◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX1. お待ちください、ベイビーちゃん(9)

 

 あー、やっと週末だ。今週もごたごたしたけれど、なんとか終わった!
 コードミセスとの対戦で勝利を得て、御園准将にも宣戦布告することができた。
 あとは週明けに彼女がどう出てくるか。それまでは雅臣も『大佐スイッチオフ、パイロットスイッチオフ』。彼女とゆっくり過ごそうと心浮き立つまま、終業ラッパを耳にする。
 少しの残務をして、一時間かからない内に雷神室を出る。
 帰路の途中、スマートフォンに着信音。
【今日も残業です。先に帰っていてください】
 御園准将室に務める彼女からそんな伝言あり。
 これもいつものこと。雅臣はすでに帰り道の途中。アメリカキャンプを横切って、日本人官舎へ帰るところだった。
 秘書官の彼女の方が帰りは遅い、故に、夕飯の支度が雅臣の仕事になることが多い。
 独り暮らしが長かったことと、将軍秘書官をやっていたおかげでそこはなんとかなる。ただ、母親のような料理はすることができない。本当に簡単な男料理のみ。
 では。アメリカキャンプのマーケットに寄っていこうと雅臣は決める。車があれば島のスーパーにいけるが、まだ所有していないため、キャンプ内のマーケットがいまいちばん近い店舗ということになってしまう。
 生鮮食品は当然国内産のものがほとんどだが、あとはフロリダから輸送されてきたアメリカ製品が多い。そこだけ気をつけておけば、便利なスーパー。
 今日もキャンプ内の奥様達や、キャンプの官舎暮らしを許されている幹部員の独身男性が買い物をしている姿がみられる中、雅臣も買い物カゴ片手に野菜を物色する。
 そのうちに、牛肉が本日の安売り品だと知る。
「牛丼にするか?」
 心優も肉はよく食べる。これなら雅臣もすぐに作れると思いながらも、本当にそれでいいのかと献立に悩む……。
「あ、ソニック」
 背後からそんな声が聞こえ、雅臣はハッと振り返る。そこに、栗毛の少年が買い物カゴを持って立っている。
「海人じゃないか」
「こんにちは。いま、基地からの帰り?」
「ああ、そうだよ。海人は……?」
 キャンプでベビーシッターのアルバイトをしていると聞いている。その帰りなのだろうかと雅臣は思った。
「その牛肉、ソニックも買うの? あと数パックしかないけれど、いくつ買うつもり」
「え? いや、どうしようかと」
「三パック、俺がとっても良いかな」
 え、どうして十五歳の少年が、牛肉を三パックも? 雅臣は目を丸くした。
「うちは彼女と二人だけど、うちも二パックはいるかなあ」
「じゃあ、俺のところが三パックとっても足りるね。よかった。今日の安売りだったんだけど間に合った」
 当たり前のようにして、御園家長男が買い物カゴに肉パックをほいほいと放り込んでいく。よく見るとカゴの中には、人参や玉葱などが入っている。
「おうちの買い物の手伝いをしているんだ。お父さんの御園大佐が今夜はなにかつくってくれるのかな」
「ううん。今日は俺が料理当番。牛肉が安い日と知って、今日は大佐直伝の欧風ビーフカレーだよ。残った肉は下味付けて冷凍保存しておくんだ」
「は? 海人が作るのか!」
「うん。俺、子供の頃から父さんと留守番が多かったから、手伝っている内に覚えさせられちゃったんだ。父さんもマルセイユでホームステイを始めた十五歳の頃から、そこのママさんに一人でも食べていけるようにと料理を教えられたらしいから」
 すげえ、と雅臣はおののいた。御園大佐、息子にもしっかりと家事を仕込んでる! 子育てなんて適当という顔をしておいて、きっちりやってるじゃないかと雅臣は言い返したくなった――。
「いつもそうなのか。御園の家では……」
「夏休みが長いから、余計に手伝いをするように言われるんだよ。いまは週二で晩飯当番なんだ。学校がある時は手伝うぐらいだよ」
「欧風ビーフカレーって美味そうだなあ」
 俺なんか、牛丼とか考えていたのに。こんな少年が欧風ビーフカレーてなんてこじゃれているんだよと比べてしまう。
