◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX2. ドーリーちゃん、よろしくね(6)

 

 騒々しい初対面。でも、そんな浜松のお猿ファミリーとも今日でお別れになることに。
「准将、夕方の横須賀便の席が取れました」
 デスクのパソコンから軍のエアライン予約ページにアクセスして、心優が予約をした。
「そう、空いていて良かったというか……」
 不問になったとはいえ、騒ぎを起こした以上、今回はここで帰るというゴリ母さんの決めたことに、御園准将も残念そうな顔。それでも不問となったことだけでも良しとした方が、今回はより丸く収まるだろうと思っているようだった。
 准将の目は、窓辺で基地の滑走路をいつまでも眺めている双子の背中。
 お祖母ちゃんが宿のチェックアウトへとでかけている間、准将室で預かっている。彼等も基地の厳しい規則を目の当たりにしたせいか、もう大人しく過ごしている。
 すごく綺麗な島、こんな青い海の上を飛べたら気持ちいいよな。叔父ちゃん、この海は忘れられなかったのかな。空が広いな。潮の匂いもするな。
 双子同士で顔をつきあわせて、そんなかわいい会話ばかりしている。准将もそれを微笑ましそうに眺めつつ、でも、どこか別れを惜しんでいるようにも見えた。
「准将。彼等をお買い物に連れていってもいいですか。帰る前にお土産を買ってあげたいと思います」
「あら、いいわね。カフェのショップにでも連れて行ってあげなさい」
「はい、雷神グッズをプレゼントしたいです。あと、帰りの飛行機で食べられるものも見繕ってあげたいです」
 准将の許可をもらい、心優は双子に『雷神グッズを見に行きましょう』と声をかける。ふたりは嬉しそうにして心優についてきた

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

「えー、いいんですか。心優さん!」
「有り難うございます! 大事にします!」
 カフェにあるショップで、雷神の紺色キャップと『白昼の稲妻』をデザインした雷神ワッペンを購入、プレゼントにした。
「これ。雅臣叔父さんが甲板で着る指揮官服の腕に縫いつけてあるのと同じなの」
「えっ、ほんとに!」
「めちゃくちゃかっこいい!」
 そんな彼等に、心優はつい言ってしまう。
「いつか、ユキ君とナオ君もつけられるといいね」
 だが二人は、今回の騒動を反省しているのか、ちょっと微笑んでくれただけだった。
「あ、飛行機の中でお腹が空くと思うから。なにかつまめるものでも買っておきましょう」
 双子が遠慮したが、心優は二人の手を引っ張ってお姉さん気分で無理矢理に軽食カウンターに連れていく。
 小笠原特製のカツサンドに、いつも御園准将が食べたい食べたいという日替わりサンドを買ってあげた。ゴリ母さんの分も一緒に。
 そんな双子を連れて歩いていると、やっぱり方々から声をかけられる。
「園田中尉、まさか、城戸大佐のところの双子の甥っ子さん?」
 はい、そうです。
「園田中尉、もしかして――。うそー、本当にそっくりだわ」
 そうですよね、皆さん、そうおっしゃいます。わたしもびっくりしました。
 声をかけられるたびに、誰もが背が高い双子を見上げしげしげ。その度に、双子が気恥ずかしそうに挨拶をする。それがまた初々しいようで、可愛らしく見せてしまうようだった。
 カラダは大きいけれど、まだ少年で幼い気持ちを抱えている双子。でも彼等もあのお猿スマイルを見せると、叔父の雅臣と同じように、誰もがその愛嬌に吸い込まれてしまうようだった。
 ようやっと人々の声かけから逃れ、心優は双子と一緒にカフェ外の廊下に出ることが出来た。
 人が少ないエレベーターから准将室に戻ることにした。さすがの双子も、昨夜から注目されていることに疲れた様子を見せる。
「叔父さんが、こんなに知られている人だったなんて……」
「うん。叔父さんだけじゃないよ。心優さんのこともみんな知っている……」
 どこにいっても、誰もが叔父のことを言い、心優にしても誰もが知っていて声をかけてくる人が多いと……。
「叔父さんは、誰もが知っているエースパイロットだもの。わたしの場合は、いつも一緒に歩いている御園准将のことを誰もが知っているから、護衛でついているわたしのことを知っているだけよ」
 人気のないエレベーターのボタンを押す。いま四階にいるようで、あと少しで来ることを知り心優はほっとする。
 エレベーターが到着し、扉が開く。一人だけ、金髪の男性が乗っている。
