◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 36.船は、猫も鼠も住んでいる。  

 

 空母は調査のため、暫くは現場になった海域で停泊することに。
 騒然とした明け方から落ち着き、その日の夕。
 再度、海東司令から衛星電話が届く。

「総司令のご子息?」
 艦長室のデスクで、御園准将は海東司令をパソコンモニターを通じて会話をしている。
 お互いにヘッドセットをした姿で話しているが、そこで御園准将が司令からの報告を聞くと言葉を止めた。
『そう、ミセスと同じあちら大陸国海軍の三世隊員だそうだ』
「お祖父様もお父様も……ということでございますか」
『そうだ。二十機もの大量出撃で牽制なんて、そんなおおがかりな作戦なら、おそらくそのパイロットの父親である総司令の指揮下にあったのだろう。緊急事態も迅速に報告されただろうから、総司令の一存でこちらにコンタクトを取ってきたのではと予測されている』
「左様でございましたか……。これで、すぐに迎撃阻止の緊急通信がわたくし共の総司令へと届いたこと合点が行きました」
『そういうことだ。まあ、ここで親心だすなんて、少し安心したよ。あちらでは英雄死が最高の名誉と見られることもある。父親の泊をつけるため、息子を犠牲にすることもあちらでは平然とできただろうにね』
「子息が相手国の空母に墜落したという不名誉のリスクの方を取られたのかもしれません」
『現実的に考えれば、そうだな。相手国空母に損害を大々的に与えた司令官である方が不名誉だとは思う。ただ心より息子を助けたのか、他になにか意図があって助けたのかは計りかねるお国柄だから、表面だけで判断できかねる。不名誉な墜落でも、英雄死だと強引に扇動し担ぎ上げることも簡単だろうし?』
 海東司令が皮肉った笑みを見せても、ミセス准将はにこりとも微笑まない。
『まあ、そういう人物なので念のため、警護の強化も頼む。そのような事情であるため、明後日とはいわず、早急に調査官が行く。明日の朝にはなんとかなるだろう』
「かしこまりました。滞りなく保護いたします」
 そこで電話が終わる。
 またにこりとも笑わず、表情も見せなかったミセス准将が、そこでは溜め息をついた。
「はあ、三世隊員ね……」
 御園准将と同じく、軍人一家のお坊ちゃんがこちらに来てしまったらしい。
「総司令のご子息でなかった場合は、やはり撃墜していたのですか」
「まさか。撃墜はなるべく避けるが、海東司令の密かな意志よ。こちらから手を出す時は、最悪最低最終の手段と思っていらっしゃる。ただ今回は偶然、空母に向かって墜落してきたので迎撃を試みただけ――。大抵は、侵犯しても措置をすれば、国に帰っていくからね」
「そうですよね。そんなことになったら国際的ニュースになってしまいますよね」
「大騒ぎよ。それを阻止する回避するのが、撃墜よりも重要な任務であるのよ」
 准将がまた溜め息をつく。いまの電話を聞いてから、なにやら眉間に皺を寄せて面倒くさそうなお顔。自分と同じ育ちのパイロットを拾ってしまったからなのだろうか。
 そして心優も、騒ぎが落ち着いてから、少しイライラしている。艦長と雅臣に二重に護られていたこと。
 役立たずの護衛官だった。気の利かない護衛官だった……。
 ただ艦長の気休めのためにそばに置かれているだけ。横須賀でたまに言われる『マスコットみたいな存在』という言葉が、あの時は意地悪で言われていると思っていたのに、今日の心優は自分でその言葉を突きつけている。そしてそれが痛い……。
「彼の意識、まだ戻らないのかしらね」
「医療セクションに確認いたします」
 自分からサッと動いた。もう、こんな思いは嫌だ。わたしは、艦長の娘のような存在ではない。
 あまりにも側にいて、毎日一緒で、そして……、普段はお茶目でお優しい一面をいっぱい見せてくれたミセスだからすっかり甘えてしまっていた。
 ラングラー中佐が、仕事中はミセス以上に冷たい顔をしていて、時たま、ミセスに嫌味をいう程クールなのはどうしてなのか、いま痛感している。
 秘書官は護衛官は、そうであるべきだったのだ。ミセス准将が空母の危機にこそ、ロボットのような冷たい人になるように。秘書官というロボットにならなければならなかったのだ――と。
「お疲れ様です。艦長室の園田です」
 ドクターからの返答は、処置後の投薬でまだ眠っているとのことだった。
 脱出限界高度がギリギリだったこともあり、無事にパラシュートは開いたが、落下速度が早かったらしく、首を酷く痛め足を骨折していた。
 それを知った雅臣が、また青ざめていたのが心優は気になっている。自分に重ねたに違いない。パイロットの彼が前線に行くことを任命されるほどのパイロットが、この負傷を機にコックピットに戻れなくなるとしたら、雅臣と同じ境遇になる。
「艦長、まだ眠っているそうです」
「そう。まあ、命に別状はないようで良かったけれどね。目が覚めたら、またどうなることやら」
 御園艦長もさらに溜め息をついて焦れている。明日、司令部に身柄を引き渡してしまう前に、彼の『生の声』を聞いておきたい、上層部に管理されてしまう前に事情を彼の言葉で聞いておきたいとのことだった。
 相反する国家思想を持つ間柄。向こうの国より強くあれと衝突されることもままあることだった。
 そんな彼等が幼少の頃より『敵国』と教えられてきた国の海兵隊に助けられる。しかも自分から助けを請うた。彼はまだ知らないが、総司令官である父親までもが息子のために職権を使った。
「一番怖いのは、自害よ」
 心優は震え上がる。そんなこと、この時代にあり得る?
