◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 4.いらっしゃいませ、ミセス准将  

 

 心優も遅れまいと、トレイにおもてなしのお茶を乗せ、隣接している『本部隊長室』へと運ぶ。
 心優も緊張する。女王様にはお会いしたことはあるが、いつ会っても緊張する。

 彼女は『女王』と呼ばれるに、あまりにも相応しい女性。

「失礼いたします」
 ティーカップを乗せたトレイを持ち、心優は長沼准将室に入室する。
 『空部大隊本部、隊長室』、主は四十代で准将になられた『長沼准将』。
 城戸中佐と心優の『大ボス』ということになる。

 広い准将室のゆったりとした応接ソファーには、制服姿の長沼准将と、噂のミセス准将が既に向き合って談笑していた。
 お茶の到着に気がついた長沼准将が、心優に微笑む。
「ご苦労様」
 長沼准将も、元パイロットだった。
 城戸中佐が彼の下で秘書官として重宝されているのも、『お互いに早々にコックピットを引退し、事務官へと徹底した転換に成功した元パイロット同士』だからだった。
 元パイロットと言えば、男共の平常心を掻き乱すこちらの女性も……。

「こんにちは、園田さん。お元気そうね」

 涼やかな微笑みの、栗毛の女性。御園(みぞの)葉月准将。
 皆が『ミセス准将』と呼ぶその人がそこにいる。
 彼女も元パイロット。女性ながら、その才能と技術は確かだったと当時を知るパイロットは口を揃える。
 しとやかな栗毛は、彼女がクウォーターだから。ガラス玉のように透き通った茶色の瞳。そしてツンと通った鼻筋に、白い肌。日本人の顔立ちではなかった。
 なによりも、そこにいるだけで優雅さが香り立つ。
「いらっしゃいませ、御園准将。お紅茶です」
「いつもありがとう。こちらのロイヤルミルクティーは、とっても美味しいから、いつも楽しみ」
 彼女のお気に入りの銘柄で煎れたアールグレイのミルクティーを目の前においた。
 ティーカップは、ロイヤルコペンハーゲンのフローラダニカ。
 こんな茶器、本当ならば税金でまかなわれている軍隊の接客用品としてあってはならないものだった。あるとしたら『隊員自らの持参』。このティーカップは、城戸中佐が揃えたもの、だった。
 ここで『おかしい』と心優も気がついた。拒絶反応をしている女性に、彼自身から『自腹を切って揃えた』のだから。
 紅茶好きの彼女が、度々、長沼准将を訪ねてくる。秘書官として最高のおもてなしを――。そんな心構えで自腹を切ったと言われればそれまで。だけれど、だからって……如何にも女王様のお好み狙い打ちのものを、中佐殿自ら揃えるなんて、『いつもの態度と矛盾している』と心優でも思う。
 彼女の長い指が、愛らしい小花が描かれているカップを持とうとしている。そこにスミレのような絵があるせいか、彼女の指先から可憐な匂いが漂ったような気になるほどに、品の良い仕草。
「いつ見ても素敵なカップね。私の祖母もフローラダニカの大ファンで沢山集めていたの。懐かしい」
 こんなしっとりと上品なマダムが、元パイロット? 誰が想像できるだろうか。それほどに彼女の優雅さはそこにいる誰もを釘付けにして圧倒させる。
 それを私たちの大ボスがこれまた、うっとりと満足そうに眺めているのもいつものこと。いい歳の地位がある中年男性がこうした隙を見せる。彼女はそんな空気をつくってしまう。
 周りの人々をその優美さで虜にしてしまうのも、彼女の持って生まれた『血』だった。
 亡き祖母は、スペインの元貴族の血筋。祖父も父親も母親も、叔父も従兄も従姉の夫も、彼女の亡き姉も、そして彼女の夫も。一族の皆がこの軍隊に携わってきた『資産家軍人一家の育ち』でもある。軍の中には心優のような二世隊員も多少はいるが、彼女のような三世隊員は珍しく、いわゆる『軍隊のサラブレッド』でもあった。
 彼女自身も、十代の頃からアメリカ本部の訓練校生として叩き上げられ、やがてパイロットの道を選び、男達の中で空の限界に身を投じ挑んできた女性パイロットの先駆者でもあった。
 彼女が『女王』と呼ばれるのは、女性ながらにパイロットをやりこなしたからではない。女身で准将という女性初の将軍職に就任できたのも、数々の功績があるからだった。
 その功績も語れば長くなる。最年少で大佐にもなったお方。ミセス准将と呼ばれる前は、『大佐嬢』とも呼ばれていたとか。それに至るまでの『伝説のような功績』を聞くと、心優は彼女は女性ではなかったと言いたくなる。とてもじゃないけれど、同じ女性として、真似ができないことばかり耳にしてきた。