 青い目の男性と目が合い、心優と彼はそろって『あ』という顔になる。
「お疲れ様です。フランク大尉」
 シドが乗っていた。一階下にある連隊長秘書室から休憩にやってきたよう。いつもながら、黒肩章付きの白いシャツ制服に黒いネクタイ姿だと、ほんとうに爽やかな金髪王子の風情。
「おう、お疲れ。なんかひさしぶりだな」
 雅臣と酔いつぶれて官舎でひと晩過ごしてしまってからしばらく会っていなかった。
 だがシドも心優の後ろにいる双子を見て、ギョッとした顔になる。
「うっわ。噂の……臣サンの、甥っ子かよ」
 あ、また臣サンって言った! この前から気になっている心優だったが、今日はそこは流す。シドも、一目でわかるマジそっくりと、目を丸くしている。
「ユキ君、ナオ君。こちらは連隊長秘書室にいらっしゃるフランク大尉。凄腕の海兵隊員なの」
 海兵隊と聞いて、双子がとても緊張した様子になる。
「城戸雅幸です」
「雅直です」
「名前までそっくりなのかよ。紛らわしいな」
「城戸大佐は、ユキ君とナオ君と呼び分けているみたいで、准将室でももうそうなっているの」
 するとシドは面白そうな目つきでエレベーターから降りてきて『へえ』と双子の側に来てじろじろ。
 背丈がほぼ一緒なので、シドは双子を見上げたりしない。むしろ経験ある大人の分、少年の彼等に威圧的な眼差しを見せつける。
「聞いたぜー。おまえら、昨日、警備隊を振りきったんだってなー。ほんとうだったら、出入り禁止だ。お姉さんの背中にくっついて、悠長に基地を歩けるはずないんだけどなあ」
 心優より上官である大尉からの厳しい言葉に、双子がしゅんとしてしまっていた。
「今日も、あのクールな連隊長がなんか落ち着きなくてさ。おまえたちチェンジに乗って、ちょっとした操縦をしたんだって? でもさ。あれ、ゲームみたいなもんだから。本当の戦闘機に乗ったら、すげえGに押しつぶされそうになるんだ。死にそうになりながら操縦桿を正確に操作するんだ。落ち着きない精神では無理だよなあ。いくら甥っ子でも、ソニックになれるとは限らないって俺は思うなあ」
 そんな嫌味をちくちくいうので、心優はムッとしてきた。
 なのにシドはついに、双子の兄、ユキの襟元をぐっと掴みあげた。
「叔父さんがソニックだから基地中のみんながかわいいと言ってくれるからと気ぃ緩めていたら、許さねえぞ。おまえらのそういう親や祖母ちゃんや叔父さんに甘えてきたたるみが、滑走路に飛び出すはめになったんだよ。うちの奥さんに頭下げさせやがって……、クソガキ」
 ああ、シドの怒りはそこにあるのね! 心優も納得だったが、シドも子供っぽいじゃないかと、心優はシドと雅幸の間に入ろうとした。
 でも、怯えている双子に見えたが、雅幸もなにかカチンと来たらしく、今度は臆さずあのシドを睨む返しているではないか。逆に心優がヒヤッとしてしまう。
「もちろん、自覚しております。本当に申し訳なかったと思っています。いまから帰りますから」
「遅せえんだよ。奥さんに頭下げさせた時点で、遅せえだよ」
「准将さんには本当に申し訳なかったと反省しています」
 きちんとした口調で言い返せる落ち着きがある。度胸だってある。負けん気もある。心優はそれを見せつけられた気にもなったし、その顔に雅臣を見てしまう。
 それはシドも気がついたようだった。それでもシドは現役の海兵隊員。こんなクソガキに負けて引き下がれるかとこちらもガンを飛ばしたまま引きもしない。
「フランク大尉。もうおやめください。彼が言うとおりに、夕方の便で帰るところで、もう准将室に……」
「心優、黙ってろ」
 はあ? なんでシドに黙ってろなんて命令されなくちゃいけないの? 上官だけれど、おなじ業務をしている部署の上司でもなければ先輩でもない。いま心優は准将室から双子を預かっている。この子達を守るのはいまの……。
 いや違う。心優は首を振る。そして雅幸の首元を掴んで離さないシドの腕を掴んだ。
「フランク大尉、御園准将のお客様ですよ。すぐに離してください」
「奥様にひっついてるだけの、中尉ごときのかわいい護衛は黙ってろ」
 なんですってー……。ついに心優の頭に血が上る。心優が基地の隊員に言われてぐさっとくるのは『ひっついてるだけのかわいい護衛』と言われること。それを、シドは知っているくせに。おまえはちゃんとやってるよ――といつもはそこまで言わなくても、ちゃんとほのめかしてフォローはしてくれるのに。自分だってつい最近まで中尉だったくせに!
 もうあったまにきた!
