◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX2. ドーリーちゃん、よろしくね(8)

 

 二年ぶりの浜松航空基地だった。
 雅臣にしても心優にしても、古巣。雅臣にとっては母校のようなもの。
 一緒に歩く足取りも、どっちに行くのなんて聞かなくてもお互いに解りきっているからなにも確認せずとも同じように足が向く。
 でも。心優は緊張してきた。
「どうしよう……。わたし、石黒連隊長と話したことないし」
「大丈夫だって」
 臣さんは平気なのと聞きたいけれど……。そんなわけないか、だって大佐殿だもの。相手を緊張させてしまうほうだものと思い改め聞くのをやめた。
「石黒さんは、俺が候補生の時、教官をしてくれていたんだ。当時、既に怖いおっちゃんだったよ」
「ええっ、そうだったの!」
「うん。いまは穏やかなみんなの親父てかんじになっているけれどな。世代的には、長沼准将と同期ぐらいかな。橘さんよりちょっと先輩。葉月さんの世代になると、自分よりちょっと若いね……と石黒さんが思うぐらいの差みたいだな。いまはおなじ航空部隊の准将として親しくしているようだよ」
 だから心優もこれからコンタクトの機会が増えるだろうから、挨拶しておいて損はないと思う――と言われると、心優はなんだか休暇なのに御園准将の秘書官としての使命でやってきたような気にさせられた。
「会いに来る連絡はしているから、待っていると思う」
 在職中は近寄ることもなかった連隊長室へと、雅臣がどんどん近づいていく。
 ついにその扉の前に。御園准将室よりもずっと重みと歴史を感じる浜松基地の連隊長室の扉。そこを雅臣がノックした。
「はい」
 こちらもおそらく秘書官だろう中佐の肩章を付けている男性が扉を開けた。
「お久しぶりです。先日はお世話になりました。小笠原総合基地の城戸です」
「いらっしゃいませ。お待ちしておりまたよ」
 厳つい顔をしていた中佐が、雅臣を確かめるなりにっこり笑顔になった。そして彼の目線が、雅臣の後ろに控えていた心優へ――。
「お邪魔致します。小笠原総合基地から参りました、園田心優です」
「お帰りなさい。園田中尉。連隊長も楽しみにして待っておりましたよ」
 お帰りなさい――。そんな言葉をかけてもらえるとは思っていなかったので、心優はおもわず涙ぐみそうになってしまった。
「どうぞ、どうぞ。暑かったでしょう。いま冷たい飲み物でも準備致します」
「お構いなく、高槻中佐」
「いえいえ。させてください」
 そうして高槻中佐はいそいそと秘書室へと下がっていってしまった。
 連隊長室にはいると、滑走路が見える窓辺の前に大きな机。小笠原でもそうであるように、この基地の長もそこに悠然と構えている。
「おう、お疲れ! 小笠原から遠かっただろう。待っていたよ。座って、座って」
 白髪の短髪頭、でもミセス准将と同様の碇の刺繍がある肩章をつけているおじ様が、デスクから立ち上がり、目の前にある応接ソファーへと促してくれる。
「お邪魔致します。石黒准将」
 雅臣に習って、心優も一緒にお辞儀をする。が、石黒准将がずんずん近づいてくる。しかも心優の目の前に来ると、両肩をぎゅっと握りしめられる。
「園田君。お帰り! 待っていたよ!」
 大きな声が、これまた自分の父親とおなじで、心優は久しぶりに体育会系おじ様に圧倒されてしまう。
「その節は大変お世話になっておりました。なんとか無事に、いまの職場でも勤めております」
「そうじゃないだろ!」
 ほんとうに心優の父親並みの大声を目の前で放たれ、心優はおもわず肩をすくめてしまう。
「結婚、おめでとう! まさかこのソニックを選ぶだなんてなあ!!」
 え、選んじゃいけなかったの? と唖然としたが、目の前は将軍様、心優はなんとか笑みを浮かべて続ける。
「は、はい。あ、ありがとうございます。わたし自身も、自分が結婚するなんてびっくりしているのです」
 思わずそう言っていたのだが、石黒准将がちょっと驚いた顔をしている。でもすぐにガハハと豪快に笑い出した。
「なーにいってるんだ。それは雅臣のほうだろ! なあ、雅臣。おまえが結婚するなんて、びっくりだよなあ」
「ひどいっすねえ。教官ったら」
 雅臣が急に慣れ親しんでいる口調に転じたので、心優は目を丸くする。
