◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 15.それが本心ですか、臣さん。  

 

ご返答は、本日でなくとも構いません。良いお返事をお待ちしております。

 それだけ云い置き、御園大佐は、この日は去っていった。
「雅臣。園田と二人だけにしてくれ」
 御園大佐が帰ると、珈琲カップを片づけようとしている雅臣に、大ボスが重く告げる。
「かしこまりました」
 カップを片手に、雅臣だけが隊長室を出て行った。
 隣に座らされていた心優は、ただひたすら呆然としていた。
「園田、そこへ」
 話があるから正面に行くようにと促され、心優は力が抜けそうな身体をなんとか律して、御園大佐が座っていた正面へ座り直した。
「突然で驚いただろう。でも、御園大佐が言っていたことは嘘でもなくて、ミセスはおまえのことをとても気にしていたんだよ」
「そうなのですか。わたしなど……」
「似ているんだよ。彼女が若い時に。俺もそう思っていた。女らしさを横に置いて、園田は空手、彼女はコックピット一筋。でも密かに女心は秘めている。葉月ちゃんは、誰よりもそれを感じていたんじゃないかな。園田が化粧をするようになったころから、可愛くなったわね、お洒落になったわね、顔つきが柔らかくなった、お茶が上手になったと、なにかしらおまえが成長した部分を見つけては、喜んで帰っていったよ」
 そんなに目をかけてくれていたんだと、あの女王様が見守っていてくれたことは、感激だった。
「俺のところに冷やかしに来るのも楽しみできていたんだろうけれど、園田に会うのも楽しみにしていたんだと思う。あと……城戸かな。元部下がどうしているか、ミセスも気になって、だからアポなしでやってくる。城戸に前もって緊張感を与えないためだろう。聞いたんだろう。雅臣が雷神のキャプテン候補で、事故の後、ミセス准将と一悶着の末に転属をしてわだかまりを残していること……」
 心優は小さく『はい』と答える。
 大ボスも、どうしようもないといわんばかりに溜め息をついている。
「正直、俺も二人が会う時のあの空気にはお手上げでね。かといって、では、塚田を間に入れてと思っても、うちの男共は仕事はできるんだが『女性接待』が巧くなくて、それで『では室内に女性がひとりでもいれば』と思って、女性隊員の採用を決めたんだ。その効果はあったよ。ミセス准将が来ても、園田がいればミセスも気が紛れてくれたし、秘書室も仕事一辺倒の男達に、女性を気遣うという些細なことでも重要な嗜みが身に付いてきた……でもな……」
 自分が少しでも役立っていたのは、理解できた。でも、大ボスはそこで唸って、心優から目を逸らした。
「護衛官としての素質は充分だが、俺のような内勤と組織戦略を主としている幹部の秘書室では、正直『護衛官』は、塚田と親父さんぐらいの腕がある男がいれば充分だ」
 心優の息が止まった――。それは心優を採用してくれた、目に留めてくれた上官から、今度は『俺のところには要らない』という宣告をされたのと同様だった。
「もちろん。園田次第だ。護衛官として、これからどこかの秘書室や、上官の副官として起用されることもあるだろう。横須賀にいても充分、やっていける。秘書官としても、城戸と塚田が仕込んでくれたから、余所に出しても胸を張って送り出せる。ただ、護衛官としてなら……」
 彼がやっと心優を見つめる。心優の目を見て――。
「護衛官としての本領を発揮するなら、外に出て現場専門の使命を負っている小笠原部隊にいく方が、身が立つ」
 秘書官としてならこのまま横須賀でもやってける。ただし護衛官として身を立てたいなら、内勤族の横須賀ではない。外勤族で任務で外に出て行く上官のそばについて護衛をするほうが本領発揮が出来る。そんなボスからの推薦だった。
 だが、心優はもう頭が真っ白になっている。ここを出て行くと言うことは、雅臣と離れると言うことにもなる。それどころか、もう雅臣の部下でもなくなる。
 そんな。彼とやっと愛し合えるようになったと思っていたのに。でも、その愛もまだ不完全で、心優は彼に対してまだ見守っていきたい心残りがいっぱいある。
 いまは、彼と離れたくない!
