◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 7. 父親参観 

 

 いま心優の護衛訓練は、護衛部ではなく『空母警備隊訓練』の配下にある。
 そのため、指導者が金原隊長、園田教官、そして護衛部長の後藤中佐という形になっている。
 参加隊員は、次回の空母任務に搭乗する警備隊と指令室に所属する警備と護衛を専門とする隊員達。
 心優の父を含む本日の指導上官三名を前にして、警備隊、護衛部の訓練が開始される。
「先日、チーム分けの結果を各所属部署上官に通達しておいたが、そのチームごとでの訓練となる。Aは園田教官、Bは警備隊中心の訓練になり私、金原が担当。Cは護衛部訓練、後藤中佐が担当となる。それぞれのサークルで指導者に従うように」
 心優の手元に届いたチーム分けは何故か父がいる『A』チーム。
 警備隊、護衛部と分けられているのはわかるが、どういう意味で『A』を――と思っていた心優だが、一緒になったメンバーを知り一気に緊張が走る。
 父が構えている『A』の訓練スペースへと移動すると、そこには警備隊副隊長の諸星少佐を始め、艦長直下の精鋭部隊となる警備隊員が数名、そしてシドがいた。
 心優は察する。『特に厳しい訓練を必要とする、警備、護衛の重要性が高い隊員』に選ばれたのだと。
 隊員達の視線がまた心優に集まっている……。だけれどこれで納得した。周りの男性隊員達も絶句するほど、最初の最初で娘を痛めつけたのは『Aチーム』で選ぶことで『父親の贔屓、特別扱い』と見られないため。
 あれだけ痛めつける覚悟がある父親なら、父親の指導下に置かれても『娘というだけで、人より厳しい指導をされる』と隊員達も納得するだろう。
 そんな魂胆があってこそ。そしてそれが父の指導者としてのやり方だと娘として初めて知る。
「では、まず模擬戦をしてみよう」
 父が、諸星は誰と、彼と彼で組んで、と指示をしていく。
「城戸はフランクと組むように」
 二人で顔を見合わせる。やっぱり。同世代で階級が近く、そして、艦長室と指令室という同エリア部署である二人で向きあわされた。と、心優は思った。
「では、城戸とフランクからやってみよう。武器は三段ロッドのみとする」
 それでもいつもシドを向きあう組み手と変わらなかった。
 でも父の心優を見定める目が怖い。もう『お父さん』じゃない、『教官』。娘だからこそ余計にのしかかるプレッシャー。
 そして心優はいまいる道場の外へと目線を向ける。僅かな隊員がギャラリーとしているだけで、フランク大将と夫人の姿は見えなかった。
 昨日『普段通りを見たいから、指揮官にも伝えなくていい』と大将は言っていた。それもシドが美穂夫人と外に出た後に。だからシドは今日、ここお父さんが来ることは知らないはず。そして始まったばかりのこの時間に、大将は来ていなかった。
 だったら。シドの方はいつもどおり落ち着いた気持ちで対戦に臨める。わたしは……、お父さんの目が気になるけれど、でも、『負けない』!
「よし、開始!」
 黒い戦闘服姿に腰にロッドを提げているシドと、紺の訓練着に同じく腰にロッドは提げたままの心優。園田教官の合図で、まずはお互いに素手で構え合う。
 だが、そこで外通路にいるギャラリーがざわっとした空気を心優は感じ取る。でも視線がそちらに向けられない。いま目線をシドから外したら、それこそ『隙』として捕らえられてしまう、付け込まれてしまう。
 なのに! 心優は目を疑う。対戦相手から視線を外してしまったのは、シドの方。しかも彼がそこに気を取られている。
 隙あり! いまならシドを一発で下せる! しかし心優は躊躇する、一瞬だけ。彼が動揺したのは何故か『フランク大将と夫人がいま見学に来た』とわかってしまったから。
 シドのいつにない気の揺らぎはそれしかない。
 だが心優も『待った』をしてあげるほど甘くはない。それに父の恐ろしい目線がいま突き刺さっている。『どんな理由であれ、敵が隙を見せたいまこそ何故いかない!』。そんな怒りの目線。
 そう容赦などしない。それが最前線での戦闘! 心優は迷わずロッドを抜いて、シャキンと長くする。
 いつもなら『ロッドを抜く隙をお互いに与えない』ため、ロッドでの撃ち合いは最後の方になる。それまでは拳と蹴りの応酬になるが、相手がこれだけ隙を見せたのだから、初っぱなから殴りに行く!
