◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX1. お待ちください、ベイビーちゃん(7)

 

「子育てはどこで、か」
 まだ自分には先になる他人事だと思っていたのに。では、自分だったらどうすると考えたら、雅臣の頭の中にもそれが占め始める。
 いやいや、いまはとにかく『コードミセス』を『先輩達より早くやっつける』こと。
「ミラー大佐が三日だと? 橘大佐が五日か」
 早くて二日目に勝てば、俺が最速記録。遅くても五日で自分を育ててくれた隊長とタイ。最低でも五日で攻略したい。
 その想いを秘め、雅臣は夕方、工学科へと向かう。
 御園大佐にも、橘大佐から『業務後の対戦を許可して欲しい』と申し込んでくれている。御園大佐が待ちかまえてくれていることだろう。
「お疲れ様です。お邪魔いたします」
 小さな事務所でも、ここは『隠密室』とまで呼ばれている事務所。工学科科長とは表向きの、ミセス准将のみならず、副連隊長の海野准将も、連隊長の細川少将だって彼を頼りにここを訪ねてくる程の。
 そんな『御園工学科科長室、大佐殿』の部屋を訪ねると、少数精鋭の事務官達がいつも丁寧に迎えてくれる。
「いらっしゃいませ、城戸大佐」
「お疲れ様です、吉田大尉。御園大佐はいらっしゃいますか」
 長年、御園大佐の補佐官を務めてきた吉田女史は、ラングラー中佐の奥様。彼女がいつも笑顔で迎えてくれる。
 だがこの日は、ちょっと躊躇った顔でいつもの応接ソファーへと目線を流した。ついたてがあり、人目につかないように配慮されているが、そこから大佐の声が聞こえてくる。
 先客がいたようだ。
「こんなもの、よくみつけたもんだな」
「素敵だったので、借りてきてしまいました。どんなお気持ちだったのかなと思って……」
「なんで俺に聞きにくるんだよ。葉月に聞けばいいだろう。毎日一緒にいるんだから、園田の方が」
 ついたての向こうの会話が聞こえ、雅臣はドキリとした。そこにいるのは『心優』だった。
「あの、科長。城戸大佐がおみえです」
 気遣ってくれたのか、吉田大尉がついたて向こうに顔をだして一声かけてくれた。
「あ、城戸君」
「お、臣……、き、城戸大佐」
 二人がそろってソファーから立ち上がり、ついたてから姿を見せてくれた。
「お邪魔でしたか。その、チェンジの――」
 今日からコードミセスと対戦する。それを心優になんだか知られたくない気がした。きっと彼女が心配する、余計な気遣いを発揮するに違いない。
「ああ、そうだった。チェンジのデーター投入時間か。けっこう蓄積してきたから、整理をする約束をしていたんだっけ」
 さすが、御園大佐。心優と雅臣が同棲中の婚約者同士であっても、心優がミセス准将側の人間と心得て『本来の目的』をおおっぴらに口にはせず濁してくれた。
 それでも心優はすでに案じている表情。コードミセスと対戦するだなんて一言も伝えていないが、それに負けた婚約者のことを案じてくれているのだろう。
 その奇妙な空気を打開してくれたのは、黒髪の女史、吉田小夜大尉。
「これ、懐かしいですねー。当時、話題になりましたもんね。この広報記事!」
 心優がもってきたと思われるずいぶんと古びた広報誌、それがテーブルに広げられていて、彼女がそれを手に取り、雅臣にも見えるようにしてくれる。
「やめろよな。いつのまにか撮られているし、勝手に掲載されるし、まったく」
 御園大佐はふいっと不機嫌そうにそっぽを向いたその記事みて、雅臣もどこか懐かしさを覚える。
 心優が持ち込んできた『広報誌』には、夕焼け色に染まった甲板、一機のホーネット。そのホーネットの尾翼にはスズメバチのイラスト、機体番号末尾は2。『ティンク』の機体。燃えるような茜に染まっている戦闘機のキャノピーは開けられていて、コックピットには髪が長い女性パイロット。かけられている梯子に登ったてっぺんには黄色ジャージをつけている甲板要員の黒髪男性。その女性と寄り添うようにして水平線を眺めている後ろ姿だった。お互いの表情はみえないが、見えないのに、その二人がそこで明日のことを語っているのがわかる姿。
『明日、ティンク引退』というタイトルがあった。記事には『夫妻』ともなんとも記されていない。でも誰が見ても、葉月さんと隼人さんだった。
