◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 10.白いドレスを着る前に 

 

 空海との緊急合同訓練三日目。雅臣が、大先輩である高須賀准将を憤慨させる。
 高須賀准将の悔しさはまだ収まらない。
「ああ、忘れてしまおうと思っていたのに、嫌なこと思い出した! 俺が現役を引退したのも、ソニックという若僧が追い上げてきたからだってこと!!」
 心優もギョッとしたが、葉月さんまで目を見開いて硬直している。先輩パイロットの引退理由が、ソニックというパイロットの追随の脅威だったという告白。
「あの、引退されたその理由、本当なのですか?」
「言いたくなかった、ここでも」
 やっと高須賀准将がデスクに手をついてうなだれ、怒りを鎮め落ち着いた声。
「雅臣はいい子だよ、ほんとに。陸でも愛嬌があって可愛い部下で後輩だったよ。なのに、空に行くととんでもない才気を発揮する。いつか追い抜かれる、追い抜かれる前にあいつの中で『先輩はマッドネスだった、敵わなかった』と刻んだままにしておきたかった。勝って引退じゃない。負けないうちの引退。同時に『この子がいれば大丈夫だ』と安心して去っていけた」
 男の苦みある過去の決断、その真意に、御園准将も辛そうに表情を歪めた。
「そうですわね。あの子、屈託がなくて真っ直ぐでほんとうに嫌味がなくて。なのに、空になるととんでもない才覚を見せる」
 二人の准将がそれぞれ、お猿さんのことを『才気、才覚』と言わせるほどの……。しかも『マッドネス』と呼ばれていた男の引退理由が、若きソニックの力を恐れてだったなんて。
「今日は空海が逆に雅臣にやられたのですね」
「……やられた。前回まではこっちの味方だったくせに、雷神側に帰った雅臣がバレットとスプリンターを動かし始めた途端に。気がつかなかった」
 いったい。雅臣はどんなことを空海にやったのだろう。心優はそこが気になってしかたがない。
「空海から侵犯するように、仕向けられた――ではありませんか?」
「なんだ、お嬢さん、気がついていたのか」
「今朝、訓練の映像を確認してもしかしてと気がつきました。バレットとスプリンターの『逃げ』が決まりすぎている、まるで用意されているように……」
「そう。雅臣は実験していたんだ。『逃げて誘う』という仕込みを、すでにバレットとスプリンターに指示していた。その上で空海を本気で差し向け、空海がどう反応するのか! こっちに優位なアグレッサーを頼んでおきながら、空海を実験台に使っていたんだよ!」
「まったく。時々、酷く生意気ね。私だけでなく、高須賀さんまでこんな怒らせるなんて」
 落ち着いた高須賀准将が、もういつものスッとした僧侶のたたずまいに戻り、御園准将を真顔で見下ろす。
「どうする、お嬢さん」
「さあ、どうしましょう」
「あいつ、航海に出たら大陸国の飛行隊の意図を無視して『そっちから侵犯してこい』とやるつもりだぞ」
 相手を侵犯に誘う作戦――!? 心優はゾッとする。そんなことをしていいの? させていいの? そんな戦略許されるの?
