◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

TOP BACK NEXT

 9. マッドネスを爆撃せよ

 

 いらっしゃい、吉岡君。
 よく来たな、吉岡。あがれよ。
 週末土曜の夜、光太が官舎に住まう城戸夫妻の自宅を訪ねてくる。
 静かな週末の夜。ひっそりと『その話』が受け継がれていく。
 『御園家のタブー』は話題にしてはいけない。被害者も加害者も上層部に関わる若い隊員であって、そこで多数の死者がでてしまったから。
 そこに大人達の事情に巻き込まれた、子供の御園准将がいた。
 事件の根は深く、怨恨が消え失せるまで十数年。始まりも終わりも、そこに御園姉妹の悲劇があった――。
 初めて……、心優がそれを後輩に受け継ぐ。新婚の自宅、リビングで。雅臣が明るく迎え入れ、彼ご自慢の『男カレー』をご馳走して、ひとまず楽しい会話をしてその食後……。心優が淹れた珈琲を前に、心優が語る。
 心優に受け継いでくれた雅臣、城戸大佐は、そうして受け継ぐ心優が慎重に言葉を選び淡々と語る様子を見守ってくれる。言葉に詰まったら、大佐殿が代わりに捕捉してくれた。
 当然……。心優同様『噂も聞かない世代』である光太の顔から血の気が失せていく。
 最後には聞くのが苦しそうにうつむいていた。
 これで吉岡光太も御園のタブーを知った一人となる。
 この話をしたので、心優は基地の秘書室ではおおっぴらに話せないことを、次々と教えた。
 艦に乗ったら艦長は数日は眠らない可能性がある。PTSDの症状を発症することもある。医師から問題ないと診断は受けているが、立場上、派閥の摩擦から公表はしていない。艦長業務にリスクがあると知られないよう厳守すること。
 そして、艦長はもう艦を降りる心積もりであって、周りの大佐や准将に司令、連隊長はみなご存じで密かに協力してくれているが、御園大佐だけ知らないということ――。
 光太が『え、ご夫妻なのに?』と驚いたが、心優は『ご夫妻だからだよ』と答える。御園葉月という准将にいつまでも前に突き進んで欲しいと願って、誰よりもサポートしてくれ、期待を抱いているのが御園大佐だからこそ――と。光太も納得してくれた。
 ただ心優は違うと思っている。葉月さんが艦を降りると決意した時は、突然すぎて言えなかったのかもしれない。でも、いまは御園大佐も聞き入れられる体勢になっている気がする。前回の空母巡回任務で辛そうに任務を遂行する奥様を目の当たりにして、あんなに哀しそうに辛そうに一人で夜明けを迎えていたあの男の寂しい姿を心優は知っているから。
 でも。奥様の葉月さんは、そんな旦那様を知らない。そして心優から軽々しく伝えられない。