 雅直を離さないシドの腕、その手首を掴んでいた心優は、掴んでいるままにぐっと捻り返した。
 シドも油断をしていたのか、心優の突然のひねりにびっくりした顔になり、ようやっとパッと離した。でも心優は許さない! 捻ったままさらに彼の腕をねじ込む。
「いてててて! それするのか、本気でするなよっ」
 その返し技を知っているシドだったが、心優が人の手に触れて握った時にはもう『どうにでも攻められる握り方をしている』ことをいま思いだしたかのようにして、シドは心優の思うままにねじられ痛がった。
「フランク大尉、あんまりではありませんか。十歳も年上のお兄様ですよねー」
「いーーー、やめろ! ずるいぞ、心優!」
 この手を腕をこうねじったら、油断していた海兵隊員だってさっと身体を反転させ、彼の背中に腕を『後ろ手状態』に出来る。それがいとも簡単に出来るからこその『ミセス准将の護衛官』であって、それが園田心優。だからシドは『おまえがその気になったら、こんなこと簡単にできるんだから、いきなりそれをするのはズルイ』と叫んでいる。
 その勢いで、心優はフランク大尉をドンと壁に押さえつけ追いやった。
「シド、わたしのかわいい甥っ子にひどいことしないって約束してくれる?」
 追い込んだ壁、彼の金髪のそばにある耳に囁いた。
「くっそ、なにがかわいい甥っ子だよ……まだ結婚してねえっつーの」
「もう親戚なんだから、やめてよね。臣サンと奥さんにいいつけちゃうから」
「わ、わかったって。離せよ……、じゃないと……俺も、本気になるぞ」
 壁に押さえつけられて見えなかった青い目が、ちらっと背後で押さえつけている心優に向けられた。
 甥っ子の前だから、おまえにこんなことやられても我慢してやっているんだ――と言ってくれているんだと、心優がかっこわるくならないようそこは負けてくれているんだとやっと知った。
 そう思うと、心優だって『シドはときどき、やさしくて、かっこよくてズルイ』と思う。ちょっとだけ頬が熱くなってしまって、心優はとうとう彼をねじった腕を開放してしまう。
「いってえな。やっぱミセス准将の護衛官ってわけか。くっそ、今度の組み手の訓練で手加減しねえ」
 ぎゅっと握られていた手首をいてえとさすりながら、シドが言い捨てた。
「もう大丈夫だからね」
 怖いお兄さんはやっつけたよ――と、かわいい双子へと心優は振り返る。
 すると、彼等の目が、お猿の目が……きらきらっと輝いて心優に迫ってきている。
「すげえ、心優さん! すげえ!」
「心優さん。ほんっとに凄腕の護衛官なんだね!」
 そして双子がそろって、『俺達の叔母さん、めっちゃかっけええ』と両脇からがばっと抱きついてきた。
 臣さん級の大型お猿に両脇からぎゅっと抱きつかれ、心優は彼等の胸と胸に挟まれぐうっと唸りそうになった。
 しかもシドも飛び上がるほどびっくりしたのか、あの青い目を丸くして唖然としている。
「わ、わかったから……。えっと……・」
 でもこの双子、興奮すると手がつけられないダブル相乗効果な勢いになる。ぎゅっと抱きつかれてそのまま、ぴょんぴょん飛び上がる双子と一緒に心優も床から身体が浮いたほど。
「っんのやろう! こら! 心優から離れろ! 苦しそうだろ、クソガキ」
 ついにシドが真っ赤な顔で双子に飛びついてきた。
「離れろ、こら。おまえら、まだ子供だけれど身体は大人なんだぞ。気軽に女に抱きつくんじゃねーよ!」
 シド兄さんにそう言われ、双子もやっと我に返ったようだった。
「わ、心優さん。ご、ごめんなさい」
「ごめんなさい。す、すごく感動したから」
 また憎めない子供の顔でいわれてしまい、でも、心優はそんなに言ってくれて嬉しくなってくる。でもシドはすごく面白くさなそう。『俺だって、そんなに心優を抱きしめたことないのに』と聞こえたのは気のせい??
 でもシドもなんだかわかってきたようで、ついに諦めた顔に。
「なんか、まだ子供だってわかったわ……。悪かったな。大人げないコトしてさ。でもよ、基地の隊員になるなら気を引き締めて来いよ」
 ようやっとシドが、大人の兄貴の顔で双子の肩を叩いた。
 それだけでもう、双子達もキリリとした顔で、何故か敬礼!
「大尉、お世話になりました」
「もう来ないかもしれませんが、ご忠告、心に留めておきます」
 真面目な顔になると叔父さんにそっくりで……。でもいちいち子供っぽいので心優はついつい笑ってしまう。
 それはシドも同じだったようで、楽しそうな顔で『ぶ』と噴いている。
「まじで城戸サンそっくりだな。なんかもうそれだけで許せるわ」
 なんだかんだいって。シドはどうも雅臣が気に入っているように心優には見えてしまう。やっぱりソニック大好きだから? それとも、この前一緒に酔いつぶれるまで一緒にいたから?
