◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 8. 艦長さんの切り札 

 

 フランク大将夫妻がアメリカへ帰国してから、十日ほど――。
 岩国基地から、高須賀准将が率いる『空海飛行隊』が小笠原入りをする。
 寄宿舎への受け入れ、パイロット達の受け入れ部署など、訓練と平行し御園准将室は受け入れ準備に追われた。
「いやいや、いいねえ。お嬢さんの准将室にしばらく一緒にいさせてもらえるだなんて」
 僧侶のように穏やかに目を細める高須賀准将が、ゆったりしているソファーでティーカップを優雅に傾けご満悦中。
 高須賀准将の受け入れは、御園准将室。ここで准将二人が過ごすことになる。
「なにか不自由がございましたら、遠慮なく申してくださいませ」
 先輩である高須賀准将に頭を下げる御園准将。先輩として敬う姿は楚々としていた。
「こんな美味しい紅茶を優雅にいただけるだけで来た甲斐があるね。珊瑚礁の海が一望できて……。この基地も設立されてだいぶ時が経ったけれど、新設されたころはアメリカ式の最新基地としてなにもかもが新設備だったもんだから、配属された隊員が羨ましかったもんだよ」
「そうでしたわね。私、ちょうど新入隊員として良い時期に当たりまして、この基地に配属されましたけれど」
「そりゃ、君はフロリダ本部に高官の父上を持つ帰国子女。アメリカ式の日本基地を導入するのに若手幹部としても有力な隊員だったうえに、特別訓練校の卒業生、さらにファイターパイロットと来た。……あの頃から、この基地を担う隊員になってくれればと期待されていたんだろう」
「どうでしょうね。あの頃の私をご存じでしょう……。有望どころか、やっかい者だったと自覚しております」
「くせが強い者ほど、丸くなった時に最強になるからね〜」
 高須賀准将が静かに笑った。それって御園准将のことを言っているのかなと心優は思ったが、逆に御園准将が『まあ、うふふ』と笑っている。
「それはご自分のことなのですか」
「なんだって? 自画自賛になってしまうだろ」
「マッドネスと呼ばれていたパイロットではありませんか。陸ではお優しい先輩のくせに、コックピットにいると豹変する。皆、怖がっていたではありませんか」
「そんな俺も若かった現役の時のこと言われても。俺が言いたいのは、君のことだよ、君のこと。扱いづらいことこのうえなく、なにを考えているのかわからない上に、命知らず――。コンバットで一緒になったらたまらないよ。君ほど先が読めないパイロットはいなかった」
 当時を思い出したのか、穏やかそうな彼の顔が歪んだ。
「合同訓練があると、私は貴方には一発でロックオン、撃墜されていましたけれどね。しかも狙ったように、コンバット開始数分で撃墜されたことも多々。『おまえ、邪魔だから先にやっておく』みたいでしたわね。一度も勝たせてもらったことがありません」
「君は女性パイロットだったし、まだ新人だった。俺が勝てて当たり前の時期だろ。まあ、確かに? 『こいつ予測外の命知らずなことするから先に落としておこう』とは思っていた」
「怒っていらっしゃったのでしょう。命を省みないパイロットと、横須賀の男達には随分と嫌われていたものです」
 高須賀准将が一時黙ってしまう。痛々しいものを思い出しているようだった。
「パイロットとしては怒っていた。だが、君が死にたくなる気持ちにならざる得なかったことは理解している。しかしどのような理由があれ、ファイターパイロットの意義を君は無視していた。いまは許している。何故なら、いまの君は誰よりもその意義を胸に抱き、海原に出て空を護ってくれているからだ。身体にその痛みを刻み、死の恐ろしさと死別の空しさと家族の悲しさを体験した君だからこそだ……」
 堅い表情だった高須賀准将が、そこでいつもの僧侶の微笑みに戻る。
「寂しいよ、君が海から去っていくだなんて。俺よりまだ若く、まだ海に出て行けたのにね」
 御園准将の心を察して労ったせいか……。御園准将が僅かに目元が泣きそうに崩れたのを心優は見てしまう。でもアイスドールはそこで感情表現を留めることができてしまう人。