「あ、俺も見覚えあります。たしか、葉月さんがラストフライトをされた頃……、ご出産の後でしたよね。ついに葉月さんがコックピットを降りてしまうんだと、なんだか俺達まで切なくなったこと思い出しますね……」
「そうそう。葉月さんがコックピットを降りる前日の甲板よね……。四中隊で葉月さんの側近だったテッドも、しょんぼりして甲板から帰ってきたことを思い出すわね」
「おふたりが一緒に広報誌に掲載されたのは、わたしが少尉に昇格した時に一緒に写ってくださった撮影が初めてだとお聞きしていたのに。本当はもっと以前にご夫妻で掲載されていたんだと驚いたんです」
 夫妻が初めて広報誌に掲載されたと騒然となったと同時に、夫妻の間にまだ名も知られていない心優が写っていたことも話題になった。
「園田さんの時の記事は、ご夫妻が『正式』に掲載されたのが初めて――なのよ。この夕暮れの甲板の時は、広報が気遣って『そばにいる男性は結婚した御園中佐だ』とはわざわざ公表しなかったのよ。なんといっても、あの驚かせるのが大好きな葉月さんのお兄様でもあったロイ=フランク中将のちょっとした悪戯的お祝いでもあったのよね」
 この基地に長くいる吉田大尉から聞かされる初めての裏話に、当時は新人だった雅臣も、初めて聞く心優も『そうだったのですか』と共に驚いた。
 だが、御園大佐は嫌なことを思いだしたのか不機嫌さは増すばかり。
「まったく、これを初めて見た時はドキッとして心臓が飛びだしそうになったのを思い出すよ。葉月も驚いて、連隊長室に抗議に行ったぐらいだ」
「あの葉月さんをやりこめると言えば、ロイ兄様ぐらいでしたものね」
「当時は結婚したばかりだったし、俺が婿養子になったことも逆玉の輿だの、財産狙いだのさんざん言われたもんだから、夫妻での写真を掲載されることには細心の注意を払ってきたのに、あのロイ兄さんは、まったくなんというか、やってくれるというか」
「公表はされなかったけれど、されなくとも一目見ればわかりそうな写真掲載。でも、ご夫妻の空での疎通をみせつけた一枚でもあったでしょう」
 御園大佐は当時、やり手の兄様に度肝を抜かれた若僧としての情けなさを思い出しているのか、まだふて腐れたまま。でも、吉田大尉はうっとりしていた。そして心優も……。
「最近、小笠原基地のいままでの歩みを学んでおこうと、書庫にいっては広報誌を眺めていたんです。そうしたら、これを見つけて……」
 夕焼けの、公表はされていない『ふたり』の姿。心優は感慨深そうに見つめ、でも、ちょっと雅臣を見て躊躇っている。
 それでも不機嫌そうな御園大佐へと心優は意を決したように問うた。
「引退前の奥様と、ここで何を語っていらっしゃったのか、知りたかったんです」
 パイロットの気持ちを知ろうと、心優はいつも躍起になる。イコールそれが、夫の気持ちを知ることだからなのだろう。
「ここに写っている男は俺かどうかは、非公表ゆえ黙秘する。俺でなければ、その男を探して聞いてみればいいだろう」
 そういうと、御園大佐はさっと広報誌から逃れるようにして、科長室を出て行こうとしている。雅臣はハッとする。
「御園、科長! チェンジの……」
「わるい。いま気分が悪い。ひと息ついてから、チェンジに行くから待っていてくれ」
 眼鏡の奥の目が冷めていた。
「もう、隼人さんたら素直じゃないんだからー」
 吉田大尉が溜め息をこぼした。
「申し訳ありません。お遣いのついでにと思って、わたしが無神経に昔のことを聞いたから……」
 自分がもってきた広報誌をきっかけに、科長殿が不機嫌になってでていってしまったので、心優がしょんぼりとしてしまった。
「葉月さんを想う気持ちを晒されたくなくて、照れているだけなのよ。この写真を掲載された時も、ロイ=フランク連隊長に『引退前の妻を想う夫』としてこっそり掲載されたから、知らぬ間に晒された丸裸にされた気持ちになったのを思い出してしまったのでしょう。若い園田さんと二人きりだったらそっと話してくれたかもしれないけれど……。昔を知る私が首を突っ込んだうえに、同性の男である城戸大佐が来たから、本心を知られまいと意地を張ってしまっただけなのよ。若い時の御園大佐って、あんなところあったもの」
