◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 33.ありがとう、ティンク。  

 

 艦長室そばのミーティング室に、広報部の撮影スタッフと、指令部幹部や甲板クルーにパイロット。関係者が一斉に集合した。
「いよいよ撮影本番です。兼ねてから伝達してきたとおり、各部署、的確に行動を願います」
 ――イエス、マム。
 白い飛行服姿の御園艦長を筆頭に、配下の男達が声を揃えた。
 艦長の隣には、浅葱色のマリンスワロー飛行服を着込んだ橘大佐。さらに真っ白な飛行服姿の雅臣と鈴木少佐が揃って並んでいる。
 このミーティング室に入った誰もが、雅臣と橘大佐の姿を見て表情を止めた。
 『すごい。スワローのエンブレム男と雷神ソニックが復活だ』。
 空を飛んできたパイロットの中でもその名を馳せてきた男二人の復活は、空の男達を興奮させた。
「それでは、駒沢少佐。詳細の確認をお願いいたします」
「了解しました。艦長」
 広報の駒沢少佐が最後の確認をする。各セクションがすべき事の最終確認――。
 それが終わると、広報少佐は、本日の主演であるスワローの男と雷神エース、二人のパイロットを見つめた。
「最後に、パイロットのお二人にお願いです」
 この撮影を一番喜んでいた駒沢少佐だったが、今日は彼も緊張しているのか表情が堅い。そして不安そうにも見える。
「広報の人間として、民間の方々があっと驚くものを求めているのは本当のところです。ですが、今回の企画は途中から変更されたため準備期間も短く、さらに艦長から報告を受けたところ『シンクロするという点に置いては、不完全』とお聞きしております」
 その通りで、ローアングルキューバンテイクオフに関してはリハで綺麗に揃うことがわかった。他の演目も、スワローと雷神エースの二人には朝飯前。だけれど、最後のバーティカルクライムロールについては、橘大佐の体力を考慮してリハなし。一発勝負の撮影に挑むことになった。そのぶん、橘大佐と鈴木少佐は室内イメージトレーニングを重ねてきていた。
 駒沢少佐もそれを目で確かめ、溜め息をついていた。『確かに最高の演技になるだろうけれど、超難易度だ』と。駒沢少佐が、最後の確認にきて、パイロットの二人に告げる。
「シンクロが成功すれば最高の広報です。だからとて、難易度が高い技に挑んだ故の事故はあってはいけないと考えています。最終的に、シンクロに適わずとも、ホーネットとネイビーホワイトが並んでいるだけで華がありますから、それだけで成功とさせて頂きます。さらにその場合は、シンクロが出来るまで撮り直す――ということはやらない方針です。よろしいでしょうか」
 パイロットの二人も、そこは艦長から諭されて同意している。意にそぐわなくても、無理は禁物。『華』さえあればそれで成功とする。そこを飲み込んだ上で、本番に臨む。
「御園艦長も、この方針でよろしいですよね」
「よろしいわよ。駒沢少佐。パイロット両名も同意済みです」
 御園准将の言葉に、橘大佐も鈴木少佐も従うようにうなずいている。
「それでは本日午前十時より撮影開始です。各セクション、準備を整えておくように」
 ――イエス、マム!
