◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX1. お待ちください、ベイビーちゃん(6)

 

 空部隊本部指揮官班 雷神室。
 室長である橘大佐は不在。副室長の雅臣は、空部隊本部から異動してきてくれた空軍管理官を経験してきた事務官の若い男性二人と事務作業中。
「なんだこれ。ここ間違っているんだけれど直してくれ」
「も、申し訳ありません。城戸大佐」
 いつになく彼が怯えた声で返答したので、雅臣はハッとする。
「えっと、うん。すぐにではなくていいんだ。今日中、俺が帰るまでに」
 やや荒げてしまった声を和らげる。心優がいうところの『お猿の愛嬌』で微笑むと若い事務官の彼がほっとした顔になる。
「あー、くっそ!」
 留守にしていた橘大佐が大声を張り上げて雷神室に戻ってきた。
 ドアをバンと開けると、室長のデスクに如何にも機嫌悪そうにどっかりと座った。
 こちらの喜怒哀楽がはっきり顔に出る室長殿が不機嫌になるのは良くあること。だけれど、それはそれで触らぬ祟りとばかりに雅臣も事務官の彼等も必死に知らない顔をする。
 そうして、橘大佐はデスクで暫くはイライラしていた。『はあ』と溜め息をついたり、黒髪をくしゃくしゃとして歯を食いしばって何かに耐えたりしている。
 うわー、これは機嫌が悪い。俺もいまイライラしているけれど、室長もかなりきている。これはそっとしておこう――と、雅臣も必死に苛つきを隠そうとした。
「はあ、くっそ。収まらねえ。はあ、くっそ。あの女、許さねえ」
 ひとり苛立つ橘大佐がふっと漏らした文句がそれだった。橘大佐が苛立ちながら『あの女』といえば、あの人しかない。
「あの、橘室長。なにかあったのですか」
 雅臣もいま、あの人にイラッとしているところだけに思わず聞いてしまう。いつもなら『あのお二人の喧嘩には首を突っ込むまい』と決めているのに……。
 案の定、橘大佐がもの凄い悔しそうな顔でデスクを拳で『ガン』と叩いた。若い彼等がびくっとのけぞる。
「あの女がよ、わざわざ准将室まで呼んでくれたからどんな相談かと思って出向いたら。なんて言ったと思うか?」
「相談ですか? 葉月さんに何か言われたんですか?」
「あの女、いつものあのむかっ腹立つ澄ました顔で、『そろそろ横須賀に帰る?』なんて、さらっと言い放ちやがったんだよっ」
 横須賀に帰る? 雅臣も若い彼等も『あのミセス准将が空母の相棒として、女房として選んだ男を古巣に返そうとしている』と知って仰天した。
「それ、本気なんですか?? 准将は!」
「知らねえよ。あのアイスドールの顔で言われた日にゃ、何を考えてそう言いだしたのかまったく腹が見えねえことしてくれるからな。あの女!」
 腹の底が知れないから、余計に怒りが湧くということらしい。
 空母ではなんでも相談してくれて、困ったことはいちばんに俺を頼ってくれる。それは橘大佐が御園准将と共にやってきたプライドでもあると雅臣もそう感じている。
 男としても、海軍の先輩としても、パイロット同志としても。誰よりも彼女と一緒に航海をしてきたんだという橘大佐という男のプライドだった。
 それが今日呼ばれたと思ったら、急になんの前触れもなく『横須賀に帰る?』と突きつけられたので、びっくりしてしまったのだろう。そして、彼もまだ本当は小笠原にいて、彼女と一緒にまだまだ艦に乗っていたいという気持ちも残っているということ。
「あっちが頭を下げてくれたから、俺は出るつもりもない横須賀を出てこっちに来てやったのによ!」
 だがそこで、橘大佐が急に声をすぼめてうつむいた。
「……まあ、二年の約束だったけどな」
 横須賀から『私と一緒に艦に乗って』と引き抜かれた時、橘大佐と横須賀の長沼准将と約束したのが『二年間』だったと雅臣も聞いていた。だがその二年はもう過ぎている。
 若い事務官ふたりの目の前だから雅臣も口には出せないのだが、『橘大佐は、PTSDである御園艦長の症状を隠すためのサポート』として引き抜かれたことは、雅臣も既に周知のところ。