「その家の仕込み方があるだけで、そんなに難しくないよ。父さんからコツを教わりさえすれば本当に簡単だよ。今度、教えようか、レシピ」
「マジで、是非是非。最近、彼女の方が帰りが遅くてどうしても食事は俺の役目になってしまって、レパートリーに困っていたんだ」
「あ、そうか。園田さん、うちの母さんとずっと一緒だもんな。うちも母さんのほうが帰ってくるのが遅いから、父さんがキッチンに立つこと多いよ。ということは、うちとソニックの家庭は連動しちゃうってことだね」
 あのミセス准将とそっくりな顔。なのにきらきらっと琥珀の目を輝かせて微笑むのがとても眩しい。そっくりなのに母親はあのアイスドールという冷たさ。あの顔が微笑むとこんなにキラキラするのかといつも思う。
 そんな海人はやはり目立ってしまうらしく、こうして雅臣と向かって立ち話をしていても、遠くの通路から『Hi カイト』と奥様や隊員達に声をかけられてばかり。その度に、海人も愛想良く手を振って応えている。
「ソニックはまだ忙しいのかな。せっかく小笠原に転属してきたし、航海から帰ってきたんだから、うちに遊びに来て欲しいのに」
「あー、うん……。雷神を引き継いだところだから、いろいろな」
「そのことでもいろいろと俺も聞きたいんだよね。基地でもそうだと思うけれど、うちでも母さんはなにを考えているかわかりにくいもんだから」
 息子の前でも、仕事のことでは腹の底は見せない――ということらしい。まあ、子供に仕事の手の内を見せるわけがないだろうが、海人はそこが息子としてもどかしいようだった。
「ソニックは、高校を卒業して浜松基地のパイロット候補生になったんだよね。横須賀の予備訓練校からではないんだよね」
「そうだよ。高校までは普通に日本の子供らしい生活をしてきたな」
「だったら……。大丈夫かな、俺も……」
 ん? なんだか思い詰めた顔をされ、雅臣は首を傾げた。
「どうしたんだ、海人」
 彼がちょっと躊躇った顔。しかも辺りに誰もいないか見渡した。
「俺も、パイロットになりたいんだけれど……」
「やっぱり、そうなんだな」
 あまり雅臣は驚かない。きっとこの子は空を見て働いている両親に影響されてそこを目指すだろうと思っていたから。ただ、それは『いつか』という子供を見守る感覚だった。でももうそうではないところに来ているとは感じてしまう。
「どこから始めるべきか、迷っているんだ。予備訓練生になるなら来年から横須賀に入隊することになる。でも、そうすると晃だけを島に置いていくことになるんだ。晃も去年、同じように悩んだけれど、海野の両親と話し合った結果、ハイスクールを卒業してから……ということになったんだ。でも、晃はパイロット志望じゃない」
 思い詰めた真剣な眼差しが、ミセス准将とも御園大佐とも似ていて雅臣は言葉を失う。この子はもう大人の顔をするし、冷静に物事を考えている。
「それなら海人もご両親と話し合うべきじゃないか。俺は浜松基地の近くに住んでいたから戦闘機や練習機を子供の頃からよく空で見ていては、かっこいいと思っていたよ。でも、パイロットになるための道を行こうと本気で決意したのは高校生になってからだ。それまでハンドボールをやっていたんだ」
「ハンドボールをしていたの、ソニック!」
 『まあな』と返答したが、ここまで話す自分に正直胸がドキドキしはじめていた。パイロットに憧れてはいたが自分が成れるとは思ってはいなかった。それをその気にさせてくれたのは、幼馴染みの親友――。思い出すには辛いことがつきまとってしまうが、亡くなった親友が誘ってくれたからこそ今の自分があるのは常々心に留めている。それが痛い棘のようで、でも自分から抜くことはできず、抜こうとも思っていない。ずっと刺しておこうとさえ思うもの……。
「ハンドボールは、続けたいとは思わなかったということ?」
「そう。弱小チームだったんだ。地方高校の弱小運動部。だからやり甲斐はなかったな。でも運動は好きだったし、自分でも運動能力があることはわかっていたんだけれど、やりたかったのは野球でもサッカーでもなくハンドボールだったんだ。でもな、メジャーに進むにはどうしたらいいか道が見えなかった。そこで友人に誘われたんだ。そうしたら適正があって候補生になれたんだ」
