艦長室に戻ると、副艦長の雅臣と御園大佐もデスクに集まって何かを話し込んでいた。
心優はそのまま静かにデスクへと戻った。
その話の内容は、横須賀司令本部からいざというときの措置を司令に委ねるための常時発令の伝達があったとのことや、ほんとうに御園艦長が狙いなのかという内容だった。
「司令部はどういった見解なんだ」
御園大佐の問いに、連絡を受けた御園艦長が答える。
「個人である私が狙いだなんて判断はまだしていない。王子が名指しにしていようが、していまいが、問いかけには応じない方針というだけだったわね」
「だろうな……。まだそうと判明したわけでもないし、おまえを前に出したからとてなにかしら要求があって呼びかけているのだから、その要求も聞きたくないというわけなんだろうな」
雅臣も頷いている。御園大佐と同じ判断をしているようだった。
「なるべく耳を傾けず、最善はいつもどおりにあちらの国へ返す。何度来ようが返す、たとえ措置の機体が一機、猛攻撃を仕掛けられたとしても、『いままでどおりに帰す』ということですよね」
雅臣の言葉に、御園艦長、御園大佐、そして雅臣の視線がかっちりとあった。とどのつまり、行きつくこと、自分たちが全力を尽くすべきことは『それしかない』という意志が揃ったのを心優も見る。
「雅臣が言うとおりだわ。私が狙いとか、海上から武装集団が攻めてきているなんてことは二の次。海上はコーストガードに任せて、私達は私達の使命を」
「その通りだ。その方針で行こう」
この艦を司る三人の意志が揃って確認された姿を見て、心優も安堵する。大丈夫。この人達がいれば……。
さらに御園艦長が主力補佐である大佐ふたりに告げた。
「貴方達には報せておくわね。先日の高知沖での補給から、シークレットが忍び込んでいるから」
前回、小松沖での補給船に乗って密命を受けていたシドがこっそりとこの艦に乗り込んできた時と同じ。今回もフロリダから配備されたシークレットの隊員が密かに警備に当たっているとのことだった。
「わかっているわね。ここにいる『四人だけ』の情報として伝えておく」
四人……。御園艦長、御園大佐、城戸大佐、そして、艦長がデスクで大人しく控えている心優を見た。
「光太には報せなくていいから」
そんな隊員がいま潜入していることだけ覚えておいて。御園艦長の指示に心優も『はい』と短く答えた。
でも心の中では嬉しく思っている。前回は報せてくれなかった艦長だけが知る『極秘配備』。それを心優には教えてくれた……と。認めてもらえた気持ちだった。
「葉月、シドには報せなくていいのか」
「報せなくても、あの子はわかるわよ」
報せなくてもシドならわかる? 心優は首を傾げた。でも隼人さんはわかったようだった。
「ああ、なるほど。それもそうだな。あのシドなら心配ないか」
「でしょ。なかなかの男の子よ」
「そうだった、そうだった。懐かしいな」
緊迫した顔を見せ合っていたのに、お二人がいつもの日常のご夫妻の笑みを見せていた。
心優も聞いたばかりだったから、ふっと微笑んでしまう。きっとあの時のこと、あの頃のこと、いままで見守ってきたシドのことを思っているのだろう。
しかしそれがわからないお猿さんが一人いた。
「え、シドが大丈夫とか、懐かしいとかなんですか」
雅臣が自分も知りたいとばかりにお二人に迫った。
「それがさあ、あのシドが小さい時さあ」
「そうそう。私を蹴りに来たことがあるの」
「ええ、葉月さん蹴る?」
やっぱりあの時の。ご夫妻のなかでも鮮烈に残っているようで、目に浮かんでしまった心優も笑みを堪えるのに精一杯。
「でも蹴られたの俺な。ここにドカってヒットしてさあ。あいつ空手とか小さい頃から習っているからその蹴りが重いのなんの」
「うわー、隼人さんを蹴るって……。またなんでそんなことに?」
「雅臣君なら話しちゃってもいいか」
「いいんじゃない。心優にも聞かせてあげたい」
本当はお二人が一番辛かっただろう時期の話なのに。悪童だったシドとのエピソードは良き思い出のようで面白おかしくこちらでも同じ日同じ時の話がされた。
心優にも聞かせたいと言ってくれたけれど。すごい偶然だけれど、心優はもう一度聞いてしまう。知らぬふりで初めて聞いたようにして、雅臣と一緒に笑った。
「もう俺さ〜、ほんとは痛かったんだよ。だけど、おじさんの意地で笑ったね。あれほどのやんちゃ坊主だったもんだから、ここはおじさんの余裕を見せておねばならぬって」
隼人さんのその時のやせ我慢を聞いてしまい、心優はまた密かに笑ってしまう。
シドはそれを知らない。『へらっと笑って受け流す』という姿の裏に、大人の男が子供のために耐えたプライドがあったなんてことは……。
でも、いまのシドならわかるのかな。