 だが御園准将は真剣だった。
「コックピットではパニックを起こしていたからこそ、心からの助けを叫べたのかもしれない。でも冷静になって、いまの状況を把握したら、彼は自分が国の恥だと思って帰国して駄目なパイロット、余計な問題を起こしたパイロット、総司令の父親に迷惑をかけたパイロットとして逆に『この作戦を失敗させた戦犯』みたいに国で扱われることを予測し、それなら『英雄死を選ぶ』となにを考えるか解らない。だから、目が覚めた瞬間が危ないのよ」
 艦長がそういうと、きっとそうなると心優は思ってしまう。この人の神懸かり的な対処を目の当たりにしたばかり。様々な窮地を乗り越えてきたこの人も本物のネイビーに違いなかった。
「ですが、その為に『保護室』にて警備をしていらっしゃるのですよね」
「両手は医療的対処としてゆるく拘束している。目が覚めた時に暴れられたら困るからよ。それでも本当の拘束束縛ではないので、力任せにほどかれる可能性もある。刃物に紐類はそばに置くなと言っているけれど医療用品は避けられないから完全防止は出来ない、室内は監視カメラで観察し目覚めを逃すな、近づく時は警備隊員を中に入れて診察するようにと告げてあるけれどね」
 それでも不安だ――と、あの艦長が落ち着きない。
 そこに危機の予感を感じずにいられないのだそうだ。
 大陸国の彼は、通常の隊員が傷病の際に使う病室ではない特別の病室に入れられている。優遇されての特別ではない。酷くいえば『拘束部屋』だった。
 外鍵のドアで中からは開けられず、艦長の許可がないと誰もドアを開けられない。任命された警備隊員一名だけが合い鍵を持ち、それも容態急変などの余程の緊急以外は艦長に一報入れてから開ける規則になっている。
 彼はいま、保護されているといっても、違う国に勝手に入ってきてしまった異国人。万が一があってはという対処はあたりまえで、彼はいまその一室に閉じこめられている。
 それでも他の病室と違わぬ室内で、綺麗なシーツのベッドにトイレがつけられている。
 扉の前には、艦長から直々に使命を受けた警備隊員が仁王立ちで警備をしていた。おそらく彼等も、あと三十分もすれば、先ほどの海東司令からの新情報を警備隊長から伝えられ、大陸国パイロットが総司令の子息だと知ってさらに警備に気を引き締めることになるだろう。
 彼等の腰には心優と同じく三段ロッドの警棒がある。そして心優は知っている。彼等は警備隊長からの信頼が厚いエリート兵。黒い戦闘服、ジャケットの下には既にホルスターを装着し、拳銃を隠し持っている。
 なにかあれば、彼等がそばにいるから大丈夫だろう。だから心優は安心はしている。
「はあ、面倒くさいな。どうしてこっちに来ちゃったのかしら」
 今更だったが、今になって艦長は侵犯したパイロットを拾ってしまったことで頭が痛いようだった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

「え! あのパイロットが向こうの総司令の息子!?」
 艦長室に呼ばれ、さっそく報告を受けた橘大佐と雅臣も面食らっていた。
「そうなのよ、だから引き渡すまでがちょっと面倒だと思うのよ。今夜は交代で寝ずの待機になると思うから心得ておいて」
「ラジャー、艦長……てか、葉月ちゃん絶対に眠らないよな。こうなると……」
「ですが、艦長と橘大佐と自分とでひとまずのシフトを決めておきましょう」
「そうね。私はともかく、貴方達は少しでも仮眠が出来るようにしましょう。いざという時、眠れなくて憔悴しているかもしれない私もどうなるかわからないから」
 その時は任せてくれ――と、大佐二名が頼もしく答えてくれている。
 だが橘大佐も途端に面倒くさそうな溜め息をついた。
「道理で、横須賀の中央にすぐさま迎撃をするなの申し入れがあったのもこれで頷けた」
「父心ですかね……」
「んな、甘いもんだったらマシだけどな。どうかな、そこまで上りつめた男の面子ってヤツが重要なんだろ。俺的には表向きは息子を助ける父親の顔で動いた方が胡散臭く感じるね」
「自分は、彼が国に帰還した後、どう扱われるか心配です」
 海東司令は、割と現実的な判断だったと言い、橘大佐は胡散臭いと言い、雅臣は艦長と同じくパイロットがこれからどう感じるかを見据えている。人それぞれだなと心優は思う。
 そんな中、またアイスドールのミセス艦長は面倒くさいと思いながらも、どうされるのか。心優は気になる。
「艦長。お願いがあります」
 雅臣が気後れした様子で、御園艦長に申し出る。
「なに、雅臣」
「彼が目覚めたら、俺も同行させてください。少しだけですが、秘書官時代に大陸国語を学んでいます。それに……、」
 足を骨折したパイロットの心配をしているようだった。それは御園艦長も察している様子。
