◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX1. お待ちください、ベイビーちゃん(11)

 

 ――出航いたします。
 ベテランの中年船舶隊員がミセスへと敬礼をする。
 ガラス張りの船室。壁際にベンチ式の座席。向かい側にミセスと心優が座る形で、雅臣は彼女達と向きあっていた。
 だが無言が続く。出航した船は、今日も煌めく珊瑚礁の海を颯爽と波間をゆく。空には潮の風。爽やかな夏の空。船室にも青が溢れている。コックピットのそれとは違う、穏やかなもの。
 なんで彼女達と俺の三人だけにされたのだろう。雅臣はそれだけが気になっている。
 なのに。あのミセス准将が、たおやかな微笑みでじっと雅臣を見つめてる。空と海の青が広がる中、彼女の栗毛と琥珀の目も際だってキラキラしている。
「雅臣」
「はい」
「負けたわ」
 彼女がにっこりと……。みせたことのない、無邪気ともいいたくなる笑みを見せてくれる。
 心優も隣でびっくりしたのか固まっていた。
「いえ、あの准将……」
 いきなり敗北宣言されても、まだ勝負はついていないと言うのに?
「雷神を頼むわね。安心して空母を下りることができそうね」
「待ってください! エースコンバットはまだ始まったばかりですよ」
「コンバットは勝負がつくまで付き合います。でも、今日、ほんとうに心から思ったの。雷神はもう手放してもいいって……」
 そして雅臣はまた驚かされてしまう。彼女の夫がそうしてくれたように、彼女も雅臣の目の前で急に涙を流し始めたから。
「こうして、また。一緒に連絡船に乗れるようになって嬉しかった」
 雅臣は言葉を失う。そうだった。ずっと前、彼女とこうして連絡船に乗っていた。事故にあった後は、パイロットとしてではなく新人指揮官として。でもその彼女のそばで自分は吐いたり、めまいを起こしたりして空母艦に乗り移ることができず、何度も陸の基地に一人で戻って医務室で落ち着くまでうずくまっている日々が続いた。しばらくして彼女に言い渡された。『横須賀に帰りなさい』と。空の仕事から切られた。
 後のことは考えたくない。この人に絶対に言ってはいけないことを言い放った。あの時、あのラングラー中佐にも厳しく注意をされた。本当なら顔向けができない。できないのに、この人達から許してくれた顔で雅臣が勤めていた秘書室に訪ねてくる。そりゃ、目も合わせられないし、笑顔なんか浮かべる資格だってなかったと自責しつづけた。
「吐いてから横須賀に帰った俺は、酷かったですね。顔向け、できなかったです」
「顔向けできないことなら、私もたくさんやったわよ」
「なぎの大将に聞きました。ほんとうは苦渋の決断で俺を横須賀に帰してくれたのだと」
 ミセス准将が黙ってしまう。そうして、ちょっと気恥ずかしそうに頬を染めていた。しかも『もう、なぎのおじ様ったら』と小さく呟いている。
 でも彼女がまた涙目のまま、雅臣を嬉しそうに見てくれている。
「あなたが戻ってきてくれて、ほんとうに嬉しかった。それに……もう少し先かな、と思っていたんだけれど。やっぱり本物のエースにあっというまに『私のティンク』がやられちゃったみたいで、意外すぎて悔しかったのも本当。だって、化け物データーでも、あれは男みたいに飛べる私だったはずなんだもの」
 コードミセスなんて『嘘のデーター』。あんなものに勝って喜んでいるだなんて、勝った負けたを気にする方が気にするだけのこと――と、この人は言いきっていた。
 でも。本当は『手を加えた虚偽のデーターでも、あれは男同等に飛べる私。ほら、誰も勝てないんでしょう』という喜びも密かに彼女は隠し持っていた。ただそれで胸を張ることができない。虚偽だから……。だから、彼女はミセス准将として正当の判断でそれをつっぱねる姿を見せるしかなかったのだ。
 心の奥では『誰も勝てないでしょう』と誇りに思っていたデーターにさえ、雅臣はエースとして勝った。
「指揮官として彼等を危ない飛行から守ってやらなくてはならない。しかし、勝負だから彼等同様に雅臣は一線を越える覚悟をしていた。私もよ……。でも、まだ雷神を持ったばかりの貴方にはそれはできない。私が先にその覚悟を見せて驚かそうと思っていたのに……」
 それすらも、雅臣は即決をし、英太と共に『ギリギリに挑んででも栄光を掴む』覚悟を決めていた。考えていること、すべてミセス准将と同じというわけだった。
 どうしてレモネードを買いに行かされたのか、やっと雅臣は意味を知る。ミセス准将として言葉にしたくないことを、これから後継する男にその本心を告げておきたいから、『二人きり』になりたかったのだと。心優は雅臣の妻になる女性であって、彼女のいちばん側にいる護衛官。間にいてそれを見届けてほしかったのかもしれない。
「やっぱり、本物のエースには敵わない。初めてそう思ったのよ。だから、負けよ。ソニックに負けたんだから、ぜんぜん悔しくない。むしろ、すっきりよ」
「准将……」
 雅臣はもうなにも言えなかった。そして雅臣の胸にも、いままでのなにもかもが迫ってきてこみ上げてくる。
 なのに、もうぐずぐず泣いているのは、准将の隣にいる心優だった。彼女に先に泣かれてしまい、雅臣は涙が止まってしまう。心優もきっと『やっと臣さんが取り戻したかったものを、すべて取り戻せた』と感じてくれたのだろう。
「任せてください。パイロットとして葉月さんの役には立てないまま去りましたが、これからは指揮官として雷神を継がせて頂きます。あの時できなかったことをさせていただきます」
「うん、お願いね」
 空母の指揮官としても、雷神の隊長としても。雅臣は近い将来、ミセス准将の全てを引き継ぐことになりそうだった。
 だが思った。『あれ? 御園大佐を後継と考えているのではなかったのかな』――と。もう諦めてしまったのだろうか?
「はあ、でもチョコレート屋さんになれるのはまだまだってところね」
 ん? チョコレート屋さん?? 雅臣は心優と一緒にきょとんとした。
 レモネードをおいしそうに飲み干す葉月さんをじっと見つめていると、彼女もやっとハッとした。
「あ、いま……。私、なにか言ったかしら……」
 あのミセス准将が頬を真っ赤にして焦った顔になっている。
「チョコレート屋さんとおっしゃっていましたが」
「え、言っていないって」
「チョコレート屋さんはまだまだ遠いと聞こえましたが」
「次にチョコレート屋さんに行けるのはいつかしら……と」
「いいえ。なれるのは――とおっしゃっていましたよ」
 雅臣のしつこい追及に、あの葉月さんが『うわん、やっちゃった』と顔を覆ってしまった。
「……その、隼人さんには内緒にしておいて。近いうちに心優にだけは教えておこうと思っていたんだけど」
「あの、どういうことなのですか。それ」
「そうですよ、准将。わたしにそろそろ教えておくって、隼人さんも知らないことってなんですか」
「あー、雷神を任せられて安心して嬉しくて、つい言っちゃったのよ……。あー、失敗した」
 そんなミセス准将ほどの方が、うっかり部下を目の前に旦那さんも知らないような思惑をぽろっとこぼしちゃうってなんなんですか! また言えない秘密を押しつけられた気分で、雅臣は心優と一緒に真っ青。
 どうも葉月さんは、雷神を手放したら『こうしよう』ということを既に考え中のようだった。
 なんだかまた振りまわされる予感――。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 浜松の実家に電話をする。

