◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 35.艦長、更迭も厭わず!  

 

 艦長の隣についた雅臣と橘大佐もインカムヘッドホンをした姿で茫然としていた。
「先程までは、夜明け前で水平線のあたりの雲が紅く燃えているように見えただけでしたが……」
 雅臣の報告だったが、御園艦長はただ茜に染まる景色をみつめている。
 昨夜の雨雲が厚くたれ込めている空、その重く降りてきてるような雲に朝日が反射している。そして空を覆う雲が染まっている。海も染まっている。
「四方が同じ色。パイロットには天敵だわ」
 艦長の呟きに、大佐二名もうなずいている。
「これはパイロットの感覚を狂わせてしまうかもしれませんね」
 雅臣も空を見上げて不安そうだった。なのに、甲板から轟音。たったいま真っ白な戦闘機も茜色に染まってカタパルトから空へと発進してしまった。
「私は全体の指揮に専念します。橘大佐、侵犯措置をお願いします。城戸大佐、6号スプリンターと7号バレットに撮影と偵察をさせてください」
「イエス、マム」
 大佐両名、声を揃え、それぞれの無線チャンネルへと指示をする。
 パイロットを指揮する二人が口を揃えた。
「四方同じ色だ。バーティゴに気をつけろ。計器との感覚を一致させろ」
「バレット、スプリンター。バーティゴに気をつけるんだ」
 『バーティゴ(空間識失調)』。パイロットが平衡感覚を失う現象。簡単に言うと、どちらが上空でどちらが地面であるか方向感覚を失うこと。何も見えない夜間飛行で起こりやすく、日中でも高度ある上空では空と雲ばかりで水平線が見えないと上下の感覚を失い、上昇しているつもりで急降下していることになり地面に激突し事故になりかねない危険な状態に陥る。
 いま、空は青くはないが一面が紅い。海も雲も紅い。水平線が雲で隠れているところもある。だからこそ元パイロットの指揮官達が、一面薔薇色の光景にすぐさま危険を察知し絶句していたのだ。
「計器を絶対的に信じろ。いいな」
「感覚がおかしく感じるようになっても、計器を信じろ」
 橘大佐の念押しを、雅臣もおなじく繰り返した。
「ラミレス中佐、この気象現象に覚えは」
 この艦の操縦責任者、つまり舵を司る航海士長である中佐に、艦長が話しかける。
 木製の蛇輪を握っている彼が答える。
「希に。海上が一面に染まるのはみたことがありますが、ここまでのものは初めてです。雲が多いせいでしょう」
「このような現象が起きた場合、どれぐらい続くか見当はつくかしら」
「長くても、三十分程度でしょう。太陽が水平線から昇りきれば変化があると思います」
「わかったわ、ありがとう」
 ミセス准将の横顔はもういつもの凍った横顔に整っていた。
「二隊とも、ADIZ(防空識別圏)から領空ラインに向かってきています」
 管制員の報告に、御園艦長がなにやら考えあぐねている。
 艦長がなにもいわないので、焦れている橘大佐がミセス准将に問うた。
「艦長。本当に領空侵犯措置の二機と偵察機だけでいいのか。念のため、こちらも編隊で万が一の侵犯に備えては――」
「その必要は今はない。こっちが出撃機を増やしたところで、向こうが『言いがかり』をする為の揚げ足に使われる可能性がある。今回の二編成での大量出現も、こちらを慌てさせて『いつもとは異なる対処』をさせることで、それを『防空識別圏を飛んでいただけなのに、攻撃と勘違いして対戦意志を持って出撃してきた』と言われるに決まっている。ギリギリまで『通常通りの対処』で行くわよ。ただし、6号機のスプリンターには上手に撮影をして証拠を残すように指示して」
「わかった。では、領空線を割って入ってきた時点で、侵犯措置を実行する」
 艦長の決断に橘大佐も従う。そして雅臣も。
「6号機スプリンター、3号ゴリラと、5号マックスの侵犯措置対応を撮影しておくように」
「城戸大佐。バレットには『ハウンド(猟犬)』と伝えて」
 『通常通りに対処する』と言った艦長だったが、ここで既に『秘策』を仕込んでいた。管制室にいる男達の空気がまた固まった気がした。