「んじゃあな。おまえらが小笠原に来るの楽しみに待ってるからな」
 そういってシドはけっきょく最後は爽やかな金髪王子の微笑みで去っていった。
「かっけええ、海兵隊の兄さん」
「日本語うめえー、連隊長秘書室って、エリートじゃん」
 双子も惚れ惚れと、勇ましい海兵王子の背中に魅せられている。
 まあ、確かに。かっこいいんだけどね……。心優も時々、女としてどっきりすることはある。
 でも。臣さんには負けるんだもんね。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 お土産と移動中の食料を持たされた双子は上機嫌。
「心優さん。俺達、浜松で待っているから」
「心優さんが来るの、楽しみにしているから」
 もう〜、かわいい弟が出来たようで、心優も感激してしまう。
 自分が末っ子だったから、こうしてお姉さんみたいに言われるとメロメロになってしまいそうだった。
「うん。浜松に行くの楽しみ」
「浜名湖とかみたことある?」
「よかったら、一緒に行こうよ」
「うん。横須賀基地に配属される前は、浜松基地にいたの。だから……、馴染みはあるんだよね」
 え、そうなの――と双子が驚いた。
「うん。だから、ちょっと懐かしい気持ちで、久しぶりに帰るってかんじはわたしにもあるんだ」
 そう。懐かしい……、低空飛行だった日々。目標を失って、ただただ日々を流していた頃。
 浜名湖といえば……。付き合っていた彼がドライブで連れていってくれたな、ということが直ぐに思い浮かんでしまう。
 いまは大好きな臣さんと出会えたから、これぞわたしの最高の恋、最後の愛と言いたくなるような幸せに出会えたから『思い出せる』、あの頃の彼のこと。
 それでも思い返せば、彼が『おまえは、つまらない』と言い放った意味も、いまは凄く理解できる。
 男の人になんでも察して欲しかったし、なんでもリードして欲しかった。自分の意見など、怖くて言えなかった。嫌われたくなかったから。ただでさえ可愛らしい風貌ではないのに、うざったく思われたくなかったから。
 なのに。なんで素敵な上司で大好きな城戸中佐には、あんなに思い切ったこと言えちゃったんだろう?
 そう思うけれど、心優にはその答がもう見えている。そう、わたし自身が、ソニックというパイロットを激しく愛してしまったからなんだと。
 自分の気持ちから愛してしまうと、あんなに一生懸命になって、でも泣きたいほど辛くて、そして傷つけてでも欲しくなる。お許しください、大佐殿。あなたを必死に愛したくて、あなたをあそこから連れ出したくて、傷つけてしまうほどわたし愛してしまったの。ソニックのシャーマナイトの眼差しに。
 それがあるから。あの頃の、嫌な自分のことは思い出したくないけれど、でもだからって、あの彼にふられたことなどでもう傷ついてはいない。
 双子と一緒に『じゃあ、浜松に帰ってきたら、なにを食べたい?』という話で盛り上がる。
 すっかりお姉さんとして慕われ、心優も楽しく会話をしながら、双子と一緒に准将室へと戻ってきた。
 『ただいま帰りました』――とドアを開けたのだが。ドアを開けた心優の目に飛び込んできたのは、准将席に手をついてミセス准将に詰め寄っている御園大佐の怒った顔。
 不穏な空気が准将室に満ちている。
「いい加減にしろ! おまえがそういう誤魔化しをするときが、いちばん怪しいって言ってるんだよ!」
「しらないわよ。だから、そういう文句は正義兄様にぶつけてよ。あと海東司令にお願いします」
「俺を裏切るのか、俺に嘘をついているのか。俺ではない男と組んでなにを見てる? 俺に隠すようなことがあるのか!」
「信じてくれないのなら、それでいい。私もあなたにそこまで言われるだなんてがっかりよ」
「信じたいから、こうやって確かめに来たんだろうが!」
 御園大佐がそこで、バンと激しく准将席を叩いた。
 妻を、ミセス准将をもの凄い鬼気迫る目で睨んでいる。
 いつも余裕の眼鏡顔の旦那様が、こんなに差し迫ったように怒った顔を見るのは、きっとあの時以来。そう、心優の寄宿舎の部屋にPTSDで体調を崩した葉月さんをかくまった時、皆に迷惑をかけたのだと妻を本気でひっぱたいた恐ろしいご主人様の顔になっていて、心優は久しぶりにゾッとした。
 御園大佐が、心優と双子が帰ってきたことに気がついた。
「ああ、おかえり」
 途端に、いつものにっこり優しそうなおじさんの顔になった。
 それでもミセス准将はちょっと苛立った様子で表情は堅いまま。