母さん、俺。雅臣。来月の長期休暇が決まったから知らせておく。
うん、そう。その時に『彼女』と行くからよろしくな。

 ついに『帰省』の日程が決まった。改めて思うと、心優と同じ静岡出身同士。まずは雅臣の実家へ行き、その後心優の実家がある沼津に寄り、そのまま伊豆へと彼女と温泉旅行をすることになった。
 心優はいまから『おでかけの荷物』を考えるのに、とても嬉しそうにしている。
 だが、雅臣はちょっと頭が痛い。
 母の言葉が蘇る。
『雅臣、あんたさあ、母さんのこととかちゃんと彼女に話しているんだろうねえ?』
 母がちょっと困ったように呟く。
 大丈夫。心優はその名の通り、心優しい子なんです。……そりゃ、母親のことを聞かれて言葉を濁してきたのは確かだった。
 でも信じている! 雅臣の実家の実態を知っても、きっときっときっと……。
 いや、それで過去のカノジョにふられたことは、確かにある、あるけれど。
『臣さん、わたしのこと、ちゃんとお母様にお話ししてくれているの? わたし、ぜんぜん女らしくないボサ子と言われていた女で、空手ばっかりしてきた女だってこと』
 心優もそこは不安に思っているようだったが、これも同じく。『うちの母親はそんなこと気にしない』と自信を持って言える。
 おそらく、母はきっと心優を気に入ってくれるとこっちは信じられる。心優だって、雅臣の家族を見て、きっと受け入れてくれると、もちろん、もちろん、信じている!

 

なのに。なんだ、この不安は!
どうせ、俺は猿だよ。女心をうまくリードできない猿だよ!

