◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 17.よろしくお願いします、教官殿  

 

 『御園家』に、圧倒させられる。
 飛行場に連れてこられたと思ったら、本当に丸々一機のセスナ社ジェットが待機していた。
 タラップの階段を当たり前のように登っていく御園大佐。ジェットの気流に、歳の割には豊かな黒髪が爽やかにそよぐ。そして、怪訝そうにして眼鏡の顔が階段の中腹で振り返った。
「驚かなくていいよ。俺のじゃないから。兄貴のだから」
 お兄さんがいらっしゃったのですか。すごいお兄様ですね。と言葉にならず……。心優の後ろに控えていたエドが『離陸の時間が決まっていますので、お急ぎください』と促したので、心優も気持ちを改め階段へと踏み出す。
「狭いタイプのもので悪いね。急に準備したものだから」
「いいえ。わざわざお迎えに来てくださっただけでも、有り難いです」
 狭いタイプでも、革張りのゆったりしたシートがいくつか並んでいる。どうみてもセレブ仕様で、機内はエレガント!
「いらっしゃいませ。園田様」
 また黒いスーツ姿の金髪男性と、パイロットシャツを着ている綺麗な栗毛の女性、そして同じくパイロットシャツ姿の栗毛の男性。搭乗しているスタッフはみな日本人ではなかった。
「彼女ナタリーが、今日のフライト機長。この飛行機は彼女の会社が管理してくれている。隣の男性は、ジル。副機長。そして金髪の……」
 御園大佐がそう言おうとしたと同時に、向こうの男性から心優の前にやってきた。
「ジュールです。おみしりおきを」
 御園大佐と同世代? でもこの中にいる誰よりも気品があるように心優は感じてしまった。仕草がとても綺麗で、側に来ただけで嫌味のない紳士的ないい匂いがする。
「エドの兄貴――と言えばいいかな」
 大佐の紹介に、心優は改めて目の前にいる妙な雰囲気の御園家スタッフを見つめてしまう。
 この人達も、おそらく『事業と傭兵』の両立をしている人達なのだと。
「隼人様、そろそろ離陸のお時間です」
 栗毛の女性がコックピットへと向かう。だが、その女性がなんともいえない表情で少しだけ心優をじっと見ている。
「ナタリー」
 麗しい金髪のおじ様『ジュール』が、彼女を窘めるように静かに呼ぶと、今度の彼女は心優に申し訳なさそうに会釈をしてコックピットに消えてしまう。
「園田様、おかけください」
 ジュールに促され、心優はベージュ色のレザーシートに座る。並んでいる隣の席に、御園大佐が座る。シートベルトもジュールが『失礼いたします』と跪いて優しく丁寧に締めてくれる。特上の扱いに心優は戸惑うしかない。
 後ろのシートに、黒いスーツ姿の彼等が二人、並んで座った。
『離陸いたします』
 コックピットからの放送が聞こえると、機体が滑走路を勢いよく走り出し、あっという間に空へと機首をあげている。
 もう窓には空が、覗く下には街が見える。その時、心優はもう『戻れないところに来た』と胸迫るものがあった。
「お別れだね、横須賀と」
 そっとしておいて欲しいのに。察しの良い御園大佐がにっこり笑っている。ちょっと意地悪な微笑みだなと思うと、泣きたい気持ちがピタリと止まった。
 機体が上空に落ち着くと、最後尾のシートに座っていた金髪のジュールが御園大佐の足下に来る。
「隼人様、お飲物でも」
「いや、いらない。これから彼女と仕事の話をするので」
「承知いたしました。控えておりますので、なにかありましたらお呼びくださいませ」
 静かにすっと退いて、元の最後尾座席へと戻っていく。
「早速、これからのことを話しておきたい」
「はい」
 御園大佐が、シートの前にあるテーブルに書類をまとめているバインダーを出した。出されたバインダーはふたつ……。
