◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX2. ドーリーちゃん、よろしくね(2)

 

 城戸家の双子が襲来。それからというもの、心優の午後の業務は多忙になる。
 双子が警備の許可を得て入場したという報告書、それを認めたと警備が証明する書類、入場パスの家族証IDカード発行申請などなど。
 午後の中休みもゆっくりとれない。いつもカフェにティータイムに向かっている時間も、今日は各部署に駆け回り、デスクにかじりつきっぱなし。
 そんな時、心優のデスクにある内線電話が鳴る。
「お疲れ様です。空部大隊長准将室 園田です」
『雷神室の城戸です、お疲れ様です』
 雅臣からの内線で、心優はハッとする。
『心優、いろいろ世話かけたな』
「いいえ。双子ちゃん達はどうですか」
 その後、お猿な双子は雷神室へと引き取られ、叔父の雅臣が連れて行った。
『んー、もう、いちいちすげえすげえて騒いでいてうるさい。雷神室の業務に差し支えるし、俺は母に連絡を取らなきゃで、橘大佐が基地見学に連れていったところだよ。橘さんもスワロー時代にあいつらのやんちゃさ知っているから、うまくコントロールしてくれると思う』
 本当に大丈夫なのか――と、心優はそっと顔をしかめる。あの橘さんがいるスワローでも一騒ぎ起こした双子が今回も大丈夫なのかと。
『そうそう、母と連絡が取れたんだ。まさにハーレーで飛び出すところだったよ。葉月さんの意向を伝えたら、母もとにかく少しでも早く双子を引き取ること、准将に迷惑をかけないことが優先だから、今回は新幹線で横須賀基地まで行って夜の最終便に乗ってくれるってさ』
 心優の胸がドッキーンと動く。つまり今夜はもうお母様と初対面ってことに!?
『横須賀からの小笠原便を手配済み。准将にそう報告して欲しいけれどいいかな』
「かしこまりました。准将にお伝え致します」
『……心優、驚かせてごめんな。こんな騒ぎになるなら、もっと早めに話しておくべきだった』
「もう知ることができたので大丈夫です」
『今夜は母と双子が泊まる宿も取れたから、官舎には来ないから安心してくれ』
 心優は黙った。それってわたしがあなたの家族を拒否してるみたいじゃない――と。だからとて、今夜、体の大きい双子と豪快なお母様にあの官舎でくつろいでもらえるような招待ができるかといえば自信がない。部屋は小綺麗にしているが、まったく綺麗に整頓しているわけでもない。日々、基地での勤務をする共働きの二人暮らしには本当の意味で慣れていない。その現状を初対面のお母様に見られたくないのも本心。
「なにもできなくて、ごめんなさい」
『なんで心優が謝るんだよ。ひっかきまわしているのは俺の実家なんだから。母さんも、心優さんに迷惑かけたどうしようと辛そうだったよ』
「そうなの?」
『言えなかった俺も悪かったんだけれど……。ある意味、母さんも『ボサ子』的な心情を持っている人なんだ。わかるだろ。あの男っぽい風貌で生きていた人なんだから。今度は嫌われたくないと緊張しているのはうちの母親の方だよ』
 今度は? 嫌われたくない? その言い方が急にひっかかった。
『あ、業務中にごめんな。准将に報告をお願いします、園田中尉』
「は、はい。城戸大佐。ありがとうございました」
 雅臣から大佐に戻ってしまったので、心優も業務中の中尉に戻らざる得なかった。
 受話器を置いて、書類に集中してる御園准将に伝える。
「准将。城戸大佐から、浜松のお母様が搭乗する飛行機の予約が無事に取れたとの報告です。今夜の小笠原行き最終便で来られるそうです」
「あら、そう……」