 雅臣が禁断の戦略を決していると知り、妻として青ざめる。
 御園准将の顔色を心優は窺う。止めて、葉月さん、やめさせてください! 心優の密かなる心の叫び。
「ただ、これって結構、有効だと思うんだよな。大陸国の指揮官が『侵犯してもよし、脅かしてやれ』と指示をしての侵犯は『命令に従った』になるが、こっちが密かに誘っての『罠にはまってうっかり侵犯してしまった』になれば、大陸国のパイロットにとっても指揮官にとっても大失態だ。何度も誘われて失態を招けば向こうも恐れをなして雷神に近づかなくなる。つまり抑止力になる」
「でも。こちらから侵犯を誘うなど、禁じ手です。それができるなら、私だって――」
「俺だって、そうだ。侵犯させず、侵犯せず。の海東司令の信条に反する。でも……、ここまでくるとこちらもそれぐらいの秘策は必要かもしれない」
 二人の艦長が顔をつきあわせ、真剣な会話。
「空海のパイロット達も動揺していた。まさか自分たちから『指示なし』の侵犯をうっかりしてしまうだなんて――と。アグレッサーの意味がない。むしろ雅臣そのものが仮想敵を担っているではないか」
 情けない! と、また高須賀准将は拳を握って腹立たしさに震えている。
「あいつ、葉月ちゃんという盾がいるから、これぐらいやっても大丈夫と思っているんじゃないか」
「まあ、生意気なソニック君にそんなに頼られるならば、悪い気はしないわね」
 アイスドールがふっと不敵に微笑む。あー、ダメだ。この人の闘志にも火がついちゃったかも。心優はふらっと気が遠くなりそうになる。
 高須賀准将は『もう君たちには関わりたくない』とまた不機嫌になってしまった。
 だが問題は、雅臣のその生意気な禁じ手。
「雅臣は俺が気がついたとわかっていると思う。君もだ。今日の訓練データーを見れば葉月さんは俺のやろうとしていること気がつく、そして『止めるだろう』と覚悟しているだろうな」
 そこで高須賀准将がさらに真顔で御園准将に詰め寄る。
「どうする。俺も君も、禁じ手を実行しようとしていると気がついた以上、上官として止めなくてはならない」
「そうですわね。ここで気がつかなかったら、私達は城戸大佐に劣る艦長二人ということになりますものね――」
 その会話に心優は願う。止めてください。そんな侵犯させず――の信条を破ろうとしている彼を、夫を。あなた達しか止められないから――と。
「しかし止めてしまえば……、効果的な抑止力の手を無駄にすることになる」
「お聞きしますが……。そうして雅臣に仕掛けられて、してやられたのは一度だけですか」
「そう何度もあの手にひっかかるか! 一度きりだ! それでもこうなってはいけないはずだったんだ」
 どうあっても悔しさが消えない様子の高須賀准将の憤り。でも御園准将はそこで面倒くさそうにして、栗色の髪をかき上げ溜め息をついた。
「はあ、『どうせ偶然でしょ。空海がたった一回きり、うっかりしていただけ。たいしたことないわ』と……、見落としたことにします」
 見落とすことにする? その『たった一度だけ、うっかり引き込まれただけ。たいした失敗ではない』として、雅臣の禁じ手を絶対に阻止するという必死さがみられなかったので、心優はやっぱり必死に止める上官になって欲しいと叫びたくなる。
「上官として気がつかなかったとなると、君は間抜けな艦長にされるぞ」
「いまは、気がつかなかったふりをするのです」
「では、君はそれとなく雅臣を野放しにして、その作戦をさせるつもりか。もし任務の本番で雅臣があれをやって、査問委員会の監査がはいって『必要のない侵犯を誘った』と認定されたら、君の首が飛ぶぞ。せっかく復帰した雅臣もただではすまない」
「元より、いつ艦を降ろされても良いと思っておりますけどね」
 高須賀准将が呆れかえった。だがそこで御園准将も先輩に言い放つ。
「今回は雅臣にしても『うまくいきすぎた。まさか空海が本当に誘いに乗ってくるとは思わなかった』と驚いているかもしれませんわよ。ほんとうはちょっと誘うだけで良かったのかも」
「はあ? なんだって! うちの空海がとんでもなく間抜けに罠にかかったと聞こえるんだがな!!!」
 また高須賀准将がマッドネスモードになって、机をバンバン叩き始める。
「ですから。猛毒だったということでしょう。雅臣も自分が盛った毒がこれほど効き目があるとは思っていなかったかも? つまり、雅臣はまだ『毒を扱うコントロール』を備えていない。本人もしてやったりと思う気持ちと、これではまずいという気持ちが入り乱れているかもしれませんわね」
 その喩えに、高須賀准将もやっと我に返った表情に。
「なるほど。毒が効きすぎた――ということか」
「私達も毒に気がついた。だから使うなと注意はしたいけれど、注意をすると毒を扱えなくなる。ですから、明日からはその毒の扱い方を、高須賀さん……。雅臣に示してくださいませんか」