 聞くのに全神経を使い果たしたとばかりに、すっきりしない表情の光太が帰るため、玄関先で心優と雅臣は一緒に見送った。
「じゃあ、明日は日曜で休日出勤だけれど忘れないでね」
 空海との緊急訓練をしているため、土曜日は中休みとして空海も雷神も休息日として休みになるが、日曜は続けて訓練をする予定で心優も光太も、そして雅臣も出勤予定だった。
「イエス、マム。でも……准将は明日も空母へ行かないかもしれないですね」
 空海の日程は訓練実質予定日はあと三日。初日も翌日も御園准将は空母へと監督へ行くことはなかった。それについて、いまは高須賀准将も大佐達もなにもいわない。それは雅臣も同様に。
 空母で訓練があるから日曜出勤。でも御園准将が空母へ行かなければ、結局は心優も光太も准将室でお仕事のお手伝いをするだけの出勤になりそうだった。
 そこで雅臣がふと呟く。
「放っておいたらいい。あの人にはあの人の考えがあるんだろう」
「でも、その、この前の――」
 光太が言いにくそうに、でも聞きたそうにしている。雅臣も察した。
「ああ、俺が切り札用意しておけと生意気叩いて、葉月さんをめちゃくちゃ怒らせたこと?」
「大丈夫なんですか……」
「大丈夫だって。黙ってみていたらいい。そろそろあの人も気がついてくれそうだからさ」
 うわー、臣さんがほんとうに『生意気なお猿』に見えてきた。なのに『あの人が気がつかないことを俺、いまやっているんだ。そろそろ気がつくでしょ』なんて、ミセス准将を捕まえてこの上から目線ぽい発言。ほんと夫とボスの間に挟まれる心優としてはハラハラしてしまう!
「それよりさ、これ、吉岡にあげるよ」
 雅臣の手に、細長く丸めたポスターが。それを雅臣がお土産だと差し出した。
「さっき和室で見せた、広報のポスターな」
 コックピットにいる雅臣を採用したスワロー時代の広報ポスター。いまは和室に貼ってある。
「え! あのかっこいいポスター。いえいえ、滅相もない! あんな大事にしていらっしゃるんですから大佐の手元に是非!」
「いや、これ予備だから。いくつかもらったんだよ。で、サインしておいたから」
「えーーーー!!! まっじっすか」
 素で驚いた光太だったが、心優には気兼ねなくても、大佐殿に憧れのソニックにいつもの軽い言葉遣いをしてしまい、急にはっと我に返った顔に。
「あはは、いいっていいって。俺、いま大佐じゃなくて、心優の夫な。売られていないDVDも持っているから、今度また見に来いよ」
「わーー、嬉しいっす! 絶対に来ます!! 男カレーうまかったです!」
 心優に会いに来るよりも、雅臣目当てで来そうだなと心優は苦笑い。
「おじゃましました! これ、俺の一生の宝物にします、家宝にします!」
 暗い顔で帰ろうとしていたのに、元気いっぱい敬礼をして、官舎をでていった。
 心優もほっとする。
「臣さん、フォローいっぱいありがとう」
 上手く伝えられなかった時の捕捉に、最後に元気いっぱいになれるようソニックからのプレゼントの準備。
「まあな。伝えることが確実に重たい話だとわかっているから。気が重いばかりの週末が半減されたらと思ってさ」
「助かりました、大佐」
「だから。週末は大佐はナシだって」
 玄関の上がり口で、雅臣に抱きつかれる。
「こっちも気分切り替えよう。一緒に風呂はいろ、な」
 頼もしい大佐殿から一気にお気楽なお猿さんになった雅臣に、耳元にちゅっとキスをされる。
「もう〜、だめだよ。片づけがあるし」
「そんなの明日でいいだろ、明日で。俺もさ、これでもストレスたまってんの」
 光太が来るのでちょっとお洒落で着たワンピースの裾をめくられてしまう。その手がもう心優のまるいお尻を撫でているし!
「たまってるって。臣さんが葉月さんをわざと怒らせたんでしょう」
「怒らせる、のにエネルギーがいるんだよ。心優のお父さんと一緒で、ヒール役は倍の気力がいるんだって」
 おしり触りながら、お父さんの話しないでよ――と、心優はいまはその腕から逃れようよした。でも、元パイロットお猿の逞しい腕には敵わず、心優はすぐそこの壁にまた押さえつけられる。
 今日は後ろ向きで押さえつけられた。つまりお猿さんが後ろにいる状態、心優を押さえつけて、するっと黒いワンピースの裾をたくし上げおしりを丸出しにされてしまう。
 もう、お猿さんったら、本気!? ベッドでゆっくりがいいのに。ときたまこんなふうに襲われる、それはやっぱり週末の夜だったり休日だったり。
「だめだよ、臣さん。ここでこんなことしたって、ベッドに行かなくちゃ、結局途中で……」
 いまはこれからの任務着任のために、子供が出来ないようにしているのに。ここで盛り上がっても、きちんとできないようにするための『アレ』がないと……。
 だけれど、肩越しに振り返ると、にんまり得意げなお猿の笑顔。
「そう思って。そうだ、ポケットに入れておけばいいんだと思いついたんだ」
 本当にデニムパンツのポケットから、丸いパックが出てきたので心優はギョッとする。
「そ、そんなもん、ポケットに入れているの?」
 うん、いつも。と、雅臣が真顔で頷いた。
「やだっ。吉岡君が来ていたのに??」
 うっかり落としたりしたどうしたのと、雅臣に後ろから抱きつかれていても心優は抗議。
「来ていても来ていなくても、常備だし」
 ちょっと前からいつだってその気だったと真剣な雅臣が、いつまでもその気にならない心優に業を煮やし、ついに丸出しにされたお尻から、ショーツをするっと脱がしてしまう。
「もう、もうっ、お、臣さんったら」
 でももう彼が優しく心優の耳たぶを唇で撫でると、甘噛みをしてくる。それだけで、心優は『あん』と力が抜けてしまう。
「やっと大人しくなった」
