 ――ご馳走様でした。
 ふたり揃って福留課長に礼を述べ、お邪魔した事務所の隊員にも挨拶をして退出する。
 事務所のドアが閉まると、女性達のクスクスとした声が聞こえてきた。
 ――ちょっと。細川ジュニア大佐と御園中佐が揃ってお茶をしちゃうなんて。
 カフェでも絶対に見られないわよね――。
 課長の珈琲ってすごい。大佐嬢だって引き寄せられて来ちゃったんだもの。
 と、クスクスとさざめく囁きを聞いてしまう。
「参ったな。澤村まで来ているとは」
「はあ。ですが野ネズミはもう出ていないと知って安心しました」
 細川ジュニアも『そうだな』と珍しく笑った。
「島の洗礼を受けた気分だった。まさか野ネズミとはね……」
 そしてまたクスクスと笑っている。こんな姿、部下には見せているのだろうかと隼人はちょっと気になった。
「しかし。福留課長の珈琲は秀逸です。秘書室で毎日お茶入れをしている隊員並です」
 すると。それまで笑っていた細川ジュニアの様相がすっと冷めたような……。
 急に銀縁の眼鏡が険しく光り、隼人を見た。
「どこの誰だか。澤村は突き止めたのか」
「いえ。ですが、とても気になる方です。後ほど経歴を拝見しようかと思っていたところでしたが」
「小笠原基地が出来る前、俺の親父は横須賀や小松、三沢、岩国に浜松など。航空基地を点々としていたが、その小松でどうも一緒だったようだな」
 隼人はびっくりして背筋を伸ばした。
「細川元中将、お父様の部下だったと?」
「部下ではなく、パイロットと空部本部員という仲間だったみたいだ。福留課長の方がもう少し若いがね。その頃から珈琲が趣味のようで、とても美味かったと父も言っていた。その後、浜松の空部本部員、横須賀の業務隊本部員、最後に小笠原の第一中隊の本部員――」
 ということはこの横須賀業務隊長であった細川ジュニアの先輩ということにもなる。横須賀の業務隊本部員となれば、やっぱりエリート事務官じゃないかと。
「だけれど、秘書官という職務に抜擢されるには一歩惜しかったようだな。何度か候補にあがったようだが、上には上がいる……福留課長は常にそう思って生きてきたことだろう。だからあの謙虚さなのかもな」
 やはりこのジュニア殿の情報収集力は結構なものではないか。隼人なんてデーターベースを探るだけで、その人にあるエピソードまでには辿り着くしても、もっと時間がかかっているはず。
「惜しいな。確かに。先日の野ネズミ退治は苦戦していたが放置はしていなかった。あの果ての部署で懸命に対処してくれている。珈琲も美味いし……」
 おや、この人ってこんなふうに人を褒めるのかな――。隼人は違和感を持った。葉月なんてメッタメタにされていたのに。
 と思っていたら。ジュニア殿が思わぬことをニンマリと呟いた。
「いまから秘書官でも遅くはあるまい」
 えーっ。まさかいまから、ジュニア殿の力を使って『大抜擢』!?
 思わず、隼人はドキドキして胸を押さえてしまう。ちょっとした息切れ。
 もしそうなったら基地中で、福留課長は一気に注目されることになるだろう。
 そうなったらすごい。それに福留さんならそうなってもいいじゃないかと、思わず心躍っている自分にも驚く。
 このジュニア殿。見た目は妻とまったく異なるが、芯のところは、実は実はじゃじゃ馬と一緒で『あっと驚かせる台風兄貴』なのでは……!? なんて本気で思った。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 これはちょっとすごいことになりそうだ。
 興奮冷めやらず、これは妻にはひと言耳に入れておいた方がいいだろうと、久しぶりに第四中隊の本部へと隼人は向かっていた。
「お疲れ様」
 以前はジョイが門番をしていたところに、いまは柏木が座っている。
「お久しぶりです。大佐ならおりますよ」