 声も潜め、息も潜め、心優はロッド片手にフランク大尉へと踏み込む!
 だがロッドを振りかざしたそこで、シドと目線が合う。青い目はもういつもの冷酷なものに戻っている。心優が振りかざすロッドに対し、シドはなんとか一歩引いて蹴りあげてきた。女の自分より長い足、そして重みのある蹴りだとわかっているから、ロッドに当たる前にこちらも狙った位置とはずれた位置に振り下ろし、即座に体の向きを変え回避する。
 しかし今度は心優に隙ができる。回避するために背を向けてしまった。その瞬間、あちらもロッドを腰から引き抜いたのを目の端で確認する。
 今日は最初からロッド合戦! すぐに振り向き正面に構えた心優に対し、すでに正面を向いていたシドから今度は振りかざしてくる。当然、心優はそれをロッドで受け止める。
 正面をキープした二人はそこからロッドの撃ち合いなる。今日は逆。ロッドの撃ち合いの間、隙を見せた方が身体に蹴りか拳か技を決められる。
 小気味よく、キンキンと金属のロッドが当たる音が道場の響く。
 ―― どうした、園田さんが押されている?
 ―― いつもは互角なのに?
 普段、一緒に護衛部で訓練をしているCチームにいる護衛官達のささやきが聞こえてきたほど。
 そう心優は、シドの猛烈なロッド攻撃に押されている! だって、そんな乱暴に力任せに男が振り下ろしてきたら、心優も敵わない。振りかざしてくるロッドを受け止めるのが精一杯、そして男の力にぐいぐい後ろへと押し返されている。
 しかも正面からぐいぐい攻めてくるシドが見せている鬼気迫る目。ものすごい気迫で、いつも力八分ぐらいで訓練をしているだろう彼が、歯を食いしばって力のあらん限り心優に迫ってくる!
 もしこれが戦闘現場だったら、いまのシドは『なにがなんでも敵を仕留める=殺す』といわんばかりの本気だった。
 いつものシドじゃない! 暴走している!? 
 シドは強い、シドは若手でも凄腕の海兵隊員。心優より強く、やりこめることができる同世代の男。訓練の相棒。でも今日のシドは違う!
 ―― 大将の前だから本気なんだ。
 ―― やばい、園田さん。今日はふっとばされるんじゃないか!?
 周囲のささやきが聞こえる。確かにこのままでは本気のシドにふっとばされる、殴られる。
 ここで、心優にも『空手家』としての闘志に火がつく。
 
わたしがふっとばされる? うるさい! あっちが勝手に現場本番モードになっただけじゃない! 訓練以上に本気になったなら、わたしだって本気になるからね!!
おもいっきり行ったら、怪我をする? するかもしれない。でも、勝手に本気になった理由が『パパとママにいい格好』のいい子ちゃんになるために『本気』になという理由なら許さない!!
 
 それまで押されて押されて何度も上や横から殴り込んでくるロッドが真上から振り下ろされたその時に、両手で真一文字にしたロッドに彼が振り下ろしたロッドがあたりキンと金属音が高鳴る。
 さあ、ここだ!
 落ちてきたシドのロッドを振り払うと同時に、心優はシドの足下へめがけ自分の足をひっかける。上から押さえつけることに夢中になっていた男の、がら空きの足下。シドの身体がぐらりとよろめく。その間に、心優はあの時と同じようにロッドを捨てる。最後はそう、渾身の空手でやっつけたいから!
 よろめいた男に向かって心優は構え、そこから瞬時に回し蹴り。
 彼の脇腹に見事に命中、さらにシドがよろめいた。
「っぐ、ぬ……っ」
 もう容赦しないからね。結局、シドはまだ王子なんだよ。お父さんとお母さんが来たら動揺しちゃう不完全な王子君!
 回し蹴りを終えた心優は次の攻撃のための構えを取った。が、あちらもフロリダ本部で厳しい訓練を乗り越えてきた海兵エリート。脇腹をやられても踏み耐え、なおかつきちんとした構えを取り直している!
 その瞬発力も耐久性もやっぱり敵わない!?
