◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

TOP BACK NEXT

 19.恐れ入ります、連隊長殿  

 

 キリキリと胸が痛むのに、小笠原の空は快晴で、今日も珊瑚礁の海がきらきらと青い光を散りばめている。
 真っ白な小型船が、波の上を跳ねながら、基地から離れて沖合に向かっていく。心優の目にはもう重厚に君臨する空母艦が見えていた。
 やっと……。臣さんの魂を見に行けるよ。
 なにも知らない力無い女の子。わたしはそんなんじゃない。頑張っているし、憧れの上司にも愛された。ちゃんと持っている。ちっぽけな自信が傲慢を生んだ。
「元気ないな。まさか、船酔いか」
「いえ。乗り物に酔ったことはありません。大丈夫です」
 船内はガラス張りの屋根と窓で、とても明るい。そして長椅子が窓際に設置してあり、心優はそこに御園大佐と並んで座っていた。
 今日の御園大佐は、紺色の訓練着を着ている。そして、心優も。
『カーキーが一般隊員、ネイビーは指揮官チーム。ホワイトは雷神のパイロットだ。園田は、ミセス准将の護衛官ということで指揮官チームに属する』
 そう言われ、紺色の訓練着を手渡される。本来なら、心優が到底着れるはずもないカラーの訓練着だった。
 まだ申し訳ない気持ちで、紺の訓練着に袖を通し、心優は大佐と共に海に出た。
「それならいいんだけれどな……」
 御園大佐も訝しそうだった。
「まあ、でも。そんなところ女の子らしいね」
 どういう意味だろうかと、穏やかな眼差しで見つめている大佐を見上げていた。今日の大佐は甲板に出る時はコンタクトだから――と、眼鏡をかけていない。剥き出しのホークアイが南の太陽にキラッとしているけれど、柔らかい。
 彼は心優を女の子として見ている時は、とても優しい。それに眼鏡を外すと、ちょっと目尻のしわが目立つけれど、余計に爽やかな素顔をみせつけてくれる。若い時は……やっぱり、格好良かったんだと思う? あのミセスも、彼のこんな目とか笑顔とかに癒されていたに違いない。
「女心なんてそんなもんだろう。七色で移り気だ。でも、七色は見ていて面白い」
 はあ、なんて大人の男の言葉なんだろう――と、心優は唖然としてしまう。
「七色ですかあ」
 あのじゃじゃ馬奥様のご主人だから、余計にそうなのだろうなあと心優は思う。この一ヶ月、ミセス准将の側にいたが、彼女は外に出ればそれは冷たそうな女性なのに、准将室という自分のテリトリーで信頼している仲間に囲まれている准将は確かに『じゃじゃ馬嬢様』だった。
 一度だけ『また准将が消えた』と秘書室がざわめいたことがあった。ラングラー中佐から聞かされていたが、お供もつけないで准将は『ふらっと一人で何処かに行ってしまう』ことがあるらしい。
 それが御園大佐が心優の寄宿舎に来た時に、奥様に叱りつけていた『秘書官をまいて行方不明になる』という『彼女の癖』。
 それでも、秘書室のラングラー中佐も、護衛官のハワード大尉も落ち着いていた。誰がどこへ確認に行き、誰がどこの誰に連絡をしてそこを訪問していないか確かめる――と、ラングラー中佐の指示が飛び交う。
 まるで、非常事態訓練のようにして、あっという間に秘書官一同が広い基地へと捜索に散らばっていく。
『二十分で見つけろ』
 ラングラー中佐の鋭い声の指令は本気で、秘書官達もこれで見つけられなかったら室長にどやされると恐れおののいて、それこそ、捜索ではなくて『ミセスを捕獲する』かのような勢いで出て行く。
 室長の指令通り。二十分ぐらいで、ミセス准将が秘書官数名に周りを囲まれて帰ってくる。
『もう〜。なんなのよー。あそこの自販機のレモネードを買いに行っただけなのに』
『そのレモネードがお好きだから遠い自販機に行ってしまう。だから、このフロアの自販機をレモネードがある会社のものに入れ替えたではありませんか。そこで買ってください』
 ラングラー中佐のお説教が始まると、あのミセス准将が子供のようにぷいっとそっぽを向くのも珍しい光景で、心優は目を丸くしていた。
『どうしていつも、いちばん遠くにある陸部訓練棟の自販機を狙っていくのですか。あそこ、自販機除けてしまいますよ』
