◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 5. シド君のマドンナ

 

 その人が『シド』の、現在のお父様。
 彼と同じく綺麗な金髪に、青い目。でもこちらの目は生粋のサファイアみたいな青……。そこは違う。
 でも並んだらきっと父子に見えてしまうだろう。
 それ以上に、その人がそこにいるだけでなんだか光がキラキラして見える存在感に心優は茫然とするだけ。

「兄様、どうなさったの」
 ミセス准将がやっとソファーから立ち上がった。
 スーツ姿でも麗しいその男性がにんまりと、ミセスを見下ろす。
「どうなさったの? ここに葉月と高須賀君が会しているだけでも『大変なこと』と言えるだろう?」
 アメリカンらしいオーバーなリアクション、両手を広げて、『ああ、なんてことが起きているんだ』とまるで劇団員風に哀しそうなする金髪の大将殿。今度の心優は唖然とする。すっごいクールな方だと思っていたけれど、違うみたい? 
 グレースーツの金髪大将にも、わざわざ護衛でついてきたらしい黒いスーツのアメリカ人男性が二名付き添っていて、こちらは無言のまま……。ドアの前でじっと控えている。それでもすごい威圧感。心優の背にはひやりとしたものを感じる。これが本物の護衛秘書官? 大将を常に護るために付き添っているに違いない。
「フランク大将、お久しぶりでございます。フロリダに異動されて以降でございますね」
 高須賀准将もどこか畏れた様子で、恐る恐る挨拶。
「先日は大変だったな。だが、的確な対応に撤退、見事だった。ご苦労様」
 そこは軍人らしい凛々しさで、フランク大将が高須賀准将を労った。
「こちらが現場で大陸国の飛行隊に対応した、空海飛行隊長の日向です」
 高須賀准将の紹介に、日向中佐はもう緊張で硬直してフランク大将に敬礼をするだけ。
「日向中佐、口惜しかっただろうが、際どい攻撃にもよく耐えてくれた。最前線での防衛、感謝する」
「有り難うございます! フランク大将!」
 軍人らしいビシッとした敬礼に張り上げる声。そこに、大将直々に労えてもらえた誇りが窺えた。
 なのに、フランク大将はまたすぐに、にんまりとしたお兄さんの顔に。
「はい! ここで、お嬢ちゃんに質問。どうしてお兄さんがわざわざ私服で来ちゃったのでしょう!」
 ビシッと指さされた御園准将が『はあ?』と面倒くさそうなお嬢ちゃんの顔に崩れた。
「兄様が動くとろくなことがありません」
 返答にならないけれど、はっきりと言い返した御園准将に、大将殿に畏れている高須賀准将と日向中佐が『そんな言い返しするのか』とぎょっとしていた。
「ろくなことがないって。おまえが動く方がよっぽどろくなことがない。これまでお兄ちゃまがどれだけ骨折ってサポートしてきたことか」
 やれやれという動きまでわざとらしいうえに、御園准将が『なんですって』と頬を赤くしたのでこれまたびっくり。またもやお嬢ちゃまにしちゃう、しかも激しく強敵なお兄様が来ちゃったということらしい。
「どれ、どれ。どうせ、高須賀君のところの空海を借りて雷神の対戦相手として出航までに訓練をしたいが、どうしてもそれがままならない――なんてところだろう。このクソ時間がない時に、また上層部でもめてる暇あるなら俺がやる」
 え、そのためだけに来てくれたの? 心優はさらに唖然とした。正式に動くのが難しいならプライベートのふりして移動しちゃおうと思って来たってこと?? こんな将軍様初めて見た――という驚きだった。
「葉月。テッドを呼んでこい。そこの大隊本部からは、クリストファーと木田だな。いまのスクランブル待機のローテーションがわかるものを持ってこい」
 グレーのスーツ姿の金髪男性。それまできらきらのハンサムな微笑みを見せていたが、急に険しい表情になる。
 ざっとジャケットを脱ぐと、岩国の准将と御園准将を左右に見渡せる単体のソファーにどっかりと座った。
 大将殿の突然の到着にまだ戸惑っている高須賀准将に日向中佐、そして御園准将までもが茫然としている状態。
「どうした、葉月。西方の攻撃を受けた飛行隊に対応してもらわなければ意味がないと思っているのなら、すぐに動け」
「は、はい……。フランク大将」
 あのミセス准将が目線一つで慌てて動き出すほど。
「心優、テッドを呼んできて、そして福留さんにもコーヒーを淹れてもらって。大将はブラックで結構よ。光太、大隊本部に行ってダグラス中佐と木田少佐を。いま大将が望まれたとおりのものを準備して来るように伝えて、至急よ」
「イエス、マム!」
 心優と光太もすぐに動き出す。
「あの、兄様。細川のお兄様のところには行かれなかったのですか」
「うん。あそこにいくと挨拶が長引きそうで面倒だからすぐに来た」
「あいかわらず、唐突ですこと」
 だがフランク大将はそこで呑気そうな妹分を睨んだ。
「俺がこの基地から長年護ってきた日本の領海と領空。それが荒らされて黙っていると思ったのか。フロリダでどれだけ煮えくりかえっていたか」