「またあとで」
「あとなんかありませんわよ。私といくら話し合っても無駄。方針に不満があるなら、連隊長に直訴してくださいませ。『澤村大佐』――」
 彼は夫の顔で妻に問いつめているのに。妻は上官の顔で、夫を『旧姓持ちの下官』として切り捨てた。
 それには、いつもの余裕の笑顔に戻れたはずの御園大佐も口惜しそうな形相に変貌し、チッと舌打ちをする始末。
「そんな顔はここだけのミセス准将。いつまでもはぐらかせると思うなよ。家で待ってる」
 強ばったままの眼鏡顔で、御園大佐はすっと准将室を出て行った。
 やっぱり。妻の葉月さんが『訓練校にアグレッサー部隊を作る』と初めて聞いてしまい、なにかを感じ始めているのだと心優は思う。
 そんな准将もちょっと不安そうに溜め息をついただけ。でも、すぐに微笑んでくれた。
「お帰りなさい。いいものは見つかったの?」
 双子も不穏な空気は感じてしまったようで、ちょっと遠慮した笑みを返しただけ。
 准将も双子の気遣いを感じたよう。
「ただの夫婦喧嘩よ。お互いにそれぞれの部署の責任者でしょう。夫と妻だからって、仕事のなにもかもを話せるわけじゃないの。私が先に知っていて、あの人が後に知って驚くこともあるの。その逆の時だってある。それでね……、あの大佐のおじさんは、奥さんの私のところに文句を言いに来ただけ。よくあるのよ。ね、心優」
 この空気をなんとかしろとばかりに准将が振ってきたので、心優も慌てて合わせる。
「もう〜、またご夫妻で喧嘩ですか。でもご自宅に戻られたら、すぐに仲直りされるのでしょう」
「ま、まあね。き、きっとそうなるわね」
 准将も心優が投げた会話に合わせてくれたが、葉月さん……、隼人さんからのやり返しが心配なのかちょっと焦った返事になっている。
 心優も心配になってくる。あの旦那さん、本気で葉月さんに立ち向かうと容赦ないんだもんなあ――と。あの恐ろしいご主人様の姿になって、ウサギさんをばしばしやるのかと思うと、この葉月さんも『あなた、ごめんなさい』になってしまって、『いまみんなで隠していること』がばれやしないかと。
 それでなくても、次回の航海任務では、どうして俺が指令室長みたいな任命で、夫婦で乗船しなくちゃいけないのかと疑わしそうにしているのに。
 これは明日の葉月さんの様子次第では、ラングラー中佐に報告した方が良さそう――。心優はそう構えた。
 なんだか今夜がとっても心配……。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 ついに。ゴリ母さんと双子が帰る時間が来てしまった。あっという間の小笠原訪問が終わろうとしている。
 昨日、騒ぎを起こした訪問者チェックゲート室で見送りをする。
「心優さん、お世話になりました。会えて良かったよ」
 宿をチェックアウトして、双子とすっかり帰る姿を整えたゴリ母さんが心優に微笑みかける。
「わたしもです。……今回、会えて良かったと思っています」
 本当のゴリ母さんに会えた気がしたから。でも、だからって心優は予定を変えるつもりはない。
「もうすぐですけれど、浜松にご挨拶に行かせて頂きます」
 ご挨拶もしたいし、そして、雅臣のやりたいことに付き合いたいから。
 その目的もゴリ母さんに伝えることが出来たから、ゴリ母さんももう何も言わない。
「家族で待ってるよ」
「ハーレーも見せてくださいね」
 昨日こう言った時、ゴリ母さんは躊躇った顔だった。でも今日は。
「うん。一緒に乗せてあげる」
 笑顔でそう言ってくれたので、心優はもう舞い上がりそうになる。愛車に乗せてくれるって、それだけ気持ちを許してくれたってことなのかなと。
 でもまだいろいろとひっかかりはあるので、心優も落ち着いて『はい、楽しみにしています』とそつない返答に留めた。
 そんなゴリ母さんが、やっぱりちょっとだけ心配そうに雅臣を見上げた。
「雅臣。ちゃんと心優さんを連れてきなよ」
「もちろんだよ。俺達、なかなか帰省できないと思うから」
「じゃあ、みんなで楽しみに待ってるよ……」
 雅臣はもう楽しみのようで満面の笑みで『うん』と嬉しそう。
 でもゴリ母さんは……、最後に心優にも不安そうな顔を見せた。
「じゃあ、心優さん」
 そういうと、ゴリ母さんからがばっと心優に抱きついてきた。
 えーー、なんか今日はお猿さん達に抱きつかれてばかり!? 心優はどうしていいかわからない。しかも母親のような女性にこんなに抱きつかれて、どうしたらいいのか、ほんとわからない。