 その二年が過ぎても、御園准将が手放さなかったことも、橘大佐自身も『そろそろ帰りたい』と言わなかったのも、横須賀の長沼准将が『橘を約束どおりに返してくれ』と言わないのも、『まだ御園艦長が辞するまでは、橘は必要。まだその時期ではない』と三人の意見が一致しているからだと雅臣は見定めていた。
 それがここにきて、いきなりあの人は『そろそろ帰る?』と言いだしたらしい。
「なんだあれ。人をいらなくなったから、いらないみたいな言い方!」
「葉月さんにどう返答されたのですか」
「バカにすんな、コノヤロウ! と怒鳴りつけて帰ってきたに決まってだろ。ほんとうだったら、准将様にそんなこと出来ねえんだけれどな……あ」
 ちょっと俺も冷静ではなかった――と、また橘大佐がうつむいた。
 雅臣の師匠で隊長殿だったベテランの男性先輩である彼でさえ、あの人はひっかきまわしてしまう女性(ひと)。だから橘大佐も、いちいち彼女にひっかきまわされるから男としても情けなくて、余計に怒りがこみ上げてくるらしい。
 だが、そう思うと、雅臣もなんだかイラッとしてきた。
 あの澄ましたお姉様顔が麗しく見える日もあれば、今日なんか思い出すだけで俺もムカッとする! あの死神的飛行、架空の映像だったはずなのに、あのスズメバチ尾翼のコックピットにアイスドールのひんやりとした目と澄ました顔が見えてしまいムカッとする。上からエースの俺を見下ろして、なんでもない顔で当たり前のようにして撃墜しやがったあの顔!!
 う〜、俺もイライラしてきた!
「あの城戸大佐、先ほど自分が間違えたここなんですけれど」
「なんだよ。そこが間違えていると言っただろ」
 またつっけんどんな言い方になっていた。しかも、彼がおずおずと指さしたところを確認すると、よーく確認すると『間違っていなかった』と気がついてしまう。
「わ、悪い。ほんと、俺が悪かった。申し訳ない」
 雷神指揮官の大佐が、元秘書室長だった男が、この有様。雅臣もがっくりうなだれてしまう。
 そんな雅臣を橘大佐がじっと見つめて、何か気がついた顔つき。
「あのさ、雅臣も昨日からおかしいよな。おまえが苛立つって余程だろ。秘書室長の時はそのおおらかさを武器にして、いつだって余裕のにっこり笑顔で割と世渡り上手だったくせに。おまえがそれだけ苛立つこととなると、コックピットしかないはずなのになあ」
 ドッキリとさせられる。まさにその通り! 秘書室でのトラブルなんて冷静に対処すればなんとかなるもの。どんなに不本意なことだろうと、コックピットでの意地に比べれば、さらっと流せることばかり。コックピットでは譲れないことが多々あれど、他の仕事ならどんなことでも折れてくれてやってもいい。それぐらいの気持ちだから、おおらかに、またはどんと受け止める姿勢で室長が務まっていたとも言えたかもしれない。
「雷神の訓練ではなにもなかったはずだろ。なんだよ、俺はすぐに態度に出るから俺が機嫌悪いそんな時は、おおらかな雅臣がフォローしてくれるんで助かっているのになあ。おまえまで苛立っているのはなんなんだよ」
 それも若い事務官の前では言えないこと。『極秘データーであるコードミセスに一発負けして、苛ついている』だなんて。
「おまえを怒らせる出来事といえば……。あ!」
 原因がわかった、俺はわかる! とばかりに橘大佐が雅臣を指さす。雅臣もどっきり、おまえが苛つくのはコックピットのことパイロットのプライドしかない、ここでコードミセスとかいいだすのかと焦った。
「シドが心優ちゃんにべたべたするから、苛ついてるんだろ。コックピットぐらいにおまえが苛つくことって、もう他には心優ちゃんしかないじゃないか。もう雅臣は大佐としては事務的なことは冷静にできるのに、プライベートのことは顔にすぐでる」
 は? そっち? まったくの的外れに、雅臣は逆に何も言えなくなってしまった。しかも、若い事務官のふたりも『なるほど、それは仕方がない』とかうんうん頷いて納得している始末。
 塚田がいうところの『城戸さんは、恋には三枚目すぎるんですよ、もったいない』というのが、雅臣の弱いところ。それは橘大佐もよくわかっていて、そのことが原因だと思っている。
 しかし、シドが心優にちょっかいを出すから苛ついているとも思われたくない!