 『ハウンド』、猟犬。艦長という主の命で従う犬になれという意。御園艦長がいま手綱を握った『ハウンド』は、雷神エースの鈴木少佐。7号機バレットには『万が一の時には、猟を、迎撃指示をする』とほのめかしたのだから――。
「ラジャー、艦長」
 承知した雅臣が、すぐさま鈴木少佐に伝達する。
「バレット。キャプテンが『ハウンド』と言っている」
 その後、バレット機がなにか言ったのか、通信をしている雅臣も神妙にうなずいている。
「キャプテン。自分は最高のハウンド(猟犬)だ――と言っております」
「そう、わかった」
 最高の猟犬。キャプテンの一声で俺はいつだって噛みつけるという鈴木少佐からの意思表示だった。これでこちらの体勢は少数精鋭で整った。
 ――『あと二十秒で、侵犯ライン』
 管制員の報告に指揮カウンターにいる大佐二名と艦長が固唾を呑む静けさ。
「来るな。帰れ」
 橘大佐が念じるようにレーダーに呟く。
「いつもの脅しで帰ってくれ」
 雅臣も同じく。彼の額にも緊張の汗が見て取れる。
 ミセス艦長はいつもの冷めた横顔のまま。こんな時、彼女のロボットのような無感情さが頼もしく思える――、いつか雅臣が言っていた言葉を心優は思いだして『本当だ』と実感する。
 誰よりも驚かず騒がず、慌てず、いつもの顔。感情を一切表さない。
「3号『ゴリラ』。ぎりぎりに寄って牽制しろ」
 レーダーに現れた多数の点は、十機をひとまとめにして、二方向からこちらに向かってきてる。西側に十機、北側から十機。その北側から来た編隊が先に領空線までやってきた。3号ゴリラ機と5号マックス機がそこで待機している。
 本当に、脅し? それにしては機体数は多すぎるし、二十機まとめてこちらに向かって来るだなんて攻撃的すぎるのはあちら側ではないか。これを艦長は『通常対処』で乗り越えようとしている。
「領空ライン到達、しかし、侵犯せず」
 ――『キャプテン、肉眼で四機確認。下方に二機、』
 雷神3号機『ゴリラ』からの報告。
 侵犯はしない。でもあちらも『いつもいつも、俺達が主張している警戒エリアギリギリに空母で通りやがって』と思っているのか、だからこその派手な牽制。
 ――『キャプテン、まるでドッグファイトでも仕掛けてくるかのように、挑発的な編隊を組んでこちらに寄ってきます』
 ゴリラ機のガンカメラからの映像もこちらに届いている。あちらも真っ赤に照り返している戦闘機を紅い雲間を切り裂きながら、ゴリラ機に接近したり急上昇をして脅したりしている。それを十機で。
 たった二機で最初に到着した十機編成に警戒しているゴリラ機とマックス機には、すぐそこの領空ラインを割ってこちら国内に入ってこられたとしても、いつもの冷静な『退去宣告』だけで退いてくれるのだろうかという焦りを煽られているのがわずかに声に顕れている。
「ゴリラ。マックス。どちらも落ち着きなさい。大丈夫。いつも押し気味に海域を通過する私に対する警告よ。そっちがその気なら、こっちもこれだけの準備がしてあるというお知らせ。いつもどおりに落ち着いて対処をするのよ。もしもの時は、助けに行くから」
 冷たい指示でも、決して突き放しているわけではない頼もしいアイスドールの声。
 ――『ラジャー』
「それよりも無駄な旋回と上下を行き来する飛行を控えなさい。わかるわね」
 ――『了解。平行飛行にての対処に努めます』
 バーティゴへの対処だった。雷神3号機の『ゴリラ』の声もとても落ち着いている。ミセスへの信頼が窺え、心優はそれだけでこの緊張が少しやわらいだ気がした。
「キャプテン。西の十機編隊は退去をはじめております」
「そう……」
 艦長はこんな時でも、あからさまにほっとした顔はしない。でも橘大佐と雅臣は脱力したように大きく息をしてほっとした顔。
「やっぱ、派手な脅しか。二十機も空に出撃させたりして、ようやるわ」
 橘大佐の呆れた声。そして雅臣も。
「いつもこの海域ギリギリの航路をとるミセスの艦に対しての警告、こうでもしないとあちらも業務の面子が保てなかったのかもしれませんね」
 ――『ゴリラ機周辺から、三機退去』
 ――『西方十機、ADIZから出ました』
 ――『マックス機周辺からも、二機退去』