 その一つを大佐が開いて、心優の前に差し出した。
「二月までほぼ半年。空母に乗るまでにこのカリキュラムで行ってもらう。午前と午後二時までは、俺のところに来てもらい講義を。午後二時以降は、護衛部の訓練や御園准将の秘書室で仕事をしてもらう」
 二月までに学ばなくてはならないものが、ぎっしりと記載されている。目を見張るハードスケジュールだった。
 目で追うのも大変なのに、まだ追いつかない二月の最終予定を御園大佐が指さした。
「最終目標はここだ」
 その最終目標に記されていることを確かめた心優は、驚きのあまり御園大佐に『ムリです』と口を開きかけた。でも、初めてあのホークアイに鋭く威嚇された。
「無理だという顔をしているな。これから『誰よりも』御園葉月の側にいる人間になるんだ。その為には、ある程度の権限を持っていてもらわねば困る」
「勿論、転属したからには、この予定通りの努力を致します。ですが、いまのわたしの立場からこれは……」
「出来るんだよ。俺と一緒にやっていけば出来るんだよ。半年で。でもだからって、ただ講義を聴いただけでは無理だ。だから、そこは努力で勝ち得て欲しい」
 無理と言うより『無茶』と言った方がいいと、心優は思い直す。しかし軍人一家である一族の長になる人がいうと、どう見ても無茶でも『この人は本当にやってしまうのだ』と思えてきてしまう。
 でも、だからって――。それって職権乱用? 御園の力で強引に推し進めようとしている気がした。
 それでも御園大佐は、真っ青になっている心優を見て、おかしそうに笑っている。
「わかっているよ。無茶だって。けど、どうかな。俺も確証のない計画は立てないよ。それに……『彼』もそれを望んでいたようだし……」
 『彼』? そのひと言に心優はぴくりと反応してしまう。そこで御園大佐が、もうひとつのバインダーを開いた。
「先に見せたのが、俺が君を迎えに行く前に組み立てた講義の予定。こちら、いま開いたのは『城戸君』が、先ほど、警備口で待っていた俺にわざわざ持ってきてくれたものだ」
 臣さんが――? その一言で、心優は御園大佐が雅臣から預かったというバインダーを手元に引き寄せ覗いた。
 順を追って眺めていると、最後に記されていることが、『御園大佐の計画』と一緒だった。
 最後に雅臣が、心優に期待していたもの。そして御園大佐が求めるもの。
「空母に乗る前に、少尉に昇格してもらう」
 スケジュールの期間こそ御園大佐の無茶とは異なるが、雅臣と塚田少佐が、初めて選んだ女性事務官を最後は護衛官として『少尉』にまで育てようとしていた計画が記されていた。
 だが御園大佐はシートの背もたれにゆったりと身を沈めながらも、足を組んで残念そうに溜め息をついている。
「ただ。俺からみると、なんとも『のんびり』とした計画だね。三年も時間をかけようだなんて。三年の間に誰になにが起こるともわからない仕事なのに。しかし、それは『大事に育てようと、真剣に考えていた』とも思える」
 心優の胸が熱くかき乱される。涙が滲みそうになるが、この甘くない大佐の横では泣けないと堪える。
 城戸中佐にしてみれば、心優などたまたま気になった力無い事務官でしかないと思っていた。実際に雅臣は『力無い心優が御園に振りまわされないように』と口にして、心優はそれにも激怒していた。
 ――酷いのは、わたしだった。
 力無いに決まっているのに。それから守ってくれようとしていたのに。真剣に、無理しないよう、じっくりと育て上げようとしてくれていたのに。
「正直いうと、園田さんも、これまでは軍人として随分とのんびりした隊員生活を送っていたもんだね」