「どうしても……。小笠原に行かないといけませんか。わたしは、自信がありません」
「それならそれでも構わない。うちもまだ園田には教えたいことは多々あるし、また女性を探すのも骨折りなのでね」
 また女性を探す? 心優がいなくなれば、他の女性事務官を採用するかもしれない。そうすると、心優よりもキテパキとした優秀で品格のある女性が雅臣の傍に新しく来ることになってしまう。
 それも嫌――。絶対に、その女性だって、城戸秘書室に配属されたら、一番最初に気になる男性は独身でエリートの雅臣に決まっている。
 彼がお猿でもお猿でなくても、次から次へと『私も私も』と女性が近づいてくるほどの男性だから、心優と離れてしまったら、雅臣はまた誰かを傍に寄り添わせるかもしれない。
 あれでいて……。本当の雅臣は、孤独で寂しがり屋。心奥底に秘めたものがあるから、いつまでも、奥の部屋まで女性をいれないけれど。玄関までは女性を立たせて抱きしめることは造作もないこと。
「できれば、お断りしたいと思っております。離島に行く自分が想像できません。まだここで力を溜めたいと思っています」
 そう答えた心優だったが、心のどこかで『女としての決意だ』と、情けなさも感じていた。
「俺も彼女とは『対等』と思ってやっていきたいので、自分からこんなことは言いたくないが。御園の力はかなりのもんだよ。見ただろう。お抱えのボディガードの男を。あの男は事業も出来るし、医師でもあって、なんといっても軍が欲しがるほどの元傭兵だ」
「傭兵……だったんですか」
「やや歳を取ったが、それでもまだ動ける方だと思う。若い時は、諜報員並みだったらしい。そういう様々な能力を発揮する者をプライベートで何人も抱えている。お祖母様に力もあったし、退官した御園中将のコネクトも持っている。お祖母様や親父さんについてきた男が、軍ではなく御園を選んだ者が沢山いるということだ。これからは、その頂点は『御園夫妻』となる。正式には一人娘の准将のものになるだろうが、御園大佐もおなじ権限を既に許されているようで、それらの全てがあの夫妻のものとなる。その前に、叩きつぶしたい者がいるのも事実だ。たとえば、彼女を敵視して、とある者が百万円を払って彼女を始末しろと依頼したとしよう」
 恐ろしい話になってきて、心優は蒼白となる。御園が得体の知れないものに見えてきて、聞くとまた大変な目に遭うのではないかと構えるほどに。
「敵が百万円というコストで、御園に損害を与えようとしても。御園はその百万円というコストで、五百万円ぐらいの成果でやり返せる――と、影でいわれてるほどの、財力と組織力を持っている。だから、なかなか手を出せないし、崩せないんだよ。でも、どんなに強固な組織力があっても、どこかに穴は必ずあるもの。それが園田が見てしまったものだ。どうだった? ミセス准将の本当の姿は……。痛々しかっただろう」
 それは、目の当たりにしたので、話で聞くよりも心優は理解できている。頷くと、大ボスは続ける。
「その穴を守るために、御園側が園田を欲しいと言っている。葉月ちゃんが言いだしただけならともかく、旦那が腰を上げてきちゃったらもうね、御園側は本気で園田を取りに来ていると俺は思うよ」
「困ります。……それとも、わたしが言われては困ることを見てしまった者だから、手元に置きたいと言うことなのですか」
「俺の監視下にあるから、本当に要らなければ俺に任せたままでいてくれたと思う」
「宮下さんは、御園の力で小笠原に転属されたのですか」
 一瞬。大ボスが目を丸くしたが、躊躇いもしない。
「そうだよ。御園の監視下に置くために、小笠原に引き抜いた。でも、彼女はいまどこにいると思うか」
 そんなものわからない――と心優は無愛想に首を振った。
「副連隊長の海野准将の秘書室にいるよ。海野准将は、御園准将とは同期生で、プライベートも親族同然で両家揃って暮らしているほど。監視下といえば監視下だが。警備からの大抜擢ということになるだろう。本人も戸惑っていたけれど、これはチャンスだと喜んで転属していったけれどなあ」
 心優の心がぎゅっと縮まり痛みを覚える。仕事に厳しい宮下さんが、チャンスだと喜んで横須賀を出て行った。