 男達が一斉に敬礼をした。
「英太、行くぞ」
「イエッサー」
 主役の二人も表情が堅い。だが橘大佐が小さく言い放った言葉を心優は聞いてしまう。
「絶対にシンクロするぞ。最後まで諦めるな」
「もちろんっすよ。隊長」
 二人は指令室へと消えていく。本番を迎えるその時ギリギリまで、二人でイメトレにて調整をするようだった。
 真っ白な飛行服姿の雅臣と御園艦長も二人の意気込みに気がついて、そっと顔を見合わせている。
「雅臣。ちょっと……」
「はい」
 こちらの指揮にあたる二人も顔をつきあわせ、ひそひそとちょっとした相談をしている。
 御園准将が雅臣に一言二言耳打ちをすると、雅臣も神妙に頷いていた。何を指揮の二人は打ち合わせたのか、心優には聞こえなかった。
「いよいよね。英太のことを頼んだわよ」
「了解です。艦長」
 ミーティング室の丸窓の前に、朝日に輝く真っ白な飛行服姿の二人。こちらのミセス准将と大佐殿も『師弟』。
 やっと取り戻した時間の中、二人の腕には『白昼の稲妻』を描いた雷神のワッペンが揃っている。心優は向きあう二人に気付かれないよう、この輝かしい『始まり』をそっとデジカメで撮影しておいた。
 午前十時。
 その時がやってきた。心優も御園准将の側について、撮影本番を見守る。
 管制室には広報撮影チームのカメラマンがカメラを構えてうろうろしている。
 艦長と城戸大佐のそばに、今回はカメラワークをチェックする駒沢少佐のモニターも準備される。そこから、甲板、海上船上を担当している撮影チームからの録画映像が送られてくる。
「では、御園艦長。開始をお願いいたします。指揮側と官制員のカットもいくつか頂きたいと思っています。ですが指揮の最中、集中が出来ないと感じられたら退室命令を遠慮なく出してください。お顔は映らないカットにしますのでご安心ください」
 駒沢少佐の言葉に、御園艦長と雅臣が共にうなずく。
「管制、各セクションの確認をはじめてちょうだい。全てのセクションからOKが届いたら、私に報告を」
 ――『ラジャー』
 官制員の返答を合図に、インカムヘッドホンをした管制員達が一斉に各セクションへの確認をはじめ、管制室は英語のさざめきに包まれる。
「キャプテン、エアボスからOKです」
「キャプテン、甲板撮影クルー、海上艇撮影クルーからもOKです」
「キャプテン、バレット機発艦準備開始です」
「キャプテン、エンブレム機発艦準備開始です」
 次々と各セクションからの準備進捗の確認報告が届く。
 その声が届く中、心優と雅臣の真ん中にいる御園准将がそっと呟いた。
「エンブレムというより、今日はきっと『サイクロン』ね」
 何のことだろう――と心優は思ったが、雅臣はわかった顔で微笑んでいる。
「橘大佐の、スワロー隊長就任前のタックネームですね。一緒に空母に乗っていた艦長にとっては、若くて雄々しいサイクロンの方が記憶に残っていそうですよね」
 『サイクロン』。橘大佐の若き頃のタックネームだった。
「弾丸とサイクロン。どのような化学反応を最後に起こしてくれるかしらね」
 ミセス准将が乗り越えられないことに臨む時にこそ見せる、不敵な笑みを湛えた。
 雅臣もそれに応えるように、シャーマナイトの目を海原へと向け輝かせている。
「きっと前代未聞の化学反応が起きますよ」
 最後のセクション報告が届き、ミセス准将が真っ白な飛行服姿でカウンターに両手をつく。そこにある艦内一斉放送のマイクを手にした。
「では、広報撮影本番をはじめます」
 ミセス准将のその声で、周りにいるカメラが動き始める。駒沢少佐のモニターに、白い飛行服姿を揃えたミセス准将と大佐殿の後ろ姿のカットが映し出され、他のモニターにはコックピットにいる浅黄燕の橘大佐と、白昼の稲妻エースの鈴木少佐が映し出された。
 展示飛行で『いまここで一斉に動きを揃える』という際に発せられる合図をミセス艦長が告げる。
『GO NOW』
 アイスドールのクールな声が艦内に響いた。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 甲板に揺らめくスチームカタパルトの白い蒸気。戦闘機を走らせるレールには、固定するための白いカタパルトシャトル。それが白い戦闘機へと向かって動いている。
 グリーンジャージの射出・着艦装置の甲板要員が、鈴木少佐が搭乗したネイビーホワイト7号機の足下に集結している。
 その映像も駒沢少佐のモニターに映し出されている。そして、他のモニターにはコックピットに固定されている小型カメラ映像。
 弾丸のペイントがされているヘルメットと黒いヘッドマントディスプレイを目元に装着済みの鈴木少佐が映っている。
 もう一つのモニターには、燕のペイントがされている青いヘルメットをかぶり、こちらもヘッドマントディスプレイを装着している橘大佐の姿も映されている。
 空母のカタパルトは数本あるが、二機は隣り合わせのカタパルトレールにそれぞれセッティングをされている。
 グリーンジャージの装着員が群がり、やがて車軸から離れ、黄ジャージの『航空機誘導士官』と装着完了の合図を確認しあうコマンドのジェスチャーを送りあう。
 管制と甲板の確認通信が始まる。やがて、パイロットと管制の最終確認通信も。
「そろそろ離艦、発射だ。逃さないように」
 今日は撮影クルーと無線で通信をするため、駒沢少佐もインカムヘッドホンをつけ広報総指揮にあたっている。
「カメラ回ります」
 カタパルト発射前に慌ただしく作業をする甲板要員の姿がモニターに映っている。
 御園艦長も無言でうなずくだけ。彼女もかなり集中している。心優には彼女がずっとその向こうを既に見据えていて、もうそこに行って待っているような気がした。彼女のそばにいる秘書官としての勘。『葉月さんは何かを狙っている』?