「こいつ、女はてんでだめだったから。なあ」
「そんな俺が若かった時の話はしないでくださいよ」
「長沼や橘からも聞いているぞ。おまえ、横須賀でも女はてんで――」
「わー! もう言わなくていいですから!」
 どうやら、おじ様パイロット達が連携して雅臣を見守ってきたようで、なんでも筒抜けのようだった。
 そして心優ももう既に『お猿さんは女の子には負け猿』と知っていたので、なんだか笑いたくなってきた。
「よかったなあ。こんな気だてのよい真面目なかわいい若い子を捕まえられて。園田君、女にはだめな男だから頼んだよ」
「はい、石黒准将」
 素直に返事をすると、そこは本当に心から安心してくれたようにして石黒准将がほっとした優しい笑みを浮かべた。雅臣はいつもの如く、負け猿さんの困った顔をしているまま。それを心優と石黒准将はそっと笑ってしまっていた。
 正面に石黒准将が腰を据えたのを確かめ、それから雅臣と一緒にソファーに座った。
 石黒准将はまた、正面に揃ったふたりをしげしげとみつめて、やんわりと微笑んでいるだけ。
 でもしばらくすると、感慨深そうに話し始める。
「無事に、ふたりでT-4にてフライトができたと報告が来た時は、知らされていたものの、『ほんとうにやったんだ』と驚かされたねえ」
「御園准将と石黒准将そろっての配慮のおかげです。ご協力くださいまして有り難うございました。本日はその礼も伝えたくてやってきました」
 雅臣が深々と頭を下げたので、心優も一緒にお礼のお辞儀をした。
「なんだって。園田中尉に搭乗するための訓練をさせたら、候補生の基準をクリアしていたそうじゃないか。しかもその後の適正もしっかりあったとか」
「自分も小笠原に帰る前に知らされて驚きました。ですが、彼女は元々選手団に在籍していたほどのアスリートです。それも当然かと納得したものです」
「なるほどな。しかも、葉月ちゃんがねえ、『絶対に絶対に園田には内緒ですからね。そちらから漏れないようにしてくださいませ!』なんて、もう1ヶ月の間何度も何度も釘を刺されてさあ。普段はそれほど喋りもしないのに、あの彼女がすごい剣幕でびっくりしたよ」
 え、そうだったのですか――と、雅臣と一緒に心優も驚いた。
 それに。こちらのおじ様准将も、横須賀で大ボスだった長沼さん同様『葉月ちゃん』と親しそうだった。これなら雅臣を預けて、内緒に研修もできたわけだと心優も納得。
 そして心優も改めて、礼を伝えたい。
「わたしのお祝いと聞いて驚きはしましたが、常々、ソニックというパイロットがどのような空を見てきたのかこの目で見たかったので、とても嬉しかったです。浜松基地で研修中の時からのお気遣い、そして城戸大佐への飛行許可があればこそでした。わたしにとって、一生の想い出です。この目に焼き付いています、皆様が見てきた空が……。私にも与えてくださって、感謝致します」
 そう告げた心優を見た石黒准将が、あんなに溌剌とした元気いっぱいのおじ様だったのに、急に涙ぐんだ顔。また心優は雅臣と一緒に面食らう。
「いやあ……。そういってもらえる女の子と結婚することになったんだな。雅臣は……。ほら、なあ。なんともなくても女の子には弱い男だったけど、事故のこと……、この近所で起きたことだったから……」
 そこまで言って、石黒准将がハッとして口をつぐんだ。
「申し訳ない。当時もこの基地にいたものだから……」
「いいえ。あの時、教官も俺が運ばれた病院にすぐにすっ飛んできてくれましたね」
「一度しか会わせてもらえなかったけれどな。でも、俺もパイロットだったから、おまえの気持ちが痛いほどわかって辛かった」
「もう大丈夫ですよ。俺。空ともコックピットとも決着つけました。いまは、雷神と一緒に飛べると思うことも多くなってきました」
「そうか。よかった……。……やっぱり彼女にそういう力があったのかな」
 事故の話になるとしんみりする。でも、思い出して辛そうなのは雅臣ではなくて石黒准将の方に見える。雅臣はもうなにもかもが清々しく通り過ぎて言ったが如く、優しく微笑んでいる。
「あのミセス准将までもが、俺の前で涙を流したぐらいだ。余程の思い入れだったのだろう」
 滅多にないだろう彼女の姿は、石黒准将にも印象的だったよう。でも雅臣もそこはもう……穏やかに受け入れて驚いたりしない。
「今度は俺が、あの人を助けたいと思っています」
