◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX1. お待ちください、ベイビーちゃん(2)

 

 雅臣はハッとして姿勢を正し、マウスを握り直す。だが既に遅しで、銀髪の大佐に笑われていた。
 彼が先程までミセスが座っていた椅子に座ってしまう。
「どうした、溜め息ばかりついていたな。ミセスがいたようだけれど、何か言われたか」
「いいえ。たいしたことではありませんでした」
「彼女が、わざわざ一人で准将室からここまでやってきたのに? 俺にも適当な理由を教えてくれたけれど、俺も彼女と付き合い長いんでね。あの憎たらしい『大佐嬢』だった彼女が、すぐばれるような嘘をつくのも、たまにはかわいいもんだけれどね」
 うーん、ベテランのこの大佐に俺が敵うわけがない。雅臣は降参した。
「ミセスが俺に聞きに来た内容は結婚後どうするのか、というプライベートの話です。俺がいまぼうっとしていたのはですね……」
 同じ溜め息をつくと、銀髪のミラー大佐がじっと雅臣を見つめている。
「あの、ミラー大佐は、奥様が出かける時は、どれぐらいの範囲で許せているのですか?」
 彼が目を丸くした。
「たとえば? 妻がどこに出かけるかとか、いつ出かけるかとか、誰と出かけるか、ということかな」
「そうです」
「ふうん、なるほど。結婚前の、彼女に対するマリッジブルーってやつか」
 雅臣の頬が少しだけ熱くなる。
「そうかもしれません?」
 しかしミラー大佐は、優しく微笑んだだけだった。
「男と一緒でなければ、どこでもどうぞってかんじかな。ただ、うちの彼女は専業主婦だから男と出かけるはないなあ。でも離島生活をさせてしまっているから、横浜や東京に遊びにいきたいというのは仕方がないとして、泊まりででかけられるといろいろ心配だな。それでも縛ったりできないだろう。そこも男の甲斐性だしなあ……」
 同じようでほっとした。
「あれだろ。アメリカキャンプでも有名だよ。特にミユは、いま基地ではミセスの次に誰もが知っている女性隊員だ。キャンプのダイナーに食事に来ることは良く目撃されている。その時に一緒なのが、雷神のエースと、傭兵王子だもんな。どちらも独身で、基地の女の子が誰が恋人になれるかと騒ぐほどの男を両脇にしてな」
 その光景が目に浮かぶだけで、雅臣は抑えていた何かが溢れそうになって落ち着きがなくなる。それも男の先輩はお見通し。
「だが、英太は杏奈しかみえていないようだから、ミユに興味を持つことはないだろう」
 ん? 英太には杏奈ちゃん? まさか――とまた笑い飛ばしたくなったが、段々と笑えなくなってきた。つまり知っている者からすれば、英太と杏奈ちゃんは、そういう関係とも聞こえてきた!
「女の子達はそうは気がついていないだろうけれどな。英太が恋人を作らないのは、雷神のエースとして空に全てを注いでいるからと思っているし、天涯孤独になってしまったから、いまは御園の家族としてそれだけで楽しそう――という見方で。王子の方は、女はまだまだ遊びで結構という主義のようだし。いまのミユの活躍ぶりでは、彼女に文句を言える女の子もいないだろうな。そしてそのミユには既に大佐殿というフィアンセがいる。ヤキモキするけれど、あの三人が恋仲になっていざこざすることもない。しばらく様子見、御園ファミリーの三人だから楯突いて事を荒立てたくないし、いまは放っておきましょう。っていうのが、いまの女の子達の結論みたいだな。という雰囲気の三人だから、故に旦那になる雅臣もいまは様子見で慌てることなかれ、というところだな」