 心優が見ている艦長の手元のレーダーから、たくさんあった点がひとつ、ふたつみっつ、よっつ――と、少しずつ少しずつADIZラインを出て行き大陸へと帰っていく。
 心優もホッとする。雅臣が言ったとおりに、御園艦隊をいつも以上に脅かすためのパフォーマンスに過ぎなかった。
「流石、ティンク。俺の出番なしかな。侵犯措置もなく、帰ってくれそうだ。俺なんか、対等に出撃しないとと焦ってしまったけれど、向こうの手に乗らなかったから、向こうも拍子抜けして帰っていくな」
 二十機で国境に近づいてこられても、いつもの処置で充分、むこうに乗せられ慌てて対等の出撃をしていたら波風を立てる。日本側から波風を立てさせる、それが狙いであって、そうなったらあちらの思うつぼ。それをしなかったミセス艦長は、橘大佐さえも唸らせる。
 でも御園艦長はすべての大陸国の機体が退去するまでレーダーを見つめて返答すらしない。
「あと四機――」
 雅臣も落ち着いているが、なかなか離れていかないしつこい機体に焦れている。
 ――『こちらゴリラ。肉眼で機体の確認が出来なくなりました。降下にて雲の中に入ってそれきりです』
 ――『こちらマックス。同じく、降下にて雲間に消えました』
「まだレーダーでは側にいるから、油断しないように」
 ――イエッサー。
 いつもはイエスマムの男達も、任務職務中になると指揮官の性別を悟られないためか、誰もが『イエッサー』と言う。そんな時、彼等が『男でも女でも、俺達はミセスという指揮官に従う』と男の指揮官以上に認めている証拠のように心優は感じている。
「あと二機です」
 管制の報告に、徐々に隊員達の緊張が解けてくるように心優には見えた。もう大丈夫だろうと……。

「侵犯!」

 管制員が突然叫んだ。

 御園艦長もレーダーを再度見下ろす。
 心優も隣で確かめて絶句する。あと二機だったうちの一機があからさまに、領空ラインを越えて、こちらの国の空域に侵入してきた。
「橘大佐、ゴリラとマックスに対処を。城戸大佐、ひきつづきスプリンターに撮影を」
 ――『キャプテン、追いつけません!』
 ――『見失いました!』
 ゴリラとマックス二機の声も届く。
「一機だけなの」
 落ち着いたミセスの問いに、管制員も「一機だけです」と迅速に答える。
 橘大佐もすぐさま行動に移る。
「ゴリラ、マックス。すぐに追え! みつけたら即時に措置に移れ」
 ―― イエッサー!
 二機が国内へと侵入した一機を追うのがレーダーにも映る。
 雅臣も動く。
「バレットも追え。スプリンターも撮影を続けろ」
 ―― イエッサー!
 こちらも侵入してきた一機を追う。
 だが、管制員が一気に落ち着きをなくして青ざめていくのを心優は見てしまう。管制長が指揮台にいるミセスに振り返って叫ぶ。
「キャプテン、こちらにまっすぐ向かってきます」
 ―― キャプテン、みつかりません!
「レーダー見ているのか! 絶対に見つけろ!!」
 ゴリラからの報告に、橘大佐が吼えた。
「キャプテン! あと八分でこちらに到達します」
 管制室がざわめいた。侵犯した一機が、確かに空母に向かって一直線。レーダーにも一点だけこちらにぐんぐんと近づいてくるものがある。
 一度、十機編隊二隊が退いた様子を見せ、こちらを少しだけ安堵させた隙を狙ったかのような侵犯。しかもハイスピードでこちらに迫ってくる。
 雅臣の顔色も青ざめている。
「艦長! まさか……。こちらの空母を狙うための、一機侵犯ではないですよね。どこかで止めないと、この艦が撃墜されます!」
「艦長、どうする! ゴリラもマックスも見失った! 侵犯機に追いつけない。とんでもないスピードで来ているぞ」
 橘大佐が口惜しそうにして、ミセス准将に詰め寄る。だかその時。
『見つけた。キャプテン、侵犯機を発見』
 鈴木少佐の声だった。
「バレット、みつけたの! そのまま追跡しなさい」
『キャプテン、自分もみつけました。バレットの後をつけて、撮影しています』
 鈴木少佐の僚機、相棒のスプリンター機からの落ち着いた声も届いた。
『画像、送ります』
 ミセスのモニターに、発見された侵犯機が映される。
 真っ赤な雲の中を二機が切り裂きながら降下している映像だった。前にいるのが大陸国の戦闘機、後を追う白い戦闘機バレット機が同じく降下しながら追っている映像だった。