 はあ、そうなんですか? と、心優と雅臣は一緒に首を傾げた。
「ごめんなさいね。でも、隼人さんも懐かしかったと思うわよ。それに、思い出しちゃったんじゃないかしら。葉月さんをどうしてもコックピットから降ろさなくちゃいけないという惜しい気持ちも、ご自分の手で『ティンク』を甲板から見送っていた、甲板での全盛期をね……。これがお二人の最後の甲板だったんだもの。私だったら切なくなっちゃうな。しかも若い時の、いちばん彼女や彼にドキドキしていた時でしょう。四十過ぎると懐かしいどころか、取り戻せない宝石みたいなものだもの」
「……夕焼けの、わたしも、思い出すことがあります」
 心優がそこでネクタイをしている胸元のシャツをぎゅっと握った。いつの夕焼けを言っているのか雅臣もわかってしまい、ドキリとした。
「私もあるわよ。夕方の官舎で、会えばテッドと喧嘩ばっかりしていた思い出ね!」
「あのラングラー中佐と喧嘩できるって、想像つきません」
「俺もですよ。ラングラー中佐がムキになっているところなんて見たことありません」
「まあ、テッドは私のこと『小夜の勝ち技は、口からマシンガン』と言うからね。私、口ではテッドには負けないの」
 心優も雅臣も、この吉田大尉が御園大佐に『なにをのんびりしているんですか、科長!!!』と捲し立てているのを何度も見ていたので、『なるほど、目に見える』と納得して一緒に笑ってしまった。
「そこでカップコーヒーでも一杯飲んできたら帰ってくるわよ。あなた達も一杯の休憩でもしていきなさい」
「いえ、自分はチェンジのデーターを先に投入しておくと伝えてください」
「わたしも、お遣い途中なのでここで失礼いたします。余計な質問をしたお詫びを御園大佐にお伝えください」
「大丈夫よ。園田さんは科長の大事な教え子なんだから。俺になんでも相談して欲しいと思っているようだから、ほんとうはなんでも答えたかったのに今日はできなかっただけよ」
 心優はその広報誌を小脇にして、そして雅臣も本日のデーターを小脇にして、二人して御園工学科科長室を失礼した。
「臣さんも来て、びっくりしちゃった」
「俺もだよ。なんだ、最近、書庫で広報誌を読みあさっているんだ」
「うん。これまで小笠原にいた隊員のいろいろがわかって面白いし、ためになるの。秘書官として知っておかなくちゃいけないこともあるからってラングラー中佐に勧められたの。そうしたら、この夕焼けの記事をみつけて……。素敵だったから」
 でもあんなに不機嫌になるだなんて思わなかったと心優が気にしている。
 チェンジ棟舎へ行く渡り廊下まで、心優と一緒に並んで歩いた。
「今日さ、橘大佐が小笠原で子育てをするかどうかなんて話をしはじめてさ。もうすぐ生まれるから当然考えることなんだと思うんだけれど、俺達はどうなるのかなって初めて思った」
 コードミセスの話題よりかは……と思って、頭にあったことをちょっと話題にしただけだった。
「ど、どうしたの臣さん」
 黒髪ショートカット、小さな頭の心優がきょとんと首を傾げて驚いた猫の目で雅臣を見上げている。
 もうそれだけで『かわいいなあ!』と抱きしめたくなる猿の気持ちが襲ってきても、いまは我慢の大佐を努め――。
「いや、俺達だっていつかは、だろ」
 心優が黙ってうつむいてしまった。そんな話題、まだ早いのだろう。実家への挨拶もまだ。入籍もまだ。式もおあずけ。また航海にでる。なのに子育てなんて、先の話をいま考えても……。
「わたし、臣さんの子どんな子かなっていつも想像しているよ、勝手に」
 ちょっと恥ずかしそうにして心優が呟いた。そして雅臣の胸がドキリとときめいた。
 心優が雅臣とどのような家庭を夢見てくれているのか。俺との間に生まれる子へと、既に思いを馳せてくれていたから。
「俺もある」
「知ってる。三人、だよね。パイロットと秘書官と金メダリスト。臣さん気が早いと思っていたけれど、わたしも思うよ。男の子二人と女の子がいいな」
「いいな、それ。俺も、心優みたいなかわいい女の子は絶対にほしいな。心優みたいに道場着を着て小さな子が空手するんだ」
「えー、女の子だったらかわいく育てたいな。御園准将のところの、杏奈ちゃんみたいに」
「そうか。俺は心優にそっくりがいいな」
 そういっただけで、心優が真っ赤になった。
「本気でいってるの? だって……」