 いつものような素っ気ない返答。双子が去って静かになった准将室で、ミセス准将はいつもどおりに黙って淡々とデスクワークに勤しんでいた。
 誰が話しかけても万年筆を握りっぱなしで、文字を書き込みながら淡泊な返答が彼女のスタイル。なのに、この日はペンを置いてしまう。そして心優を心配そうに見た。
「予定が狂っちゃったわね……。今夜、いきなりお嫁さんのご挨拶ってわけね」
「はい。でも、もう覚悟決めました」
「お洒落の準備もしていたのでしょう。でも、私は、園田中尉をお母様に見て欲しいわね。それが城戸大佐を支えていると知って欲しいわ。かわいいお嫁さんよりもね……」
 心優が思い描いていたご挨拶のシチュエーションではなくなったし、心優がそうしたかったご対面にもならなくなってしまった。そこは心優もがっかりしている。
「そうですね……。この格好でご挨拶しようと思います」
「いま内線を切ったばかりで申し訳ないけれど、お母様が来られるなら、私もお話ししたいことがいっぱいあるのよね。到着次第、こちら准将室に連れてくるように雅臣に伝えてくれる?」
 まずは准将室で、仕事の顔でお母様と会うことになってしまった。それも仕方がない。双子突然の訪問で准将の力を借りてしまったのは、雅臣も城戸のお母様も免れないことで、御園准将を無視して今夜を終えることができないだろうから。
「かしこまりました」
 なにもかも、心優が『いいお嫁さんのご挨拶』と心構えを整えていたことが総崩れ。致し方なく受話器へと手を伸ばしたのだが、目の前に書類とデーターメモリーが入ったクリアファイルが差し出されている。
「雷神室に届けてきて。橘大佐に渡してね。それから、お母様が来るのだから、その相談でもしてきなさい。一時間あげる」
「ですが」
「行ってきなさい。大事なことでしょう。雅臣も今日はチェンジにデーター投入どころではないと思うわよ。あの双子から目が離せなくてね」
「あ、ありがとうございます」
 そのファイルを受け取って、心優は准将室を出た。一路、第一中隊棟にある雷神室まで。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 雷神室に到着し、心優は事務室のドアをノックする。
「空部大隊長室の園田です」
 滅多に来ない事務室だったが、ドアが開く。
「心優……!」
 開けてくれたのは雅臣で、珍しく心優が来たせいか、大佐ではない臣さんになってしまっている。
「あ、園田中尉。お疲れ様です」
「お邪魔致します。こちら御園准将から言づかりました。橘大佐に渡して欲しいとのことです」
 預かったクリアファイルを差し出した。
「有り難うございます……わざわざ、」
 雅臣も訝しそうにしている。
「お時間ありますか。准将にお時間をいただいてきたんです。お母様が来られる前に、二人で話してきなさいと」
 時間もないから心優も躊躇わずに告げる。それに、心優も本当のところは話したい。驚かされたままで、雅臣自身にはなにも確かめていないから。
 雅臣もミセス准将直々の気遣いだとわかると、ふっと雷神室へと振り返った。
「松田、鷹野。ちょっと出てきていいかな。園田と話しておきたくて」
 雅臣が立っている入口の向こう、デスクを付き合わせているそこに若い事務官のふたりがこちらを見た。
「どうぞ。それがよろしいでしょう。俺達もびっくりしたんだから、園田さんもびっくりしたことでしょうしね」
 と松田大尉が笑っている。
「悪い。そこの休憩ブースにいるから、なにかあったら呼びに来てくれ」
 イエッサーと二人が返してくれる。
「行こう、心優」
 雷神室を出ると、雅臣がさっと心優の腰をさらった。