 すると雅臣は、手に持ってきていたビジネスバッグを膝に置くと鞄の中から、エレガントな蔦と葉の透かし模様がある封筒を手に取った。
「御園准将から言づかりました。石黒准将に直に手渡して欲しいと」
 だが、そこで石黒准将が顔をしかめた。
「嫌だな。それを受け取ったら、なにかに巻き込まれるんだ」
「条件も記されてるかと――」
 中身を知っているかのような言い方。極秘の伝言役をいつのまにかミセス准将から授かっていたので、側近である心優はややショックを受ける。
 でも。こういうところが、お側で護る秘書官と、上官を補佐する部下の違い。ミセス准将がなにかをしようとその手腕を振るうなら、側にいる補佐の大佐を使う。そういうこと。
 そして石黒准将は『条件』と聞いただけで、嫌そうではあったがその封書を受け取った。
「こういうところは……。さすがにお嬢様だな。長沼とやりとりしたって、こんな匂いがするものなんか届かないよ」
 受け取ると、石黒准将はそのまま躊躇わずにエレガントな封筒を開けた。中の便箋を広げ、しばらく黙って読み込んでいる。
「あのお嬢さんときたら……、まだこんな字を書くんだなあ。内容と文字がすごいギャップだよ」
 それを聞いて、心優は苦笑いを浮かべてしまう。そうご主人の御園大佐が頭を痛めている、奥様の『かわいい丸っこい文字』。石黒准将もちょっとだけ額を抱えて、内容と文字のギャップを埋めたいのか目をパチパチさせている。
「はあ、なるほど。なにを始めたいのか知らないけれど、こっちにいる教官をよこせとあるな」
 彼の顔が強ばった。きっとあのミセス准将のこと。それをしてくれるのが当たり前のように伝え、またそうしてくれないと貴方達が損をするぐらいのことでもふっかけていそう――と心優にはそう感じることができる。
「ですが、そこにある教官の名は、小笠原で活躍されていたパイロットです。引退されて後、こちらで教官をされていますよね」
 雅臣は、ミセス准将が誰に目をつけたのかもう知っている。つまり、彼女からその胸の内、手の内、今後の意向をきちんと知らされているということになる。
 それは。雅臣が彼女の右腕として認められているということになる。そして彼はもう彼女の後継者として動き始めているし、ミセス准将もそのつもりだと心優は知る。
 そして、その小笠原にいたという元パイロットの名を雅臣がはっきり口にする。
「平井中佐をお返しください」
「雷神のキャプテンだった男だ。しかもミセス准将とはおなじフライトチームにいた戦友。彼女が雷神を発足した後の初代キャプテンだ」
「そうです。俺が事故に遭った後にキャプテンとして抜擢された平井中佐です。俺が事故に遭ったため、急に雷神のキャプテンを決めなくてはならなくなった。御園准将とも連携が取れるベテランパイロットとして、引退を決意していたところを彼女に説得され就任したと聞いています。うちの鈴木英太がエースの称号を取得したのを見届け、いまのスコーピオン、ウィラード中佐にキャプテンを任せ、ようやっと引退。雷神のキャプテンだった経験を活かして、いまは浜松基地でパイロット候補生の教官――ですよね」
「そうだよ。雷神の初代キャプテンということで、候補生達は彼に敬意と憧れを抱いて訓練に挑む。うちの教育隊にとっての売りでもあるよ」
「自分も、先日、久しぶりに平井さんと話せました。俺がなるはずだった座に居座ることになったけれど、いい経験だった――と話してくれました。辛くはありませんでした。それを知った平井さんもホッとしてくれたようです」
「気にしていたんだろうな。雅臣が事故に遭わなければ、平井君は雷神など携わることもなく、ただ引退したパイロットで終わっていたはずだから。胸を張って選ばれたというわけではなかったのだろう」
 そんな雷神の経緯もあったんだと、心優が知らない初期の雷神の様子を初めて知る。
「ですから。もうそうは思わずに、これから俺が指揮をしていく雷神の初代キャプテンだったことを胸を張って誇りに思って欲しいと……。俺も伝えることができました」
 そんなふうに事故を乗り越えた雅臣を知り、また石黒准将の目に涙が。
「うん、よかった。ほんとうに、俺も安心した!」
「ご心配かけました。これからは遅れ馳せながら、雷神で精進していく所存です」
