◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

TOP BACK NEXT

 13. 急行、東シナ海へ

 

 結局、空海の出動は通常の措置で終了した。ただあのメッセージだけが残されて……。

 御園大佐が艦長ベッドルームまで報告へ向かった。まだ深夜、ミセス艦長が上着を羽織りながら夫と艦長室に戻ってきた。
「どうして起こしてくれなかったの」
 眠たげに栗毛をかき上げ、彼女が艦長の椅子に座った。デスクの前に雅臣と御園大佐が並び、心優は大佐達の後ろに控えた。
「こちら空母に出た指令ではなかったので、報告で充分だろうと判断したからです」
 雅臣からそう告げる。御園大佐も『自分も同様です』と答えた。
「すっかり寝込んでいたわよ。なにか大事が起きていたら艦長熟睡なんてとんでもないことだったわ。やっぱり休むのではなかった」
 本気で眠っていたようで、とても気怠そうだった。そしていつも出航後は安全運行になるまで眠らないのに、今回はどうしたことか安堵する環境なのか気を緩めたと悔いている。
「艦長はなんでも背負いすぎです。航海中は誰だって眠る時間が必要ではないですか。艦長も同様ですよ。艦長が休むためにも、城戸副艦長と私がいることを忘れないでください」
 御園大佐がはっきりと言い放った。以前はこういうことは橘大佐が言える役をしてくれていたが、今回は旦那様だけあって本当に遠慮がない。
「眠れていたようで安心しました」
 雅臣も報告で済ませたことを諫められたことよりも、葉月さんが眠れたことにとても安堵した顔になっている。
 やっとミセス准将が肩の力を抜いてひと息。
「それで。空海はどうなったの」
「いつもどおりの措置で帰還しています。ただ……」
 ただ? ミセス艦長が報告をする雅臣を座っている椅子から見上げた。
「やはりあちらのパイロットから、白い飛行隊を出せと……。出さねば前回のように撃ち落とすという声明がありました」
 やっとそこで御園准将が目を見開いて息を止めたのがわかった。
「雅臣……聞いたの? その声」
「はい」
「それで、貴方はどう思ったの」
 心優も雅臣がどう感じたのか気になる。心優は確信は得られずとも『彼だった』と感じたものが強く勝っている。
 雅臣も言いあぐねている。
「隼人さんも聞いたの?」
「ああ、聞いた。若い男の声だと感じた。綺麗な英語だった」
「王子も綺麗な英語だったわ。あれは家で幼い頃から英才教育を受けていたからこそだと感じたものよ」
 そして艦長の視線が心優へ……。どきりとする。どう言えばいい? 雅臣は伝え迷っているのに。これこそ心優も所感だけで言ってはいけないこと?
「心優、貴女も聞いたのね」
 こくりと頷く。
「どう感じたの」
 どうしよう、どう答えたらいいのだろう。
「いいから。感じたことを教えて。それを聞いたからって、王子がやってくることは変わりがないと思っての今回の航海なのだから」
 その言葉に安心をして、心優は素直に告げる。
「彼……だと感じました。聞いた途端、身体中が『ほんとうに彼が雷神を呼んでいる』と、緊張で熱くなりました。そうであって欲しくなかったと……いう残念な気持ちも一緒に……」
「自分も園田と同じです。艦の医療セクションで療養していた彼に聴取した時の声と似ていると思いました」
 心優を助けるようにして、言いあぐねていた雅臣も自分の所感をはっきりと答えてくれた。
「そう、そうなのね……」
 また栗毛をかき上げ、ミセス艦長が溜め息をこぼした。
 しばしそのまま、髪の毛をかき上げ額を抑えたまま俯き、彼女がじっと考えている。それを夫の御園大佐もそっとして口出しをしない。
 その様子を心優と雅臣も顔を見合わせながらも見守っていた。
 やがて御園准将が顔を上げる。琥珀の瞳に決意が込められ輝いているのを心優は見る。
「わかった。明日から電波を遮断し、こちらも行くわよ」
 その返答に心優は驚いたが、大佐殿ふたりは彼女の答がわかっていたかのようにして強く頷いた。
「夜が明けたら、海東司令との通信ができる手はずを整えて。澤村、お願い」
「イエス、マム」
「城戸副艦長、最速で東シナ海に行ける準備をして。海東司令の許可が出たら行くわよ」
「イエス、マム、望むところです」
 二人の大佐が敬礼をするとさっと動き始めた。
「はー、目が覚めたわ。心優、早いけれどいつも朝に作ってくれる冷たいレモンウォーターをお願い」
「かしこまりました。いますぐ」
 彼女にとってはもう『夜明け』。いつもの朝のルーティンを行って、いまから行動開始ということらしい。
 レモンウォーターを作り終え、艦長デスクへと持っていくと、御園准将が心優を見て言った。
「こんなに他の飛行隊に危険が降りかかる状況なら、海東君も同じ事を考えていると思う。夜明けの通信で許可が出るでしょうね。電波を遮断する前に、メールを出しておきなさい」
 お父様に――。艦長からの配慮だった。だが心優は父ももちろんだが、それならば真っ先に送りたい人がいる。
「ありがとうございます。浜松の姑にも出しておきます」
「あ、そうね。もうお姑さんになったのよね」
「こんな状況だと悟られないよう、無事に出航して順調ですと……」
「そうね。そうとしか……言えない、航海に出ている家族として心苦しいところね」
「吉岡海曹にも伝えても構いませんか。出航の際、あちらのお母様もとても心配そうにされていたので」
 そこは御園准将も桟橋での別れを見ていたのだから『もちろんよ』と快諾してくれた。
 ゆっくりと東シナ海へ向かう予定が変更される。
 本日から所在不明のこの空母艦も一路、東シナ海へ。
 決戦はもすうぐ。逃れられない。