 なのに彼女は持って生まれた優雅さをまとい、女王の品格にふさわしく、美しく品良く静かにそこにいる。
 彼女に憧れはあれど、彼女の傍に行くと、何故かひんやりとした冷気もかんじることがあり、会えばいつも心優は緊張している。
 戦闘機が飛び立つ甲板に立つと、彼女は女に見えなくなる。そこにいるのは無感情な指揮官。空部隊の男達はそういう。
 陸勤務ばかりしてきた心優は、まだそんなミセス准将を見たことがない。空母艦の甲板上の訓練など、ただの事務官が踏み入れられない世界だった。
「君が突然、俺を訪ねてくるのはいつものことだけれど。その度に、ちょっとだけお願いという顔をして、実際はとんでもないお願いばかりだからなあ」
「失礼ですわね。こちらだって、お願いをする時はそれ相応の『痛手を負う覚悟』で申し出ているではありませんか」
「痛手? そちらが痛手を負うほどの、でっかいリスクのあるお願いはお断りだよ。葉月ちゃん」
「それほどの手土産を持ってこなければ、こちらのお話も聞いてくださらないではないですか。長沼さんったら。お土産だって、いつも喜んで受け取ってくださっているではありませんか」
「お土産によるよ。ありきたりなお土産ならお断りだ」
「まあ。やっぱりお土産がいるのね。もう、今度のお土産も困ってしまいますわ」
 『あはは』、『うふふ』と楽しげに笑っているお二人だけれど、この時点で既にお二人の腹の探り合いが始まっている。
 心優も聞き慣れてきたが、最初の頃は『なんという穏やかな言い争いか』と、奇妙な空気に眉をひそめたものだった。闘争心剥き出しで言い合うのが如何に若輩者であることか、若い心優は思い知らされるシーンだった。
 言ってみれば、普段はニコニコしてなにを考えているかわからない長沼准将が『狸』なら、冷めた目つきでやんわりと微笑むだけのクールなミセス准将は『狐』。お二人は同世代の元パイロット同士で、共に任務に就き、同じ空母に乗り込み、同じ釜の飯を食した同志。同じ地位に就き、志は同じでも、大きな責務を背負い守るために互いが持っている手駒を見合って牽制し合っている。
 大抵は『台風お嬢様』と言われてきたミセスが『思わぬ提案』を持ってきて、堅実で保守的である長沼准将が仰天する。だけれど、彼女の的確な提案にいつのまにか男の准将が飲まれ、『困る、困る』と言いながら、彼女が持ってきた『大きな手土産』に負けて聞き入れてしまう。その後に、大ボスの長沼准将は必ずこう言う。『ハラハラするけれど、彼女の提案は正解だった。助かった』と。そして最後にこれも必ず――『彼女が男だったら末恐ろしい』と言い残す。
 結局、軍人一家の末娘で、跡継ぎお嬢様であるサラブレッドのミセスが周りを巻き込んで一人勝ち。
 それを疎ましく思っている男もいれば、魅せられる男も多い。もちろん女性達も同様に。心優も、心の底から彼女に魅せられている一人だった。
「城戸君もお元気そうね。ますます活躍されていること、小笠原でもよく聞きます。現役パイロットの気持ちが汲み取れる隊員が管理本部にいることは、パイロット達にとっては大きな後ろ盾、心強い味方です」
 長沼准将が座るソファーの後ろに控えて佇んでいた中佐殿に声がかかった。心優はドキリとする。そして大ボスの長沼准将も、表情を固めたのがわかる。
 訳ありの二人が、いま視線を交わす。この何とも言えない凍った空気――。
「ありがとうございます。短い現役でしたが、少しでもお役に立てられるようにと思っております」
 ミセスに負けない冷めた眼差しで、城戸中佐がそつない返答をする。
「ふふ。頼もしいこと。嬉しいわね。お願いしますね」
 栗毛の彼女が、そこは優しく笑って柔らかな仕草で紅茶を飲んだ。
 そんなパイロット軍団の女王様に声をかけられたら、お目にとまった空の男なら喜ぶところだろうに。なのに城戸中佐はすぐに視線を逸らし、もうミセスなど見ようともしない。
 見ていられないのは、そんな城戸中佐の方がロボットのようにカッチリと固まった佇まいになり、いつもの飄々とした彼ではなくなること。
 それはミセス准将もわかっているようで……。彼女までもが、そこで寂しそうに目を伏せてしまうのだった。
 そこでシンとしてしまうのもいつものこと。この空気が漂うと、長沼准将まで居たたまれないとばかりに落ち着きをなくしてしまう。