「私は先に行かせて頂きます。準備をしておりますので『いつか』、お願いいたします」
「どうかな。俺もね、瀬戸内の海が気に入っていてね」
 滅多に会えない准将同士、離れていてもおなじ志を持っている准将二人。その二人がこうして日頃できない会話を重ねているのはとても貴重な時間だと、心優は紅茶のおかわりを高須賀准将に差し上げながら息を潜めて聞いていた。
「明日から模擬戦コンバットの実施開始だが、君も来るよね。しばらく空母には出向いていないと聞いているが、君がいないと」
「そうですわね……」
 なんとなくはっきりしない返答に、心優には聞こえた。
「では。前半は空海のアグレッサー側につくと張りきっている雅臣のところに行って打ち合わせでもしてこようかな。橘にも会いたいしね」
 ティーカップをテーブルに置いた高須賀准将が立ち上がる。雅臣がいる雷神室には、空海の飛行隊長、日向中佐の受け入れ先になっている。飛行隊長同士で話し合えるような配置だった。
 高須賀准将が出て行った後、御園准将もひと息。
「ティーカップ片づけて。しばらく気遣うでしょうけれど、よろしくね」
 心優と光太は揃って『イエス、マム』と返答し、一緒にテーブルを片づけた。
 秘書室の給湯室。ラングラー中佐が取り仕切っている秘書室の真横に壁で仕切られ、割と広い間取りになっている。コンロも揃っていて料理をしようと思えばできるし、小型冷蔵庫まである。これが高官棟の将軍室の特徴でもあった。
 そこで光太と一緒に茶器を洗う。
「あの、心優さん」
「なに」
 心優が洗って光太が拭く。その流れ作業をしている中、光太がティーポットを丁寧に拭きながら話しかけてくる。
「俺がここに来た時に、心優さんが最初に言っていたじゃないですか。これから御園准将や他の先輩や高官との会話を聞いて『あれ』と疑問に思うこといろいろ出てくるだろうけれど、決して、心優さん以外の隊員には口が裂けても聞くな、なんでもわたしに聞きなさい――て」
「うん、言ったよ」
「御園准将、十歳の頃に事件に遭って心を閉ざしていたから御園元中将と不仲だったとか言っていましたよね。なにがあったんですか。高須賀准将が若い頃は怒っていたとか、死にたくなる気持ちになっても仕方がなかったとか、死別とか、いろいろ……。俺、心優さんに言いつけられたとおりに心優さんに聞きましたよね。いままでも。でも『もう少し待って、機会を見て話す』と言ってくれて、もう、だいぶ経っているんですけど。俺、なんか、いつか御園准将に言ってはいけないこと言うような気がして、最近、うまく喋れないんですけど……」
 そろそろかと心優も構える。シドと義両親のドタバタでなかなか時間が取れなかったけれど。
「今度の週末、空いてる?」
「え、明後日ですか。もちろんです」
「じゃあ、うちに来て」
 光太が『ええ!?』と驚いた顔に。
「だだだだだだって! ご主人がいるじゃないですかーー!」
「え、そうだけど。雅臣さんもよく知っている話だし、わたしは雅臣さんが秘書室長だった時に聞かされた話だから、雅臣さんも詳しいもの。横須賀基地のトップシークレットだからここでは話せないよ。覚悟しておいて」
 横須賀基地の極秘事項と聞いて、光太が青ざめる。
「聞いちゃっていいんですか、俺なんかが! 俺、最近秘書官になったばかりの下っ端っすよ」
「わたしだって、秘書室の下っ端だった時に教えられたんだもの」
 そして心優ははっきり言う。
「聞いておかないと、艦には乗れないよ。御園准将のおそばにもいられない」
「……あの、その話を聞くとどうなるんですか」
「御園准将秘書室の立派な一員になれる」
 さらに光太がおののき硬直した姿に。
「いままで吉岡君が『あれってどういうこと』と疑問に思ってきた先輩達の会話のひとことひとことはね。先輩達も『御園准将の秘書官なら全てを知っているから、このことを口にしても良いだろう』と思って喋っていたの。つまり、新人だろうと吉岡も知っているということで気を許して話してきた話題だったわけ」
「なんかいろいろあるのは……、察していましたけど……」
 聞くのが怖い。光太はすべてを知らずとも、上官と先輩達の交わす言葉で『良くない話』というのは察しているよう。