 もうなにも答える気力がなかった。己の至らなさが今になって判りすぎて、辛すぎる。そして、雅臣になんてことを言い残して突き返して、別れてきてしまったことかという後悔が押し寄せてきている。
「自覚……、しております。軍に残るための試験はしてきました。ですが、懸命になったのはその時だけでした」
「だよね。最初の試験は、空手をするためにとりあえずした――と、採用後の城戸君との対面で告げているね。選手に戻れるわけでもない、一般企業に就職したとしても選手として雇われるわけでもない。だから軍隊でトレーニングがなんとなく出来るから、得意なことで食べていける居場所として確保していただけ――というところかな。城戸君のところに来て、その後すぐだね。二等海曹に昇進させてもらっている。はっきりいって、園田さんの経歴だともったいないほどの階級だね。新人入隊の後輩に事務を教える、空手の練習相手になるぐらいのことしかしてこなかっただろう? 随分と期待されての昇進だったね」
「……おっしゃるとおりです、期待しているからとの気持ちで頂いたものでした」
 そこで、御園大佐にはっきりと言われる。
「言われるまま人生ってわけか。城戸君の『可愛いお人形』だったんだねえ」
 息が出来なくなるほどの衝撃に、心優は打ちのめされる。
 本当ならば、これは上官であった雅臣から言われるべき言葉だったかもしれない。でも、彼は、秘書室の誰もが心優を大事にしてくれていたからこの『姿』であっても、『今は言うまい。いずれ彼女は育つ』と寛大に見守ってくれていただけのこと――。長沼准将に至っては、雅臣に任せているからなにも言わないだけ。返せばそれはなにも気にならない隊員だっただけのこと。
 そこで大佐にもう一度、心優は問われる。
「覚悟はできたかな」
 試すような嫌な笑み、でも、あのホークアイが心優を捉えている。
 良く判った、痛いほどに。心優は唇を噛みしめる。
「俺から来てくれと頭を下げたくせに『こんな厳しい目に遭うとは思わなかった』と思っているのかな? 今なら、ナタリーに言えば、すぐにUターンしてもらえる。大事にしてくれる秘書室に帰れるよ」
 泣きたいのに。涙が出てこない。痛いのに、その痛みを和らげてくれる手がどこにあるか知っているのに。心優はそれを良しとしなかった。
 雅臣に抱きしめてもらって、甘く泣いているだけの日になんか、帰りたくない。あの人の胸にまた優しく抱かれても、こんなにもなにもない自分だったから不安になっていたくせに。
 あの痛みは雅臣のせいではない。なにもない甘いお人形ちゃんが、なにもできないくせに、あっちを見ないで魅力のないわたしでも見て――と駄々をこねていた人形だったせい。
 機内を見渡すと、御園大佐だけではない。栗毛のエドも、金髪の麗しいおじ様も、心優を試すようにじっと見つめている。
 この女、本気でお嬢様を護る気があるのか。丁寧に腰を低くしてくれていても、彼等の本心はそこにあると感じさせられる目つき。
「半年だ。まずは今回の引き抜きで、一等海曹に昇進させてやる。特待生並の昇進はこれが最後だ。最後の少尉は自分で勝ち取れ」
 また昇進。心優は驚きで固まる。でも今度こそ最後の『特別扱い』。ここで階級相応の資格を手に入れないと、護衛官としても後がない。御園准将以上の護衛など成れっこないという意味。
 ――『司令官の護衛だってできる』。父の言葉が蘇る。園田教官の見る目を曇らせてはいけない。行かせてくれたのだから、それを証明したい。
 御園大佐が今までのように、恐ろしい笑みさえ消して、険しい面相になる。
「いい眼だ。今から俺の教え子だ。いいな、園田」
 御園大佐配下の部下になった瞬間だと思った。
「はい、大佐。よろしくお願いいたします。覚悟はできております。その目標を遂げてみせます」
