◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX1. お待ちください、ベイビーちゃん(1) 

 

 もうすぐ彼女と入籍をする。結婚式は来年になってしまった。
 というのも、また歳暮れあたりに空母艦任務へ着任するかもしれないと、上官であるミセス准将から打診されているからだった。
 そのミセス准将からも既に言い渡されている。『次の航海では、貴方を副艦長として連れていくからそのつもりで』――と。
 それは嬉しい任命ではあった。しかし、少しだけ気になることが。それまで自分の先輩として、または元隊長だった橘大佐は連れて行かないのかと聞くと。
『今回はパスさせてあげて。初めてパパになって、新婚で、赤ちゃんも生まれたばかりの時期になるでしょう。パイロットも引退したばかりだし、ゆっくりさせてあげたいの』
 とのことで、雅臣も賛成し納得した。
 そして雅臣だけではない。そのミセス准将が艦長として就任するということは、妻になる彼女も艦に乗ることになってしまうのだ。
 そうなると、結婚式どころではない。まずは職務優先であるために、どうしても先延ばしになってしまった。
 それでも、いまできることはと、二人で準備を少しずつ進めているところ。
 雅臣の妻になるかわいい彼女は、普段はとても素直そうな女の子の顔なのに、いざとなると男も敵わない腕っ節が強い空手家護衛官。ミセス准将の側に常に控えている女性護衛官だった。
 ミセス准将という女性艦長を護るために抜擢された途端、その才能と実力を発揮して、あっという間に中尉まで昇進し、シルバースターの勲章まで獲得してしまう、いまやミセス准将が手放さない秘書官になってしまった。
 それでも、普段はほんとうにかわいい。わたし、臣さんのように大人の経験がないから、ぜんぜんわからないという顔をして、無垢な子猫のような顔をする。本人がまたそれを自覚していなくて、彼女そのままの姿だから余計にかわいい。
「雅臣、帰るぞ」
「イエッサー、室長」
 陸部訓練棟で、雷神入隊希望のパイロット達の体力テストを行い、その審査を終えて橘大佐と事務室へ帰るところ。
「どうだ、雅臣。いいと思ったヤツいたか」
「うーん、どのパイロットも優秀ではあるけれど、雷神にどうだと言われると、正直ピンと来なかったですね」
「俺もだ。惜しいな。どこにだしてもいいぐらいのパイロット達なんだが。おかしいな。俺の感覚、葉月ちゃんぽくなっちゃったのかな。優秀であっても、無味無臭で無個性に見えちゃうんだよなあ? 刺激がなくてもチームのパイロットの個性とバランスを考えて多少のばらつきがあってもスワローでは選べていたのになあ……」
「わかる気がします。雷神のパイロットはクールな優等生の顔をしていても、こう、なんていうか、ひとつのラインを越えたうえでのなにかがあるメンバーばかりですもんね。葉月さん、良く見つけたなあ……て感心しています」
「俺もだよ。雷神を再興させると彼女が言い出した頃、彼女は足を使ってほとんどの基地をまわって探していたっていうもんな。その中でも演習飛行を一目みたらすぐわかるんだってさ。どんな目だよ。あの女、昔からなんか変な力見せつけてくれるんだよな」
 彼女のことが好きなくせに。そこはパイロット同士だったせいか、橘大佐も御園准将に妙なライバル心をみせることもある。お互いにコックピットを降りたら、今度は指揮官としての感覚で競っている。
 雅臣はまだそんな先輩ふたりの背中をみてついていくしかできない状態。
「クールな大人が多い雷神だが、一人だけガキんちょもまじっているしな。あいつ、杏奈ちゃんがいる間は大人しくしていたけれど。また最近、ちょっと荒れてきたなあ」
「はあ……」
 ただ単に、杏奈ちゃんがフランスに帰っちゃったからなのではないでしょうか――と、雅臣は言いたくなったが口をつぐむ。
