◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 24.行ってまいります、父上殿  

 

 大佐殿の荷物も、ボストンバッグひとつだけだった。
 最終会議を終え、御園准将一行を乗せた飛行機が小笠原に到着する。
 行く時はいなかった彼が、いきなり、今日から『小笠原の隊員』になって同じ飛行機に乗っている。
 ミセス准将がやることは大胆すぎる。心優を引き抜いた時も吹いてきた風にさらわれるようだったが、ミセス准将はまた違う風でとんでもないものを運んでくる。

 小型飛行機から滑走路に降りると、御園准将は雅臣に振り返る。
「貴方の住まいを官舎に確保しておいたけど、荷物はまだ何日かかかるのでしょう。それまでは寄宿舎で過ごせるように一室とっておいたから。今日はもう、そこで休みなさい。急な辞令だったのに岩国からとるものもとらず飛んできてくれて、そのまま小笠原に連れてきてしまったわね――。ごめんなさいね」
 急な辞令だったようで、雅臣も身ひとつですっ飛んできたようだった。だが彼は満ち足りた笑みをそっと浮かべ、頭を振る。
「いいえ。嬉しかったです。間に合わせてくださって……。やはり『俺の准将』です」
 『俺の、』その言い方に、心優はややショックを受けた。わかっていたが、本当に彼はミセス准将に焦がれていたんだという証拠みたいなものだった。
 だからといって『女性として見ている』わけでもないことは心優もわかっている。雅臣の『精神の問題』。俺がどこにいちばん居たいか。それが小笠原飛行部隊だった。そして、そこに所属するための絶対的条件が、ミセス准将という上官であるだけ。
 でもきっと。彼のいまの『いちばん』は、ミセス准将。雅臣の目が、琥珀の瞳を持っている栗毛の女性から離れない。
「前のように思ってくれて、ありがとう雅臣。明日から、大佐として動いてもらいます。朝、私の准将室まで来て。連隊長への挨拶は、明日、改めて一緒に行きましょう」
「イエス、マム。それでは、本日はこちらで失礼致します」
 ミセス准将、そして橘大佐や、いままで先輩だっただろうラングラー中佐にダグラス中佐に敬礼をすると、そのまま背を向けてしまった。
 また、彼と言葉を交わす機会を失ってしまう――。
 ボストンバッグを肩に担ぐ後ろ姿が、遠くて、もう知らない人のよう。心優の胸の痛みは止まない。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 雅臣は翌日、連隊長への挨拶を済ませると、ミセス准将の指示で『出航前準備をする』という目的で、副艦長の橘大佐と共に、ひと足先に空母に乗り込むことになってしまった。
 せっかく同じ小笠原の隊員になっても、大佐として『飛行部隊指揮官』となった雅臣は忙しすぎて、心優の前に現れることはなかった。
 しかも准将室にも来ない。聞けば、一足先に乗り込んだ大佐二人は既に任務に着任したも同然で、もう海の上。陸に帰ってくることはほとんどないとのことだった。

 さらに心優がいちばん驚かされたのは、御園准将が『出航前で忙しい。私は陸の庶務に集中する』と言って、甲板の訓練に行かなくなったことだった。
 これでまた心優は、雅臣と会う機会を失っていた。雅臣は、ミセス准将と共に指揮官として邁進していきたかったのではないのか。せっかく望んだ上官と甲板にいられると期待していたのでは。また……がっかりしていないだろうか。
 だがミセス准将は『いいの。橘さんがいるから。まず、雷神のパイロット達にも私がいなくても、雅臣の指示で動かなくてはならないということを体感しておいてほしいのよ』――と言って、陸の准将室で悠然としている。