 是非に来て欲しいと、にこにこ丁寧に接してくれた交渉人ではなくなった。そして心優は、彼に望まれて転属を承知したが、ミセス准将の護衛官になって守りたいと願ったのは自分。決めたのは自分。もう、言われるままの人形ではない。
 きっと。いままで心優が出会ってきたどの上官よりも手厳しく、そして、これから心優にとって辛い鍛練の日々がやってくる。
 でも。心優は顔を上げ、窓の外に見える青い海を見下ろす。
 あの人に酷いことを投げつけて飛び出してきたのだから。自分だけ生易しい道を行こうだなんて図々しすぎる。
 あの人を置いてまで行こうとしているのだから、御園准将の護衛官になると決めたのだから。その為に必要だと思ったのなら、やるのみ。
 そうだ。あの日が戻ってきたんだ。どんなに頑張っても『世界』が手に届かない辛い日々だったけれど、あれこそ心優にとっての『生きている』だった。
 きっと見つけたんだ。あの日のように、なによりもやってやるというものを。
「ジュール。カフェオレを」
 かしこまりました、と、金髪の彼が動き出す。
「園田も、きついことは言ったけれど、俺も護衛官として期待しているから言っているだけだよ。空母に乗る妻の側にいる女性護衛として適任だと思ったのは、君だけだ」
「ありがとうございます」
「ひと息つこう。なにが飲みたい」
「お水を――」
 水? 御園大佐は不思議そうだった。
「なにかが入っていると喉が渇きやすいので、選手時代から、そうしてきました」
「ああ。そうなんだ。……そっか」
 妙に感心した顔をされた。
「今更だけれど、怪我は辛かっただろうね。園田の選手団時代の試合、全て観させてもらったよ。もの凄いファイターだった。……それを観て、余計に妻の側に欲しいと思ってね。俺の気持ちも止まらなかった」
「そうでしたか。観てくださったんですね。……今日からは、あの時の気持ちを忘れずに、また胸に置いて前を向こうと思わせて頂きました」
 やっと御園大佐が、にっこりと穏やかな笑みを見せてくれた。笑うととても爽やかな人。
 金髪のジュールが何かの支度をしている間に、エドが心優に冷たそうな水を持ってきてくれる。
「好みのお水がありましたら、教えてくださいませ。これからお嬢様のお側にいる時にはご用意させて頂きます」
 その対応にも呆気にとられていると、隣の御園大佐が笑う。
「慣れた方がいいよ。妻の実家はそういう家だし、これから、君はここにいる彼等に何度も会うだろう。それに……」
 御園大佐がそっと心優に小声で囁く。『彼等がやる気を認めてくれたんだよ』と。
 それならと、心優はエドに好きなミネラルウォーターの銘柄をいくつか伝えた。
「はあ、では。俺は少し休ませてもらうよ」
 カフェオレを半分まで飲み終えたところで、御園大佐は眼鏡を外して目をつむってしまった。いつも余裕の笑顔の人だと思っていたけれど、仮眠を取る横顔は疲れて見えた。
 静かになった機内。小笠原に着くまで心優は、雅臣が手渡したというバインダーに束ねられているものを隈無く確かめる。
 それには心優が面接した日に起きたこと、採用された理由、そしてその時の秘書室で話し合われた最終選考のメンバーの意見。そして、採用された時の再度の面談で心優が答えたこと。そして試験の日程、護衛部の訓練を始めた日。護衛部の部長から聞いた様子が細やかに記されている。城戸中佐のサインもあれば、塚田少佐のサインも――。
 あの二人が丁寧に、どれだけ丁寧に心優に手塩にかけて見守ってきてくれたのか、導いてきてくれたのか、それが記されている。
 やはり泣かずにはいられなかった。今になって、彼等への感謝を噛みしめるだなんて愚かすぎる。もしかして、御園大佐が眠ってしまったのはそのせい?