 『杏奈ちゃんが帰っちゃったから、鈴木少佐は寂しいのよ』
 これは、心優が言っていたことだった。まさかと雅臣もその時は笑い飛ばしたが、心優は妙に真剣で、でも雅臣の『まさか』という言葉に反論してくることもなかった。
 ただその目が『わかっていないんだから』という女の子特有の真顔だったのが気になっている。
 時々、かわいい彼女のそんな顔が気になっている。彼女は雅臣が知らない何かを知っていて、でも、夫になろうかという男にも絶対に教えてくれない何かをいつも持っている。
 仕方がないかと雅臣も諦めている部分がある。彼女は秘書官。ミセス准将の業務の進捗や様々な部署事情はたとえ家族にでもいえないものがあって当然と、元秘書官の雅臣も理解している。だから余計なツッコミは皆無。
 でもそこに、どんな事情があって彼女が言葉にしているのか。それは察してあげたいと思っている。
 それが……。なんだか、最近、ちょっと難しいと雅臣は苛む。
 あー、葉月さんという何を考えているかやりだすかわからない上官の秘書官になっちゃったからかなあ? そう結論づけている。
 きっと心優自身も『ミセスはなにを考えているのだろう?』と戸惑いながらも、顔には出さずにそっとミセスのそばにいるに違いない。
 橘大佐と陸部訓練棟を歩いていると、一階の道場から賑やかな訓練の声が聞こえてきた。
「お、護衛部の訓練じゃね?」
 橘大佐が気が付いて、二人一緒に道場の入口で足を止めた。
 いつにないざわめきが道場から聞こえていた。
 幾度も繰り返される金属音が鳴り響いている。
「雅臣、おい……あれ……」
 道場の中を覗いた橘大佐が、瞬時に凍った顔になる。
 何が見えるのかと雅臣も覗いたが、目に飛び込んできた光景に目を瞠る。
 キンキンと鳴り響く金属音は、ロッドとロッドの打ち合い。もの凄い速いテンポ。それだけ激しい打ち合いで対峙している二人。
 そこには黒い戦闘服を着ている金髪の傭兵王子、『シド』。いま小笠原では最強といわれている傭兵王子の対戦相手は、なんと心優!
「うわわ、俺、心優ちゃんが戦闘しているのを見るのは初めてだけれど」
 滅多に護衛部の訓練などお目にかかれないから、心優の本業を目の当たりにした橘大佐は驚愕している。
 だが、現場で本物の戦闘に立ち向かう彼女を見た雅臣でさえ、傭兵王子と彼女の凄まじい気迫に気圧される。
 道場の入口には近くを通って気になったのか、事務官の女性隊員数名に、訓練着を着ている海陸部の男性隊員も足止めされているかの如く、護衛部の訓練を覗いている。
 すげえ。マジでやってんのかな。
 すごい……。怖いわ。
 既に見学をしている彼等に彼女等は、驚愕の表情に固まったまま。そして目も見開いたまま――。
 それは同じく訓練をしているはずの護衛部の隊員達も、凄まじい二人の本気に集中力を削がれたのか、対戦式組み手の手合わせを相手と共に手を緩めて若い二人の対戦に見入っている始末。
 手加減なし、金髪のシドが大振りで真上からロッドを振り落とす。その素早さと力強さ。それが彼より小柄で華奢な心優の真上に落とされようとしている。
 あっ! 誰もがそこで目を伏せた。橘大佐までもが『あいつ、本気か』と舌打ちをして止めに入ろうと道場に一歩踏み込んだ。
「待ってください。むこうの訓練ですから」
 雅臣は橘大佐が入らないよう、入口に立ちはだかってしまった。
 その瞬間『おお!』とどよめく歓声。雅臣も再度確かめると、振り落とされたロッドが宙に飛ばされているところ。道場の天井高く、金髪王子が持っていたロッドが跳ねとばされている。その真下には、長い片足ですっと蹴り上げた心優の姿がある。
見たか。いまの。あのスピードを見極めていないと、蹴りひとつで阻止なんてできねえよ!
すげえ、園田中尉。さすが、ミセス准将の護衛官!