「いいわよ。では私と彼の会話の記録と録音をお願いするわね。ただし、警戒は怠らないように。相手はお客さんではないので。心を許しても駄目。甘い顔は見せないのよ、わかったわね」
「はい、了解……しました」
 同情を見抜かれていた。それでも雅臣はついていきたいようだった。
「では、その時のブリッジは橘大佐に一任します。お願いしますね」
「イエス、マム。そっちも気をつけろよ」
 そして橘大佐が初めて、怖い顔で心優を見た。
「園田少尉、艦長に何事もないよう頼んだからな」
 今までミユちゃん――だった大佐が、初めて園田少尉と言ってくれた。そして、護衛官として託してくれた言葉。
「もちろんです。何事もないよう務めます」
 嬉しかった。護衛官ではないような気がしていた時に、もうひとりの大佐殿から託された事が。心優は敬礼をして気を引き締める。
 そうだ。ここで気を張らなくてどうする。艦長は大陸国の彼が目覚めたら対面しなくてはならい。相手は怪我人であっても、国外の人間。そして牽制しあってきた国同士。
 これは危険な対面なのだ。艦長の後ろをついていくだけでは駄目だ。いままでハワード大尉に教わってきたこと、護衛部で身につけてきたこと、そして、エリート傭兵のシドに仕込んでもらったこと、全てを発揮する時。神経を張りめぐらせ、艦長と他国籍の男との対面を無事に終えなくてはならない!

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 夜の十時になって、その連絡が来た。
 内線は心優が取った。ドクターからパイロットの彼が目覚めたとのことだった。
「心優、あれをお願い。貴女もね」
「はい、艦長」
 艦長に前もって指示されていたものを用意し、二人で静かに準備をした。
「雅臣、行くわよ」
 艦長室に一緒に待機していた雅臣も『イエス、マム』と艦長の後をついていく。そして心優も、ロッドを一度握りしめてから深呼吸をして向かう。
 自害もダメ、彼からの襲撃もダメ。――どちらも必ず阻止する。もう上官にこの子は護ってやらなくちゃと思われるような隊員ではいたくない。
 そう、わたしは『経験浅い女の子』かもしれないが、それ以前に『実力ある元空手家、現護衛官』のはずなのだ。心優は言い聞かせる。これまでの経歴をここで活かせ――と!
 胸ポケットにずっと忍ばせてきた母が送ってくれた『シャーマナイトの石』を握りしめる。準決勝、決勝と大事な勝負所で必ずこれを握りしめ、冷たい石の感触と澄んだ光沢、これらに心のざわめきを鎮めてもらってきた。
「心優、アドルフも呼んできて」
「はい」
 心優一人で心許なく思われているのだろうか。でも、護衛的には上官一人に付き、一人の護衛官が望ましい。解っているから心優も指令室へとハワード大尉を呼びに行く。
 艦長と指揮官大佐と護衛官二名。御園艦長を先頭に、医療セクションに辿り着くと、ドクタールームで待っていた医師が迎えてくれる。
「意識ははっきりしているの」
「はい。とても落ち着いております。自分が侵犯したことも、バーティゴに陥ったことも、艦長と通信して話した内容も順序よく、静かに説明してくれました。それで、あの……、彼から艦長に会いたいと言っております」
「そう、わかった。今から会いに行くわ」
 ドクターの前では、クルーが畏れ多く近寄りがたいと口々に言うアイスドールの顔になる艦長。ドクターも恐る恐るといった口調になっている。
 あれだけの危機を瞬時に回避し、空母を護り、相手国の侵犯機を避けた上に、パイロットまで救助してしまった艦長となると、彼女が女性だろうが男性だろうが、きっとまたクルー達は艦長のことを余計に畏れ多く思っていると心優には見えた。
 そしてパイロットの彼も、目が覚めても落ち着いているようで心優もホッとする。
 だがそこで心優は首を振る。いけない。油断は禁物。絶対に気を抜かない。
 司令の息子ということは、何か任命を受けているのかもしれない。そう、御園准将が『大佐』に昇進した時の任務も、司令総監の娘であるが故に『密命』を受けて、秘密隊員と共にテロ現場に侵入する任命をされたように……。
 艦長室でも司令の息子と判った途端に、艦長と大佐二名が『本当にバーティゴだったのか。うまい演技で、背面飛びも脱出も墜落もすべて計算のうち。この艦内に入るためのよく出来たシナリオがある作戦なのでは』という予測もされた。だから父親が撃つなと申し出てきたのでは……とも。
 良く判らないものになっていた。ややこしいものになっている。
 でも御園艦長はいつもの落ち着きでその部屋の前についに立つ。
「お疲れ様でございます」
 警備隊員の二人が艦長に敬礼をする。
 中年中堅の少佐がその部屋のドア鍵を開ける。
 カチャン――という音と共に、艦長がドアノブを握ってドアを開けた。