「うん、わかった。でも、これとそれは別な。こっちだって売りの教官をまた帰してくれ、はいどうぞとはいかない」
「条件はいかがですか」
 これまた雅臣がにんまりと微笑みかける。うわー、臣さん。御園大佐ぽい駆け引きの顔をしてる! 大佐殿になると、そこはかとなく腹黒い笑みはいまも健在。
「まーったく。こうやって横須賀でも長沼がいいように使われていくらしいじゃないか」
「長沼准将の主席側近をしていた自分としては、条件を飲むからこそ、長沼准将も力をつけてきたと思っておりますよ」
「うわあ、おまえ。すっかり葉月ちゃんの下僕だな」
「なんとでもおっしゃってください。そうです、俺は下僕です」
 開き直った雅臣が堂々としているので、ついに石黒准将もちょっと躊躇った溜め息をつくと、胸ポケットのペンを手にした。
 そのまま御園准将から届いた女性らしい封筒の宛名も記されていないそこに、なにかを書き出している。
 書き出していること、六、七箇条ほど。
「彼女からコンタクトがないと、こういうことも頼めないからな」
 そういって書き終わった封筒を雅臣に差し出した。
 雅臣がそれを受け取る。しかも、心優にも見るように目の前に差し出してくれる。
「側近なんだから、覚えておけよ」
 秘書官として室長だった時の声。いま遊びに来ているようで、そうではない。雅臣が浜松基地に来たのには、大事な仕事も含まれていたらしい。
 そして心優も石黒准将の『交換条件』を眺める。
 その内容に心優は息を止める。どれもこれも……。御園准将ではないと調べられないことばかり。あるいは、浜松基地として『そっちのこういう隊員を教育隊として何名欲しい』、『こっちにもチェンジが一台ほしい』などなど。
「すぐにはわからないことも多いだろうから。それらの調べがついて、こちらに知らせが揃った頃には、こっちもどうするか考える。そうすればちょうどいい時期なんじゃないの。どうせ小笠原にできるあれのことだろう」
 明言はしなかったが、石黒准将も御園准将が言わんとすることは見透かしているようだった。
 そこへ、秘書官の高槻中佐がアイスコーヒーとアイスティーを持って准将室に戻ってきた。
 雅臣にはアイスコーヒー、心優にはアイスティーを置いてくれる。どちらも二人が先ほど飲み損ねたものだったので、ほっとした微笑みをお互いに浮かべてしまう。
「高槻。またお嬢さんから変なお手紙が来たよ。読んだら、いつもどおりにしておいてくれ」
「かしこまりました。後ほど、こちらに燃やすものを持ってきます」
「うん」
 密通というわけだった。心優はそれを目の当たりにする。そのお遣いを頼まれていた城戸大佐の横に当たり前のようにしていさせてもらっているのは、心優が雅臣の妻になるからではない。御園准将の側にいる秘書官だからだと悟った。
 高槻中佐も主席側近として、ボスに届いた密書に目を通している。
「平井中佐をよこせですか。まあ、なんとなく。そろそろ欲しいと言い出すんじゃないかなと思っていました」
 高槻中佐もお見通しのようだった。
 それでも石黒准将は溜め息。
「平井君はどうかな。ようやっと浜松に家族と落ち着いたところだろうし。お子さんも本州の学校になれてしまえば、また島に逆戻りともいかないだろう」
「どうでしょうね。奥様も島暮らしが長かったようですし、いまは単身赴任もできます」
 と、高槻中佐は平井中佐の気持ち次第と言いたげ。でも連隊長は顔をしかめる。
「そんな寂しいことさせられるか。まったくお嬢さんも酷なことするよ」
 そいういこともちゃんとフォローして引き抜かなくてはならないらしい。もうコックピットを降りて、家族と一緒に穏やかな地上勤務になったのなら、もう戻れないかもしれない。心優はふとそう思う。
 だが雅臣がまた容赦なく切り込んでいく。
「確かお子様もあと数年すれば高校も卒業されるお歳だったかと。独り立ちさせてしまえば、ご夫婦で島に来られるかもしれませんしね」
 そこまで雅臣も把握して、ミセス准将とおなじところへ向かおうとしている。しかも雅臣は、さらに目の前の恩師にふっかけた。
「俺は平井さんが羨ましいですよ。雷神のキャプテンとして葉月さんから選ばれ、しかも、今度は……。その仕事、俺、いつか平井さんから奪い取るつもりです」
 そう聞いて、心優も平井中佐がどこに望まれているかやっと解った! 御園准将は平井中佐を、アグレッサー部隊の大事な指揮官に据えるつもりなんだと。