園田中尉、素敵!
 ギャラリーの隊員達が湧く。
「まじかよ。あれを蹴りで阻止できるのかよ。あれけっこうな動体視力の持ち主だぞ。心優ちゃんがパイロットテストをパスしたの納得だ」
 さすがの橘大佐も『すげえ』と感嘆の表情。
「にしても、雅臣。やっぱおまえ、心優ちゃんの旦那になる男だなあ。訓練だからって落ち着いていられるだなんて」
「いえ、ほら。二人の間に、護衛部部長の中佐がついているでしょう。彼が止めなければ大丈夫と思っただけですよ」
 なんて、嘘。本当は雅臣もヒヤッとして目を閉じてしまったくち。だがここで慌てて止めにはいるような夫になんてなりたくない。そんなことをしたら、心優に『わたしの実力を信じていないの』とかわいい顔で怒られてしまうだろう。
「まて! フランク大尉、園田中尉、熱くなるな。まて!」
 その護衛部の長である中佐の声が道場に響いた。
「二人とも、そこまでだ!」
 心優がロッドを飛ばした時点で、勝負あり。つまり傭兵王子の負けということ。だがそんなこと、あの負けず嫌いのトラ猫王子が納得するはずがない。
「まちなさい、やめなさい!」
 ロッドが飛ばされても、金髪の傭兵王子は果敢に心優へと襲いかかっている。審判をしていた護衛部部長の命令も聞く耳持たず。
 それには雅臣も息が止まる。空母艦で、彼女が本物の侵入傭兵に襲われた時のことを、思い出してしまったから! あの時と同じ、男の闘志が、それより細い彼女の身体に浴びせられるあの恐ろしい光景が目の前で!
やだ。フランク大尉ったら本気よ。
そりゃ、悔しいだろ。フロリダの特殊訓練校でエリートクラスの腕前なんだから。
それだけ、園田中尉が凄いって事だろ。
 そうして彼等が最後に口を揃えた。『空母艦で傭兵を制圧したって噂。きっと本当だ』と。
「園田もやめろ!」
 また道場から護衛部部長中佐の怒声が響いた。
「雅臣。心優ちゃんって……マジ、すげえな。俺、鳥肌立ってる」
 ついに橘大佐も茫然として見入っている。
 そこには、ロッドを床に放った心優がいた。ロッドを無くして素手で攻撃を繰り出してくる傭兵王子の攻め手を、彼女も素手で綺麗に受け弾き飛ばしている。
 ハッ、ヤア! 
 彼女の澄んだ気合いが道場に響く。その姿は本当に『空手を極めた達人』の姿だった。
 しかも、最後に彼女がフランク大尉の懐に入ってしまい、最後は兄直伝の柔道技で浮き落とし。ついにフランク大尉を床に沈めてしまった。
 道場だけではなく、いつのまにか集まっていた廊下のギャラリーもわっと湧いた。
「うおお、すげえ! さすが、心優ちゃん!」
 メダル候補だっただけあると、さすがの橘大佐も拍手喝采だった。
 勝負あり。だが、護衛部長がそこで吼えた。
「両成敗、ノーカウント!」
 床から起きあがったフランク大尉の不機嫌そうな顔。そして心優は自分が熱くなっていたことに我に返ったのか、申し訳なさそうに俯いている。
「二人とも、そこに正座だ」
 護衛部中佐の表情が強ばっている。
 心優も訓練のルールに従わずに、最後まで勝負を押し通した間違いをわかってか神妙に床に正座をした。
 だがフランク大尉はふてぶてしく、ただ膝を折り曲げて抱えるという座り方。
「大尉、正座だと言っているだろう」
「フランス人だから、わかりません」
 国籍はアメリカ人になっているはずなのに、出生はフランスということは誰もが密かに知っていることを、彼がここで不機嫌そうに口にした。
 その態度にも、護衛部中佐はイラッとした様子を見せたが、そこは上官。顔を真っ赤にする前にご自分の呼吸を整え、落ち着いてトラ猫王子に向かおうとしている。
「そうか。では、『お隣の、日本人のお姉さんと同じ座り方をしてくれるかな』、アメリカのお坊ちゃん」
 さらに、なにもかもお見通しの中佐が付け加える。
「なんなら。優しい日本のお姉さんに、手取り足取り正座を指導してもらうかね。園田、教えてやれ」