 

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 早朝、またお互いにヘッドセットをつけた姿で、ミセス准将と海東司令がモニターで向きあう。
 ミセス艦長の希望通りに海東司令から極秘で航行し東シナ海へ最速で向かう許可を得た。
「他の飛行隊からもそろそろ雷神を一度、出すべきではとの声が上がっているが、こちら空母の航空団が東シナ海へ急行する航行を優先するため、御園艦隊が到着まではこちら陸の基地で対処することになった」
 そして東シナ海へ到着したらまずはこの艦の飛行隊を出撃させるという方針になったとの海東司令からの報告だった。
「それでも御園艦隊だけの問題ではない。あちこちの基地も今回の有り余る接触には許しがたいものがある、いつでも協力するとの声はもらっているから安心して欲しい」
 そんな海東司令の報告にも御園准将は『こちらの艦隊が狙われているためにご迷惑おかけしますと各部隊へお伝えください』と頭を下げていた。
 だがここで御園艦長が妙なことを海東司令に言いだした。
「司令、護衛艦の手配ありがとうございました。海の下は大丈夫なのでしょうか」
 海の下とは『潜水艦部隊』のことを指してる。普段は気にもしない艦長の質問に、心優も訝しむ。
「そのようなことは、貴女が案ずることではない。管轄外だ。連携は取っているから安心して欲しい」
 だが御園准将はさらに投げかける。
「コーストガード、沿岸警備隊とも……ですか」
 それには海東司令がまた驚いた顔を見せた。
「何故、そこまで案ずるのですか。ミセス艦長」
 コーストガードとなると『不審船』を監視、いざとなると追尾をする部隊となる。艦長が案じているのは『不審な船舶』についてはどう対処しているかということ。前回の任務で空母に不審者が侵入してしまったからこそ、気になっているのだと心優も悟った。
「いえ……。そのような胸騒ぎがするだけで、先日同様、単なる勘にすぎません」
 ミセス艦長の胸騒ぎ。彼女は感がよいとされている。それは海東司令も見逃せないようでしばらく黙って、モニターの向こうからじっと艦長を見つめている。
「それも。貴女にとってまったくの管轄外。いまから貴女の艦が極秘で航行を始めるように、海の下の潜水部隊も、海上保安の沿岸警備隊『コーストガード』も、それぞれの極秘で任務に当たっている。だが、海中にいても、海上にいても、彼等も思っていることだろう。『空は大丈夫なのか』と、それが貴女の使命だ」
「余計なことを申しました。わたくしは空に集中いたします。後のことは司令にお任せいたします」
「そうしてください、ミセス艦長。それでは――」
 海東司令との会話が終わる。