「キャプテン。バレット機行けます」
「キャプテン。エンブレム機、行けます」
 官制員の報告に、御園艦長は駒沢少佐を見た。
「エンブレムを離艦させてから、バレットを発進させます。カメラワークはよろしい?」
「こちらも準備OKです。発進をお願いします」
 駒沢少佐の返答に、御園准将が官制員に指示をする。
「発射して」
 ――ラジャー。
 官制員の返事と、英語の通信。ブリッジから見える燕と朝日が尾翼にペイントされているホーネット。横須賀から急遽届いたスワローアクロバット機だった。アフターバナーが真っ赤に燃え上がるのが見える。
 駒沢少佐の甲板アングルのモニターには、黄ジャージの航空機誘導士官が、海へ『行ってこい!』の発射合図をしたところ。
 コックピットアングルでは、浅葱色の飛行服姿の橘大佐が甲板要員に向け、グッジョブサインを示し敬礼をした姿が映し出される。
『ティンク、行ってくるぜ!』
 コックピットにいる橘大佐の声が届く。
 コックピットの画面ががくんと揺れたかと思うと、スワロー機のキャノピーにはもう真っ青な空が映し出されていた。
「ティンクはやめてよ、もう……」
 御園准将が少しふて腐れた顔。雅臣は笑っていた。そして心優も今度はすぐにわかった。
「もしかして……。艦長が現役だった頃のタックネームですか」
「うん。その時の監督だったおじ様に、ちょろちょろ飛ぶティンカーベルのようだ――と言われたのがキッカケで、彼女の愛称である『ティンク』が定着しちゃってね」
 でも合っている、可愛い――と心優は思ったけれど、艦長は『キッカケがよろしくない』とあまりいい気分のネームではないようだった。
 雅臣もくすりと笑っている。
「今日のお二人は、あの頃に戻って……なんですね」
「そうね。サイクロンとティンク……ね」
 何か思うところがあるのか、御園准将がそこで黙り込んで橘大佐のコックピットから送られてくるデーターを見つめるだけになった。
「バレット機も、行きます」
 官制員の声の後、今度は黄金の稲妻がペイントされている白い戦闘機が発射され、鈴木少佐も空へと向かっていった。
「ソニック。いいわね」
「ラジャー、キャプテン」
 元パイロットの指揮官同士。ここでも二人はパイロット同然の呼び方をして、二人の精神も空へと向かっていくのを心優は見る。
「ローアングルキューバンテイクオフ」
 艦長の指示。『ラジャー』。パイロット二名の揃った返答。もう既にシンクロをしているかのよう。
 まっすぐに海上へと滑り出していった二機が、あの演技をはじめる。
「海上艇カメラ。全体が入るようにカメラを引いて」
 駒沢少佐も撮影クルーへ指示をする。彼の目の前のモニターは各アングルに設置されたカメラ映像が映し出されている。
 ブリッジの目の前、少し離れた海上。海面すれすれに二機が同時に並列で現れる。
 御園艦長と雅臣が一緒にうなずく。
「GO NOW!」
 艦長の号令! 心優の周りにいる男達をとりまく空気が、ここで一気に緊迫したのがピリピリと伝わってくる。
「機首が上がった。きっちり撮影しろよ」
 駒沢少佐が画面を食い入るように凝視する。心優の心臓も爆発しそう。リハでは上手くいっていた。あの通りになりますように! 雅臣と御園艦長もモニターとブリッジの展望窓から見える実際の二機の飛行を交互に確認している。
 真っ白な白煙が、真っ青な空に美しいループを描く。白い戦闘機とホーネットがきっちりと並んで。本当に『美麗な燕の飛行』!