 それに比べて、心優の場合は『大好きな彼と離れたくない』という理由一辺倒で断ろうとしている。
 本当なら、これは心優にとって、護衛官としてステップするチャンス。だから、大ボスが『御園のそばに行けば、身が立てられる』と勧めてくれているのに。心が動かない……。
「断りたいと思ってもだね。澤村君に目をつけられたら、覚悟しておいた方がいいよ」
 澤村とは、御園大佐が婿養子になる前の旧姓。小笠原では、ミセスと区別するために『澤村大佐』と通称名で呼ぶ者も多いらしい。大ボスは必要な時以外は、彼のことをそう呼ぶ。ボスの気持ちがプライベート寄りになっていると心優は感じた。
「なんだって……。葉月ちゃんを叱りとばす澤村君の前に立ちはだかって、彼女をかばったんだってな」
 急激に顔が熱くなった。基地内で上官に楯突くというのは、余程のこと。たとえば、大ボスの長沼准将に意見できるのは、信頼関係が強固である秘書室長の雅臣だけであるように、認められた部下が特権を得ている場合のみ。心優のような初対面の下っ端隊員が、大佐殿に楯突くのはあってはならないことだった。
「申し訳ありません――。その、御園大佐があまりにも猛烈に奥様をお叱りになられたので、見るに見かねて。……じゃなくて、その、あの、ミセス准将がまさか、その奥様らしいというか、女性らしいお気持ちを隠し持っておられたので、それが伝わらないのはもったいないと思いまして」
「それが。澤村君の気持ちを動かしてしまったんだよ」
 もしかして。あんなことをしなければ、こんな急な話も来なかった?
「どんな状況でも妻の気持ちを汲み取って守ってくれる気持ちを強めてくれる女性。そう思ったらしい。どんなに男共が彼女を気遣っても、男女の壁はどうしても越えられない。そばに置く護衛兼世話係として、園田を見初めたのだろう」
 これはチャンスなのに、心優は良かれと思ってやったことで自分の首を絞めている気分になってしまった。
 こんないい加減な気持ちで仕事に取り組んでいたのだろうかと、自分自身を情けなく思ってる。それでも『臣さんと離れたくない!』という気持ちが勝っている。
「十日、時間をくれると言っている。その間によく考えてくれ」
 十日――。それを過ぎれば諦めてくれるのだろうか。もう返事は決まっているけれど。と心優が思っていると、長沼准将がもう上司の目で睨んでいた。心優の顔色で、心情は容易く読みとってしまう怖い上司。
「その十日を過ぎたら、今度はどんな手を使ってでも引きぬいてくると思う」
 十日で結論を出しても出さなくても、向こうはそれだけ本気という意味だった。心優は愕然とする。なんとも恐ろしい一族に目をつけられてしまったことかと気が遠くなってくる。
「雅臣や秘書室の男達には、園田にいろいろ質問しないようにきつく釘をさしておく。その間、外に出ていてくれないか。三十分ほど休憩にでていってくれ」
「わかりました。失礼いたします」
 心優が立つと、准将もすぐに立ち上がり、隊長室と秘書室を繋げているドアへと向かっていった。
 雅臣にはなんと言われるのだろう。……引き留めてくれるのだろうか。彼にとって、今の心優はどれほどなのか。そんな不安ももたげる。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 大ボスが言うとおりに、カフェテリアで三十分ほどお茶をしてから秘書室に戻る。
 心優も心を落ち着かせてから、帰ることが出来た。
 それでも心優が秘書室のドアを開けて戻ってきた時の事務所の空気は尋常ではなかった。
 大ボスから余計なことは聞くなと言われたのだろう。誰も心優と目を合わせてくれないし、デスクに視線を落として懸命に仕事に励んでいるだけだった。
 塚田少佐は、少しだけ心優の顔を見てなにかを言いたそうだったが、言葉を飲み込んで仕事に集中してしまう。そして雅臣も、一目も心優を見ようとしなかった。

 少しだけ残業をした後、心優は真っ先に雅臣の官舎へと向かっていた。
 なるべく彼と明るく過ごしたいからと、その日も心優は基地を出た後に通るスーパーマーケットで夕食の食材を揃えてから向かう。
 真夏の夕はまだまだ蝉が鳴いているけれど、少しずつ淡い茜が海に差す。
 優しい潮風が吹き込む官舎の階段で、いつもの合い鍵にて彼の部屋に入った。