 なにを言うかわかって、雅臣は心優のくちびるを指先で押さえる。
「ボサ子っていうなよ。俺の妻は元よりボサ子でもないし、俺の娘はボサ子なんかじゃない」
 それだけで、心優は嬉しそうに笑ってくれる。ほんとうにどうしてこんなコンプレックスになってしまったのか。横須賀基地の心ない者達の陰口と心根を恨むばかり。
「わたしも臣さんみたいな、身体能力抜群の男の子がいいな。空手を教えるの」
「それもいいな。はやくそうなりたいな」
 そろそろチェンジ棟へ向かう渡り廊下。そこはもう夏の夕の気配に色づいていた。
 忙しさに追われて、結婚することが当たり前になって。でもこんな話、ゆっくりしたことがなかったと初めて気がついていた。
 だから雅臣はそのままチェンジ棟へと『じゃあ』とは、別れられなくなっていた。そこでそのまま立ち止まって、心優と向かい合っている。心優も『じゃあ』と立ち去らない。
「三人、いいよね。でもわたしに育てられるかな。秘書官続けたいし」
 そこも雅臣がひっかかっているところだった。橘大佐夫妻でさえ、転属があるなら妻は退官するなんて言っているぐらいだから。
「だから。聞きたかったんだよね。御園大佐に。この広報誌はきっかけにすぎないの。……葉月さんに過去のことを聞くのはすごく気遣うの。この頃って胸を刺されてからまだ数年しかたっていないよね。結婚して、お子様も年子で続けて産まれて、ラストフライト。幸せだったと思う。でもやっぱり気遣うよ。だから、御園大佐に聞こうと思ったの。この写真をきっかけにして『年子で生まれて、どうやって子育てをされてきたのですか』って――」
 まさか。心優がそこまで先をしっかりと見据えていただなんて――と、雅臣は絶句した。
 いや。当然なのではないか。彼女は女性だ。結婚すれば、母親になることだって視野にはいってくる。特に女性はそうなると身体に変化が生じる。その身体で働くことのリスクを考えないわけがない。周りが『妊娠だいじょうぶ?』と案じるように、心優にとっても当然のこと。
 俺はやっぱり、ただの猿か――と、雅臣は夫になる男としてがっかりしてしまう。
 だが、そこで心優が思わぬことを言い出した。
「わたし、小笠原で、御園のご夫妻みたいに、のびのびと島の子として育てたいなって思ってる」
 妻になる彼女の確固たる意志を、初めて目の当たりにした。
 心優はこの小笠原で生きていく意志を既に固めていた。
 だがそれは雅臣も同じだ。
「俺もだよ。俺をここまで戻してくれた、諦めていた空を心優と飛ばしてくれた『あの人』と一緒にやっていくと決めている」
 心優が嬉しそうに笑顔を輝かせた。
「わたしも、おなじこと思ってたよ。だったら小笠原で子育てすること考えなくちゃね!」
 心優はもうすっかりその気だった。
 雅臣はまだ漠然としていただけなのに。
 だけれど、一緒に生きていこうと誓う彼女が『ここで生きてゆく』『ここで子供を育てるの』とかわいく微笑むと、雅臣も素直にその気持ちになってくるから不思議だった。
「あ、臣さん。いまからチェンジのデーター投入なんだよね。えっと、もう大丈夫? 昨日の……」
 コードミセスに負けてしまった気持ち。もう大丈夫? と彼女が案じてくれている。
 雅臣はいつも自分を思ってくれる彼女をみて、ふと微笑み、自分より小さな黒髪の頭を上から撫でた。
「いまから勝負するんだ。目標は二日。コードミセスと対戦して最短で勝ったミラー大佐の記録をも抜いてやるんだ」
「え、すごいことじゃないの、それ」
「絶対に勝ってやるんだ。心優にもそう報告したい」
 だから今日からしばらく、俺は優しい男ではなくなるかもしれない。そうほのめかした。
 だが心優ももう真顔になって、雅臣をじっとみつめてくれている。
「また見せて、ソニックの空を」
 そして俺の彼女が不敵に微笑む。
「お父さんは、引退しても誰にも負けないエースだったと、子供達に教えるんだから」
 まだ子供なんて先のこと。でも、もう……いるんだな。俺と心優のこの間に流れる空気の中に。
 その空気の中で、俺と心優がもう育んでいるんだな。
 まだ彼女のお腹にはなんにもなくても。いつかそこに芽生えたら、きっとこの話を聞こえるようにするに違いない。
「行ってくる」