 お願いします。あのミセス准将が、同格であるはずの高須賀准将に、でも先輩である彼に深々と頭を下げた。
 高須賀准将もミセス准将にそこまでされてしまうと、まだ腹立たしさは残るものの、『しかたがないな』と気持ちを収めたよう。
「わかった。明日、空海にそのコントロールが出来るような作戦をさせるよ」
「あちらの毒がわかっていて、でも敢えてその毒にかかって、でも……毒されない。難しい仮想敵です。お願いします」
「そうだな。あとで空海と密かにブリーフィングをしておく」
 今回は雅臣の罠にあっさり引っかかってしまったが、だからこそ難しい仮想敵が必要。そう言われ、託され、高須賀准将もプライドを燃やしたようだった。
 この後、午後遅く。いつも通りに雅臣が訓練データーをまとめて持ってきたが、御園准将は『お疲れ様』と素知らぬ顔。高須賀准将に至っては『雅臣の顔を見たらどうにかなりそうだから、空海のブリーフィングに行く』と准将室を出て行ってしまい不在。
 そして雅臣も『何か言われるかな』という気持ちの揺れがあるのかないのかもわかりもしない淡々とした様子で、准将室を出て行った。
 その後も、御園准将が溜め息ひとつ。
「なかなか気が抜けない男になってきたわね」
 万年筆を握って書類にサインをしながら、書面へとうつむいているその顔はどこか満足そうに微笑んでいた。
 そして心優も気を引き締める。今夜、自宅に帰宅したら。夫の城戸大佐は『気がつかれたかどうか気になる』顔を心優にも見せないだろうし、心優も『艦長達は大佐が盛った毒にもう気がついていますよ』という素振りを一切見せてはいけない――と。
 出航前のアグレッサーを挟んだ訓練。そこは海上とおなじ。海と空の軍人たる男達が上官が熾烈な駆け引きをしている。これが出来なくては艦長にはなれない。
 その駆け引きを堂々とできる夫を、心優は誇らしく思っている。そばにいていまは完全たる味方になれない立場にいるけれど。
 でも心配でたまらない。お願いだから『禁じ手』はやめてほしい。毒の扱い方を夫が取得してくれることを願うしかないのだろうか。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 週明け。空海との訓練はあと二日。
 しかし心優自身の訓練も大詰めになってきていた。
 心優はCの護衛チームで、護衛の時に必要な最低限の技を光太に仕込んでいる。
「こことここを掴んで、腰はこう使う。わたしが投げられる役をするから思いっきりしてみて」
「はい」
 訓練着のどこを掴んでどうするか、或いは敵がどこからどう襲ってきた時は、まずはどう対処するかなどと教え込む。
 元より覚えたくてやってきた青年だから、素直に聞き入れ、真摯に取り組むため、覚えも早かった。
「ハワード少佐もどうですか」
 前回任務の負傷が癒えたばかりで、ずっと訓練を休んでいたためか、ハワード少佐は『腕がなまっている』と嘆いていた。
「まだ時々、肩がひきつるんだ。手術痕がなんとも」
「無理しないでください。今回は吉岡君もフランク大尉も指令室で一緒ですから」
「そうだけれども……。完全ではない俺がまた一緒に艦に乗っていいのかどうか。ラングラー中佐を連れて行ったほうがよっぽど……」
 完全たる回復はしていないため、気に病んでいるようだった。
「精神的な支えでもあるとわたしは思っています。准将にとってもハワード少佐がそばにいるだけで安心できるんですよ」
「それは、嬉しいけれど……」
「ハワード少佐が負傷して先に帰還した後も、御園准将はなにかを頼みたい時にうっかり『アドルフお願い』と言ってしまったことがあったんですよ」
 彼がいなくなってしまった後の艦長室の出来事を教えると、やっとハワード少佐がじんわりと泣きそうな顔になってしまった。
「そうなんだ、知らなかった。葉月さんが……、俺のこと……」
「それだけおそばにいて欲しいし、当たり前になっていたんです。特に、葉月さんは精神的なサポートも重点に置かなければなりません。わたしもハワード少佐にそばにいて欲しいです」
「よし、心優。俺とも組み手してくれ」
「はい、もちろんです」
 一緒に練習をしていた光太を休ませ、心優は大男のハワード少佐と向きあう。
 だがそうして護衛の練習をしていても、あちらのAチームの熱気がぶつけられてくる。
「GO、GO!」
 今日も諸星少佐がリードする声が響き渡る。
 Aチームの彼等が向かうそこには大魔神が率いる『不審者チーム』。心優の父がいつのまにか横須賀から部下を呼びつけ、こちらも仮想敵チームを作り上げてしまっている。
 諸星少佐のチームにはシドも必ず選抜されている。彼等は警棒ロッドを片手に果敢に横須賀アグレッサーへと向かっていく。
 園田教官率いる大魔神の陣営に次々と切り込んでいくが、大魔神チームの雄々しい仮想敵も次々と切り返していく。