 ここ、職場なのに……。そう思ったけれど、とにかくおまえとふたりきりになりたいとばかりの力強いリードに、心優はちょっと頬を染めてしまう。
 そして、やっぱり嬉しい。凛々しい大佐殿にこうして連れられていくの。臣さんの逞しい腕に抱き寄せられると、ほんとうに自分が華奢な女性になれるから未だにドキドキしてしまう。
 雷神室から少し離れたところにある休憩ブースに連れられていく。透明なアクリル板で囲われた小さな空間には、座ることができる長ベンチと飲み物の自販機が二つ。そして珊瑚礁の海が眺められる窓と小さなテラスがある。
 そこに雅臣と一緒に入った。
「よかった。話せる時間ができて。葉月さん、気が利くな。お礼を言っておいてくれよな」
「うん。わたしも話したかったから……」
 勤務時間中で誰もいない廊下、休憩ブース。そこで雅臣が気後れすることなく、上から心優を見つめてくれている。
「驚かせたな。ごめんな。それから……、実家のこと、ちっとも話せなかったことも……」
 雅臣がそこで哀しそうに眼差しを伏せる。彼にとって浜松は、地元は、パイロットとしての身体をなくしてしまった哀しい土地でもあった。だから心優からはなにも聞けなかっただけ……。
「ううん。臣さんが辛そうだったから」
「あれだろ。『嫌な思い出がある』と俺が言ってから、心優だって実家のことを気にしていたのに、それからまったく気にしない振りをしてくれていたんだよな。それにも甘えてしまった」
「だって、臣さんにとって、辛い事故があった場所だよ。聞けないよ」
 そこで雅臣が申し訳なさそうに、溜め息をついた。
 珊瑚礁が見える窓に手をついて、また辛そうにうつむいてしまう。
「いいよ、臣さん。そんなわたしになにもかも伝えようとしなくても。お母様のことだって、髪を染めているライダーなお母様だから臣さんとしては言えなかったのでしょう」
「そうじゃなくて……」
 そうじゃない? 心優は首を傾げる。
「言える時に言えばよかったんだ、俺が。ただ、その、ずっと前に……。母を紹介したことで、ぎくしゃくしたことがあって……」
 ぎくしゃく? 誰と……? 心優はさらに首を傾げる。
「前の、カノジョな……、塚田の……」
 カノジョ、塚田――。その言葉を聞いて、心優もピンと来てしまい、やっと雅臣がなにを言いたいのか理解した!
「え、あの、いまは塚田中佐の奥様……が、臣さんのカノジョだった時に浜松に連れて行ったことがあるの?」
「ある」
 心優の心に一瞬だけ痛みが走った。実家を避けていた雅臣が、それでもカノジョを連れて実家に帰ったということは、その時も『結婚を意識していた』ということなのかと!
「聞いていいの? その時、臣さん、塚田さんの奥様に、その、結婚の……」
「意識はしていた。でもお互いに結婚について話し合ったことはない。でもカノジョも意識して浜松についてきたんだと思う」
 心優はショックを受ける。いまは自分が確実に婚約者なのに、自分より前に婚約者にしようとした女性がいたんだと。どうあっても結婚するのは自分だとわかっていても。
「いままでも女の子とは長続きしないことが多かった。俺がいつまでも事故のことを引きずっていたのもあるし、女心がわからないっていうのもあるし、『アレばっかりでつまらない』と言われたことも多々ある」
 アレって『エッチ』のことだよね――と、心優は眉をひそめる。
「あ、今のカノジョにこういうこと話しちゃいけなかったんだよな」
 いけね、俺またデリカシーのないことやってると雅臣が慌て始める。
「ううん。今回は意味が違うよ。臣さんのご実家と関わるのに、前はだめだったことがなんだったのか知っておかないと、お母様が気にされるなにかがあったのでしょう。わたしにそれを教えて」