 珍しいことに。玄関には雅臣の黒い革靴が既にあった。心優は驚き、急いでリビングに向かう。
「臣さん。帰っていたの」
 夕の薄暗くなってきたリビングで、雅臣はダイニングに座ってうつむいていた。中佐殿の精悍さもなく、ただうつむいて……。
「あの、今日の御園大佐のことなんだけれど」
 きっとそのことを彼も考えてくれているのだろう――と思って、心優から切り出した。
 なのに。その途端に、雅臣が心優に険しい眼差しに向けてきた。心優はゾッとする。まだ制服姿のままの雅臣は、黙ってベッドルームへと行ってしまった。
「臣さん、あの……」
 パイロット部屋を覗くと、薄い茜の部屋で、彼はネクタイをほどいているところ。
「来いよ」
 シャーマナイトの眼差しが、曇って見えた。日没が近い夕暮れの部屋だから? いつもの雅臣ではない。
 それでも雅臣は、淡々とシャツのボタンを外している。ばさりと脱ぎ捨てるその手に、苛立ちがあった。
「どうした。俺はものすごく、そんな気分なんだけど。嫌なのか」
「嫌じゃないけど……」
 そんな怖い臣さんはイヤ。そういえば、今日は『もう帰れ』と言われそうで、心優は口ごもった。
「だったら、来いよ」
 怒っているのはどうして? 心優が遠くに行ってしまうかもしれないから? その理由がわからないから? それなら嬉しい。手放したくないと思ってくれているのだから。
 そっと、裸になろうとしている雅臣の背に近づいたら。いきなり手首を掴まれ、元パイロットの剛力で心優はベッドへと放られていた。
「臣さん?」
 柔らかいベッドから起きあがると、雅臣はもうスラックスのベルトを外して戦闘態勢に入っていた。
 でも、今日のお猿は『楽しそうなお猿』ではなくて、『凶暴そうなお猿』の目をしていて、心優は硬直した。
 その通りに、彼は下着一枚になると妙な気迫を漲らせて、ベッドに足をかけあがってくる。お猿の住処に無理矢理連れ込まれた猫が、いまから有無も言わさず襲われる寸前。それほどの空気を雅臣が造り上げている。
「どうしてこんなことになった。まったくわからない」
 怒りを秘めている眼差しで、雅臣が心優に覆い被さった。
「お、臣さん――」
 彼にすぐに唇をふさがれた。そして心優も……。求められているのなら、拒まない。むしろ、彼がまだ自分を惜しく思って怒ってくれていることを嬉しく感じることができて、自分からも抱きついて迎え入れていた。
 彼がジャケットのボタンを外しているから。心優は自分からスラックスのベルトを外し、ジッパーを下げ、お尻を浮かしてスラックスを脱ごうとする。
 雅臣は心優の夏シャツのボタンを外し、胸元を開く。そこで雅臣の手が止まる。
「今日もまた……」
「護衛部の訓練が夕方だったから。シャワーを浴びて着替えたの……」
 雅臣が開いた心優の胸は、愛らしいベビーピンクのランジェリーに包まれていた。でもレエスは黒色という、どこか小悪魔ぽいランジェリー。
 この前の休日にも、もう少し大人っぽいランジェリーを身につけてきて、雅臣を驚かせた。
 これは完全に、ミセス准将からの影響だった。勝負下着なんて、自分にはもったいない。厚かましいと思っていたのに。自分と同じような女性感覚で青春を過ごしてきた女性が、いまはあんなに素敵な大人の女性。やっぱり、少しずつでも、好きな男性が出来たら努力しないとだめだと思い知らされた……。いや、違う。彼女のような女性になって、雅臣に認められたいという安易なものだと薄々気がつきながらも、心優は女らしくなってみたいという強い願望に見まわれ抗えなかった。
 猿の目が、劣情の色を湛えたものに変わった。
「じゃあ、シャワー済みか」
「うん、」
 大きな手が、ベビーピンクのランジェリーの下をくぐって、乳房を掴んで蠢いている。
 心優の乳房をゆっくり揉む雅臣が、どこか熱を冷ましたかのようにして、いつもの大人の顔で心優の目を覗き込んだ。
「言っただろう。心優のままでいいのに。どうした急に。仕事でも、俺と一緒にいても……」
 最近の心優はおかしい。そういいながら、雅臣が心優の口元にキスをする。熱い舌先が、心優の口の端をゆっくり舐めてから唇をふさがれる。
「あ、あん」