『やってみなさいよ。訓練後の隊員からブーイングが出るから』
 その通りのようなので、ラングラー中佐が黙った。絶対になくならない、でも遠い自販機を狙うミセス准将にとって、その場所は絶好のポイントと言うところらしい。
『そんな遠いところを往復するだけでどれだけ時間がかかるかわかっているのですか。そういうことは、私達にお申し付けください。いつまでも、ここで自由気ままだったお嬢様ではないのですからね』
『はあ。買い損ねた! あと、百メートルのところでウィルと福留さんに見つけられた!』
 准将は悔しそうだったが、見つけられて悔しいと言うより、自分で買いに行きたかったレモネードが買えなくてがっかりという顔だった。
 黒髪に青い瞳のウィルが『そう思って買っておきました』と准将にレモネードの缶ジュースを手渡しても、准将のご機嫌は直らない。
 そこで秘書官達が『買った後、陸部のグラウンドに行って、外の風を感じながら飲みたかったことでしょう』と、さらに准将がサボタージュをしようとしていたことを見抜いて、からかって大笑いをする。
 お転婆なじゃじゃ馬ミセスは、そんな陽気な男達にきちんと管理されながら、でも彼女がこの秘書室と隊長室を司っている。
 そんなくるくると忙しいミセス准将の日常を目の当たりにしては、心優はただただ唖然として見ているしかできない。
 でも。そんな御園准将隊長室と秘書室の変わった日常を見慣れてきても、ラングラー中佐は心優に念を押す。『あの気まぐれな散歩についていける護衛官になって欲しい』――と。
 そんな突然いなくなるのに、無理。と思っている。
「あの、お聞きしてもよろしいですか」
 気まぐれお嬢様として過ごしてきた彼女の夫に聞いてみる。
「なに」
「奥様が気まぐれにどこかに消えちゃったりして、やっぱり御園大佐はそれを知ったら、あの時のように怒っていらっしゃるのですか」
「あ〜。……うん、園田の世話になったあれは、周りにかけた迷惑が酷かったからね。子供でもそうだろう。これは絶対にやったら駄目だという時にこそ本気で叱るだろう。それと同じ。でも基地内で彼女がやっているのは、ある程度は大目に見ているよ。秘書官達もすごい鍛えられているだろう。それに彼女の散歩は、基地内の情報収集という意味もあるからそれは放っておいている。時々、すごい拾いものをしてきて、誰もが仰天するんだよ」
「拾いもの、ですか?」
 まるで動物みたい――と、心優は呆気にとられる。
「そう。悪い鼠をみつけたり、時には野ウサギやスズメバチを退治したついでに自分の秘書官をみつけたり、金の卵をみつけて拾ってきたりねえ。本当はもう立場的にやめて欲しいんだけれど、彼女の目には誰も敵わなくてね」
「目、ですか」
「俺達には見えないものが見えている。連隊長も彼女のサボタージュを見つけたら大目玉で怒る姿勢を取らねばならないと決めているけれど、そうでなければ、知らないところで彼女がなにを見つけてきてくれるのか期待しているところもあるようだね」
 じゃじゃ馬ミセスがやることは誰も真似もできず、そしてそれなりの功績を生むようだった。
「その散歩に黙って連れていってもらえるようになったら、ミセス専属護衛官として合格だ」
 はあ、ここでもそれを言われる。心優はため息をつきそうになって、大佐に気付かれまいとその息を抑え込む。
「大丈夫だって。脈有りだから、園田を引き抜いたんだから。きっと、テッドでもなく、俺でもなく、アドルフでもなく。『ミユ』ではないと許されないことがあるはずだ」
 そんなこと、いまは彼女の側に来たばかりで先が見えない。それでも御園大佐はなにかを確信したかのように言う。
「お姉さんと仲良かったんだ。可愛く育てられたようで、それまでは女の子らしい可愛いことが大好きだったようだよ。女同士もわりと好きなようだし、男社会で生きてきたから『憧れている』ところもあるんだと思う」
「わたしなんて、女らしく育ってこなくて、いつも道場で汗まみれだったのに」
「ほんとうに? 女らしくなりたいと思ったことはなかったのかな?」
 ないわけない。優先順序が低かっただけで、本当は可愛いこといっぱいしたかった。でもそれ以上に、『この特技で一番になりたい』気持ちが強かっただけ。