 朝方まできちんと眠れた光太も艦長室に出勤。業務を開始する。
「えー、深夜に空海がスクランブルに?」
 給湯室で朝の紅茶を一緒に作っている時、就寝中にあった出来事をきちんと周知すると、光太も驚いていた。
「心優さん……、その王子の声を聞いたんですか」
「わからない。それっぽくて……。でもあの人かもどうしようと凄く心臓がドキドキしたの……」
「それって……。だからですか。いきなり電波遮断をして東シナ海に急行すると決定したのは」
 光太が艦長室に出勤してきた時にはもうそう決まっていたことだったから、心優はそうだよと頷く。
「艦長がその前に、ご家族に無事出航したと安心させるメールを送っておきなさいとおっしゃっているの。いい、わかっているよね。吉岡君は艦長付きだから特別にこういった情報を知れるけれど、ブリッジの指令セクションから出たら口外は禁止。クルーはいつ電波を遮断されるか知らされないようになっているからね」
「わかっています。情報漏洩を防ぐためですよね。わかりました。母に心配させないような内容のメールを送っておきます。あとで艦長にもお礼を伝えます」
「そうして。はあ、いよいよって感じだね」
「そうっすね……。俺、なんか乗っているだけなんですけれど……側にいるだけでいいのかなって」
 そんな光太を見て、心優は一年前の自分を思い出してしまった。
「いまの吉岡君は、一年前のわたしだね。ほんと、わたしもそう思っていたよ。だけれど……、その初めての航海任務でどれだけのことを得られたことか」
 光太がそんな心優をじっと見つめてくれる。ほんとに俺も先輩のようになれるのだろうかという自信がなさそうな目だった。
「新人だから側にいるだけしかできないのは当たり前。でもこれから経験を積んで、吉岡君はこれからも艦長の側にいられる男性として成長してもらわなくちゃいけないんだから。とにかく、なにがなんでも艦長の側にいるの。それから、吉岡君がいるとその場が和むの。艦長が楽しそうに微笑むでしょう。役に立っているんだから……」
 そして今度は心優から光太を見上げて見つめる。
「わたしもだよ。バディなんていらないと思っていたけど、もういなくちゃ心細いよ。吉岡君にいっぱい助けてもらっているよ」
「そうっすか……。それならいいんです」
「わたしは同性として艦長に望まれたけれど、吉岡君は艦長が気を許せる少ない男性のひとりになれるんだよ」
 そう伝えると、やっと光太らしい笑顔になった。
 さあ、状況は徐々に緊迫してきたけれど、今日も艦長室の業務を頑張ろうと、一緒にデスクについた。

「あー、さすがに眠たい! 艦長、私はしばらく休んでもよろしいでしょうかね」
 御園大佐が眼鏡を外し、目を擦りながら指令室から艦長室へと入ってきた。
 また侵犯措置対の記録資料を悶々と眺めているミセス艦長も『いいわよ』と返答。
 この時、心優は初めて気がついた。『あれ。もしかして……。奥様は眠れているけれど、旦那様のほうが就寝した様子がない』ということに。
「隼人さん、ちゃんと眠っているの?」
「おまえだって知っているだろ。俺が宵っ張りなのを。ただ最近、歳かなあ。いきなり眠くなるんだよ」
「あなたもちゃんと休んでください」
 今回は奥様のほうが心配そうな顔をした。
「んじゃあ、艦長のお部屋を借ります」
 と言いながら、当たり前のようにして御園大佐は艦長プライベートルームへの通路に入るドアを開けてしまう。
「ちょっと、隼人さん。やめてよっ」
 御園艦長も男子禁制のはずなのに、夫だからとひょいひょい入ってきてしまう大佐を必死に止めようとした。
「隼人さんのベッドがあるでしょう」
「いやー、おまえの匂いがついているシーツがいいもんで。ぐっすり眠りたいからさ」
 と笑顔でからっというと、そのままドアを開けて入っていってしまった。
 心優は唖然……。光太も顔を真っ赤にして『ひゃー』と面食らっていた。
 ああいうこといきなり平気で言える旦那様をいままでも見てきたけれど、いつだって急なものだからびっくりしてしまう。
 当然、ミセス准将もびっくりした顔で頬を染めていた。
「この部屋の区画は! 心優も使っているんだからね! 男子禁制なんだからね!!」
 御園准将がベッドルーム通路に向かって叫んでも、御園大佐が艦長の部屋のドアをバタリと閉めた音が聞こえてしまった。
「もう〜! あっちから厳しく一線引いてきたり、公私混合いきなりやってくれるし、もうっっ」
 また栗毛をううーーっとかきむしって悔しそうにして艦長デスクに戻ってきた。今度は光太だけが唖然としていた。
「はあっ、もうだから一緒なのは嫌だっていうのに……」
 ぶつぶつ言いながら、航空資料に戻っていく。
 心優がクスクス笑い始めると、光太も笑っていた。
「大好きな女性の匂いのシーツかあ、いいなあ、俺もその匂いで眠りたいなあ」
 男としての気持ちです――と光太がいうと、ミセス艦長がまた真っ赤な顔になってしまった。
「光太。あの人の真似しちゃいけないんだからね」
「いや。効果があるってわかったので、俺、結婚した時の楽しみにとっておきます」
 女の人が喜ぶってわかったから! なんて堂々と言うので、ついにミセス艦長が『喜んでいないからっ』と光太にまで女の子みたいに言い返すようになっているから、心優は噴き出しそうになってしまった。
 光太のこういところは、心優と葉月さんの二人だけでは絶対に生まれないからいいスパイスだなと本当に思う。
 本当なら。昨夜の王子の出現と東シナ海急行で重くなっているはずの艦長室も、こうして彼女を扱うのが上手い男達がほぐしてくれる。
 ――って、ほんとうに光太がミセスの扱いに慣れてきたいることに心優は改めて、自分でびっくりしてしまっていた。
 いいバディになってくれそうで、心優はいま彼を結婚のプレゼントと言って引き抜いてくれた雅臣に感謝していた。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 電波遮断、極秘の航行開始。
 東シナ海へ急行する。