 黒いワンピースの背中、ジッパーを降ろす音……。ワンピースの背中が開けられ、するっと肩を滑らせ脱がされる。腰にワンピースの身頃が止まっている状態、裾はお尻までめくられている状態。バストのランジェリーもついに外されて、壁に手をついてうつむいている心優の乳房は、下向きに重々しく揺れて露わになる。それも、背中から回ってきた雅臣の大きな手が包んで柔らかく揉んだ。
 淫らに中途半端に脱がされた姿で、雅臣が心優の背中にキスをする。時々、舌先で下へとなぞられると、心優はビクッとして背を反ってしまう。そうするとお尻がいやらしく雅臣を求めるようにつきだしてしまう
「すべすべしていつも気持ちいいな、心優のおしり」
 さわさわと撫でられてそれだけで、心優の身体が勝手によがってしまう。
「ほら、俺の。な、こんなになっているだろ……」
 後ろに彼がいるのでそう言われてもわからないけれど、デニムパンツのボタンを開けジッパーを降ろした気配、そして心優のおしりに熱いものが押しつけられる。硬くて熱い、そして皮膚の柔らかい感触が押しつけられている。
 もうすっかりお猿モードになっているという雅臣の訴え。
「だから、ここでは……、い、いや……」
 でも雅臣は許してくれない。お猿になったらもう一直線。彼の手が忙しく男の準備を済ませたのが、後ろにいてもわかる。
「俺だけこんなになっているのは不公平だよな。ちゃんと心優も俺みたいにならないと」
 今度はおまえがいつものかわいい猫か、夫みたいな淫らなメス猿にならないとばかりに、準備を終えた男の塊を後ろから押しつけられる。
「や、まだ、だめっ」
 男の熱い尖端でなんども撫でまわされる。まだ入っていかない打ち込まれない、そこが熱くもどかしく疼いてくる。
 お猿の尖端で弄ばれるのはもう慣れてしまったからこそ、すぐに女の身体の奥から染み出てくるのがわかってしまう。
「ほら、……心優も……、大丈夫だ……」
 後ろから心優をその男らしい胸にぐっと抱き込んで、ついに夫の大きな塊が心優の熱く濡れたそこにあてがわれる。でも、まだそこで焦らしてる。
「あ……、臣さん……」
 心優の声もしっとり儚い息だけの、濡れた声に。力が抜けてもう声がかすれてしまう。
 後ろから抱きしめてくれた雅臣がそんな心優の声に嬉しそうにして、心優の顎を掴んで後ろにいる自分へと妻の顔をむけて覗き込む。
「いつもさ、園田中尉は、あまり笑わなくて生真面目で……」
 顎を掴まれている心優の頬に、雅臣の熱い頬がくっつく。彼の熱く囁く息、それだけで心優はもう気が遠くなりそう。
「護衛官だからピリッと警戒した猫の目になっていて……」
 囁きながら、雅臣の片腕はしっかりと心優を後ろか抱き込み……、
「でもベビーフェイス。笑うと一気にかわいくなるだろ。俺、その瞬間、すげえたまらなくなってる」
「そ、そんな顔、し、してないよ」
 そしてもう片腕は、心優のお尻の下で蠢いている。準備が整っているからもうお猿も迷わない。熱い尖端がゆっくりとはいってきそう……。
「してるって。男達がその瞬間、みんな『かわいい顔してる』って目になっている」
「そんな、わけ、ないじゃん……、わたし、ボサ……」
「まだわかってない」
 お猿の目が、一瞬だけ、大佐殿になった。
 空と海を護る男の眼。なのに、そこで心優の身体の中に、ぐっと熱くて重々しい塊が押し込まれる。
 そこで雅臣は心優を抱きしめていた腕をとき、心優の両手を壁について、心優の両手を握りしめるようにして自分も壁に両手をついた。
 彼の両手に力がこもる、腕もつっぱって力を入れる合図。心優の手もぎゅっと握りしめて!
「あっ、や、ああっ、あん、あんあん、」
 下から上へ突きあげられるようにしてぐいぐいとお猿が入ってくる。
「心優、こっち向けよ」
 大佐の声で、まるで命令されるように……。後ろから突きあげられながら、心優は息を切らして肩越しに力無く振り返る。
「そう、その目とその顔は、俺だけの、心優だ」
 きっと呆けたとろけた、口元もだらしがなく喘いでいる顔になっているはず……。
 頬が熱くて、このまま力を抜いて、ここがベッドなら柔らかくてシャボンの匂いがするシーツに力尽きていくらでも乱れることができるのに。ここでは力が抜けない……。
 そうして必死に立って、お猿の責めに耐えている後ろ姿、腰にだけ黒いワンピースをまとって、裾をめくりあげられた丸いおしりは堪えきれずに動いちゃうし、露わにされた乳房も淫らに揺れている。そして堪えきれない熱い吐息も絶え間なく……。
「猫の護衛官でもなくて、気を抜いたベビーフェイスでもなくて……」
 雅臣の息も切れている、でも、力強い腰の律動はやまない。
「そう、俺は、俺は……、ブラックオパールの妻を、こうして、こうして……」
 ああ、もうお猿さんも夢中になって朦朧としている?
 肩越しから見える行為に夢中な大佐殿を見て、心優は思う。
 やっぱり、彼も、ストレス溜めているのかな。大佐殿の駆け引きは、最前線を担うためのメンタル的な駆け引き。いままで助けてくれていた先輩達の後ろを歩いていた中佐でも大佐でもない。彼はやがて艦長になる男。それを自覚しはじめた男。
 だから……。いまもしかすると彼こそ孤独なのかも?
「臣さん、もっと」
「心優……」
 もっと一緒になろう? わたし、あなたのそばにいる。そういうつもりの『もっと欲しい』だった。
「心優、俺、おまえさえいれば……」
 いまはまだ……。心優の身体の中に注がれる熱いものは、雅臣側にある。いつかわたしの身体の奥に残される、そんな愛し方はまだお預けだけれど。でも、終わったら、これが終わったら、春にはもう遠慮いらなくなったら……。
 その時にはもっともっと深く熱く愛しあえているはず。これからもっともっと、この人と狂うほど愛しあうの。お猿さんと猫のわたし。