 ――『来てくれたら、健一郎君のこと詳しく話すから。雅臣と出かける前に』
 耳元でそっと囁かれた。心優は驚いて、目を見開く。
 それだけいうと、ゴリ母さんがさっと心優から離れた。
「祖母ちゃん、なにやってんだよ」
「心優さんがびっくりしているじゃないか」
 自分たちも心優にがばっと抱きついて、海兵隊の兄さんに注意された後。とはいっても女と女の抱擁。でも双子には逆に異様な光景に見えたようだった。
「へえ、心優さん。ドールみたいだね」
 心優の身体をぎゅっとその両腕で体感したお母さんがそう例えてくれる。
「お人形みたいなお嫁さんか。うん、いいね」
 その手で何を思ったのか。感じてくれたのか。でもゴリ母さんの感性て、独特で惹かれるものがある。そんなゴリ母さんにお人形さんと言われ、心優は嬉しくて頬を染めた。
「待ってるよ。ドーリーちゃん」
 ゴリ母さんの大らかな笑みは、ほんとうに臣さんそっくり。心優はお母さんに抱きしめられて初めて思う。ゴリ母さんって、母性が溢れているんだよね。ゴリラのお母さんって、愛に溢れている気がする。あの勇ましい胸元、おっきいおっぱいのクッション、抱きしめられたそのぬくもりがじわじわと心優に伝わってきている。
 そんなお母さんのドーリーちゃんになったみたい?
 心優さん、待ってるから!
 叔父ちゃん、待ってるからな!
 お猿な嵐を運んできたユキとナオも、もう清々しい笑顔で手を振ってチェックゲートを出て行ってしまった。

 昨日と同じ、夕の空――。
 星の煌めきが見え始めた紫の空に、横須賀行きの小型ジェットが飛んでいく。
 翼のランプが夜空に消えるまで、雅臣と見送った。
「やっと帰った」
 雅臣はホッとしたようだが、同時にやっぱり寂しそうだった。
「帰ろうか、心優」
「うん」
 今日はもう、家族を見送ったらそのまま二人で帰ってもいいとお互いの上司から許されている。
 夕の滑走路。そこで心優と雅臣は手をつないで帰路を行く。その姿を見た隊員達が二人をみてにやにやしているのもわかっていたが、雅臣も気にならないようだし、心優も今日はそんな気分。
「ゆっくりしよう、二人で」
「うん、ゆっくりしよう。臣さん」
 きっといま考えていること同じ。いますぐ、あなたと……。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 今夜はおなじ気持ち。だから、ふたりがベッドに一緒になると、もうお互いに素肌になって。
 すっかり夜が更けて、いつもどおりにそれぞれシャワーを浴びて。
 今夜は心優が先に、素肌のままベットに横になっていた。
 いつも彼が読んでいる航空マニア雑誌を眺めていると、彼もバスタオルを腰に巻いた状態でベッドルームに戻ってくる。
 心優もそのつもりだから。部屋の灯りは既に落としていた。ベッドサイドにある間接照明のみ。ほんわりとした、柔らかい光だけ。ほのかな明るさのみ。
 そこで彼がベッドに上がってきて、心優のカラダを隠しているタオルケットをとりさった。
「臣さん……、待っていたよ」
 躊躇わず、心優から雅臣の身体にだきついた。パイロットをやめても、鍛えている肉体の胸に頬を寄せる。
 それだけで雅臣が愛おしそうに心優の黒髪を撫で、心優の顎を掴んで上に向かせる。
「心優、俺だって……。おまえじゃなきゃ……だめなんだ」
 お猿の熱いキスにくちびるがふさがれる。今日、エレベーターでした続き? もうなんの遠慮もいらない。周りを気にしなくていい。わたしはいまは『心優』だし、彼は大佐ではなくて『臣さん』だから。
 心優も一緒になって舌を絡めて、彼の唇を濡らした。熱いキスを何度も重ねて、いまからいっぱい愛しあおうねという挨拶。それが終わると、心優はシーツの上に寝かされる。
 心優の身体にまたがった男の姿、心優は久しぶりに目を瞠る。お猿の姿全開で、彼の股間にあるものがもう猛々しく尖っていたから。それはもう、いますぐおまえの中に突っ込める。というか、もう突っ込みたいといわんばかりのそそり立ち。まだ心優とキスしたばかりなのに。なんでそんなになっちゃっているのと心優はギョッとしてしまう。
 でも雅臣は、優しく心優の上に覆い被さり、いきなり男を押しつけてこない。はち切れそうになっているのに、彼の微笑みはいつもの爽やかなお猿の微笑みで、そのまま心優の瞳をじっとみつめてばかり。黒髪を撫でてくるだけ。