 静かに、密かに、でも心優はついに涙を流していた。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 横須賀の海も青かった。空も青かった。
 でも違う。小笠原の海は明るく、そして空は深い。
 珊瑚礁ばかりの見晴らしに感動する。
 これが、雅臣が飛んでいた空――。

 初めて見た『小笠原基地』は、ひとつの街だった。
 離島、離島と聞かされてきたけれど、基地の建物は横須賀より近代的で、そこだけ都会のオフィス街のよう。
 民間空港から、また御園家の黒塗りの車で御園大佐と共に基地へと来たけれど、基地に着くまでの間に心優が見た車窓の景色は、まるで南の異国そのもの。
 美しい海が延々と続いたかと思うと、南仏のようなマリンハーバーがあり、かと思ったら、金網のフェンスが延々と続く『アメリカキャンプ』が基地まで続いている。
 そこにアメリカ出身の隊員が家族と住んでいるとのことで、その地域は『アメリカ国』だと御園大佐が教えてくれた。
 白い平屋のアメリカ的ハウスが幾つも並び、金髪に栗毛、そして様々な人種の子供達が楽しそうに駆け回っていた。
「今時期は、夏休みなんだよ。長いだろう、日本と違って。うちの子供達もキャンプのナショナルスクールに通わせているんで、ながーい夏休み中。もう駄々をこねる子供ではなくなったけれど、親が仕事ばかりでバカンスどころじゃないから、自分たちで本島にもいける歳になったからと横須賀の葉月の実家にいる祖父母を頼りにして、本島と島を行ったり来たりして夏休みを満喫しているよ」
「お子様、お幾つでしたか。お名前も教えて頂けますか」
 これからこちらのご家庭とは密接していくだろう。そう思い、心優から尋ねてみた。なのに、あの御園大佐が『よく聞いてくれた』とばかりに嬉しそうな顔になったので、心優はたじろいだ。
「長男がいま十五歳、海人(カイト)と言うんだ」
 十五歳!? わりと大きな息子さんがいて、心優は驚いてしまう。もう立派なベテランパパさんだ。
「息子は栗毛で、母親にそっくり。一目見たら、みんな、びっくりするね」
「え、息子さんは栗毛なのですか」
「そう、葉月にそっくり」
 わあ、それは見てみたいと心優はちょっとときめいた。あのクールビューティなクォーターのママにそっくりなんて、すっごい王子様みたいな顔に決まっている。
「隣に海野准将、副連隊長が住んでいて、というより、二家族で共に暮らしているようなもので、子育ては二家族でやってきたんだ。海野の長男は十六歳で、いま10年生。日本で言うところの、高校1〜2年生かな。うちの海人も9年生で九月の来年度からはハイスクール。でも日本では中学三年生の年齢。キャンプでは小中高の学年割りは『6,2,4』システムなんで、海人はもう高校生ということになるんだ。生まれた時から、二軒並んだところで育ったので、もう兄弟同然。海野の長男は『晃(あきら)』。長男格といったところかな」
 どうもアメリカ寄りの暮らしをしているらしい。心優も英語は軍隊に入ってから英会話程度は仕込まれたが、城戸秘書室に来てからは、その講義にも出ろと塚田少佐に言われて習っていたが自信がない。
 ということは――。
「息子さん達は、バイリンガルなんですね」
「いや、トリリンガルかな」
 なんという国際ファミリー! さすが、小笠原基地暮らし。やっぱり横須賀とは違う。心優はとんでもないところに、気持ち一つで来てしまったようでヒヤリとしてきた。
「俺はフランスのマルセイユ航空基地出身でフランス語を喋れるし、葉月もフランス語は習得しているので、お互いにトリリンガル。だから子供達も、自然にトリリンガルになってくれたな。それに、うちは娘がフランスに音楽留学しているから、娘と息子達は子供同士でもたまにフランス語で喋ることがあるみたいだな」
 御園大佐はさらっと言ったが『お嬢さんは、音楽留学』というところで、心優はもう目眩を起こしそうになった。
「お嬢様は、音楽留学でフランスにいるのですか」