 見ていると、父はラスボスポジション。そこに辿り着こうとする諸星警備隊チーム。
 それでも、初日に比べてものすごくまとまったスピード感が生まれていた。的確なポジションと役割、無駄のない攻めと防御。とてもリズミカルな動きにまとまってきたと心優も感じている。
「なんかすごい一気にレベルアップしているような気がするな。あんなにスピーディーではなかったよな」
 ハワード少佐も同じように感じている。
 そして光太も。
「かっこいいっす。やっぱAチームの先輩達、凄腕ですね。横須賀の大魔神チームもおっかないけど、めっちゃ強敵でかっこいい」
「光太は怖ええか、かっこいいだな」
 ハワード少佐が笑う。
 キンキンとロッドがぶつかり合う音でさえリズミカル。
 そして大魔神殿は訓練時間が終わるまでに、護衛のCチームにも指導に来るようになった。
 Aの警備隊は猛烈な特訓で父も容赦なかった。だけれど、こちらの護衛チームに来ると大魔神という雰囲気がなくなる。
 その日も、訓練時間の最後に父がCチームにやってくる。Aチームの熾烈な特訓は部下に任せてという形だった。
「ハワード少佐、そして城戸、吉岡。来てくれるか」
 園田教官に呼ばれ、三人一緒に向かう。今日は父の横に、三十代ぐらいの父の部下が一緒にいた。正面に来ると、父が告げる。
「こちらの三人は艦長室に配属され、常に艦長のおそばに寄りそう護衛官。今日は私の部下の一人を艦長と見立て、いざというときの護衛を訓練したいと思う」
「イエッサー!」
 艦長室護衛官三人で敬礼をする。
「では、二分後に開始。それまでこのような事態が勃発した際の対処を三人で決めて欲しい」
 父が襲撃をする場所をどこにするか読まれないよう、外周をくるくると歩き始める。
 父の部下、艦長と見立てた男性を目の前に、ハワード少佐をリーダーとして話し合う。
「俺はまだ全快ではない。でも光太もまだ未熟だ。でも俺が最初に盾になる」
「ですが、本番でもそのつもりなんですか」
 また盾になって負傷する結果を望むのかと心優は案じた。
「わたしが前線で食い止めます。吉岡君とハワード少佐で二重のガードをするというのはどうでしょう」
 そこで光太も真剣に話に入ってきた。
「最後の最後、食い止めなくてはならないのは艦長の目の前ってことですよね。それならば、まだ未熟な俺より、ハワード少佐か心優さんが適任だと思います」
 俺は真ん中ですぐにやられてもいい。でもやるからには時間稼ぎぐらいには食い止めると、彼がいつにない男らしい目で言った。
 心優とハワード少佐は顔を見合わせる。
 全快ではないハワード少佐を前線に置き突破されるのが前提、そのかわり艦長の目の前を心優が手堅く護るか。コンディション抜群の心優が前線を死守し、もし前線を突破されたら、新人の光太とベテランだが負傷上がりのハワード少佐が必死に護るか。どうする?
「前線を手堅く護る方針で行きましょう。怪我もなにもしていないわたしが立ちます。吉岡君はわたしの背後援護、ハワード少佐まで辿り着いた時もアシストして」
「そうだな。全快なら俺が前線で、心優に艦長そのものの護衛を頼むところだが、いまはそれが不安な体勢になるな。心優が突破されたら、俺が艦長目の前を必死で護ることにしよう」
 つまりは、『艦長の目の前を危うくするくらいなら、離れている前線で心優が絶対に食い止める』という方針になったということ。
 ついに『父vs娘』の真っ向勝負をすることになりそうだった。
 方針が決まった。それぞれのミリタリーウォッチを眺める。
「来るぞ」
 ハワード少佐が艦長役の男性を護るように立ちはだかる。心優と光太はひとまず同じ位置にいる。
 二分経過。でも父は背を向けてまだうろうろしているだけ。それどころかAチームの激しいスピード感ある訓練を眺めている始末。
「油断するな。ふだんもあのように一般人や一般隊員を装っていきなり来ることもある」
 それでも園田教官が襲ってくるとわかっているからまだ構えていられる。
 でも父はCチームが訓練をしているスペースの外周へと距離を置いたままたたずんでいるだけ。
 一分が経過……。いきなり襲ってくるのだろうが、これだけ時間が経つと緊張感が高まるだけ。非常に多大なストレスとプレッシャー。それを蓄積させる作戦なのだろうか。
 護衛部の後藤中佐も他の部署に配属されている護衛警備員達も『艦長を護るべき艦長室護衛官の訓練』に固唾を呑んでいる。
 心優はじっと父を警戒していた。ハワード少佐も……。
「心優さん!」
 最初に気がついたのは光太だった。心優の後ろに控えていた光太が先に三段ロッドを振りかざしていた。『ガチン』とロッドとロッドがぶつかり合う音が心優の目の前に。光太が阻止している! しかも光太を襲っていたのは、護衛部長の後藤中佐!