「大丈夫だよ。いつもどおりにできるよ」
 光太はすでにしゅんとしていた。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 ついに空海がアグレッサーを引き受けてくれた訓練が始まる。
 日程は五日間、集中的に行われる。たった五日間だがこれが日本全国の基地に迷惑をかけながら取れる精一杯の日程だった。
 その間に、雷神のパイロット達がなにかを掴んでくれれば。それを狙っての合同訓練が開始される。
 朝一番、九時から訓練が始まる。高須賀准将は既に、空海と雷神のメンバーと共に連絡船に乗り空母入りしている。
「准将、支度できました」
 心優と光太も、紺色の指揮官チームの訓練着に着替え終え、御園准将デスクに報告する。
 御園准将は朝の事務仕事をひとしきり片づけてから、訓練が既に始まった頃に空母入りをする予定。
「行きましょうか」
 御園准将も久しぶりの紺の指揮官服。颯爽と歩き出し、准将室のドアノブを握った。
 はあ、久しぶりの空母〜。光太はもうウキウキしていた。心優も雅臣が指揮をする素敵な大佐殿に会えると密かに心躍らせて……。
 御園准将がドアを開けたが、何故かそこで止まった。
 前に進まないので、心優と光太は一緒に訝しむ。
 ドアが閉められてしまう。
「やめておくわ」
 え! 心優も光太も驚いて、顔を見合わせた。
 指揮官服の上着を脱ぎながら、御園准将はいつもの皮椅子に戻っていく。
 黒いタンクトップ一枚になって、彼女は溜め息をついて座ってしまった。
「あなた達、着替えてきなさい。ここで仕事する」
「あの、准将……」
「光太、ごめんね。空母の訓練、見たかったわよね」
 葉月さんの顔で微笑んでいる。でも光太がすぐにぶるぶると首を振った。
「御園大佐の空母研修でまた行く予定なので、大丈夫です! それにもうすぐ毎日艦上ですし!」
「ごめん……。ちょっと一人にして……」
 心優も呆然とした。だけれど、ミセス准将の望み通りにするため、黙って光太と一緒に准将室を出る。
 光太が真っ青になっている。
「どうしたの、吉岡君」
「あの、あの、准将の肩に傷跡が……すごい、その、」
 しまった。准将もすっかり気を許している証拠。光太という男性がいるのに、先ほど紺色訓練着の上着をそういえば脱いでいた。
「あの傷のことなんですか。子供の頃なにかあったのって」
 もう迷うまい、心優も腹を決める。
「そうだよ。肩と胸にそれぞれ『刺殺されそうになった傷跡』がある。肩は十歳の時、胸は二十八歳のご結婚前に。どちらも同じ男に狙われて……」
「え、え……あの」
「吉岡君、動揺しないで、いつもどおりにして。お願い。週末にはぜんぶ話せるから」
「わ、わかりました……」
 でも。人の好い青年だから……。彼の指先が震えているのがわかる。
「わたしもそうだったよ……。初めて見た時。でもね、ああやって吉岡君の前で平気で上着を脱げちゃったのは、吉岡隊員という存在に気を許している証拠なの。大丈夫だから」
「わかりました」
「先に着替えに行って。わたし、ラングラー中佐に御園准将が行かないと決めてお部屋に一人でいること報告しておきたいから」
 イエッサー。光太も呼吸を整え、男子更衣室に入っていった。
 心優は隣にある秘書室に入る。ラングラー中佐に言っておきたいことがあるから。
 入室後、心優は皆のデスクを従えている大窓前にある秘書室長のデスクへと向かう。
 デスクトップPCにいろいろなデーターのウィンドウを並べて眺めている彼が、心優が訪ねてきたのを見て少し驚いた顔。
「どうした心優。空母に行く時間ではなかったのか、葉月さんは?」
「急に行かないとおっしゃって、いま准将室にいます。しばらく一人にして欲しいと……。吉岡と共に外に出て着替えるところです。それから、いま准将が上着を脱いでしまったので、吉岡海曹が初めて……傷を目の当たりにして動揺しています」
「なんだって。葉月さん、光太の目の前で平気で脱いだのか」
「ご本人はなんら気にしていない様子でした。気を許されているのでしょう……。普段も息子みたいだと、かわいいうちの男の子とわたしにふざけていうぐらいです。そこで、いよいよ……」