 彼が目の前に現れたのは、まるで幻だったかのように。いないに等しい日々を心優は送っていが、御園准将一行と共に乗船する数日前を迎えていた。

「ミユ、これを隣のデーター管理室にいるミラー大佐に返してきて」
 御園准将から渡された書類とデーターを受け取り、心優は准将室を出る。
 大隊本部室の隣にあるので遠くはない。ただし、小笠原飛行部隊特有の『データー管理』をしている一室なので、扉が厳重にロックされている。
 インターホンを押して『御園大隊長室の園田です』と言えば、ロックを解除して自動ドアで入れるようになっている。
 いくつものパソコンモニターも並び、旧式の映像データーも管理されているため、ファイル棚もいくつも並んでいる。
 責任者は『ブライアン=ミラー大佐』。ミセス准将の右腕で、パイロットとしては同じ上官に仕込まれた『兄弟子』ということらしい。橘大佐が横須賀から転属してくるまでは、ミラー大佐が副艦長としてミセスに付き添うことが多かったらしい。
 いま彼はここで、小笠原飛行部隊で空を飛ぶパイロット達の『飛行データー』をまとめている。
 この『飛行データーを一括している』というのが、小笠原飛行部隊の特徴だった。しかもこのシステム、御園工学科大佐が創り上げたらしい。
 パイロットが空を飛ぶ。その飛んだデーターを『ホワイト戦闘機』から引き抜く、引き抜いたデーターはこの『データー管理室』でデジタル化される。それを工学科のプロジェクトチームが開発したシミュレーション機である『チェンジ』に入力する。すると、このシミュレーション機は、『パイロット個々の癖』を認知してパターン化。現役パイロット達が、このシミュレーション機でそこにいない腕前が上のパイロットと対戦が出来る。またはそのデーター内にあるパイロットを『敵機』として設定して、あらゆるパターンの対領空侵犯措置の訓練も架空で体験ができるということだった。
 そのシステムを御園大佐のところに集結した工学科隊員と民間企業のシステム会社と重工機を造り出す会社と組んで、戦闘機と連動させたデーター化に成功していた。
 御園大佐の功績とされているが、夫の彼は『パイロットだった妻が、こんなシステムが欲しいと言ったから』と思いつきは奥さんが先だったと言っている。
 小笠原の空部隊のこのシステムを欲しいという基地も多く、横須賀基地も徐々にそのシステムを導入しはじめている。
 今日も空母から訓練で空へと飛んでいった戦闘機のデーターを甲板から持ち帰り、プログラマーの隊員達がデーター化に励んでいる。
 ミセス准将もよくこの管理室にやってきては、パイロット達のデーターと睨めっこをしていることが多い。
 お遣いの書類封筒を胸に抱え、心優はいつも訪ねるミラー大佐のデスクへ向かう。だけれど、ミラー大佐は不在だった。
 黙って置いていくわけにもいかず、心優は困り果てる。すぐそばでデーター化の作業をしている男性隊員に聞いてみる。
「御園准将が、甲板訓練データーの確認を終えたのでお返しに来ました」
 眼鏡の彼が少しだけ手を止めて心優をデスクから見上げる。
「大佐なら、視聴デスクにいると思うけど」
「あ、そうでしたか。よく確認もせず、申し訳ありません」
 図書館の本棚のように並んでいるファイル棚の向こう、そこで各映像を再生し視聴するためのパソコンを設置したデスクが並んでいる。ファイル棚の影になっているのでよく見えない場所だった。
 高いファイル棚の通路を抜け、心優は『銀髪』を目印に探す。銀髪のミラー大佐はそこにはいない。黒髪の男性が一人、背を向けて座っているだけだった。
 指揮官が着る紺色の訓練着の男性だった。ここに銀髪の大佐殿が来ていなかったか聞いてみようと声をかける。
「お忙しいところ、失礼致します。こちらにミラー大佐……」
 振り向いた男性を見て、心優は言葉を失う。
 無精髭だらけのもさっとした男だったから……。違う、それが、雅臣だったから!
「ああ。なに。ミラー大佐なら留守だよ。いま、俺が留守番を頼まれてここにいるんだけど。それ、御園准将から?」
 胸に抱えている書類封筒を指さされる。
「そうです。甲板訓練のデーターの確認を終えたので、お返しに。それから御園准将がまとめられた確認書も一緒です」
「それ、昨日、俺が雷神を指揮した訓練のものだと思う。俺が預かっておく」
 本当にあのエースパイロット集団『雷神』の訓練を、彼がやっている……。わかっているけれど、ミセス准将の代役を、いとも簡単にこなして当たり前のような顔をしている雅臣を知り、心優は絶句する。
 それでも、気を取り直して――。
「そうですか。お願い致します」
 大佐ならいるよ――と、教えてもらってこちらに来たら、こっちの大佐殿だったなんて。
 陸にはもう戻ってこないと聞いていて、次に会えるチャンスは空母に乗船してからだと思っていたから、心の準備が出来ていなかった心優の手は震えていた。
 雅臣が書類を受け取ってすぐ、心優は手を引っ込めてしまう。
 でも、これだけは。伝えておかなくちゃ!
「城戸大佐。昇進、おめでとうございます。それから、甲板復帰も。よろしかったですね」
 あのシャーマナイトの目と合う。もう心優は卒倒しそうになった。あんなにあんなに焦がれていた目がそこにある。しかも自分を見ている!