 心優が『え?』と戸惑った顔になる。
 だが雅臣は護衛部部長のやり口に、大佐として唸ってしまう。
 うまいな。トラ猫王子のなにが弱いって。対等で組み手をするほどの技と実力と度胸をもっている『日本のお姉さん』のことは認めざる得ないし、認めている。そんな彼女より勇ましい男でありたい。なのに『日本のお姉さんに教えてもらいな』と子供扱いをされた。そのうえ、そのお姉さんの手を借りて面倒を見てもらえとまでやられている。
「あの部長。シドが心優ちゃんをものすごい意識しているって掴んでいるな」
 橘大佐も、あのフロリダ大将養子のお坊ちゃんの何が弱いかを上手く使う上官の腕前に唸っていた。
 それが効いたのか、シドがようやっと悔しそうに正座をした。
「訓練が終わるまでそのままだ。本日は組み手は禁止。ここではあくまで、身体を温存し、いつでも上官のために動けるように訓練するための時間と場所だ。実力を見せつける場所ではない」
 そこで二人が正座で手をついて、申し訳ありませんでしたと揃って頭を下げた。
 ここらにある空気を、手合わせをしていた二人が一気にかっさらっていたのに、二人揃ってお仕置きをされ正座にて静かになると、その空気も霧散する。
 すごかったー。みごたえあったな。
 ギャラリーだった隊員達も散っていった。人が多かったためか、そこに園田中尉の婚約者である雅臣がいたことに気が付いた者は少ない。
「いきましょう、橘大佐」
「お、おう。そうだな」
 妻になる彼女が活躍していたり、またはちょっと熱くなってトラ猫王子と羽目を外してしまった場面に出くわしても、まったく動じていない雅臣が橘大佐には意外だったようだ。
 だがそこで橘大佐がひとこと。
「雅臣。シドには気をつけておけよ。いまのところ、いい男の顔でおりこうさんにして心優ちゃんの弟分みたいにしているが、これから先わからないからな」
 言われたくないことを、考えたくないことを言われた。
「わかっています」
 感情を宿さない声に努め、雅臣は淡々と返答する。
 でもきっと。心優が訓練で必要としているのは、対等になれる腕前を持っているフランク大尉、トラ猫王子しかいないだろう。
 それを彼女から奪おうとは思っていない。でも、心優はほんの少し、彼のために心に隙をつくって受け入れているのも本当のこと。そこは案じているが、いまは考えないようにしている。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 空部隊本部指揮官班 雷神室という、雷神指揮官専用の事務所をミセス准将が作ってくれ、雅臣はいまそこで元々の上司で隊長だった橘大佐と一緒にいる。
 大佐二人の部屋で、当然、先輩の橘大佐が室長を任命され、雅臣の他は、サポートをしてくれる男性事務官が二人いる。彼等に事務業務を任せ、雅臣は始終甲板にいるか、データー室で映像を眺めてパイロットと個別に面談をしたり指導をしたり、自分もデーターを眺めて対策を考えたりしている。
 とにかく、願っていた『空と飛行機一色』の日々を送っていた。
 今日もデーター室で演習訓練の映像を眺め、一戦一戦のドッグファイトを分析中。
 男ばかりの匂いがこもっているデーター室。なのに、ふわっと花の匂いが鼻をかすめる。
「お疲れ様、大佐」
 訓練映像を閲覧できるパソコンデスクの並び、雅臣の席の隣に、栗毛の女性が座った。
「お疲れ様です、准将」
 制服姿だとしっとりと落ち着いた優雅な女性の佇まい、そんな雅臣の上官が現れた。
「今日の甲板訓練のデーターがあがったと聞いたから、今日は直接こちらに確かめに来てみたの」
「いまからデーターを確認してお届けしようとしていたところです。お待たせしてしまいましたか」
「ううん。そういうことではないのよ」