おかしいな。なんで今日はシドの姿ばかり浮かぶんだろう。あんなふうに心を乱して、言い聞かせて、でも立ち向かう彼の背中が今日はなんだか遠い……。
―◆・◆・◆・◆・◆―
その日も無事に終わった。コーストガードと接触した船団はどうなったのか。情報も入ってこない。
もしかしてたまたまで、国に帰ったのか。
今夜は心優が当直。艦長室に控えている。今夜はひとり。御園艦長も規則正しく過ごしてくれ、二十二時には就寝。
明け方の四時に、是枝さんが軽食を持ってきてくれる。
是枝シェフと入れ替わりで光太が艦長室にやってきた。
「ふわあ〜、おはようございまーす。よく眠った〜。お疲れ様です、心優さん。いいですよ。朝のお勤め、俺がやっておきますから」
「ありがとう。BLTサンドだけどいる?」
「いります! やっぱ是枝さんのうまそ〜」
サンドを分けて、心優は小部屋に戻った。
いま温暖な西南海域にいるので実感はないが、もうそろそろ師走だった。
「年越しは空母でか。初めての体験……」
ここに日本の街にいる空気感はまったくない。丸窓の冬であるはずの夜空を見上げながら、是枝大尉のサンドを頬張る。
暖かいコンソメ味のカップスープもついていて、それを飲み干したら眠気が襲ってきた。
装備をつけたまま、一休み……。すぐに微睡んだ。
「昨夜は……、臣さんがここに、」
彼が自分の部屋のように寝そべっていたシーツを撫でる。鼻腔に残っている夫の匂い……、夫の匂い。
臣さんが笑っていて。
臣さんのずうっと後ろにシドがいて、彼も微笑んでいる。
でも遠く、とても遠く……。
シド、おいでよ。臣さんも呼んでいるよ。
シド、シド? 彼は来ない。そこで静かに微笑んでいるだけ。
ホットスクランブル!
すぐに目が開き、心優は飛び起きる。
ブーツを履いたまま眠っていたため、すぐさまドアへと駆けて行けた。
丸窓の空が明るい。まだ淡いが青い空。二、三時間は眠れたのか。
ドアを開けると、目の前を栗毛の葉月さんが上着を羽織りながら走り去っていくところ。
彼女の背を追うようにして、心優も艦長室へ。
「心優さん!」
「一緒においで!」
デスクで待機していた光太も駆け出す。
艦長室も飛び出し、目の前の管制室へ! もう葉月さんの背中は見えない。
その背に追いついたのは、雅臣と御園大佐が待機している指揮カウンターのところ。
ミセス艦長も鬼気迫る顔になっている。
「どこの、やはり王子?」
「まだ不明です。まずはミッキーとジャンボで様子を見ます」
「そうして」
今日の御園艦長は雅臣の隣に並んだ。でも指示を出すのは雅臣に委ねている。
「来た、とうとう、マジの本番」
隣にいる光太が身震いをしている。恐ろしいではなく、興奮の武者震い。さすがだな、肝すわっているかもと心優は感心してしまう。
そんな光太に釘を刺しておく。
「吉岡君、いまから城戸大佐と艦長は空に集中するけれど、わたし達護衛と警備は空ではないいまここにいる空気に気を配るよ。いいね」
「はい、もちろんです」
とたんに表情を引き締めてくれる。とてつもなく男らしい顔になってくれた。
「前回は、空の攻防に乗じて侵入されたんですよね」
「そうよ。おそらく金原隊長がいまいちばん神経を尖らせていると思う」
ブリッジ管制室から見える海原を心優は見据える。晴天、風もない。前回のように怪しい雲もない。
攻防絶好の天候。あちらも自由自在に飛行ができ、こちらも自由自在に飛ぶことができる。恐らく、ほんとうの実力がぶつかり合う条件が出来上がってしまっている。
「西方より八機確認。ADIZ侵入、こちら領空まであと数秒です」
管制長の声に、雅臣と御園艦長が顔を見合わせる。
「艦長、バレットとスプリンターも行かせます。それから……」
躊躇っている雅臣がなにを言いたいのかわかっているかのように、ミセス准将も頷いた。
「いいわよ。バレットとスプリンターも行かせて。それから、雷神全機、十機とも行かせていいから」
「よろしいですか。いつもなら、通常措置を通したいところですが……」
そう。あちらが二十機で攻めてきても、前回はあくまで本国側は『通常措置でいい』と御園准将は貫こうとしていた。慌てて攻撃態勢を見せただけで、大陸国側から『こちらはただ飛行していただけ、それに対して日本は戦闘意志があったから何機も出撃させた』と揚げ足を取る口実にされないための姿勢だった。
それを今回の御園艦長は崩した。
「要求に応えねばパイロットを浚っていくと脅迫のような宣戦布告をしてきたのは向こう。通常措置なんて甘いことやってられない。雅臣、空海と訓練したままどんどん思うままにやっていいわよ」
「そのつもりです。艦長のそこ言葉を聞いて決心できました。ありがとうございます」
雅臣の口から告げられる。『雷神は全機、出撃だ。離艦準備に入れ』。甲板の動きが激しくなる。甲板要員が何十人も走り回り、どのカタパルトにも白い戦闘機が離艦準備に入る。