 いつもは何事も無言で任務にあたっている官制員達も『Great!』と思わずと言った歓喜の声を漏らした。
 美しいループが綺麗に二重になって、上空での背面も二回転半も綺麗に揃い、白いスモークもぴったり一致していた。
「す、素晴らしい!」
 『やった』と駒沢少佐も思わずガッツポーズ。緊張していた堅い顔から、いつもの広報で見せている明るい笑顔をやっとみせてくれている。
 心優も感動!
「艦長! みてください。ほんとうにスモークがあんなに揃って……。ほんとうに燕が二羽一緒に飛んでいるように見えました!」
 心優の感動に、御園准将も少しだけにっこりしてくれたが、それでも本番中だから両手を挙げて喜びはしない。それは雅臣も一緒で、彼はまだ二機を見守っている。
「今日は冴えているわね。鳥肌が立ったわ」
 ミセス准将の小さな囁き。雅臣もそれをそばで聞いて、笑顔ではなくても頷き返している。
「俺もです。リハ以上の出来上がりです。まさか、あそこまでシンクロさせてくるとは」
 成功したのに、雅臣はどこか不服そうだった。そして残念そうな溜め息。
「俺、いま『くっそ!』と思っています。俺がやりたかったって……。俺だって出来たのに……って」
「雅臣……」
 御園准将が彼のそんな気持ちを労るように、そっと彼の背を綺麗な手で撫でた。
 まだパイロットとしてのコックピットへの羨望を捨てきれていない雅臣の悔しさ、嫉妬。それをいま彼は感じている。心優は不安になる。またそこに気持ちが戻ってしまうのかと――。
 だが次には、雅臣はいつもの愛嬌ある爽やかな笑顔をみせてくれる。
「それぐらい素晴らしい演技です。その指揮が出来たことを、いま光栄に思っているところです」
「そうよ。今日のあの最高品質の二重ループは、悪ガキの末っ子をあそこまで調整してくれたソニックがいなければ成り立たなかったのよ。あれはソニックの演技でもある。バレットが貴方の軌道を描いている。それを、これから感じて、忘れないで」
「はい。准将」
「ソニックを悔しがらせるだなんて、バレットも成長したもんね」
 本番中で絶対に集中力を切らすまいとしていた二人だったが、そこで軽やかな笑い声をたてている。
「次。タッククロス行くわよ」
「ラジャー、マム」
 力みがとれたのか、こちらの師弟の息も合ってきていると心優は感じている。
「空母を周回、呼吸が整ったら再開します」
 ―― イエッサー。キャプテン。
 二機のコックピットからも落ち着いた応答有り。
 しばらく二機の戦闘機が空母の周りを回遊する。二機から呼吸が整った声が届き、また御園准将が姿勢を改める。
「タッククロス、開始」
 艦長の指示に、また男達が緊迫する。
 今度の演技は、二機が左右に分かれた上空から急降下し、海上でクロスする演技。こちらもタイミングが合わないとあわや衝突というスリルある演目。
 二機が上昇をはじめる。
 雅臣の目の前には鈴木少佐の飛行中データーと、コックピットから撮影されている海を見下ろす映像。御園艦長の目の前には橘大佐の飛行中データーと、おなじくコックピットから撮影されている海の映像。
 そのモニターの端に、左右対称に空母の船首が映っている。
「見事に揃えていますね」
「こんなの、スワローにいた男なら出来て当たり前でしょう」
 雅臣とミセス准将の会話には余裕がある。指揮なんてしなくても、あの二人ならやってくれる。そんな余裕に見えた。
 駒沢少佐の指示が飛ぶ。
「空母船首を目印に、左右に降下してくる二機がそこでクロスする。甲板アングルカメラ、空母甲板の向こうでのタッククロスの瞬間、そのアングルカットを逃すなよ」
 そう、今から左右に上昇した二機が空母の船首目の前まで急降下し、そこでクロスして上昇をする『タッククロス』の演技が始まる。甲板の向こうで二機がクロスするアングルカットは、雅臣が提案したもの。きっと絵になるとしたものだが、その位置で必ずクロスをせねばならず、これもパイロットには高度な要求となる。
 雅臣と艦長のモニターには、ハイスピードで降下してくる映像と、忙しく動くヘッドマントディスプレイの高度計データー。そして、コックピットから聞こえてくるハイGに耐えるパイロットの息苦しそうな呼吸音。
 ――来る!