 

 週末のちょっと思い切った睦み合いも新婚だからこそ。
「もう〜、ワンピース、汚れちゃった」
 どっちのかわからない濡れ染みがついてしまった。心優はそれを洗濯機のかごにひとまず放って、そのままバスルームに入る。
 湯気でしっとり温まっている浴槽にはもう雅臣が入っていた。
「狭いよね、官舎の湯船」
「狭いな、でも来いよ」
 そんながたいのいい元パイロットさんがきゅうきゅうに入っているところに、大型女の心優が入れるわけがない。でも入る。
 雅臣が湯船に浸かって、心優は足湯にして湯船の縁にすわった。ゆったり堂々と男の裸でくつろいでいる雅臣を見下ろす。
「ねえ、ひとりで葉月さんに立ち向かっていて平気なの。臣さん……」
「え?」
 心優もしっとりしてしまった裸のまま、でも真剣に彼をみつめて問う。
 お互いに裸だけれど、もうお猿さんとお猿の妻ではない。でも大佐殿と中尉でもない。ほんとうに心優と雅臣という夫妻の空気になっている。
「平気だよ。あの人にはどんどん俺の前を走って欲しいんだ。はやくアグレッサー作れよと思っている。今回の西方の思い切った攻撃を受けて、本当に身に沁みたと思う。橘大佐も高須賀准将も。もっといえば、わざわざフロリダから隠密的に来てくれた大将もじゃないかな。フランク大将が駆けつけなくてもいいようにするには、日本側でもアグレッサーを常備しておくべきと。いままでこの連合軍は日本主体ではなく、組織的にも大きな米軍にリードしてきてもらってきた。訓練の相手に、訓練のやり方も、主力はすべてアメリカ本土。欲しいなら貸してやるというスタンスだった。こちら側で担うなら、自分のそばにある飛行隊で担ってきた。それがいままでの横須賀と小笠原にある連合軍での立場だった」
 裸だけれど、やっぱりそういう話をする雅臣は大佐殿だった。心優も湿気てきた前髪が邪魔になってきて、すっと指で横流しにしながら額の汗も拭う。
「だから、葉月さんが作ろうとしているんだよね」
「あの人がそういう力をいまになって備えられたんだと思う。この小笠原という基地を開発してきた一人だ。そしてフランク大将の置きみやげ。アメリカと日本を繋ぐことができた帰国子女。やっと育って日本のために動けるようになったんだと思う。だから……」
「だから……?」
「さっさと行って欲しいんだよ。いつか俺もそこに行きたいから。もう貴女のやることこれぐらいしかないですよ。そう思わせたかった」
 でもそういう雅臣は少しばかり寂しそうで、とても申し訳ない哀しい眼差しになる。ほんとうはやっと戻ってこられた憧れの上官。もっと一緒に艦に乗って、もっといろいろ教えて欲しいに違いなかった。
 だけれど雅臣もその甘えを捨て、まだどこか決意も曖昧な葉月さんにどんどんその決意の最終ラインへと動かそうとしているのかもしれない。
「すごい怒っていたね。隼人さんにもあんな怒り方しないよ」
「うん。俺が……、事故に遭って空母に行けなくなって『横須賀に帰りなさい』と言われて、上官に言ってはいけないような文句を言い散らしてぶち切れた時でさえも、あの人はアイスドールの冷めた目で平然としていたのにな」
 おおらかな雅臣がたまらず上官に怒り狂った話もその言葉も聞きたくない。でも聞かなくても、葉月さんのアイスドールの顔だけはすぐに浮かんでしまう。
 柔らかな茶色の目をしているのに温度がないガラス玉のような質感の、本当にドールに填め込んだようなあの眼で。頬に赤みもなく、薄い色彩の唇。たまに男性達は『横顔が男に見える時がある』ということがある。牛若丸のような美麗な青年に見えるという人もいる。
「俺に指揮を委ねようと一歩引いて、空母に来なかったんだと思う。あるいは『口出ししたくなるからやめておこう』かな」
「そう言えば、臣さんが空海が来たら『こういう指揮をする』と話してた後、しっくりしないご様子だったもんね」
「それを心優から聞いていたからさ、俺も気がつくことができた。俺が英太に教えたいことと、あの人が英太をこのように動かしたいというのが、今回は一致していないと心優から知ったから。だから『あ、文句を言いたくなるから来なかったんだ』と、俺だけはそう理解することができた」
 きっと准将にも迷いがあるのだと思う。『今日は行かない』と決めた後、『一人になりたい』と言いだした。あの一人の時間になにを思っていたのだろう? 『雅臣の指揮をやめさせたい。英太にはこう飛んで欲しい。でも首を突っ込むべきではない。彼を後継者と決め、副艦長という指令をだしたからには……』、そんな部下にすべてを譲る時の上官の葛藤なのかもしれない。
「最前線で接戦が勃発するような任務の指揮は自分がやりたい――それが葉月さんの本音。でも英太が『俺』を『城戸大佐の指揮を望む』と告げた以上、英太がその飛行を託してくれたのはミセスじゃないソニック。頭では『いまこそ離れる時、ケジメの時』とわかっていても、心では『もっと指揮をしたかった』と思っているんだろうな」
