◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 20. エース、ブラックアウト!

 

 たった一機、最前線へと配置された雷神7号のバレット機に、領空線を越えてきた大陸国のスホーイ6機が一斉に囲い込む。
 何機でも引き受ける。バレット機パイロットである鈴木少佐の自信ある返答ではあったが、心優は心配で堪らない。それは空の攻防を初めて現場で目にした光太もそうだった。
「やばい、左右封じされるだけじゃない。上も下も前も後ろも封じようとしている」
 青ざめている光太の言うとおり。モニターが雅臣の後ろにいても見えるため、心優にも白い戦闘機の六方へとじりじりとsu-27が近づいていくるのが見える。
 御園大佐も落ち着いているが、その表情は厳しい。
「なるほど、六方を塞いでしまうと、逃げようと機体を傾きを変えただけでも接触事故になるから、バレットは身動きができない。じりじりと西へ持っていき、パイロットとホワイト機ごと連れて帰る作戦か」
 しかし雅臣は何も言わない。じっとモニターを凝視している。さらに心優の隣にいる御園艦長も腕を組んだまま、雅臣のそばにいて何も言わない。パイロットの二人が何も言わないのは……?
「もっと引きつけられるか」
『下と左は隙を残しておきたいので、その一瞬で』
「わかった。それでいい。まだ大丈夫そうだな」
『あっちがびびってんでしょ。俺だって何をするかわからないもんな。なんなら左上を抜いて背面回転してもいいっすよ。あ、そのほうがヤツらの度肝抜けるかもしれないっすね!』
「やめろ、そういう負担かかる機動をするなって。それに、おまえも気をつけろ……」
『俺をなんだと思ってんすか、先輩の教え子っすよ』
 相変わらずの軽口に、やはり雅臣が呆れた顔をして少し笑った。御園艦長は一切微笑まず。もうアイスドールの顔に徹している。
 でも心優の目ではもう、バレット機の六方にスホーイ6機が包囲したように見えた。
「これでどうやって包囲を解くんですか。旋回も降下する方向を塞がれて、あちら6機が押し返すままに、ほんとうにあちらの領空に引きずり込まれるんじゃ……」
 光太はもう泣きそうになっていた。いくらバレットでもこれは無理だと。そこでやっとアイスドールがふっと口元を緩めた。
「光太、あなたラッキーね。バレットの本気が現場で見られるのよ」
「いえ、こんな大変な時にラッキーだなんて……」
 御園艦長の眼差しが一気に凍る。
「あれぐらい、まだまだよ。余裕で『もっと俺に近づいてこい』とバレットは笑っている」
 雅臣も艦長の言葉を聞いて、笑っていた。
「そのとおりですよ。もっと俺の機体のそばに来い来いてずうっと言っています」
「そろそろ一気に行くわね。右にも行かせてやりたいけれど、」
「右側があちら領空なので、左しかない。そろそろあちらも警戒するころ。一度、こっちから脅かしてみますか」
 雅臣のシャーマナイトの目も輝いた。
 光太も唖然としている。でも、ふっと肩の力が抜けたようだった。
「やっぱ、パイロットにしかわからないもんなんですね……」
 俺がどんなにあれは怖い危ないと恐怖を抱いても、防衛パイロットは訓練の時からその怖さを身近にして飛んでいる、むしろ余裕でこの戦況をみていられる。そういうもの。それがわかると光太も少し力みを弱めたようだった。
 それでもバレット機のガンカメラから見える映像には、もうスホーイの機体が目の前に見える。
「その一瞬はバレットにしかわからないものね」
「でも、そろそろっすよ。俺だったら目線はもう左下に集中、狙いを定めタイミングを待ちます」
 じりじりとスホーイ6機がバレットを取り囲む映像も後方にいるミッキーの撮影映像からわかる。
 管制室にもシンとした緊迫。誰もなにも言わない。
 御園大佐も映像を見ながら溜め息をついている。
「あちらもだいぶ訓練しただろうな。1機を取り囲む訓練をな。しかしどうかな。うちのバレットは、針の穴を抜けなければ逃げられないという追いつめられ方を……」
 彼がちらりと隣にいる妻を見下ろしニヤリと微笑む。
