◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 21. 正義なんて信じない

 

 相手の男はロッドなど持ち合わせていない。なにも持たない状態で心優を見据えている。
「それなりの選手だったと聞いているが、所詮、軍隊の中ではか弱い女の子だ」
 相手がにやっと笑う。心優の額に汗が滲んできた。自分でも分かる。相手は百戦錬磨の戦闘員に違いない。秘密潜入を任される極秘隊員に選ばれた時点で、軍から信頼を得て実力も認められているのだから。
 シドにだってなかなか勝てないのに。シドをやりこめてしまった上官の男に心優が勝てる?
 ここで教えられた判断をするのならば、応援を呼ぶということ。しかしシーバーに喋りかけた時点、その隙を狙われる気がしてハーヴェイ少佐から目を離すことも身動きすることもできない。
「どうした応援を呼ばないと、女の子ひとりでは俺には勝てないだろう?」
 できればあちらから仕掛けてきて欲しい。でも相手もそれをしないということは、心優から踏み込んできてその姿勢から弱点を読みとって動こうとしているのがわかる。
 彼が栗色の口ひげをにやっと曲げて楽しんでいるのがわかる。前回、殺気を振りまいていた不審者とは違う。だからこそ行けない。
「どうしたのですか。わたしを突破しないと、管制室には行けませんよ」
 こちらからも仕掛けてみる。
 少佐は腕時計をちらっとみた。
「まだ、大丈夫だな」
 そういう隙ができるから、心優はシーバーに手を出せなかった。でもこの男は心優から一瞬でも目を離した。今だ! 攻撃ではない、シーバーの無線ボタンを押す。
「こちら園田! 管制室付近通路に不審者を確認。フランク大尉が負傷……」
 言えたのはそこまで。
「無駄なことを。どうせ間に合わないだろう」
 シドを飛び越え、ハーヴェイ少佐が向かってきた。
 でもナイフは腰にサックに収まっている。素手で勝負する気のよう。だが心優はロッドを握ったまま。父のことを一瞬思い出している。
 ――『心優。おまえはロッドの使い方をまだわかっていない』
 振りまわす棒だけではない使い方を覚えろ。
 最後に集中的に教えてくれたお父さんの……!
 父ほどではないが心優より大きな体格の男が弾丸のように突っ込んでくる。心優の鳩尾を狙っているとわかる。男の力で拳をつっこめば、そこで大抵の女は息が出来ないような苦しさに見まわれ倒れることだろう。
 案の定、拳を構えたのを確認。
 心優、相手の拳を追うな。拳が飛んできたら相手の腹を警棒で押さえろ。
 お父さん! 心優は父の声を側に一歩踏み出す。
 ハーヴェイ少佐の拳を真っ正面、それをなんとか横にすり抜け彼の腹部にロッドを縦に差し込み前進を止める。心優の手はそこで止まらない、腹部から男の脇にロッドを差し込みそのまま少佐の肘を跳ね上げる。彼の腕が上へ跳ね上がると下に空間ができる。そこをくぐり抜けるようにして身体を反転、勢いある鉄拳をすり抜けかわすことができた。
 いま心優に見えるのは少佐の背中。そしてお互いの位置が入れ替わったので、先ほどハーヴェイ少佐が立っていた位置へ、心優はシドの側まで来ることができた。
「シド……!」
 すぐに跪いて様子を見てあげたが、その姿勢は目の前いるハーヴェイ少佐に隙を突かれる体勢になってしまう。だから肩越しに振り返って声を掛けることしかできない。
 小さく呻く声が聞こえるだけ。表情を歪め、荒い息づかいで横たわっているだけ。
 そしてハーヴェイ少佐がまた心優に向かって構えた。
「へえ、ロッドの使い方知ってるんだな」
 余裕で微笑んでいた男が、もう笑っていなかった。
「誰に教わった。警棒術……」
 心優は答えない。一切の情報もアイツに与えたくなかったから。
 その時だった。ハーヴェイ少佐の背後に人影。この通路の入口に人が現れた。
「み、心優さん!」
 光太だった。
 ハーヴェイ少佐と光太の目が合ってしまう。光太の目線はすぐに心優の足下、シドへと視線が向いた。その瞬間をハーヴェイ少佐に捕らわれたのがわかった!