 そこで心優はハッとする。そんな『指揮をしたかった』と未練を持っている御園准将に、雅臣は『貴女はもう指揮者として望まれていない。後は切り札だけお願いします。こればっかりは艦長でなくてはできないお仕事ですから』――。雅臣がそう突きつけたということになる。
 あの時はよくわからなかったけれど、こうして夫の大佐殿のあの時の気持ちを聞いてようやっと理解……、じゃなくて心優は青ざめて叫んだ。
「えーーっ! それって葉月さんに対して『もう貴女の仕事はありませんよ、諦めてください』という当てつけじゃない! ひ、酷いっ臣さんったら!!」
 そりゃ葉月さんも怒るわ!!  おもいっきりあの人のお怒りスイッチにダイレクトに触れたんだわと心優は愕然とする。
 なんて酷いアイスドール崩し!
「ど、ど、どういうつもりなのよ! 臣さんったら」
「だから俺、言っただろう。酷い部下になるって」
「どうしてアイスドール崩しが必要なの!? あそこまでしなくったって、これで本当に臣さんと葉月さんの関係にヒビが入ったら、わたし間に挟まれてやっていけないよ!?」
「コックピットと同じだからだ」
 ピシッと言い切った雅臣のひと言で、心優は心のざわつきをひとまず鎮める。
「コックピットと同じ?」
「表面取り繕ってかっこよく艦を降りようとしているようだけれど。俺はしがみつきたいなら最後まできっちりしがみついてから、未練残さずに陸に帰ってほしいと思っている」
 やはり、艦からも気持ちよく出て行ってもらう準備を雅臣も始めたのだと知る。
「艦長の花道だね」
「俺だって寂しいよ。もっと一緒に海でいろいろ教えて欲しかったけれど。辛そうだったもんな。揺れていると思うよ、あと一回乗れるかも、まだ一年いられるかも。艦に乗れば『もう次でやめよう。なにかが起きる前に』と繰り返してきたんだと思う……」
 雅臣も残念そうに眼差しを伏せ、湯の水面を見つめている。
「ねえ、臣さん。あとひとつ。高須賀准将も怒るような『切り札』ってなに? 真っ黒い切り札なんて怖いよ。葉月さんに聞いても『心優には関係ない』ていつもより冷たく切られちゃって……」
「艦長の胸に秘めたるものだからだ。決してちらつかせるものではないから……」
「臣さんはもう切り札がなにかわかっているんだね。艦長候補にもなると、もうわかっちゃうんだね」
「そうだなあ。悪魔の呪文みたいなもんだよ。俺もいつかは胸に秘めないといけないもの」
 臣さんもいつかは、真っ黒な? なんだかそんことがあり得そうで心優は急に怖くなる。
「大丈夫だって」
 不安そうな心優の手を、雅臣が濡れた手でぎゅっと握る。そして『こっちにおいで』と手を静かに引かれた。
 心優もそのまま、狭い浴槽だから湯の中には入れないけれど、そのまま上から雅臣の首に抱きついた。
 汗と湯と湿気に濡れたお互いの肌がくっつきあう。熱くて彼の匂いがいつもより強く立ちこめている。その匂いを吸い込みながら、心優は雅臣の顔を見下ろして、湿った彼の黒い前髪をかき上げる。
 心優はきっととてつもなく不安そうな顔で夫の彼を見下ろしているんだと思う。だからなのか、旦那さんの雅臣は優しくにっこりといつもの愛嬌で笑ってくれる。
「心優、いいか。もう切り札のことは気にするな。そんなもん使うことないよ。俺も葉月さんに使ってもらうつもりはない」
 準備をして欲しいと願い出た雅臣が『使わせない』と言ってくれて、それだけで心優はほっとした。
「護衛官だから彼女を護るためにどのようなものか知りたいかもしれないけれど、心優ではどうにもならないものなんだ。だからそのことは彼女に任せて、心優は葉月さんを護ることだけ考えるんだ、遂行するんだ」
 今度は雅臣が心優の湿った黒髪を撫でてくれる。そしてそのまま自分より小さな妻の頭を抱き寄せてくれる。
「うん、わかったよ。大佐殿」
「だから、ここではそれはナシだって言っているだろ」
 でも。まだ若い中尉の妻を安心させようとする大佐殿の頼もしい声だった。
 そのまま心優もぎゅっと雅臣に抱きつく。
 すぐ目の前に彼のシャーマナイトの目。それをじっと見つめて、心優からキスをした。
 バスルームでくつろぐ男の裸に、湿った皮膚に、彼の汗の匂い。彼も心優の柔らかくなった肌を乳房に触れながら、深く奥まで貪る濃厚なキスで愛してくれる。
 週末はいつまでもとりとめなくて。またベッドルームでいつまでも抱き合って愛しあうと思う。
 あと少しでこんな生活としばらくお別れになっちゃうから。
「今度のお風呂は広いんだよね」
「もちろん。俺も心優も一緒に入れるものをオーダーしたしな」
 そして雅臣がいつになく嬉しそうにしあわせそうに笑って言った。
「子供達もいっぱい入れそうだった」
 彼もそんな夢を、航海の向こうで楽しみにしていることがわかって、心優も嬉しくなってまた抱きついてしまった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 甘くて気怠くなってしまう休暇はお終い。
 また今日から気を引き締めて、最前線へ向かう気構えを整えなくてはならない。
 もう出航は目の前――。