 青い目からの冷たい視線。怒りで震えている唇を見て、だからこの人が若くしてこの基地を司っていたことも、いまフロリダで大将殿であることもわかる威厳を放ち始めた。
 でも御園准将は見慣れているのか、もう落ち着いている。
「艦長を務めるわたくしの力至らず、申し訳ありません」
 ミセス准将がそう頭を下げると、高須賀准将も『自分も同じです』と頭を下げる。
「いや。強引なお国柄に対抗するため、保守的な先輩方からのプレッシャーを押しのけて、葉月も高須賀君もここ数年よくやってくれているとフロリダで安心していた。だが、もうそれも限界かもな」
 『痛み入ります』と准将二人が揃って頭を下げる。
「だからとて、大将の兄様がこんな軽く動かれては、後々問題になるのではないですか」
「は? 俺はお墓参りに来たんだよ。なんのことだよ」
 『はい?』と、御園准将と高須賀准将が一緒に面食らった。もうそれだけでもあり得ない光景で、心優も目を瞠るばかり。
「妻の美穂は、旧姓は『細川』。正義の父親である元中将の細川良和おじさんの親戚で、おじさんの紹介で見合いして結婚したんだからさ。細川とは親戚。だからおなじ敷地内におじさんの家、俺の家と暮らしてきたんだから。フロリダに行ってからは日本もご無沙汰。その妻のご先祖様に『日本が護られますように』とお参りしておかなくちゃと思ってきたんだからさー」
 そうだった。フランク家と細川家はそう言う意味で親類だった。だからシドは正義さんのところに預けられたのも道理。だから『久しぶりのお墓参りにプライベートで来たんだから、仕事は関係ないよ』といいのける大将だが、それはもちろん『建前』だと心優にもわかる。
「そのついでにさあ、妻の従弟である正義に会いに来るのぐらい、親戚として当たり前だろう〜。先輩としてちょとアドバイスだよ、アドバイス。で、正義がいろいろ『アドバイス通りに』動いちゃっても、俺、仕事できていないから知らないしー」
「もう……、兄様らしくて……」
 なんだか頭が痛くなってきたと、あのミセス准将が額を押さえてうなだれる始末。
「美穂もあとでおまえに会いたいと言っていた」
「え! 姉様もいらしているの!?」
「おう、一緒に日本に行こうと言ったらよろこんでなー。いま細川のおじさんのところに顔を見せに行っているから、あとで来るだろう」
「ほんとうに『お墓参りで帰省』の形にしてきたのね!」
 お姉様に会えるとわかった途端、御園准将が明るい笑顔になる。そんなミセスの笑顔、ほとんど見られないだろうから心優もびっくり。そのお姉様のこと大好きなんだなと心優にもわかったし、もう高須賀准将に至っては『ご兄妹の中に入れません』とにっこり笑ってそこにいるだけ……。
 そこでラングラー中佐が秘書室から慌てて准将室に入ってきた。
「フランク大将、お久しぶりでございます」
「おう、テッド! 久しぶりだな。葉月の面倒を見てくれて有り難うな」
「いえ、そんな……、恐れ入ります。こちらこそ、いつも本部からのサポート有り難うございます」
 そして、准将室のドアからノックの音。心優が開けると、ダグラス中佐と木田少佐が光太にタブレットやら資料をいっぱい持たせてやってきた。
「フランク大将、いらっしゃいませ。うわ……、驚きました。相変わらず、大胆ですね〜。懐かしいです!」
 いつもあっけらかんとしている明るさのクリストファー=ダグラス中佐も茶色の目を丸くして、ミセス准将の中隊時代から一緒にやってきた末っ子と言われている木田少佐もびっくりした顔で『フランク大将、お久しぶりです』とご挨拶。
「もう挨拶はいいから。すぐに始めよう。そこの……、かわいい男の子から用件は聞いただろ」
 初めて会う光太のことを『かわいい男の子』と言ったが、初めて大将殿に目を留めてもらい光太はびっくりして顔を赤くしてる。照れとかではなくて興奮しているのだと心優にはわかる。
「テッド、始めてくれ」
「イエッサー。クリス、明日から一週間の日本国内のスクランブル待機の飛行隊スケジュールを見せてくれ。木田、日本地図と航路図を」
 御園准将室の応接テーブルに、それらがざっと補佐の男達の手で整えられていく。大将殿を主軸にした『作戦会議本部』さながら……。
「心優、いますぐ連隊長室に連絡をして。ロイ兄様がすぐに来ると思っているでしょうに、こちらに来てしまって待っているに違いないわ」
「かしこまりました」
 心優もすぐに動き、デスクの内線受話器を手にする。
 連絡をすると、その電話口に出てくれたのは『シド』だった。
「お疲れ様です。あの……」
 躊躇った。養父が来たことでシドがどんな反応をするのかと。
『なんだよ、どうしたんだよ』
 相手が自分より格下の秘書官で、気心知れた心優だったせいか、シドはいつもの口調だった。
「フロリダ本部のフランク大将がこちらに訪ねてきております。細川連隊長がお待ちだったと思うので、ご足労ですがこちらに来て頂きたいとの御園准将からの伝言です」
 『ひっ』。
 え? いまのシドの声? 