「心許せる姉妹になってほしいね」
「そんな、姉妹だなんて……」
「似てるよ。若い時の『葉月』に」
 夫の顔だった。いつもは怖いホークアイが、やっぱり妻を想う男の目に和らいでいる。
 そんな時の御園大佐の顔は、素敵だった。心優は思わず頬を染めてしまう。こんなふうに、夫に愛されるようになれたらいいのに……と。
「さて。少し復習をしておこう」
 教官の顔に戻った御園大佐が、持ってきていたタブレットの電源を入れると空母艦の見取り図を画面に映した。
「この連絡船は、ここに着艦する。この通路を通って、ここに。ここに戦闘機を甲板に運搬するエレベーターがある。まずはここから見学。ここにいる甲板要員のジャージの色は?」
「ブルーです」
「ブルージャージの、他の仕事は」
「航空機牽引、トラクター運転士、伝令・電鈴。航空機の移動担当です」
 『正解』と、彼が微笑む。
「そして、今回はこの階段を通って上階へ。ここでスクランブル発進に備えているパイロットの待機所がある。スクランブルの指令が出て、この階段を駆け上がると、すぐに甲板のキャットウォークにでる。今日はここにホーネットが準備され、このカタパルトに装着される。そこの発進をこの位置で見学だ。甲板では自分の判断だけでうろうろしない。必ず俺の側にいること。いいな」
「はい」
 明るかった船内が急に薄暗く翳った。上を見上げると、もう空母艦の鉄壁がそびえている。その大きさに圧倒される。
 連絡船から着艦口へ。ついに心優は灰色の要塞に踏み入れる。
 波間に揺れる連絡船が離れていき、また基地へと折り返していく。
 心優はここに来た。でも、雅臣はまだ陸にいる。あの連絡船からここに踏み入れることができなくなって、彼は苦しんでいた。
 着艦口から、心優は小さくなっていく連絡船をしばらく見つめていた。身体はここにこれなくなって、でも魂は……。
「どうした。行くぞ」
 先に鉄階段を上がろうとしている御園大佐に呼ばれ、心優も後を追う。
 雅臣の魂が残っている、甲板へ行く。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 鉄階段を上がり、途中で予定通りに、戦闘機を乗せた大きなエレベーターを見学したあと、いよいよ甲板へと向かう。
 幾つもの通路を通る。静かな通りもあれば、整備員が行き交う賑やかな通りもある。
 階段をいくつか上がると、また潮の香がきつくなった。波の音も聞こえてくる。
「さあ、甲板だ」
 そこで御園大佐が、隊員に指示をして甲板に行かせた。そこから戻ってきた隊員が差し出したものを、心優は装着させられる。
 『はい、これを被る』と、御園大佐にヘルメットを被され、さらに大きなヘッドギアまでつけられる。
 御園大佐も同じようにヘルメットを被り、ヘッドギアをセットした。
《聞こえるか》
 ヘッドホンから御園大佐の声が!
《インカムのマイクを口元に近づけて》
 ヘッドホンについているマイクを曲げて、言われたとおりに口元に近づける。
《甲板に出ると、戦闘機の音で声が聞こえにくいのでこれで通信をする。俺と園田だけのチャンネルにセットしてある》
《了解です》
《俺の後ろから離れないように》
 こっくり頷き、心優は御園大佐の後ろをついていく。側にいる隊員がみな、御園大佐に敬礼をして見送る。
 通路を出ると目の前は海。艦内よりもずっと華奢な鉄階段がある。波しぶきがすぐそこまで迫ってきて、濡れるのではないかと心優はそれだけでドキドキしてしまった。しかも階段の下、海が透けて見える。
 その階段を御園大佐は慣れたように軽やかな足取りで上がっていく。
 階段を上がりきり、そこに開けた世界に心優は圧倒される。
 階段を上がったそこは甲板のキャットウォークだったが、心優の目の前にはもう戦闘機が待ちかまえていた。
 灰色のスーパーホーネット! すでに真っ赤に噴射口を燃やしていて、陽炎が揺らめいている。
 ヘッドギアをしていても、耳に迫ってくる高音のエンジン音! それが唸りを上げながら、翼のフラップをバタバタさせている。
《ちょうど発進前だ。姿勢を低くして》
 彼が跪いて頭を低くする。心優も同じように……、いやもう身体にぶつかってくる気流がそうさせてしまう!