 そんな居たたまれない空気を変えようとしたのも、ミセス准将自ら。
「ところで、長沼さん。来年、各基地への直行便搭乗口の駐車場がなくなって、民間から買い取った土地に移転。そこにいまの待合室を拡大増設させるというお話をお聞きしたのですけれど」
「ああ。……うん、そうだね。あそこも古いからね。搭乗手続きをする隊員の作業を軽減する新システムを投入するために改築するんだそうだ」
 それまでお互いに怪しい微笑みで言い合うことを楽しんでいたふたりの空気が変わった。
「そう。本当のお話でしたの……」
 ミセスの眼差しが陰る。でも、ほんのりとした笑みを唇に残したまま、また優雅な手つきでティーカップを持った。
 長沼准将も同じく。なにやら手持ち無沙汰な様子で、心優が目の前においたティーカップをやっと手に持った。
「君にとっては、いいことなんじゃないの。あんな駐車場なんて」
 離島である小笠原基地で勤める隊員や家族のために、軍から直行便が設けられている。その有料直行便の搭乗手続きをする空港並みの施設が滑走路の片隅にある。家族も利用するため、待合室に駐車場もある。
 その隣接されている駐車場がなくなって? それがミセスにとって良いこと? なんの話だろうと心優は不思議に思った。
 ミセスにとってあの駐車場は気になる存在で。そしてなくなった方が君のためといいたげな長沼准将。それまでの『遊びのような言い合い』だった賑やかな空気が一気に重たくなったような気がした。
 お茶を届け終えた心優は、長沼准将の後ろに控えている城戸中佐の様子を確かめてしまう。彼と目が合う。だが空気の変化に気がついた心優の様子も彼は察していて、『なにも触れるな。知らぬ顔だ』とばかりにそっと首を振ったのが見えた。
 だが、そこであからさまに准将二人が黙り込んでしまう。いつもニコニコして得体の知れない笑顔が恐れられている長沼准将が、栗毛の彼女を窺うその真顔が異様に見えた。
 そこでやっと。ミセスがカップをソーサーに戻し、ふっと同志の男に微笑んだ。
「駐車場までもが、私を一人にするのかと。急に腹立たしくなりましてね」
 心優には良くわからない言葉だった。駐車場に一人にされるなんて、どういう話をしようとしているのか。
 良くない話をしようとしている予感がして、心優は城戸中佐に『お先に失礼いたします』と先に退室する意志をみせたのだが、中佐殿に密かに腕を掴まれ、隣に並んで控えるよう引き止められてしまう。
 そんな側近達の動揺に気遣いもお構いなしに、ミセスは話を続けてしまう。
「おかしいでしょう。あれから二度とあそこには近づかないでおいたのに。いざなくなるとなったら、こんな気持ちになるだなんて」
「わからないね、俺には。間違っても、確かめになんて行かないでくれよ。いくら長い付き合いだからって、俺だって面倒見切れないよ。ご主人の御園大佐に睨まれたくもないし」
「わかっております」
「そうかな。君がそうして聞き分けの良い、しおらしい可愛げのある顔で返答した時ほど、怪しいものはないからね」
 ミセスがおかしそうに笑い出す。
「やだ。長沼さん、私が可愛く見える時があるの? ちょっと嬉しい」
「なに言っているんだか。君の淑やかな顔は、俺にとってはイコール『要注意の悪い顔』なんだから。どこが可愛いのやら。他の男がデレても、俺は騙されない」
「ふうん。やっぱりそうなの。そうよねえ。私、長沼さんをだいぶ騙してきたものね」
「ほら。自覚している」
 そうしてやっと、いつもの茶化しあいを楽しむ二人に戻り、隊長室にまたぱっとした明るさが生まれる。
 誰もが畏れる若手将軍の二人が、そうして負けるかと言い合っている方が活気があって華やぐというもの。
 そして、それっきり。ミセスが気にしていた『駐車場がなくなる』話は二度と話題にならなかった。