「よく知っていますね! そういうのどこからお聞きになるのですか」
 銀髪の渋いおじ様大佐。部下達はデーターに変換する理系の事務系隊員ばかりの『データー室』を管理する室長で、若い女の子との接点なんてどこにもないはずなのに。
「妻だけでなく、夫にもそういう『社交場』は必要。ここ、知っているか。雅臣も大佐だ。おまえにはここがお似合いだよ」
 ミラー大佐が、とある店のカードを差し出した。『ムーンライトビーチ』という観光地エリアにある海辺のショットバーのようだった。
「最初は、俺とミセス准将がデートしていたんだけれどな」
「デート、なんてされていたんですか」
「真に受けすぎ。そういう例えで遊んでいるだけだ。雅臣はそういうところ真面目すぎるな」
 確かに自分は、先輩達のそういうジョークが読みとれずに真に受けてしまうことがあると雅臣も思っている。特にこの小笠原という部隊。アメリカンジョークに溢れていて、大袈裟な冗談で笑い飛ばして楽しんでいる風潮がある。まだそこに横須賀隊員だった雅臣は慣れていない。
「彼女と澤村が恋人同士だった時から、彼女とゆっくり話したいならここと、いつのまにかそうなったんだよ。そのせいか、不思議なことに、澤村はここに余程の用事がない限りは寄りつかない。澤村も心決めているんだろう。『ここは彼女の付き合いの場所。夫の俺が首を突っ込む場所ではない』と」
 その話を聞いて、雅臣は感動する。『すげえ、御園大佐! そんな結婚する前のお若い時から、そうやってあの人を余裕で泳がせられていたんですか!』と。
 いまの雅臣は、心優がダイナーに行くだけでヤキモキしているのに。さすが、じゃじゃ馬のミセス准将の夫は、心意気が違う! と見せつけられた気分だった。
「彼女は結婚前から毎週木曜日にはここへ通う習慣があるんで、そのうちにコリンズ大佐とかテッドとか、彼女の周りにいる幹部が集まるようになった。そういうところで、無駄な話をしていると、基地中のあちこちにいる男達からいろいろな話を聞けるもんなんだよ。基地では勤務中でできない『無駄話』は、ここでは『情報』になるんだ」
 ミセス准将クラスの指揮官達の社交場。そんなところがあったのかと、雅臣はもらったバーのカードをしげしげと眺めた。
「もちろん、男同士の人生相談もありだからな。ミセスもけっこう俺に愚痴るよ。澤村の愚痴」
「え、そうなんですか。そんな葉月さん想像できないなあ……。けっこう、御園大佐と対等で負けていないって顔をしているじゃないですか」
「あれな。彼女の強がりだから。本当は、いつも澤村に負けっ放しで、陰で歯軋りばっかりしているんだよ。ああみえて、澤村にやられっぱなしの、かわいいお嬢さんのまんまなんだよな。結婚する前からずうっとあんなだよ」
「まったく想像ができません」
 という場所だから。雅臣も息抜きに一度おいでとそのカードを握らされ、ミラー大佐も席を立って去っていった。
「ん? つまり、旦那の俺もここで息抜きをして、妻の社交場には首を突っ込まない余裕を持てってことを教えてくれたのか?」
 やっぱり俺が密かに我慢するのかと、息抜き場所を教えてもらったのは嬉しいが、結局雅臣は釈然としなかった。
 あんな、御園大佐みたいなじゃじゃ馬の手綱を握る『スーパー旦那』になんかなれるか! と思ってしまった。
「というか……。御園大佐こそ、どこで社交場をもって、発散しているのだろう?」
 そっちの方が気になってしまった。あのスーパー旦那さんの愚痴を受け止めてくれるところはないのだろうか?