 それでも心優はなんとか頭を上げて、戦闘機の周辺をみつめる。
 ――わかるよ! 大佐に教えてもらった通りにわかる!
 黄色ジャージの『航空機誘導士官』が、コックピットに『もうすぐ発進する』タイミングを知らせるコマンドサインを送っている。
 緑ジャージの『射出・着艦装置員』が、カタパルトシャトルに戦闘機の前輪車軸と結合を済ませ、そのコマンドサインを各所に示して作業の確認をしている。
《わかるか。コマンドサインでカタパルトセットの作業がきちんと終えているか示して、それをひとつひとつ確認している》
《わかります! 教わったとおりです!》
《よし、コックピットが見えるところまで行こう》
 御園大佐が戦闘機の噴射気流が強い中、コックピットへ向かってキャットウォークを前進する。
 コックピットが見えるところで、御園大佐がまた跪いて止まる。手招きをされた隣に、心優も並んだ。
《いくぞ》
 コックピットにいるパイロットが黄色ジャージの『カタパルト・シューター』に、敬礼をする。
 カーキーの飛行服姿、そしてヘッドマウントディスプレイを装着したヘルメットをしているパイロットが、側に御園大佐がいることに気がついていたのか、こちらに向けても敬礼をしてくれた。
《気をつけて行ってこいよ》
 御園大佐が敬礼をして、グッジョブサインで返答する。
 さらにパイロットには心優にまで……! 驚いて、心優も慌てて敬礼を返した。
 黄ジャージの『航空機誘導士官』が跪き、まっすぐに腕を伸ばし海へと指さす。『GO/Launch』、行け、発射の合図。と同時に、カタパルトシャトルに結合されている車輪がガタンと動いたかと思うと、あっという間に甲板を走り出していく――。
《わっ》
 カタパルトのスチームが湧き上がる。甲高いエンジン音から、噴射口の爆発音。真っ赤に燃やして戦闘機が機首をあげ轟音を轟かせ空へと飛び立つ。
 ビリビリとする空気、音、そして、海と空に連れて行かれそうな気流!
《すごい!》
《すごいだろう。一瞬だ》
 心優は震えていた。そして額に汗を感じている。ここは別世界だ。剥き出しの新幹線レールの側にいるのと一緒。しかもレールに乗っていた乗り物は、そこから力強く空へと飛び立っていく。ここにいる誰もが、蒸気が渦巻く気流から空へと連れて行かれる錯覚を起こす。
 飛んでいったスーパーホーネットが空母の上で旋回している。太陽の光を受けた尖端が輝いている。
 ――臣さん。
 光を反射するコックピットにその人の輝くシャーマナイトを見た気がした。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

「本当に、凄かったです!」
 興奮醒めやらぬうちに、心優は御園大佐と共に陸の基地に戻ってきていた。
「最後の、御園大佐の『カタパルトシューター』も格好良かったです!」
 元甲板要員だった御園大佐は、いまでも時々戦闘機を飛ばしたくて飛び入りをするらしく。今日は御園大佐が見学に来ているのを見つけたコリンズ大佐が『可愛い教え子に、いいところみさせてやるよ。久しぶりにやってみろよ』と、離艦発進をするホーネットのカタパルト発進をやらせてくれることになった。
《園田は俺の足下に跪いて立たないように》
《はい》
 黄色ジャージを着た御園大佐が、各所の作業完了をチェックし、最後にパイロットにコマンドを送り、甲板に膝をついて海原へ『GO/Launch』と腕を伸ばす。心優の目の前で、またパイロットが敬礼をし、カタパルトシャトルがガシャンと動いた後の瞬速発進。何度、目の当たりにしても驚きと、空へと連れて行かれる爽快感は変わらなかった。
 それに御園大佐も『根っからの空の男』だと知った。元々、マルセイユ基地では甲板要員だったとのことで、御園大佐も楽しそうだったし、周りにいる甲板要員も『また来てください』と騒いでいて甲板でも御園大佐は人気者だった。
 基地に一緒に帰ってきて、二人揃ってカフェテリアへとランチへ向かっていた。