 心優は口ごもる。ラングラー中佐の表情も険しくなる。そして背後にいる秘書室のメンバー数名が緊迫したのか、こちらを注目している視線もかんじた。
 ここにいる秘書官は『御園のタブー、横須賀基地の隠匿』という事情を飲み込んだうえで仕えるという約束をしている隊員ばかり。
「わかった。心優に任せる。伝えた後、俺まで報告を」
「承知しました。あの、しばらく准将室に入れないのですが……。そこの休憩ブースで待機しております。ですがお一人なのでお願いできますか」
「そうか。了解した。三十分ほどして戻ってきたらいいだろう……。しかし、訓練を見に行かないとは……どうされたものか」
 ラングラー中佐も首を傾げているし、心優もまだその心情がわからない。
「空母で橘大佐に城戸大佐、そして高須賀准将がお待ちだと思うのです。ご連絡をお願いしてもよろしいですか」
「わかった、やっておく。戻ってきたら准将のこと頼んだぞ」
「イエッサー」
 心優も着替えた後、休憩ブースで光太と合流する。光太もドリンクを飲んで、少し落ち着いたようだった。
「俺、護衛の技。早く覚えたいです。心優さん、指導お願いします。厳しくてもいいです」
 御園准将のそばにいる護衛としてなにかを初めて感じたようだった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 案の定、訓練上がりになる午後。高須賀准将がすごい剣幕で准将室に戻ってきた。
「お嬢さん! 来ないとはどういうことだ!!」
 さすがの僧侶もおかんむりのご様子。しかしながら、御園准将はすでにいつもの優雅なタイトスカートの制服姿に戻っていて、静かにデスクで書類にむかってるところ。
「おかえりなさいませ」
「おかえりではない!!」
 高須賀准将が、ミセス准将のデスクに手をついて詰め寄ってくる。
 ひとまず、彼がにっこり笑う。
「お嬢さん? あちこちの基地に迷惑をかけてまで、こっちは基地で主力の飛行部隊をひっぱってわざわざ来てやったんだよ。それを……」
「いかがでしたか、雅臣と英太は」
 アイスドールの顔で淡々と彼女が聞き返すと、高須賀准将のほうが子供っぽくぷいっとそっぽを向く始末。
「指揮官として来なかった者に教えるつもりはない」
「それでは後ほど、データー室から上がってきたもので確かめます」
「現場でその目で見て、訓練をライブで確認してこそ、ではないのか!」
 それでも御園准将はしらっとした氷の顔で、書類に万年筆でサインをしている。
「私がいなくてはまとまらない現場でしたか。それならば、私も明日から行きます」
「……、ほう、そういうことか?」
 心優にはわからなかったミセス准将の意図。ミセスの先輩になる高須賀准将にはわかってしまうらしい。
「ふう、ではそっとしておこうかね。どうせ、俺は部外者。どうなるか高みの見物と行こう」
「橘さんは怒っていましたか」
「怒らなかったね。あれも結婚して落ち着いたのか、君に雷神を任されて落ち着いたのか。お嬢さんの気まぐれなんかに動揺もしなかった」
「雅臣はいかがでしたか」
「生き生きしていたよ。嬉々として鈴木のバレットに失態を犯すよう追い込んでね」
 生き生きしていた? 心優はそんな父のように『えげつない仮想敵に力を注ぐ大佐殿』も見てみたかったと思ってしまった。父親が夫が、現場でどのように働いているのか見られるうちに見ておきたい。
 そして父、園田教官の『仮想敵』を目の当たりにして、心優も雅臣がやろうとしている意図を理解できるようになっていた。
 えげつない敵を演じてこそ、後輩も部下も守れる。彼等はそう思っているから酷いことに踏み込む。険しい愛がそこにあるのだと……。だから心優はこれからも娘として妻として、そんな嫌な上官になる父と夫を見守っていきたいし支えていきたい。
「設定ラインを越えて侵犯判定の連続、うちの空海数機に囲まれ、あっというまのキルコール責め。逃げる道しか雅臣は残さない。バレットはそこに逃げ込むしかない。エースには屈辱的だろうなあ」
 高須賀准将が、落ち着き払っている無表情なミセスの様子をちらっと横目で確かめている。かわいい君のエースパイロット君がめちゃくちゃにされているよ、悔しくないのかとばかりに。