「臣さん、もう、すごいね……」
「うん。今日はずっと心優を抱きたくてしかたがなかった」
「逃げられると思ったの?」
 いいや――と、雅臣が首を振る。
「俺の心優が、やっぱり俺の心優だったと再確認して、もう愛したくて愛したくてたまらなくなったんだ」
 どんと俺の家族を受け入れてくれた。やっぱり俺の心優。俺を幸せにしてくれる女だから、俺はもっと心優を愛したいんだよ――と耳元で囁かれる。
 彼のくすぐったい頬へのキス、首元への愛撫、降りていくくちづけと一緒に、お猿の大きな手が心優の乳房を柔らかに揉んだ。彼の手の中で突きだした赤い突起、そこを彼が唇で吸ったり舌先で舐めたりを繰り返す。
「あ、あん……、お、臣さん」
 綺麗にした肌だったのに、またじんわりとした汗が滲んでくるのがわかる。背を反って、心優はしばらくその愛撫に喘いだ。
 はあはあと息を弾ませて、心優のカラダの芯はじんじんと熱くなってくる。
「あ、あっ、あん、う……、す、すごくいい、よ、臣さん」
 そうかと、雅臣がそれだけ安心したように呟いたが、ふと彼の顔を確かめると、彼も額に汗を浮かべていて我慢できないような息を弾ませて余裕のなさそうな顔――。
 ああ、そうか。あんなになっているんだもの。なのに、わたしをまず愛してくれているんだと心優は気がつく。
「もう、いいよ」
 心優の乳房を激しく愛してくれている雅臣の頭を、胸元から離した。
「心優?」
 雅臣を胸元から除けて、今度は心優から起きあがる。
 そうして、ベットに手をついて猫のような四つんばいになる。そうすると、心優の目の前には猛々しいお猿の……。それを自分からそろりと口に含んだ。尖端からゆっくり。
「う、心優……。そ、そんなことしなくても……」
「だって……」
 もう口の中で彼の塊を愛しているから、喋れない。
 だって。こんなにしているじゃない。わたしのこと、欲しそうにして我慢しながら愛してくれたじゃない。だから、わたしもそうしたいんだもん。
 雅臣の口から、はあと男っぽい吐息が落ちてきた。それだけでも、心優のカラダの芯がまたきゅんとして熱くなる。
 もともと凄くそそり立っていて、心優が口に含む時にはもうとても硬かった。でも心優が愛してやると、男のの熱い脈を感じる。
 心優も額に汗を感じ始める。はあ、はあ、こんな凄いの……。よく知っているはずなのに。もう何度もこれで愛されてひとつに繋がってきたのに。いまだって、お猿のエネルギーの塊を感じると、もうそれだけで心優の中でなにかがほとばしる。
「や、やめろ。もう、そんなに、いいから」
 今度は雅臣が心優の頭を強引に除けた。口元を濡らしている心優を雅臣が逞しい腕で抱き上げてくれる。
「心優、酷いな。俺、もう優しくなれないだろ」
「い、いいよ。それでも……」
 息を切らしている心優を、雅臣はもう一度ベットへと手を突かせ、背中から抱きしめてくる。
「それでなくても……。今夜はすげえ、我慢していたのに、もう、これ以上は」
 だから、いいよ。お猿の好きにして。壊れるほど、好きにしていいから。
 きっと心優はそう息だけの声で囁いていたのだと思う。
「じゃあ、遠慮しない」
 猿の猛攻撃で行くからな――と、彼が呟いた後。心優は後ろから羽交い締めにされるようにして、抱き上げられた。
 後ろからあの猛々しいお猿のエネルギーが挿しこまれ、彼の大きな手が心優の胸先を抓んでいじめた。
「い、いや……」
「だから、言っただろ。優しくしないって……」
 後ろから抱きついてくる雅臣は耳元でそう呟くと、お猿の熱い舌先で心優の頬も舐める。
 お尻から彼の塊に責められて、大きな手が心優の胸を揉んで、『心優、心優』と彼が呟きながら熱い舌のキスを何度も埋め込んでくる。長い指が心優が短く整えている薄毛の奥へと入り込んで、奥にある泣きたくなる小さな珠を見つけて、ぬるりとした蜜を塗りたくって何度もさすってくれる。
 心優が泣いて喜ぶところ、みんな知ってる。余すことなく愛してくれる。もう、もう、こんなの……。熱い涙が浮かんで、心優は宙に向かって喘ぐだけ。
「う、うん……っ、あ、あ……、お、臣さんじゃないと、こんな、こんな気持ちよくないよ……。臣さんが、初めて……、『いままで、こんなんじゃなかった』よ……」
「だろ、これからもずっとだ――」
 彼も余裕がなさそうな顔をしていていたのに。いまはもう、我を忘れているのは心優の方。彼は大人の男の声で落ち着いているようにかんじた。