「あの、フランク大尉? いかがされましたか」
 ガシャリと電話が置かれた音がした。うっそ! これ仕事だよ! 仕事の大事な伝言を、連隊長に伝えたいために秘書室の秘書官に伝えているんだよ!? 切るなんてありえる!? 春日部嬢には仕事の筋を通そうとしていたシドだったのに? 
 でも心優は眉をひそめたまま、妙な胸騒ぎがざわざわしてやまなくなる。あのシドが『ひっ』なんて、見えないけれど彼の青ざめた顔が思い浮かんでしまったほど。まさか、まかさ、お父様に会いたくないとか? ほんとうは上手くいっていないとか?
「どうしたの心優」
「……フランク大尉が出てくださったのですが、その、切られてしまって」
「あら、まあ」
 御園准将は驚かず、なにもかもわかっている顔で呆れた溜め息。そのまま補佐の男達と『いまはここがこう、ここが抜けたらこうなる。だったらこうしよう』と話し合っている兄様を見た。
「兄様、ご子息が驚かれてしまったようよ。もっと『わかりやすく』してあげたらいいのに、予測不可能すぎるのでしょう、あの子には。可哀想に」
 可哀想とか、どういう意味!? シドが養子としてどう大将と接しているか彼のいまの家族との関係が見えなかっただけに心優は不安になってくる。
「美穂が来ているから大丈夫だろ。なんだよ、『パパ』が会いに来てやったというのに、相変わらずつれないな」
「もっと上手に甘やかせてあげたらいいのに。兄様がそうしてバカみたいに『パパ気取り』ばっかりするからいけないのよ」
 それまで大将と作戦会議だ――と、真剣な顔を揃えていた男達がぴたりと動きを止め、兄分と妹分のプライベートの会話に呆気にとられている。
「どうしてだよー。俺な、息子が欲しかったから、成人目の前だったとはいえ、息子が出来て心底、嬉しかったんだぞ!」
「だからって。大きくなったシドに、ラジコンカーのクリスマスプレゼントなんて信じられないっ」
 あのシドに、クリスマスプレゼントにラジコンカー!? 高須賀准将を始め、そこにいる中佐も少佐も目を丸くしているが、心優も唖然とする。
「はあ? シドが欲しいと言ったんだぞ」
「なにいっているのよ。ラジコンカーなんて年頃の十歳ごろに実母から買ってもらっていたに決まっているでしょう。兄様がやりたいことに合わせて『ワザと子供っぽいものを欲しいと言ってあげて、小さな息子から始めた方がいいのかな』と気遣ってくれているのよ。あの子、そういうところがあるの!」
 あ……、葉月さんわかってる……。心優はそう思った。シドはそんなところがある。自分の気持ちを押し込めて、強引にぶつかってくるのは彼が不器用だからだと心優も思っている。そういう優しさが、かえって父子をぎくしゃくさせているのだろうか?
「そうかな。ほんとうに、かわいい顔で喜んでいたけれどな……」
 そこは不思議と父親らしい眼差し、愛おしいからこそ心配そうな顔を大将が見せた。ふざけるための顔ではなかったので、逆に心優はロイお父様の方がほんとうのシドを知っているような気にもなってくる。
「確かに気遣いの子だよ。俺と美穂と愛理のバースデープレゼントはかかさず、帰省したらまめに日本のお土産、美穂の家事を手伝ったり、買い物のために車の運転をしてくれたり、ほんとうに『いい子』だ。だから、俺の方からふざけてふっかけてみるんだが、笑わないの、硬いの、苦手なのか逃げちゃうの。パパから初めてのクリスマスプレゼントをさせてくれと聞いたら『ラジコンカー』だってさ……。俺だって『時計とか、靴とかスーツとか』と聞いたら『ラジコンカーで遊んで欲しい』だぞ」
「そうなの……?」
 気遣いでやっていると思っていたミセス准将も、パパさんから語られたことにシドの気持ちを思い改めたようだった。それは心優も同じ……。大人の男に必要なものをお父さんがプレゼントしたいと提案してくれた上で、『ラジコンカーで遊んで欲しい』と願ったシドのその気持ち……。ほんとうは、ちょっと甘えるのが苦手なだけで、ほんとうのパパみたいに接してくるロイ大将に戸惑っているだけで、『ほんとうのパパとしたいこと』がそれで、それが言えたと言うことは、やっぱりフランク大将のことはどこかで頼ってもいいと思っているのではないかと……。
 シド……、帰るところがないようなことを言っていたけれど。あるじゃない……。心優はそう感じた。でもまだそこに委ねられないのかもしれない?