 だけれど、彼はもうあの頃のような愛嬌あるにっこりした微笑みは見せてくれない。
「ありがとう。そっちもな。少尉に昇進、おめでとう。岩国で広報誌を見た。向こうでも、隊員達の話題だった。葉月さんが笑っているし、夫妻で並んでいるし、その間に妹だか娘のようにして一緒にいる若い女性護衛官。どんな子なんだろうなとかさ、俺の部下だったと知った男共にいろいろ聞かれて大変だった」
「そ、そんなことに?」
「うん。高須賀准将にもいろいろ聞かれたな。ミセス准将と御園大佐が余程のお気に入りのお嬢さんのようだけれど、どのような子なのかとね。広報誌もそうだけど、御園の影響力はすごいんだ。そこにいるんだよ、園田は」
 久しぶりの会話なのに。彼の声は淡々としていた。しかも、目を合わせてくれたのはほんの少しで、彼はそれだけ言うとまた背を向け視聴していた映像の続きを再生するためにマウスを握り直した。
「あの……」
 勇気を出して。最後に傷つけたことをお許しください――と今こそ言おう! 一歩、雅臣の背に近づいた時だった。
「近寄るな――」
 肩越しに頬も口周りも真っ黒になった髭面の彼が強く言う。
 さすがに心優も後ずさった。やっぱり嫌われている!
「し、失礼致しました。では、これで戻ります」
「わ、悪い。その……。風呂に二日ほど入っていないんだよ」
 バツの悪い顔で、また身体ごと振り返ってくれた。
「それで、その……髭?」
「ああ、もう……。わかっていたけれど、いま空母の中は出航前で艦長室と指令室の拠点になる幹部の事務室を整えるのでてんてこまいなんだよ。出発前でいろいろな」
 大佐となってその責務は、秘書室以上なのだと心優はやっと痛感する。
「でも、」
 心優は後ずさった分、少しだけまた雅臣へと一歩近づいた。
「気になさっているほどではありません。……よく、知っている匂いです」
 清める暇もなかったむさ苦しいほどの男の匂いは、心優にとっては慣れた匂いだった。父も兄も、そして軍隊にいればこの匂いはそこら中にある。でも、よりいっそう濃く心優の鼻腔に記憶されている男の匂いは、この匂い。
 驚かせてしまったのか、雅臣は唖然とした顔で心優を座っている姿から見上げていた。
「准将が待っている。早く帰れよ」
 急に素っ気なく、また背を向けられてしまう。
「それでは、お邪魔致しました」
 見てもくれないとわかっていても、心優は一礼をして去ろうとした。
 無理もない。あんな別れ方をして、半年ぶり。久しぶりだねと笑顔で会えるわけがない。
 でも、言えた。おめでとうございます――だけでも言えた。本当に伝えたいことは、まだきちんと伝えられる雰囲気ではなさそうだけれど。
 歩き出した時だった。心優の背後から『ぐぐぅー』とお腹が鳴る音が聞こえてしまった。
「はあ」
 雅臣が辛そうに、腹部をさすった。空腹らしい。
「ちゃんと食べてくださいよ。空母にも大きなカフェテリアがあって、もう開いているのでしょう」
「うるさい。時間がなかっただけだ」
 少し心配になってきた。そんな髭も剃る余裕もないほど駆け回っていて? 朝食もまともにとらないで? 臣さん。突っ走りすぎていない? そう言いたい、聞きたい。
「なにか買ってきましょうか。体に悪いですよ」
 振り向いてもくれない彼。なにも答えてくれなかった。
「カツサンド、お好きでしたよね。小笠原のもおいしい・・」
「俺のことより准将のことをまず考えろ。園田はもう俺の部下ではない。そうだろ。おまえが、小笠原を選んだのだから」
 背を向けたまま、きっぱりと言い返された。
 心優の心臓にどーんと一発、爆撃されたほどの衝撃。
「……ですよね。そうでした」
 もう部下ではない、いま目の前にいる上官を優先しろ。それはごもっとも。でも……『俺より、小笠原を選んだ』、最後、彼の気持ちはそこにあると心優は知ってしまう。
 それはまるで、他の男を選んだかのような責められよう。でも逆に心優も、彼が望んでいるのは仕事上での気持ちであっただけなのに、他の女性を想っているかのような彼のことを責めたのだから、文句は言えない。
「失礼いたしました」
 今度こそ、心優はそこから駆けだしていた。
 管理室を飛び出した廊下で、涙が溢れてきた。
「いけない。准将に気付かれちゃう」
 それにこの通路は、本部室の管理官に事務員達がたくさん出入りして歩いている。だから、心優は顔を伏せて、階段を駆け下りた。
 この高官棟は、正面玄関がある棟で一階の玄関にいくと、通路から中庭が見える。
 そこに鯉が優雅に泳ぐ池があった。それが見える渡り廊下に立って、暫く気持ちを落ち着けた。
 池の周りには南国らしい草木が、島の風に吹かれている。赤い石楠花(しゃくなげ)が咲いていて、愛らしく揺れている。
 あの人はもう、わたしが知っている臣さんじゃない。
 彼はもう小笠原飛行部隊を配下にもつ『大佐殿』――。
 彼は、わたしを許してくれない。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 小笠原の桜開花は早い。二月には咲いてしまう。そしてあっという間に散る。
 早くも葉桜が息吹いた頃。心優はついに、その日を迎えていた。