「教えなくても。俺は心優と母さんが上手くやれると信じている。母はこだわらない人だし、心優は母の心情をきっと汲み取ってくれる優しい女だってわかっているから、わざわざ話さなかっただけだ。ただ、以前のことがあるので不安だったから話せなかったのもある」
「信じてくれるなら教えてよ。塚田さんの奥さんがカノジョだった時の話でも、わたしは全然構わない。だって、わたし、もう臣さんのカノジョじゃないもの。妻になるんだもの」
 真上にあるシャーマナイトに輝く目に、きっぱりと言い放つ。
 彼もじっと見つめ返してくれているし、ちょっとだけじわっと熱く潤んだようにも見えた。
「心優! やっぱりおまえだけだよ、そう言ってくれるのは!」
 真っ正面からいきなりぎゅっと抱きしめられる。長身のエースパイロットだった身体に抱きしめられると、鍛えている心優でも息苦しいほどの力。しかも、ここ職場! なのに、心優の目の前になんだか上気した頬のお猿の顔がちかづいてくる。戸惑っている内に、ちゅっとキスをされた! きゃー、だからここ職場! と突き放そうとしたがキスは一瞬だけものだったから、お猿が嬉しそうな顔をしているだけ。
「お、臣さんたらっ」
 心優も頬が熱い。きっと真っ赤になっていると思う。それをまた雅臣が『かわいいな』とツンと心優のくちびるをつついたので、もう腰から力が抜けてしまう。
「いや、ちょっとやりすぎた。うん、誰もいなくてよかった」
「誰かいたらどうしたのよ〜」
「別に。見られてもいいけど。俺、これだけ園田中尉のこと愛しているから手を出したら承知しねえって意味でも」
「もう、だからって――」
 近頃、雅臣は自信が漲っている。雷神のエースコンバットで『ミセス准将と城戸大佐の対戦が互角らしい』と基地中で噂され、徐々に空部隊の指揮官としての威厳を放ち始めている程。
 いまの城戸大佐に立ち向かえる男なんてそうはいない。いたとしても一握り。心優には俺だけ、俺には心優だけと胸を張れるから平気でできてしまうんだと心優はかんじている。
 それには心優もうっとりしたい。したいけど、いまここでは一線を引いて!
 雅臣もやっと心優から離れて、珊瑚礁の海が見える窓辺へ。
 そこでやっぱり切なそうな眼差しに変わってしまう。
「カノジョはほんと、塚田のような男と結婚して正解だったんだよ。塚田こそ、カノジョが望んでいた理想の男だったんだと思う」
「理想って? でも臣さんの方が上官だったでしょう。エースパイロットという経歴もあって、エリートという意味では臣さんの方が……」
「そういう目線で見れば、そう、塚田より俺の方が――だよな。たぶん、カノジョも最初はそういう目線だったから、俺に近づいてきたんだと思うよ。でもカノジョが本当に欲しかったのは、『女心の扱いもきめ細やかな、気の利く男性』だってことだよ」
 その目線なら……。確かに。心優はついうつむいて黙ってしまう。自分も塚田さんという男性が教育係だった時、ずいぶんとお世話になった。あの人は心優が言わないことでも、心優の心情を推し量って、働きやすいように配慮してくれた。心優が秘書室の女性採用で候補になるには、塚田中佐が心優に目をつけてくれたから。だからその『きめ細かい気の利く人』というのは良くわかる。
 対して、雅臣はそうではないかもしれない。彼はそのおおらかな天性で人を惹きつけてひっぱっていく男。彼が選ぶのではなくて、周りの人間が彼に惹かれて寄っていく。向こうから来るから、雅臣はそれを受け入れているだけで、ではその気持ちはどうなのかとなると『なんだか知らないけど、みんながついてくる』なので、それぞれの心情を推し量っている暇もない方なのかもしれない。