 嘘でしょ! しまった、油断した! 父は『俺が襲撃役をする』なんてひとことも言っていなかった!? 
 ハワード少佐が警戒したとおりに、普段なんともない人に紛れて突然襲ってくる。その通りの状態に置かれた!
 それはハワード少佐もおなじく、襲撃役は園田教官と思いこんでいたという焦りの表情になっている。でもベテランの彼は落ち着いている、艦長を背後に構え、襲撃ポイントから遠ざける動きにうつっている。
 しかし光太が護衛部長の後藤中佐に敵うはずがない。あっというまにロッドを弾き飛ばされ、体勢を崩され、横へとふっとばされた。
 後藤中佐が狙うはハワード少佐、その背後の艦長。そうはさせない!
「心優さん!」
 床へとへたり込んでいる光太が懸命に叫んだ。その声に、心優ははっと背後へ振り返る。後藤中佐に襲撃され驚いた隙を狙って、今度は父が心優へと向かってきていた。
 光太が教えてくれなくちゃ、気がつかなかった! でも艦長が! 負傷上がりのハワード少佐だけじゃ……!
「心優、いけ! こっちは大丈夫だ! 光太、こっちに来い!!」
 ハワード少佐が低い姿勢でロッドを構え、後藤中佐を迎え撃つ姿を目の端で確認する。
 新人だったわたしを勇ましく指導してくれたハワード少佐の姿だった。ベテランの眼差しに気迫。きっと大丈夫。だって誰よりも艦長を護衛してきた少佐なんだから!
 ならば心優が集中するのは目の前の敵のみ!
 すっとんでくる父を見据える。父がロッドを手に取りこちらへと振りかざしてくる。
 だが心優はロッドを手に取らない。わたしね、素手の方が得意だから。そうでしょ。お父さんが仕込んでくれたんだから! 
 上から睨み落とす父の目と、下から迎え撃つ娘の目線がかち合う。『父娘対決だ』とざわついた空気も弾き飛ばし、心優は迷わず恐れず、大男の大魔神の懐に入れる位置にくるまでじっと耐える。
 そんな大振りに、ロッドを振って。大きな男の人はいつだってそこが一瞬がら空きになる。大男同士ならいざしらず。貴方より小柄だからそこにいける。
 その懐へと心優も低い姿勢からダッシュ。振り下ろされそうなロッドに恐れず、突入する!