 しかしその映像は紅く染まる霧のような雲をまといながらのもので、とても鮮明なものではなかった。
 それでも目が良い元パイロットのミセスと大佐二名が顔を見合わせる。
「私だけかしら? 背面で降下しているように見えたけれど?」
「俺も思った。背面で降下しているように見えた」
「俺もです。背面に見えました」
 そこで三人がさらに表情を止め、お互いに同じ事を思いついたかのように、でも確証がないので言葉には出来ないのか無言になっている。
『キャプテン!』
 鈴木少佐の声が届く。
『背面で急降下している。もしかして……』
 艦長と大佐二名が躊躇っていただろう言葉を彼が言い放った。
『パイロットがバーティゴを起こしている可能性があると思う!』
「バレット、そう思うのはどうして」
『背面で急降下なんて不自然だし、正常体勢でも急降下は重力負担がかかるのに、背面で急降下するのはもっと重力がかかる。なのに、まるで海に落ちるためのような角度で落ちていってる! こんな恐怖のある操縦は自らしないと思います』
「スプリンター、貴方はどう思う?」
『自分もバレットと同じです。不自然です。空母への攻撃が目的の接近だとしても、あのような体勢を望んで接近するパイロットはいないと思います。四方が薄紅の霧ばかりで、自分も上下感覚に不安を覚えています』
 そしてスプリンター機のクライトン少佐がもっと驚くことを伝えてくる。
『ですが、キャプテン。バーティゴであっても、意図した接近であっても、空母に向かって降下しているのは確かです! 念のための対処をお願いします!』
 どうする! 管制室の誰もがそんな顔で、指揮カウンターにいるミセス准将へと視線を集めた。
 これは正真正銘のバーティゴか? パイロットがバーティゴを起こしたが為の、思わぬ侵犯なのか――。
 或いは、バーティゴと見せかけた演技をする高度テクニックを持ったパイロットが指令を受けて、空母に近づき撃墜を目論んでいるのか――。
 そこで、橘大佐も雅臣も判断をしかねている。だから、艦長へ『どうする』、『どうしますか』と求めている。
 御園艦長はまだ黙っている。彼女も必死に見極めようとしているのが、隣に控えている心優にも判る。
「お嬢! 計算したら、いまの状態だと侵犯機が左舷に激突する計算結果がでたから報告する!」
「わかったわ。クリストファー。ありがとう」
 長年、艦長と同じ中隊で同僚として付き添ってきた空軍管理長のダグラス中佐が管制員と一緒に座っている空軍管理システムで計算した図を艦長のモニターに送信してくれる。
 それを見て、心優は吃驚する。戦闘機が鋭い角度で空母艦の左舷に到達する図になっている。
「海東司令からの連絡は? いつもなら侵犯機が出現した時点で司令の指揮がはいるのに……」
 ふと気付けば、この時点で空母を瞬時に指揮下にする『空母航空団司令(CAG)』からの通信が届いていない。
「ラングラー中佐、横須賀中央指令センターの海東司令への連絡と報告を」
「イエス、マム」
 ラングラー中佐が管制室を飛び出していく。
「しかし、艦長。司令の指示を待っていたら、間に合わないぞ」
 橘大佐の進言に、ミセス准将が少しだけ管制室を出て行くドアを見た。
「あちらもなにかあったのね。仕方がない」
 なにか察したミセス准将の表情がさらに堅くなり、琥珀の眼差しが意を決した鋭さを増した。
「皆さん。いまから私が言うことに従って頂きたく思います」
 いつもの冷めた声でミセス准将が管制室にいる全員に話しかける。
「ひとつの決断をします。正しいか正しくないかはわからない。おそらく、それが正しくなければこの対処の後、私は横須賀の司令部により『更迭』されるでしょう。それでも、皆さんには私の指示に従って頂きたい。責任は私がとります。いまから貴方達がすることは、わたくし御園葉月の指示でしたこと。よろしいわね」
 管制室がシンとした。
「イエッサー、御園艦長。俺はかまわないぜ」
 すぐに従ったのは橘大佐。
「イエッサー。御園艦長。自分も従います」
 雅臣も同意した。
 ―― イエッサー、ミセスキャプテン!