「葉月が、幼少期はヴァイオリニストを目指していたほどに弾いていたし、ピアノも出来たんでね。娘がママに憧れて飛び出して行ってしまったんだ。鎌倉にいる葉月の従兄も音楽家だったから、そのお兄さん夫妻が今は娘に付き添って音楽の道をサポートしてくれている」
 やはりこの家は、セレブだ――と、心優は呆然とするばかり。
「あ、その従兄のお兄さんは、横須賀で音楽隊の隊長をしていたんだ。惜しいな、園田が入隊する前に辞めてしまっているな。息子の海人は、葉月にそっくりだけれど、どちらかというと、その葉月にも似ている従兄さんの方にそっくりなんだ」
 それを聞いて、心優は確信した。ミセス准将の従兄が以前横須賀基地の音楽隊にいたことも語り継がれている。彼を知っている先輩達は口々に言う『貴公子のような人だった』と。
「聞いたことがあります。貴公子のような方だったと、秘書室でも言われていました」
「遊び人で大変だったみたいだけどね。今は奥さん一筋でほっとしているみたいだよ、葉月も」
「お嬢様はお幾つなのですか」
「あ、うん。今年で十四歳かな。杏奈(アンナ)というんだ」
「離れて暮らしていらっしゃったのですね。存じませんでした」
「慣れたよ。あいつから行きたい行きたいと飛び出していったんだ。それにもう、なんていうか、口が達者で最近は敵わない。ああ、でも英太のことを気に入っているみたいだなあ。英太のやつ、うちの杏奈(アンナ)とズケズケ言い合っているから、杏奈も大人のお兄さんと対等に話せるのが楽しいらしくて、帰省してくると英太にまとわりついているよ」
 急に、心優の視界がぱあっと開けたような感覚!
「お、お嬢様……。十四歳とおっしゃいましたよね」
「ああ。そうだけど。それが?」
 間違いなかった。鈴木少佐がどーも十代ぐらいの女の子と親しいような雰囲気だと心優が感じていたのは間違いなかった。
 でもなんということ! 鈴木少佐が、人妻で上司であるミセス准将への思慕からやっと抜け出して、『いま親しい彼女が出来て、そちらに夢中』と思ったら、それが実は未成年の、しかも思慕していた女性の『愛娘』て!
「英太のやつもうまーく付き合ってくれるんだよな。あの生意気なお嬢ちゃんの扱いがうまいっていうか。去年も、英太が一人で選んだとは思えない誕生日プレゼントを杏奈に贈っていたんだよな。こっちの国産ブランドで、小中学生の女の子達が欲しい欲しいとこぞって買うらしいブランドの可愛い小物を包んでくれたみたいで。娘がすごく感激していたんだよなあ」
 わー、それ、鈴木少佐がそのブランドの小物を選ぶようにアドバイスをしたのは、わたしです! ――と、言いたくなるぐらいのビンゴだった。
 また違う目眩が起きそうになった。小笠原の御園家周辺相関図は強烈すぎる。
「そうそう。これ、俺の娘」
 また、御園大佐から嬉しそうに胸ポケットにある手帳に挟んでいる写真を見せてくれた。
 そこには黒髪の美少女が! チェロを片手に立っている姿は、まさに音楽家のお嬢様。
「えー、お嬢様は黒髪なんですね! お父様の大佐に似ていらっしゃいます」
「だろう。俺の母親の若い時に似てきたんだよな」
 しかも十四歳に見えない。日本にいれば、もう高校生二年生ぐらいに見えるほどに大人びている美少女だった。これは、鈴木少佐も懐かれたら放っておけないと納得してしまう。御園大佐も、機内ではあんなに手厳しい上官だったのに、息子と娘の話になったら、にっこにこのマイホームパパになって緩んでいるのも意外すぎた。
「これから俺の家族とも顔合わせをしとかないとな」
「仲良くできたらいいのですけれど。お会いできるのが楽しみです」
 そんなミセス准将ファミリーの話を聞いているうちに、基地の警備口についた。
 横須賀と違って、海に面した基地の正門。島の海岸線に沿って、基地が設置されている。遠く沖合に空母艦が見え、軍の船舶が行き来している。
 そして空には、訓練中の戦闘機が基地の背後にある緑の山をかすめるようにして上昇していく。
 小笠原基地は、まさに、南の要塞だった。その入り口に心優はついに立つ。

 

 

 

 

Update/2015.1.9
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