 

『もしかすると、マサ君の実家……ついていけないかも』

 

 過去に言われたことが蘇るし、母にそのことは言わずとも、母も『実家(うち)に連れてきたから別れたのか?』と気にしていたことがある。
 実家じゃない。いや実家もひっくるめて、『雅臣のルーツにバックグラウンドも含めた、プライベートは三枚目の猿生活』があの手の女の子には受け入れられないものだったのかもしれない。

 そうだなあ、塚田の実家は品がよいもんな――。雅臣も納得済み。

 塚田は、眼鏡の優等生。冷たい横顔を保っているきつい男と見せておいて、本当は男らしい心根優しさを備えている。どちらかというと塚田は日本男子標準体型で、軍隊の中では小柄に見える方。でもいるのだ。背丈なんかない男でも、男らしいエリートの色気を放つ男が。それがまさに塚田!
 雅臣ときっぱり別れた後に、カノジョがそれに気がついて惹かれたのだってしかたがないと思っている。

 

『マサ君、ごめんね。そんなつもりじゃなかったの……。マサ君の部下だから、マサ君を心配して私に近づいてきただけだってわかっていたんだけれど。彼のそういうところにいつのまにか……』
『気にするなよ。塚田なら俺も安心だよ。もう塚田だけ信じろよ』

 

 井上なんかに騙されるなと言いたかったが、カノジョがいちばん傷ついていた出来事でもあったのでそこは言えなかった。
 事務官を辞めるの。マサ君の邪魔にならないように、彼を支えるから安心して。
 それもカノジョのケジメだったのか。元カレと夫が上司と部下という関係。そこで同じ職場で部署は違えど、事務官だったカノジョがうろうろしていれば迷惑だと思ったのだろう。
 実際に、塚田がカノジョと結婚すると知れ渡った時、カノジョも覚悟はしていたようだが『上司と部下を手玉にとった』と後ろ指をさされていた。そこへあの井上が意地悪い仕返しも陰でしていた違いない。カノジョはそれも傷ついていただろうし、雅臣にも塚田にも迷惑をかけたらいけないと思っていたのだろう。
『雅臣〜。あんた、塚田君にカノジョをとられちゃったんだね』
『とられてないつうーの。俺と別れた後! だいぶ経ってから、塚田と出会ったんだよ』
『だっておなじ秘書室なんだよね? あんたが秘書室長になってから、塚田君ずっと補佐をしてくれていたでしょう。塚田君のことも意識していたってことだったんじゃないのー』
『うるさいな。ほうっておいてくれよ。結婚なんてみじんも望んでいないからな』
 母が溜め息をつく。
『……そんなこと心配していない。塚田君との信頼関係を心配していたんだよ。だって、あんた……』
 信じている男に裏切られた過去を持っている。そのせいで、生き甲斐だったコックピットを追われた。
 母はそう言いたかったようだが、さすがに言葉を濁していた。そして雅臣もなにを言おうとしていたかわかっていた。
 結婚よりも、そばにいる男を信じることができているのかい?
 そんな母の心配。思えば、『秘書室』という部署にいたからこそ、男同士の信頼を生身で築くことができたのではないかとも振り返っている。
 空のコックピットで繋いできた絆とは違う。毎日、目の前で彼等の表情を見て、言葉を交わして、ボスを守っていくチームを作り上げる。
 それが秘書室で学んだことだった。そして、そこで雅臣は『にっこり笑って、腹で本音を隠す』ということを覚えてしまっていた。
 空で真っ直ぐなだけでやっていけた男ではなくなった。
 でもそれがこれからの俺を助けてくれることになりそうだと思っている。

 その姿で守っていくべきものを守る。それを教えてくれたのも、雅臣が尊敬する元パイロット。ミセス准将だった。
 彼女も微笑みはしないが、その平坦なアイスドールの表情を固めているその腹の中に、本音を隠すことで戦略を紡いでいる。
 彼女から離れ、『管理する仕事』、陸勤務を徹底的にしたことは無駄でなかったと近頃は思い知らされている。
 だからこその『副艦長』の使命を与えられようとしていた。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