 その前に、東シナ海での接戦に備え、予定より早く高知沖にて物資補給をすることになった。
 この補給が終わると、ある程度の戦況がわかるまでは、補給艦も接戦エリアには近づけなくなるとのこと。

 まだ出航したばかりなのに、物資補給。それでもなにか新しいものが入ってきていないかとクルー達の気分も華やぐ。

「失礼いたします。艦長はいらっしゃいますか」
 指令室で補佐をしているハワード少佐が入ってきた。
「どうかされましたか」
「物資補給で届いた指令室宛の荷物だ。御園艦長宛のものがひとつ入っていたんだ」
 心優は艦長デスクを見るが、いままたミセス准将は仮眠を取っており、不在だった。
「おやすみ中です。わたしが預かります」
「そうか、わかった。では頼んだぞ、心優。あ、差出人を見て驚くなよ」
 ハワード少佐から荷物を預かり、一緒に艦長室で留守をしている光太と差出人を確認。その名を見て二人揃ってギョッとした。
「うわ、横須賀司令部の春日部中佐からじゃないですかっ」
「わざわざ出航後の艦に送ってくださるなんて……」
 だが光太と心優は二人揃って顔を見合わせる。同じことを考えているとわかった。
「心優さん、春日部さんを最後に見かけたのっていつですか」
「あのシフォンケーキの時に彼女が准将室でめちゃくちゃ怒られて以来会っていないよ。だって、御園大佐から空部隊大隊本部のフロア出入り禁止にされたって聞いていたから」
「俺もですよ。出入り禁止にされたところ他にもあったみたいで、出航前に彼女に会ったかどうか他の部署のお姉様方に聞いても、そういえば最近見ていないとばかりで」
 でもその後も自分たちもやることがいっぱいあったため、彼女を気にしている暇などなかった。
「空母に乗ると言っていたけれど、結局、御園大佐も許可できなかったんだね」
「冗談じゃないっすよ。彼女と一緒に研修なんてなっていたら、俺たまんなかったすよ」
 で、彼女はどうなったのだろう。そして手元にはミセス准将宛で、彼女のお父様からの荷物。
「失礼します。あれ、葉月は?」
 また、御園大佐が艦長室へやってきた。橘大佐も入り浸りの傾向だったけれど、こちらの旦那様も同じ。ちょくちょく入ってくるし、そこのソファーはもう彼が夜くつろぐための読書スペースになっている。
「いま仮眠中です」
「へえ、あいつが昼寝。あり得ないな。ちょっと見てこようか。昼寝の顔」
 なんてまたイタズラな笑みを浮かべたので、心優は慌てて止めるために、手にある荷物を差し出す。
「あの、春日部中佐からのお届け物です」
 御園大佐がふっと表情を引き締めた。心優の手元までやってくる。
「あ、本当だな。ふうん。気が咎めたのかね」
 眼鏡のおじ様顔で少し怖い顔になっていた。
 その様子を見て、光太から尋ねた。
「春日部さんは……。出航前の小笠原では、見かけないように思っていたんですが」
 御園大佐にお灸を据えられてからは迷惑をかけた空部隊本部へ行くことは禁止されたと聞いていたのでそのせいですか、と光太がはっきりと聞いた。
 御園大佐が、嫌なことを思いだしたかのようにして黒髪をかきながらひと息ついた。
「お父さんにお返しした」
 さらっと告げたその返答に、心優と光太は目を丸くした。
「お父様って……。あの横須賀司令部にいらっしゃる総司令秘書室の?」
「そう」
 えええ! 心優と光太はさらに驚きおののいた。それってそれって、お父様の司令部で働きたいと願っていた彼女の希望が叶ったと言うことでは。一般的隊員がそう簡単には配属されない司令部へお父様がいるってだけで、まわりに迷惑をかけるからって、でも司令部へ行けちゃうなんて? それでいままで迷惑被った人達は納得してくれるのと心優でも思ってしまう。当然、光太も『納得できねえ』とすでにむくれ顔になっている。
「だよな。いろいろ嫌なことを言われた園田と吉岡は納得できないよな。他の部署でも迷惑かけられた隊員達にもこれを知らせると『納得できない』と嫌な顔をされてしまったよ」