 駒沢少佐が身を乗り出す。雅臣と御園准将はモニターだけをみつめている。
 駒沢少佐のモニターは甲板奥から、空母船首を焦点にしたカメラアングル。そこで、左右から降下してきた白い戦闘機とスワロー機が見事にクロス!
 今度はブリッジ階下にある甲板要員達の歓声が聞こえてきた。
「マジで冴えてる。俺も鳥肌立ってきた」
 流石のソニックも『すげえ』と感動している。
「カメラの焦点を狙ってクロスなんて、なかなか出来ないと思いながら自分が企画しましたが、ほんとうにやってのけてくれて!」
「橘さんの経験値が如何に高いか。そして未熟な英太が、師匠と先輩のアドバイス一つでここまで調整できる感性あってこそこね」
 エンブレムとバレットだからこその、神業。カメラに収められていく映像は、加工されたものでもなんでもない。真のフライト映像。スワローにいた男達の職人技!
 その後も、『スローロール』に『4ポイントロール』などのシンクロしてこそ美しく見える演目も続いた。どれも、今日のスワロー師弟は『冴えている』演技。あちこちから聞こえてくる歓喜の声が徐々に大きくなってきている。
「すごいですね。こんな目の前で見られるだなんて。ほんと感動です」
 成功が続き、管制室は歓喜の熱気に包まれはじめていた。心優のその熱さに感化され、嬉しさしか感じない。
 それでも、御園艦長と雅臣の表情が徐々に強ばりはじめていた。
「問題は次よ」
「イエス、マム。俺は大丈夫です」
「では、頼んだわよ」
 今までとは違う緊張を指揮の二人が漂わせはじめる。
 心優も違和感を持つ。雅臣の『俺は大丈夫』という言い方が気になった。
「では。最終演目のバーティカルクライムロールに入ります。その前に、バレット、エンブレム。両機に変更を伝えます」
 ――ここに来て『変更』!? 周囲がざわめいた。そして心優はなんだか予感があったものの『やっぱり、なにか企んでいた』と驚愕する。
 駒沢少佐も慌ててモニターから離れ、御園艦長のもとへとやってきた。
「艦長。ここまで来てなんの変更ですか。まさか無茶な事を提案して、無理をしてでもバーティカルクライムロールのシンクロを成功させるべくなにかをお考えなのですか」
 いつもはミセス准将に従うだけの駒沢少佐だったが、最高の広報を信条にしている男は、ここではじゃじゃ馬艦長のやりそうなことには真っ正面から警戒心を露わにした。
 なのに、こうして男が自分に真っ向から意見をしてきた時こそ、ミセス准将はにんまりと楽しそうに笑む。そう心優が意見した時のように。それができてこそ、男だ、広報官だ、と嬉しくなってしまうのだろう?