「この魔女のようなミセス殿にとことん叩き込まれている。いちばん最初にスプリンターを使った追い込みをした時、英太がぼろ負けになって着艦してすぐに、葉月を殴ろうと飛びついてきたことがあるもんなー、あれほんとに魔女に殺されると思ったんだろうな」
 『准将を殴る!?』 心優も光太もその思い出話にギョッとした。いやいや、いくらなんでも訓練でこてんぱんにされたからって上官を殴りに行く?? そんなことは絶対に部下としてやってはいけないこと。
 だけれど御園大佐の目が光り、モニターへとさらに微笑む。
「いまごろ、操縦桿を握って、英太はにやにやしているよ。おまえらその程度かって。俺の上官のミセス魔女はもっと手酷く意地悪い状況を用意してくれたとね……」
「いま、魔女って言った?」
 急に振り向いた奥様の睨む目線にも、御園大佐は『言った』と余裕で返して笑っている。
「もうすぐ不明機の一機が領空線を越え、あちらに帰る位置にいます」
 管制の報告だったが、モニターのバレット機とスホーイ6機の状態は変わらないように見える。
「バレットの右翼側にいる1機が戻ります」
「英太……、堪えろ。空海とやっただろ、あの通りに、あの通りにだ」
 右側の一機が領空線を越え自国に戻ったと言うことは、あと1機分押し返されたらバレット機も領空線を越えてしまうという位置まできた。
 さすがに心優もハラハラしてきた。雅臣も後輩の鈴木少佐を信じているけれど焦れている横顔になっている。
 じっと黙ってモニターを見つめている御園艦長、そして御園大佐。その後ろで心優と光太もハラハラとしている。
 そんな心優に気がついたのか、雅臣がこんな時なのににっこりと夫の笑顔を見せてくれる。
「大丈夫、俺ならここだ」
 雅臣がほんの少しの隙間を指さした。
「英太もきっとここを狙っている。これだけあれば充分だ」
 小さな隙間に、光太が『マジっすか』と思わず叫んだけれど慌てて口をつぐんだ。でも雅臣は笑っている。そんな余裕がある。
 雅臣のそんな余裕が、管制室の男達を安心させ空気を柔らかくしているように心優には見えた。ほんとうは後輩の鈴木少佐が心配で堪らないはずなのに……。
「雅臣。バレットが動いた」
 ミセス准将もモニターへと目線を戻す。
 ミッキーが背後から撮影しているそこには、片翼を綺麗に90度回転させたバレット機の姿がある。
 翼が綺麗に半径の軌道を描き、揺れもしなければブレもしない回転。あれだけしか隙間がない包囲されたその空間でこなせる技巧、そこはアクロバットも経験してきた元マリンスワローのパイロットだからこそでもあった。
「左翼側の機体が少し引いたわ」
 心優も見た。バレットが綺麗な90度回転をしたため、自分と接触すると恐れた左翼側パイロットがほんの少し避けるように隙間を空けた。
「いまだ、バレット」
「いまよ、バレット」
 ソニックとミセス准将の声が揃ったその瞬間。コックピットの鈴木少佐も同じように決断していたのだろう。90度回転したまま片翼を下げた状態で一気に、左翼側機体と下側を包囲していたスホーイ2機の間をすり抜け降下していく。
 囲まれていた白い機体はミッキーが撮影しているスホーイ6機の間から消えている。
「やったぞ」
 雅臣が拳を握って喜んだ。
「まだよ。6機が追跡を始めている」
 ミセス艦長の声に雅臣も元の指揮官の目に戻り、ヘッドセットのマイクを口元に寄せ叫んだ。
「バレット、よくやった。引き離してやれ。振りまわして蹴散らしてやれ!」
『ラジャー……っ』
 急降下操縦をしているバレットからそんな息苦しそうな声が聞こえてくる。
「さあ、王子たち飛行隊の実力を見せてもらおうかしらね。うちのエース、この鉄砲玉バレットにどれだけのパイロットがついてこられるのかをね」
 ミセス准将もご自慢のパイロットがどれだけ凄いのか打ちのめされたらいいとばかりに、ニヤリと笑っている。
「スプリンター追跡しろ。ジャンボにミッキーも撮影を続けてくれ」
 ラジャー! 三機のパイロットからも声が返ってくる。
「クリス、バレットの後方カメラに切り替えて」
 イエッサー、お嬢。今回も空軍管理官で管制室のデーターを管理しているクリストファー=ダグラス中佐がモニターを切り替えてくれる。