「いや、そういうわけではありません。まったく別件です」
「……なんか、あったな? 雅臣」
「別に、ありません?」
 しかし、それこそ顔に出てしまっていたようだった。
 すると橘大佐がすっくと室長デスクから立ち上がった。
「俺、メシに行ってくる」
 もう御園准将の腹立たしさも収まったかのように、落ち着いた大佐殿に戻った。
「雅臣、一緒にこい。俺の愚痴、聞いてくれよ」
 はあ……、しようがないな。彼の腹の虫も抑えておかないと、若い彼等に負担がかかるからここで取り除いておくか――と、雅臣は室長殿の後をついていく。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 だが、実際に『取り除いてもらう』のは、雅臣自身となった。

 混雑するカフェテリア。いつも窓際の席は人気席で空いてはいない。ど真ん中のテーブルは甲板から帰ってきたパイロット達の溜まり場になっている。諸々の視線を避けるため雅臣と橘大佐は壁際の隅席でひっそりと向きあった。
「腹は立ったけどな、なんとなくわかっちまったんだよ」
 和定食セットを選んで食べている橘大佐からふと呟き始めた。
 雅臣もカツ丼セットを食べ始めるところ。
「葉月さんが横須賀にそろそろ帰るか――と聞いたことですか?」
「そう。俺がちょっと漏らしちゃったんだよな。『小笠原で子育てできるんだろうか。横須賀市内のごくごく普通の学校に通わせた方がいいのか』ってね」
 橘大佐の子供は秋には生まれる予定。ちょいワル兄貴だった彼もついに親父なる。彼も人並みに子育てを考えるようになったということらしい。
「俺も真凛も横須賀出身で、家族はそこにいるだろう。だからな。葉月ちゃんは『小笠原での子育てが不安なら、出産したタイミングに帰ることを考えてもいいのではないか』と思っていってくれたんだよ」
「なのに、言われた時はそこに気がつかずに『バカにすんな』――と突っ返して帰ってきてしまったんですか」
 『そういうこと』と、彼らしくない非常に落ち込んだ様子でうなだれていた。
「横須賀にそろそろ帰る? と言われて、それだけで頭に血がのぼっちまったのもさ。実は……その、」
 彼がそこで言い淀んだ。なんでもはっきりと声を張り上げてハキハキしている隊長殿ではない。珍しい様子。その大先輩がちらっと申し訳なさそうに雅臣を見た。
「怒るなよ、気にするなよ、雅臣」
 ドキッとする。これからこの大先輩で、元上司で元隊長であった彼になにかを言われる嫌な予感。
「な、なんですか」
「彼女が『横須賀にそろそろ帰る?』といった途端に俺がすぐに感じたのは子育てで気遣ってくれたんだということではなくて、『バカにすんな。雅臣がそばに来たから俺はもういらないっていうのか。バカヤロウ』と咄嗟に出た言葉がそれだった。ほんとうに咄嗟に。どうしてあんなこといいだすんだよと頭に来たものの、雷神室でちょっと冷静に考えてみたら『ほんとうは俺が父親になってどうしたいかということを心配して言いだしてくれたんだ』とさっき急に気がついた。それでもな、あの女も前振りもなくさらっと言い出すからさ。なんでも急な女なんだよ。いつだって驚かせやがって、そう思うとまた腹立ってくんのな。だからむかっ腹立ったまま戻ってきてしまったんだよ」
「そんな、俺のせいで……。隊長にそんな気持ちをもたせているんですか」
「いやいや。別におまえのせいとか思ってねえよ。でもな、俺な、いつのまにか小笠原に愛着を感じていて、出て行きたくねえーと思っていたんだと目の当たりにしたのもショックだったな」