 管制の男達が全員、声を張り上げた。
「今からの指示を冷静に的確にこなすように!」
 いつものロボットの顔で、アイスドールの横顔で告げていく。
「侵犯機はバーティゴの可能性があるため『不慮の事故』として扱い、侵犯迎撃はしません。侵犯機パイロットの救助にあたります」
 また一瞬、静まった。侵犯機がほんとうに事故でこちらにうっかり来てしまったのかはまだわからない。それでも本当にバーティゴだったら、パイロットのせいではない。そこで撃墜をしてしまったら、悪気のない侵犯で相手国のパイロットの命を奪うことになる。でも、侵犯は見逃せない――。そんな防衛の葛藤がみてとれた。
「ただし。この艦に損害がでないことが第一! どうあってもこの艦に激突、墜落してきた場合は、撃墜します。その両方を考慮して指示します」
 ―― イエッサー!
 管制室がやっとひとつにまとまったように心優には感じた。
 それでもどうなるの? この艦に飛行機が落ちてくるの? それとも目の前で人が乗っている飛行機を撃墜するの? わたし達が? 艦長が? 鈴木少佐が? そんなの……嫌だ! 心優の心が叫ぶ。
 なのに、管制室にいる男達はその危機も感じさせず、いつもの訓練と変わらぬ落ち着きでミセスの指示に従っていく。
 それから艦長の指示が矢継ぎ早に飛ぶ。
「雷神、1号スコーピオンと2号機ドラゴンフライを発進させて。念のため、空母の迎撃ミサイルの準備をし、指示が出るまで待機。ゴリラとマックスには追跡を――」
「イエッサー、ミセス」
「城戸大佐。消火隊と救助隊の手配を。甲板要員には雷神を発進させた後は艦内に避難命令を」
「イエッサー、キャプテン」
「ハワード大尉、警備隊に非常事態、トリプルAの体勢をとるように指示をして。それをテッドにも報告して」
「イエス、マム!」
 ハワード大尉も管制室を飛び出していく。
「ダグラス中佐、撃墜を想定し、どこの位置であと何分で撃墜すればこの空母が無害であるかすぐ計算して!!」
「イエッサー、キャプテン!」
 そして艦長が最後に叫んだ。
「面舵いっぱい! 墜落撃墜から回避! Hard a starboard!」
(Hard a starboard/ハード・ア・スターボード=面舵いっぱい)
「イエッサー、ミセスキャプテン!」
 航海士長のラミレス中佐が『Hard a starboard!』と叫び、木製の蛇輪を右へといっぱいにまわす。
 その中、甲板では1号機のスコーピオンと2号機のドラゴンフライがカタパルトから、紅い空へと飛び立っていく。
 ブリッジ目の前の景色も徐々に徐々に右へと移動している。それでも、ゆっくり……。大きな空母だから、舵をいっぱいに切ったからとてすぐに曲がれるわけでもない。
「お嬢、出た。あと1分48秒、ここが空母に被害が出ないギリギリのタイムだ!」
 ダグラス中佐からの報告に、御園准将がうなずく。
「クリストファー、カウントをお願い」
「イエッサー。あと、1分42秒……41、40、39……」
 その時を告げるカウントも始まってしまう。
「橘さん……。撃墜命令をまかせていいかしら……」
 人の命を奪う許可をする号令を任せるため、気まずそうな艦長の声。でも、橘大佐は真顔で頷いた。
「もちろん、任せろ。葉月ちゃんは、全体指揮に専念しろ。撃つのはバレットでいいな」
「お願いします」
 橘大佐がチャンネルを切り替えた無線インカムヘッドホンに話しかける。
「バレット、1分後、その侵犯機が空母を避けれなかった場合は、パイロットが搭乗していたとしても撃墜をする。俺の合図で迷わず撃墜しろ。艦を護るためだいいな」
『イエッサー。では、ロックオンに移行します』
 あの鈴木少佐まで、まるで機械のような返答で気持ちのブレをかんじなかった。
 しかも鈴木少佐は数秒後には急降下で追いかけている侵犯機を、ロックオンしてしまう。
 あとは橘大佐が許可すれば、鈴木少佐はあの侵犯機を撃てる状態になった。
 ――お願い。大陸国のパイロットさん! 正常飛行に戻ってなんとか空母を回避して、国に帰って!!