「こんの、親父がいるからって張りきるんじゃねえよ」
 はあ!? それシドの方じゃない! なんでわたしが言われるの!? 今度は心優の頭に血が上ってしまう。
「お母様がみているもんね、かっこわるいところ見せたくないよねー」
 いつもの直ぐさま顔に出るシドらしく、あからさまにカチンとした顔になっている。
 シドもロッドを投げ捨てた。
「ぶっとばしてやる!」
「蹴り飛ばしてやるから!」
 男の拳と女の蹴りが、真向かう空中で交差する。
 また本気で歯を食いしばって向かってくるシドと、かあっと熱血モードにはいった心優のバシバシとした拳と蹴りの応酬が繰り広げられる。
 本気になったシドは今度は素手で蹴りで心優を押し始める、だが心優も頭に血が上っているので、昔の研ぎ澄まされた感性が目覚めてしまう。
 ―― 見えた、首筋が空く!
 そこへと蹴りを入れたら、いくらシドでも……。
 だがそこで心優はサッと我に返る。そこは頭部に近い場所、ほんとうにそれでいいのか?
 シドが向かってくるから、心優も危ない。あっちも本気で来ているから、こっちも逃れられない。これも条件反射、心優の蹴りがシドの首元へ……。
 やっぱり、だめだ。それは本当の戦闘ですべきこと……、しかし後悔先に立たず!
 心優の渾身の蹴りが炸裂、男のがっしりした肉体にヒット。
 シド、ごめん……! 
「馬鹿者めが!」
 ハッとする。心優の視界目の前に、大きな男が割り込んでくる。
 さきほどヒットした蹴りが、当たっている相手がシドではない。
 目の前に背を向けた父がいる。
 当たった男の硬い肉体、心優の蹴りは父の身体が受けていた。しかも痛みもダメージもないとばかりに、うまく脇腹で受け止め、脇下の腕で挟み込んで平然とした顔の父。
 そして父がいま向きあっているのはシド。心優の蹴りは背面で受け、シドの拳は正面から片腕を掴みあげ阻止していた。
 つまり若い二人の戦闘の隙間に、瞬時に割り込み、なおかつ二人分の攻撃をいとも簡単に単独体勢で止めている状態。
「未熟者め、親が見学していて緊張した小学生か。あほんだら!!」
 父が吼えると、先に突き飛ばされたのはシド。シドがよろめいて後ずさると、父は今度は心優へと向き直り心優の肩を掴むとまた先日のように軽々と数メートル先に投げ飛ばされてしまった。
 うっ。また、怒られた……。当然か。めちゃくちゃかっこわるい……。
 投げ飛ばされ撃沈したマットの上で、心優は倒れたまま唸った。
 シドも? シドも投げ飛ばされた? 立ち上がれない? 
「どうした。悔しいか。かかってこい!」
「ちくしょう!!」
 今度はぎょっとした。指揮官、上官である父に、シドがまた本気モードで向かっていたから。
 もういつものシドではない形相だった。まるでその男を憎んでいるかのように、歯向かっている。
 ドシドシと響く拳、無闇に繰り出される蹴り。でも、どの拳の軌道も蹴りも、父が的確に身体のあらゆる部分で受け止め流してしまう。
 その流れるような柔らかい動きに、道場にいる男達から『おー、すげえ』と感嘆の声が次々と。
 あのフランク大尉が子供に見える。誰かがそういう程。
「どうした大尉、フロリダの訓練とやらはこの程度かね。横須賀のレベル以下だな」
「くっそ、んなんじゃねえ!!」
 あああ、シド……。もうだめだ。我を忘れているし、うちのお父さんの目も怖い、あれお父さんも本気!