「ねえ、臣さん。浜松へのお土産なんだけれど、横浜でチョコレートを買っていってもいい?」
 真夏。八月に入り、日本人隊員達が落ち着きをなくす。盆休暇がそろそろやってくるからだった。
 心優も盆を含めた長期休暇を目の前にして、それぞれのお里帰りの支度に余念がない。
「またチョコレート。うちの母親も姉貴もなんだって喜んで食べるからいいんじゃないか」
「ほんとうに? 臣さん、適当に言っていない? 男の人ってそういうところ全然気がついていないことが多いんだもの。なんだって大丈夫でほんとに平気?」
「平気だって。ほんとに、こだわりなんてないって。それにそのチョコレートとかいうの。葉月さんが大好物のチョコレート屋のヤツだろ」
「うん、そう! わたし、全然興味がなかったんだけれど、葉月さん、ほんとうにいろいろなチョコレートショップをご存じなの。それで、いまお気に入りのお店のものをご馳走になったら、ほんとうにおいしかったんだもの!」
「興味がなかった心優が喜ぶぐらいなら、うちの母親も姉貴も気に入るって。あの人達も、なんていうか……」
 言いそうになって、また雅臣は言葉を濁してしまう。
 すると、心優がじいっと雅臣を真顔で見ている。
「臣さん。ほんとうに、大丈夫だよね。わたしが行っても。お土産も」
「大丈夫だって。マジで」
「ねえ、臣さん。なんか言っていないことない?」
 雅臣はドッキーンと痛んだ胸を密かに押さえる。
「全然、実家のこと話してくれないよね」
「それはだな。そう……、その、嫌な思い出が」
 嫌な思い出? 今度は心優がハッとした顔になり黙り込んでしまった。
「ご、ごめんね。そうだよね。ご挨拶すればなんてことないよね」
「あ、心優。嫌な思い出というのは――」
 事故のことではなくて、元カノのことで――と正直に言おうとしたが、心優には『事故を思い出させたくない』という結論になったようで『もういいの!』と笑顔を繕って、ベッドルームに消えてしまった。
「はあ……。言いそびれた。まあ、会えば知らざる得ないだろうしな」
 あの母……のこと。元カノが倦厭してしまう、そういうものを持っている母。
 なのにあのミセス准将は。
『雅臣、お母様によろしくお伝えしてね。本当にしばらくぶりになってしまって、私、ご挨拶まだなの。貴方と一緒にまたお仕事をしていること安心して頂こうと常々思っていたんだけれど』
 ミセス准将は、事故で入院した病院で母と対面をしていた。あの時は母もミセス准将も気が狂わんばかりに取り乱していて、お互いそれどころではなかったのだろうけれど。
 後になって、それぞれが。『あんたの上官ってあんな綺麗な女性だったんだ、びっくりだよ。あれで元パイロット、嘘だー! もっとちゃんとした母親の姿をしておけば良かった、ごめんよ』と母。そしてミセス准将は『なんとなく……。雅臣がどうしてエース級パイロットの素質を備えていたのか、わかった気がするの。いいわね、私もお母様と同じ気質を持っていると思うから、なんとなくお話しが合ってびっくりしたわ』と――。
 そう。母とミセス准将は気質が似ているといえば、似ていると雅臣も思う。だからきっと心優とも合うと思うんだ。雅臣は案じていない。
 いまだからこそ、笑ってしまう。母親とミセス准将が病室で対面した時の、互いが『え』と固まったあの顔と顔。
『あの、城戸君のお母様ですか……』
 あのミセス准将が、病室で雅臣につきっきりで看病している母を一目見て、非常事態とはいえそこはさすがに目を丸くしていたあの顔。そして、母も。
『そうですが……。あの、雅臣のパイロットの……隊長さん……ですか』
『はい。雷神の隊長をしております。御園です』
 栗毛の楚々とした制服姿の女性と、そして一風変わった母。その女性同士の対面。
『あの葉月さんの元に戻ったんだって。だったら安心だね。良かったね。あの人のそばでまた仕事ができるだなんて、よろしく伝えてくれよ』
 母はもう雅臣のことは案じていない。
『事故に遭ったあんたを見るなり、あんなにすがって泣いた上司さんだろ。まるであっちの方があんたの母親みたいでびっくりしたけどさ……』
 それだけの気持ちを持っていくれていた人のそばに行くから案じていない。そして。
『その葉月さんの護衛官になった女の子なんだろ。間違いないじゃないか。楽しみだよ! ただね……、うん、普通の格好しておく』
 そんな気後れする母に雅臣はもう言ってある。