 うまくいく時はいつもそう、なんの邪魔もなく、かっちりとなにもかもがはまったように、するっとうまくいくもの。いまがそれ。
 父の懐に入ったと肌で感じた後は、いままでどおりに勝手に身体が動く。
 でも父の襟元、腰を掴みながら、心優は泣きたい気持ちになっていた。
 ――お父さん、わたしがこうできるように。ここだけが隙だと気がつくように、わざと、わざと。教えてくれたんだ。
 これも実は園田教官が仕込んだ『こうなればいい』という正解ありきの模擬戦のやり方だとわかっていて、心優はありったけの力を込め、ありったけの声を張り上げる。
『ヤーッ!』
 空手は父が祖父が、柔道は兄が教えてくれた。
 ドサッと大きな音が道場床に響く。
 ―― やった、うそだろ。
 ―― マジか、やっぱすげえ。
 道場にざわめきが広がっていく。だが心優はまだ油断しない。
 ここで気を緩めたら、またこの大魔神からしっぺ返しを喰らう。今度こそ腰のロッドを抜き、いつかのように大男の身体の上に乗り上げる、ロッドで両肩を押さえつけた。
「心優……、そうだ。あの一瞬の隙によく気がつき、入ってきたな。あれを制覇してこそだ。素手でも恐れず、自分の得意とするもので、そして俺をギリギリまで引きつけるまで焦らず落ち着いて動かず見極める。よくやった。だが女の腕では制圧に限りがある。前回もそうだっただろ」
「吉岡海曹! こっちにきて!」
 父が言いたいこと、最後に心優に踏まえて欲しいことがわかって、すぐに相棒を呼んだ。
「そうだ。すぐに力ある男を頼れ。それが女性隊員には常に念頭に置いて欲しいことだ。男の力を借りなくても、女でも一人前に出来るようと意地を張らずに。あの時、護衛官ではなくとも雅臣君に協力を仰ぐべきだった」
「そうでした……。もう二度とあの失敗はしたくないです」
「ハワード少佐はもう大丈夫だ。これでわかっただろう。いままで通りに彼の実力を信じて、いまのように心優は心優の目の前のことに必死になれ。このチームワークで充分だ」
 あちらも後藤中佐を見事に撃退している。さすが、ハワード少佐! 怪我の心配をしていたけれど、これで絶対に自信を取り戻したと思う。きっと、これも父の作戦だったに違いない。
 そして光太がすっ飛んでくる。
「吉岡。……心優は女だ。制圧には限りがある。かといって、おまえはまだ新人で細すぎる。二人一緒に制圧するんだわかったな」
 心優に押さえつけられたままのくぐもった声、そして情けなく押さえつけられた大魔神の姿で、駆けつけてきた光太を見上げて父が教示する。
「イエッサー、教官。城戸中尉のアシストに全力を尽くします」
 光太も護衛部で習ったとおりの姿勢で、二重の制圧姿勢を取ってくれる。
「絶対に護るんだぞ。艦長を。そして艦を。そして絶対に還ってこい。わかったな」
 制圧する若い護衛官二人に、大魔神が初めて微笑む。
 娘の心優だって涙ぐみそうなのに。先に光太が『はい、教官っ』なんて泣いちゃったので、心優の涙が止まってしまう。
「行ってきます、お父さん」
「バカ、ここでは父さんじゃない」
 でも娘に制圧された園田教官のその顔は、もう心優が大好きなお父さんの顔だった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 警備隊の訓練が終わり、心優と光太は准将室へと急ぐ。
「今日も空母の訓練どうなったんだろうね」
「空海が毒をどう扱ったかですよね。俺も気になります。そろそろ高須賀准将が帰ってくる頃。御園准将にまたどんな怒りをぶつけることか。うまくいけばいつもの穏やかさのままでしょうけれどね」
 光太もそこを案じている。心優も気になるので急いでいた。護衛部の訓練に出ている間は、ラングラー中佐が准将のアシストをしてくれているとは言え、やはり気になる。
「心優」
 陸部訓練棟の道場を出て急いでいたところ、後ろからそんな声。振り向くと父だった。
「園田教官、お疲れ様です」
 もう訓練は終わったのに、こうして声をかけられることも珍しい。しかも仕事上では『城戸』と呼ばれているのに、『心優』と呼んでくれて。
 心優と光太が立ち止まったところまで追いついた父が、ちょっと光太がいることを気にして照れたように言う。
「おまえ、一緒に食事する時間、取れるか。できれば雅臣君も一緒に」
 父としての用事のようだった。
「うん。私と雅臣さんならいつでもいいよ。お父さんが帰る前に一度は食事したいねと話していたから」