 しかしながら、心優もすぐにその意図に気がつく。
「御園大佐が留守の間、この科長室でどのように彼女をコントロールされるのか思っておりましたが、もしかして留守にする間を案じてのことですか」
「それそれ。俺も頭痛めていたんだよ。吉田も神谷も頑張れると言ってくれたし、どのような部下だろうと育成は上司の義務だ。だがあれは例外だ。留守が心配でたまらなくなる。科長の俺がそう判断したんだ」
「あちらのお父様、よく受けてくださいましたね」
「いや、春日部中佐には親子で司令秘書室配属はまずいと何度も断られたよ」
 それでは、どう納得させたのだろう? 御園大佐がこともなげに言う。
「総司令に頼んだんだよ。もうどこの部署もお手上げですよ。彼女の改善を望むならば、そちら司令秘書室、春日部中佐の配下しかありませんよ――と」
 またまた心優と光太はギョッとした。この大佐、ほんとうに凄い! 最後の最後、そんな畏れ多いところに突撃していただなんて!
 でも御園大佐はしれっとしている。
「どうなったと思う? 春日部が常々望んでいた部署に配属されて」
 御園大佐がそこで初めてにやっとする。まるで勝ち誇ったように。
「どうなったのですか。もしかして、希望の部署に配属されて、生き生きと業務をされているとか。もう迷惑は……」
「あはは! まさか!」
 今度の御園大佐は楽しそうに笑い出す。
 心優と光太は『うそ、司令部に配属されてもあのまんま??』と呆気にとられた。
「あちらに送ってから十日もしないうちに、総司令自ら俺に連絡があったよ。『頼む、そちらに返したい』とね」
 総司令直々から泣きついてきたということらしい。
「そ、それで……。やはりこちらに春日部さんは……」
「まさか。総司令に言ってやったよ。そのお困りになられていることが長年、各部署で起きていたんですよ――と」
 うわあ……。なにこの大佐殿。まったく総司令を恐れていないじゃない! 改めて御園大佐の大胆さに驚かされる。
「お困りだったら、私が任務から帰ってくるまでの二ヶ月だけ預かってくださいとお願いしたら、なんとか呑み込んでくれた。もう結婚でもさせたほうがいいかもしれないなんて総司令もお手上げだったようだ」
 結婚。それは近道かもしれない。お父様が司令部なら出会いもたくさんありそう。
「それで総司令が俺に『見合いできるいい相手がいないか』なんてまた頼むんだよなあ……。そりゃ探そうと思えば俺でなくとも見つかると思う」
「それでお見合いさせることになったのですか。俺、なんか違うと思います」
 光太がはっきりと意見したので、心優もギョッとしたが御園大佐も目を丸くしていた。でもそんな光太の姿に眼鏡の大佐が嬉しそうに微笑む。
「俺もおなじだよ。それに春日部自身がまだ結婚を望んでいなかったよ。せっかくお父さんの司令部に配属されたのに、自分はキャリアで活躍したいんだろう」
 彼女の望みと目標はそこにある。それだけは彼女が純粋に貫いているように心優にも思える。でもあそこでまた上から目線の立場を得られたら……そんな心配があった。それはきっと心優だけではなく、おなじように嫌な思いをした隊員はみなそうに違いない。
 そんな心優の浮かない顔をみた御園大佐が、優しい笑顔で告げる。
「司令部はそんな甘くない。使えないと思えば、また二ヶ月後に春日部はどこかに転属させられるよ。その時に、春日部自身がどう捉えるかだな」
「そうしたら、やっぱり結婚になるんですか」
 また光太がむくれている。
「あのような女性は結婚しても、今度は日常生活でかかわる方々に同じようなことをすると思います」
 光太の見解に心優もぞっとした。あのような奥様が官舎に来た方がもっと嫌だし、いま住んでいる官舎の奥様達のことを思うと気の毒になってくる!