 ミセス准将の手には『ヴァイオリンケース』。
 それを持って、『艦長』が空母入りをする。
 彼女が歩けばついてくる秘書官を従え、御園艦長が空母の通路を往く――。すれ違う乗船クルーは立ち止まり、背筋を伸ばして御園艦長に敬礼をする。
 彼女がヴァイオリンを持って、空母に乗船する。それが御園空母艦の完成を意味すると、海の男達はそう囁く。
 今日がその日。『出航の日』。

 雅臣が転属してきてから二十日ほど。橘大佐と雅臣が先行して空母に乗り込んだ後、甲板要員が各基地から小笠原にやってきて日を追って順次、搭乗。各スタッフも集結し、空母は徐々に賑わいを増していく。
 そこはもう移動する基地、海に浮かぶひとつの街、『海の要塞』だった。
 最後――。この艦を司る『女王様』が乗りこみ、基地と街は完成する。

 艦長室に到着した御園准将が、立派なデスクの上にヴァイオリンケースを置く。
「これより、横須賀へ向け出航する」
 その一声で幹部達が『イエス、マム』と敬礼をし、各所へと出航へ向け動き出す。
 小笠原を出たのは、日が沈んだ宵の口。アクアマリンの夜海に、大きなカナリア色の月が昇ったところ。
 空母艦がゆっくりと、小笠原諸島の沖合から動き出す――。
 ミセス准将がご家族とどう別れてきたか心優は知らない。
 これから妻が母親が二ヶ月ほど帰ってこないのに、御園大佐の姿も、息子の海人の姿も心優は見ることが出来なかった。
 密かな別れを自宅でしてきたのだろう、そして、家族も密かに見送ってくれたのだろう。そう思いたい。
 艦長室の丸窓に見えるカナリア色の月。それを御園准将は、じっと一人で見つめているだけだった。