 雅臣の悔しそうなふっかけを見た、石黒准将と高槻中佐がおののいている。
「雅臣……。それほどのことなのか? おまえほどのエースパイロットが……、そんな顔をするほどの仕事を彼女は準備しているのか」
「ええ。もう聞いた時は、ほんとうにやってくれるなと。あの人だからきっとできるんです。雷神を俺にほいっとくれたはずです。ですがいつか俺もそこに行くつもりです」
 さらに石黒准将と高槻中佐が仰天した顔。
「雷神以上の、なにかってなんだ」
「そ、そうですよ。いまや、日本だけでなく提携してるアメリカやフランスからだって、雷神に選ばれないかとパイロットがそこを目指しているのに?」
「雷神は最高です。ですが、パイロットとして最後にそこに行きつくのも『男』かと感じています」
 もう浜松のおふたりが絶句していた。
「雅臣、さっきの封筒。もう一度返してくれないか」
「え、どうしてですか」
「いいから、いいから」
 雅臣は手帳に挟み込んだ封筒を言われるまま、石黒准将に返してしまう。
 すると受け取った途端、石黒准将は再びペンを手にして、さらに先ほどの続きを書き足している。
「うわ、教官。ずるいですよ! 付け足しなしですよ」
「うるさい。それほどのすごいことをするなら、簡単に平井君はやらない。もっと条件ふっかける」
「うわーー、俺が怒られるじゃないっすかーーー」
 ああ、もう……。大人の上司には敵わないお猿さんになってると、心優は隣にいて呆れてしまう。
「もう、連隊長もおやめください。なんですか、そんなことをミセス准将にお願いしないでくださいよっ」
 あちらの高槻中佐も呆れている状態。それを元パイロット教官と元教え子パイロットで子供っぽくやり取りしているので、ついに心優と高槻中佐は顔を見合わせて笑い出してしまう。
 やっと雅臣が書き足されてしまった封筒を取り返した。
「はああ、もう。意外とめんどくさそうなのをさらっと簡単に……」
 本気で汗をかいているお猿さんが取り戻した封書を心優ももう一度覗き込む。
・小笠原に招待すること
・島蜂蜜を送ってください。あれ、うまい。
・橘を一度こちらに出張によこす
・詳細打ち合わせのため、貴女と食事をしたい
 なんてことが追加されていた。
 心優も目が点になる。
「だって彼女とこっそり打ち合わせしておかないと、こっちが振りまわされるだけじゃないか。そういう意味だよ」
 それもそうかも。海東司令とも年に数回極秘の食事をするのだから、それは訓練校設立にご協力頂くには必要ではないかと心優も思う。
「わたくしからも御園に伝えておきます。島蜂蜜も送らせて頂きますね」
 ミセスの側近として心優が答える。隣にいた雅臣が少し驚いていたが、『自分からよく言った』という満足そうな笑みを次には見せてくれた。
 雅臣もさっさと封筒を手帳に挟んでバッグにしまった。
「そうだ。高槻、あれを頼むよ」
「かしこまりました、准将」
 側近の高槻中佐が連隊長のデスクから、なにかの報告書のような冊子を持ってくる。
「たぶん、ミセス准将の元にも既に届いているはずだよ。だがこれが俺のところに来たのは昨日でね。雅臣はまだ見ていないだろうが、実際に航海にでていた者に確かめておこうと思っていたんだ」
「なんでしょう」
「空部隊の上層部で共有することになっている情報ではあるんだが。実際のところはどうかと思ってね」
 その冊子を石黒准将がめくっていく。報告すべき情報の詳細を記された文章と、いくつかの写真画像が掲載されていた。
 そこには空と海、そして空母も写っている上空。そして戦闘機の画像。尾翼に見覚えある特有のイラスト、そして機種はスホーイ。
 それを見ただけで、雅臣の目が見開いた。
「あいつ、復帰している?」
 あいつ? 大陸国の、雅臣が知っている男。心優も思いだしてハッとする。
「あの時の……」
 ふたりの反応を見て、石黒准将と高槻中佐が顔を見合わせる。彼等も真剣な顔つきになっていた。
「やはり、知っているのか。いま、岩国の高須賀准将が艦長として巡回航行をしているだろう。その中間報告で届いたんだ。この機体がずいぶんと活発に挑発してくるらしい」
「あいつの機体番号に似ている……。尾翼のイラストはおなじだ。つまりおなじフライト編隊」
 そして石黒准将も雅臣に告げる。