「ああん……。臣さんじゃないと、もう、臣さんだから……」
 こんなセックス、わたしも臣さんが初めて。女として大きめのカラダに生まれたけれど、でも、お猿の責めがわたしには……、最高の……。
 心優も今夜はテンションがあがっていたから、余計に感じてしまう? 捕らえられたようにして、少し力強く乱暴に愛されても、ぜんぜん平気。
 でもがっくりと崩れ落ちてしまう。それでも力が抜けてしまった心優を、雅臣は後ろから勇ましく抱き上げてくれていた。そのまま今度はお猿が最後の力を注いでいく――。
「臣さん、好きよ」
「俺は、心優を愛してるよ」
 もう嬉しくて涙がこぼれる。いまだって。
 そんなぐったりしている心優を、雅臣が優しくシーツの上に寝かせてくれた。
 隣に寝そべった雅臣が、上から見守るようにして、いつものように心優の黒髪を撫でてくれる。
「浜松基地にお礼の挨拶に行きたいと思っているんだ。最後の適性検査と飛行訓練、これからも小型機は操縦できるよう免許を取るのに世話になったから」
 突然、そんな話をしてきてた。でももうすぐ浜松に帰るのだから、それも当然と思って『うん、いいんじゃない』と心優は気易く応えていた。
 でも、雅臣は急に、真顔になってなにか躊躇っている?
 黒髪を撫でていた手が、今度は心優の耳たぶを抓んで撫でているけれど。それがどこか彼の迷いにも感じてしまう。
「心優はどうする。まえの事務室に挨拶に行ってもいいし、どこか外で待っていてもいいんだけれど」
「ううん。わたしも一緒に挨拶に行くよ。空部教育隊の隊長に会うのも久しぶりだし、臣さんがお世話になって、わたしもT-4に乗れたんだから」
「うん、なら。いいんだけれど――」
 そう言うと、雅臣はそれきり黙ってしまった。でもまだなにか聞きたい様子だった。
「臣さん?」
「心優にとって、俺もぴったりな男っていうのは、俺もそうだって言い切れる」
「うん」
 その通りだよ。今日だってほら、目が濡れて熱くて泣いちゃったもの。
「でもさ。そんなにだめだったのかと思ってさ。ついさっき……『いままでは、こんなことなかった』なんて言うからさ。いままではそんなこと思いつきもしなかったんだけれど。浜松に帰るとなって、ああ、心優も浜松基地にいたんだよな……と思った時にさ……。そんなにだめだったのはいいとして、『そいつ』、まだいるのかなって」
 心優の心臓がどきりと蠢いた。雅臣から初めて触れてきた。ううん、いままでお猿はそんなこと気にもしなかったし、猿の俺には心優だけとそれだけしか見えていなかったのに。
 お互いに過去を持っている土地に向かうとなって、雅臣も初めて意識した。心優の『元カレ』のこと。
 いままで心優が雅臣の過去を気にすることはあっても、臣さんは心優の過去のことはあまり気にした様子を見せたこともない。ただいちばん最初に『男はいるか』ときちんと確認しただけで。
「も、もう。結婚しているし、転属、しているんじゃないかな」
「ふうん。どんな男?」
 えー、いつのまにか大佐殿のような真剣勝負の男の顔で聞かれている! 心優はちょっと焦る。
「どんなって、普通の人だよ」
「階級は」
「……、か、海曹……」
「何等?」
 つっこまれ心優は『一等』と答えた。
 それでも浜松時代は心優にとっては上官だった。
「へえ。捨てた女が上官になってどうなるんだろうなー」
 うわ、けっこうえげつないこと言う。こういう時の雅臣は大佐思考。せっかくほてった肌がすうっと冷まされていくようだった。そういうとき雅臣は大佐殿の腹黒さで容赦ない。
「でも。彼なりに、幸せになっていると思うよ。普通が安心する人みたいだったから、わたしみたいなおっきな女は、ねえ……」
「普通ね――」
 すんごい冷めた目線が、雅臣から放たれている。
「もういないよ。会うはずないじゃない。こんな最高のエースパイロットと結婚するんだもん。関係ないよ」
 やっと雅臣がお猿の愛嬌でにっこり微笑んだ。
「だよな。関係ないよな」
 え、関係あると案じていたかのような言い方ではないかと、雅臣以上の男性はもういないというのに、なんとなく気にしていたのかと知って驚いてしまう。
「いないならいいんだよ、いないなら……」
 まだ雅臣の中で案ずることがあるのか。ちょっとだけ溜め息をついているのを心優は聞き逃さなかった。

 

 

 

 

Update/2016.7.4
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