「母さん、大丈夫だから。気にしないでいつもどおりの母さんを心優に見せてやってくれよ。心優もきっと気に入ってくれるから。俺、自信ある」

 でも……と、気にする母に雅臣はそうしてくれと頼んでおく。心優には普段の実家そのものを見て欲しいから。

「臣さん、お洋服なんだけれど。やっぱりお嬢様風がいいのかな」
 ベッドルームで着ていく服を考え始めている心優がドアを開けてちょこっと顔を出してきた。
「いや、心優らしいのがいちばんいいと思う。黒でクールに決めたらいいんじゃないか。そうすると心優は大人っぽくなるから俺は好きだな」
「ほんと? じゃあ、そうするね」
 お洒落もだいぶ気にするようになって、近頃は通販でいろいろと揃えているようだった。
 心優がお嬢様風でもクールな大人の女風でも。きっとあの母も気にしない。むしろ、母の方だな。雅臣はその瞬間、心優がどう感じるか。それはちょっと不安に思っている。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 長期休暇まで半月。その頃になって、空部隊に携わる指揮官数名が御園准将室へと招集される。しかも、細川連隊長からの招集にて、集まれとのことだった。
「空母に乗り込む指揮官の内示を連隊長が伝えてくれるということだ。予定どおりの指名になるといいのだがな」
 雷神室の二人も来るようにとラングラー中佐から連絡があり、橘大佐と共に雅臣は御園准将室へと向かっていた。
「なんでしょうね。連隊長と葉月さんとなると、いろいろと一筋縄ではいかないでしょう。なんでもかんでもすんなり行きそうになくて、本当に自分が副艦長という内示をもらえるのかまだ確信がないんですよね」
「俺もだよ〜。出産があって、真凛の産後に付き合いたいから今回は外してくれるって葉月ちゃんも約束してくれたんだけれどなあ。まさか、行ってくれなんて言われないだろうな。今度の出航は十一月の末だろ。完璧に年末年始は海上で、家族で正月を迎えられないってことじゃないか。それ、今回ばっかりは困るなあ。出産後の今回だけは、俺も陸にいたいんだよ。雅臣が副艦長を任せられる後輩で助かったと思っていたのに」
 橘大佐も呼ばれたということは、それもあり得るということだった。
 お互いにもやもやしたまま。『ほんとうにこういうことには、俺達は連隊長とミセスにやきもきさせられてばかり』と橘大佐とぶつぶついいながら、准将室に到着した。
「お待ちしておりました、どうぞこちらへ」
 もう扉を開けて心優が迎えてくれるのもお決まりの光景になった。だが今日の准将室の応接ソファーには、空部隊の大佐達が集まっている。銀髪のミラー大佐に、コリンズ大佐。彼等はミセス准将について『副艦長』として乗船した経歴がある。そして、御園大佐も呼ばれてミラー大佐達とソファーで談笑しているところだった。空部隊の任務の様子は彼にも知らせておかねばならないのだろう。
「橘大佐はエスプレッソでよろしかったですよね。城戸大佐はいかがたしましょう」
 秘書室の『お父さん』福留少佐も接待で准将室にいて、今日はお茶入れを担当しているようだった。彼が淹れるコーヒーは秀逸と有名で、退官を目の前にしてミセス准将が秘書官として引き抜いてしまい、いまは契約隊員として勤続年数を引き延ばしている。
「私も橘大佐と一緒のものでよろしくお願いいたします」
「かしこまりました」
 サロンにあるようなティーワゴンでは、その福留少佐と心優が忙しくお茶の準備をしている。ラングラー中佐は大佐達へ、出来上がったお茶を届けたりしている。
 ミセス准将は相変わらず。男達が和やかに賑やかに会話をしていても、静かに淡々とデスクに向かって万年筆を動かして書類を書き込んでいる姿のまま。
 そのミセス准将へと、雅臣は構わずに歩み寄った。
「お疲れ様です。御園准将」
「お疲れ様、城戸大佐。わざわざご足労だったわね」
 淡々として冷たい顔をしているが、近づいてきた雅臣を邪険にせず、その声は柔らかだった。
「内示を伝えられるとお聞きしておりますが、連隊長室ではないのですね……」
「そうなのよ。あの正義兄様も、意外と我が侭なのよ」
 あの恐ろしい眼光を放ち、口調も厳しい細川連隊長を捕まえて、『我が侭な兄様』と言うから、雅臣はちょっとゾッとしてしまう。
 そのうちに、准将室ドアにノックの音。ラングラー中佐が出迎えると、細川連隊長が側近の水沢中佐を従えてやってきた。
 そこでやっとミセス准将がデスクから立ち上がった。
「お待ちしておりました、連隊長。どうぞ、こちらへ」
 御園准将自ら、連隊長をソファーと案内をする。
「待たせたな。こちらに邪魔することになって悪かった」
 銀縁眼鏡に、切れ長の目。普段は細めて鋭く見える眼差しが、今日は少しだけ緩んでいる。
「連隊長。福留の珈琲がお目当てでしたか」
 御園准将がタイトスカートの制服姿で、ここでは優雅な微笑みを連隊長に見せている。彼もソファーに座ったところだったが、頬を緩めて彼女の微笑みをみあげていた。
 なんだ。いつもは『わがまま嬢ちゃん』とか『いけすかない兄様』とやりあっているのにいい雰囲気にもなれるんだなと、雅臣は意外なものを見た気がしてしまう。
「そうだな。葉月に福留少佐を取られてから、まったくもってあの秀逸な珈琲が気軽に飲めなくなってがっかりだ」
「いつでもこちらにいらしてくださってよろしいのですよ」