「では、行ってくるよ」
「お気をつけて」
 日曜日の御園准将室。高須賀准将が紺色の指揮官服姿で訓練に出掛けていく。
 今日も御園准将は制服姿のまま、デスクから動こうとしない。そのまま高須賀准将を見送ってしまった。
 日曜の基地はいつもより静かで、開け放している窓からいつもより波の音がする。
 天気も良く、訓練には最適。でも准将室は静か。
「光太、準備してくれる」
「イエス、マム」
 高須賀准将が出て行って十五分ほど。見計らったようにして、准将が机の上に広げていた各書類を片づけ始める。
 そして光太が準備するのはノートパソコンやら、様々なデジタルデーター。
 准将の目の前にセッティングをする。
「金曜に行われた空海と雷神のコンバットです。最初から見られますよね。そちらのデスクトップでも閲覧できます。ヘッドホンもつけますね」
「ヘッドホンはいらない。音声、出してもかまわない?」
「よろしいですよ。飛行機の音に無線音声を聞くのも大好きですから」
「光太も見るなら、私の横に椅子を持ってきなさい」
 いつもなら『はい、嬉しいっす』と元気ハツラツ喜ぶ光太だったが、今日は静かに『はい、お願いします』と大人の顔になっている。
 ああ、もう。いつも通りのかわいい男の子で和ませて欲しいなあと心優は眉をひそめる。昨夜、官舎で聞いた御園准将の境遇を意識しすぎているのがありありと出ている。
 それでも、御園准将は意に介さず。彼女の意識は『行きたいけれど、目の前で見たかったけれど、見られなかった訓練』の映像へとまっしぐら。
 その手がマウスをクリックする。
 鈴木少佐のバレットとスプリンターのコックピットから撮影したもの。そしていつもブリッジの指揮カウンターで雅臣や橘大佐、そして御園准将が見守っているコックピットの現状が見える画像もワイプ形式で同時閲覧。
 こうして御園准将は空母訓練に行かなくなってからは、上がってきた映像とデーターで訓練を把握している。今回の空海との合同訓練もいつもと同じスタンスを崩さないつもりのようだった。
 心優も一緒に見させてもらう。光太の隣に座って。でも本当はパイロット達がなにを考えてどうしてそんな飛び方をしているのか高度を選んでいるのか、ロックオンの判断をしたのかもわからない。ただ戦闘機が高速で飛び交っていつのまにか、鈴木少佐やクライトン少佐が設定されたラインを越えてしまい『侵犯判定』されてコンバットが振り出しに戻るというのが何十回も繰り返されている。
「厳しいっすね。あっちはぐいぐい領空を蹴破ってくるのに、こっちは押すこともできずだなんて」
 光太も悔しそう。御園准将も溜め息をついた。
「そして、雅臣がつくった逃げ道しか逃げられないように仕向けられ、まんまと高度もコースも用意されたラインで撤退するしかなくなっている」
 御園准将も光太を相手に、呟くようになっていた。こういうところ、航空素人の心優よりかは航空マニアの光太の方が良き話し相手になってきている。
「こんなこと。私が一番最初にバレットに叩き込んだこと。こんな逃げる訓練ばかりさせてどうしようと言うのかしらね、ソニックは……」
 『艦に乗るまで、一度も防衛成功をさせない』と指揮の方針を言いきっていた雅臣はいま、アグレッサーを担う空海側で高須賀准将と指揮をしていると心優は聞いている。雷神とバレットとスプリンターの指揮はいまは橘大佐が。
 そんな二日目の訓練を眺め、御園准将はやはり納得できない腑に落ちないといいたげな顔で溜め息ばかりついている。
「悪ガキでコントロールができなくて、とにかく暴れたくて勝ちたくてどんなやつも俺が叩きつぶすと血の気だけ多い英太が小笠原に来た時に『追いつめられて逃げることは悪いことではない、大事なこと』と一番最初に叩き込んだのよ。逃げることを受け入れられない英太には苦痛だった。でもいまはそれも大事なことと胸に刻んで、冷静にその選択も選んでくれるようになったわ。でもそれも英太にとっては『最悪、最終の手段』。基本的には押して勝ってこそエースという自負があるわけ」