「鈴木は、君が言うとおり果敢なパイロットだね。あれでは駄目だ」
 高須賀准将からの駄目押し。それでも平気なのか君は――。御園准将がふっと笑う。
「では、私がドタキャンして慌てていたのは、高須賀さんだけでしたのね」
 高須賀准将は呆れた顔をして、彼の定位置になるだろうソファーにどっかり座った。
「そんなわけないだろ。でも、きっと『なんでだよ、なんで来ると言っておいて来ないんだ』はどの男も腹でむかついていただろう。俺も君の澄ました顔を見た途端、腹に据えかねた」
「申し訳ありません……」
 そこは本当に、自分でも軽率だったと御園准将が悔いている表情を見せた。いつも傍にいる心優としては、御園准将自身に『なにかの迷い』があると感じる。唐突な取りやめもそう、自分でそうやっておいて、いざ指摘されるとそんな申し訳ない顔をする。まだ彼女自身が自分の行動と気持ちに折り合いをつけていないような。
「いいよ。君がどうしたいのか、長沼と橘からも聞いているし、石黒さんも知っているんだろう。知らぬは旦那ばかりってね。可哀想な澤村君」
 夫のことを出されると、御園准将は黙り込んでその話題については取り合わないとばかりに、また万年筆を書類に向けて動かし始める。
「さて。俺も報告書をまとめるかな」
 両将軍とも黙ってしまい、准将室が静かになる。お二人の集中している空気がとても研ぎ澄まされていた。
 その傍らに、心優はいつものアイスチェリーティーを置いた。
 高須賀准将はそっと『ありがとう』と言うだけで、ミセス准将に至っては今日は無言だった。
 事務仕事を進める准将二人のアシストに徹する午後、半ば。そろそろティータイムかなと心優が壁時計を見上げた時、准将室のドアからノック音。
 雷神室の城戸です。雅臣の声。心優はそっとドアを開け、お疲れ様ですと彼を入室させる。
「お邪魔いたします、御園准将」
「お疲れ様、雅臣」
 すっぽかした御園准将のほうが、今日は気後れした様子でソニックを迎え入れる。
「こちら、今日の訓練を撮影したものです。そして対戦結果と機動記録です」
「ありがとう。あとで確認します」
 小脇に抱えていたファイルが准将デスクに置かれる。
 座って万年筆を握ってそのままの准将に用事を終えても、雅臣は正面に立ったまま黙って彼女を見下ろしている。
「今日は来られなかったのですね」
 雅臣もそこに触れてきた。御園准将がやっと顔を上げる。
「そうね」
「どうかなさいましたか」
「別に。私が甲板に行かなくなったのはいまに始まったことではないでしょう」
「貴女が、バレットとスプリンターに最前線へと指令を出したのですよ。気にならないのですか」
 御園准将がどこか拗ねたように、雅臣から視線を逸らした。そんな上官を見て、雅臣が呆れた顔で少し溜め息をついたのがわかる。そして高須賀准将もソファーからそっと静かに伺っている。
 心優と光太も妙な空気になっていくのを感じて、お互いに目線を合わせ、なにかが起きそうだねと頷きあう。
「わかりました。いいですよ、もう来られなくても――」
 引き留めもしない雅臣の淡泊な受け答えにも、ミセス准将は反応しなかった。本当にどういう心境になっているのだろう。
 そんなどこか無気力そうな御園准将を、雅臣はじっと見下ろしている。臣さん、平然としているようで怒っている? 心優にはそう見える。
「では。私から『艦長』にお願いがあります」
「なに」
 サインをすべき書類の内容を読み込みながら、片手間に聞いてやるわよといわんばかりの准将の態度。それでも雅臣ももういちいちムキにはならず、大佐殿のクールな横顔に。
「切り札を準備してください。俺が最後の最後、駄目だった時の、切り札です。その切り札だけ準備してくだされば結構です。どんなものか出航までに考えておいてください」
「切り札を考えておけ?」
 ギッと下から御園准将が睨んだ。そんな目、見たことがない。心優でもまだ見たことがない、あのアイスドールが怒りを露わにした目!
 ゾクッとする。いままでもミセス准将が冷たくも燃える眼差しはなんども見せてきた。でも今日のは違う、青い炎が揺らぐ瞳ではなく、真っ赤に燃えさかる炎の眼!