 ちょうどランチタイムで、女性隊員で混雑しはじめたところ。その中を、御園大佐となにを食べようか、どこに座ろうかと話していた時だった。
 エレベーターのドアが開いた途端、隊員達のざわめきが少し鎮まった。
「あー、連隊長と同じ時間になってしまったかあ」
 あの御園大佐がげんなりした顔になる。『細川正義少将、小笠原連隊基地連隊長殿』だった。きっちりとセットした黒髪に、切れ長の険しい眼差しが常。そのうえ、冷たい銀フレームの眼鏡がさらに彼の目を鋭く見せている。
 ミセスのことを『アイスドール』と口癖のようにしていうけれど、彼もロボットのような鋼鉄の表情を保っていて『アイスマシン』と影で揶揄されている。
「逃げ場もないねえ」
 御園大佐も連隊長はさすがに苦手のようで、でも、あちらの連隊長がすぐに『標的』と視線の照準を定めたのは、御園大佐だった。
 側近の秘書官を三名ほど引き連れている細川連隊長が、こちらに歩み寄ってくる。
「やっと彼女に会えた」
 その細川連隊長が御園大佐の前に来てじっと見据えたのは、心優だった。
 いままで遠くから拝見はしていても、声をかけてもらうのは初めてだったので、心優も急激に硬直する。
「初めまして。園田心優です」
 敬礼をし、深いお辞儀をする。
「ああ、噂はかねがね。お父上のことも知っているよ。なんでも空手となると、かなりの腕前とか」
「恐れ入ります」
 頭を上げて。と御園大佐に言われたので、心優も顔を上げる。そこに基地でいちばん畏れられている人と目が合う。
 不思議だな。この人の目も冷たいけれど、奥になにかを感じてしまう。でもこの人の目は最強の魔除け『天眼石』。
 その連隊長が御園大佐に、意味ありげな笑みを浮かべ尋ねる。
「テッドと手合わせして、どちらが勝つのだ」
 はっきりとした聞き方に、御園大佐が面食らっている。でも、御園大佐もその後は肝を据えたかのように笑みを整えた。
「何度か、彼女に投げられたり、鳩尾に拳をあてられたそうです」
 それを聞いただけで、クールな銀眼鏡の連隊長が驚いた顔をした。
「では。身体の大きいアドルフでは」
「彼も同様です」
 それにも連隊長は驚いて、今度は心優を見ている。
「こんな細いのに?」
「葉月だって細いですが、海野だってアドルフだって投げられますよ」
 連隊長が顎をなぞりながら『ほう』と唸って、心優をじっと……。連隊長ほどの上官に、身体をじろじろみられてしまう。
「少将。失礼ですよ。女性に対して」
 後ろにいるこれまた真面目そうな眼鏡の中佐が、言いにくそうに連隊長を諫めた。
「あ、失敬。つい……。そのような女性は、ミセス准将以来だったもので」
「いいえ、大丈夫です」
 そう言えば。城戸中佐も、御園大佐も、最初は心優のことをじろじろ見ていたなあと思い出したぐらい。きっと心優の身体でどうしてそのようなことができるのか、上官達は不思議になってしまうのだろう。
「そうか。では、そこの『シド』とはどうか」
 最後に連隊長が連れてきている側近の一人へと振り返った。今度は連隊長が得意そうだった。
 いちばん後ろに、金髪に水色の瞳をしている若い男性へと、連隊長が視線を向ける。
 転属してまだ一ヶ月しか経っていない心優には、初めて見る隊員だった。
「シドですか」
「フロリダのフランク先輩の養子だ。幼少の頃から仕込まれているなら、彼と彼女も同様だと思うが」
 心優もその若い男性隊員と目が合う。だけれど、向こうはもう心優を睨んでいるのがわかった。そして心優も彼を一目見て『武道』を嗜んでいる男で、さらに『武闘派の隊員』だと解った。彼自身がその気を漲らせていて、心優の脳がピリピリしているから。
 そんな若い男の『揺るがないプライド』を感じ取った。
 どちらももの心つく前から武道をしてきた者同士。おそらく向こうも幼い頃から、腕に覚えのある師匠がついていたのだろう。
 なのに、御園大佐がこともなげに言い放つ。