 では女心はどちらがわかっている? きめ細かい? 気が利く? といえば。上官を常に気遣ってきた塚田中佐に軍配が上がるのだろう。
 心優はそれでも、そんな人を惹きつけるエースパイロットの天性をもって明るく輝いている雅臣が好き。
 でも塚田夫人はそうではなく、自分のことを大事にしてくれる、常に気遣ってくれる男性が理想ということだったのだろう。
「心優だけだったな。いつまでもコックピットにこだわっている俺を彼女達は疎んじていたけれど、『空に戻りたいんでしょ、それに気がつきなさいよ』と……。俺は空の人間だと、そんな臣さんが好きだと、心優は俺と同じ空を愛してくれようとした。ほんとうに、それに尽きる」
 同じ空を見てくれただろう。あれが俺達の誓いみたいなものだった――と、雅臣は川崎T-4に心優を乗せて、最後のフライトをしたことを今でも幸せそうに話すことがある。
 そう。タイプだとか、タイプじゃなかったとか。そんな次元で想い合っているわけじゃない。わたしと臣さんは空で繋がったんだから。心優もそう思えてそっと微笑み返した。
「でも。臣さんが理想の男性ではなかったぐらいで、どうして浜松のお母様が息子のお相手のことで気に病むの?」
「ゴリ母ちゃんだからだろ」
「意味わかんないよ。確かに一風変わったお母様だけれど、ライダー一筋で生きてきたならあのスタイルは当然だと思うし、素敵だとわたしは思うよ」
「だろ。心優は絶対にそういってくれると思った。でも、どうかな。母ちゃんのあの威勢の良さ、大丈夫か?」
「びっくりしたし……。怖くないと言い切れないのは確かかな。会ってみなくちゃわからないけれど……」
 本当は怖いよ。なにか変なことを言ったり、気に障る態度なんかうっかりしてしまったら、あの声で怒鳴られるのかな――と。
「でも。なんていうの? 風貌は違うけど、葉月さんにもいちいちびっくりさせられるじゃない。あれみたいなもの? かな? なんて?」
 優雅なお嬢様の風貌でも、ミセス准将だって豪快なお人。いままでも、いや毎日、いまだって、『どういうことですか、准将。なにをいいだすんですか、准将』みたいな日々。
「そういえば。葉月さんも同じようなこと言っていたな。俺の母親となんとなく気質が似ていて通じるところがあるって……?」
「対面してお話しして、お互いを知って、それで馴染んでいくかもしれないし、そうでないかもって不安はあるよ」
 だから。ゴリ母ちゃんなんていわないで、そこを気にしないで――。
 心優がそう見つめると、また雅臣が感激した目をうるうるさせている。ん、やな予感! またお猿並みの豪快な抱擁をされる!?
 でも今度、雅臣が心優に触れたのは、黒髪の頭。そこを大きな手でそっと撫でてくれている。
「うん。心優ならそう言ってくれると思った。だから……、言わなくても……と甘えてしまったんだ」
「……うん。あの、塚田さんの奥さんは、だめだったの? ゴリお母さん……」
 雅臣が緩く笑い、ちょっと言いにくそうにして躊躇っている。
「その、あの威勢の良さと豪快さが、繊細なカノジョにはだめだったみたいで。それに……やんちゃな双子が食事会もひっかきまわしたし、うち姉ちゃんもゴリ姉ちゃんってかんじで母親にそっくりなんだ」
 お義姉さんもゴリ姉ちゃん!? またもや心優は度肝を抜かれた気持ちで目を見開くだけ。
「いや、いまは双子の肝っ玉母ちゃんだし、姉ちゃんの旦那も大工職人で威勢がよくって、ガツンとやってくれる父ちゃん。それぐらいの親父じゃないとあの双子の教育なんてできねえよ」
 臣さんの、お義姉さん夫妻も迫力ありそう!? 心優はまた震え上がる思い! そりゃあ、あんなやんちゃそうな双子を育てただけあると感心すらも!