「雅臣君はどうだ。葉月さんから全て任されて、雷神を全面的に指揮しているんだってな」
「うん……、ソニックらしくなっているみたいだよ」
 父がほっとした顔になる。
「そっか。よかった」
 娘よりも婿殿の責務を心配しているようだった。
「あと、帰る前に……。やはり葉月さんとも一度ゆっくり話す機会を設けて欲しいんだが。これは、城戸中尉ではなくてラングラー中佐に申し込んだほうがいいのかな」
「大丈夫だよ。わたしから准将に伝えおくね。ラングラー中佐から時間の連絡が行くと思うからそこで相談して」
「わかった」
 またほっとした顔に。父も親心となるとこんな案じるばかりの人になるんだなと改めて思ってしまった。
 『お父さん、なに食べたい?』と聞こうとした時だった。
「園田教官!」
 今度は父を呼ぶ声が背後から。声の主は金髪の青年、シドだった。黒い戦闘服と訓練装備のまま、やっと見つけたとばかりにこちらに駆けてくる。
「うわわ……」
 何故か父がギョッとした顔になりわたわたと逃げたそうにして慌てている。
「お父さん?」
「心優は彼と親しいのか!」
 そう言いながら、大魔神とあろう教官が娘の背後へと逃げてしまう。
 心優と光太は顔を見合わせ首を傾げる。だがもうシドがもの凄い形相で駆けてくる。
「園田教官! お願いします! 帰るまでに時間外の指導もお願いします!!」
 心優の目の前に来ると、心優が見えていないかのように背後にいる父へとビシッとシドが敬礼をしている。
「言っただろ。時間外はしない! フランク大尉だけ特別に指導というわけにはいかないだろ。時間内の訓練のみだ!」
「俺、園田教官のような格闘技を覚えたいんです!」
「だからいまは時間内だけだ!」
「時間外もお願いします!!」
 今度は深々としたお辞儀をシドがする。心優の目の前で、背後にいる父に。そして父はおろおろしている。
「な、なんなの。お父さんこれ」
「この前から訓練が終わるとこうしてな、頼む、頼むと」
 ああ、もうこう思ったら真っ直ぐのシドらしいと心優も呆れてしまう。
「心優!」
 頭を上げたシドがやっと心優を認識した。
「おまえからも親父さんに頼んでくれよ!」
「でも、父は横須賀からわざわざ頼まれて来ているわけだから、そんな勝手に動けないよ」
「おまえだけ親父さんから直伝のものいろいろ伝承していてずるいぞ!」
「はあ? ずるいってなによ! そっちだってフロリダで本格的な訓練をしてきたんでしょ。子供の頃だってプロ並みのご家族から仕込んでもらってきたんでしょ」
「それはそれ。これはこれ! 俺はいま園田教官にみっちり鍛えて欲しいんだよ!」
「だったら。横須賀に転属願い出しちゃえばいいじゃない!」
「はあ? この俺に小笠原を出ていけって言うのかよ。おまえ、俺と離ればなれになってもいいのかよ!!」
 え、そういうこと。ここで言っちゃう? お父さんの目の前で言っちゃう? 心優の身体が一気に熱くなる。今回は甘い熱さじゃなくて、焦りの熱さ!
 光太はなんとなく感じているようだったから『うへえ、そういう態度ここで出しちゃう?』と仰天していたが、父はもう『なにいってんだこの若僧は、結婚した娘の目の前で』と怪訝そうに顔をしかめている。
 結婚した娘に、婿殿以外の男からの猛攻。そう案じたに違いない。
 だが心優は横須賀に転属ではっと気がつく。
「あ、そうだ。あのね、シド。横須賀では一ヶ月に一度、第三日曜日に、父を始めとした格闘教官の特別講習会というのをやっているらしいの」
 ね、お父さん――と振ると、父もハッと我に返ってシドに言い放つ。
「そ、そうだ。横須賀で第三日曜に特別講習会やってるからそれに来ればいい。ただし申し込みが必要だ。一週間前までOKだ。どの基地の者でも部署の者でも受け入れているから」
 シドの目がきらきらっと輝いた。
「本当ですか、それ!」
「た、ただし! もう出航前だから今月は受け入れ無理だ。帰還後に来い」
「わかりました。絶対に絶対に行きますから、教えてくださいよ!」
「お、おう! 待ってるぞ。その時は存分に教えてやる!」
 やった、やったと拳を握ってシドは大興奮だった。もう、いつもの子供っぽい彼になっちゃっているので心優はつい微笑んでしまう。
「なあ、心優。おまえ、彼とどんな関係なんだ??」
「お姉さんと弟? あるいは親友……みたいなものかな、ずっと一緒に訓練をしてきたから」