「ああ、もうそれなら。園田の方が腕が上でしょう。対戦してきた相手が違いますし、その積み重ねで世界が目の前だった選手ですから」
 自分を持ち上げてくれた教官に嬉しさを感じながらも、心優はヒヤッともした。
 ああ、あの彼が怒った! 密かに歯軋りをしているのがわかる。それに、さらに痛く突き刺す視線で心優を捕らえたまま離してくれない。
「シドもなかなか鍛えられていると思うがね。師匠に教官の誰もが、根っからの武闘派だ。試合と実戦では異なるだろう」
「園田は、技術として的確に仕込まれています。力業で突っ込めばいいというわけでもないでしょう。祖父や父親に仕込まれた葉月もそう言っておりますので」
「ほう。夫妻で持ち上げるねー。それは楽しみだ。今度、護衛部の訓練でも見に行ってみるかな」
 『是非』と御園大佐がお辞儀をすると、連隊長は満足そうな微笑みを見せてカフェテリアのざわめきの中に側近と去っていく。
 連隊長の最後尾を護衛しているのだろう。その彼が心優の目の前を通りすがる時に言い捨てた。
「どうせ三位だろ。世界に行けなかったくせに」
 金髪の端正な顔立ちの彼が、綺麗な日本語で吐き捨てる。最後にチッと舌打ちまでされた。
「シド、行儀悪いぞ」
 御園大佐も彼を知っているのか。静かに窘めると、彼は御園大佐には『失礼しました』と頭を下げて去っていった。
「あの、すごくわたしのこと睨んでいたんですけれど」
「いいんだよ。あれで。たぶん、連隊長も『よく言ってくれた』と思っているだろうから」
 なにを仰りたいのか解らず、心優は首を傾げるばかり。
「御園大佐が、わたしのことを彼より腕があると推してくださったのは嬉しいですけれど、ですが、彼もかなりの腕前だとわたしは感じましたし、なによりも、フロリダのフランク先輩というのは、フロリダ本部のフランク大将のことですよね。そこの養子だなんて……。養子でも『大将のジュニア』(ご子息)ではありませんか」
 でも御園大佐はにっこりと余裕げな微笑みしか見せてくれない。
「彼の顔を良く覚えておいてくれ。養子だからって遠慮は要らない」
「護衛部の訓練で、彼に会ったことはありません」
「そりゃそうだ。彼は『特別な訓練』をしているし、つい最近、細川連隊長の秘書室にフロリダから転属してきたばかりだ」
 ということは、心優と同じ、外の基地から引き抜かれて小笠原にやってきた『秘書室護衛官』ということになる。
 でも、向こうの方が格は上。彼の肩章は『中尉』だった。それに、少将殿の秘書室の所属。大ボスの地位もミセス准将より上――。
「困ります。まだ対戦したこともない相手に、勝てるだなんて。連隊長の前で言われては……」
「いや、本気でそう思っているよ。葉月もまだ若いだけの『シド』にはいい練習相手になるだろうと、確信していたからね」
 そんな。あんな男と対戦はできても、変な敵対心を持って欲しくない。
 でも御園大佐は楽しそうにまだ笑っている。
「大佐ったら……」
「ああ、ごめんごめん。じゃあ、種明かしをするかな。あ、でも食事が終わってからな」
 種明かし? なんだろうと心優は訝しみながら、御園大佐と惣菜が並ぶカウンターにトレイを持って並んだ。
「おー、今日は『夏野菜のラタトゥイユ』がある。もうこれしかない」
 御園大佐の根っこは、本当に『フランス帰り』そのもの。もうフランスで育ったのではないかと思うほどに、食生活はあちら寄りだった。

 ランチを終えると、御園大佐がアイスコーヒーをテイクアウトしてくれ、それを持って屋上へと誘われた。
 つきぬける真っ青な空に、大きな白い雲。そして今日の海の色はアクアブルー、その日によって表情を変える珊瑚礁の海。潮風が真っ正面から吹いてくる。基地の前は海辺。地形に添ってこの基地がある。
 昼下がりの優しい風の中、御園大佐が屋上に置かれているベンチに腰をかけた。
「秘密隊員――というのを園田は知っているか」