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 ミセス准将がお待ちの本日の訓練データーを准将室に届けた後、今度はパイロットのシミュレーション機『チェンジ』に本日のデーターを投入するために、そのチェンジがあるセクションへ向かう。
 工学科の近くのエリアにあり、管理は工学科。責任者はもちろん工学科科長である御園大佐だった。
 工学科棟の建物から一度外に出て、渡り廊下をあるいて、その建物に辿り着く。
 最初の自動ドアはフリーだが、そこから先は許可された者しか入室できない仕組みになっている。まずは軍のIDカードのスラッシュ、次は航空関係の一部幹部にしか配布されていないチェンジ室用のIDカードのスラッシュ、そして静脈の認証。最後のドアが同じくチェンジ用IDカードと網膜のチェックでやっと室内に入れる。
 連隊長は当然のところだが、航空関係数名の大佐と、大隊長であるミセス准将とそこの秘書官数名のみだと言われている。
 今日もそこにデーターを投入して、チェンジという機械にパイロット個人のデーターを蓄積させ、現役パイロットの訓練に役立てるようにしている。
「城戸サン」
 聞き覚えのある声にびっくりして、雅臣はチェンジ室の入口ドア前で振り返った。
 工学科からこの建物に向かう渡り廊下、そこに金髪の青年が立っていた。
「フランク大尉、お疲れ様。どうした。こんなところで、珍しい」
 今日の午前中、勇ましい姿で心優とやり合っていた男が、いまは黒ネクタイの夏シャツ制服姿で清々しくこちらを見ている。青い瞳に少しばかり不機嫌な色合いが見て取れた。
「これぐらいの時間に、城戸サンがここに来ることはわかっているんで、待っていたんですよ」
「そうなんだ。で、なにか用かな」
 業務外の話だとすぐにわかる。連隊長秘書室所属で、傭兵訓練をしている男が、こんな航空関係のところに用はないはずだからだ。だからこそ雅臣は大佐の顔で厳しく突き返そうとした。
 それでも彼もそこをわかっていて、業務を抜け出して雅臣を待ち伏せしていたようで、その意気込みも本物。
「業務中にこんなことするものではないと、俺も解っていますよ。でも、どうしてもいま確かめておきたいんですよ」
「俺ではないと駄目なことか? 他の上官に確かめられることではないのか」
 嫌な予感がした。シドが思い詰めて雅臣に突進してくることなんて『心優のこと』に決まっているではないか。この男とはあまり男同士の腹の探り合いをしたくはない。そう思っているから、業務中なら特にそこを避けようと雅臣はチェンジ室に入ろうとした。ここに入ってしまえば、一秘書官であるシドは絶対に追いかけては来られない。
 だからなのか。去っていこうとする雅臣の背に、シドは焦るように叫んだ。
「み、心優に、子供が出来るってこと、あるのかないのか。それだけ教えてほしい!」
 うわあ、おまえもか! 雅臣はチェンジ室の自動ドアが開いたところで立ち止まり振り返ってしまった。
「答える義務はない。プライベートの範囲で彼女と俺の問題だ」
「じゃあ、これからは手加減はしない。それでいいですね。今日はそれが気になって手加減をしたから、心優に投げられた。もう、こういうモヤモヤであいつと訓練するのはいやなんですよ!」
 午前中の訓練。心優がシドを投げて勝ったのを思い出す。そういえば、傭兵王子とあろう男が、凄腕の彼女とはいえ易々やられていたのも不自然だったかもしれない。
 では、本日のあの心優の鮮やかな勝利は、この男が彼女を結婚する女性として気遣ってしまった上での勝利? 雅臣は茫然とする。それを知ったら心優はどう思う?
「それ。心優には……」
「知らせるわけないでしょう。あいつの格闘家としてのプライドを傷つける。でも、避けられないことでしょう。俺、こんなこと、初めてでどうしていいかわからなくて。かと言って、心優に聞けるわけないだろっ。今日もダイナーに行こうと英太兄さんに誘われたけれど、あいつの顔を見たらなんか言ってしまいそうだから断った」
 うーん、そんな展開になっていたのかと、雅臣は眉間にしわを寄せた。
「それを聞いて……。フランク大尉は、俺達のプライベートを聞いて、では、どうするんだ。聞けるのか」
 俺と心優が確実に肌を重ねて愛しあっていて。それでその先、子供をどうするか、二人でどう考えているか。心優に思いを寄せているおまえはそれを聞けるのか――。男としての問いだった。
 だがトラ猫王子は殊の外、真剣な真顔で雅臣に向かってくれている。
「結婚するんだから当たり前のことだろ。今更、俺がそこを避けてどうするんだよ。それに、俺だけじゃないはず。心優は護衛官だ。これからも身体を使うのが彼女の任務だ。妊娠するしないは、同僚や上官にとって大事な問題だ。……と、至ったので、きちゃいました……」
 立派な結論だったが、最後の自信なさそうな『きちゃいました……』に、雅臣はつい笑ってしまった。
「シド……て呼んでもいいかな」
「あれ。シドって呼ばれたことなかったですっけ」
 馴れ馴れしく言いにくかっただけ、だなんて言えなかった。
「ダイナーではなくて、上官の溜まり場であるバーではなくて、どこか飲めるところあるかな」
「ないこともないっすけど。タクシーでいかなくてはならない遠いところですよ。それに、そこ変なオジサン達が集まるんですよ」
 変なオジサン? 雅臣が首を傾げると彼が意外なことを呟いた。
「たとえば、御園大佐とか、あと、谷村社長という御園の義理のお兄さんと。あと、たまにエドとか、ジュールおじきとか、喋っているのか喋っていないのか、何しに飲みに来ているのか無言で向きあっているだけで、むっちゃつまんねー集まりって感じのところっすよ。俺はつき合えないですね、あんなところ」
 どこが変なオジサン達だ。もの凄いメンバーで雅臣はびっくりする。
「そこ、教えてくれるか。今夜は、俺のおごりな」
「なんで、ここで一言妊娠について教えてくれたらいいことじゃないですか」
「やだ。その場所を教えてくれるか、連れていってくれるなら、教える」
 もう、わかりましたよ――と、シドがふて腐れながら了承してくれた。
「城戸サンひとりで乗り込んだら気の毒な場所だから、連れていきますよ。もう。後悔しないでくださいよ」
「だったら、なんでそこで飲めるだなんて俺に教えたんだよ。他にないんだろ」
「そこなら、絶対に心優に見られないって場所だから。今日のダイナーの誘いを断って、俺と臣サンが一緒のところを見られたらどうするんですか。彼女の妊娠を巡って、いろいろこじれるでしょ」
「なるほど。いいじゃないか。そこにしよう」
 では、心優にはわからないように落ち合おうと、夕方の時間を約束してしまう。
「どうしてこうなった」
 まさかの、トラ猫王子との約束をしてまうだなんて。
 でも、そのスーパー旦那様の御園大佐が密かに通うところの方が気になる!

 

 

 

 

Update/2015.11.23
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