 今度はミセス准将の目の前にあるモニターに電源が入り、新しい映像が流れる。そこには青い空と白い気流が渦巻く映像の中、灰色のスホーイが狙いを定めた野鳥のように鋭く追いかけてくる。
 その姿は戦闘機ではなく、本当に彼等の機体の異名の如く『鶴』のよう。彼等は『子鶴ちゃん(ジュラーヴリク)』と呼ぶようだが、その姿は長く鋭いくちばしがバレット機の尻尾に噛みつきそうな、そんな鋭利な恐ろしさを覚える映像であり心優はゾッとする。
「すげえ、フランカーを引きずり込んでいるみたいだ」
 光太がやっと『戦闘機ってすげえ、かっけええ』の調子を取り戻し、手に汗握るようにして映像に見入っている。
 だが心優の目から見ても、背後に追ってくる大陸国のsu27がふっと消えて、青空に隙間ができたように見えた。
「さすが英太。二機、脱落したわ」
「もう一機旋回して逸れましたね、あと三機だ」
「王子はいる?」
「いえ、早すぎて機体番号は確認できませんね」
「細身だったから、英太のようには耐えられないかもしれないわね」
「足の怪我もそうそう簡単には全治しないはずです。無茶はできないはず」
 高々度からの急降下、さらにバレット機は振りまわすようにして旋回をしてはさらに上昇をしてを繰り返し、激しい上下飛行で追尾してきた大陸国の戦闘機を蹴散らしている。
 そうしているうちに、バレットにぴったりとくっついて離れずまとわりつくように互角に飛ぶスホーイが2機。
「あちらも互角のパイロットがいたみたいね」
 ミセスが溜め息をつく。
「スプリンターを行かせます。一機引き受けてもらいましょう」
 雅臣がマイクを抓み『スプリンター、バレットを援護せよ』と告げる。
 バレットの高速上下飛行についてこられるのは、相棒のスプリンターだけ。2対2になりバレットにひっついている2機を引き離すことができれば、或いは……。心優も今回の王子の目論見はこれで終わることができるかもとふと気を緩めた時だった。
『囲まれています』
 その声は6号機スプリンターのクライトン少佐の声――。
『バレットから離れた4機に……』
 だがその映像がない。ミッキーもジャンボも追いつけなかったのだろう。
 だけれどスプリンターからの映像はある。彼が送ってきたものには、またすれすれに寄せてこようとするスホーイの機体が見えた。
「王子がいる」
 雅臣が寄せてくる機体番号を確認する。
「ADIZに待機してきた2機も入ってきました。スコーピオンの通常措置を無視して侵入です」
 御園艦長がハッとする。
「まさか。最初から英太は囮、本命はその側にいるもう1機を狙っていたってこと? だから王子は早々にバレットとのドッグファイトから脱落し、本当の狙いだった『どれでもいいからもう1機そばにいた機体』を、待機していた2機と一緒に囲む作戦だった?」
 そんな。では先ほどのバレットと同じように囲い込まれたスプリンターが、クライトン少佐が連れて行かれてしまう? 初めての妊娠で独り心細く夫の帰還を待つ奥様がいるのに。もし、もし連れて行かれてしまったら? 心優にそんな恐怖が生じる。
 それでも雅臣は落ち着いていた。
「だからってスプリンターでも同じです。むしろ力業で切り開くバレットよりも、精巧な操縦ならスプリンターが上だ。スプリンター、バレット同様に行けるな」
『もちろんです。4機なら簡単なものです。新たに2機侵入してきて、こちらに向かっているようですが合流する前に行きます』
「よし、行け」
 バレットは6機で全ての方向を塞がれていた。しかしスプリンターは4機。『バレットにできて俺にでにないわけはない』、相棒であって先輩であってライバルでもあるクライントン少佐にも闘志の火がついたことだろう。
 こちらもひらりと美しい木の葉のようにふっと4機の間から消えた。今度はスプリンターが追撃される。
「バレット、どこだ。スプリンターが4機追いかけられている。スコーピオンもどこだ。各機、スプリンターを発見次第、援護しろ」
『7号、バレット。スプリンターを確認、フォローします』
 雅臣がほっとした顔になる。
「おまえら2機なら最強だ。敵わないのだと見せつけて、向こうの作戦をぶっつぶしてやれ」