 頭に包帯を巻いている黒髪の男が気がついて、少しだけ起きあがる。でも足はぐるぐるに包帯を巻かれている痛々しい姿。
「よろしいのよ。横になっていて」
 無表情に英語で話しかけながら、御園艦長はベッドの横へ行くとそこにあるパイプ椅子に座った。
 横たわっている大陸国のパイロットは若く、日本人とおなじ容貌のアジア人。
「ご気分はどう」
 彼は初めて見ただろうミセス准将をじっと見つめている。不思議なものをみるかのように。
「女性の艦長だと知っていましたが……。本物、ですね……、本当なんですね」
 それがパイロットの第一声だった。
「生まれた時から女よ。女に見られているかどうかはわからないわね」
 冗談も無表情に言ったのに、それでも彼が少しだけ微笑んだから心優はそちらに驚く。
「日本人だと、聞いていたのに……。日本人ではないんですか」
 彼が艦長の瞳と髪を交互に見ている。
「その情報は持っていないの? 父親が日本人とのハーフ。私はクウォーター。生まれたのは日本、国籍も日本よ」
「そうなのですね。父にそこまでは教えてもらっていなかったので……」
「貴方のお父様が、指揮をされていた総司令という報告を受けています。お父様が、こちらの司令部にすぐさま緊急通信を届けてくれて、侵犯ではない迎撃はしないで欲しいと伝えてきてくださったのよ」
「父が……」
 こみ上げるものがあったのか、彼が顔を背けた。
 それを見た御園准将が雅臣を見る。二人が一緒になにかを確信したかのように頷いた。
「貴方も国の任務を遂行しただけなので、話せないこともあるでしょう。ですが、質問させていただきますね。言いたくないことは黙っていて結構よ」
 雅臣が艦長の側に立ち、手帳を開いてボールペンを握った。細長いICレコーダーにもスイッチを入れて、そっとベッドの上に置く。これからの会話を記録する準備が整う。こんな時の雅臣は、秘書室長だった時の風格を醸し出す。
「今回の貴方の任務は、侵犯でもなく、空母撃墜目的でもなく、単にこちらを牽制するための大量出撃だったのよね」
 彼はすぐには返答せず、迷いを見せていた。だが暫くすると――。
「はい。いつもの牽制に、出撃機を増やしただけです。それだけでも驚かれるでしょう。貴女の艦がいつもギリギリの領海を通過することは、こちらでも有名な話です」
「こちらもそう判断しておりました」
「貴女はとても落ち着いた方なのですね。通例対処以上のことはしようとしなかった。いえ……、父もそう予測していました。これで慌てるような彼女ではないだろうと。でも慌てたらそれはそれで面白いと笑っていました」
「まあ、悪戯なお父様ね」
 艦長がそこでやっとくすっと笑った。その顔を、彼も楽しそうに見上げたので、心優は逆にびっくりしてしまう。なんだろう、一歩間違えれば自分たちがどうなるか判らなかったのに、お互いがしたことが命を奪う行為だったのかもしれないのに。これが軍人というものなのか、圧倒させられる。
「ですが、自分たちパイロットはそんな父の余裕を不甲斐なく思っておりました。ちょっと派手にして向こうのパイロットを焦らせてやる。出撃の命を受けたパイロット達は囁いていました。相手のパイロットをパニックに陥れた者がこの作戦の一番手柄だと――。自分は総司令の総指揮官の息子ということで、いちばん張りきってしまったところがあります。いまは冷静ではなかったと不甲斐なく思っている……。結局は父の命に背いたことになります。西方十機は粛々と父の指揮に従って撤退したところ、自分の編隊は自分がいることで指揮に従わなかったことになりますから」
「なるほど。それでドッグファイトを持ちかけるような動きをした訳ね。あの四方の方向が判断できない中で、派手に旋回し上下飛行を繰り返して、こちらのパイロットを脅し続けた結果、貴方はバーティゴを起こしてしまった」
「脱出するまで、バーティゴになっているだなんて思っていませんでした。いえ……、計器が不具合を起こしているんだとばかり……」
「つまり、ご自分の体感を優先していたのね」
「そのうちにどちらが本当か判らなくなりました。レーダーを見ると、国を離れて、日本国内に入っていました。それを知って、とにかくここから離れようとしたのですが、結果的には帰ろうとしていた方向が、海面であったり、日本国内へと向かい、なおかつ、貴女の艦へと向かう結果となったようです」
 バーティゴは正真正銘、彼の身に起きたことで、そしてなんの悪意のないもののようだった。彼が素直に話してくれたのも、自分の身の潔白を証明する方が先決だと思ってくれたのだろう。ここでお国柄の意地を張ると、悪意があってこっちに来たことになり、それこそ父親の判断ミスと取られかねない。