 子供の頃からパイロットになりたいと本気で夢を見ていたのは、雅臣を事故に巻き込んだその親友のほう。誘われて適当に受けたら、どの男よりも才能を持っていたとなれば、それは雅臣も恨まれてしかたがなかったかと振り返るが、いまでもどうにもやりきれない。
 それでも、こうしてパイロットを夢見る少年にこうして語れるようになったのかとも思う。そうだ、パイロットでエースにまでなれた俺が、今度はこのような夢見る少年を支えられたのなら……。急にそう思えてきて、雅臣はふっと微笑む。
「だから海人だってそこから始めても遅くはない。適性検査を受けてみないとわからないけれどな――」
 そういって、雅臣は初めてゾッとした。そうだ。あのミセス准将と御園大佐の血をひくDNAを受け継いでいるなら、この子こそ『コードミセス』的なパイロットになれてしまうのでは! と――。
 だがいま雅臣がみても、細身のすらっとした男の子。雅臣や英太のような体格ではない。ただ、いま成長期なのだろう。背丈はもう父親の御園大佐を越しそうなほど伸びている。未知を秘めた子だ。
「そうなんだ。ちょっとホッとした。今度、父さんに相談してみる」
 あれ、そこ『お父さんにまず相談』なんだと雅臣は苦笑いをこぼす。まずお母さんという家庭ではないよう。確かにあのお母さんだと、仕事でなければちょっと変わったことを発言しそうだなあとか雅臣は思ってしまう。
「またソニックの話を聞いてもいい?」
「もちろん。俺も海人がパイロットになるのが楽しみだよ」
 いつか、この子が雷神に来る日もあるのだろうか。その時、俺はなにをしているのだろうか。
「じゃあ、また。レシピは父さんに渡してもらうよう伝えておくね。話せて良かったよ。ありがとう、ソニック」
「俺こそ。レシピが増えて嬉しいよ。じゃあな」
 そこで栗毛の貴公子のような少年と別れた。

 

 自宅に戻り着替えて、夕食の準備がそこそこ整った頃。蛙の大合唱が聞こえてきた薄闇のキッチン窓から空を見上げていたら、彼女が帰ってきた。
「ただいま帰りました」
 夏制服姿でキッチンをまず覗いてくれる。
「お疲れ様、心優」
「臣さんもお疲れ様でした。それから……」
 未だに部下みたいな挨拶をする心優が、目が合うなりエプロン姿の雅臣へとまっしぐら抱きついてきた。
 ドンという勢いだったので、雅臣も抱きつかれてのけぞってしまう。でも、珍しく自分から飛び込んできた彼女を雅臣もぎゅっと抱き返した。
「なんだよ、心優から抱きついてくるだなんて」
「おめでとう、臣さん。やっぱりエースだったね!」
 コードミセスに二日という新記録で勝利したことを、心優は喜んでくれている。きっとミセス准将の前ではあからさまに喜べなくて、祝えなくて、この自宅に帰ってくるまでぎゅっとその感情を抑え込んでいたのだろう。それが帰ってきて溢れてしまったようだった。
 こんなふうに。もう空も飛べなくなったはずなのに、いまでもパイロットとしてのプライドを大事にしてくれる彼女がそばにいるのは、ほんとうに雅臣にとっても支えだった。
 しかも心優が『わたしもとっても嬉しい!』と、雅臣の唇にキスを押しつけてきた。
「わ、心優……、わ、わかった、から……いま、火を使って」
 調理中でなければ、雅臣も心優を抱きしめて上からのキスを返すところなのに。
「あ、ごめんなさい」
 心優もやっと離れてくれた。
「いい匂い。今日はもしかして、牛丼?」
「正解。着替えてこいよ」
「うん。……あの、毎日つくってくれてありがとう」
「できるからしているだけだって。あ……、最近、御園大佐がすごいなと思っているのも影響しているかな」
 夫がこれ妻がこれではない。手が空いているどちらかが考えてやるものだ。と御園大佐がよく言うらしい。それを立派にこなして、自分は大佐、妻は見事に空母艦に乗る艦長で女将軍様。そうして一家を整えているのは、やはり夫の御園大佐。これから小笠原で子育てと思うと、雅臣もどうしても意識してしまう。先ほども、御園家の長男があんな立派なところを目の当たりにしてしまったから。