 ミセス准将がにっこりと笑う。今の雅臣には、彼女のにっこりを目にすると『腹黒いこと隠してんな』としか見えなくなってしまっていた。
 それは連隊長もきちんと伝わっている。彼も普段みせもしない『にっこり顔』になったではないか。
「それはそれは有り難いな。でもなあ、俺が頻繁に訪ねてくると、葉月はサボタージュができなくて困るだろう」
「一緒におつきあいくだされば、レモネードをご馳走いたしますわよ」
「嬢ちゃんの『お外でお楽しみの』レモネードをご馳走されたとなれば、連隊長を辞退しなくてはならなくなる。つきあえるか」
 にっこりにこにこ合戦をするジャックナイフジュニアの細川連隊長と、アイスドールのミセス准将。普段笑わない二人がにこにこやっているので、逆に周囲の大佐達は硬直し黙りうつむいている。あの御園大佐までもが。
「まあいい。葉月、おまえもそこに座れ」
「かしこまりました」
 途端に、いつもの細くて鋭い眼差しの連隊長殿に戻った。そして御園准将も笑顔を消し、細川連隊長の正面に座る。
 その周辺に、ミラー大佐にコリンズ大佐、橘大佐に御園大佐と空部隊の主立った大佐が座る。雅臣は彼等の端へと席を取った。
「御園准将に連絡するよう伝えていた通り、ただいまから横須賀司令部と検討した上で決定した、防衛航行任務にて空母に乗り込む幹部の内示を伝える」
 彼を正面にし、ミセス准将と大佐一行は静かに固唾を呑む。眼鏡の奥の切れ長の目がさらに細められ、連隊長がその書類を広げ、部下達を見渡した。
「艦長は、御園葉月准将」
 返答はまたず、細川連隊長は淡々と読み上げていく。
「副艦長には、城戸雅臣大佐」
 打診されたまま、雅臣に副艦長の内示が出た。正式任命はまだ先だが、内示が出ればほぼ決定。雅臣は密かに拳を握る。
 今度は副艦長だ。ミセス准将を完璧に支え、空も海も俺が護る。最前線で俺が護る。その気持ちが湧き上がるばかり。
「艦長配下の指令室に配属する秘書官と空部指揮官を伝える」
 指令室に控える秘書官ならば、ラングラー中佐と心優、そしてその頃には怪我も完治するだろうハワード少佐は鉄板メンバー。今回もきっと……。
「艦長室の護衛に園田中尉、指令室の護衛にハワード少佐。今回は指令室秘書官として福留少佐にもついていってもらうと思っている。そしてコナー少佐」
 まさかの福留少佐までの指名に、そこにいた心優とラングラー中佐が驚きでも喜んでいた。お父さんの福留少佐は『まさかこの年齢になって艦長のお供で長期航海に!?』と仰天している。それはサプライズな発表だったが、そこにいた大佐達も拍手をしたぐらいだった。
 だがそこで細川連隊長がふと言葉を止め、なにやら躊躇っている溜め息をついた。いつにない様子に誰もが気付く。
「さて。いままで御園准将には決まった秘書官がついていたわけだが――」
 いままでは、そうだったが――。その前置きに誰もが眉をひそめる。では今までと違うことを告げられるのかと。躊躇っていた細川連隊長も意を決したようにようやっと先を進める。
「これまで御園准将の第一補佐として、または、指令室のまとめ役として、ラングラー中佐を任命していたが――」
 え、ラングラー中佐が外される!? 雅臣はギョッとする。それは周りの先輩大佐も同じく。心優もミセス准将も呆然としていた。
 十何年も彼女のなにもかもを補佐してきたラングラー中佐を外すとなると、その穴埋めは容易なものではないはず! まさか自分が副艦長として着任する艦にそんな穴を開けられては困る! まさか他に誰かフロリダから引っ張ってきたのか?
 心が大騒ぎしているその目の前で、細川連隊長が続きを冷たく言い放つ。
「今回の航行では、御園大佐にその役割を担ってもらうと思う。指令室長として就いてもらいたい」
 え!? 
 そこにいる全員が呆気にととられた顔になる。特にミセス准将と御園大佐が。まさかの夫妻での着任命令に頭が真っ白と言ったところだろうか。
「待ってください!」
「お待ちください、正義兄様!」
 御園大佐とミセス准将は揃って立ち上がり、揃って叫んだ。それにも二人はお互いに驚いたのか顔を見合わせる。そんな夫妻の、ある意味息が合っている反応すらも細川連隊長は銀縁眼鏡の冷めた目つきで静かに見上げている。
「息が合っているな。安心した。その調子で空母を守ってくれ」
「いえ、そうではなくてですね。連隊長! 私と葉月、いえ、御園准将は――」
「兄様、そうではなくて! わたくしと澤村は――」
 そこも二人が揃った抗議を口にして、また二人で驚いた顔を揃えている。
「海東司令から言いだしたことだ。もう澤村をいちいち海上に連れていくのは骨折りで、補給艦から帰らせるのも骨折り。それならいっそのこと艦に乗せてしまえ――とのことだ」
「ですが! 私は工学科の者で、空部隊の者ではありません」
「適任とあれば、どの部署にいようが配置するのが上官の仕事であろう。海東司令の判断を反故にするつもりなのか」
「いいえ、決してそのようなことは……」
「そもそも澤村は、こうして空部隊の業務連絡にも既に首を突っ込んでいるではないか」
 妻の准将が大事な任務に就く時。彼はいつも空部隊の会合にはこうして参加しているのは確かなこと。影で動いていることなど、皆が知るところ。だが、空母艦に指揮官として乗船する任命されるのは、確かにいままでにないことだった。御園大佐が驚くのも無理はないと雅臣も思う。