「真凛さんはなんと言っているのですか」
「どっちでもいいと言っている。でも小笠原から出るなら事務官を辞めるとかまで言っているんだよな……」
 それはもったいないと雅臣も呟いた。彼女は事務官としては優秀で、いま雅臣がいる雷神室の事務官を選抜する時に、御園准将が『彼女なら信頼できる』と候補にしたがった程。だが、所属先の四中隊が彼女を手放したくなかったことと、雷神室の室長が『彼女の夫』であることから候補から外されたと聞いている。それほどの彼女を辞めさせるのは軍の損失だと本気で思う。
「真凛さんと心優は同世代であって、御園とも近いし、同じく官舎住まい。仲がいいんですよね。できれば、小笠原で一緒に子育てをしてくれたら……とも思っているんですよ」
「だよな。真凛もそう言う時あるよ。園田さんとは一緒にやっていけそうってさ……。でも小笠原の小学校だとほぼ基地の日本人隊員の子供達で転校で出入りが激しくてさ、でなければ、御園家みたいにアメリカキャンプのインターナショナルスクールにおもいきっていれて、海外方式の教育にしちまうかになるからな。まだ先の話だし、俺もその時どうなっているかはわからないけどさ。考えるんだよ、どうも最近」
「もうすぐ本当に父親になるのだから当たり前ですよ、そりゃ」
「雅臣はまだそうだな。結婚したようなもんだけれど、まだ挨拶も終わっていない婚約中だし。まずは正式に結婚をすることでいっぱいいっぱいだよな」
「はあ、そうですね。航行任務もまた控えていますしね」
 まずはそれが終わらないと、落ち着いた結婚式もできない状態。それでも雅臣も子供ができたらは、ふわっとしたものだが考えることは多くなっている。
「雅臣がほんとうに葉月ちゃんの右腕になったら横須賀に帰ろうと思う。雷神のノウハウももう少し学びたいしな。俺と長沼の野望はそれからでも遅くないだろうさ――」
 だからミセス准将には、俺はまだおまえから離れないぞ――と言ってやるんだと橘大佐も心決めたようだった。
「でさ。おまえはなに苛ついているんだよ。もうコックピットにいるわけでもないからライバルもいない。かといってシドのことはおおらかにどーんと構えられているならなんなんだよ。事務室のあいつらは、葉月ちゃんが大隊本部から選抜してくれた『信頼できる男候補』の二人だから、これから徐々に御園のそばで働く心構えを教育してくれって澤村君にも頼まれているんだよな。俺がうるさい男なら、雅臣は受け止め役としてうまいバランスとれているところだからさ――」
 まだ馴染まない若い二人を居心地悪くさせたくないという室長の心配だった。
 雅臣も信頼できるパイロットの先輩と二人きりになったので、腹を決めた。
「コードミセスと対戦しました」
「は、あれと!」
 先輩も驚いた顔になったのは一瞬。なにかを思い出したのか、すぐに不機嫌そうな顔になる。
「おまえが苛ついてんの、納得した。俺も最初にあれと対戦した時、しばらく彼女と口をきくのも嫌になるほど、むかっ腹たったんだ」
 うおー、やっぱりエースパイロットはこうでなくちゃ――と、雅臣は急に舞い上がってしまった。
「ですよね! 俺もめっちゃ悔しかったんですよ。なんすか、あれ。めちゃくちゃっすよ。でも彼女から体力負担をとっただけと聞いたらまた腹立たしい。しかも『そいつ』にあっという間に……」
 ああ、あの時の悪夢と死神的飛行とアイスドールの眼差しが焼け付くようにして、雅臣の胸を痛めつける。悔しさでいっぱいになる!