「でも、臣さん。御園大佐は御園大佐なんだから、あそこまで真似しないでよ。わたしだって、ちゃんとした奥さんになりたいし」
「もちろん。期待している。けどな……実はな……」
 先ほど、海人にあって彼が夏休みの間は週二回夕食当番の手伝いをしていて、しかも作るものがフランス帰りのお父さん仕込み欧風ビーフカレーだったと伝えると、心優もびっくり仰天している。
「うそ……、絶対にわたしも負けてる。わたしもいままで寄宿舎生活で、臣さんより料理歴ないもん……」
「でも、魚料理はお父さんとお母さんに教わっていてあれはうまい。俺そこは範囲外だから助かる」
 心優は沼津の港町育ち。だからなのか、海の側に住むというのがとても落ち着くようだった。
「じゃあ、明日は週末でお休みだからわたしがご飯を作るね」
「市場まで行ってみるか。やっぱり車が欲しいな。基地で年に数回、本島からディーラーを呼んで車の販売会をするらしいからそこで決めるかな」
「そうだね。たまにお父さんの車を借りて運転をしていたけれど、ここでは絶対に必要になるよね」
 また心優からちゅっとキスをしてきた。ああ、もうダメだ……と雅臣もコンロの火を落としてそのキスに応えてしまう。ぎゅっと抱き返してやる、おまえ、俺はもう止まらない。火も消したし、いまから二人きり。仕事のあれこれはもうシャットアウト、その黒いネクタイをほどいて柔らかい肌に触ってやる!
「じゃあ、着替えてきて、わたしも手伝うね。まってて、臣さん」
 おまえをぎゅっと抱き返して、ネクタイ……ほどいて、肌……。その勢いをするっと心優にかわされるかの如く、彼女は上機嫌で雅臣の腕をすりぬけていった。
 キッチンに一人残され、雅臣は呆然。そして、エプロン姿でひとり気を取り直す。
 キッチンには小さなベランダがついている。そこのドアを開け放していると、裏が南の島らしいジャングルのような林がみえる。
 そこからざわざわとした夕の風と、カエルの鳴き声が聞こえてきた。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 ジャングル林から、聞いたことがない鳥の鳴き声が聞こえる。
 それと同時に、雅臣は目が覚める。
 非常に気怠い……。唸りながら寝返りを打ち、ナイトテーブルにあるパイロット仕様の腕時計を眺める。
 反射塗装になっている数字と針を眺め、なんだまだ夜明け前か――と、もう一度ベッドへと身体を沈めた。
 もう一眠り……。夜更けまで、心優と思う存分に愛しあったので身体がだるい。俺もやっぱりもう四十前かもなあとあくびをしながらタオルケットにくるまった。のに……。隣からもぞもぞとした柔らかい感触、それが素肌の背中にぴったりとくっついてくるし、花のようないい匂いがふわっとたちこめた。
「う……ん? もう朝……?」
 裸で眠っていた雅臣の身体に細長い女の腕が背中から巻き付いてきた。心優が抱きついてきている。
「起きなきゃ……、走りに、いかなきゃ……。何曜日? ……だったら、はやく准将室に……」
 ああ、もう。この子はいつだってそうなんだなと雅臣はちょっと溜め息をついた。
 伸びてきた細い腕、その先にある手を握ってあげる。
「今日は土曜だろ。朝のランニングも、出勤もなしの日だ」
「……あ、そうだった」
 平日の朝、心優はランニングを欠かさない。曜日によっては早めに准将室に出勤をして先輩達と大量業務の準備をする日もある。だが心優は土曜日だけはなにもしないと決めて、雅臣とゆっくり過ごしてくれる。それが今朝――。
 すると心優がまたぎゅっと雅臣の背中に力を込めて抱きついてくる。
「嬉しい、臣さんとまだこうしていられるんだ」
 背中に生々しい膨らみがくっついてきたのがわかる。それだけでお猿の全身がどきんと脈打つ。とくに股の間のものが起き抜けの心地よさに拍車をかけて一気に堅くなる。
 まだ日が昇りきらない薄明るいだけのベッドルーム。明けの紫に包まれているだけの部屋は静か。でも男の身体は熱くなってしまうばかり。ついに雅臣は抱きついている彼女へと寝返る。まだうつらうつらしている心優もはっとして目を開け、上から覗き込んでいる雅臣の目を見つめてくれている。