「それは、俺も総司令に言っておいたよ。『あのまま結婚させると、今度は妻同士で迷惑がかかるかもしれないので、有望な高官と結婚させると今度は官舎の奥様方の悩みの種になりますよ。軍人とは結婚させないように』と言っておいた。家族の地位を武器に生きてきた彼女だから、結婚した男の地位が高いと絶対にまわりにいる部下隊員にその妻をバカにして過ごすだろうからな」
 ほんと目に浮かぶほどあり得そうで、心優も官舎住まいなので絶対嫌と首を振る。自分はまだ幹部で隊員で働いているから日中の奥様ネットワークのことはわからない。夫も大佐だし副艦長を担うほどだし、どちらかというと、官舎の奥様方はけっこう年配の方まで心優には気遣ってくれていると思う。でも奥様達も官舎では夫の立場を思いやりながら過ごしているのは確かだった。そこへ仕事はだめだったからでは結婚させようなんて、手短なところで春日部中佐や総司令の選んだ男と結婚なんてしたら、彼女の迷惑爆弾は今度は夫の部下や同僚の奥様方へとうつるだけ。
「いままでの迷惑、もう父親が責任取れとして送ったわけ。一度、そばにおいて娘がどれだけ痛い成長をしたか思い知ればいい」
 春日部嬢のお父様は偉い人という武器も、この御園家の威光を背後に持つ大佐殿には敵わなかったということになる。
「まあ、俺も……。どうにもしてやれなかったという悔いは残っているよ。もうちょっと時間があればな。春日部中佐が細川連隊長に泣きついてきた時期が悪い。こちらも出航するのが決まっていたあとだから、正義さんも今回は仕方がないと司令部への転属を手配してくれたよ」
「ではもう戻ってこられないのですか」
「わからない。二ヶ月後、どうなっているかだよな。ま、知らないよ。娘が父親を崇拝していたんだから。ある意味、主も意図していないマインドコントロールみたいなもの。親父さんに解いてもらうしかなかったかもな」
「ですが司令室が乱れると……。元は細川連隊長が司令部に恩を売っておけば、艦隊出航後のサポートも有利になるからということだったのでは」
 航海中のサポートは横須賀司令部が担ってくれているというのに。総司令が御園家の二人が搭乗している艦のサポートを快くしてくれるかどうかが心配になる。
「大丈夫。総司令には非公式にお会いして、こちらも希望に添えない結果になったのにそちらに押しつけたとして、いろいろと条件交換してあるから……」
 ティーカップを傾ける御園大佐から笑みが消えた。眼鏡の奥の険しい眼差し、それを見ただけでぎりぎりの駆け引きを総司令とかわしてきたのが心優には窺えた。
 非公式に会って条件交換。この駆け引きができるのはきっと御園家だからこそ。彼等がもつ家の力と財力と組織力が総司令をも抱き込んでしまうのか。
 困ったお嬢様を預かるのを条件にいったいなにを総司令から頼まれて呑み込んだのだろう。そしてそれが呑み込めてしまう御園の力。
 その後は御園大佐とひとしきり笑いのある会話をすると『あいつが目覚めた頃にまた来るよ』と指令室へ戻っていった。
 また光太とお留守番の事務をデスクで励む。
「総司令を納得させるだけの条件交換ってなんでしょうね。なんかすごいな御園大佐……」
「おうちの猫をつかってあれこれ情報収集させて提供しているんじゃないかな」
「おうちの猫……。心優さんがこのまえ教えてくれた男達のことですか」
「そう、シドの実母様もそうだからね」
 光太はなにもかも知る立場になったが、黒猫についてはまだピンと来ないようだった。
 きっと今回も艦のどこかに黒猫が忍びこんでいるはず。シドを連絡拠点にして御園大佐とも既にやり取りをしていそうだと心優は思っている。
 ここしばらくミスターエドに会っていない。暗闇に潜む黒猫男だから、なにもなければ現れないかもしれない。でも、光太には会わせておきたい。

 心優はふと天井へと仰ぐ。いま彼はどこにいるのだろう。

 

 

 

 

Update/2017.4.17
TOP BACK NEXT
Copyright (c) 2017 marie morii All rights reserved.