 だが、これは……。雅臣はふと気がついてしまう。
 もしや。これが『御園大佐を隊長へ担ぎ上げる』とかいう始まりなのか――と。周りの先輩大佐達もいま、何を感じているのか気になる。
「しかし連隊長、それでは息子が一人留守番をすることになります。まだ未成年ですよ」
 御園大佐の案ずるところはまずそこ。おなじくミセス准将も妻であり母であるのだからウンウン一緒に頷いている。
 しかしそこも細川連隊長はいつもの冷たい顔でこともなげに告げる。
「ああ、それなら海東司令が海人自身にコンタクトをとって承諾を得たと報告を受けている。留守中については、連隊長の私と海野が責任を持って預かるから安心するように」
 また夫妻が揃って『はあ? なんですって』と騒ぎ始める。
「以上である。心構えを整えておくように」
 知らせることは知らせた、もう用はないとばかりに細川連隊長は来たばかりなのに、福留少佐の珈琲を一口だけ含むと立ち上がってしまった。
 そのまま騒然としているミセス准将一行に振り返りもしないで、この部屋を出て行ってしまった。
 誰よりも呆然としていたのは御園大佐。そして妻のミセス准将は顔を覆って項垂れている状態。
「冗談じゃない!」
 そう吐き捨てると、御園大佐から部屋の外へと、連隊長を追いかけに出て行ってしまった。
 そこに残された者達はしばらくシンとしていた。ミセス准将も嘆いた姿のまま。
 だが一人だけ、そんな御園准将を白けた目で見ている男が。彼女の隣に座っていたコリンズ大佐だった。金髪青眼の豪毅な元パイロット、ビーストームを長年牽引してきた隊長で、ミセス准将の兄貴分。
「ああ、どうして意地悪な夫と一緒に子供を置いて二ヶ月も毎日毎日仕事の顔で海の上にいなくちゃいけないのよ、気が狂いそう!! ――なんて、白々しい演技はもうやめろよな、嬢ちゃん」
 コリンズ大佐の横でうずくまっていた彼女の背が、少しだけぴくりと反応した。
 ミラー大佐もなんだそういうことか――と溜め息をこぼす。
「なるほど。海東司令の『担ぎ上げ』が始まったということか」
 先輩達に見透かされ、諦めたようにして御園准将が伏せていた顔をあげる。乱れた栗毛の前髪をかき上げ、彼女もひと息。
「まさか。私にだって、夫と一緒に艦に乗るようにしておいた――なんて連絡いっさいありませんでしたわよ。いまここで初めて伝えられたんですからね」
 え、そうなのか。では本気で慌てていたのか――と大佐達も驚きを見せる。
「きっと夫と一緒に驚かせなくては、私の態度ひとつで澤村の担ぎ上げがばれると思ったのじゃないかしら。だから私にも知らせない。途中から気がついて、大袈裟には驚いたけれど、海人のことはほんとうに驚いたの! なんなのあの司令ったら。うちの息子にいつのまにかコンタクトしているし、海人も知らん顔を保っていたってことじゃない!!」
「あー、そういうショックなわけ。葉月ちゃんもお母ちゃんなんだなあ。というか、確かに……海人あなどれないなあ」
 橘大佐もそこは『お父ちゃんに似てきたんじゃないか』と感心している。雅臣も同じく、だった。このまえスーパーで会ったばかり。あの時には既に海東司令と個別にコンタクトをしていて、両親にも母親と一緒に艦に乗ると決まっていた雅臣にも知らぬ顔をしていたことになる!
「もう諦めたらどうだ。お嬢さん。それに、海人なら俺もコリンズ大佐も気にして面倒はみるから」
 ミラー大佐の言葉に、御園准将も少し落ち着いてきたようだった。
「そうだ、嬢ちゃん。海人はしっかりしている。もちろん、あいつが頑張っちゃうところだって知っている。もうすぐ大人になるんだ。海人は大丈夫だ」
 それに――と、コリンズ大佐が続ける。
「おまえが陸に帰ってくるのがこれで早まるんじゃないか。澤村が航海に出るようになる。そうすれば、海人とおまえが留守番ができるようになるだろう。まあ、適当な家事をする母親と留守番じゃあ、海人の方がママに手間がかかって負担が多くなりそうだけれどな」
「それ言えてるな。海人がよく愚痴をこぼしているもんな。母さんは人の家事の仕上げを滅茶苦茶にしてくれるって」
 言ってる、言っている。アメリカキャンプでは有名な話――とアメリカンの大佐二人が笑い出した。
「なんなの、もう!! そうよ、そうよ! 海人の方が最近はお料理も上手だし、お菓子を焼くのもお手の物よ。アイロンも上手だし、なんでもできるわよ!」
「子育ても、ほぼ澤村君の功績だしな。いまから君が母親らしくしたところで、海人は逆に戸惑うだけのような気もするけれどなあ」
 ミラー大佐の嫌味にも、ミセス准将はお嬢ちゃんの顔になってムッとしている。
 ああ、ここにもミセス准将をお嬢ちゃんにしちゃう大佐殿が二人いたんだなあと、雅臣は感心してしまう。
 御園大佐を空部隊隊長に担ぎ上げる――そこに大佐達は気がつきながらも、御園准将を茶化す方が楽しいようでその賑やかさのままになってしまう。
 だが雅臣も腹をくくる。自分が副艦長になること自体、ミセス准将の後継に一歩近づいたということ。自分が彼女のような指揮官に近づけば近づくほど、彼女が去っていく日が近づいてくるということ。
 そして、海東司令も『例外』を作る準備を始めた気がする。とにかくあの大佐を艦に乗せてしまえ。航海での経歴を重ねさせる。そうして数年後には……。