「どうしたの、なんか、怒ってる?」
「うん。俺じゃなくて、俺の下の方が怒ってる」
 なんのこと? 雅臣の胸元で彼女がきょとんとしている。いつもの『わたし、なにもわからない』という可愛い顔をされ雅臣はくすりと笑ってしまう。そういうところ、いつまでも直ぐに読みとれてしまうすれた女にならなくていいよ――と思っているし、なかなかそうはならないだろうなとも思っているから。
「いいんだよ、なんのことかわからなくて……」
 小さな黒髪の頭をそっと撫で、雅臣は彼女の小さなくちびるにキスを落とした。
 そうすると、お猿としてはそれはもう『かわいいご挨拶』程度なはずもなく、『はじまり』のスイッチであるからそのまま細い彼女の真上へと覆い被さった。
「臣さん……」
 彼女も抵抗しなかった。覆い被さる男の背に慣れたようにして抱きつく。雅臣がふとももにふれると、彼女から足を開いた。
 もっと以前なら、そういうことも恥ずかしそうにして身体を固くしていたのに。いまはその先、お猿がなにを望んでいるか先読みをして彼女はそこから淫らになってしまう。
 お猿だって遠慮しない。寝起きだが、寝起きだから『おいしい』とわかっているし、彼女も『きもちいいこと』と知っているから。
 彼女らしく綺麗に短く整えている茂みの奥へと、怒って起きてしまった男の塊を雅臣は押し当てた。
「んっ……、い、いきなり?」
 指で可愛がってくれず、指で優しくほぐしてとろけさせてからの下準備もなく、『いきなり』。いくらなんでも、それじゃあ臣さんの大きいの、はいらないって……! と心優が掠れた声で囁いた。
「そうか? もう充分みたいだけれどなあ」
「え?」
 短く整えている黒い毛が湿って光っている。昨夜の印が残っていて、雅臣が押し当てた尖端もその熱さに既に触れていた。つるりともう彼女の中にはいってしまいそう。
 でもここで我慢しなくてはならない。いまはまだ……。男の準備が不可欠でそこは理性的にならざる得ない。すっと腰を引いて準備をする、しながら……。
「昨夜、すごかったもんな。心優、俺の身体の上で……。俺、死にそうだったよ」
 本当のこと。わたしはボサ子で男に慣れていなくて、セックスだって苦痛なだけだった――と言っていた彼女が、近頃はセックスに慣れきったのか、雅臣がそうして欲しいとそれとなくせがむことで覚えてしまったのか、あるいは日頃の仕事のストレスもあるのか。それはもう雅臣が望むまま、男の身体の上で激しく悶えてくれる。雅臣が攻めることもあれば、体を鍛えている彼女が男の身体を翻弄することもあるし、かわいい口で雅臣の身体中を愛してくれることもある。
 そんな時の心優は妖艶で、きっと誰もこんな彼女を見たことがないんだろうなと……、寝そべっている雅臣はそんな彼女をみつめて優越感に浸っている時がある。
 かわいい心優が、凄い彼女になる瞬間。俺の身体にまたがっている心優の細い腰を下から支えている時、雅臣も恍惚としながらふと世界がどっかにふっとんでしまう時がある。
 その瞬間、ふと思い出すことがある。
 ―― いいカラダしているねー。
 初めて出会った時のことを。
 ――中佐、セクハラ発言ですよ。
 当時の部下だった塚田に叱られる声も。
 ――わたしは嫌ではありません。あの、中佐もいいカラダされていますよね。
 あの時も『そんなセクハラのような男っぽいことを言われても、わたしにはわかりません』という顔を心優はした。
 ――中佐は、あなたの鍛えられた身体のことを言っているのです。
 決してセクハラ発言ではなく、空手家として鍛えているしなやかな身体のことに感心したのだ。塚田はそうフォローしてくれた。
 だが違う。雅臣のことをよく知っている塚田も、本当は気がついていはずだった。
 『マジで、俺好みのいいカラダ』だったんだと。
 いまだって、心優は知らない。
 雅臣は、細長くて均等の取れたモデルのような体型の女性がずっとタイプだった。いわば、日本女性ではなく外国人体型。