「で、エースソニックはどれぐらいでやられたんだよ。俺は五分即刻」
 また泣きたくなってきた。この先輩の方がまだ逃げ切っている。
「俺は三分も経っていなかったです」
 橘大佐が同情めいた目つきで溜め息をついた。
「雅臣は、俺の教え子の中でもほんとうにエースの中のエースだった。それは自分でも自負しているだろ。ライバルが現れても絶対に勝利してきただろ。なのに、いまになってなんで女性パイロットだったコードミセスなんか気にしたんだよ。あのデーターが『女性パイロットのデーターだから、俺と対戦しても無意味』と思い続けていれば、あんなバケモノデーターに遭遇することも興味をもつこともなかっただろうに……」
 まさにそれだった。本当に罠にはめられたような気分でいるのも、むかつきに拍車をかけている。
 頭が良くても、采配が一流でも、パイロットとしては体力が劣れば技術が高くてもそれ止まり。それが女性パイロット。もちろん女性パイロットだって訓練をすれば、防衛で活躍はできる。男より冷静に対処だってできるし、戦闘機も操れる。それでも、体力込みで勝負すれば、そこは絶対に勝てることはないのだ。だから……。どんなに采配は優秀なミセス将軍様であっても、正直なところパイロットとしては『敵でもない、ライバルでもない』、だから対戦なんか興味もない。だったのだ。
 そんなことをしなくても『俺はエースだった男、ソニックだ』と胸を張れていたから。
「どうして対戦に興味を持ったんだよ」
 そこも橘大佐にはもう隠せないだろうと覚悟した。
「葉月さんから、英太を引き取ろうと思っています。……最近の英太は、葉月さんがいないことで荒れている。本人もわかっているんですよ。もういつまでも甲板で彼女ばかりを頼りにしていてはいけないと。でもあの悪ガキのこと、頭でわかっていても心がついていかない」
 橘大佐もそこはただいまの雷神をまとめるうえでの課題として頭を痛めていたので、身を乗り出してきた。
「なるほど。葉月ちゃんなんかいなくても、ソニックという先輩と一緒にいれば、おまえをもっと飛ばせてやれる、生かしてやれると気がつかせたいのか」
「それにはまず。英太の絶対的女王様である葉月さんを知らなくてはなりません。俺は橘大佐のように同世代ではないので、彼女の飛行癖や判断パターンを知りません。だから……」
「コードミセスに触れることにしてみた。で、ものすごい返り討ちにあって、プライドがズタズタ中ってわけか」
 はい、そうです。と雅臣は項垂れる。
「けどよ。英太と雅臣は似ているところがあるからな。片や悪ガキ、片や優等生の兄貴。正反対に見えても、コックピットへ向けているエネルギーと純粋さがな。おそらく、雅臣が英太にべったりついて指揮を始めたら、葉月ちゃんにはない何かを感じて英太が目覚めるかもな。俺はミラー大佐と一緒で『精密派』なんで、英太と雅臣のような『感でぶっとばす、感でなんとなくいけてしまう』という天性はないからさ。そういうところ通じると思う。実際に、葉月ちゃんも天性で飛んでいたからな」
 だから引き継げるだろう――と先輩は後押しをしてくれる。
「俺はアクロバットを専門にしてきたせいか、あるいはアクロバットの適正があったのか。このスピードでこの秒数で、いまはこの位置、この高度、角度と計算し尽くさないと気が済まない性分。それはミラー大佐とはすごく似ているなと思っているとし、彼もそう思ってくれていると思う。雅臣にはすごく教えやすかった。おまえの天性はすぐに身体で再現できる本当に真のパイロットの適正をみせつけられた。俺のマリンスワローに抜擢した新人の頃、俺方式の計算し尽くしたアクロバットの飛び方を教えたら、一発でやりやがる。そういう天性な。他の後輩に部下達は何度か練習して俺の計算に寄せてくるところを、雅臣は一発。英太もそういうところがある。きっと……葉月ちゃんもな」
「だとしたら。やはり『コードミセス』はあの人の天性が自由自在に動き回っているってことなんですね……」
 俺以上の天性ってことかよ――とまた、悔しくなってきた。
「だからこそ。今度はおまえが英太の王様になればいいんじゃね。葉月ちゃんが連れ込めなかった『領域』ってやつ。雅臣なら踏む込める気がする。コードミセスなんて所詮は架空のデーター。現実的に、葉月ちゃんより空を制することができるのは、」
 橘大佐の目が、スワロー隊長の雅臣をリードしてきた兄貴の目になる。
「エースのソニックと、現役エースのバレットに決まっているだろ。架空なんかに惑わされるな」