「あれほどの気遣いができるとなると、けっこう厳しく育てられていたと思うな……。そこのあたりは俺も深くは聞かないようにしている」
 そこで高須賀准将が困ったように間に入ってきた。
「なかなか聞けないお話で興味はありますが、ご子息とのお話はそのぐらいにされたほうが……」
 信頼できる部下達だからこそ、フランク大将が話してくれたのはわかっているが、それでも大将殿とご子息の大事なご家族だけお話では……と、高須賀准将に諭され、そこでやっとロイお父様と葉月さんがはっと我に返った顔に。
「気遣い有り難う。高須賀君はいつも優しいな」
「いいえ。どうぞシド君とゆっくりお話をされてください」
 ほんとうに高須賀准将は僧侶のような微笑みをすると心優は思っている。
 そのうちに、またドアからノックの音。今度は光太がドアを開けると、もの凄い形相になっている眼鏡の連隊長が入ってきた。
「兄さん! なにもかも突然すぎます! 今朝になって小笠原に行くとの連絡だったり、待っていれば俺のところではなくて葉月のところだなんて、どういうことですか!」
 あのアイスマシンと言われる連隊長が、額に汗を滲ませて黒髪をかき上げる姿――。
「すぐにこうしたかったんだよ。それでなくても、空海が攻撃されたと知ったその時にすっ飛んできたかったのに、なかなかすぐに動けない立場になったと嘆いていたところだ。おまえのところにいくと、あれこれ気遣われたり、大袈裟にもてなされたり、それから……」
 そこで堂々としていた大将が口ごもった。
 そして連隊長も察したようにして、少し俯き加減に告げる。
「お従兄さんが来ると知ると、シドが驚いて落ち着かなくなると思ったので黙っていたのに……。いまの内線でうっかり知られてしまい、『大将がいらっしゃった』とだけ伝言すると目を離した隙にどこかに行ってしまいましたよ」
「ま、そのうち会えるだろう」
「そうでしょうけれど……」
「そんなことより、正義。もう始めている、おまえも一緒に考えてくれ」
 銀縁の眼鏡を眉間ですっとあげ直した連隊長も、ミセス准将の隣に座った。
 その連隊長が、目の前にいる高須賀准将をまず見つめる。
「高須賀君、ここで大将がうまく調節をしてくれたのなら、ほんとうに小笠原に空海ごと来てくれるのだね」
「もちろんです。許可さえあれば、わたくしも指揮で参ります。日向もこれ以上、本国の飛行隊が苦心するのは見ていられないという気持ちでいてくれています」
「こちらに任せて頂けるのなら、この目で見たそのままそっくり演じるつもりです。アグレッサーをさせてください」
 日向中佐の気持ちも、次に国境へ行く仲間のパイロットを守りたいとその気持ちがとても熱くなっているのが伝わってくる。
 またフランク大将のサファイアの目が深く澄んで、鋭く航海図を見据える。
「任せろ。そのとおりに手配しよう。それがいちばんの対策で、訓練で、得策だと私も思う」
 大将が直々に手配に動いてくれた。それだけでもう……、海の男達は嬉しそうで『イエッサー!』と威勢の良い声が響いた。
 フランク大将を中心に、日本の空を護る基地に所属する飛行隊のアラート待機スケジュール、それを調整する電話連絡が細川連隊長自ら行われる。或いはラングラー中佐からの連絡、そして、心優や光太よりずっと後ろに控えていた黒いスーツ姿の護衛二人も、大将の指示で電話を手に取り始める。
 彼等の通話を聞いていると、『ご本人に変わります』と直にフランク大将がいることを告げ、フランク大将も電話で通話を始める。だが、こちらは基地の現場の関係者ではないようだった。フロリダ本部なのか英語で話しているし、その後には横須賀の司令部にも連絡を取っているようだった。
 電話を切ると、フランク大将もふっとひと息ついて、ネクタイを緩める。航海図を見つめながら、ふと彼が呟いた。
「葉月、天丼が食いたいな」
 唐突なそのお願い……。どこかで同じようなこと見たようなと思った心優だったが、思い出す。ミセス准将が雅臣と相談中に『ドーナツ食べたい』と唐突に言いだしたあの時とそっくりだった。
「かしこまりました。兄様がお気に入りの、小笠原カフェテリアでのメニュー。お漬物付き、おみおつけの定食でしたわね」
「そうそう、あれあれ」
 心優もだんだんわかってきた。この大将殿は、軍人としてのミセス准将の師匠なんだと。このやり手のお兄様を見て、ミセス准将が育ってきたに違いないと思った。
 ラングラー中佐が『私がカフェに行ってきます』と申し出たのに、大将殿からそれを止めた。
「だめだめ。こういうスケジュール的な調整や交渉は、テッドやクリストファーのほうが手際がいい。この嬢ちゃんは役に立たないよ。そのついでに、葉月……。シドを探してきてくれ」
「……かしこまりました。お兄様」
 ミセス准将も、やっぱり息子が心配そうな父親の顔を見てしまったとばかりに、そこは神妙だった。
 そんなミセス准将のお遣いに、心優と光太はお供するため、一緒に准将室を出た。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 なのに、ミセス准将はすぐにカフェテリには行かなかった。
「シドが隠れそうなところとなると……、どこかしらね」
 まず大将殿のご子息さがしをするようだった。
 シドと親しくしている心優も思いめぐらせるが、基地内での彼の行動は訓練以外はよく知らなかった。