 あの着せ替え人形のような女性に憧れている。心優はまさにそれだった。●●ちゃん人形のような子だった。
 見た目ボサ子だったかもしれない。でも、気がつく男は気がついていた。『でも、あの子。スタイルいいよな』、『足が細くて長いな』、『程よい膨らみのバストに、ヒップの位置が高くていい形』。そんな男共の囁きは雅臣にも聞こえていた。その時にどれだけ、気を揉んでいたことか。それだけではない。『秘書室に選ばれただけあって、表情が読みとれなくて、口も堅い』、『メダルを目指していたメンタルが彼女の軍隊での潜在能力』、そう気がついた男達は澄ました顔で知らぬふり『様子見』を決め込んでいた。その男達が後ほどこう口を揃えたことも。『御園が目をつけた。長沼准将の審美眼は間違いなかったということか』――と。
 彼女は意地悪な視線と受け取り緊張していたようだが、心優は様々な目線で注目されていた自覚を持っていない。男に慣れていなくて疎い心優が簡単にひっかからないよう年上の大人の上司としても気を配っていた。逆にそんなことも見えもしない、外見だけで『ボサ子』と判断するバカ男は徹底的に無視をした。もうその時点で人を外見で判断しているだけで、観察力も洞察力もなし。たいした仕事もできなさそうなもんだから。
 心優が御園葉月准将と並ぶと、ものすごい見栄えがした。あの日本人離れしたすらりとした長身のミセスと、同格のスタイルだったからだ。
 その時に男共はさらに気がついただろう。磨かれたボサ子がどれだけの原石だったことか。ミセス准将に見劣りしないスタイルで一緒に歩いていると、非常に目を引く。そこだけランウェイかというような空気になる。
 そのくせあどけないベビーフェイスな笑顔を見せるもんだから、目上の男達からとても可愛がられる。
 ほんとうにほんとうに、再会してすぐにひっつかまえて俺のもんにして正解だった。即プロポーズをして、婚約して正解だった。でなければ、シドを始めとしたエリート軍団の男共に心優は猛アタックの嵐に襲われていたはずだ。しかも御園のお気に入りとなれば、出世を狙う男達にとっても放っておけないステイタスも持っている。
 そうして、横須賀や小笠原の男達が、『なんであっという間に城戸大佐のものになっているんだよ』と陰で羨んでいる顔を思い出し、雅臣はほくそ笑みながら、綺麗な女のカラダの彼女を見下ろしている。そんな極上の朝は、いまは俺だけのもの。そんな満足感に包まれながら、雅臣は心優の中へぐっと入り込んだ。
「あ、うんっ……! や、ほんとにいきなり……」
 寝起きの強引な攻めに心優がそっと背を反る。その時につんと盛り上がった乳房をみて、雅臣はそれを思わず掴んでしまう。
 彼女の乳房を掴んで、躊躇なく硬くなっているものを熱い彼女の中へと射し込む。
「ほら、痛くないだろ。ちゃんと濡れている」
 なんの抵抗もなく奥までするっと入り込んだ。だから、そのまま引き抜いて、でも、また奥まで押し込むを繰り返す。
「おかしいな。なんか、すごい熱いのが俺のに絡んでくる」
 心優の中を行き来している内に、静かな部屋に微かに濡れる音が聞こえ始める。
「も、もう、いじわる」
 頬を真っ赤にして彼女が少し怒った顔。なのに、堪らなそうにして雅臣の首に抱きついてきて、男の行為に夢中になっている雅臣のくちびるを何度も何度も吸って愛撫してくれる。それだけ彼女も感じているという返事だった。
「こんなもん、ナシでやりたいんだけどな」
 そうしたらもっと心優の生々しい熱さを皮膚に感じられるのにと、いつだってもどかしく思っている。それに、子供だって早く欲しいのが雅臣の本音。
「わたしだってそうだよ……。あかちゃん、欲しい」
 でも、まだダメなんだ。いまは心優だけでも本当に充分なんだ。ベイビーはおあずけ。雅臣はそう囁いた。心優もうんと頷いて抱きついてくれる。
 本当にいまは、心優と俺だけ……。
 なにもしらない心優。このカラダを他の男に獲られないように、置いて行かれた俺が必死で追いかけたことだって。小笠原ではなく岩国に一度行かされた時のあの焦り、苦みを決して忘れない。だから、もう絶対に離さない!