 エースパイロットとしても先輩である大佐に、ここまで押されたら雅臣も悔しがっているだけではいけない。
 だからこそ。雅臣も兄貴へと真向かい『本当の狙い』を打ち明ける。
「雷神の誰もがまだ制していない『1対9』コンバットの勝ち抜けで、本物のエースに叩き上げたいと思っています」
 さすがに橘大佐も面食らった。
「はあ? エースを保持し続けている英太でさえ、『1対9』のステージには到達しても、9機に追われて勝ち抜けたことなんてなかったんだぞ。いまのエース確定だって、雷神の先輩パイロットの全てが、エース獲得のコンバット戦を途中でリタイアして最後に残ったのが英太だったから称号を得たんだろう」
「その時に、英太が『こんなのは本意ではない』と吼えたことを聞いています。それから二年。英太もいまテクニック的にも精神的にも体力的にも絶好調。リベンジの時でしょう。さらに。あの頃、結婚をすることで、家庭を思って危険な飛行を避けたいとコンバットを辞退した英太の僚機である『6号機、スプリンター』のフレディ、彼の最近の安定した底力も俺は気になります。英太とそう年齢も変わらず、実力も充分です」
「……なにが、いいたい」
 雅臣が『スプリンター』というパイロットを口にした途端、先輩が不安そうな顔をした。
「さすが俺の隊長。もうおわかりですよね」
「だが、一度辞退しているフレディに勝負をふっかけて、また英太に負けたら、せっかくの7号機バレットと6号機スプリンターの関係性が崩れてしまうかもしれない」
「まさか。その程度の『信頼』ではないでしょう。俺、この前の『バーティゴ機追跡』をモニターで見ていた時、雷神のベテランが見失って混乱していたのに、英太はよくぞ発見してくれたと思っています。しかもバーティゴを起こしてパニックになっている戦闘機を英太は涼しい顔と声で追跡していた」
「そうだ。もしあれが俺でも、あのスピードでの急降下はできねえと思うほどのことをやりのけていたよ」
「その驚異的な追跡をしていたエース機のバレットの背後にぴったりとくっついて、しかも撮影をしていたんですよ、フレディのスプリンター機は……。あれは二人の性質はこれまた相反するものではありますが、互角の技能と体力を持ち合わせている『ライバル』ではないですか」
「組む前はお互いに意識して、仲が悪かったとコリンズ大佐からも聞かされているが……。いまはお互いに親友といえる仲。それをかきまわすのか」
「スプリンターには、葉月さんについてもらいます。ミセスとスプリンターのタッグで、英太は雷神新人のころに演習でこてんぱんにやられて痛い目に遭っています。今回も葉月さんがスプリンターの監督についたら、精密な飛行を得意とするスプリンターを駆使して英太を燃やしてくれるでしょう」
 橘大佐が黙り込んだ。そうしてしばし、うーんと唸っている。
「はあ! わかった。その話乗った。英太が安定しているのはなにも葉月ちゃんの指揮力だけではない。いつもそばに、背後に、僚機であるスプリンターがいるからだ。それを奪い取って、孤独な戦いを強いることがどういうことかわかっているんだろうな」
 英太を孤独にする。英太が心の支えにしている最大の味方、二人を敵にする。そのむごさは、パイロットだった雅臣だからこそ、自分で言いだしたとはいえ躊躇した。
「迷うならやめろ。それから、英太に偉そうなことを言うなら。雅臣、おまえこそ、コードミセスに勝ってからにしろ」
「もちろんです。先輩が勝てたのに俺が勝てないことはないと思っています」
「生意気だな。俺は、五日で勝った。ミラー大佐は三日だってよ。さて、ソニックは何日かかることかね。夕方、仕事が終わったらチェンジに向かっていい」
 コードミセスへの対戦と、そして、甲板訓練でコンバットを実戦する許可が出た。
「ありがとうございます。では、本日からさっそく、コードミセスを攻略します」
「ひさしぶりに、お手並み拝見だな。ソニックならどう勝つか、どれぐらいで攻略できるか楽しみだよ」
 対戦する時間と許可を得られた。
 もやもやしているなら、立ち向かうのみ!
「はあ、横須賀に帰るか〜。いつがいいのか悩むな〜」
 何に置いても、『俺はマリンスワロー、アクロバット隊長!』だった先輩なのに。
 橘大佐の悩みは、もうパイロットよりも親父になってしまったようで、雅臣はちょっと寂しい。

 

★ 7話も同時アップしています。 

 

 

Update/2016.3.10
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