「話してくださって、ありがとう。もう充分よ。貴方は総司令のご子息であると既に判明しておりますし、事情も不慮の事故として扱う予定です。身柄はいったん横須賀司令部の上官に引き渡しますが、無事に帰還できるよう手配する予定です。安心して過ごしてください。ただ、わたくし共にも『国を護る』使命があります。正式な入国者ではない以上、この部屋から出ることは許されません。ですが困っていることは、医師に、または警備をしている隊員に遠慮無く申しつけてください」
「有り難うございます。あの……、貴女があの時、声をかけてくれなければ、脱出を決意していなかったと思います。きっとこちらにも多大なる迷惑をかけたことでしょう」
「脱出する際、操縦桿を空母から逸れるように操作してくださったのよね?」
「せめて、それだけは――と。方向感覚がなくなっていたのですが、雲間が切れると本当に目の前が海面で空母が見えたので驚愕しました。それを見て、貴女が言っていることは本当だったと、無我夢中で脱出を決意して、咄嗟に操縦桿を空母の反対に逸れるよう切っていました」
「本当に助かりました。撃墜なんて事はしたくはなかったので、私もほっとしております。それから……。私のところのパイロットが、貴方がこちらに侵犯してしまった後、領空線ギリギリのところで一機いつまでも待機していたのを目撃しています。暫くして撤退したと聞いています」
「自分の僚機だと思います。彼は編隊のリーダーでもあります」
「貴方を置いて帰れなかったのね」
 そこでお互いの言葉が止まる――。
「お腹は空いていない? 食べたいものはありませんか」
 艦長の声が途端に優しくなった。意外だったのか、若いパイロットの彼が艦長の顔を見上げて、涙をこぼしていた。
「せっかく……、この国に来たから……、この国のオススメを……」
「オススメ? 私のオススメは、艦のシェフがそっくりに再現してくれる『ママのパンケーキ』だけれど。それでもいい?」
「パンケーキ? ママって……。日本の食べ物ではないですよね。自分の国でも食べられますよ、それ」
「では。夫のオススメである、トマトソースの讃岐うどんかしらね」
「サヌキウドン?? 料理をしてくれるご主人がいらっしゃるのですか……」
「貴方は?」
「まだ独身です。が、フィアンセはいます。家に勧められた女性ですが、仲良くやっています」
「それなら、早く帰ってあげないとね……。彼女の所に」
「はい……。もう、それだけです……」
 彼がまた涙を浮かべた。
 もうその姿を信じたい。大陸国のお国柄はいろいろと耳にして、個性を殺さねば生きていけないところだとわかっていても、彼は自分たちと同じ普通の人なのだと信じたい姿だった。
「アドルフ。シェフに彼の口に合うような消化の良い日本食を作ってきてもらうよう頼んできて」
「イエス、マム」
 ハワード大尉がドアへと向かっていく。中からノックをすると、外にいる警備隊員が鍵を開けてくれる。ハワード大尉が出て行った。
 雅臣がICレコーダーのスイッチを切って胸ポケットにしまう。手帳も閉じた。
 これにて、後は明日、滞りなく司令部に引き渡すだけになった。
「疲れたでしょう。明日は横須賀までの輸送機になると思うので、今晩はゆっくり眠りなさい。眠れないならドクターを呼びましょうか」
「いいえ、大丈夫……で、」
 ベッドにいる彼が何かを見つけたかのようにして、ハッと大きく目を見開いたのを心優は見る。そして心優も背後に何かを感じた。目の端に黒い……
「な、あれ、あれは……!!」
 パイロットの彼が寝たまま叫んだ。だが心優は既に振り返って、それを目視確認している。
 戦闘服を着た黒い男。黒い目出し帽。その男が壁下にある通気口の蓋をいつのまにか開けて、音もなく床に這い出てきたところ。黒い戦闘服は埃で白く煤けていて、通気口を這ってここに侵入成功したところか。手には既にナイフを持っている!
 その男の目が心優を通り越して、冷たく艦長を見据えている。
 ――艦長が目的!?
 だが男は負傷しているパイロットにも目を向けると、ニヤッとした目元を見せた。
 ――総司令子息が目的?
 わからない! それだけで、心優の身体が硬直する。手は、三段ロッドを取り出すよう動かしたのに『抜けない』。
『国籍不明の傭兵と母艦内で突然かち合っても、おまえの命を差し出して准将をお守りするということなんだぞ』
 父の声が蘇る。本当にこんなことがある! 命を差し出して……? あんなプロの男なんかと闘ったことがない。絶対に、殺される! 心優はもうガタガタ震えていた。
「雅臣! 彼を守って!」
 やはりこんな時も『いつも通りの人』がいる! 御園准将がパイロットの彼を起こしあげ、ベッドから引きずり降ろそうとしている。
「アドルフ、アドルフ!!」
 心優ではない。先輩のことを必死に呼んでいる。
 だが目の前の男がナイフを片手にスタッと立ち上がると、目線をまず左右にキョロキョロとさせた。四方を確認して状況判断をしている?