 お猿の愛撫は、少しだけ厭らしい。そんな舐め方しないでと思うようなことをして、でも最後はきちんと女が舐めて欲しいやり方でじっくりと愛撫してくれる。
 それが雅臣のマーキングの仕方なのかと思うほどに、酷い時は、頬をべっとり舐められる。最初は驚いたけれど、そういう獣のように相手を穢すことで自分のものしようとする彼の愛撫が『ただの普通の愛撫』になると、心優は不安に思うようになったほど。彼の特別の愛し方。そしてそれを許すことが出来る女という優越感も。
 雅臣の獰猛な舌先が、ピンクのランジェリーをめくって、夕闇に露わになった乳房を愛撫する。
「っん……、あん、お、臣さん」
 そんな気分と気迫を漲らせて猫をベッドに押し込んだお猿の愛撫は、わりと冷静かなと心優は感じていた。もっと噛まれるくらいに怒っていると震えたのに、いつもエッチな臣さんの愛撫と一緒で少し安心した。
「わたし、行かないよ。小笠原にいかない……。臣さんと一緒にいる」
 でも雅臣は黙って、心優の乳房を何度もねっとりと愛しながら、いつも通りの手際でピンクのショーツも脱がしてしまう。
 もうちょっとゆっくり見て欲しかったなと思っていたのに。結局、雅臣にとって、女が下着で気分を盛り上げることなんてあまり関係がないのかも? その下にある、おいしいカラダと肌がいちばんのご馳走に違いないのだ。
 ショーツを脱がすと、雅臣は心優の膝を立てて、大きく開いた。M字に開脚をされた心優は、隠しようもない姿にされることに今でも僅かな羞恥を感じても、もう隠そうとはせずにそこを晒す。でもいまも、雅臣がそこをじっと見つめていると恥ずかしい。
「いや、いつも……そんなに見ないでっていってるのに」
 心優の可愛いところじゃないか。いつもはそう言って『いただきます』と飛びついてくるのに。今日の雅臣は、口元を真一文字に引き締め、神妙な目つきで静かだった。
 臣さんも、おかしいよ。
 いつもの空気じゃないことは、心優もわかっている。
「心優。身に覚えはないのか」
 急に、中佐のような声で問われ、心優は我に返ってしまう。
 こんな時に、そんな質問?
「ないです」
 嘘だけれど。そう言うしかない。
「本当だな。嘘じゃないな」
 いつもと違う顔、声、目つきで、薄く整えている黒い毛へと唇を寄せた。いつもの彼との睦み合いの手順なのに。でも、なんだか今日は違う。
 それでも心優の黒い茂みの奥はもう熱く零している。それを雅臣が舐めている。
 あ、あっうん、んっん――。ぴちゃぴちゃとした濡れた音が、静かな部屋に響く。心優の肌もじっとりと汗ばんできて、そっと背を反った。
 いつもと違うのに、でも、雅臣の舌先はいつも通りに心優をとろけさせていく。ざらりとした熱い舌が、いちばん敏感な小さな珠を弄び始める。粗めの布で擦られているような灼けつく切ない快楽がそこ一点に集中した。小さな珠が熱い舌に何度も何度も擦られて、心優は堪らなくなってカラダをよじろうとするけれど、いつもそこは元パイロットの腕ががっしりと固定していて動かすことが出来ない。
 気持ちよさそうだな――と、いつもは雅臣もそんな心優がのぼせるようにして悶えているのを嬉しそうにして見ているのに。今日の雅臣は真剣だった。
 ああ、あと少しでいっちゃう。もうすぐそこまで、きてる。雅臣に覚えさせられた快楽への感覚は、慣れていなかった心優にそんなこともわかるカラダにしてくれていた。
「本当に、身に覚えがないんだな」
「ないよ……ないってば」
 あと少しだったのに。雅臣がそこでうんと気持ちがいいところでやめてしまう。
 そのままいかせて欲しかったのに。気持ちよかったのに。でも雅臣は続きをしてくれなかった。
「じゃあ、どうして心優なんだ」
「どうしてって」
「心優である理由がわからない」
 というか……。こんな二人だけの素敵な時間に、そんな仕事のこと、挟まないでほしい。その話は、愛しあった後にじっくりして欲しい。そう思っていたのは心優だけなのか。
 夕闇の中、心優のカラダの上から高く見下ろしている雅臣の目が、今度こそ、シャーマナイトの目で……。でも燃えている。
「あの人は、俺から心優までも奪うのか。奪うなら、俺じゃなくて、どうして心優なんだ」