 彼女が笑む。だが、その笑みは微々たるもの。それでも毎日一緒にいると、それだけでも彼女が心を和らげて微笑んでくれているのだとわかるようになる。
 そして雅臣は、ミセス准将が現れたならば彼女もいるはずと、ふいにミセスが来たデーターファイルの通路へと振り返ったのだが。
「心優は連れてきていないの。テッドと一緒に会議に行かせたわ。それも側近として上層部がどう動こうとしているか予測を立てる経験だと思ってね。いま、私一人よ」
「お一人でよろしいのですか。常に護衛官か側近をお供に付けるべきです。たとえ、ここが隣の部屋でもです」
「もちろんよ。その方が私が安心できるということは、雅臣ももう良くわかっているでしょう。最近は心優がそばにいないと落ち着かないのは私の方よ」
 航海任務から帰還後、ミセス准将は勲章を授与したほどの女性護衛官を常にそばに置くようになり、基地でもその姿が常となり、ミセス准将には園田中尉とまで言われるようになっていた。
「今日は、雅臣と二人で話したいことがあって、それで心優を外したの」
 そばに置いている心優をどこかへと行かせてまで、俺と話したいこととは? 雅臣は緊張する。
 花の匂いを漂わせるこの人は、憧れでもあって、そしてどこか緊張してしまう上官でもあった。常に構えてなくてはならなくて、でも、彼女と仕事ができる充足感を味わうととてつもない喜びを感じる。
 その彼女が二人きりで話したいと、雅臣のところにすっと一人で訪ねてきただけで、なにを言われるのか、彼女がなにをやろうとしているのかと、心臓の鼓動が早まって落ち着かなくなる。
「護衛部の部長から、私宛に問い合わせがあってね」
 ミセス准将は、データー変換を担当している隊員がいるデスク群へとちらりと目線を向けて気にしている。彼等になにを話しているか悟られないためか、彼女も訓練映像を閲覧できる状態にしようとマウスを握って動画を立ち上げ、閲覧しているふりをしている。だから雅臣も同じようにマウスを握って見ているふりをする。
「本人に直接聞くことはセクハラになるような気もするし、かといって、雅臣に聞くのも中佐の自分では憚るので、どうしたものかと、私に連絡してきたの」
「もしかして。心優がフランク大尉との手合わせで、やりすぎることですか」
「まあ、それもあるわね。シドにはシドの訓練する時間と場所があるのに、どうしても園田中尉という空手家とも手合わせをしたいとしつこく希望したらしいの。でも、確かに心優の空手と柔道の実力はこの基地ではトップクラスだもの。シドではなくても『指導してほしい、手合わせをして欲しい』と希望する陸部隊員が増えているそうなのよ。そこは護衛部部長に許可を一任して、護衛部ではない隊員も訓練に参加できるようにしてもらうことにしたの」
 それは自分も聞いていますと、雅臣は返答する。
「だけれど。心優も結局はシドをとても意識しているのでしょうね。他の隊員との手合わせはとても冷静に的確にやりすぎないよう上手く訓練ができるのに、一度、首に痣ができるほどにやりこめられた男には二度とやられたくないと言う恐怖と負けん気で、心優もやりすぎてしまうということになるようね」
 それが先ほど目撃してしまったルールと判定を無視した手合わせだったのかと、雅臣も振り返る。
「偶然ですが、午前中に訓練棟に差し掛かった際に見てしまいました。あんなに熱くなる心優は珍しいかもしれません」
「問題はね。シドとやりすぎることではないのよ。護衛部長が心配してるのはね……」
 そこでミセス准将が珍しく、あたりをきょろきょろして落ち着きをなくした。そして雅臣の膝のそばまで、彼女も静かに膝を近づけてくる。彼女の匂いが濃くまとわりつく。そうして雅臣へとそっと顔も近づけてくる。もう、すごい女の匂いでくらくらしそうで、こういう女性に慣れていないからこそ雅臣は彼女がある意味苦手でいまでも緊張してばかり。
 その彼女がちょっと困った顔で、雅臣に聞いたこと――。