「変更するといっても、上昇時のタイミングを決めるため、これまではキャプテンの私が『NOW』の掛け声をさせてもらったけれど、それをソニックにやってもらおうと思うの。それだけよ」
「は……? 掛け声の……交代、だけですか」
 駒沢少佐がそれだけ……? と茫然とした。しかしそれも一瞬。
「いえいえいえ、いえ! 昨日まで准将とバレットとエンブレムで上昇時のタイミング合わせをしていたではないですか! いきなり変更をして、二機の昨日までの感覚が狂ったらどうされるのですか。チャンスは一回。そうでしたよね」
 せっかくここまで成功していた撮影。最後のバーティカルクライムロールは、シンクロせずとも、二機が並んで上昇回転の映像さえあれば、充分な『華』。駒沢少佐は無難に収めたいから、たとえ相手が敵わないミセス准将でも引かない。
 途端に彼女はアイスドールの冷ややかな眼差しになって、駒沢少佐を琥珀の目を凍らせて射ぬく。一転し、駒沢少佐が黙り込んだ。
「私だから、駄目だったのかも。私はスワローではない。ソニックはスワローのエースだった。しかもソニックは昨日まで私の隣にいて一緒にリハをしてきた。二機の飛行癖もタイミングも、『私そっくり』に頭にもパイロットの感覚としても叩き込んでる。私にはスワローの品質はなく、でもバレット、エンブレム、ソニックにはスワローの品質も気質もある。男三人、師弟であってスワローの一員、ひとつになるならこの三人でこそよ」
 駒沢少佐をはじめ、変更にざわめいていた管制室がシンとした。
 そんな中――。心優は勇気を持って、静かな空気の中呟く。
「今日は、キャプテンとソニックがシンクロする日でもあるのですね」
 皆の視線が心優に集まった。ドッキリとしたが、でも、心優にも通じている。ミセス准将と大佐殿の気持ち。そばにいて、心優にも通じているから伝えたい。
「キャプテンの意思と感性をソニックが引き継いで、そしてスワローの男三人が今からシンクロするんですね」
 ここにいる男達なら知っているだろう。『ソニック』が如何にして、それまで最高としていた『雷神』に戻ってきたかを。彼こそがミセス准将の後継。そして、今日を最後に空から去るスワロー隊長殿の『華』は、スワローの男達で仕上げること。
 またシンとしてしまう。でも目の前にいる雅臣が『ありがとう、心優』と小声で囁いてくれたのが伝わってきた。
「エンブレム……。聞こえている。ごめんなさい。いま、取り込み中……。あと一分待ってちょうだい……」
 御園准将がインカムヘッドホンで通じてる橘大佐と何かを話している。
「え? ……はい、わかったわ」
 彼女が指揮をするシステムカウンターにある無線通信のスピーカーボタンを押した。橘大佐の声が皆に届く。
『なにいざこざしてるんだよ。指揮官が交代しても、俺達はやらなくちゃいけない時はやるんだよ』
 橘大佐も言う。
『来い。ソニック。こっちに来いよ』
「……隊長」
「決まりね。駒沢少佐、いいわね」
 もうこうなったら腹をくくったとばかりに、駒沢少佐も『かまいません』と折れた。
「管制。二機の通信チャンネルを城戸大佐に合わせて。そして三名の声が私に聞こえるようにヘッドセットとスピーカーの両方に切り替えて」
 ―― イエス、マム。
 管制の操作で、いまから空の会話は『スワロー部隊にいた男三人』に委ねられる。
「では。城戸大佐。任せたわよ」
「イエス、マム」
 いつかのように、ミセス准将が指揮台から一歩下がってしまう。
 指揮カウンターには、すべてを一任された雅臣が立った。
「再開します。バレット、エンブレム両機。空母周回し、ポジショニングが取れたら報告を」
 ―― イエッサー!
 二機揃っての返答が管制室に響いた。
 雅臣が雄々しく指揮台に一人で立つ姿は、本当に将来の城戸艦長を思わせる風格。
 そんな若き指揮官の育成をはじめたミセス准将は、そっと背後で見守っている。とても静かに。
「キャプテン、はじめます」