 心優は祈る。そして心優は艦長を見る。アイスドールのいつものお顔のままの彼女を。パイロットを救助すると言っていたが、どうやって? それが出来るなら、早くして欲しい。でもあと1分ほどで撃墜されてしまうし、もし大陸国からきた彼の飛行機が海面に落ちたとしても、生きてはいられないと思う。それに艦の左舷に落ちてきたら、ブリッジにいる自分たちもただではいられない。この管制室のガラス窓が木っ端微塵に割れるだろうし、甲板にある艦載機も何機か犠牲になる。海面に落ちたとしても空母にその爆風はくるだろうし、炎に襲われるかもしれない……。
 しかしミセス准将は、次の手にでていた。
「国際緊急チャンネルに切り替えて」
 管制員への指示で、ミセス准将が違うヘッドセットを頭に付け替えた。
「管制、侵犯機の機体番号をスプリンターから聞いて」
「イエッサー」
 すぐに侵犯機の機体番号がミセスに報告される。
「こちら日本国、」
 御園准将が冷たい声で、この空母の空団名を告げ、侵犯してきた戦闘機の機体番号を告げる。
 国際緊急チャンネルは、どこの国のものでも非常時に使える共通のチャンネルだった。
 それを使って、御園准将は大陸国のパイロットとのコンタクトを試みている。
「お願い……。このチャンネルに気がついて……」
 やっと艦長に表情が……。悔しそうな顔をしている。
「無理だろ。バーティゴを起こしているなら、きっとパニックになっているはずだ。感覚が狂って、うっかり侵犯。それだけでかなり焦って冷静さを失っているだろう。だからあのスピードで逃げ道を探しているんだ」
 橘大佐はもう腹をくくっているように心優には思えた。撃墜の命を下す覚悟。パイロットの命を奪う行為への覚悟。
「こちら日本国、」
『……頼む、撃たないでくれ……』
 弱々しい英語の声が聞こえきた。撃って欲しくないことを訴えるために、あちらも藁を掴む思いで、国際緊急チャンネルに合わせてくれていた!
『意図して侵犯したわけではない。でも、いまどこにいるのか、わからない。海面も水平線も見えない。霧ばかりだ』
「貴方はバーティゴを起こしている可能性がある。計器を信じなさい。いますぐ機体を正常に、コックピットを上にするのよ。半回転すればいいの。そしてすぐに旋回しなさい」
『嘘だ。いま上に向かって飛んでいる。海面はちっとも現れないから、上昇しているはずなんだ』
「違う! 貴方は急降下をしてもうすぐ海面に激突する! もうすぐ脱出する限界高度に到達するから、いますぐコックピットを上に……」
『嘘だ! そんなことをしたら、海面に落ちるじゃないか』
「いまのままだと、海面に落ちるか、こちら空母に激突する。計器をよく見て、計器を優先しなさい!」
 駄目だ。こちらの言うことは信じてもらえないし、あちらの感覚がまさに麻痺してしまっている。
 ――『見えた』
 管制員の一言が聞こえ、でも心優はブリッジの窓を見て愕然とする。
 きらっと光るランプを翼に点灯させている戦闘機が、ほんとうにこちらに向かってきている!
「最後の通告をする。いまの高度で脱出をしない場合は、こちらの空母に衝突墜落するものとして、乗員の安全を守るため、迎撃撃墜を決行する」
『うわーーーーーー!』
 パイロットの悲痛な叫びが聞こえた。
 でも心優も叫びたい! 戦闘機がこちらに向かって本当に落ちてきてる!! 面舵いっぱいの回避も間に合わない!
「バレット、ロックオンしたか」
『いつでもOKです』
「54秒、53、52、」
 撃墜の体勢に入った。そして、カウントが近づいてきてる!
「脱出しなさい!」
 艦長の最後の叫び――。
『こちら6号スプリンター、脱出、確認!』
『7号、バレット。パイロットの脱出を確認! コックピットを上に戻した状態での脱出を確認!』
「了解。スコーピオン、ドラゴンフライ。脱出したパイロットの着水位置を確認して報告を!」
 ―― イエッサー、キャプテン!