 心優の頭の中に、ふとひとつのことが浮かんだ。
 ――こいつ。手強そうなハワード大尉がこの部屋から出て行って、『役立たずのような女護衛官』だけになったから、そこから出てきたんだ!
 おまえみたいな小娘。相手じゃない。一発で吹っ飛ばして、『対象者』を頂く。
 そういうバカにした目。心優なんか通り越して、艦長とパイロットの彼を見ていた。ここにはもう護衛官がいないのも等しいと判断されているも同じ!
『死ぬ覚悟で行ってこい。ドッグタグ(認識票)を忘れずに首にかけておけ』
『お父さんにドッグタグを握らせたりしないから』
 父との約束。
『園田少尉、艦長に何事もないよう頼んだからな』
 橘大佐に託されたこと。
『なにがあっても絶対に奥さんを護れよ』
 シドとの約束。
『大丈夫よ、心優!』
 母親のように、守ってくれた艦長。
「心優、危ない! さがれ!」
 雅臣の切羽詰まった声が背中に届く。パイロットの彼を艦長と共にベッドから降ろし、襲われないよう必死に体勢を整えている。
 そして、雅臣もあの時は、女二人をガラスの破片から守ろうとしてくれていた。
 震えが止まる。
「そうだ。プロなら、シドを相手にしていたじゃない」
 心優はそれだけ呟くと、相手の男を『シド』だと見据え、腰の三段ロッドを抜いた。瞬時にシャキンと長くする。その時にはもう男がこちらへとナイフを片手に心優へと振りかざしているところ。
 真剣のナイフは怖くない! シドのナイフはもっと高いところから、もっと早く振り下ろされてきた。
 その高さを見定め、心優はロッドをその軌道に振りかざす。
 ―― キン!
 大きなサバイバルナイフとロッドがぶつかる金属音が響く。
 くっ!
 男が思わぬ心優の対処が予想外だったのか、そこでナイフごと一歩退いた。
 心優にとってその『一歩退く』というのは、最大のチャンスで、恰好の隙を見せてくれたも同じ。ロッドを片手に、今度は心優から踏み込む。一歩退いたそこに、小娘ごときの心優がさっと踏み込んで懐に入ってきたので、目出し帽の男の目がギョッとしているのを見る。
 ロッドを真一文字に両手に持ち、男の顎に当てた心優は下から上へと押さえつける。下を見ることが出来なくなった男がのけぞる。その瞬間、腹が出る。そこが狙い目!
 そこに心優はおもいっきり膝蹴りを入れる。男がぐふっと呻き、さらに二、三歩、後ろによろめいた。
 でもまだまだ! この男は体格や肉付きを見ても、プロで屈強な男。
 ――でも、お兄ちゃんに体型が似ている! 
 瞬時に心優はロッドを背中へと差し込み、素手でよろめいた男へとさらに踏み込む。
 兄が『俺のような男を投げる時』を何度も教えてくれた、投げ飛ばさせてくれた、何度も。思い出さなくても、身体と手がなにもかも覚えている!
 よろめいて立ち直ろうとしている男の戦闘服の衿、ナイフと拳銃を備えているベルト。柔道着よりも掴みやすいものが沢山ある! 二点を抑え、心優は叫ぶ。
「ヤアーー!」
 男の太い足を蹴り上げると、ふわっと男の身体が浮く。身体を捻ると男が心優の少し下でくるっと回る、その瞬間を逃さず、心優は床へと落とす! 男がずっしりと重く床にうつぶせに叩きつけられた音。
 すかさず、倒れ込んだ男の背に心優は乗り上げ、背中のロッドを再び引き抜くと、背中から男の顎下に回し、そのままぐっと左右同時に引っ張り上げる。いつか心優がシドに首をぐいぐいと締めつけられたあの恰好で、男を捕らえた。
「っぐあっ、Shit!」
 男の口から出たのは、英語……。
 男の制圧に成功をした心優は、やっと周りがどうなっているか見ることが出来る。
「み、心優……」
 御園艦長が脱力した様子で、ベッドに手をついてよろめいていた。
 おかしいよ……。あんなに冷静な人が、なんで今、そんな焦った顔で今にも倒れそうになって震えているの?
「心優、だ、大丈夫か」
 床に降ろしたパイロットを抱いて守っている雅臣とも目が合う。
「心優、そのまま……。待ってろ。警備少佐を呼ぶから」
 艦長より雅臣が迅速に行動に移った。パイロットの彼をそっとベッドの影、床に寝かせてドアへと向かっていく。
「Shit、Shit!!」
 男が腕をじたばたさせているので、心優はそれも足で踏みつけて押さえたが、今度は背筋を使って心優を背中から振り落とそうとしている。
 ダメだ――。心優にあるのは『技』であって『力』ではない。女の細腕で、横幅もがっしり体型の男を何分も制圧状態にしておくのは無理。はやく、同じような体型のハワード大尉が来てくれないと! 或いは、凄腕の警備隊の少佐が来てくれないと!