『ラジャー。スプリンターを追う4機へ突っ込みます』
 突っ込む?? 心優は不安になる。いま詳細を教えてくれる映像がない。
「クリス、まだなの。スプリンターのリアカメラの映像」
「故障しているのか映らない」
 それはよくあることだった。空の気流やマッハのスピードに重力Gに機体も部品もさらされている。
「バレットのフロントカメラなら」
 いつもどおりの前方を捉えた映像がある。晴天のなかの僅かな雲を巻き込むようにして、真下には輝く海が見える映像。そして白い戦闘機を先頭に灰色のスホーイが急降下で追いかける映像。それを映像を映しているバレットが追いかけている状況。
「雅臣、どうするの。ここ4機を散らしても、また雷神の機体を狙って囲い込んでくる。その繰り返しよ」
「いえ、体力が保たないでしょう。これを繰り返します」
 そこで御園艦長がふと考え込む仕草を見せた。腕を組んで姿勢を少し楽にして肩の力を抜いて、じっと管制室の窓の向こう静かな海を見つめている。
「……やっぱり、なにかあるのよ」
 御園大佐と雅臣が一緒に彼女を見た。
「なんだ、なにかあるとは」
「艦長、なにをお考えなのですか」
 大佐二人の問いにも、御園准将はしばらく黙って目をつむっていた。その目がぱちりと開いた。
「あれだけ6機で取り囲んだのは宣告どおりに、ネイビーホワイト機とパイロットを浚うため。それはわかる。その後の英太の振りきり急降下のあと、あんなに必死に追いかけてきたのに、どうして今回は機関砲を撃たないの?」
 二人の大佐が顔を見合わせる。まず御園大佐が答えた。
「機関砲を撃ってきたのは、まずは雷神飛行隊をよこせという脅しだっただろう。そしておまえを、いや御園艦長を出せという要求を通すための脅しだ」
 雅臣が続けた。
「機関砲なんてとりあえずついているだけで、命中率はそんなに高いものではありません。なにせ機体はマッハで飛行しているのですから。急降下の最中に脅すのであれば、ロックオンをして撃墜すると脅すはず……」
 そこでやっと大佐の二人が顔を見合わせた。
「そういえば……、ロックするなんて脅しがないな」
「確かに。追いかけては取り囲んでの繰り返し……、だいたい6機で取り囲んで戦闘機を1機浚うなんてそもそも無茶で非現実的だ」
「そう。……時間稼ぎ……?」
 ふと湧いてきた御園准将の妙な勘だと感じたのか、大佐二人が黙り込んだ。
「なんの時間稼ぎだというんだ」
「わからない。王子はどうして私をあんなに呼んでいたの? もし私がマイクに出たらどうしたというの。なんの要求があったというの」
 また御園艦長の考えがそこに戻ってしまう。だから御園大佐が険しい眼になる。
「やめろ。王子とまた親しく話せるだなんて考えるな」
「わかってる……。親しく話せたとしても、誰もが聞くことができる緊急チャンネルで話せば何を話しても筒抜け……。ううん、筒抜けてもいいから話したいことってなに?」
 『こちら雷神1号スコーピオンキャプテン。バレットとスプリンターを見失いました』
 『こちら雷神3号ゴリラ バレットとスプリンターを見つけましたが、激しい上下飛行を繰り返していて追いつけません』
 各機からの報告に雅臣の神経が指揮へと戻る。
「バレット、プリンター、応答せよ」
 モニターの映像はバレットのフロントカメラ。なにも映っていなかった。青い空だけ。
『こちら雷神6号、スプリンター。自分の背後に1機追跡してくるのみ。バレットと離れました。目視できません』
「バレットには何機ひっついていた?」
『わかりません。自分を追跡してきた4機もいつのまにか散らばったようで……、そのうちの何機がバレットについていったのか』
「バレット、応答せよ」
 雅臣の目線が空へ行く。そこにいるわけでもないのに……。
「でも映像はいつもどおり飛行をしている」
 御園大佐も少し案じる声色になる。
「でも降下している。クリス、バレットのリアカメラお願い」
「イエッサー」
 バレット機の後部がモニターに映る。そこには眩しい太陽の光と空と僅かな雲、遠くに一機のスホーイのみ。しかも先ほど心優が恐ろしさを感じたほどの鋭さを感じる追跡ではない。そのままゆっくりとバレット機についてくるという感じに見える?