「雅臣! いい加減にしろ!」
 静かに見守っていた高須賀准将までもが、もうこれ以上は駄目だとばかりに立ち上がったほど。
 それと同時だった。雅臣の胸元に、持ってきたデーターファイルの束がバサッと投げつけられる。
「ばかにしないで!!!」
 ミセス准将がデスクに『バン!』と手をついて、立ち上がった。
 なのに今度は雅臣がしらっとしている。
「なにか気に障りましたか?」
「切り札を考えておけ? なにその答がすぐにわかっちゃう『簡単な問題』は。艦長さんに宿題のつもり? その切り札は何時間も何日もかけて考えなくては思いつかないものだと言っているの?」
 ミセスの問いかけに、雅臣は黙っている。言い返せないのか、予測通りなのか、妻の心優でもわからない。
 その雅臣に、御園准将はさらに吼える。
「そんな『簡単な答』を如何にも考え抜かないと思いつかないようなものだから、出航までに考えておけ!? ばかにしないで!」
 そして御園准将は、その熱くなった感情のまま雅臣に真向かう!
「貴方の言う切り札はね! 艦長になった時にこの胸に隠し持って搭乗するもの! そこにいる高須賀さんも持っている! それを考えておけ? しかも、もう私にはその切り札を使う役目しかないというわけ!?」
「そうです。あとは俺がやります。ですが最後の切り札は『艦長』でなければ使えないですから」
 あの葉月さんがまたデスクに『バン』と両手をつき、デスクを挟んでいるとはいえ、雅臣に詰め寄ってくる。
「いいわよ。その切り札、準備しておいてあげる。とてつもなく真っ黒な切り札をね!」
 最後にアイスドールと言われた彼女が、大事にしている万年筆ですらビシッとデスクに叩きつけ、ほんとうに怒り心頭かっかとした様子で准将室を出て行ってしまった。
 もう心優も唖然、茫然、動けず見送ってしまう――。
 すぐに高須賀准将が雅臣のそばに駆け寄ってきた。
「雅臣、いまのは言い過ぎだぞ!」
「わかっています。もうそれしか残っていませんよと伝えれば、まだ未練があるなら動くと思って」
「はあ? そこまでわかっていて、あんなことお願いしたのか」
 高須賀准将までもが、額を抱えふらふらと脱力している。
「雅臣、おまえ、いまの俺だったら怒るだけではすまさなかったぞ。葉月ちゃんが女性でなんだかんだいって寛容で、そしておまえのことは頼りにしている一番部下だと思って甘えたのか」
「一番部下だからやってやったんですけど。そういう自負はありますよ。俺は葉月さんの後継大佐だと。俺、高須賀さんだったらあんなことやりません」
 葉月さんだからやったとケロッと言い放つ雅臣の平然とした様子にも、高須賀准将は『おまえな!』とがっくりうなだれている。
「おまえ、切り札なんて言うなよ、お願いするなよ。それだけは絶対にお願いしては駄目だ。俺達が胸に秘めて決して誰にも見せない言わないその切り札は、艦長だけの特権だ」
 高須賀准将も『艦長の切り札』と言われて、なにを示すのかすぐにわかっているよう。御園准将が言うとおり『艦長として艦に乗る時に、その胸に準備しておくもの』というのは本当のようだった。
「わかっています……。でも、もうそれしか……」
「しかし。あのアイスドールがあんなに熱く怒るだなんて。良いものを見てしまった」
 最後に、高須賀准将はにんまり。結局、他人事、部外者、よそ様のご事情――のスタンスらしい。
 その雅臣が心優を見た。
「いいのか一人にして。護衛官だろ。早く行け。ここでは夫よりもボスだ」
「かしこまりました。准将室をお願いします。吉岡君、行くよ!」
「は、はい」
 今日もまたびっくりな吉岡君が慌ててついてくる。そして心優も急いでボスの後を追う。
「うへえー、またすごかった! なんすか、もう〜毎日毎日。俺、ついていけないっす!」
「わたしもだよ。葉月さんがあんなに感情的に怒るなんて、旦那さんの隼人さんだけだと思っていたのに……。ううん、隼人さんに怒る以上の怒り方だった」
 まさか仕事場の部下に対してあんなに憤るなんて、初めてだと心優も思う。
 しかしもう彼女の姿は通路にも階段にもない。さて、どこにいった?