「この機体番号は前回ミセス准将が東シナ海で大量出撃を受けた時には出撃していない機体番号で、新しいものになるそうだ。高須賀准将はすでにさらなる情報を持っているようで、このパイロットが現れると『王子』と呼んでいるそうだ。彼がそう呼ぶから官制員達も近頃は『王子』と呼ぶらしい。そのことまで中央司令部に報告されている」
「高須賀准将がそう呼ぶとおり、もし『彼』であるならば、まさに『王子』みたいなもんですからね」
「ということはだ……。報告書にはまだそこまで確定はされていないが、このパイロットは……」
「確証はありませんが、高須賀准将がなにか確信を得ているならば、『王子』は前回の航行で出くわしたバーティゴを起こしたパイロットでしょう」
「つまり、あちらの国の総司令の……」
「機体番号が下二桁異なるだけです。彼の機体はバーティゴ事故の際に墜落爆破してしまったから、新しい機体を与えられた可能性が。ただ彼が復帰したのか、あるいは、他の新人がその機体に乗るようになったのかは確かに司令部の判断どおり判定はできないでしょう」
 あの空母艦に来てしまった、大陸国海軍総司令官の子息だった彼。あの彼がまた復帰して、以前以上のアタックを領空線で仕掛けてくるとの報告だった。
「平気で数秒の侵犯を試みてくる。以前と大胆さが異なっているそうだ。一度、競り合いになったらしい。その時にこちらから措置の通信をした際、おなじ周波数のチャンネルから『白いのがいない艦隊なら興味がない』と返してきたらしい」
「白いのがいない? それって……ネイビーホワイトのことですか」
「おそらく、雷神がいない艦隊なら用がないということなのだろう。ただ今回の艦隊にそれがいるかどうかはこちら日本側から明かすことはできないため返答はできない。白いのがいるのかいないのか確かめるための挑発は激しいらしい。高須賀君も、ギリギリ押し気味の航路で航海をするからね。でもあちらの狙い目はやはりミセス准将の艦隊だ。また行くんだろう。気をつけておいた方がいい。俺が言わなくとも、あのお嬢さんはもう戦略を頭の中で描いているだろうけれどね。あと、こちらも新人パイロットを各基地現場に送り出すにあたって、いまの情勢は知り尽くしておきたい。その心積もりを教育隊のうちに整えてさせておきたいんだ」
「わかりました。それも含めて、御園准将に伝えます」
「王子を救助した後、御園准将はなにを彼と話した? 雅臣もなにか話したのか?」
「それは……」
「だよな、司令部から許可がないことは言えないよな。だが俺も航海後の報告は届く立場にあるもので、ひとまずバーティゴを起こしたパイロット、つまり総司令官の子息が復帰したと睨んでいる。互いに接触をしたことがある者同士が、また敵国同士として空で接触する。ミセス准将がその時どうするのか。王子の気持ちがなんであるか。そこを案じているよ」
 雅臣も黙ってしまった。もうソニックであって、大佐殿の顔になっている。
 そして心優も、次の航海ではまた領空線ギリギリの、前の任務以上の緊迫する航海で、もしかすると高須賀准将がそうなったように次回はドッグファイトが勃発するのかもしれないと身体を硬くした。
「情報とご心配、有り難うございます。絶対に護って帰ってきます」
「うん。気をつけて行って来いよ」
「はい」
 仕事の話はここまでだった。
 その後は、恩師と教え子という和やかさで雅臣も楽しそうに会話を弾ませていた。
 最後、石黒准将自ら、入口の扉まで見送ってくれる。
「今から実家か」
「はい。心優を家族に紹介して、明後日、彼女の実家の沼津に行く予定です」
「おまえのお母さん目立つよなあ。この前もそこのスーパーで会ったから挨拶したところだよ」
 その話を聞いて、心優は『ここでもお母さん、目立つんだ』と、逆になんだか嬉しくなってしまう。きっとハーレーダビッドソンに乗って買い物に行って、そこで石黒准将が見つけてしまうんだろうな――とその光景を思い描いてしまう。
 雅臣はちょっと恥ずかしそうに照れている。
「はあ、ですよね〜。いえ、母に挨拶してくださって、有り難うございます」
 そして高槻中佐まで。
「私も先日、そこのバイパスを車で走っている時に見かけました。あちらは私のことはご存じではないのでご挨拶できないのが残念です」
 うわあ、やっぱりゴリ母さん。目立ってるらしい!