 え……。心優のなにもかもが、凍った気がした。急激に、いま見ている綺麗な花の色だった世界が、一気に灰色になった気もした。
 俺じゃなくて、どうして心優? 『あの人』って言った。二人きりの時間にさえも、『あの人』のことを悶々と考えて、雅臣は心優を愛していた。
 それでも雅臣は心優を奪う準備を淡々と整え、襲いかかってきた。今度こそ狂暴な猿になって、心優の足を開いて、強引にあてがってきた。
「い、いやっ。やめて。そんな臣さんイヤ!」
「心優は、俺のところにいればいい。そうだろう、心優」
 力が強い男が、滾った塊を心優の中に押し込んできた。
「あっ、あん、あん、や……」
 いつものように愛されると、慣らされた心優のカラダが勝手によがって悦んでいる。たっぷり濡れたそこは、猿を拒むどころか、自由にさせて受け入れている。
 乳首がつんと起ち、お猿を誘う。そして猫もそれを待っている。でも今日のお猿はそれをしてくれない。
「いや、いや……、離して、臣さん……」
 泣きながら心優は腕をつっぱねて、こんな気持ちの噛み合わない睦み合いを阻止しようとする。でも、その腕も雅臣に強くシーツに押さえつけられ、ほんとうにお猿の鬱憤をただ受け止めるだけのカラダにさせられてしまう。
 なのに、心優はかんじていた。これは、わたしを惜しんでくれている哀しみからの激しさなの? それとも、自分ではなくて心優が『あの人』に選ばれた悔しさからの激しさなの? それとも……。わからなくなる。
 それでも、好きな男にどんな形でも、こんなにカラダをよこせといわんばかりに、愛しぬかれる悦びに溶けてしまうカラダを持っている自分が、いちばん情けない――と、快楽の霧の中に消え入りそうになっている、『やめて』という自分がそう言っている。だけれどもう、それも彼方に。
 哀しいカラダは、男に慣らされたとおりに、従順に昇りつめた。
「あっ、臣さん……。臣さん……、おみ……」
 乳房を震わせながら、心優は儚く彼の名だけを呟き続けた。
 でも涙も止まらない。彼が欲しいものはいったい、なに? 心優のカラダにぶつけたものはなに? わたしのカラダを通して、臣さんは違うところを見ていた。心優を見ていなかった。
 時々、目をつむって、力いっぱい心優を愛していても。その目をつむった時に見ているものはなに?
 泣いている心優に、その世界はきっとあれだと映る。汗ばんで心優をまだ愛している男の肩越しに見える、『空の男』。
 いま彼は、心優のカラダをコックピットにして、過酷な空の気流の中にいた激しさを思い出すようにして体験している。そして彼の向こうに見えるのは『栗毛のあの人』。
 はやく帰ってきなさい。冷たい声の、あの人と通信している。
 それが彼の本心。この人が行きたいのは、あの人のところ。この人が、愛しているのはあの人の隣にいること。恋じゃない、愛じゃない。この人が欲しい『人生』は、そこにある。
 ミユ、ミユ――と何度も呟きながら、ついにその人は心優のカラダを見下ろしながら、狂おしそうに熱いものを放って果てた。
 俺の心優。そう言われても、もう虚偽にしか思えない。
 詫びるように雅臣が、呆然としている心優の乳房に優しくキスをして、唇も愛してくれても、もう心優はされるがままの『人形』に等しかった。
 いつもなら、お互いの果てた熱い身体を重ね合って、気怠い脱力感さえも満たされて抱きしめあっていたのに。くちづけあっていたのに。
 今日は心優からそっと、彼の胸の下から抜ける。
 すぐに脱がされた服を探して、かき集めた。
 雅臣が見てもくれなかったピンクのショーツをはいて、スラックスをはいた。そこで雅臣がやっと心優の様子に気がつく。
「心優、帰るのか」
 心優は黙って、ピンクのブラジャーを探す。雅臣がどこに放ったのかわからない。
 仕方がないから、白いシャツだけを羽織って、ジャケットを手にした。スラックスのベルトもままならないまま心優は全てを羽織って、ベッドを降りる。
「心優、俺はまだ力無いおまえが御園に翻弄されることを心配してるんだ」
 ベッドを降りた心優は、まだ裸でベッドに座っている雅臣に振り返る。
「嘘、臣さんは嘘ついている!」
 いつも可愛い部下だった心優が吠えたせいか、雅臣が驚愕の表情に固まった。