「小娘だと思っていたら……。おまえ、とんでもない使い手だな。だからか、だから、艦長に付き添っていたのか」
 男が心優に押さえつけられたまま、やっと英語で喋ってきた。
 でも心優は答えない。
「だが嬢ちゃん、ルールなしのタイム制限なしの『戦闘』はしたことがあるか?」
 男がニヤッと笑った息を心優は感じる。ゾッとした。一瞬、男が抵抗を緩め静かになる……。だが心優は警戒する。こういうの、戦闘態勢前の静けさというのか。
「少佐、不審者侵入を確認!」
 雅臣が外から鍵をかけられているドアをドンドンと内側から叩く。
 カチャン――と鍵が開く音。それとほぼ同時。男がありったけの力を込め、背を反り身体を跳ね上げる。背中に乗っている心優は振り落とされそうになったが、ぜったいに顎にかけているロッドを外すまいとした。それでも、男の腕を踏みつけていた足が浮いてしまう。その瞬間だった。男が腰の銃を引き抜いた。床に腹をつけたまま、心優を乗せたまま、顎を押さえつけられたまま、自由になった片腕だけを御園准将へと向けてしまう。
 ――准将が撃たれる!! でも、自分がここで降りてミセスのところへ駆けつけて『盾』になるのは間に合わないし、この男の背から降りたら、この男が自由になってしまう。間に合わない!!
「何事ですか!」
 警備少佐がドアを蹴破るように入ってきた。状況を瞬時に把握した少佐がジャケットの下から銃を抜き、男へと向ける。男もそれに気がついたのか、即座に標的を変え、ミセスから少佐へと銃口を向ける。
「少佐、伏せて!」
 少佐は男の背に心優がいるせいか発砲を躊躇っていた。だが男はサイレンサーが付いている拳銃の引き金を引いてしまう。『プシュン』と軽い音が男の手元で発しただけなのに、銃口からは硝煙が立ちのぼっている。
 少佐に命中した!? 心優が見ると、少佐は床に平たく伏せていて無事だった。だがそのせいで体勢を崩してしまっている。それを見て心優が次に危機を持ったのは、男が向ける銃口が、またミセスに戻ること!
「臣さん! 艦長を……」
 パイロットの元に急いで戻った雅臣だったが、艦長ががら空き。
「ヒヒッ、まずはあの女! あいつもいなくなれば、手柄だ!」
 彼がそう呟いたのが聞こえる。
 ついに男がミセス准将へと向けて発砲をしてしまう!
 ―― プシュン!
 何が狙いか不明のまま。男の弾丸がミセスへ――。
「艦長!」
 大きな男が駆け込んできて、ミセス准将の姿がふっと消えた。
 うあっ!!
 心優はハッとする。弾丸の先にいるのは大きな男。艦長を大きな胸の下へと隠し、そこに飛び込んで『盾』になった男。彼の背、紺色の戦闘服に赤黒いものが滲んで広がっていく――。
「アドルフ――!」
「ダメです。艦長! 俺から離れないでください!」
 ハワード大尉が御園艦長の下に駆けつけ戻ってきて、瞬時に盾になってくれていた。でも弾が背に当たってしまった!
「ハ、ハワード、大尉……!」
 心優は驚き、うっかり腕の力を緩めてしまう。その瞬間を男は逃さなかった。床の上で身体を大きく捻り、うつぶせから仰向けになろうと転がる。そこで心優は背中からついに落とされ、顎のロッドも外してしまった!
 立ち上がろうとしている男が次に見据えたのは、艦長ではない――。雅臣と大陸国のパイロットがいるベッドの向こうだと心優は気が付く。
 心優もすぐにロッドを握り直し、立ち上がろうとする。だが男は心優の目の前から腰を上げただけの低姿勢の体勢でも、シュッと走り出してしまう。
 凄い瞬発力、陸上選手のスプリンターのようなダッシュ! それでベッドへと向かっていくと、縁に足をかけベッドの上に乗ってしまう。
 しまった――! それでも心優も走り出す。男はスプリングがあるベッドの上に駆け上がると、その反動を利用して上へジャンプする。跳ね上がったそのまま、ナイフを手にして、雅臣とパイロットの彼の方へと飛び降りようとしている!?
 ベッドの端では負傷したままのハワード大尉が艦長を抱きしめたまま動かない。だから艦長も身動きが取れていない状態。
「国のために死ね!」
 その言葉に心優は悟る。『英雄死に担ぎ上げることができる』。どこの誰に指示されたのかわからない。でも男は明らかにパイロットを狙っている。ここでパイロットが死亡したら、今度は日本の管理ミスを問われる。そして、可哀想な彼は国で英雄死――?
 そして心優は見る。ベッドから飛び降りナイフを振りかざす男を見上げ、パイロットをかばって臣さんが上になってしまったのを!