「いつも挨拶ぐらいであまりお喋りじゃないお母さんなのに、この前は『既に葉月さん経由でご存じかもしれませんが、もうすぐ雅臣が結婚するので、お嫁さんを連れてきてくれるんです』と、嬉しそうに俺に報告してくれたよ」
「そうだったんですか。いやあ、いろいろ心配かけちゃいましたからね」
「あの無口なお母さんがあれだけ喜んでいるんだから、おまえ、心優さんとしっかりやれよ」
 あのお母さんが無口? と、雅臣と心優は一緒に首を傾げたが、どうも雅臣の上司の前では口をつぐんでお母さんも静かな様子を整えているようだった。
「帰ったら入籍するんだよな。おめでとう、雅臣。そして、心優さん」
「おめでとうございます。どうぞ、お幸せに」
 石黒准将と高槻中佐に祝福され、心優よりも雅臣の方が嬉しそうだった。
 二人で敬礼をして、最後に一緒にお辞儀をして失礼をした。

「よかったね、臣さん。教官といっぱい話せて嬉しそう」
 と、心優が彼を見上げると、雅臣が涙ぐんでいたのでびっくり。
「お、臣さんったら……」
「悪い。石黒さんと一緒にいると、俺なんだか当時のガキのまま逆戻りしちゃうんだよな……」
 自分のハンカチで目元を押さえるお猿さん。こんなとき、心優は愛おしくなってしまって困ってしまう。
「いけね。今から、心優がいた教育隊に行くのに」
「大佐殿がそんな涙目だったら、後輩達がびっくりしちゃうよ」
 でもそんな涙もろい大佐殿もいいかななんて心優は雅臣を笑顔で見上げた。
「よし、行くか」
 気を取り直した雅臣が、あっという間に大佐殿になってしまうのは驚き――。
 心優がいた事務所は、教育隊の本部に所属するパイロット候補生や現役隊員達の訓練のスケジュールや滑走路の時間割など基地の時間にまつわることを主に管理するところだった。
 そこ居続けたため、後輩しかいない。そして男の子は心優を飛び越して昇進していき、女の子は辞めるか結婚していなくなってしまう。
 そこを訪ねて、知っている後輩が残っているかどうか……。室長に会えれば、それでいいかなと思うぐらい。
 懐かしい事務室の匂いが、もうすぐそこ。夏のためか、ドアが開け放たれていた。
「お邪魔いたします」
 心優から覗いた。事務室には幾人かの隊員が休日当番で出てきている。
 おなじ白いシャツに黒い肩章、そして黒ネクタイという男性達が一気に振り向いた。
 遠くにいる室長デスクにいる男性が、とても驚いた顔で立ち上がる。
「園田!」
 四十代の男性が嬉しそうにしてやってくる。
「宮間中佐、おひさしぶりです」
 楚々とお辞儀をすると、彼がすごく喜んで心優の肩をがっしりと掴んだ。
「おかえり。ここを出て行ってからの活躍ぶり、すごく嬉しかった。俺の部下だったんだと自慢だよ」
「え、そうなんですか。ここではなんにもできなかったのに」
「そんなことはない。ちゃんと園田が残したものがある」
 宮間室長が振り返ると、一人の男の子が走ってきた。
「園田さーん、お久しぶりです! うわあ、本当に園田さんだあ!」
「吉岡くん! ええ、吉岡君?」
 二年前、心優が指導していた新人の男の子だった。
「え、背が伸びてる?」
 心優は思わず彼を見上げた。
「あはは。おかしいだろ。成人しているのに、ここでなんか伸びたんだよ。な、吉岡。どうだ、園田。男らしくなっただろ」
「はい。び、びっくりです。え、身体もちょっと違う?」
 おもわず、いつもの『肉体がわかっちゃう目』で、心優はつい後輩の男の子のお腹を触ってしまった。
 でも硬い! これ、鍛えてる! シドぐらい硬いんじゃない!? 心優は目を見開いてつい男の子を見上げてしまう。
「園田さんに鍛えられましたからね。あれからもずうっと続けていたんです。いま空手部に入って技磨いてます。ほんとは園田さんが参加していたような体力作りの時のように指導を受けたいんですけれどね……。寂しいっす」
 どうやら心優が転属してその後も、彼は心優が残した指導を続けて鍛え、空手の虜になったらしい。
「な、園田。おまえが残したもの、なかなかいい男になっただろう」
「ていうか。園田さん、綺麗になりましたね」
 後輩の男の子が臆面もなく言うので、心優はつい顔を熱くしてしまった。
「そ、そうかな。御園准将がお綺麗だから……、同じようにとなっちゃって……」
「それっすよー。ミセス准将の側ってすごいじゃないですか。広報誌見ましたよ!! この事務室めっちゃ盛り上がったんですからね」
「そうだそうだ。まさか、まだ子供みたいな顔つきだった園田が。御園准将の隣で大人っぽくなっているのを見た時には、嫁に出した親父の気分……」
 と室長がしんみりしたところで、また男二人が『あーっ』と心優に詰め寄ってくる。