「カノジョは元々お嬢さん気質で、品の良いことのほうが馴染むんだよ。うちみたいに、がさつでガハハって感じの家族は馴染めなかったってところかな」
「ガハハって……」
 でもわかる気がするなあ――と心優も唸ってしまう。そういうおおらかさが、この大佐殿のルーツであるのだろうから。
 お猿の活発さも豪快さも、うききっとした愛嬌ある笑顔も。なのに、素直で真っ直ぐで少年のような純粋さも。そういう家庭だからこそ育まれてきたんだ思う。
 そして心優も。
「臣さん、忘れているよね」
「え? 何が?」
「うちの実家も『ガハハ』な体育会系の大男が三人もいるって。お父さんと、お兄ちゃん二人だよ。そういうことでしょう」
 何故か、雅臣が青ざめた。
「はあ! そうだった! 心優の兄さん二人って……」
「上のお兄ちゃんは、櫻花日本大柔道部の監督で。下のお兄ちゃんは沼津で格闘技道場を経営して、家族と母と同居しているんだよ。兄ちゃん達をみたら、きっとガハハの嵐になるよ。わたしもそういう家庭で育ったから……たぶん、大丈夫」
 ただ、自分でそこまで言って……。心優はしゅんとする。『カノジョさんと違って、わたしは品のない家庭育ちってことになるのかな』と。
「臣さん……。その上品なカノジョさんが大好きだったんだね」
 だからいつまでも気にして。そしてきっと塚田中佐も気遣って、奥さんのことは仕事場では絶対に匂わせなかったんだと今になって思う。
「まあ、小柄で華奢で壊れそうな女だったよ」
 それにも心優はズッキーンと心臓を貫かれる。ほら、ちいさくておしとやかな女性がかわいかったんだって!
「でも。いま思えば、全然タイプじゃなかったし、あそこまで品良すぎると、俺もごめんってヤツだな。ほんとカノジョの機嫌ばかり伺っていたよ」
 疲れ切った溜め息を雅臣が強く吐いた。
「そうなの……」
「体格差なんて関係ないと思っていたんだけれど。あるんだなと――。合う女とは極上だってね。心優とセックスをして初めて思った」
「え?」
「だから、」
 自分でなにを言いだしたのか、雅臣も我に返ったようだった。さらっと『セックス』と言ったくせに。お猿の大らかさと勢いで言っちゃったせいか、いまになって真っ赤になっていた。
「つまり。俺は、心優に出会って、なにもかもがすんごい良かったから、ぴったりだったから、すんげえ幸せってことなんだよ」
 それだけ言い放つと、臣さんからぷいっと顔を背けてしまった。よほど恥ずかしかったのか、じいっと珊瑚礁が見える窓を見つめたまま。
「臣さん……、あの、わたし、ずっと……。臣さんって、ちっちゃいかわいい子がタイプで……」
「俺、いつ、そんなこと言ったか」
 言っていない? そういえば、言っていない?? 心優の思いこみだったということ?
「そりゃ、日本女子標準体型となると、俺から見るとほとんどの子が小柄で華奢だよ。かわいい女の子は横須賀にいっぱいいたし、声をかけられたら男として気分は良かったし……、あっちからかけてくるし……、気に入ればすぐにつき合えたよ」
 スワローの優等生で、エースパイロット。コックピットを降りてもやり手の将軍秘書官、中佐殿で秘書室長。お猿の微笑みは愛嬌があって憎めない、そのうえ男前フェイスの臣さんは、やっぱり女の子が憧れるエリート。あっちから臣さんを狙って近づいてくる。
「標準体型の彼女達全てがそうだから、俺の過去のカノジョ達だってそりゃ、小柄で華奢ってことになるだけだろ」
 は、そういえば。そういうことになるんだ――と、心優も初めて気がつく。身長がある心優でさえ、雅臣が抱きしめると華奢な女になれるのだから。自分が背丈がある女だから、余計なコンプレックスがそう思いこませていたらしい?