 ただし『園田教官の本気』は、これぞ指導教官としてプロのもの。相手が熱くなれば熱くなるほど、父が纏う空気はひんやりと静か。
「話にならない。終わりにさせてもらう」
 負けん気だけで立ち向かっていたシドの襟元を、父はいとも簡単に取ってしまう。
 父に襟元を取られたらもう勝てない。案の定、シドもマットの上に心優以上に豪快に投げ飛ばされる。
 それでもまだ立ち上がろうとしている。しかし、そこも父は許さなかった。靴を履いたままの足で、シドの金髪の頭を容赦なく踏みつける。
「ほら、パパとママが見ているぞ。よーく見てもらおうな。僕のいまの姿をな」
 父がぐりぐりとシドを踏みつける姿に、心優はゾッとする。あんなのお父さんじゃない。教官って、あんなにえげつないことしなくちゃいけないの? 投げ飛ばされ起きあがったが腰をついたまま立ち上がれなくなる。
 道場にいる警備隊も護衛部の隊員も、みな青ざめている。あの日とおなじ。娘ですら容赦しない園田教官の『しごきは本物』だと皆がゾッとしているのがわかる。
 そしてシドも悔しそうに顔を歪めているが、もう起きあがる気力は失っているようだった。つまり、園田教官に完敗したことを認めたのだ。
 心優は道場の入口から、おおっぴらに姿が見えないよう見学しているフランク大将と美穂夫人を確かめる。
 お二人とも、毅然とした落ち着いた姿しかみせていない。せめて美穂夫人がお母様としてハラハラしているかと思えば、そうでもない。
 あの葉月さんにも負けない、静かな静かな冷めた眼差しで息子を見守っている。
 海軍大将殿の夫人として、そこは動揺してはいけないのだ。
 それでもお母様に誰にも負けない強い姿をどうしてもシドは見せたかったのだと心優は思う。
 その気持ちわかる。すごくわかる。本当ならなんでもできるはずのフランク大尉が、そこで息子らしく子供っぽく制御できなくなったのもシドらしいじゃない……。
 それでも、そんな私情を許さなかった『父』の、大将が養子の参観に来てもなんらかわらずえげつない教官を務めるその姿も、心優は尊敬してしまう。
 そうしなければ、教え子が還ってこないから。どんなときも、ままならない不明の傭兵に遭遇したらどう戦い、どんな気持ちを保ち、どう護って、自分も守って『帰ってくるか』。それが解らないヤツは『ここで痛い目に遭わせておく』、そういう気持ち。大魔神ヒールを請け負っている人。
「父上と母上に応えるのは任務の成果ではない、帰還だ。自慢できる強さはいらない。与えられた使命を冷静に対処すること、帰還できる隊員が優秀な隊員だ」
「……ま、参りました。教官」
 シドが身体全体から力を抜いて、いまにも泣きそうな目をつむって苦々しく呟いた。
 またまた大魔神のキルコールに、空母警備隊の男達が震え上がる。
「城戸、おまえもだ。なんだあんなの、全国選手権の決勝だったらおまえのメンタル負けだ。わかってんのか、こら!!」
「も、もうしわけありません。園田教官」
「もういい。城戸はCの護衛部に移動だ」
 え? この最強訓練を行いそうなAチームから脱落?
 実力別のクラス分けではなく、役割別に分けられてるとわかっていても、見るからにAチームは特殊訓練だとわかる。心優も重要だと思ってくれたから選ばれたとちょっと嬉しかったのに?
「まだ負傷あがりで本調子ではないハワード少佐のリハビリ的な相手と、あの新人君を最低限、艦長が護れる技を使い物になるように仕込んでおけ。最終日が近くなったら、Cチームで護衛に特化した特別訓練をする。その時に行く」
 A、B、Cとそのチームに特化した訓練をするようだった。そして園田教官は心優に指導を任せてくれた。
「かしこまりました、園田少佐。護衛部に行きます」
「また必要となったら城戸もAに呼ぶこともある。その時はまた頼む」
「イエッサー」
 父に敬礼をし、心優は護衛部へと向かう。
 父が経験が浅い娘と、精神が安定しないこと垣間見た青年に対して教えたかったこと。
 どんな状況でも落ち着け。どんな理由があっても、どんなに心を揺らすことがあっても。落ちつくこと。
 それが自分の本領発揮への近道。冷静であってこそ、実力を出せる。そう痛みで教えてくれた気がする。
「よし、次の模擬戦をする」
 父の声がAチームで響く。その父がまた思わぬことを言い出した。
「せっかくなので、フランク大将のご夫人に『人質役』をしてもらおう」
 また場内がざわっとしたし、心優は大胆なことを発案する父にぎょっとする。
 お父さん、お父さんには『畏れ多い』という気持ちないの?