「赤ちゃん、どうしようと思っているの?」
「は?」
 雅臣は目を丸くする。決して、ここでは聞かない言葉を聞かされたという驚き。
 ミセス准将もなんでこんなことを聞かなくてはいけないのかと、ちょっと気恥ずかしそうに頬を染めて、再度雅臣に問う。
「だから。万が一、心優のお腹に赤ちゃんでもいたら、あんな訓練はさせられないって護衛部の中佐が悩んでいるの。結婚前のあなた達だけれど、婚約したのだからその気になればできないこともないでしょう」
 やっと! なにが問題視されて、護衛部からミセス准将経由で雅臣へと届いたのか理解した。
「あの、そういうのって女性同士で確認できるものなのではないのですか。そのための、女性護衛官だと思っておりましたのに」
 すると、またミセス准将が困った顔で首を傾げた。しかもうーんと唸っている。
「そうなのよね。心優に聞こう聞こうと思っていたのに、聞けなかったの。雅臣の方が聞きやすいっておかしいわよね、と言いたいけれど、心優にそれを聞いて『どうしてそんなことを聞かれるのですか』と問い返されて、では、護衛部の部長が気にしていたのよ――なんて言える? 心優が気にしてしまうし、それを気にした護衛部部長との間で異性としても上官下官としてもぎくしゃくしちゃうじゃない。それなら秘密裏に旦那さんの方に確認しようってなるじゃない」
 確かに。心優には何事もなかったようにした方が『護衛部』としても良さそうだと、雅臣も同感だった。
「その質問に対してきちんとした返答をするならば、『ご安心ください。いまは子供を迎えることは考えておらず、彼女も了承済み』です」
 つまり、きちんと避妊していますよ。子供はまだ作る気はありませんとはっきりとした返答だった。するとミセス准将もほっとした顔になる。
「そう、良かった。ではこっそりと護衛部部長に報告してもいいかしら。ごめんなさいね。プライベートのことをこんな水面下で問いただしたり、婚約者同士だけの事情を上官に伝えたりなんて……」
「いいえ。心優の身体を女性として労ってくださっているのですから、お気になさらず」
 するとミセス准将がちょっと哀しそうな眼差しになり、溜め息をついた。
「そういうことも配慮せず、仕事も恋も思う存分気ままにしたあげく。私は、澤村の子を流してしまったことがあるの……。だから、急に心配になってしまって」
 雅臣もミセスのその過去は既に知っていて、でも彼女の口から初めて聞かされたのでどう反応して良いかわからなくなってしまった。
 それでも、その当時のミセスと心優は同じ年頃。同性としてどうにも当時の自分を思いだしてしまうのかもしれない。だからこそ、案じてくれているのだろう。
「葉月さん。ありがとうございます。俺もですけど、心優も、暮れの空母搭乗を考慮して、結婚式は来年です。それは子供もおなじです。それからだと二人で決めています。だから、そんなことにはならないはずです。そこは護衛部長にもはっきりと伝えて頂いて結構です」
「そう。わかったわ。伝えることを許可してくれて、ありがとう。雅臣。心優に内緒ってところが心苦しいわね」
「大丈夫ですよ。心優がこのことを知ってしまったとしても、ミセスと護衛部長の気遣いは通じると思います」
「そうよね。ああ、お邪魔してしまったわね。やっぱり、データーがあがったら准将室に持ってきて」
「了解です」
 ミセス准将は安心できると、たまにはデーター室で見てみようということでここに来たはずなのに、最初の言葉など忘れたかのようにして、さっと一人で戻っていった。
 雅臣は溜め息をつく。
 そうか。女性が結婚すると、子供ができるできないで仕事の面でもいろいろと気遣われたりするようになってしまうのか、と。
 心優とは次の空母任務を終えて、結婚式を済ませてから、子供のことを考えようと約束している。
 雅臣よりも、心優が『いまの仕事を頑張りたい』とはりきっている。