「隼人さんのことは『御園のご主人』と呼ぶぐらいだから頼りそうもないし、仕事中は仲の良い英太のところもないわね……。英太もいま空母訓練から帰ってきたところでしょうし……、やっぱり外の自宅マンションにいるフランスのおじ様のところ? ううん、あの子、責任感強いからないわね。そこまでして兄様と不仲ってわけでもなさそうだから、そこまで逃げるだなんて考えたくないわ」
 そんな時、心優のプライベート用のスマートフォンが鳴った。
「申し訳ありません」
 こんな勤務中に鳴ることはほとんどないのに。でも家族に緊急でなにかあったかもしれないからと、取り出してみると、表示が『雅臣』だった。
「はい、心優です」
『おつかれさん。いま空母の訓練から帰ってきたところなんだけれど……』
「はい。本日もお疲れ様です」
 連絡船で帰ってきて、ロッカールームで汗を流したり、訓練着から制服に着替えている時間帯。雅臣もパイロット達と戻ってきたばかりのようだった。でもそんな時に連絡なんて入籍する日以外は来たことがない。
『えーっと、あのな。シドがロッカールームの前で俺を待っていたんだよな。なんか、俺の雷神室にしばらく居させてくれなんていうんだけれど……、どうしたんだろうと思って……。いまこっそりあいつに見えないように心優に連絡したところなんだけれど。なにか、そっちであったのか?』
 うわー、シドったら! まさかの臣さん頼み!? 前から少しずつ感じていたけれど、もしかしてシドって臣さんのことほんとに『兄貴』だと思っちゃっている? 心優は仰天する。
「お願いです、そのまま預かってくださいますか。城戸大佐。彼の希望通りにして、なにも知らない顔で、雷神室に連れて行ってあげてください。橘大佐にはこちらから連絡します」
『え、え? なにが起きているんだよ。ていうか、なんで俺との電話で城戸大佐なんて仰々しいんだよ?』
「知らない方が……、臣さんの場合はいいと思う……」
 お猿さん、顔に出ちゃうから……。シドのお父様が突然やってきたなんて知ったら、『大将が来ていて、息子として逃げているシドをかくまうことになった!』と焦るに違いない。飛行隊指揮官としてはすんごいやり手なんだけれど……、こういうプライベートの架け橋には三枚目なところがあるからと心優は用心してみた。

『は、まさか。いまそこに、葉月さんがいたりして? シドを探しているのか?』
 そういう勘の良さはやっぱり指揮官かなと思うのだけれど。
「おっしゃるとおりでござます。ですが、こちらが探しているなんて知られないよう、そちらで預かってくださいますか。きっと気持ちが乱れているんです。そっとしておいて、そばにいてくださると助かります」
『わかった。なにかあったんだな。こっちで知らぬふりで預かるから安心しろ』
 そして最後はやっぱり凛々しい大佐殿になってくれた。心優もホッとして電話を切る。
 その会話を邪魔をせずにそっと聞いてくれていたミセス准将も『それでいいわ』と頷いてくれる。
「まさかの、雅臣のところだなんて……。心優のことお姉様みたいに思っているうちに、雅臣のこともお兄ちゃんみたいに思えてきちゃったのかしらね。でも、いいことを知ったわ。シドが困った時は雅臣のところと覚えておくわ」
「はあ……、なんだかいつのまにそうなっているみたいですね……。わたしもびっくりです」
「でも、場所がわかって良かったですね。なんか、フランク大尉にも、かわいらしいところがあって親近感」
 光太もホッとしたようだった。だが、かわいらしいところなんてただの子供っぽい姿が、年下の光太にはいままで見せていなかっただけ。というか、シドのそういうところ知っている人間は僅か。大多数の隊員は、フロリダの特殊部隊の訓練を積み上げてきたエリート海兵隊員の王子にしか見えていないだけ。
「とにかく、シドを捕まえるのが先よ。『天丼食べたい』も本音でしょうけれど、あれは兄様の『探してきて欲しい』という口実なのよ、きっと」
 はあ、なるほど。兄と妹の間で通じあうものだったらしい。
 そこで心優も改めて聞いてみる。
「そんなにお父様のフランク大将と、フランク大尉はぎくしゃくされているのですか」
「そんなことないわよ。お互いに、照れているだけよ。……わかるのよね、私もそうだったから……」
 ん? 私もそうだったから? 急に『だから私を兄様が仕向けた』と使命感いっぱいにスタスタ歩き出すミセス准将。心優と光太はそのあとを必死で追う。
 雷神室なら第一中隊棟に行かなくてはならない。正面玄関がある一階までひとまず降りて、渡り廊下を伝って行こうといういうことになった。
 正面玄関があるそこには、大きな壺に南国らしい花が生けてありお出迎えの趣がある。そして中庭があってそこに小さな池と、百日紅に石楠花に……と花で彩られている憩いの風景。
「葉月ちゃん!」
 その中庭をかすめて渡り廊下を目指していると、早足で歩いている御園准将を誰かが呼び止めた。黒肩章付きの長袖白シャツに黒ネクタイ、そしてタイトスカート姿の准将が栗毛をなびかせて振り返る。
「葉月ちゃん、お久しぶり!」
 そこには、小笠原では滅多に見られない着物姿の女性がいた。
 素敵な水色の着物に白い帯の美麗な日本女性。その女性が白い草履と足袋の足をぱたぱたとさせて、御園准将へと駆けてくる。
「美穂姉様!」
 美穂と聞いて、心優と光太は揃って呟いた。『フランク大将夫人』だと。そしていまのシドのお母様!?