 そんな打ち合わせなどしていないはず? 美穂夫人もちょっと驚いた顔をしてた。ご主人のフランク大将とひとしきりひそひそと話し合うと、ちょっと気後れした様子で、でも微笑みながら道場に入ってきてしまう。
「このようなお願いをしまして、失礼を申します。わたくし、園田と申します」
「御園准将付き護衛官の城戸中尉のお父様ですね」
 父が『はっ』と敬礼をした。
「構いません、隊員のお役に立てるなら喜んで協力いたします」
 大将殿の夫人らしい堂々とした受け答えだった。
 無論、注目されたのはシド。お母様がいらして動揺して無様な姿を見せたばかり。その男が母が訓練に加わってまた無様な動揺をみせるのではないか。
 ――本当に園田少佐はえげつない。
 それでも、これも教え子を無事に帰還させるための厳しさなのだと誰もが身に沁みたようだった。
 だからこそ。美穂夫人もそこに立つ。
「私が犯人役をしよう。フランク夫人を私の前へと連れだし保護すること。単独行動でもよし、Aチームで役割分担をするのもよし。これは保護と救助と護衛を目的としたものとする。犯人確保は二の次だ」
 大魔神の後ろに、楚々とした着物姿の奥様。その保護の模擬戦。
「選抜する人数はAチームから五人、そのうちの一人は諸星副隊長としリーダーとする。話し合いは二分、その後、戦闘開始とする」
 たった二分。だが非常事態に話し合いは皆無。遭遇したらどんなメンバーでも始動しろ。そういうことなのだろう。
 心優が戻った護衛部もすでにAの訓練に釘付けだった。相変わらず『こええよ』と茫然としている光太のそばへと心優は行く。
「心優さん〜、お帰りなさい。また今日も凄かったですね〜」
「うん、でもお父さんに投げられるの慣れているから。それから、園田教官から吉岡君の指導を頼まれたから。最低限の護衛技を乗船までに覚えてもらうよ」
「よかった〜。ほかの先輩達、まだ俺、こわいっす」
「あ、うちのお父さんも後日、こっちにくるって」
「うえっマジッすか、うわ、俺、絶対に無理! 怖くて目が合わせられないですよ、お父さん」
 彼といると一気に和むなあと、心優はほっとして笑ってしまう。
 また場内がざわっとした。大魔神である父の背後にパイプ椅子が置かれ、そこに美穂夫人が座らされたのだが、父が着物姿の夫人をロープでぐるぐる巻きにして椅子に縛り付けたからだった。
 ――あれでは、一瞬で救助はできないぞ。
 ――あの位置に辿り着いても、ロープをほどく時間がいる。
 まさにその通りの、警備隊達の息を呑む様相。
「では、始める」
 ロッドを持った父は一人きりで、椅子に縛られた美穂夫人の前に立ちはだかった。
 十人ほどいるAチームで選抜された男達は、諸星副隊長を始め、シドを含む五人。諸星少佐もシドを入れておくべきという、園田教官の意図を汲んでいる様子。でも、精鋭Aの五人、それを父一人で?
 二分経過――、『開始!』
 合図がでても、諸星副隊長のチームは一気に攻め込もうとしない。まずは園田教官との距離を取っている。
 しかし一時すると、呼吸が整ったとばかりに、諸星少佐の『GO』の一声。一斉に配下隊員が数名、動き出す。
 父へと三名の隊員が向かう。一人がロッド片手に父に立ち向かうが、父がそれをいとも簡単にはね除ける。その隙にあっという間に父の背後に若い隊員が入り込み、夫人へと触れそうになる。
 しかし父が襟首を掴み、瞬時の技で投げ飛ばす。その隙にまた一人の隊員が……。
 それでも父が全て阻止してしまう。男一人でそんなに対処できるもの? 誰もがそう思って仰天した眼差しで眺めている。BとCチームはもう訓練そっちのけの見学者と化していた。
 だが金原隊長も後藤中佐も『見ておけ、あれが横須賀の精鋭部隊を鍛えた男だ』と許してくれる。
 心優はもう涙が滲んでいた。あれがお父さん。わたしには楽しいパパだったお父さんが、お仕事ではあんなことをしていたんだと。
 技を決める精度が高ければ高いほど、一瞬で的確に一人の隊員の動きを止められるから、次から次へと阻止ができる。心優はそれも教えられた気がした。
 そしてシドは……。お母様が訓練参加になり、また余計なかっこつけで崩れてしまわないか。しかも模擬戦とはいえ、大好きなお母様は一般人がされるには痛々しい姿に置かれている。
 父はまだ試している。おまえの心の中にあるいちばん柔らかで温かで大事なところ。そこをつつかれて平気でいられるか? いつもの実力を出すことができるのか?