 ああ、良かった。あのじゃじゃ馬め。基地で会おうとするとなかなか捕まえられないウサギだからなと安堵した。
 懐かしい大佐室へとお邪魔する。デスクの位置もそのまま。大窓の前に大佐嬢のデスク。右には以前自分が座っていたデスクにテッドが。そして左には相変わらずの達也が座っていた。
「あれ。兄さん。珍しいな。勤務時間中に訪ねて来るだなんて」
 達也が席を立って出迎えてくれる。
「お疲れ様です。なにかございましたか」
 いつも落ち着いているテッドが、隼人を見るなり不安そうな顔をした。
 そして、最後に目が合ったのは。
「いらっしゃい。なにかあったの」
 冷めた目の妻が淡々と尋ねる姿。しかもなんか睨まれているかのような嫌な目つき。
 貴方が来るとろくな事がないのよ。なんて言いたそうな顔に、ややムッとしたりする。
「なんだよ。いい話を持ってきたんだけどな。じゃあ、いいや。また夕方ゆっくりくるとしよう」
 なんて意地悪い切り返しをしても、妻はなんのその。
「どうせ、たいしたことじゃないんでしょ。自宅で聞きます」
 やっぱこのじゃじゃウサ、いまでもムカツク。仕事ではああいう顔で夫の隼人でも冷たく切り返してくる。
「まあまあまあ。お、俺は兄さんが急いで持ってきてくれたお話、聞きたいな〜」
 こういう場はいつも上手くまとめてくれる達也が早速、間に入ってくれる。
「そ、そうですよ。ひと息入れても良い頃ですね。私、お茶を準備いたします」
 テッドも気遣ってさっと給湯室へ向かっていく。
 だが、さきほどお茶をしてきたばかり。
「ああ、テッド。いいよ。いま細川大佐とお茶をしてきたばかりだから」
 と、ワザと言ったつもりはなかったが、それだけで達也とテッドが揃って飛び上がった。
「どどどど、どうして。に、兄さん! あの怖い大佐とどうしてお茶を!」
「な、なにか言われたのですか!?」
 男二人に詰め寄られたが、妻はデスクで平然とした顔をしている。いつもそう、もうおまえも驚けよと言いたくなる憎たらしい態度も健在。
 だが、多少は気になったのか。やっと葉月はデスクから立ち上がると、テッドのお茶を待つかのように応接ソファーにゆったりと腰を落とした。そばで騒々しい男を傍目に、あのひんやりとした雰囲気でそっと隼人を見上げる。
 その冷たい、なのに茶色の透き通った瞳に見つめられると、男共がどうしてかクールダウンするから不思議で、もう見慣れた眼差しなのに、それでも慣れた男達はどうしてか葉月の目ひとつで静かになってしまう。
「なにかあったの。兄様と」
 それなりに気になるのも仕方がない。どんなに平然とした顔を作っていても、いまの葉月にとって、一番気をつけて置きたい上官なのだから。
 だが隼人は、ついつい。興奮を抑えきれず、妻の様子も気にせず、ストレートに言ってしまう。
「ほら。野ネズミの話をしただろう」
「ああ。福留さんのところの。私がお手伝いする前に、散歩禁止令を出した正義兄様がやってくれることになった」
 そう。葉月は『野ネズミ退治』は、もしかすると自分がする仕事になったかもしれないのに、自分の散歩ルートを勝手に探った兄貴二人がいつのまにかその果ての部署の課長達と顔見知りになり、頼られたことに、ちょっと不機嫌な顔をするようになった。
 仕事を横取りされたというよりかは、『秘密の散歩道を荒らされた』と思っているようだ。
「その後、大丈夫になったのか気になって、俺も今日、訪ねてみたんだよ。そこで、福留課長がとても美味しいカフェオレを振る舞ってくれて」
「福留さんの珈琲は趣味を越えているからね」
 このじゃじゃウサさんは、もうかなり前から福留珈琲のファンだったのだろう。
「それが。その美味い珈琲に引き寄せられちゃったのか、細川大佐もわざわざ訪ねてきて」
 話を聞いていた達也とテッドも『えー!』と驚きを見せた。