「私はもうキャプテンではないわ。いまから貴方が撮影のキャプテンよ」
 雅臣が驚いた顔をする。でもその通りだった。ミセス准将が下がったいま、ここにいる誰が指揮権を持っているかと言えば、それはもう城戸大佐しかいない。
「行きなさい。城戸キャプテン」
 まだ飲み込めない雅臣のようだが、空からもスワロー男達が呼んでいる。
『こっちに戻って来いよ、ソニック。俺達と一緒に行こうぜ』
『そうっすよ。ソニック先輩! 俺と上空に行ってくださいよ』
「貴方も燕と稲妻になっていってらっしゃい」
 御園准将が母親のような顔で雅臣の背を押した。
「行ってきます。准将」
 雅臣の表情が引き締まる。シャーマナイトの目が黒く光る。
「バーティカルクライムロール、開始」
 ――イエッサー。
 スワローだった男達の全てを詰め込んだ瞬間が始まる。
「海上艇クルー、絶対にアングルを外すな。一発勝負だ、わかってるな」
 駒沢少佐も、今まで以上に怖い顔をしてモニターを睨んでいる。
 海上艇のカメラが上空に焦点を当てている。いまからそこに二機が飛び込んできて真っ直ぐ上昇しながら四回転、それが二本並ぶ絵図を狙ってそこにいる。
 御園准将も駒沢少佐のそばに行き、もう飛行データーは雅臣に任せ、カメラアングルを見守っている。
 ブリッジの目の前、二機が上昇するためのラインで現れる。空母船首を四時の方向に捉えた位置で、空母船首を目印に上昇回転しながら回転数をカウントする。
 上昇時のタイミング、掛け声、一秒でもズレたらパイロットの操作に影響が出る。今日、二機は隣接した状態で上昇回転をする。そのリスクを持って『美麗と迫力のアクロバット』を追究する。
 その時、橘大佐から一言だけ届いた。
『ティンク。いままでありがとうな。最高のパイロット人生だったよ』
 いまから最大難関へ、そしてパイロット人生最後の演技フライトをする男から、ミセス准将への御礼だった。
「こちらこそ、有り難うございました。サイクロン。貴方のおかげで、私もここにいられる」
 おふさげの返事はなかった。そして、スワローの男が最後のフライトを前に言った最後の一言は……。
 ―― 行ってくるぜ、マリン。
 心優とミセス准将は思わず顔を見合わせる。それは陸で大佐を待っている彼女の名だった。
 橘大佐はもうミセス准将から離れ、彼女のために今から空へ行く――。そんな気持ちで浅黄の燕は最後のフライトへ向かう。
 そして、その成功への一声が雅臣にかかっている。彼が二機のヘッドマントディスプレイのデーターを眺め、息を潜めている。
「GO NOW!」
 雅臣の声が凛と響く。
 インカムヘッドホンをしているが黙って見守るミセス准将の視線はブリッジの外へ――。
 官制員の目線も一斉に海上へ。甲板要員達も、キャットウォークに並んで空を見上げている。
 駒沢少佐の目線はモニターから離れない。
 キャプテンを引き継いだ雅臣の目線もヘッドマントディスプレイのデーターに釘付け。
 でも心優は駒沢少佐が見ているモニター、二機のコックピットからの映像に驚愕する。
 同じ映像かと思うほどに、二機コックピットからの映像が揃っている!
 上昇回転をはじめた機体を操っているコックピット。橘大佐と鈴木少佐のヘルメットの頭が上昇と回転をするため重力で揺さぶられ、でもそれにパイロットの二人が耐えながら、コックピットの下を見下ろし、空母の船首を目印に回転数をカウントする姿。よほどのGなのか、酸素マスクを吸う息づかいが今まで以上に辛そう。上昇時のコックピット音も間隔短く『ピピピピ……』と二機同時に鳴り響く。そして、上空から見下ろしている空母がクルクルと回転をする位置とそのスピードが……『シンクロしている』!
「ス、スゲエ……!」
 モニターを見ていた駒沢少佐も絶句している。そして心優と駒沢少佐はここではじめて、ブリッジの展望窓から見えている『燕のスモーク』を見る。
 同じ位置からのスモーク発煙、同じ高度での回転コイル! またもや、美麗な軌跡が二本並んでいる!