 でもシドは父に踏みつけられてマットでこすれた頬を拳で拭い、諸星少佐の隣で息を整えているのがわかる。目がいつものフランク大尉の目に戻っている。
 彼が目をつむって息を吸い込んでいる。『GO!』、諸星少佐の掛け声で、遅れてシドが父へと駆けていく。
 その時、父がわかっていたようにして、美穂夫人の真横に移動した。その次の父の行動は、夫人の顎を冷たいロッドで持ち上げたこと。畏れぬ行為に、さらなるえげつない展開にまた道場内は騒然とする。
 父が最初に振り払った三人もそこから動けなくなる。でもシドは違った。駆けてきたそのままロッドを振り上げ果敢に父へと振りかざした。
「その果敢な動きが、夫人の命を貶める。まだかわらぬか。お母様のこの姿は耐えられんのか」
 座っている夫人の肩を深く抱き、父は人質である夫人の首をナイフに見立てたロッドで掻き切る仕草を実行しようとする。
 その時だった。動きを止められたはずの最初に駆けてきた三人が一斉に夫人へと向かう。その時にはもうシドは父へとロッドを振り落とすところ。
 父の気が、両方に飛び散ったのを心優は見る。どちらを止める? 夫人を奪おうと一斉に襲いかかる三人か、それとも自分を仕留めようとする青年隊員か!
「俺は死んでもかまわない。人質が死ねば、おまえらへのダメージになる!」
 指導教官が演じるのは死を恐れない残酷な傭兵、自分の命も人質の命も無にする行動を選ぶ。だからシドでも救助の三人でもない、夫人の首をロッドで締め上げようとしている。だがその瞬間、迷わずロッドを床に投げ捨てたシドが、夫人の首を掻き切ろうとしている父の腕に飛びつく。傭兵への一撃で技を決めるよりも、チームの一員としての役割を見出す、そして人質を優先する動き。なんとかして父の腕に食らいついていた。無様に、大魔神の腕に掴まるだけの止めるだけの、技もなにもない『なんとしても止める』だけの役。
 それでもシドが大魔神を止めている隙に、救助役を言いつけられていただろう三人が、一人が椅子の後ろでロープを解き、一人は大魔神に対して構え、もうひとりが夫人の上に覆い被さりなにか起きても護ろうとしている。
 最後にダッシュで来たのは諸星少佐だった。一波、二波、三波と繰り出す作戦。諸星少佐も園田教官へと一直線、彼もロッドを振りかざす。シドが押さえつけているため容易にとどめを直撃できる状態。
 父がそこでシドに肘鉄を食らわせ、一瞬だけ離すと、夫人を捨てて諸星少佐に対して構える。父と諸星少佐のロッドがガチンとぶつかり合う。
 その瞬間に救助役の三人が夫人を椅子から連れ出すことに成功。でも、諸星少佐とシドが大魔神に殴られ投げ飛ばされ、本番ならば負傷か殉職という状況に追い込まれた。
 そばにいたハワード少佐が、感嘆の深い溜め息を漏らしている。
「だめだ。救助成功とはいえない。対象者は助かったが、隊員が二名殉職だ。しかも犯人は健在の状態、後追いで人質を再度奪われる状況だ。ああいう傭兵はほんとうにいるからな。二名同時に襲いかかってくるぐらいなんでもない、一人でなんとでもなる。心優のお父さん、すごいな」
 心優もおなじく、溜め息。なんだか落ち込む、父のすごさを知らなかったことも、仕事で初めて一緒になって怒鳴られたことも。でも、あのような教官を何年もやってきたのだろう。
 金原隊長も、突然始めた模擬戦でたいした結果も残せなかった配下の警備隊員を見て沈痛の面持ち。
 だからこそ。これから暫く、大魔神のしごきは必要だと心優も痛感する。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 また夕方までに『警備隊の訓練がすごかったらしい』、『フランク大尉がこてんぱんにやられた、お母さんの目の前で動揺した』、『夫人を盾にした訓練を厭わずお願いする園田教官、えぐい』という噂がもうカフェテリアで展開されていた。