「グラウンドかな、それとも陸部訓練棟の自販機? ……中庭で花を見ているかも」
 いままでボスが密かに心優をサボタージュに連れていってくれた場所を思い出して――。
 かわいい桃色の百日紅が咲いている中庭にはいなかった。陸部訓練棟は遠い。そこまで行って見つからなかったら……、とてつもないタイムロス。まだ飛び出して間もない。まだそこまで辿り着いていないはず。
 とにかくそっちへ走っているうちに背中を見つけることができるかも。
「吉岡君、こっち行こう」
 光太と一緒に早足で追いかける。
「心優さん、切り札ってなんですか。あんなに怒るだなんて」
「わからない。艦長だけの特権だと言っていたから、本当に緊急の時にしか使えないなにかがあるんじゃない」
「真っ黒なと言っていましたね。そんな切り札使えなんて、准将に甲板に来て欲しい煽りにしては、ソニックもちょっと大袈裟な気もします」
 吉岡光太は『俺、まだなにもわかりません』という顔をして、実はその核を一目見たその時にしっかり掴んでいることがある。心優はそう感じることが多くなった。
 そんな後輩だからこそ、心優はだんだん頼りにしてきているし、毎日一緒にいる安心感を得るようになってきていた。
 それにしても。いまの大佐殿、凄かった! アイスドールをあんなに怒らせるだなんて! そこで心優はハッと思い出す。
「そうか。あれがアイスドール崩し!」
 アイスドールの仮面を剥いでやる。雅臣がそう決意していたこと。『俺は酷い部下になる』とも言っていた。まさにその通りだった。
 でも、臣さんも、御園准将もなにを考えているのだろう? しかもこんな喧嘩をして、険悪にならないといいなあ。そこは心優もちょっと心配。

「心優さん、あれ」
 心優と光太が急いでいた通路突き当たり、そのドアを開ければ外の渡り廊下に出るというそこに、ミセス准将の背中を見つけた。
 やっぱり陸部訓練棟まで行って、道場横にある自販機にあるお気に入りのレモネードを買って、芝土手があるグラウンドに行くんだ! 彼女のお気に入りのコース。
 秘密の場所のようで誰もが知っている御園准将がふらっとやってくる休息の場所。
「あれが噂の、芝土手とレモネードへの道ですか」
 光太にも話してあったので気がついたようだった。
 そこで心優は歩く足の速度を落とす。
「吉岡君、気がつかれないように行くよ。いまはわたし達とも一緒にいたくないんだよ。一緒にいて欲しい時は『後を追えるスピード』で追いつくように遅く歩いて待っていてくれているのに、今日はもうあんなところ」
「わかりました」
「大佐嬢に昇進する時に、テロリストをやっつけたことがある人だからね。気配に敏感だし、耳も良いから、気取られないよう、そっと静かに付かず離れず行くよ」
「イエス、マム!」
 二人で息を潜め、見失わないよう……。静かに静かに後を追った。
 高官棟を出て、四中隊五中隊棟を通り過ぎていく。そうそう、こうやって全ての建物を通って、いちばん奥にある訓練棟に行くんだから。
 そう思っていたのに。あるところで、御園准将がひょいっと外に出てしまう。陸部訓練棟まではまだだった。
 でも心優と光太は顔を見合わせる。無言だったが、ボスがどうしてそこへ向かっていたのか『にわかに信じられず』ともわかってしまったから。
 外に出てしまった彼女が向かったのは、シミュレーションの『チェンジ』がある建物。教育隊と呼ばれる工学科が所属している六中隊棟の外だった。
 渡り廊下を歩く御園准将があたりを見渡す。誰もいないとわかってか、そのまま建物の横、誰にもわからないような影に隠れてしまった。
『まかさ……、あの准将がそんな、あんなところに隠れるなんて』
『でも、きっとそうだよ』
 二人はその建物が見える通路窓から姿が見えないようちょこっとだけ額と目だけが出るぐらいに留めて、ミセス准将の行動を見守る。
 心優は腕時計を見る。たぶん、そろそろ? もう少しあと? その予測する定刻にミセス准将が望むことが起きるとは限らない。
「心優さん、来ましたよ」