 翌朝。艦は、横須賀沖合にあった。
 真っ白な正装軍服に身を包む。
 白と黒の制帽を被り、黒い階級肩章を付けた真っ白なジャケットを羽織る。黒いネクタイをしっかりと締め、今日は准将とお揃いで白いタイトスカートに、ヒールのある黒いパンプスを履く。手には真っ白な手袋をはめる。
 准将の胸にはたくさんのバッジ。肩には碇の刺繍がある将軍の肩章。袖口には誰よりも多い金のラインがある。
「うん、心優。素敵になったわね」
 真っ白な海軍正装で麗しい艦長姿になった御園准将が、同じく正装姿になった心優のネクタイを綺麗な手で直してくれる。その仕草は、ほんとうに母親のよう……。最近は、そんなふうに思えてしまうことが多くなってきた。
「艦長には敵いません」
 誰よりも煌びやかな将軍正装のミセス准将は、本当に素敵で格好いい。
「でも。心優の若いキラキラ感はないからね」
「そんな。大人の女性ですよ、わたしから見たら。わたしも早く艦長のような大人の女性になりたいです」
「知らないの。貴女、最近とても大人っぽくなったと、男の子達がアドルフやテッドに恋人はいないのか――と聞いてくるらしいわよ」
 『はあ、またその話ですか』と、心優は溜め息をつく。
「この間まで、ボサ子と言われていたんですよ。わたし……」
「心優が女性として本気になったら、やっぱり素敵だったという証拠じゃない。それまで興味がなかっただけでしょう」
 そういって、ミセス准将は、今日はどうしたことか、心優の黒い前髪まで櫛で綺麗に横流しにして甲斐甲斐しく手を掛けてくれる。どんなに女の子に世話を焼きたいと思っていても、今までの御園准将はこんなに心優に触ったりはしないのに。
「いまから、『お見送り』があるから、綺麗にしておかないとねー」
 ご自分のことより、心優をそうして見目良くなるように懸命になってくれている。なんだか、心優は違和感を持った。
 今から『お見送り』とは、横須賀にいる海東司令が直々に空母の出航を見送ってくれることだった。
 海東司令は今から空母が通過する横須賀港沖合まで、護衛艦に乗船してやってくる。
 その空母と護衛艦がすれ違う時に、持ち場を離れられるクルーが甲板に整列して、お見送りをしてくれる司令に『行って参ります』という姿を見せるという恒例の習わしだった。
 特に主要幹部は、御園艦長の側に並ぶので、皆が白い正装に整えているところだった。
 御園准将が、パイロット仕様の腕時計を見た。
「では、行きましょうか」
「はい、かしこまりました。それでは、指令室の幹部を呼んでまいります」
 彼等は艦長室の隣にある指令本部室にいる。艦長室は通路に出るドアとは別に、指令室と繋がっているドアもあった。陸の隊長室と秘書室が繋がっているのと同じ作りになっている。その指令室へのドアを、心優は開ける。
 そこには秘書室のメンバーと、空軍管理官達の業務室になっていて、既に真っ白な正装服に整えた凛々しい男性ばかりになっていた。
「おお、ミユちゃん。いいじゃん、いいじゃーん」
 またいつもの軽いノリで、橘大佐がすっとんできた。
「メイクもしたんだな。うん、かわいい、かわいい」
 この大佐はほんとうに臆面もなく女の子を持ち上げるから、心優はいつまでも慣れずに戸惑うばかり。
 でも。やっぱり真っ白なジャケットに、黒い肩章を付けている海軍正装姿の男性はかっこいい。
「大佐も素敵ですね。基地の女の子達も見たかったでしょうね」
 普段はおちゃらけているけど、いざとなるとこの大佐は空の男に変貌する。獲物を狙う夜の猛禽のような目になる。その内に秘めた色気が漂う雰囲気を持っているうえに、いつまでも独身でいるから女性関係も賑やかな人。何歳になっても恋ができるような大人の男だった。
「御園艦長が甲板に行かれます。皆様もご準備をとのことでした」
「ああ、そうか。もう時間だな。おい、雅臣も行くぞ」
 そこに爽やかな空気をまとった男がいた。あの頃のように颯爽とした彼が、真っ白な正装姿でこちらを見た。心優には『キラキラ』と輝いて見える! また卒倒しそうだった。
 髭ももうなくて、髪も綺麗に整えていて、秘書官だった時のように男っぽくて大人のビジネスマン風だった彼が今日は清々しく微笑んでいる。
 臣さん。臣さんは、やっぱりその愛嬌あるにっこり爽やかな(お猿さんみたいな)微笑みが似合っているよ……。心優はまたクラクラして、倒れたくなった。
「雅臣、おまえ、金モールを付けておけよ。葉月ちゃんが言っていただろう。彼女と、俺と雅臣の三人は目立っておかなくてはいけないんだって」
「イエッサー。先輩。忘れていましたよ。いままではただのパイロット乗員だったので」
「だよなー。空母に乗るのは久しぶりだもんな。でも、おまえもう、この艦のナンバー3なんだから、しっかりしろよ」
 横須賀マリンスワロー飛行隊所属時代に上官だった橘大佐と、エースパイロットだった雅臣。今度は空母の指揮官として先輩後輩になった。
 元々、上官と部下だったからなのか、二人の息はとても合っているらしく、空母艦出航準備も忙殺されながらもスムーズに滞りもなく整ったと聞かされている。
 雅臣が机に置き忘れていた金モールを、黒い肩章の下に付けて提げると、さらに輝く大佐殿になったので心優はつい惚けて釘付けになってしまっていた。
「あ〜あ。やっぱ若い男の方がいいよな〜」
 いつのまにか心優の側で、橘大佐がにんまりと囁いていたので、心優はやっと我に返る。
「じゅ、准将を呼びに行ってまいります」
 熱くなった頬を見られる前にと、心優は橘大佐のところから艦長室へと駆けだしていた。