 コックピット内のコピーをしたような映像にも驚愕したし、外観から見る二機のコイルも見事にシンクロしている。
「や、やった。マジで、やってくれた。マジで、マジで! やったーーーー!!」
 一番最初に飛び上がったのは、駒沢少佐だった。
「うっわー。まさか、まさか、ほんとにやってくれるだなんて……。うわー、マジかよ……俺、もう広報やめてもいい!」
 喜んだかと思ったら、駒沢少佐はそこで涙を流して泣き崩れてしまった。
「少佐。おめでとうございます。素晴らしい広報映像の仕上がりになりますね。いまから楽しみです」
「ううう、有り難う。園田さん!」
 駒沢少佐だけではない。管制室も甲板も歓喜で湧いている。
 涙に潤む目で、さらに駒沢少佐が言う。
「それに俺……。変更に反対はしたけど、ああいうの弱いんだよ〜」
 元スワローにいた男達のそれぞれの思い。エンブレムのラストフライト、雷神の若きエースが最後に伝授したもの、そしてソニックの復活。スワローで飛んできた男達の全てが凝縮された集大成。
「そんな男達をここまで導いたのも、ミセス准将の成せる技。あの人はこうして男達を引き立てるんだ」
 成功の賑わいの中、涙を拭いた駒沢少佐がミセス准将を……、探して……。
「あ、准将……?」
 心優が彼女を見つけた時は、ひとり静かに管制室を出て行くところだった。
 駒沢少佐が致し方なさそうに笑う。
「ミセス准将らしいですね。人がはしゃいでも、あの人はいつも静かで……。だから『アイスドール』、『甲板のロボット』。でもきっと心では感動していることでしょう。俺はそう思ってるんだ」
 誰とも喜びを分かち合わずに出て行ったので、心優はびっくりして後を追う。
「待て、園田」
 なのに指揮カウンターでまだ飛行中のパイロットを監視している雅臣に腕を掴まれてしまう。
「ですが、大佐。この撮影が成功したのはミセス准将の……」
「あれがあの人の喜び方なんだ。そっとしておいてやれよ。お二人は、艦では夫婦みたいな関係だ。あの人が主人で、橘大佐が女房役という関係だけどさ。艦の相棒が、最後の飛行を成功させたんだ。喜びもあるし、寂しさもあるんだと思うよ」
「わたしがそばにいては、ダメなのですか」
 どんな時もお側に。どんな時もその気持ちを一緒に。心優の護衛官としての気持ち。
「その時はそばに来て欲しいと言ってくれる。ほんの十分間でいい。思いきり、泣かせてあげろよ」
 ――『泣かせてあげろ』に、心優ははっとする。アイスドールの艦長殿は人前で泣いてはいけない。歓喜で湧いていても個人的な感情を見せてはいけない?
『おい、キャプテン。どうだった』
 平常飛行に戻った橘大佐からも出来具合を案ずる通信が聞こえてくる。
「素晴らしいシンクロでしたよ。広報少佐が感動で泣いたほど――」
『マジで! うおっ、やった! 俺、おっちゃんだけどやったぞ!!』
「エンブレムのラストフライト。これも伝説になるでしょう。お疲れ様でした。お好きなだけ飛んだら声を掛けてください。最後のコックピットを楽しんでください」
『ソニック、ありがとうな。俺も、お前が空に戻ってきて安心した』
「こちらこそ。お世話になりました……」
 雅臣もそこで目頭を押さえ、黙り込んでしまった。少しだけ涙声……。自分をエースになるまで叩き込んでくれた恩人がコックピットを降りる日。
 それでも雅臣が顔を上げて告げる。
「隊長。貴方の今日の姿を見届けて、いま、俺もやっとコックピットを降りられた気がします。最後はこんなふうにしてシートから降りる。俺も今日、一緒に降ろしてください。そうしたら、明日から俺は甲板から空を護る男になります」
 その言葉を心優は隣で聞いて、また涙をもらってしまう。
「臣さん……」
『そうか。俺の引退がお前のためにもなったみたいで良かったよ。俺の教え子の中で、お前ほど優等生で、精密的に飛んでくれたパイロットは他にはいなかったからさ』
「ほんとうに、お世話になりました。今後はおなじ指揮官としてよろしくお願いいたします」
『おう! 俺も明日から甲板がコックピットだぜ。えっと、あのさ。そこにティンク、いるんだろ? 声が聞こえないけど』
「感動されたのか、お姿を消してしまいまして……」
『あ、そうなんだ……』
 橘大佐も寂しそうな声。
「あとはお二人で語り合ってください。艦長室で一人感動と寂しさを噛みしめていらっしゃるかと思いますから」
『わかった。じゃあ、最後のフライトしてくる』
「いってらっしゃいませ。ここで待っています」
 駒沢少佐がまだ見守っている撮影モニター。エンブレム機のコックピットが斜めに傾いた空の映像が見えたかと思うと、空母を見下ろしながら周回をする映像が続いた。
「最後のフライト、空からの景色を楽しまれているんでしょうね」
 駒沢少佐も、一人の男が味わう最後の上空を静かにみつめていた。
 管制も甲板の歓声も収まってきて、いつもの落ち着きを取り戻しはじめている。
 雅臣も成功を勝ち得た二機の着艦まで監視を続けている。そこにミセス准将がいないせいか、本当に雅臣が『キャプテン、艦長』に見えてしまった。

 

 

 

 

 

Update/2015.7.18
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