 優雅な女性が、そのまま御園准将の胸元へ駆け込むようにして抱きついた。
「葉月ちゃん、来ちゃった。ほんと島は久しぶりよ、来たかった、懐かしい!」
 そして抱きつかれた御園准将も、ふと優しい顔になる。綺麗に結い上げている黒髪には螺鈿の髪飾りがさしてある。とても上品な奥様。
 あの金髪青眼のアメリカハンサムな旦那様に、こんな大和撫子の奥様? すごいギャップだった。でもとっても品がある。
「細川の叔父様にご挨拶に行っていたの。お元気で安心したわ。貴女がまた西方に出航すると心配ばかりしていたわ。正義君にああさせろ、ロイにもこうさせろ――なんて、なにもできない私に言うのよ。困っちゃった」
 叔父になる元中将のご自宅まで行って来た帰りのようだった。
「ロイ兄様なら、私の准将室にいますわよ。でも……。いまは、姉様は入れてもらえないかもしれない」
「わかっております。軍事の場に、軍人ではない妻は近づいてはいけない。そうね、それなら正義君の連隊長室に行こうかしら」
 そこで奥様が当たり前のように微笑んだ。
「そこにシド君、いるでしょう」
 そこに息子がいるでしょう。ほんとうに息子に会いたいというお母様の笑顔だった。
 でも御園准将の表情がそこで曇る。そしてなにも言えない顔になっていたのか、奥様に気が付かれてしまう。
「え、シド君。そこにいないの? じゃあ、ロイがこれからのことを手配している葉月ちゃんのお部屋にいるの? ……あら、葉月ちゃん、あなた、ロイがそこでこれからのこと手配しているはずなのに、外を歩いているなんていいの?」
「……兄様に、シドを探してくるように言われているの」
 妹分の葉月さんがそう告げただけで、奥様の表情も一変する。
「もしかして……。シド君、ロイが来ると知ってどこかに隠れちゃったの?」
「そうみたい。兄様が来たことがわかった途端に、シドがどこかにいなくなったと正義兄様が言ってたわ」
「まあ……」
 そこで一時、フランク大将夫人が唸って唸って首を傾げ考え込んでいた。
 どうもシドがお父様の前から消えてしまうなにかをちゃんと知っている、心優にはそう見える。それを知りたくて、心優は焦れ焦れしてしまう……。
「姉様。シドと兄様、上手くいっていないの?」
「そうじゃないのよ。でもね、ロイはあのように明るく育ってきたでしょう。シド君はどちらかというと複雑な環境で育ってきたでしょう。その違いなのよ。ロイはなんでも大胆に派手に動くから、あの子、いちいちびっくりしちゃうみたい」
「なんか目に浮かぶわ」
 御園准将も腕組み、溜め息。
「もうロイったら、息子ができたことが嬉しすぎて、度が過ぎたパパになるのよ。落ち着いたパパになって欲しいのに、シド君、いっつも困っていてね。付き合わされているのも気の毒な時があって。ところかまわず『息子、息子、俺の息子、よろしく』なんて連れ回したりするものだから、小笠原でやっと落ち着いてお仕事をしているそこに乱入されたらどうしようと思って、ひとまず会わずに様子を窺っているのだと思うわ」
 そういうことか――と、お母様が来てくれて、心優もやっとシドの心情をしれたようで安心する。
「いまからシドを迎えに行くの。姉様が一緒に来てくれた方が助かりそうね」
「シド君に会えることを一番楽しみにしてきたのよ、すぐに会いたいわ。一緒に暮らしていた二年間は、私も男の子がそばにいて楽しかった。ロイもゴルフを教えたりしてね。あの子、筋がいいからすぐ覚えて、ロイが興奮していて、まわりに自慢して。それであっちこっちに連れ回してね。娯楽のゴルフですら『俺、いい成績を出す息子にならなくちゃ』になっていたみたいなの。あの子、なんでもできちゃうから……。それでもほっとする瞬間が欲しかったのでしょう」
 御園准将がそんな話を聞いて、黙り込んだ。
「そう、シドにとってはずっと褒めていて欲しいパパになってしまったということなのね」
「でも、ロイもそこは思い改めて、シドをよく見ようと努力していたのよ。やっとうまくいくようになったかなと思った頃に、小笠原に転属になったのよ。私もしばらくは寂しかったわ……。ほんとは、うんとかわいい子なのよ。優しくてね、気遣い上手で、愛理もかわいい弟ができたって喜んでいたし……」
「わかりました、姉様。では、姉様、一緒に迎えに行ってくれますね」