「でも。女の子は俺の経歴で近寄ってくるけれど、それで満足ってわけじゃないんだよな。その後の、毎日のやりとりに、毎日の生活の仕方。そこがもう全然違うんだよ。塚田と結婚したカノジョだけじゃない。多忙な俺に、毎日早く帰ってきて一緒にいて欲しいと泣く子もいたし、いますぐにでも結婚したいと騒ぐ子もいたし、塚田のカノジョはそれでも気のいい女性で付き合いやすかった方なんだよ。それでも、うちの実家を見てから急に、俺のことが『猿にしかみえなくなった』とかね――。秘書室にいるとボス中心の生活だから、彼女達は二の次。では一緒にいる時になにするって、できること、愛してやれることって一緒に食事をしてデートとか部屋で一緒に過ごすとか、ひとつかふたつしかないだろう」
 やってあげられる愛し方が、食事とセックスのひとつふたつだけ? うーん、猿って言われるかも? と心優も思ってしまった。だが雅臣はそこも反省している。
「わかってる。それだけじゃなくて、もっと彼女達と他愛もない話をすればよかったとか、ちょっとの気遣いができる言葉をかけてあげれば良かったんだとか。そこは俺も反省している、女心がわからなくて悪かったと」
「それで。その品の良いカノジョとお母様が対面した途端に別れちゃったから、お母様が気にしているの?」
「偶然なんだよ。……まあ、確かに。カノジョからしたら積もり積もったものがあったうえで、実家を見て決意したとも取れるんだけれど。そこは母さんには伝えていない。でも女同士でなにかあったのか、カノジョは浜松の帰りにもう母親を拒絶していて、母さんは『母さんのせいで、カノジョに嫌われたんだ』と思いこんでいるんだ」
 女同士でなにかがあって。思いこんでいる? これは、もしかしたら……。心優はまた心臓がドキドキしてきた。
 それって、それって。男にはわからない、女にしかわからない『バトル』があったってことじゃないの! と。
 そして前回は、縁を切ったのはカノジョの方で、縁を切らせてしまったのはゴリ母さんで、お母さんはその原因を知っていて? それを気にしていて、でも息子には話していない予感!
 もしかすると、これって。今回も、心優とお姑さんの女同士ではないと乗り越えられない何かがあるのかもしれない。
 また妙な不安が襲ってくる。いったい、前カノさんと何があったのだろう?
「心優。大丈夫か。でも、それはカノジョと母さんだからの結果で、心優がそうなるわけじゃないと思っているから。それに、母さんの方がなんか傷ついているんだよな……。かといって、いま塚田の奥さんになったカノジョに問いただそうなんてしたら、塚田が気にするだろうし」
「そうですよ。もう塚田ご夫妻なんだから、そっとしておいてあげないと。でも、そうだね……。お母様がなにを気にしているかわからないけれど、大丈夫。だってわたしもガハハ家庭で白飯大盛りの取り合いをして育ってきたんだから!」
 と、元気良く返してみたら、ひさしぶりに大佐殿が唖然とした顔に。そしてあの頃のように、ケラケラと笑い出した。
「あはは! 懐かしいなあ! 心優がホルモン焼き屋で『ライスは大、二杯は行きます』――と言ったの!」
「もう。そうですよ。わたしはボサ子で、品の良いお嬢様ではありませんっ」
 笑われて、今度は心優がそっぽむく。
「あー、笑った。こうして大笑いできるのも、心優だからなんだよなあ。あー、話せて良かった。なにか飲むか」
 笑いすぎた涙目のまま、雅臣が自販機に向かう。心優は『レモネード』と答えてしまう。
「あれ、葉月さんの影響か? チョコレートといい、レモネードといい。仲良しだな」
「そうかも。いろいろとおいしいもの知っているんだもの。子供っぽいものも、大人の女性の嗜みみたいなものも」
 雅臣はアイスコーヒーを買う。それぞれのドリンクを片手に、ベンチに座った。
 雅臣が開けた窓から潮騒。潮の香。そして珊瑚礁の海。基地の中なのに、その窓辺に切り取られたものは、わたし達が好きな『青』ばかり。
「心優となにもかもぴったりなのは。きっと、出会うまでに同じものを見て目指してきたからだと思う」
 穏やかな横顔の雅臣がふっと呟いた。