 雅臣は強敵のコードミセスが待つチェンジへと向かうため、妻になる彼女から背を向ける。
「いってらっしゃいませ、大佐。ご健闘、お祈りしております」
 心優が大佐として、パイロットとして見送ってくれるその気持ち――。
 一度は背を向けたが、雅臣はそっと彼女へと振り返る。
 そして、目の前できょとんと猫の目でいる黒髪の彼女の頬をそっと撫でて、一瞬だけ、ほんとに触れるだけのキスをした。
「た、大佐……、えっと、ここ……あの、」
 人気が少ない教育隊、工学科の廊下でも、時折工学教官達が遠くの廊下を歩いている姿が見えるから、心優がものすごく慌てて顔を真っ赤にしている。
 もうそれだけで、雅臣の堅くなっていた心がほぐれてくる。なんとなく、このまま飛んだらあの死神女王にすんなり勝てる気持ちになってくる。
「俺も、ママと空を飛んだって。子供達に自慢するよ」
 手を振って、今度こそと雅臣はチェンジ室へと向かう。
 まだ、待っていてくれ。俺と心優のところにくるその日まで。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

『データセット完了。そちらの準備はどうかな、城戸君』
「ベルト、ヘッドともに装着完了、離艦OKです」
 了解――と、御園大佐の声が届く。
 雅臣は再度、『コードミセス』に向かう。
 真のエースだと言われ続けたいのなら、ミラー大佐と橘大佐を越えねばならない。どんなに先輩だろうと、雷神のキャプテンへと抜擢された経歴を持つならば、雷神ではなかった男達を越えてこそ、抜擢してくれたミセス准将に応えられるというもの。
『カタパルトシャトル、装着完了。カタパルト発進ポッドとの確認中』
 元甲板要員である御園大佐らしく、戦闘機の足下で発進準備をしている映像に合わせて各作業の確認をアナウンスしてくれる。
『オールOK、発進前』
 以前、御園大佐が立っていた位置、黄色ジャージをつけている甲板要員が最後のコマンドサインをコックピットへと送ってくれる。
『GO/Launch!』
 海へとグッジョブサインが突き出される。が、シミュレーションのため、雅臣は敬礼は返さない。もう頭の中は、ミセスコードが起こすだろう『行動パターンの推測』に集中している。
 昨日は様子見をしていただけで、あっという間に撃墜された。やはり、こちらから『推測』をして行動を示す意志を先に位置づけるべきだと雅臣は考えている。
 一日中、考えていた。ミラー大佐も橘大佐も攻略できたのなら、どこかにその勝因となるポイントがあるはずだ。
 そう考えて、雅臣もある程度の対策は考えてきた。それを今日は実行する。
 レーダーに点が現れる。今日の雅臣はここで既に操縦桿を動かし、旋回し急降下。高度を下げる。
 向こうの強みは、どんなに上下飛行をしても体力負担がないこと。こんなことをしても意味がないと思うが、それでも『動線』として行動差のロスは発生するはず。
 その『動線』で勝負する。葉月さんが素材になっているなら『動線』としての動きは、女性パイロットのデーターならば『範囲が狭い』はず。そういう『動線』しか選べない飛び方をしていたはず。
 そう、所詮『データー』であって、『元は女性パイロットのデーター』というのが雅臣の結論。
「来たな」
 背後に、ティンクの映像を確認する。今日はそうはいかないと、雅臣はロックオンをされるまえに今度は高度を上げる。
 お得意のハイレートクライム、鋭角急上昇。背後を確認すると、向こうも体力負担はないはずなのに追いかけてこない。
「やっぱり。葉月さんの元々のデーターだと、相手の急上昇にはついてこられるパターンは打ち出せないようだな」
 確信した。向こうから追いつかれた場合はロックオンをされる。だが、こちらから先手を打って振りきれば、追いかけてこられない。そこがコードミセスの……。
『油断しすぎだ』
 御園大佐の冷めた声で雅臣はハッとする。また背後に彼女がいた。
 俺の読み、合っていなかった!? 再度、愕然とした。コックピットにロックオンされた警報音。振りきろうと急降下を試みる。今度はぴったりとくっついて、向こうも急降下についてくる。
 どうしてだ! また昨日と同じ。少しは逃げ切れても、ぴったりとマークされ真上からロックオン。同じ結果を迎える……。