 『もちろんよ』と夫人が微笑む。でも、夫から逃げてしまったと聞いて、夫人のその微笑みが心優にはちょっと寂しそうにも見えてしまう。
 そんな夫人と一緒に、第一中隊棟にある第一飛行隊(雷神)班室と隣接している『雷神指揮官室』へと向かう。
 水色の着物姿の大和撫子と、栗毛でスレンダー長身の海軍制服姿のミセスが並ぶというまた不思議な光景。その後を心優と光太はついていく。
「仲がよろしいですね。まるで姉妹です。これぞフランク・細川・御園一派という感じですね」
 光太も品の良い女性ふたりが、それでも姉妹の微笑ましさで目の前を歩く姿を見て感嘆の溜め息。心優も同じくだった。
「ほんとだね」
 でも心優は美穂夫人から目が離せない。『シド、黒髪の着物姿の女性が好きだって言っていたよね?』、そんなことを思い出していた。彼の憧れの大和撫子がお母様。ほんとうは嬉しいのでは? さて、お母様が目の前に現れて、どう反応するのか。
 また逃げちゃうのかな? 家族の中で可愛がられている姿なんて、わたしには見られたくないかも? ふと心優はそう思ってしまう。
 雷神指揮官室が見えてきた。その前でミセス准将が一旦、立ち止まる。
「あそこにいるみたい」
「あそこって……。『雷神指揮官室』とあるわね。パイロットの部署よね、シド君は秘書官で、そうでなくても海兵さんでしょう、どうして……」
「さあ。ロイ兄様が来ていると突然知って、戸惑って、彼が頼った男がそこにいます」
「え! シド君が頼れる先輩がいるの?」
「私が様子伺いします。姉様、そこで待っていてくださる。またシドが驚いてはいけないから」
 わかったわ――と、すぐに会いたいという顔をしているお母様だったけれど、美穂夫人も養父から逃げている息子を気にして雷神室のドアの影に身を潜める。
「心優と光太も、シドは見られたくないと思うからここにいて」
「イエス、マム」
 そっと返答して、心優と光太も、美穂夫人と同じように身を潜めた。
 御園准将がひとりでドアをノックすると、雅臣がすぐに出てきてくれた。
「お疲れ様です、准将」
「お疲れ様、雅臣。シド、いるわよね」
「はい。いまコーヒーを飲ませています」
 雅臣がドアの影にいる心優と光太を見て、そして着物の夫人を見てとても驚いた顔をした。誰か判ったようだった。
「えっと、あの、」
「いま『私ひとりだから』、シドと話をさせて」
 夫人も心優も光太も見なかったことにしろという准将のほのめかし。こういうとき、葉月さんはきりっとしたアイスドールの顔に固まる。だから雅臣もすぐに落ち着いた大佐殿の顔に整った。
「かしこまりました、どうぞ」
 御園准将だけが、雷神室に入室。でも雅臣も察してくれたのか、ドアの隙間を開けたまま、夫人や心優にも話が聞こえるようにとそこに立って気遣ってくれていた。
 夫人がそっとドアの隙間へと身をかがめ耳を傾ける。心優も同じく……。
「シド、どうしたの」
「あ、……、申し訳ありません。葉月さんにここまでこさせてしまって」
「しかたがないわよね。正義兄様も教えてくれなかったのでしょう。先ほどの、心優の准将室からの内線で初めて知ったのよね。それは動揺するわよ」
 雅臣の大きな身体が、ドアが開いているのを隠してくれているその向こうに、ちらっとシドが葉月さんと向きあっているのが見えた。
「私もね、あのロイ兄様の大胆な手口にはなんどもやられたわよ。今日もよ、私も、岩国の高須賀さんと話し合っているそこに、急に私服姿の兄様が、連絡もなく現れたのよ。そりゃ、度肝抜かれるわよ。フロリダ本部を守っているはずのなかなか動けない大将殿が、スーツ姿であっけらかんとよ! なんかだんだん腹が立ってきたわ」
 覗いているそこで、雅臣がくすっと笑ったのがわかった。
「だから、シドも、お父様が急に来られて会いにこいと言われても、びっくりしたでしょう」
 葉月さんと雅臣だけしかいないと思っているせいか。雅臣がいつも座っているデスクチェアに座っているシドが、金髪の頭をもたげた。しゅんとしたその自信なさげなシドのそんな顔、初めて見た気がする。なんだか心優は泣きたくなってきた。しかしそれは心優だけではない! 心優の目の前で床に座りそうな姿で覗いている美穂夫人はもうハンカチ片手にすすり泣いている!