 臣さんとも仲良しだよと伝えると、父がそうかとほっとした顔になる。ほんとうにお父さんとなると心配事でめまぐるしいらしい。
 そんな父に心優はちょっとだけ小声で伝える。
「ほら、いろいろ独りの時が多くて。寂しがり屋なんだよ」
 俺と離ればなれになってもいいのか――なんて、ほんとうはシドが離れたくないというのがわかっちゃうだけに。
 でもそのひと言で父にも通じたようだった。その途端、父が追いかけられていた困った教官から、心優のお父さんの顔に戻ってやっと娘の背中から前に出た。
「シド……でいいか」
 父が彼を名で呼んだ。シドもびっくりしたのか、でも興奮していた姿を収める。
「今度、心優とでも、雅臣君とでもいい。沼津にも遊びに来いよ。吉岡もだ。娘をよろしく頼むな」
 二人の青年に、あの大魔神がぺこぺこと軽くお辞儀をしてくれる。
 もう、シドも光太もものすごく感激した目に輝いて『絶対に行きます!』と大喜び。
 ああ、もう。なんだか夫とお父さんのほうが、彼等にモテモテで、官舎の自宅も沼津の実家も、お目当ては友人の心優ではなくて夫と父親という男達の暑苦しさに苦笑いしか出てこない状態に。
 でも。父も察してくれたんだなと心優は心の奥で感謝。複雑な事情で大将の息子という地位がありながらも、どこか孤独な青年の在り方を気遣ってくれたのだと。
 やっとシドが納得して『失礼いたします』と敬礼をして父から離れていった。
「はあ、やっと諦めてくれた。助かったよ、心優」
 ここ数日、すごい猛アプローチだったと訓練場外でへとへとになっている大魔神に、心優と光太は笑ってしまっていた。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 出航前、それぞれの訓練も大詰め。これを終えると、今度は出航準備に入る。
 空母に集まる物資、燃料の詰め込み。艦載機のチェック。カフェテリアのオープンなどなど。
 また雅臣は指令室を整える支度のため、しばらく艦や基地で泊まり込みになる。
 そういえば去年、転属してきたばかりの雅臣が髭で真っ黒の顔になって『二日も風呂に入っていないから近づくな』と怖い顔をしていたのを思い出してしまった。
 またあんなになるのかな……。
 そろそろ新婚夫妻の甘いひとときもお預けになりそうだった。

 官舎に帰宅するが、いよいよ雅臣のほうが残務に追われるようになっていて、自宅は真っ暗だった。
 彼の帰りを待っていたけれど、どんどん時間が過ぎていく。致し方なく心優はひとりで食事をする。
 食器を片づけても雅臣は帰ってこない。メッセージアプリにもなにも届いていない。
「ふう、忙しそう」
 とうとう入浴も済ませ、ひとりでベッドルームで過ごす。
 届いていた郵便物を確かめると、母からの『結婚式場とウェディングドレス』の案内をまとめた封書があった。
 開けてみて、心優はまずウェディングドレスのカタログを開けてみた。
「うわ……」
 真っ白でふわっとしたドレスがたくさん。キラキラの生地に、透明感あふれるヴェール。どれもこれも眩しいばかり。
 これ、わたしが着るんだよね。帰還したら。いよいよ……。
 どれにしようかな。どうせなら思いっきり憧れていたお姫様風にしようかな。でも大人っぽいラインも素敵。年齢的にはほんとうはこっちかもしれない。
「ボサ子のわたしがドレスか」
 臣さんには絶対に真っ白な海軍の正装にしてもらうんだ。大佐の肩章を付けて、きらきらの金モールに真っ白な手袋。目深にかぶる白と黒の制帽。それで並んで欲しいな……。
 そう考えているうちにひとり微笑み微睡んでしまう。
『心優、ただいま』
 微かな声。でも心優は眠ったまま。
『へえ、ドレスか。うん、いいな。楽しみだよ、心優のドレス姿』
 黒髪にそっと熱いキス。夢の中で感じるだけで、心優はまた嬉しいだけで眠ってしまう。
 無事に帰還したらいろいろなこといっぱい。結婚式、そして素敵なドレスを着て、教会で臣さんとキスをして。そして……、新しい家でめいっぱい愛しあって。できるかな、いつ会えるのかな。わたし達のベイビーちゃん。

 

 それから二週間後、ついに御園准将率いる艦隊が出航を迎える。

 

 

 

 

Update/2017.2.22
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