 中休みで光太と一緒に休憩に来た心優も、挨拶をされた隊員達に『お父さん怖いね』と聞かれる始末。
 その後の夕方の横須賀便で、ついにフランク大将と美穂夫人が帰っていった。
 細川連隊長を始め、御園准将と共に、もちろん息子のシドも一緒に見送った。
 すっかり夜空になり、今日も心優は光太に御園准将室で必要なことを教え、帰路につく。
 また雅臣の方が先に帰っていそうだった。一人でアメリカキャンプの夜道を歩く。芝と芝に挟まれたアスファルトの道、街灯も多く暗くはない。芝の広場の向こうはアメリカや海外から来ている隊員家族が住まう白い家が建ち並ぶ。
 奥様方の趣味がわかるカフェカーテンに、西洋らしい玄関ポーチにあるベンチの飾りもその家それぞれ。最近はこうして各家庭の素敵なインテリアやコーディネイトを見るのが心優の楽しみ。先輩ママ達のセンスを知って、これから春頃建つ新居をどうしようかとわくわくしてくる。
 それぞれの家庭に灯りがともり、美味しい匂いに、子供達の賑やかな声が遠く聞こえる。ここはそんな温かさを感じる道。
「心優」
 呼ばれて振り返ると、自転車にまたがっているシドだった。
 黒色のかっこいいマウンテンバイクで彼は通勤している。
「シドもいま帰り?」
「うん。秘書室をあがってきたところ。昨夜、料亭の玄海で和食だったからさ。ひさしぶりにダイナーに行こうと思って」
 彼が自転車を降りる。片手でハンドルを押して、歩いている心優の隣に並んだ。
「ちょっと前なら一緒に来いと、言えたんだけれどな」
 今からダイナーで食事。去年の今頃は、心優もよく通っていて、シドともそこで合流して、プライベートの訓練を重ねていた。
「もうこの時間だと臣さんがなにかつくって待ってくれているから」
「へえ、臣サン。料理するんだ、いい旦那じゃん」
「シドもできるんでしょ」
「あたりまえだろ。俺、十代の頃にはすでに自炊ができるよう叩き込まれていたからな」
 なんでもできるようにフランスのお母さんには躾られていたということらしい。
 虫の声が聞こえる中、心優はしばらくなにも言えなくて……、黙って歩いてしまう。シドもここ二日の大将訪問で精神的に崩れてしまったせいかちょっと気後れしているようだった。
 でも彼から話してくる。
「昨夜、父さんと母さんとちゃんと食事した。さっきも帰る前に『頑張っている、前よりずっといい顔をしている』と喜んでもらえたよ」
「そうなんだ。良かったね。でも……、今日、警備隊のAチームで対戦したシド。いつものシドじゃなかったよ」
「うるせえな……、俺だってわかってるって」
 また虫の声と幸せそうな家庭の声が聞こえる静かな空気になってしまう。
「おまえの父ちゃん、すげえな」
「うん。わたし、お父さんがどんなふうに仕事しているのか、今回、初めて知ったんだ」
 あんな大魔神なヒール役をこなれた様子でしていた。父を目の敵にしてきた若い隊員もたくさんいたに違いない。もしかして――シドも?
「おまえの父ちゃん、めちゃくちゃカッコイイな! 俺、父ちゃんにも惚れたわ」
 えっ? 意外だったので心優は目を見開いて、隣を歩く金髪王子を見上げてしまう。
「すっごい嫌な親父だったんじゃないの」
「いや、もし日本人に生まれていたら、園田の父ちゃんみたいな父親のところに生まれたかった。あの腕前、やっぱおまえの父親だってすげえ納得!」
 あれ? あれあれ?? さらに驚いて、心優は唖然として彼を見上げたまま。だってシドの目が少年のようにキラキラッとして本当に『あんな親父の息子になってみたい!』と子供っぽい顔をしていたからだった。
「フランク大将だって、理想のお父さんなんでしょ」
「うん。ロイ父さんは『パパ』で、心優の親父さんは『日本男児父ちゃん』てかんじで、どっちもいい!」
 どっちもいい! なにげにフランク大将のことも『最高のパパ』て言っちゃってるじゃん! 