「いまになって『逃げの大切さ』を城戸大佐が初心にかえって思い出させているということはないのですか」
 光太がなかなかの切り返しをするので、御園准将もちょっと驚いたのか目を瞠り、でも急に嬉しそうに微笑んだ。良い話し相手が見つかったとばかりに。やはり光太にはそういう和ませる力がある。
「どうなのかしらね。ソニックにもまだ考えがあるのかも。だから、黙ってみているのよ」
「どうなるのでしょうね」
「今日からそのソニックが空海と一緒の指揮を離れ、バレットとスプリンターの側につくらしいのよ。二機をこてんぱんにやっつけておいて、どう立ち上がらせるのか」
「今日のデーター次第ですね。あ、准将、お紅茶いれましょうか」
「いいわね。レモンティーでお願いしようかしら」
 なかなか気が利いて、御園准将もリラックスムードで厳しい訓練のデーターを眺めることができたようだった。
 光太がレモンティーを煎れる手伝いを、心優もする。
 冷蔵庫からレモンのスライスを準備して持ってきた心優は、准将室のティーワゴンで紅茶を煎れている光太の隣にそっと並ぶ。
「吉岡君、いいかんじだね。安心した。見て、准将の表情が朝より柔らかくなってる」
「なるべくリラックスしてもらえるよう、俺、頑張ります」
 精神もサポートする。その大切さを昨夜、心に決めてきてくれたのかもしれない。
 レモンティーが出来上がったティーカップを、光太自身が准将デスクへと持っていく。
 心優も自分のデスクへ戻って、いいつけられたデーター入力の続きをやろうとした。
「准将、レモンティーです」
 光太が御園准将のそばにティーカップを置いた。にっこり微笑んで手に取ってくれるだろう……。その姿を心優も確かめてから雑務をしようとしたのだが。先ほど、光太のおかげで和んでいたはずのその表情がまた険しくなっている。
 マウスをかちかち何度もクリックをして……。
「光太。初日の映像とデーターもお願い」
「はい。いますぐ」
 彼女のガラスの目にはもう空だけになっている。食い入るように既に閲覧済みの映像を何度も何度もプレイバックさせてなにかを探すように確かめるように。もの凄く鬼気迫る眼差し。
「まさか、雅臣――」
 なにかに気がついたようだった。
「本気なの? なんてことを……」
 雅臣が『そのうちに葉月さんも気がつくよ』と余裕で秘めていた『戦法』を、ミセス准将はさっそく見つけてしまったようだった。
「准将、どうかされたのですか。城戸大佐がなにを……」
 心優が声をかけると、珍しく御園准将が『しまった』という顔になった気がした。
「心優、いまの……、知らなかったことにして」
「どういうことですか」
「雅臣がなにをしようとしているか、私が気がつかなかったことにして」
 え、どういうこと? 雅臣は『葉月さんはそのうちに気がつくよ』と構えていたのに、気がついた葉月さんは『気がつかなかったことにして』という。
 しかも心優に『うっかり見られてしまった』と言わんばかりの焦りよう?
「准将、初日コンバットの映像とデーターです。いまクラウドからそちらのPC内に落としますね」
 マシンには強い光太が手際よく準備している間も、准将は落ち着きがなかった。こんな葉月さんも珍しい。
「いま何時」
 彼女が准将室の掛け時計を見上げる。
「まだ、終わらないわね……」
 訓練が終わるまでどれぐらいの時間があるのか、気にしはじめた。
 そんな。まだ高須賀准将を見送ってから一時間も経っていない。
 なのにミセス准将がこんなに落ち着きをなくしている。
 いったい、わたしの夫は、大佐殿は、ソニックは……なにをしようとしているのだろう。心優の心の中の波が高くなる。