「別に……。お父様に会いたいくないわけではありません……」
 『お父様』! シドがいまの父親のことを『お父様』と言った! だからこの前『お父様っていうな』と照れていたんだと、あの時の反応に心優はやっと納得する。
「ロイ兄様も平気な顔をしていたけれど、あなたがいなくなったと聞いて寂しそうだったわよ。妹分の私に『天丼が食べたい』なんて明るく振る舞って、でも、シドも探してきて欲しいなんて付け加えてね」
「逃げたわけでもないんです……。ただ、その、会うなら……、」
 会うなら……? 美穂夫人も養子のシド君の本心が聞けるとものすごい前のめりになっているが、それは心優も同じ。
「会うなら、ふたりきりとか、家族だけでそうしたいんです。ここで、大将と息子だとじろじろ見られたくないんです。俺、ただの養子だし……」
 うー、シド君はただの養子じゃないわよ――! 心優の目の前で美穂夫人がもどかしそうに、小さくぼやいたのが聞こえた。
「でも、ロイ兄様にラジコンカーをお願いしたのでしょう」
 シドが真っ赤になった。もう二十歳も過ぎようかという年頃だった時に、パパから初めてのクリスマスプレゼントはなにがいいかと言われて、望んだものが小さな男の子が欲しがるような玩具だったから。
「なんかねえ、私、シドのその欲しいといった気持ち、わかっちゃった」
 シドが『え?』と、栗毛のおば様を見上げた。雅臣も夫人と心優が見えないよう気遣いつつ、黙って葉月さんとシドの親戚のような会話を見守っている。
「私、十歳の時に事件に遭って心を閉ざしちゃったから、あの頃からまともな子供生活ではなくなったの。その反動がね……、シドと同じ年頃に出たことがあってね。十歳の頃にやり残したことを取り戻すように、仲直りしたパパからウサギのおおきなぬいぐるみもらったことがあるわ。子供っぽい願いだったとわかっていた。でも欲しかったし、パパはそれを私にくれた――。シドもそうだったんじゃないの、金髪のパパだったんですってね……ほんとうのお父様……」
 シドが固まったまま、なにも反応しなくなった。その通りということらしい。かえって、見抜かれて青ざめた顔をしているようにも心優には見えた。
「新しい金髪のパパは、ロイ兄様はシドの理想通りだったんじゃないの。ほんとうのパパじゃないけれど、こんなパパとこんなことをしてみたかった。でも、ほんとうに甘えていいのかな? 俺は、役割があって養子になっただけ……、そう思って踏みとどまっている……」
 ほんとうは、理想通りのパパだったのでおもいっきり息子として楽しみたい気持ちは、シドにもあった? でも、黒猫という組織から生まれた自分は闇の子、私生児。そこに甘えていいのか。そんなシドの葛藤? だからどうしていいかわからなくなる。お父様に明るく『息子よ!』とやられると、どう反応していいかわからなくなって、だから『苦手』? そんなお父様は大好きだけれど、気が張るから、小笠原では同僚達とのびのびしてシドらしくしていられる? 小笠原で居心地よくしていたら、突然苦手なお父様がやってきた。だから『ひっ』と心臓が止まるほど驚いた?
 初めて知るシドの家族との付き合い。心優は『もうおもいっきり甘えたらいいじゃない、わたしもそう言いたい!』と涙をぽろりと落としたその時だった。
「シド君!」
 着物姿の美穂夫人が、雅臣を押しのけて雷神室に駆け込んでしまった。
 心優も光太も『え!』と思ったけれど、それよりもシドがぎょっとして立ち上がり、後ずさる姿が見える。
「お、お、お母様!?」
 そんな制服姿の凛々しいシドへと、着物姿のしとやかな夫人ががばっと抱きついたので、またまた心優は仰天する。でもそれは心優の目の前にいる雅臣も!
「シド君! 役割があってうちに来たなんて言わないで! シド君がいなくなって、ほんとお母様、寂しかったのよ。シド君と暮らした二年がとっても楽しかったから! そんなこと言わないで、もっと甘えてちょうだい!」
「あ、あの、あの、その……、え? どうしてお母様まで???」
 逞しい海兵の青年に抱きつく、品の良い着物のお母様。シドが真っ赤になって、でも、抱きつかれておろおろしているのも、彼にはありえない姿。
「シド君、会いたかった。お父さんのところに行きましょう、ね」
 しっとりしたお母様が、シドの頬をつつんで彼の顔を覗き込んだ。もう、それだけでシドはお母様にやられてしまったようで『はい』なんて素直!
「マジかよ、金髪王子の弱点はママか……」
 雅臣も唖然としている。そして心優も。
 ああ、大和撫子大好きと言っていたけれど。お母様もすごい理想のお母様だったらしい。
 でも心優は思った。きっとシドにとって『聖母』なんだと。シドのあどけない眼差しに映るものはそれに違いないと。

 

 

 

 

Update/2016.12.20
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