「水平飛行になっているじゃない」
 リアカメラから見えた景色とスホーイの姿で互いに水平に飛行していることがわかった。
「バレット、応答しろ。こちら空母管制、バレット!」
 雅臣が叫ぶ。そして官制員たちの顔色も変わった。
 御園准将が呟く。
「まさか……。ブラックアウト」
 御園大佐も驚愕した顔になった。
「ブラックアウトだと……?」
 雅臣も青ざめた表情に変貌した。
「もしそうならば、英太はいま、操縦が不可能ということになりますよ!」
 ブラックアウト! 飛行隊指揮官の妻として知っておこうと航空のことを学んだ心優にも今回わかった。
 ブラックアウト―― 身体に対して下向きに大きなGを受けた時にパイロットに起きる症状。心臓より上にある脳に血液が行かなくなり視野を失う。
 つまり鈴木少佐は先ほどの激しい上下飛行を繰り返した結果、最後の急上昇中に視界が真っ黒になって目が見えなくなっているのでは……という予測。最悪、ブラックアウトは失神するとも言われている。
 通常起きることではなく、そのブラックアウトが起きないよう、下半身を空気圧で締め上半身の血液量を保つために耐Gスーツを纏っているのだから。
 なのにそれが起きた?
「あの強靱な英太になにかが起きるなら、まだ水平飛行をしているのなら、それしか考えられない」
「バレット、応答しろ!」
 さらに雅臣が叫んだ。しかし応答はない。
 フロントカメラの映像はそのまま。青い空だけが見える。
「英太……」
「領空境からだいぶ離れていく、レーダーだと沖縄方面に飛んでいっている。その後をスホーイが1機追跡か」
「そんな明後日の方向に舵を取っているならば、朦朧としてなんとか操縦を保っているのかも」
「それならば、ブラックアウトではなくてグレイアウトかもしれない。それでも危険な状態だ」
 さすがに葉月さんも心配そうだった。御園大佐も沈痛な面持ちになっている。
 最前線で大陸国の飛行隊6機をたった1機で蹴散らしたエースの声が返ってこない。葉月さんが動く。
「いずれ気がつくでしょうけれど、操縦できるかどうか。脱出も不可能でそのまま墜落するかもしれないけれど、救護隊を出すわ」
 ミセス艦長の声が弱々しくなっていた。大事な弟分である鈴木少佐が墜落死するかもしれないからだろう。それでもミセス艦長は動かねばならない。官制員に救護隊出動の指示を御園艦長が出そうとした時だった。
 雅臣の左腕が心優には一瞬光ったように見えた。
「え、なにいまの。ね、吉岡君、光ったよね?」
「え、なんですか。どこですか」
「ほら、城戸大佐の腕のところ」
 小さくキラキラとまだ見える。
「そうですか。見えませんけど、」
 しかし心優はハッとする。雅臣もその光に気がついた? 雅臣が気がつくとその光は見えなくなった。
 そうして気がついた雅臣がじっと見つめているのは、親友の腕時計。雅臣も奇妙な様子でじっと見つめている。
「まってください、艦長。まだ救護隊は出さないでください」
 雅臣が急にきっぱりと艦長に言い放つ。
「どうして。万が一よ。応答がない限り、パイロットの身に何かが起きたと判断する」
 だが雅臣はミセス艦長の判断も振りきるようにして、再度ヘッドセットのマイクに力強く呼びかける。
「バレット、どうした。なにかの悪戯か。なんの悪巧みをしている」
 その呼びかけにもなにも応答はない。カメラには相変わらずの青い空……。背後にはなにも仕掛けてこないスホーイが1機。機体番号は不明。
「やめなさい、雅臣。一刻を争うわ」
「艦長、他の7機が領空線の向こうに戻りました。周辺で編隊を組んで飛行中、ADIZより出て行こうとはしていません」
 大陸国飛行隊の様子が変わった? 対抗するべき機体が全て撤退。つまり侵入はされたが、こちらの願いどおりに国に帰ってくれたのだ。いままでの激しい攻防はなんだったのか……。艦長もヘッドセットを取り外してしまった。
「艦長、中央指令センターの海東司令からの通信です」
 再度、御園艦長がヘッドセットを取り付けた。
「御園です――。はい……、」
 御園艦長の顔色が変わる。
「かしこまりました。お任せください」
 なんの指令を受けたのか。静かな受け答えだった。その艦長が顔を上げ、指揮台に立った。
「司令部より『領空侵犯をした機体が警告を無視し退去しない場合は撃墜の許可をする』との指令が出ました。これより領空に入ってきた不明機に対し撃墜を行う」
 管制室に激震の空気が走る。撃墜の許可が出たということは日本政府の最高権威からの許可が出たということでもあった。このようなことは日本ではほぼない指令。