 臣さん、臣さんが刺される!!
 間に合わない。でもいま心優の目の前にはベッドのパイプ。それを握って、思いっきり動かした。
「臣さん! 頭下げて!!」
 息が合うとはこのことか。心優がベッドを前にグッと押した瞬間、雅臣がパイロットと一緒に床に伏せてくれた。だから彼等はベッドの下にサッとくぐる形で入ってくれる。
 ベッドの下に飛び降りたはずの男は、またベッドに着地した形になり、なおかつナイフがグサリとベッドのシーツに突き刺さった。
「また……おまえか!!」
 ナイフを引き抜いた男が、今度は迷わず心優へと襲いかかってきた。
 ――心優!
 ハワード大尉の身体に守られている艦長が腕を伸ばして叫んでくれている。
 ――心優! 心優、心優!! 逃げろ!!!
 ベッドの下からは雅臣の案ずる声!

 逃げない、わたしは護衛官だから!!

 ナイフを振りかざす男、ロッドを構える女護衛官。
 二人の武器が火花を散らす。キン!と再度甲高い音の激突。
 今度の男は容赦ない。素早いナイフ裁きで心優に迫ってくる。でも心優も的確にロッドで切り返している。
 シド、シド! 心優は心の中で彼を思い出している。そして感謝している。あの時、彼が手厳しい現実を突きつけてくれたから、あの訓練をすることができた。彼が本気で付き合ってくれたから今、これが出来ている!
 だけれど、まだ心優は未熟だったのか――。
「っつう、ああっ!」
 男についにロッドを弾き飛ばされてしまう。
 サッと心優から下がって、男と間合いを取る。
「まだちょっと甘かったな。お嬢ちゃん」
 こんな時だけ、日本語で話しかけてくる。
 男が真っ正面、銃を構えた。まだ諦めない。あの銃を蹴り上げれば、きっと間に合う……、きっと……
 いや、無理。
 男の目を見た瞬間、心優は死を覚悟する。間に合わなかった。男の銃口は心優の眉間――。
 心優。
 心優――!
 ベッドの下から雅臣が出てきたのが見えたのを最後に、心優の思考は停止する。
 瞬間、襟首をひっぱりあげられた感覚、首元がぎゅっと締まり息苦しくなる。そして身体が浮いた? でも直後には、なにかに身体ごと叩きつけられた衝撃。そして頬に冷たい感触。
「心優!」
 気が付くと、雅臣が側にいた。心優は床に叩きつけられて倒れている。しかも立っていた位置からかなり後ろ。
「え、なに。なにが……」
 しかし、雅臣もとても驚愕した様子で心優ではない、男の方を見て青ざめている。
 キン、キン、キンキン!
 ナイフとナイフがぶつかり合う音が、凄まじく鳴り響いている。正気になった心優が男を確かめると、その男ともうひとり、黒い戦闘服の男が互角の戦闘を繰り広げている。その男も目出し帽で顔が見えない。
「え、誰……? 誰なの?」
 ふいに出た呟きに雅臣が答える。
「あそこから、急に飛び降りてきた。心優をひっつかんで、後ろに下げて銃弾から助けてくれたんだよ」
 雅臣が指さしたそこは天井の通気口。そこの鉄格子が外されている。心優が立っていた真後ろ。
「あれだ。御園准将が前もって忍ばせていた秘密隊員だ。きっと……」
 秘密、隊員? それを聞いて、心優の心臓が急にドキドキとしてきた。
 いつか、御園大佐が言っていなかった? そんな男がいることを覚えておいて欲しい……。シドに嫌味を言われたそのすぐ後に……。もしかして、もしかして……?
 その男の強さは尋常ではなかった。あの男を押して押して、どんどん部屋の鉄壁際へと追いつめている。しなやかな身体が、厳つい男に有無を言わせない程に。
 うぐあ――!
 侵入してきた男が、心優を助けた黒い戦闘員の強靱な蹴りをくらい、後ろに飛び床に叩きのめされる。
「おい、ネズミ。ちょろちょろすんなよ。他のネズミは全部捕獲したぞ」
 さらに心優の心臓がドクンと跳ね上がる。その自信満々の、生意気そうな声。
 彼が倒した男の目出し帽をひっつかんで、脱がしてしまう。厳つい、眉が太い肌が浅黒い男。アジア人なのか西洋人なのかわかりにくいエキゾチックな顔立ちの、四角い顔の男。
「艦には猫もいるんだよ!」
 男の背中を踏みつけ、心優がやったように男の顎を背中から締め上げた。
「……くっ」
 男の顔が歪む。そして、制圧した目出し帽の男が、心優を見た。
 その目。明るい水色、アクアマリンの瞳。
 心優を見た途端、目出し帽から見える彼の鋭い眼差しが、ふっと緩んだ。
 ―― シド!!
 間違いない、彼だった。彼がこの艦に乗っていた!?

 

 

 

 

Update/2015.8.4
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