バレット行きます。
スプリンター行きました。
次、スコーピオン行きます。
矢継ぎ早に、官制員から出撃の報告の声。
また管制室窓から見える青空に、旋回して上昇していく戦闘機が横切っていく。
ミッキー、到着。
官制員から一番最初に飛び立った雷神4号機のミッキーが国境に到着したとの報告。
『目視にて、不明機確認』
ミッキーからも報告が届いた。
「どんな状態でもまずはいつもどおりの侵犯措置だ。アナウンスを始めてくれ。ジャンボも撮影を頼む」
『ラジャー』
『ラジャー。ガンカメラの映像を送ります』
モニターに目視確認された機体が映し出される。
雅臣と御園艦長が食い入るように見下ろしている。
「マジで、スホーイ、su-27か。本物だ」
光太も後ろから見える映像の戦闘機を目にして呟いた。
「雅臣。機体番号、見た?」
「はい。間違いないです」
「王子よね。いちばん前線にいるこのスホーイ」
雅臣も頷く。
「ミッキー、ジャンボはいつもどおりにの侵犯措置を。なにか仕掛けられたらまずバレットとスプリンターが行く。俺の指示にて、前線配置を入れ替わってくれ」
バレットとスプリンターも到着します。
管制のことこまかい報告に、室内の緊張が高まっていくのを心優もかんじる。
心優の肩のシーバーからも音声が流れてくる。『警備隊、配置完了。園田、どこにいる』
「吉岡と共に管制室、艦長の側におります」
『了解。離れるな、絶対に。周囲は俺達に任せろ』
「ラジャー」
こちらも気を引き締め、警戒を開始する。
「国際緊急チャンネルから先日同様の呼びかけをしております。そちらのスピーカーに音声流します」
モニターのそばにあるスピーカーからあの声が響いてきた。
『先日の要望通りにしてくれたのか。旦那さんかミセスを出せ』
機体番号はあの時の戦闘機、声もこのまえとおなじ。そしておそらく、王子。
管制室一同が息を潜めるようにしてシンとした。声を出したとしても、向こうに聞こえるわけではないのに。
ヘッドセットをしている御園艦長も低い声で告げる。
「一切、返答しないで。なにを言われても、攻撃を始めても。いいわね」
管制室長を始め、そこにいる男達が全員『ラジャー』と静かに返答した。
「バレット、スプリンター。ミッキーとジャンボの背後に到着です」
雅臣の表情も引き締まる。ヘッドセットのマイクをつまんで雅臣も静かに告げる。
「ミッキーとジャンボ。背後のバレットとスプリンターと入れ替われ。後方に下がり、援護指示まで付近で待機」
ラジャーの声が返ってくる。
「バレット、行け」
『ラジャー、ソニック』
「キャプテンといえ、バカ」
『イエッサ〜、キャプテンっ、先輩、行ってきます〜』
ちょっとふざけた余裕の返答に、硬くなっていた官制員達からちょっとした笑いが漏れ聞こえてきた。
「あいつ、こんな時なのにふざけやがって」
雅臣も呆れている。でも最後には笑っていた。
エースのバレットの余裕がわかると、いつもの訓練でふざけても滾るパワーで他を蹴散らしていく強靱なバレットを皆が感じたのか、少しいつもの雰囲気に戻ったように心優には見えた。
御園艦長も笑っている。
「まったく、英太たら」
しかしそこまで。
『そちらの返答、意志はよくわかった。では宣告どおりにさせてもらう』
王子の声もそこからぷつりと聞こえなくなる。
「バレット、なるべく引きつけて下がれ」
『ラジャー』
「向こうが侵犯するまで、決して接触するな」
『イエッサー、キャプテン』
ふざけていた悪ガキ英太の声はもうなく、凛々しいエースパイロットの冷静な返答だけが聞こえてきた。
「まだ、入ってきません」
「周囲に五機、集まっています」
モニターの映像に、先程まで王子機と僚機であろう一機が背後にいたのが見えただけなのに。次々と、まるでアクロバットの編隊を組むようにして戦闘機が集まってくる映像が見える。
「バレット、いいな。覚悟はできているな」
『もちろんです。お任せください』
「よし。何機でもいいな」
『何機でも。九機の雷神に追いかけられてきましたからね』
「頼む」
雅臣の指示に、御園艦長は渋い顔をしているだけで無言だった。
でも心優と光太は密かに驚きを揃えていた。
「嘘だろ。バレット一機で、あそこに出現した機体全部引きつけるって」
光太も驚いているし、心優も……言葉を失う。
嘘、エースといえども鈴木少佐があのスホーイを一機で引きつける? 訓練しているとはいえ、あちらは気心知れている癖もわかってる先輩達の戦闘機ではないし、以上に機種が違う。
侵犯。入ってきました。
ミッキーの措置も虚しく、当たり前のようにして六機が入ってきた。
「バレットに向かってきます」
ミッキーが後方から捉えているその映像には、白い戦闘機を取り囲もうとしている六機のsu-27が見える。
Update/2017.8.22