「このように数機が警告も無視し侵入、これまでも本国機体に対しての機銃攻撃、このままでは日本本国及び国際連合軍の防衛権威に関わると仰せとのこと。その体制に入る。各部署へ伝令!」
 イエッサー! 管制室の男達の声が揃う。
「艦長。ということは、バレットの背後いる最後の1機を撃墜するということですよね」
「そうよ。バレットには救護を出す。後ろにひっついている1機に対しては、スコーピオンとドラゴンフライの2機に行かせる。雅臣、撃墜指令を伝えて」
 雅臣がまだ納得できないように首を振った。
「葉月さん、俺……俺も……」
 副艦長の威厳が消え、雅臣が葉月さんの後輩で教え子である顔になった。
「なに、雅臣……」
「俺も葉月さんと一緒で、なにかがおかしいと思っています。英太にもなにか考えがあって応答しないのでは……と」
 御園准将がちょっと呆れた顔で、雅臣の前で腕を組んで『はあ』とうなだれた。
「優等生の雅臣君がきちんとお決まりどおりに動かなくなったのは、ミセス准将のせいだと言われそうね」
「まだ撃墜命令は待ってください。もう一度呼びかけます」
 彼の気持ちが心優にはわかる。なんとかして撃墜という仕事はさせたくない。或いは顔を見たことがある王子かもしれない機体の撃墜などしたくはない。もちろん指令が下ればそこはロボットのように無感情に従うのが軍人であるとわかっていても……。それが使命とわかっていても『ギリギリまで平和な解決法で粘りたい』そういう気持ちなんだとわかる。
 雅臣が再度、ヘッドセットのマイクに叫ぶ。
「バレット、まだか! もう待てない状況になっているんだぞ!」
 無線の雑音だけ……。
『イエッサー、先輩。待たせました』
 いつも通りの元気なバレットの声が届き、管制室の男達が一瞬だけわっと湧いた。
「どうして応答しない! ブラックアウトになり失神しているのではないかと救護を出すところだったぞ」
『申し訳ありません。いま、映像送ります』
 映像?? そこにいる御園艦長に御園大佐、雅臣までもが首を傾げた。
『後ろのスホーイの誘導でここまで飛行しました』
「スホーイの誘導だと?」
『こっちに来いと何度も指さすコックピットのパイロットが見えたもんで……。報告すると行くな駄目だ帰ってこいとかいわれるかと思って黙っていました』
「はあ!? それでも報告しろ! その誘導に従って危機に陥ったらどうするつもりだったんだ!」
『処分は受けます。ですが……見てください、フロントカメラの映像を』
 言われなくとも既にバレットのフロントカメラの映像になっていた。
「だいぶ降下しているな」
『もうすぐ海面ですが、このあたりで大丈夫でしょう。いま接近します』
 バレットが海が見える中、旋回したのがわかった。その映像の端に驚く光景が映し出される。
「なんだ、これは……」
 雅臣が絶句する。御園艦長も覗き込んだ。
「やっぱり……、そういうことだったのね」
 バレットが届けてくれた映像には、青い海の上におびただしい数の船舶、そしてすぐ前方には数隻のコーストガード巡視船があった。しかもコーストガード巡視船の1隻からは煙があがっている。つまり、コーストガードも海上国境で攻撃を受けているところ!
 御園艦長の中で何かが一致し、彼女もなにかを決意した顔になったと心優には感じられた。
「澤村。この映像を海東司令へ、そして報告して」
「イエス、マム。至急に」
 御園大佐がダグラス中佐がいるデーター管理のデスクへと向かっていく。
『キャプテン、まだ見て欲しいものがあります』
 さらにバレット機が移動を始めた。
 レーダーを見ていると、こちら空母に帰ってくる方向へと飛行している。リアカメラのスホーイはそこでいなくなっていた。
「7号バレットの背後を追跡していた不明機も、領空線向こうに帰りました」
 官制員の報告に皆がどこかほっとした顔になったのを心優は見る。それは心優も同じ『これで撃墜という最悪の仕事をしなくてすんだ』という安堵だった。
『もうすぐそちら空母です』
 バレットの報告と同時に新たに見えた映像が――。
「王子が言いたかったのはこれなのか……!」
 雅臣も驚愕の表情に固まっている。
 その映像は灰色の空母へめがけて猛スピードで航行している大型漁船3隻の映像だった。
『空母を目標にしていると思います。コーストガードと同じ攻撃をされるのではないでしょうか。判断と警戒をお願いします』
 鈴木少佐の戦闘機が空母を隅に掠めて旋回する映像。
 さらに管制からの報告。
「領空線付近のsu-27の6機、まだ飛行中、ADIZから退去する様子がありません」
「わかった。雷神全機、そのまま上空で待機だ。国境線の警戒に当たれ」
 『ラジャー!』 鈴木少佐を合わせた全員のパイロットから返答があった。