 起き抜けのやわらかいセックスにしたかったのに……。お猿の熱い想いが、彼女のカラダが軋むのではないかというほどの剛力で愛しぬいてしまった。
 それでも鍛えている彼女はなんのその。『臣さんたら、朝もすごい』とうっとりして汗ばんだ裸にいつまでも抱きついて離れない。
 うん、心優もすごいよ。
 うん、いつまでもそんなかわいい顔のままでいて欲しいよ。
 そして。上司だった頃の、大人だったはずの中佐殿の邪な熱情は、やっぱり今も内緒のまま。きっとこれからも。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 遅い朝食をとっていると、せっかく楽しい会話をしていたのに心優が溜め息をこぼした。
「あの、仕事の話をしてもいい?」
 心優がそう前置きをする時は、雅臣が『大佐』としてどう反応するか伺っている時だった。
「どうした。もしかして、俺が葉月さんを挑発したことか」
「うん。わたしね、最近、あのわかりづらい葉月さんのちょっとした感情のひだみたいなのがわかるようになってきたんだけれどね」
 うん――と雅臣も新聞を読みながら、でも気にしていないような返事をする。本当はすごく気になる。
「臣さんが『任されている以上、俺はやりますよ』と言いきった後、准将室をでていったでしょう。あの後、護衛で少し離れて後をついていったんだけれど、いつものサボタージュの芝土手にたどり着いてね……」
 ミセス准将がふらっとそこへ向かうのはよく聞く話。
「そこでもの凄くぷりぷりしていたんだよね」
「ぷりぷり?」
 あの女性を捕まえて、そんな可愛げある表現を使われたので雅臣はつい聞き返してしまった。
「うん。お気に入りのレモネードの缶ジュースを片手にね。『まったく、生意気。なにがエース以外の称号を与えろよ。それに私だって英太に1対9を制覇させてやれなかったこと、ずうっとずうっと気にしていたわよ』と、こんなふうに口を尖らせてぷりぷり」
 心優がちゅっとくちびるを子供っぽく突き出したので、大佐の心積もりで聞いていたのに雅臣はふきだしてしまった。
「おおげさな変な顔するなって、あの人がそんな顔するもんか」
 笑い飛ばしたが、心優が首を振って身を乗り出し詰め寄ってきた。
「なにいってるの臣さん。葉月さんが隼人さんにやりこめられる時の顔ったら、未だにほんとうに『お嬢様』みたいな子供っぽい顔になるんだから。つまり! 臣さんは、あの葉月さんに旦那さんにやりこめられたのと同じ状態にさせたってことなんだからね」
「隼人さんがやりこめたのと、同じ……?」
 一瞬、ヒヤッとした。それって、ものすごくあの人を感情的にさせたってことなのでは。
 と、なるとその揺り返しが甲板でやってくるということだった!