 そんなシドが、片手でマウンテンバイクを押しながら、ふっと満天の星を見上げる。少し伸びている金髪の前髪がふわっと柔らかな夜風にそよぐ。なんだかとても穏やかな、見たことがないシドの顔。
「シド?」
「おまえの父ちゃんが、俺の足枷ぶっこわしてくれた気がする」
 足枷? 心優は首を傾げる。でも……『いい子でなくちゃ、優秀でなくちゃ』というプレッシャーのことを言っているような気がしてきた。
「強い優秀な戦闘員をきちんとやっているから、安心して帰ってくれと思ったのに。あんな無様に完敗させられちゃあな。でもそれでよかった。帰る前、父さんも母さんも『園田教官のいうことに感銘したシドがそれを知ってくれる機会を目の当たりにできて安心した』と言っていたし、母さんもあの教官の言っていたことが私の言いたいことだったと涙ぐんでいたもんな」
「そうだったの……。でも、わたしも……。護衛官として抜擢されるまで、『還る』という意味と難しさと大切さ知らなかったから。なんとなく大事だってわかっても、まさか、お父さんにこんなに痛いほどに刻みつけられるとは思わなかったもの」
「俺もだよ」
 でも――。シドが心優に微笑んでいる。そんなふうに笑うことができるの? いつも怖い目をして、怒っているような、誰も寄せ付けない顔をして、眉間に皺寄せていることが多いのに? 頬に赤く擦り切れた傷跡があっても、彼は微笑んでいる。
「いまの俺は、実母が生んじゃいけない俺を生んでくれて良かったと感謝している。前はそうは思わなかったんだけれどな。どうせ、俺も御園を護る次世代要員として生んだんだろ、育てているんだろと思っていたから」
「そんな。わたしがシドのお母さんに初めて会った時は心配そうな顔をして、なんだかわたしと話したそうにしていたよ」
「あの母親がをなに考えているか知らない。でも俺、だいぶ子供の頃に、葉月さんと隼人さんにかわいがってもらったことがあったんで、あの人達と仕事するなら全うするぐらいにしか考えていなかった。どうせなら与えられてしまって逃れられないこの世界で一番になるなら、御園を護る最高の男になればいいと」
 それがシドのいままでの信条。だから、心優が初めて転属してきた時、葉月さんのそばに頼りなさそうな空手家が来たから、おまえほんとにやる気あるのか、護る気あるのかとシドがムキになったのだとやっと知る。
「だけど。俺、いま、おまえと一緒にいてめちゃくちゃ楽しい」
 さらにシドがはっきりと言った。
「おまえといると、しあわせだ」
 心優はドキリとする。しあわせって、……わたしといるとしあわせ? 頬が熱くなる。それって……、それって……、もしかして。
「だから俺はこれからもずっとおまえといるんだ」
「でもね、シド!」
「俺は臣サンも大好きだ、英太兄さんも大好きだ。でも心優がこなくちゃこんなに楽しくならなかった。俺はさ、これでいいから」
 その途端だった、シドが自転車にまたがってしまう。
「じゃあな、臣サンによろしくな。昨日は俺をかくまってくれてありがとうと伝えておいてくれよ」
 あ、シド……! 呼び止めようと手を伸ばした時には、もう自転車をおもいっきりこいで遠くに行ってしまっていた。
「え、なに。いまの……」
 おまえといるとしあわせ。臣サンも英太兄さんも大好きだ。俺は、これでいいから。
 いまのシドの大事なしあわせは、小笠原で出会った先輩や兄貴もいて、そして心優がいること。
 ずっとおまえといるんだ。
 彼だけのしあわせを見つけて欲しいのに。でも、彼のしあわせは心優が思っているものと違うよう。
 熱くなってしまった頬に、心地よい夜風……。そして胸がドキドキしている。あれはあれで、シドの男としての気持ちをぶつけられた気がして。
 なのに、さらっと一人で食事に行くと去って……。人妻は夫にところに帰れよとそっと残して……。
「しかたない。もうシドにだけ、臣サンて呼ぶの許してあげる」
 彼がそれでいいというのなら。わたしも臣サンもそばにいるよ。
 シドがみつけた、シドの世界を大事にするよ。
 ひとりになったキャンプの道を、心優も静かに歩き出す。

 

 

 

 

Update/2017.1.27
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