「嫁に出すって、ほんとに嫁になるんだってな」
「すげえっす、園田さん! あのソニックの奥さんになるんですよね!!」
 おめでとう!! と、もうお祝いされっぱなしで心優は圧倒されっぱなし。でもそこでようやっと、少し離れたところで控えてくれていた雅臣へと振り返る。
「あの、その、ソニック……です」
 雅臣が待っている方へと、男二人に紹介する。
 雅臣もおかえりなさいの大歓迎に圧倒されたのか、ちょっと気後れした様子で近づいてきた。
「お邪魔いたします。宮間さん、先日は声を掛けてくださって有り難うございました」
「城戸大佐、いらっしゃいませ。いやあ、園田を連れてきてくださって、有り難うございます」
「いいえ。先日の研修と最後に小笠原でフライトできたことを連隊長にお礼をしたかったものですから」
「無事に小笠原で飛べたのですね。よかったです。ここで訓練中も見事なアクロバットでした」
「最後の足掻きでしたから、なんとか――。そうだ。園田も一緒に飛ぶことができました」
 宮間中佐が驚いて、心優を見た。
「そうなのか、園田。え、ソニックの……」
 またここでも。ソニックの操縦する飛行機に乗れたのかこのやろうみたいな驚き顔。
「はい、御園准将が結婚のお祝いにと、二人で搭乗することを許可してくれました」
 すると、元上司の隣で静かになっていた男の子が、ものすごいなにかを耐えてうつむいている。
 ん? どうしたの? おい、どうしたんだ? と宮間中佐と覗き込んだら。
「うわあ、本物のソニックだー」
 せっかく男らしく大人になったと思った後輩が、大きな雅臣へと一直線。
「俺、子供の時からのファンです。特に横須賀マリンスワローの展示飛行! 軍広報部から発売されたDVD持っていて、もう宝ものなんですう」
 雅臣の目の前で詰め寄っていくので、雅臣の方がびっくりして後ずさる始末。
「あ、そうだったんだ。あ、有り難う。嬉しいよ」
「サイン、ください」
「え、俺の?」
「はい。この前お見かけした時は、大佐殿だしソニックだし、畏れ多くて近づけるわけなくて! うー、俺の先輩の旦那さんになるだなんて!」
 やっぱりここでも、みんな大好きソニック現象が起きてしまう。心優はそんな雅臣であって欲しいと『わたしからもお願い』と笑った。
 ひとしきり近況報告をして、名残惜しかったが元の同僚と上司に心優は別れを告げる。
 雅臣が隣で疲れた溜め息をこぼした。
「なんかさ、心優ってさ。年下の男に好かれるよな」
「な、なに。いきなり」
「面倒見がいいのかな」
 たぶん、シドのこと意識してるのかなと思ってしまう。
「うちの双子もすっかりお姉ちゃんができたみたいに盛り上がって心優が来るの待っているし。いまの、吉岡君もなあ」
 しかも。男の身体触っていた――、なんて小声が聞こえてきた。
「そんな、うんと年下の男の子だよ。ずいぶんと鍛えていたからびっくりしただけ。ほんとに普通の痩せ形の男の子だったんだもの」
「ふうん。吉岡君と……」
 手帳にメモなどしているので心優はギョッとした。
「な、なんで。メモしているの?」
 まさか。心優と関わる男はメモしているのかと――。
「いや。気になる子はメモをしておく習慣をつけることにしたんだ」
「な、なんの話?」
「大佐の話。心優があんな若い子を育てていただなんてな」
 意味がわからなくて眉をひそめた心優だったが、雅臣の顔が言うとおりに大佐の顔。仕事の顔。なんのつもりなのか教えてくれず、疑問のままにさせられる。
「でも、わたしより。ソニックに会えて嬉しそうだったね」
「俺のスワロー時代はまだ子供だったなんて、ややショック」
「それでも彼の中ではずうっとエースなんだよね。そう、エースってそういうことなんだね」
 俺も素直に嬉しいよ――と雅臣も微笑む。

 基地訪問も終わって、さあ実家へいこうと、再びレンタカーに乗り込んだ。
 雅臣の運転で、浜松基地の警備口をIDカードを差し出してチェックアウトをしとうと車を停車させた時。心優と雅臣は一緒になってギョッとした。
 警備口の外、そこに真っ黒なバイクと全身真っ黒なレザー服を着た白金頭のライダーがいる。
 ええ!? ゴリ母さん! 心優も目を瞠る。あれが噂の『ゴリライダー』!?
 呆然としてる雅臣が、警備の隊員にカードを手渡すと、その彼が教えてくれる。
「城戸大佐のお母様ですよね。ここで待たせて欲しいと家族証を見せてくださいましたので許可しております。二十分ほどお待ちですよ」
 まさかの。真っ黒ゴリライダーのお母さんが、基地までお出迎え。

 

 

 

 

Update/2016.7.28
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