「俺が嘘? 心優、おまえ、小笠原に行きたくないんだろう。だから俺が、おまえを御園から」
「違うでしょ。本当は臣さんが、小笠原に『帰りたい』のでしょう。なのに、ミセス准将が欲しいと言ったのがわたしで、本当は臣さんが帰りたい場所にわたしが行ってしまうのが我慢できないから、そうやって怒り狂っているんでしょう!」
 彼の頬があきらかに強ばった。言って欲しくないことを言われた? それとも、気がつきたくないことを言われた? とにかく心優は、決して言ってはいけないことを、これまで我慢していたことを吐き出していた。
「気がついてよ。臣さん。本当は、秘書官じゃない。臣さんは、ミセス准将の隣で艦隊の指揮官をしたいんだって――。もう一度、海の男に戻りたいんだって」
 そうでなければ、あなたはどんな女性と寄り添っていても、決して幸せになんかできないし、あなたも幸せになれない。……そこは、言えなかった。
「力無い私を守るだなんて、聞きたくなかった。結局、臣さんにとって、わたしは、ただの力無い、好きなように出来る部下、女の子だっただけなのよ」
 それだけいうと、心優はパイロット部屋を飛び出していた。
 心優――。呼び止める声が一度だけ聞こえた。でも心優を追いかけてはこなかった。
 泣きながら、心優は暗くなり始めた官舎の道を走り出す。
 海辺の星が瞬きはじめる空の下、心優はしばらくして走るのをやめて、ゆっくりと歩き始める。
「なんにもわかってない」
 とめどもなく流れる涙を拭きもしないで歩いていると、空に飛行音。あの白い戦闘機が夜間訓練で飛んでいた。
 雅臣が乗っていた戦闘機。ネイビーホワイト。あの人はいまもあのコックピットにいて、やっぱり心優はこんな下で見上げているだけ。こんなに離れている。
 警備口の前に来て、乱れた服装を直していて、心優はやっと気がつく。あのピンクのブラジャーをしていないことに。
「バカみたい。……わたしも、臣さんも、あの人に振りまわされて……」
 やっぱり自分はまだ子供だった。臣さんに愛されたくて、なりふりかまわずに頑張っている女の子達をバカにしていたところがあったけれど、自分もかなり無様なことをして台無しにしている。
 ブラジャーをしていない胸を隠すために、夏用の薄いジャケットを羽織ってなんとか誤魔化し、そのまま警備口を通って、心優は寄宿舎に戻った。

 

 何度も携帯に着信があったけれど、この日の夜、心優は携帯の電源を切って、一晩、泣き明かした。

 翌朝。心優は泣きはらした目のまま出勤をして、まずは長沼准将室へと向かった。
「どうした。その顔は……」
 さすがに、大ボスが女の泣きはらした顔に目を見張っていた。
「とても悔しいことがありまして、個人的なことですので気になさらないでください」
 でも大ボスはじっと心優の目を見て、怖い顔をしていた。
「男と別れ話でもしてきたのか。そいつ、園田のことをちゃんと引き留めてくれたのか」
 心優は息が止まるほど驚いて、なにも答えられなくなった。一年半、食えない男と言われている上官の部下をしてきた心優だからこそ『臣さんとのこと、ばれている』と確信してしまう。
 でも、大ボスもそこは巧くぼかしてくれているから……。
「いいえ。自分が行きたかったようです……」
「ふうん、嫉妬ってやつかねえ。だよな。ここにいる男なら、ミセス准将からお声がかかれば行きたいと思わねば、男じゃないだろうからねえ」
 それが自分の直下にいる優秀な秘書官だとわかっていて、言っているのかどうか。とにかく大ボスは『それほどの話、男に嫉妬されても致し方あるまい』と当たり前のように言って、放っておけとまで言った。
「で、園田はどうするんだ」
 一晩泣き明かし、一晩眠らずに考えた心優は、胸を張って大ボスに告げる。
「行かせてください。小笠原に。御園准将の護衛官として精進したく決意いたしました」
 雅臣の魂が置き去りにされている小笠原に行く。
 そうは望みながらも、心優が小笠原に行くことは、それを羨んでいる雅臣の気持ちを無視した離別を意味していることもわかっていた。

 

 

 

 

Update/2014.12.29
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