 雅臣が黙り込み青ざめたのを見て、今度は心優が心配する顔になった。
「冷たくて意地悪なことされるかもしれないけど、だからこそ、臣さん……思いっきり生意気やっていいと思うよ。臣さん、時々、葉月さんに遠慮しちゃうところがあるから……」
 葉月さんを常々気にしている。心優は雅臣のそんな感情をとても気にする。女性として意識しているわけではない。雅臣があの人を常に気にしているのは、師匠だからだ。橘大佐同様に、空で生きていきたい者はどうすればいいか。それを見せてくれる人……。
 だからこそ気にしている。あの人に二度と見限られたくない。今度こそ、期待に応えたいと思っている。
「わかった、心優。大丈夫だ。そのつもりでふっかけたんだ。なんたって、あの悪ガキバレットと組むんだからそれぐらい噛みついてやる気概をもっていないとな」
「鈴木少佐もすっかりその気みたい。自分のエースの称号は誰にも譲らないけれど、それでも、あの時、結婚することで身をひいた相棒のクライトン少佐とははっきりした決着をつけたかったから――って」
 そうか。やっとあの悪ガキ、本気になったか。そして、親友とやりあう決意もできたようだった。
 親友か――。
 雅臣の胸に、また苦しく黒い渦がうごめく。その渦が抜けない棘に触れまくって、抜けないからいじられっぱなしで痛い。
「いいな、英太とフレディは……」
「ミセス准将がその気にならないと対戦すると決まったわけでもないのに、お二人はすっかり対戦気分で、昨日も嬉しそうにして二人揃ってキャンプの道を歩いているところを帰り道に会ったの。これからクライトン少佐のご自宅で食事して泊まっていくんだって教えてくれたよ。今週末までうんと仲良くして、きっと週明けの甲板からは口もきかないほどの敵対心を持って正々堂々勝負するんじゃないかな」
 二人の仲がどうなるかと案じていたが、雅臣はそれを聞いてホッとした。心優は英太と仲が良い、時たま、フレディとも一緒に食事をすることがあるようで、二人の強い絆をもう何度も目の当たりにしているようだった。
 そう思うと、雅臣はどうしてか涙が滲んでしまった。
「お、臣さん。どうしたの?」
 向かいの席にいた心優がびっくりして、雅臣がいる席まですっ飛んできてくれる。
「いや、あいつら、いい友情もってんなと思って……。安心したんだよ。もしかして、俺がすることで仲違いしないかと」
「大丈夫だよ。あの二人はライバルであって、相棒なんだもの。喧嘩も良くするけど、熱くなる鈴木少佐に対してクールなクライトン少佐がさっと抑えて本当に上手く噛み合ったコンビだって雷神のお兄さん達も笑っているもの」
 その時、雅臣はついに……。吐露してしまう。
「どうして俺とあいつは、あんなになってしまったんだ」
 なんのことか察した心優が、さすがに固まっていた。言葉も失った真っ白い顔になっている。
 心優から触れてきたことは一度もないし、雅臣から『彼』のことを口にしたことも一度もない。
「だからこそ。英太とフレディに真っ当な実力の優劣をつけさせるべきとも思いもするし、だからこそ壊れるのではとも恐れている」
「臣さん。鈴木少佐とクライトン少佐のこと……」
 そうなれなかった自分と『彼』を重ねているんだね――。心優はそう言いたそうだったが、そこまでは言わなかった。
 雅臣も不思議だった。今になってこんなふうに溢れてくるだなんて。俺の時間が小笠原で動き始めたから? 俺が置き去りにしてきた気持ち、どうにかする時間がやってきたから? 『妻』という心強い支えを得たから?
「心優。浜松に帰ったら、あいつに会いたい」
 また心優の息が引いたのを雅臣は感じた。でも、今度の心優は優しく雅臣に抱きついてくる。
「うん。一緒に行こう。お花を持って行こう。きっと会いたいと思ってくれているよ……」
 心優も泣いていた。
「後悔していると思うんだ……。空で……。いまは臣さんを心配して見守ってくれていると思うよ。だって、鈴木少佐とクライトン少佐みたいに仲が良かったんでしょう」
「ガキの頃からずっとだよ。あの日までずっとだ」
「誰にも負けないほどだったんだね」
 でも。コックピットという男を魅了するシートを得た者と得られなかった者に分け隔てられ、生死で分かつことまでになった。
 空は人を魅了し、時に魔物。
「一緒に航海に連れて行ってほしいかもよ」
 心優の優しい囁きに、雅臣も静かに頷く。
 もっと早く。おまえを空に海原に俺と一緒に連れていけば良かったかもな。俺が迎えに行かなかったから……。
 そう思った。小笠原はもう真夏のように蒸し暑い。官舎の窓には今日も珊瑚礁の海。熱帯の風が吹き込んできても、ここでは少しひんやりしていて気持ちがいい。
 人知れず。大佐は潮風と彼女に抱かれている。

 

 

 

 

Update/2016.4.25
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