 御園艦長が心優をふと見た。
「心優、シドがどこにいるのか探して、連れてきて。この周辺にいると思うから」
「いえ、……でも、艦長から離れるわけには」
「アドルフがいるから大丈夫よ。あと数十分もすればあの船団がこちらに接触する。コーストガードはいまはあの状態でこちらへの援護には動けないと思う。急いで」
 そう言われたから心優は頷いて、光太を艦長側付きの護衛として念のために置いて、一人で管制室の外通路に出た。
「フランク大尉?」
 指令室をひとまず覗いたがいなかった。
 無線シーバーに問いかける。
「こちら艦長護衛、園田です。フランク大尉どちらですか。艦長がお呼びです」
『資料室前だ』
 すぐに返答があって心優はほっとする。しかも指令室すぐそば、そこの角を曲がったところにある資料室前にいると聞いてすぐに足を向けた。
 資料室。艦長日誌や航海中の事務処理した記録物などが保管されている部屋だった。指令室の角を曲がると少し薄暗い通路にその部屋はある。
 確かにそこに黒い戦闘服姿のシドがいた。背を向けていたので心優は声を掛ける。
「フランク大尉……」
 でも心優はふっと足を止めた。シドだけじゃない。誰かがいた。
 シドの目の前に、がっしりとした背が高い栗毛の男が。誰? 見たことがない。でも腕には国際連合軍のアメリカ合衆国に所属するワッペンがあった。
 そこで心優はピンと来た。もしかして……、あの男性がシークレットで潜入してくれていたフロリダからの戦闘員? 前回、シークレットだったシドと顔見知りなのかと。
 その通りなのか、栗毛の男性がにこりと心優に微笑みかけた。栗色の口ひげがあるダンディな感じの男性で、如何にもアメリカの海兵隊という雰囲気。
「園田中尉だね。艦長付きの空手家女性護衛官、ようやっとお会いできた」
 心優はそっと近寄る。少し違和感がある。シドが笑っていない。それとも先輩の目の前だからクールに振る舞っているのか。
「はじめまして……、園田です」
 シドの背中で敬礼をした。相手の階級がわからない。
「あの、フランク大尉……この方は……」
「おまえ、艦長からシークレットが潜入していると聞いているか」
 シドには教えなくてもいい、あの子ならわかると艦長と御園大佐が笑っていたのを思い出す。ここで心優はどう言えばいい?
「どうなんだ。答えろ。中尉。上官の命令だぞ」
 いつにないシドの険しい追求だった。本当に目上に従うべき威厳を放った。
「はい……、聞いております」
「その時、艦長はどうして俺には報告しなかったかも聞いているのか」
「はい、フランク大尉ならきっとわかると……」
「俺なら、わかる……と……」
 そう呟くとシドが黙ってしまう。
「久しぶりだな、シド。前回の御園艦隊での潜入でもひと苦労だったもんな。大丈夫だ。今回も高知沖から艦内を隈無く警備していたが、不審な点はない」
 シドと一緒に前回の航行で、小松沖から一緒に配備されたフロリダからのシークレット隊員の一人だったらしい。
「お久しぶりです。今回も少佐が配備されたのですね」
「ああ。前回同様頼むと、言われてね。またなんだか騒々しいようだな」
 相手の男は少佐だとわかった。その男が再び、心優ににっこり微笑みかけ、シドへと心優へと一歩踏み出してきた。
「園田中尉。シェーン・ハーヴェイだ、よろしく」
 黒い革手袋をした手を、少佐から丁寧に差し出してくれている。
 心優もシドの背後から一歩出て、フロリダからわざわざ潜入してくれたシドの先輩へと笑顔で手を差し伸べた。
「よろしくお願いしま……」
 手と手が繋がれるその瞬間だった。バシっと何かに強く叩かれた。
 心優の手も、ハーヴェイ少佐の手も! 何事かと気がつくと、シドが黒い警棒で両者の握手を阻止、払い落としていたとわかった。
「え、フランク大尉……」
「なんだシド」
 シドが上官で先輩であろう少佐を睨みあげていた。
「艦長の護衛に気易く触らないで欲しい」
 え。心優は目が点になった。だって、艦長の密命を受けて、もっと言えばフロリダのフランク大将の名を受けて潜入している隊員だよ――と。まさか、嫉妬? いつもの子供っぽい? でも心優は見る限り、シドの目がそういう子供ぽくしても俺は許してもらえることを確信している目ではないことがわかる。真剣な何かを捉えた闘志の青い目。
「なんだ、シドのお気に入りの子だったか。でもあれだろ。城戸大佐と結婚したんだろ。駄目じゃないかもう」
 さあ、もう一度、握手しようとハーヴェイ少佐が心優へと手を伸ばしてきた。だがその手の突き出し方がいままでと違うと心優も感じ取れた。心優を掴もうとしている!?