 雅臣はもう四十が見えてきたが、心優は三十路を越えたところ。まだまだ若い。悠長に構えているつもりもないが、ここ一年で急ぐことでもない。
 それにいまやっと二人きりの生活が落ち着いてきたところでもあって、雅臣も女の子と二人の生活を楽しんでいたいという心境だった。
 毎日、同じ家に帰ってきて、毎晩、同じベッドで寝起きをして。熱くなって愛しあう夜の甘さも、朝目覚めた時に見られるかわいい彼女の寝顔とか、温かい素肌が寄り添っている幸せをもう少し噛みしめていたい。
「子供かあ。そりゃ、ほしいけれどなー」
 俺にそっくりな男の子と、心優みたいにかわいい女の子と、もうひとり男の子――とか。
 男の子ふたりのどちらかがパイロットとメダリストの格闘家になって、女の子は秘書官かな。なんて、考えているだけでニマニマしてしまい困る。
 ちっちゃな心優なんてかわいいだろうなあ。
 その子が道場着を着て、空手をやってもかわいいだろうなあ。
 いけない。ミセスに訓練データーをもっていかなければならなかった。
 すぐににやけた頬をひきしめ、シビアな大佐殿に戻ろうとする。気を引き締めた途端、手元においてあったスマートフォンが震えた。
 見ると、メッセージアプリに心優からのメッセージ。
【臣さん、お疲れ様。今夜は、ダイナーで食事をして帰りたいのですが、いいですか。鈴木少佐と一緒です。気になる女の子のことで相談してほしいとのことでした。鈴木少佐が誘ったとのことで、もしかするとシドも一緒かもしれません】
 時々あることだったが、雅臣は少しばかり顔をしかめながら、メッセージを返信する。
【わかったよ。それなら俺も適当に食べて帰るな】
 時々、心優からよくある連絡だった。
 心優と英太とシド。この三人は歳も近いし御園ファミリーの若手で、同じ空母艦に乗った仲間。その三人が『ダイナー仲間』ということを知っていた。
 若い三人が空母任務の同志となって、アメリカキャンプのダイナーで一緒に食事をするのはよくあること。
 それぐらいなら、雅臣も許している。シドと二人になるのは少し気になるが、間に英太がいるなら大丈夫だろうとも思っていたからだった。
 だが、そこで英太がいない場合は、シドと二人……。
「だめだ、もうやめよう」
 そんなことを考えるのは。そもそも、心優はそんな状況になるようなへまはしないだろうし、なったとしても切り抜けるはず。俺のところに必ず帰ってくる。そう信じることにする。
 なのに、どうもため息がでる。
 心優という女の子に出会ってから、雅臣は始終溜め息をついている。空を飛ぶことか、秘書室で仕事のことばかり考えていたのに、二年前に彼女と出会ってからこの有様。いつのまにか溜め息をついていると、心優のことを考えていることが多い。
 大人の臣さんだから――。わたし、沢山のことを経験してきた臣さんと違って、知らないことばっかりだから。なんて顔をされると『大人のお兄さん』の顔をせざる得なくなってしまうし、彼女のかわいい顔に負けて、そうありたいと大人であろうとする。
 そうして彼女を支えてやると、彼女がそれだけで凛として階段を駆け上って力を発揮して、きらきらとした目を見せる。
 そんな時の心優は、あの人に似ている。空を飛ぶ戦闘機を見守るミセスが、パイロット達が成し遂げた時にふと見せるガラス玉の瞳の輝きに。女性達のそんな魅惑的な眼差しを、心優は持っている。
「手が止まっているな。大佐」
 訓練映像が流れるだけ流れて、マウスが止まっている上に、溜め息の連続。それを、ここデーター室室長のミラー大佐に見られていた。

◆ 2話も同時更新済み、次話へどうぞ! ◆

 

 

 

 

Update/2015.11.23
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