「では、甲板に行くわよ。テッド、まとめ役をお願いね」
「イエス、マム。大丈夫です。おまかせください」
 御園准将を先頭に通路を歩き出す。その隣を心優は歩き出す。心優はつねに彼女の隣にいる護衛官として許されている。
 准将と心優の後に、副艦長の橘大佐、飛行部隊長の城戸大佐。その後ろにラングラー中佐とハワード大尉、御園秘書室からウィルソン=コナー少佐が秘書官としてついてくる。
 艦長室の周辺は、指令室と管制室と指揮系統のセクションが集結している場所。そこから甲板に向けて歩いているうちに、真っ白な正装姿に整えた『雷神』のパイロット達が整列しているのが見えてきた。海軍の白い正装になった鈴木英太少佐も凛々しい姿で待機している。彼等も、雅臣の後へとついてくる。
 女艦長の後ろに、徐々に従っていく海軍の男達。その壮観な光景を心優は肩越しに振り返って確かめる。ほんとうに、自分の隣にいる女性が『女王様』なのだと痛感する光景だった。
 でも、心優がなによりも素晴らしいと心を震わせたのは、男らしい『大佐殿』になった雅臣が、雷神のパイロットを引き連れていることだった。
 泣きそうになる。もうパイロットに戻れない男でも、彼はパイロットと共に海の上に在る男に戻れたことに――。
 その真っ白な正装姿になった者達が、空母の鉄階段を上がり、甲板のキャットウォークにでた。

 本日は快晴。やや風あり。
 小笠原より優しい色合いの青空に、真っ白な雲が流れている。
 その真下を、白波を切って海原を往く空母艦。

 蒸気を揺らめかせているカタパルト。そして展示するように並べられている戦闘機。空母の船首に波が打ち砕けるのが見えるそのキャットウォークに、白い制服の隊員が何人も横一列にならんだ。