 だが、葉月はまだ冷めた顔のまま。
「ふうん。兄様も知ってしまったの。福留さんの珈琲が美味しくて、またお邪魔したくなる気持ちわかるけれど」
「おまえもな。あの端っこの部署にまで、足繁く通う訳だ」
 どうしてサボタージュコースに選んだのか、ウサギの習性を暴いた気持ちで、隼人も勝ち誇って笑って見せたのに。なのにやっぱりじゃじゃ馬も負けずと知らぬ顔。
「そんな。今更なお話どうでもいいわよ。福留さんの珈琲が美味しくて、貴方と兄様がそこで仲良くしてきたお話も結構」
 そんな話だったのかと、葉月は呆れた様にソファーを立ち上がった。
「まさか。それだけじゃない。珈琲を気にいっただけじゃない」
 去ろうとする妻が、その夫のひと言にぴくりと立ち止まった。
 そして何かを悟ったようにゆっくりと隼人へと振り返る。その目がもう燃えていた。氷の眼差しが急激に燃える。その瞬間を知ってい男達は、普段どんなに『じゃじゃ馬お嬢様』とからかっていても震えあがる。それは夫の隼人でも。
「正義兄様……。福留さんのこと……なにか言っていたの」
 言う前に、全てを見抜いたような言葉に、さらに隼人は硬直する。これぞ大佐嬢と補佐官という差というべきか。
「いや、その。はっきりと決めたわけではなさそうだけれど、いまからでも秘書官でも遅くはないだろうと」
 達也とテッドも傍でギョッとした顔になる。
「兄さん、それって。あの退官前のおじさんを……細川大佐の部下にってことか」
「ゆくゆくは、連隊長秘書室の秘書官ってことですよね。それは大抜擢ですね!」
 だろう、だろう。これって先に知っておくべき情報だっただろうと、隼人は胸を張りたくなるところ。それどころじゃない。妻が、葉月が、もの凄い形相で夫の隼人を睨んでいる。
 そして隼人も、そんな妻が何故怒るかわかってしまった!
 この時ほど、『じゃじゃウサのお散歩は恐ろしい』と思ったことはない!
「まさか。葉月、おまえ……。あそこに通っていたのは……」
 その怒りをぶつけるべく、葉月が夫に叫んだ。
「私が先に福留さんに目をつけたのよ! 私が空部隊を持つ時の秘書官にと思って準備していたのよ! あのおじ様は秘書室をちゃんと守ってくれる優秀な隊員。私の散歩道を歩いてきたから出会った人が、先に引き抜くなんて許さない!!」
 葉月はそれだけ言うと、サッと大佐室を出て行ってしまった。
 あんなに感情を露わにする大佐嬢ではない。なのにあんなに怒って……。
 あっけにとられた男三人。しばらくして、やっと顔を見合わせた。
「うわー、うわー。兄さん、どうするんだよ。細川ジュニア大佐と葉月が、おじさん隊員を巡って取り合いを始めるのか」
 隼人も青ざめる。だが、葉月の言い分は合っている。
「お言葉ですけれど。葉月さんがあちこち歩いて見て回って、親しくなるためにも、足繁くさりげなく通って見つけた方です。細川大佐も同じように歩いて見つけられたというならともかく。葉月さんの散歩道を探らなければ、いまでもご存じにはなられなかったことでしょう。それは狙っていた大佐嬢は悔しいと思います」
 さすが側近。相手が大物上官でも、自分の上司の味方だった。
 いや。これでは葉月が気の毒なことになる。
 さて。これは困った。というか、新しい兄様と葉月は反発しあっているくせに、見ていること考えていることが似ていて実はとても気があっている。後からそれが出てくるから、ほんと困る。勘弁して欲しいと、隼人もげんなりしてきた。

 

 

 

 

  また、よろしくね♪

 

 

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Update/2014.7.28
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