「横須賀の秘書室で初めて教えてもらいました。将軍の特権で動く、いわゆる諜報員的な働きをしてくれる隊員が極秘に存在すると」
「そう。仮の部署で、一般隊員の顔をして紛れているが、受けている指令は将軍クラスから任されて、極秘で動くんだ。いかにもという顔で普通に基地の中にいる」
「小笠原にも?」
「いるよ」
 アイスコーヒーをすすった御園大佐の横顔から笑みが消えた。本気の話だ――という予感。
「――話は変わるが」
「はい」
 そこで御園大佐がまた黙ってしまう。
「――話は変わるが」
 二度も同じ事を。まるで念を押すようだったが、心優は首を傾げるだけ。
「シドはナタリーの息子なんだ」
「ナタリー……」
 聞き覚えがあるなと、心優は記憶を探った。直ぐには思い出せない。
「園田を横須賀へ迎えに行った時に、うちのセスナに乗っただろう。あのセスナを操縦していた女性だよ」
「ああ、あの綺麗な女性機長さん」
「髪の色は違うが、目の色が一緒だ」
 そういえば。同じ綺麗な水色、アクアマリンのような瞳だった。息子は金髪で生まれたらしい。
「でも。シドの素性は実は誰も知らない」
「え……?」
「まあ、それなりの経歴をくっつけて、フランク大将が養子にしたんだけれどね」
 また話が良く判らなくなってくる。
「彼の顔を良く覚えておいてくれ。それだけでいいから」
「おっしゃっている意味が……」
 最後に御園大佐が、小さな声で言った。
「ミセス准将の側にいると、秘密隊員なんて案外、近くにいるもんなんだよ。それも覚えておいて」
 まだ、なにを言っているのか……?
「――話は変わるが」
 また……だった。話の運び方が不自然で、心優はアイスコーヒーをくつろいで飲めない。
「そのシドは負けず嫌いなものだから、おなじ武道をするもの同士として、園田が転属する前から気にはしていたんだよ。ナタリーも心配していたよ。シドが園田に喧嘩を売らないか、軍で問題を起こさないか心配――ってね」
「はあ……」
 そして心優も思い出す。あのセスナに乗った時、栗毛の綺麗な女性が、水色の目で心優をジッと見つめていたことを。確かに、息子と目の色が一緒だった。アクアマリンの麗しい瞳。あれは心優が困らないか心配してくれている視線だったのだと知る。
 勝手に敵対心を持って問題を起こすなら、それは彼の責任だし。正直、心優にとってあの男とはなるべく関わらない方向性にしていけば良いだけのこと。
「護衛部の訓練で、シドに会ったことはないだろう。彼は『人とは違う訓練』を受けてきた隊員なんだよ」
 そこで、心優の中でぱちんとなにかが繋がってしまう。
 そして御園大佐の『話は変わるが――』という不自然な話の運び方。なにかをカモフラージュするため。そして心優が気がついたこと。
 ――シドは、連隊長配下の側近ではなくて。それは見せかけの部署配置で。本当は御園准将のための秘密隊員?
 ハッとして御園大佐を見た。
「だから彼は、わたしのことを頼りない護衛官だと疑っていて、あのような目で……。信用されていないってことなのですね」
「なんのことか。シドのだたの嫉妬だろう。――まあ、気になるなら葉月から直接聞いてくれ」
 誤魔化しているけれど。きっとそうだと心優は確信した。それなら、あの敵対する目も理解できる。
 彼はきっと想像を絶する訓練をしてきた『実戦派』なのだろう。なのに、『ルールで守られた試合で世界を目の前にしていた』という実績は彼には生ぬるい実績で、その程度の女護衛官が『お守りしたい御園のお嬢様』の側に来たから許せない――という不信感を露わにしていたのだ。
 『シド』が、フロリダから来たのは……。つまりは、『御園経由』ということ? 
 では、彼はミセス准将のための指令で来ているのだろうか。まだ判らない。

 

 

 

 

Update/2015.1.19
TOP BACK NEXT
Copyright (c) 2015 marie morii All rights reserved.