 一瞬、誰もが『良かった』と囁きあった。でもそれまで。そして心優はそうは思わない、だって、目の前に乗り捨てられた戦闘機がコントロールを失って回転しながら、まだこちらに落ちてきている。
「お嬢! パイロットがいなくなったことで、対象機がかなり左に逸れた。脱出する時にパイロットは操縦桿を右に切った形で脱出してくれたんだろう。空母に激突しなくて済みそうだ。それでもギリギリだ。空母左舷、300m海上と推測! かなり間近での墜落に警戒を――!」
「わかったわ、クリス――。橘大佐、バレットにロックオンを解いて撃墜はせず、着水爆破に備えて上空に避難するよう告げて! 雅臣! 他の雷神にも空母から遠ざかる指示を。ただし、6号スプリンターには遠くからでもいいから出来る限り、対象機がどこに着水するかの撮影の指示を。ゴリラとマックスには領空線でのパトロールを命じて!」
「イエッサー、艦長!」
「了解しました。艦長!!」
 橘大佐と雅臣も、各々の指示に従ってパイロット達に避難を告げる。
 迷いのない、でも次々と下されるミセス准将の指示に、心優は鳥肌になるほどゾクッとした。
 これがきっとあれだ。雅臣が見てみたかったとかいう『御園葉月准将。彼女の土壇場の判断は、神懸かっている』――というものが、きっとこれなんだと心優の心に激震が走っている。
 この人は、ほんとうに『根っからの海軍艦長』! 男達がこの人の指示を待って、この人の指示に従って、そうしてなにもかもを護ろうとしているひたむきな姿がここにある!
 ――こちら雷神1号、脱出したパイロットを発見。2号と共に着水するまで待機中。
 ――こちら雷神6号、上空より最低限の撮影を続行します。
 ――こちら雷神7号、ロックオン解除、上空に回避。対象機が空母左舷海上へ向かって墜落していくのを確認。
 ――こちら雷神3号、侵犯パトロール中。
 ――こちら雷神5号、共に飛んでいた大陸国機の同僚が案じているのか、一機だけ退去せずに目の前を飛行中。侵犯確認せず。続けて警戒、牽制します。
 出動した雷神機からもそれぞれの報告が届く。彼等の安全も確保された。だが、こちら空母はいま危機目前!
「全クルー、避難せよ! 対象機が墜落するまで、安全な場所に待機!」
 艦内に非常事態に備えるためのサイレンが鳴り始める。
 もう甲板には誰もいない。甲板要員も艦内に避難完了した模様。
「管制室クルーも同じく。対象機着水時には、伏せるように!」
 そして艦長は心優を見た。
「私の足下に伏せていなさい。ガラスが飛んでくるかもしれないから」
「でも……艦長は」
「伏せていなさい!」
 母親が叱るような声に、心優はついに負けて言われるまま伏せようとする。
 でも、もうブリッジの窓には、翼を左右に揺らしながらくるりと回って落ちていく戦闘機が過ぎったところ。
「侵犯機、着水します」
「全員、伏せなさい!」
 管制室にいるどの男も、椅子から立ち上がりその床に伏せる。
 心優も言われたとおりに伏せると、御園准将も床に伏せる。
「大丈夫よ、心優!」
 本当に……。母親のようにして、心優を守るようにして抱きしめてくれている。
 艦長の背後には雅臣も、でも今度は雅臣が、その准将の背を守るようにして、上に被さっているのを見てしまう。
 女二人を守ろうとしている雅臣の姿が――!
 わたしは護衛官なのに……。どうして、この二人に守られているのだろう? 本当は逆なのに!
 情けなさが湧き上がる。それと同時に、ドーーーーンという大きな音が響き渡る。管制室の窓がビリビリと揺れ、何枚かパリンと割れた音。爆風を僅かに感じる。そしてオレンジ色の閃光が管制室をビカビカと照らした。
「侵犯機、墜落。海上にて爆破」
 管制長はもう椅子に座り直し、状況報告をはじめている。それと同時に、ミセス准将も立ち上がる。
「消火隊出動、救助隊も出動! 墜落機からの燃料漏れで、海面から空母へ引火しないよう防止して!」
 ミセスの指揮再開に、大佐二名も立ち上がる。
「わかった! 俺が消火隊を動かす。雅臣、おまえはパイロットを収容する救助隊を出動させろ」
「イエッサー! 1号スコーピオン、着水確認次第、位置の報告を。救助隊、救命艇出動の準備は出来ているか」
 まだ対処が続く。そこへ、指令室に下がっていたラングラー中佐が帰ってきた。
「艦長。横須賀の海東司令に繋がりました。管制、チャンネルを合わせ、准将に通信を!」
 ラングラー中佐から届いたチャンネルを元に、ミセス准将に新しいインカムヘッドホンが管制長から渡される。
「司令からの衛星電話、入ります」
 ミセス准将のモニターに、ヘッドセットをして大きな中央管制室にいる海東司令が映し出されれた。あの若白髪の落ち着いた男が映っただけで驚きを隠せない表情を見せていた。