「そういえば、御園夫妻以外にも、もう一組の『新婚さん夫妻』もおなじく着任することになったみたいだな」
 ミラー大佐が、大人しくしている雅臣と、おかわりのお茶を配っている心優の二人を見た。
「おお、そうだった、そうだった。もうすぐ入籍するんだろう。夫妻もベテランになってきた澤村と嬢ちゃんが慌てているだなんてなあ。夫妻で乗船することでこんな騒いでみっともないよなあ」
 コリンズ大佐からの言葉にも、雅臣と心優は揃って照れてしまう。二人で目線を合わせると、心優の目が『返答は大佐殿にお任せします』と伝えてきた。
「いえ、うちはまだ子供がいませんから。御園准将が母親として海人に留守を任せることを案じるのは当然だと思います」
 そう答えた雅臣を、ミラー大佐も、コリンズ大佐も、そして橘大佐も、どこか優しく見つめてくれているのでびっくりしてしまう。
「ソニックが帰ってきてくれて、俺は安心した。コードミセスを二日で攻略しただなんて。やっぱりエースだな」
 それまで記録を保持していたミラー大佐に言われ、雅臣は恐縮する。
「俺も、嬢ちゃんが雷神から離れる決意をしたと知って……。彼女と一緒にこれからの小笠原を考えていくことにしたよ」
 コリンズ大佐も今後の進退を決めているかのような言い方。彼女と一緒に――つまり小笠原での『訓練校』の仕事を一緒にしていきたいということなのだろうか。
「雅臣、俺もおまえが指揮官として落ち着いてきて安心した。もう、いつ俺が小笠原を去っても大丈夫だな」
 いちばん側にいてくれた先輩、橘大佐の言葉にも雅臣は頷き微笑んだ。

 頼んだぞ。ミセス艦長を。雷神を。

 そしてミセス准将も微笑んでくれている。
「雷神も、あなたのものになっていくのよ」

 小笠原で尽くしてきた彼等が築きあげてきたもの全てを、これから雅臣が引き継ぐのだろう。
 そのプレッシャーももちろんある。だけれど……。見えるのは、俺のコックピット。

 

 とっても綺麗だった。コックピットが宇宙みたいだった! 
 同じものを見たんだな。俺と心優。

 

 いけるよ、先輩。いまならいける!
 おまえはいま、あの時の俺だ。

 

 彼女と、俺と同じ空を飛ぶパイロット達がいる。

 

 雅臣、負けたわ。雷神をよろしくね。

 

 彼女の言葉を胸に、俺は心優と見た空を飛ぶ。
 いつかベイビーを抱いて、そいつらにも空と海を教えるつもり。

 会えるまで、あと少し、待って欲しい――。

 

◆ お待ちください、ベイビーちゃん 完 ◆ 

 

 

 

 

Update/2016.6.2
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