 また少佐の手が真上に弾かれる。またシドが容赦なく上官の手を叩き飛ばしている。
「く、なんだシド。俺は艦長の護衛に来たんだぞ!」
「聞いていない。ブリッジは今回は、シド一人に任せると艦長に言われている。どうして貴方がここにいる。俺がいま偶然、この通路の警備をしていなければ、貴方はどこに行こうとしていた」
「園田中尉が言っただろう。艦長はおまえにはシークレットが潜入していることは言わないでいたと……」
「俺は聞いていない。もし貴方がシークレットの潜入を任されていたとしたのなら、外がこんなに騒々しい事態の場合はブリッジではなく、外回りの警備をするよう命じられているはずだ」
「艦長から事情を聞いていない一介の警備員てことだろ。どけ、園田中尉に案内してもらう」
 少佐の表情がさすがに険しくなった。大尉と少佐では、ハーヴェイ少佐に権威がある。
 でも心優は……。心優が感じたのは……。
「さあ、園田中尉。この空母は危機にさらされている、俺から艦長に報せる」
 ハーヴェイ少佐の大きな手が自分へと伸びてきた。でも心優は一歩下がった。
「できません。艦長へ確認を取って参ります。それまでお待ちください」
 その瞬間、男の顔が恐ろしく歪んだ。この女、どうして俺の言うことを聞かない。そういう鬼の顔。
「行け、心優」
「はい、大尉!」
 踵を返し、シークレット隊員である少佐は不審であることをミセス艦長へと報告しようとシドから離れたその一瞬。
 心優の背後でドサッとした鈍い音が聞こえた。装備に固めた戦闘員同士の服と服がぶつかり合った時のような、訓練の時に体当たりをするようなあの音。
 振り返ると……。ハーヴェイ少佐の腕の中で崩れ落ちているシドの背中……。
 そしてハーヴェイ少佐がシドの腹部からざっと引き抜いたのは銀色に光るナイフ!
「シド……!!」
 それでもシドは肩越しに振り返り、振り絞るような声で言う。
「行け、行け! 艦長に……報せろ!! ここは俺が……」
 でも、そんなシドを置いていったら……、殺されちゃう……!? 心優は動けなくなる。
「おまえ、ここでへましたら、おまえのことなど最低の女だって刻んで死んでやるからな!! 行け、園田!!」
「は、はい……」
 『フランク大尉』の命令だ。心優は悪意の脅威を背中に感じながら、走り出す。
「行くな。行けば、シドをひと思いに殺す」
 重厚な男の声に、また心優の足が止まる。行けば、自分が不審な行動をしていたことも、シドを刺したことも艦長にばれる。それを阻止するために心優を脅迫している。
「くそ、やれ。ひと思いに殺せよ!」
 わかっている。金髪の彼がそうして生きていることもわかっている。彼はほんとうにここで死んでも悔やまないだろう。
 しかし、心優は悔やむ!!
 覚悟を決めた。男の真っ正面を向いて、心優も腰にあるロッドを引き抜いた。
「ばか……、心優……。だからおまえ、甘いって……いうんだ……よ……」
 血に染まる腹部を押さえながら、ついにシドが床に突っ伏して倒れた。
 その倒れた彼を真ん中に、黒いロッドを構えた女護衛官と獰猛な空気を纏うフロリダ屈指だろう戦闘員の男が向きあう。
「早く行かないと、どうなるか。女の子にはわからないんだな」
「あなたね、この空母の情報を内部から大陸国に漏らしていたのは……」
 女の子とバカにしていた男にそう告げると、意外だったのかあちらが不意をつかれた顔をした。
「ばれていないと思ったの?」
「ばれるリスクぐらい計算してくる。艦長のところへ行く。管制を制圧する」
 その意志と目的を聞き、心優の心も決まる。
「ここから先には行かせない」
 お父さん。
 父のことを思い出し、心優はロッドを構えた。

 

 

 

 

Update/2017.9.5
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