 また真っ赤に点滅する撃墜後のコックピットで雅臣は項垂れた。
『どうする。今日も一旦、』
「いえ、もう一度お願いします」
『了解。……昨日より、五分逃げ延びたな』
 御園大佐はそれだけでも進歩だと慰めてくれているようだが、いまはまた、雅臣ははらわたが煮えくりかえるほどに悔しがっている。
 でも、なにかが見えた。俺の読みは間違っていないはず。向こうにパターンの尻尾を掴まれたらお終いだ。逃げ切って、背後をつく。それしかない。
 それでも。この日も連戦で、二時間後、雅臣はチェンジのコックピットから降りる。
 チェンジ機のコックピットから出ると、御園大佐がドアの前で待ちかまえてくれていた。
「お疲れさん」
 汗をかいている雅臣に、冷えたスポーツ飲料を差し出してくれる。
「ありがとうございます」
 そこで雅臣はやっと微笑んで、有り難く受け取った。
「あのさ、……言ってもいいかな」
 御園大佐がなにか言いにくそうに、でも言わずにはいられないという戸惑いで雅臣を見つめている。
「なんでしょうか」
「いや、エースというものがなにか、今回初めて身に沁みている」
「そうなのですか? あんなに惨敗なのに?」
「惨敗? バケモノデーターと言われているコードミセスと徐々に互角になってきたのに? 対戦を始めたのは昨日の今日だぞ。もう城戸君は、どうすればいいか読みきっていたじゃないか。ミラー大佐でも二日目でもこれほどではなかった」
 どこが互角だ。彼女にロックオンされてばかり、まったくもって有利にならない。
 それでも御園大佐はどこか感激したようにして、雅臣を光る眼差しで見つめ続けている。
「うちの葉月は、姉を奪われヴァイオリンを奪われ、胸を刺されコックピットを降りることになった事実がある以上、『神なんかいない』といつも言う。そうかな。俺も神が救うとかいないとか大袈裟なことは元より思わない。それでも、人生に神のような希望も光もないなんて思いたくはない」
 なんの話をしようとしているのだろう、しかも葉月さんが傷ついている話になると、雅臣はわけもなく緊張する。夫の御園大佐も当事者でもある。
 その御園大佐が今度は躊躇なく、雅臣に告げた。
「俺も今日、神なんかいない――と思った。いるなら、これだけの素質があるエースをコックピットから降ろす事実なんか生まれないはずだ」
「あの……」
 そう言われても。いや、雅臣自身もずっと思ってきたことだ。『俺にエースの素質が誰よりもあるのなら、どうして俺の足を粉々にしたのだ』と。
「惜しい、本当に惜しい。どうしてこれほどのエースに……、事故なんて……」
 雅臣はここでギョッとした。あの御園大佐が眼鏡の奥で、涙を浮かべてくれていたからだ。
「御園大佐、やめてください。そんな……。確かに俺も事故後しばらくは苦しかったですよ。でも、いまは、あの時があったからこその、いまの俺だって思っていますから」
「わかっている。そういうのは、俺も、葉月を見てきたから。わかっている。それでも、言わせて欲しい。本当に素質がある男に神は宿るべきだったと――」
 それは雅臣にとっては最高の賛辞ではある。そして、やるせなさをつきつけられる瞬間でもある。そういう複雑な気持ちを抱くため、人々は雅臣からそれらをほのめかす言葉を避ける。
 でも今日は、あの御園大佐が泣いてくれている。俺の素質を知って、惜しんでくれている。
「嬉しいです。御園大佐にそこまでして泣いて頂けるだなんて。俺はもう惜しくはないです」
「久々の『うっかり』だ。これオフレコな。誰にも言うなよ」
「ですよねえ。御園大佐が男泣きしてくれたなんて、皆がびっくりしますよね」
「それ、口止めだからな」
 スポーツドリンクを指さされ、雅臣は『これっぽっちの口止め?』と逆に笑い飛ばした。
 そして、雅臣はそんな御園大佐が二度と感傷的にならないよう、堂々と言い放つ。
「俺のいまのこのセンスが役に立つなら、これをすべて英太にぶつけようと思っています」
 それが俺のこれからの役どころ。エースがエースを育てる。いま雅臣はそこに胸を躍らせているのだから。

 

 

 

 

Update/2016.3.10
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