 中心は『御園葉月艦長』。その右隣は『橘副艦長』、そして左隣は『城戸飛行部隊大佐』。
 金モールを肩にきらめかせる、この艦の女王と大佐殿二名。その堂々とした三人が、まず波しぶきが見えそうなキャットウォークに並ぶ。
 艦長を中心にして、主要幹部達が左右一列に並んでいく。橘大佐の隣にラングラー中佐とハワード大尉、そして心優が海へ向かって並んだ。
 雅臣の隣には、雷神のパイロット達が並ぶ。甲板要員の男性達が並び、機関要員の隊員達も――。そうして持ち場を離れられる代表数名が各部署から選ばれて、キャットウォークに勢揃いした。
 横須賀沖をゆっくりと進む空母艦。その甲板に並ぶ白い正装制服を揃えた隊員達。
 空母が進む先に、護衛艦が見えてくる。その甲板の船首にも、白い正装姿の隊員が十数名並んで待機しているのが見えた。
 徐々に、その護衛艦へと空母が近づいていく。大きな空母と、それよりかは小さい護衛艦。それでも空母艦は停泊している護衛艦に巧みに幅寄せをして近づいていく――。
 ついに。その人達の姿が見えた――。
「司令のお見送りです」
 ボーという汽笛が鳴る。
「全員――、敬礼!」
 空に突き抜けるようなラングラー中佐の澄んだ掛け声を合図に、甲板にずらっと並んだクルーが一斉に敬礼をする。
 真っ白な正装をしたクルー達が綺麗に横に並び、中心には誰よりも涼やかな風をまとっている『栗毛の女王様』。
 御園艦長を中心に、その敬礼が並ぶ。心優も制帽のつば先に、手袋をはめた白い手をかざし、護衛艦の船首甲板に整列してくれている海東司令の一行へと姿勢を正す。
 潮風にあおられ、白いスカートの裾がぱたぱたとはためく。御園准将の綺麗な栗色の毛先も日射しにきらきらしながらそよいでいる。
 空母と並んだ護衛艦の甲板には、海東司令とその側近達、護衛艦の艦長が並び、長沼准将と塚田中佐も並んでいる。
 見送りに来てくれた上官達を見つめていた心優は、そこでハッとした。海東司令を先頭に並ぶ一行、その一番端にいる男性を見て、目を疑った――。

 ――お父さん!

 誰よりも体格の良い男が、娘と同様に真っ白な正装制服にきっちりと身を包み、制帽をかぶり、大きな手に白い手袋をはめて心優に向かって敬礼をしてくれている。
「どうして……」
 ラングラー中佐ハワード大尉の隣にいるそこで、心優はくちびるを震わせていた。
 敬礼の姿勢を整えたままのラングラー中佐が、心優へとそっと囁いた。
「葉月さんと隼人さんだ。見送りの時にひと目、会わせてあげたいと――」
 御園夫妻がそこまで気遣ってくれていた驚きと共に、あの人達は本当に、小笠原にいる心優にとって『親になるつもり』でいてくれたんだとわかった気がした。だから今日は、父親に会う娘の為に、先ほど御園准将が『綺麗にしましょう』と懸命だったのだと知る。
「園田教官は断ったそうだが、隼人さんが説得してくれたそうだ。そして今日、長沼准将が連れてきてくれた」
「そんな、わたしのために……?」
「違うな。お父さんのために、だ。特に気にしていたのは、隼人さんだ。意地を張っているが、誰よりも案じていることだろうと――ね。あの人も娘がいる父親だからな」
 心優の為よりかは、意地を張っているお父さんのため――。
「さあ、ミユ」
 ハワード大尉にも背を押され、心優は再度、父に向かって敬礼をする。

 行ってまいります、お父さん!

 雅臣も凛々しい真っ白な制服姿で敬礼をしている。あのシャーマナイトが光る眼差しがそこにあった。彼の目がコックピットにあったように生きている。
 雅臣の隣には、彼が望んでいた栗毛の彼女がいる。誰よりも清々しい風をまとうような佇まいの御園准将。その隣で敬礼をしている雅臣の微笑みは満ち足りていた。
 それでも御園艦長の眼差しは、いまは真っ直ぐ――。過ぎていく海東司令へと向けられていた。
 海と波を挟んでいても、わかってしまうほど。その二人が今から背負うものを離れていこうとしている今、確かめ合っているかのようだった。
 最後にもう一度、護衛艦が見送りの汽笛を響かせた。
 御園准将と海東司令の視線が最後まで離れなかったように、心優もまた父の姿が見えなくなるまで目を離せなかった。
 ずっと敬礼をしてくれている身体の大きな父が、白い姿をした父が徐々に小さくなっていった。
 最後は波の音――。
 これから暫く、心優は海上の住人に。そして、防衛最前線へ!

 

 

 

 

Update/2015.2.23
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