 

 他愛もない旧友同士の話で場が和んだので、城戸中佐と心優は共に隊長室を退室。
 長沼准将もミセス准将も、気心知れた仲でとても楽しそうだった。
 隊長室を出ると、その廊下に二人の男性が待機していた。
 栗毛で緑色の瞳をした男性と、とても体格の良い金髪の男性。
「お邪魔いたしております」
 硬い顔つきの栗毛の男性が、そっと頭を下げる。それに続いて、身体が大きい金髪の男性もそっとお辞儀をした。
 ミセス准将付きの秘書官。栗毛の凛々しい男性は、城戸中佐と同等の役職にある『小笠原空部隊本部、隊長秘書室、室長』であるテッド=ラングラー中佐。
 深い緑の瞳がいつ見ても綺麗。でもそこには冷たい水を湛えてるようにも見える。さすがミセス准将に長年付き添っている秘書官といいたくなる男性。
 そしてもう一人の金髪の男性と心優は目が合ってしまう。
「また今度、是非、お手合わせを」
 がっちり大柄の体格の男性は心優と同じ護衛官で、アドルフ=ハワード大尉。何度か道場で手合わせをしたことがある。
 こちらは護衛官として素晴らしいセンスを持っているけれど、ふだんは気の優しいアメリカのお兄さんといったところ。
 これが『国際連合軍』と言いたくなるところ。特に小笠原基地は、任務に特化した部隊が構築されており、連合軍らしくアメリカと日本の隊員が混合となっている基地だった。
 横須賀はどちらかというと『連合軍の日本の部分を管理する基地』といったところで、その為に必要な外国人隊員は配属されているけれど、現場と直結する職務をする隊員は小笠原に多い。
 ミセス准将は、そこの空部隊のすべてを司っているトップだった。
 双方、大部隊の隊長を務める若き将軍の秘書官。
 横須賀空部隊本部の秘書室長の城戸中佐、と、小笠原空部隊本部の秘書室長のラングラー中佐が向き合う。
 どちらも、精悍な目つき。准将同士の対面とはまた異なる緊張感――。
「よろしかったら秘書室でお茶でもいかがですか」
 城戸中佐が少しだけ微笑みを見せる。
「お気遣いありがとうございます。ですが、次の便で小笠原に帰ります」
 綺麗な日本語……。栗毛のラングラー中佐は、にこりとも笑わない。氷のミセス准将の主席秘書官に相応しい面相。
 それでも、秘書室長の二人はまだ何かを話したそうに目線を外さない。
「ミセスが駐車場がなくなることを気にしておりましたよ」
 城戸中佐の報告に、やっとラングラー中佐がハッとし、人らしい表情を灯した。
「そうでしたか……」
 そして落胆するほどに、感情を露わにした。隣にいるハワード大尉までもが、泣きそうな顔になる。
「気を付けておかれた方がよろしいかと。突発的でしょう、ミセスは。心配です」
 心優は目を見張った。いつもあんなに彼女を避けている城戸中佐が、あの人を案じている顔になっている。
「そうですね。気を付けておきましょう。教えて頂きまして、ありがとうございました」
 年齢的にも、キャリア的にも。ラングラー中佐の方が城戸中佐よりずっと格上。なのにその中佐が、城戸中佐に丁寧にお辞儀をしている。
 アメリカ人にはみえなかった。でもそう。ミセスが連れて歩いているアメリカ出身の隊員達は、どの人も日本に溶け込んでいる。
 そこで准将室の扉が開いた。
「テッド。いるの」
 耳がよいとも聞いている。ミセス准将が廊下の話し声に気がついていたようだった。
「准将。そろそろお時間です。お支度を」
 側近のお迎えを知り、ミセス准将が名残惜しそうに支度へと隊長室に戻っていく。
「城戸君、ありがとう。またいずれ」
「はい。ラングラー中佐。またいらしてください。お待ちしております」
 冷たい緑の瞳の中佐殿が笑った。冷たい人が笑うと、素敵。しかもアメリカンハンサムなおじ様の微笑み。
 だけど、こちらの城戸中佐は笑い返しもせずにさっと身を翻して背を向けてしまう。心優もラングラー中佐とハワード大尉にお辞儀をして、城戸中佐の後をついていく。
 中佐殿は時々、心優にはわからない話題を上官達と交わしている。そんな時は『知らぬふりをすること』と塚田少佐から教わっていた。いまもそんな雰囲気の会話をラングラー中佐と交わしていた。でも、あきらかにいつもの城戸中佐ではない。
 すぐそこが秘書室なのに。城戸中佐はそのまま通り過ぎて、どこかに行こうとしている。
「城戸中佐?」
「ついてくるな」
 切り捨てられ、心優は立ち止まる。そしてそのまま見送った。
 いつもの、見たくない彼が現れた。
 彼を見送ったふりをして、心優は城戸中佐の後を追う。これも『いつものこと』。
 彼が行くのは、カフェテリア。そこの片隅、窓際の席でひとり珈琲を飲む。それだけのことだけれど、これは彼の『いつもの俺に戻れ』という儀式。
 その窓際には時々、様々な輸送機が飛んでいく。時には沖で訓練をしている戦闘機も――。
 彼はそれをぼんやりと見上げている。魂を抜かれたようにして見上げている。
 ミセス准将に会った後、彼は魂が抜ける――。
 彼に見つからないよう見つめていた心優の隣に、塚田少佐が並んだ。彼もわかっていて、ここに様子を見に来たようだった。
「また、か」
 少佐も痛々しい眼差しで、中佐殿を見守っている。