 窓辺で一緒に外を見守っていた心優は光太が指さした先を見て、慌てて近くにある自販機の陰に隠れる。光太もきちんとわかってくれて、彼はひとまずそばにあった休憩ブースに隠れる。
 光太が見つけたのは、『御園大佐』。黒髪眼鏡の工学科科長がずっと向こうに現れたのだ。
 彼も、ミセス准将が出て行ったドアを開け、外の渡り廊下を辿っていく。そこで心優と光太は今度はチェンジ室へ向かうドアまで駆けていく。そのドアをそっと開けて覗いてみれば……。
 御園大佐がチェンジ室の自動ドア前に立ったその時。
「隼人さん」
 建物の影に隠れていた御園准将が静かに出てきた。
「葉月、どうした。そんなところに大隊長たる准将が……」
 当然、ご主人は大隊長である妻がそんなところにひっそりと身を潜めていたことに驚いたご様子。
「うん、ちょっとね」
「ちょっと、なのか、それ」
 おまえのちょっとはちょっとではないだろうと言いたそうな御園大佐の目。そしてあのミセス准将も照れた顔をして、ちょっとずつご主人がいるところへと近づいていく。
 そんな奥様のやっていることが焦れったかったのか、御園大佐からミセス准将へと歩み寄っていく。
「どうした。ちょっとじゃないだろ」
 御園大佐が厭わず、ミセス准将の腰を男らしい腕で抱き、自分の身体まで力強く抱き寄せてしまった。
「隼人さん……」
 あのミセス准将が真っ赤になったのを見てしまう。
 心優はああいう葉月さんを見たことがあるので落ち着いていられる、でも、横にいる光太は初めて見るボスのかわいい奥さん姿に『うわ〜』と耳まで真っ赤にして目を覆ってしまった。
 御園大佐はそうして、ミセス准将を奥様にしてしまう。眼鏡の奥の目を優しく崩し、さらに奥様と密着するように抱き寄せ、チェンジ室へと連れ去るように歩き出す。
「ひさしぶりに、チェンジに乗ってみるか」
「いいの?」
 恋人同士のようにぴったりとくっついて、お互いの目線を絡ませて。御園大佐の腕は奥様の腰のくびれをしっかり抱き寄せて――。
「データー残さないようにしてやる。俺もひさしぶりに、おまえの後部座席に乗っちゃおうかな」
「十分ぐらいで気分が悪くなっちゃうくせに」
「ほんとに俺、パイロットの素質なかったんだな。がっかりするけど、葉月が疑似でも空に連れていってくれる瞬間が好きだな」
 そんな会話をしつつ、二人の目と目がじっと見つめ合っている。下から夫を見つめる葉月さんと、じっとすぐ下に見える奥様の目を見つめる隼人さん。ふたりの鼻先が触れ合いそうなほど顔を近づけて、もうキスしちゃうのかも――!? 心優はついドアの隙間を狭めて遠慮する。
 次にドアの隙間を広くした時は、もうチェンジ室の自動ドアは閉まってしまい二人の姿はなかった。
「うわー、もう俺、ダメだ、ダメダメ! あんなミセス准将見なかったことにする!」
 光太が真っ赤になって悶えまくっているので、心優は苦笑いを浮かべてしまう。
「艦に乗ったら、けっこう目の当たりにするかも。見て見ぬふりするの頑張ろうね」
「あんなにラブラブ夫妻だなんて知らなかったーー。もっともっとお互いにクールにやりとりする軍人夫妻だと思っていたのにっ」
「そうかな、結婚しているんだから、そんなもんだよ。ふたりきりの時にクールなわけないでしょ」
「くっそ、カノジョが欲しくなってきた、うわーーー」
 純朴な後輩には、刺激が強かったようだった。
「これで大丈夫そうだね」
 限られた者しか入れいないチェンジ室だから邪魔も入らないだろう。あのミセス准将が素直にご主人に仕事の相談をするとは思えないけれど。それでもご主人を頼った。本題を切り出せなくても、きっと隼人さんも察して癒してくれるだろうと心優は安堵する。
「ひとまず秘書室に報告に行こうか」
「はーい」
 その帰り道、心優は改めて雅臣の本気を思う。
 ミセス准将を追い込んで、旦那様のところに逃げ込むほどに追い込んで――。
 もしかして、臣さん? 今度は艦から葉月さんを追い出そうとしている?
 ふとそう思い至ってしまった。

 

 

 

 

Update/2017.1.31
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