 

 日曜出勤ということもあって、准将室には誰も訪ねてこないのでとても静か。
 しかしあれからミセス准将は落ち着かず、時計を見ては訓練映像を何度も眺めるばかりで、いつもの事務作業は放置している状態。
「そろそろね……」
 空母で訓練をしていたパイロット達が、一度、ランチのために陸に帰ってくる頃。
 御園准将が溜め息をつきながら、ご自分のパイロット腕時計を眺め……。
「高須賀さんも気がついたかしら。それとも、明日なのか明後日なのか……わからないわね」
 そんな独り言をミセスが呟いた時。
「ただいま」
 高須賀准将がすっと帰ってきた。
 御園准将も待ちかまえていただけあって、デスクから立ち上がる。
「お帰りなさいませ」
 いかがでしたか――と聞きたそうにして、でも自分から訓練に行かないという威勢をはっているミセス准将からは聞けないのか、あちらからなにか言ってくれるのを待っているよう……。
 高須賀准将の居場所になった単体のソファー、そこで背を向けている彼が突然紺色のキャップを振りかざしたかと思うと『あんの小僧!』と激しく叩きつける険しい姿を見せた。
 心優も察知してしまう。いつも僧侶のような慈悲深い微笑みを見せてくれる高須賀准将の空気ではない。空母の訓練でなにかが起きた!
 らしくない取り乱した高須賀准将はそのまま、ミセス准将のデスクへ一直線。この日も彼女を目の前に、デスクに『バン』と手をついた。
「してやられたよ。雅臣に! あのやろう、横須賀で飛んでいた時もかましてくれたが、またやられた!! わかるか、なあ、この歳になってこんな気持ちになる俺の男の気持ち、女の君にわかるか、なあ!」
 机をバンバン叩きまくる高須賀准将のその怒りは相当なもの、さすがのミセス准将も圧倒されている。
「お、落ち着いてくださいませ、高須賀准将」
 葉月さんの方が狼狽えている。そして高須賀准将はもう歯止めが効かないほど沸騰状態。
「葉月ちゃんのところに帰ってきたから、遠慮なくこうなっているんだよ! 空母からここまで帰ってくるその間ずうっとずうっと腸煮えくりかえっていて、目の前にいる雅臣をひっつかまえて額をかち割ってやりたいほどだったよ!」
 光太がまた目をつむって『ひー、怖ええ。優しい高須賀准将がこんなになるなんて!』状態になっているし、心優も『落ち着きある僧侶のような男性』と思っていたから、あまりの変貌に唖然としている。でも、もしかしてこれが『マッドネス(狂気)』と呼ばれた男の本性? 僧侶の微笑みは狂気を制する仮面? この人に着火するとこんなになるということらしい。
 きっと雅臣はそんなマッドネス先輩の性質を知っているから、それを逆手に取っているように心優には思えてしまう。
 いったい雅臣はどうやってこんなに先輩で上官であった高須賀准将を怒らせたのだろう? 
 アイスドール崩しの次は、まさかの僧侶に爆撃。艦長クラスの上官を次々となぎ倒していく大佐殿の快進撃に、心優は誇らしいやら、恐ろしいやら。大佐の妻の心は忙しいばかり。

 

 

 

 

Update/2017.2.13
TOP BACK NEXT
Copyright (c) 2017 marie morii All rights reserved.