『大事な時になにもしてやれなくてすまなかった。艦は無事か』
 慌てた様子の海東司令がまず発した言葉はそれだった。
「ご安心ください。艦も雷神のパイロット達も無事でございます」
『そ、そうか……』
 あの海東司令があからさまにホッとした顔を見せた。それだけの非常事態に対処していたということらしい。
『侵犯までは私も指令センター管制室で監督していたので確認していたのだが、その直後に司令総監直々の連絡があり、そちらの対応に追われていた。異例の伝達があって揉めていた』
「左様でございましたか。おそらく、そうであろうと思っておりました。故に、こちらの一存でありましたが、時間がないために許可無き指示をしました」
『そうだな、数分という時間との戦いだった……。間に合わないと思っていたが、君のことを信じていたよ』
 海東司令でさえ、どこか慌てて憔悴したような顔をしているのに。やはりこのミセス准将の方がいつもの氷の眼差しでおちついている。
『よくぞ、撃墜の判断を避けてくれた』
「いいえ、紙一重でございました。こちら空母に墜落する軌道であったため、一度はバレットに撃墜の体勢を取らせました。でなければ、艦の左舷に墜落したら、こちらも大規模な被害は逃れられないという判断にて指示しておりました。が、相手国のパイロットが無事に脱出をしたため、そのまま着水させました。ですが機体は爆破、ただいま脱出したパイロットの救助を指示したところでございます」
『こちらからは、なにも手を出していないのだな』
「はい。弾一発とて撃っておりません」
 そこで海東司令が若白髪の前髪をかき上げ、ふうっと安堵の溜め息をついた。
『よくやってくれた! それで良かった。実はあちらからも迅速な申し出があり、侵犯した機体のパイロットがバーティゴを起こして帰還する方向を見失い侵犯に至ったという通信があった。なんだって、そちらは四方真っ赤に染まる夜明けだったそうじゃないか」
「左様でございます。わたくしどもも、出撃の際、パイロットにはバーティゴに注意するよう激しい飛行を避けるようにさせました」
『不慮の侵犯だから迎撃はしないで欲しいと司令部に異例の伝達があった。しかし、それを受けた時点で、空母にも危機が迫っているのであれば迎撃も逃れられない、間に合わないだろう――という話になっていたのだが、あちらが食い下がる為に揉めていた。こちらで待機ができず、君に判断を委ねる形になってしまった』
 ――すまない。
 あの司令が、モニターの向こうで頭を下げている。
「司令のご意志は常々、お聞きしてきました。司令ならば、このように望まれるだろうと思ったことを判断したまでです」
『いつもの侵犯措置で、通例である迎撃を実行していたら、国際的に大問題になるところだった。迷いもあっただろう中、敢えての選択と判断に感謝する』
「司令の思うままにしたまでです。ですが、これからパイロットの治療に当たりますが、彼の処遇についてはよしなにお願いいたします。脱出する際に、空母に激突しないよう操縦桿を切ってルートを変えてくれた痕跡が窺えます。彼も空母の損害を考慮してくれたのです」
『わかった。司令総監にもそう伝え、これからそのパイロットの処遇を決める。まずは調査官が行く。査問はそれからだ。その時にパイロットをこちら横須賀司令で引き取ることになると思う。それまでは、治療と待遇をよろしく頼む』
「かしこまりました、司令殿」
 まったく表情を変えないミセス准将を、海東司令が暫く黙って見ている。話は終わったのに、電話を終えるのを名残惜しそうにして彼女を見ている。御園准将も訝しそうに首を傾げる。
「海東司令?」
『いや……。また今回のクルーが言うのだろう。神懸かった指揮だったと。側で見てみたかったよ。撮影した映像を早急にこちらに送信するように。判断に使わせてもらう』
「かしこまりました。空軍管理長のダグラスにすぐにさせます。しばしお待ちくださいませ」
『あとを頼んだよ。明日か明後日には調査官を派遣する』
「お待ちしております」
 司令はそれだけ言うと、いつもの鋭い眼差しに戻ってサッと電話を切ってしまった。
 徐々に甲板にもクルーが出てくる。
 ―― パイロットを収容、救助完了。治療のため、医療チームに引き渡します。
 無事にパイロットも救助され、艦はひとまず通常運行を取り戻しはじめる。
 でも、これから調査官が来て査問委員会にも呼ばれるだろう。他国籍のパイロットがこの艦に乗船する。どうなってしまうのだろう?
 あんなに紅色だった空も海も、もういつもの蒼い海に青い空、そして白い雲という爽やかな色彩に戻っていた。

 

 

 

 

Update/2015.7.28
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