 どうしてなのですか。ミセス准将に会うとあなたじゃなくなる。
 どうしてですか、中佐殿。

 二機の戦闘機が海上から、基地上空を過ぎっていく。まだ彼は空を見つめているだけ――。
 一年間、この人の背中を見て、この基地に溶け込もうと必死だった。
 この人がパイロットだった時の姿を映像でみたことがある。週に何度かカフェテリアのテレビに流される『広報映像』で。
 中佐殿の本意ではなかったようだけれど、彼が空母艦からカタパルト発進で飛び立つコックピットの瞬間のワンカットが、『広報課』から公式動画として動画サイトに投稿されている。
 空母甲板に揺らめくスチームカタパルトの白い湯気、先端が海原に光る戦闘機、紅く燃える噴射口。キャノピーに空が広がるコックピット、カーキー色の飛行服、そしてヘルメット。目元を覆う黒いバイザーにデーターを映す、ヘッドマントディスプレイ。操縦桿を握るグローブでグッジョブサインを甲板に送ってから敬礼をする発進スタイル。
 その姿が誰か判らず、でも心優は見惚れてしまっていた。これは本物の戦闘機パイロット。そして目元覆うバイザーに微かに見える真っ直ぐな眼差し、黒目が輝いている眼差し。それに惹かれた。
 素敵なパイロット、目が綺麗ですね――。
 思わずそう呟いたら、一緒に食事に来ていた塚田少佐が教えてくれた。
『あれ。うちの中佐。現役のときの映像。本人は照れているふりをするけど、あまり目にしたくないようだ』
 でも。そんな中佐を誰もが知っているから、男性も女性も、彼に憧れてしまうのだとか。
 誰もが知っている基地の『エースパイロット』だった中佐殿……。それでも彼は現役の時の話を自らすることはない。秘書室の先輩達も避けているようだった。

 中佐殿は、少しだけ足を引きずっている。
 それが原因で、パイロットをやめざる得なかったんだと、本人ではなく塚田少佐から聞かされている。

 あの人の魂が抜けるのは、空に行ってしまうから?
 空に行きたくなったら、あんなふうにしてぼうっと飛ばして……。

 とても哀しい姿だった。
 そして、心優も覚えがある。
 だから……。

 こんな彼を一年間見てきた。そして心優は、今日こそは――と意を決して、陰に隠れていたところから前に出た。

「待て、園田」
 塚田少佐に止められたけれど、心優はカフェテリアの片隅にいる中佐殿のところへ向かう。

 魂が抜けて呆けている彼の前に立った。
 彼も心優がそこにいることに気がついてくれた。

「一緒に、よろしいですか」
 彼の戸惑い顔。でも、すぐにいつものにこにこ顔に戻った。心優はもう知っている。この人のこの笑顔は『仮面』だと。

 

 

 

 

Update/2014.11.21
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