 心優もそう思う。
 いつか日の丸を背負って、金メダル。
 日本の防衛のために、空を飛ぶ。
 そのためだけに、その一点だけを目指してきた者同士。
 いちばん欲しいものはそれだけ。そのためなら、他の楽しみは気になっても、いまはいらない。
 そうすると、ごく一般的な娯楽で楽しむ同世代の青年に女子とは異なる感覚にもなる。そこは承知の上。
 目指す、極める、脇目もふらず、一心に。それを失った時にどれほど哀しい目に遭うかもわからず、わかっていてもそれでもかまわないと――。
 だから。心優には雅臣が、雅臣には心優が、ふたりにだけしかわからない、ふたりだけの符号がある。
 それを、心優はやっと知った気がした。
 話せて良かった――。
 大丈夫。わたし、きっとお母さんとうまくやってみせるから。
 そう思って。いま見える珊瑚礁と風は、レモン風味。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 日が長い夏の夕。空はまだ明るいけど、カナリヤ色の三日月が輝き始めている。
 その空からジェット機が、基地前の滑走路目指して着陸をするところ。
 管制塔近くにある一室は、基地へと入場できるチェックゲートがある部署で、横須賀基地で身元証明にて許可されて搭乗してきた訪問者であるが、再度小笠原でもチェックをする。
 そのチェックゲートの待合室にて、心優は雅臣と一緒に城戸の母を待っている。
 滑走路側のドアが隊員によって開けられ、そこからスーツ姿の営業マンらしき男性や、休暇で本島まで遊びに出掛けていたアメリカ人ファミリーが入ってくる。
 最終便のせいか、遊びに出掛けていた隊員や家族が多い。ゴリ母さんらしき人はまだ見当たらない。
 雅臣もじれていた。
「ほんとうに間に合ったんだろうな。新幹線を降りてから、横須賀までは普通電車かバス移動なんだよな。横須賀基地は何度か母さんも来ているから大丈夫だと思うけれど」
「それなら大丈夫だよ。初めてじゃないんだもの」
「でもなあ。母さんらしき人がいないなあ」
 背の高い雅臣が列の最後まで、背伸びで確かめたが、息子の目で見てもみつけられないよう。
 心優も不安になってきた。勢いで『いまから行く!』と言いだしたお母様、途中でなにかあってやめたのだろうかと。
 予定とは違うご挨拶なってしまってやや憂鬱だったが、ここでまた会えないとなるとがっくりしてしまう。
 小さな姉弟を連れて首都圏の観光を楽しんできただろうアメリカンファミリーの後は、一人しか並んでいない。
 長身で黒いスーツ姿の、アメリカ人女性?
「え、……母さん?」
「え? あの方?」
 最後は心優ほどの背丈がある黒いスーツ姿の女性。でもタブレットで見たとおりの白金髪頭。
 雅臣もやっと認識したようで、チェックを終えたその女性へと駆けていく。
「母さん! どうしたんだよ、その格好」
 背丈があるといえども、息子にはだいぶ越されてるその女性が雅臣を見上げた。
「どうしたんだよって、母さんだって弁えた格好をしてきたつもりだけどねえ」
「いつもどおりでいいって、あれほど言ったのに……」
 その会話を聞いて、心優も言葉を失っていた。
 品の良い黒のジャケットとひざ丈フレアスカートに、白いインナーはビジューが刺繍してあるエレガントなもの。髪こそ白金だけれど、シックなお洒落をしたお母さんそのものだった
 前もってゴリライダーの姿を見せてもらっていたの……。もう知っているのに。ゴリ母さんこそが、心優と対面するのをとてもとても気遣って、いつもの姿はやめて、きちんとしたお母さんの格好をしてきてくれたんだと。
 なんだか……。心優の方が泣きそうになってしまう……。そこまで気遣ってくれたことにも。そこまで何かを気にしていることも。息子のために、好んでいるいつもの姿をやめてまで、らしくない格好に整えてくれたことも。
 そんな心優に、ゴリ母さんが気がついた。初めて目が合う。

 

 

 

 

Update/2016.6.18
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