「海曹! ブリッジに不審者進入! マニュアルどおりにして」
 心優の叫び声で一瞬呆然としていた光太がはっと我に返った。ハーヴェイ少佐の気も若輩とわかる光太ではなく、心優へと警戒の気を戻してくれた。
 光太もなにも考えずにすぐに元来た通路へと走り去っていった。
『こちらブリッジ、吉岡。不審者を確認。指令室、艦長室、管制室、ロックをお願いします!』
 光太の無線通信が心優の肩にあるシーバーにも聞こえた。
 ブリッジに不審者が現れた場合は、この中枢指揮機関を内側から封鎖する決まりになっていた。不審者に侵入されないため。
 指令室にはコナー少佐と福留少佐が待機している。二人が指令室と続きになっている艦長室も内側からロックをしてさらに中央管制センターに報告をしてくれる。
 管制室ももちろん。きっと御園大佐がロックをしてくれたはず。
 これでひとまず、この男が『味方のふりをして、御園艦長がいる管制室への何食わぬ顔での侵入』は防げた。
 ただし。この時点で外に出たもの、居た者は中にはもう入れない。
 光太は報告するために中に戻っただろうけれど、心優はもう中には入れない。
 一瞬……。雅臣の心配する顔が浮かんでしまう。『心優、なんで一人で残ったんだ。どうして戻ってこなかった』。はらはらして空の指揮の集中力の妨げにならないか、今度は心優は心配になる。
 まだ空には大陸国の戦闘機が八機、撤退もせずに飛行を続けていた。空の対戦もまだ終わっていない。
「おや、なにか心配事でもありそうな顔だな。いいね、わかりやすい女の子は俺も好きだよ」
 しまった。隙を突かれる。あちらからまた飛んでくるように間合いを狭めてきた!
 しかし心優もあちこちに痣を作るほどに今回は訓練をしてきた。ロッドを構えたまま迎え撃つ。
 勇ましい海兵隊である少佐の拳が再度向かってくる。今度は心優を試すための一発ではない。心優を制圧させるための本気の拳の応酬!
 繰り出される鉄拳に蹴り上げてくる膝に足、パンチにキックと繰り返してくる。だが心優はそれをことごとくロッドを巧みに盾にし、自分も蹴りを入れて全て阻止することができた。
 男の顔がまた変わる。歯を食いしばって心優を睨む目になった。女の子女の子と余裕ぶっていたものがなくなったと心優は感じ取る。
 ハーヴェイ少佐からすっと下がった。心優と間合いができる。心優もすっと下がって、構えを整えた。
 彼との攻防をしている間に、シドが倒れていた場所から遠ざかってしまう。しかもハーヴェイ少佐の背後にシドがという位置に入れ替わってしまった。
 シドはもう動かない。それだけで心優の心が乱れそうになる。
 バカ! 気を抜くな! 俺なんかに構うな!
 彼はぴくりとも動かないのに、心優の頭の中にはそんな声が聞こえてきてしまう。
 シドのその気持ち、裏切りたくない! ずっとずっと彼と訓練を積んできた、鍛えてきた! だから心優はそのままハーヴェイ少佐の目を見据えたまま、息切れる呼吸を整える。
 あちらも心優を警戒する態勢になった。簡単に沈められる相手ではないと認めてくれたのか……。だがハーヴェイ少佐も心優を見たまま口を動かし始める。
「管制室侵入は失敗し、ブリッジの指令各所は封鎖された。だが、ここに艦長の護衛官が一人いる。艦長のお気に入りだ。捕らえたら使えるだろう」
 彼の口元にはりついていたマイクにそう話しかけている。
 誰と? 心優は不安になる。いや、もうわかっている。あの迫ってくる大型漁船にいる引き入れた他国の仲間に報せているんだって!
「前回もあなたが? あなたが引き入れたの」
「ああ。そこにいるシドも前回は俺のことをすっかり信用してくれていたんだけれどな。でも気に入らなかったよ。俺には報せない『トラップ』をブリッジに仕掛けていたなんてな」
「そういう用心ができる男だと艦長が信頼しているだけあるってことでしょう」
 シドは前回も信頼している先輩とは思っても、決して全面的に心を許していなかったのだろう。きっとそういう教育をされてきたんだと心優は思う。
 だからこそ心優や雅臣を全面的に信じてくれるから、シドはあんなに人懐っこく甘えてきたり、子供っぽくつっかかってきたり、時々わざと切り捨てて離れようとする。
 シド……。心優は脇腹を押さえて荒く息だけして倒れている彼を遠く見る。涙が滲みそうになる。
 待っていて。絶対に、絶対に助けてあげる。そして、一緒に小笠原に帰還するのよ!
 ロッドを握りしめ、再度、少佐を睨んだ。
「もう既に数人、引き入れている。今頃、警備隊を足止めしていることだろうよ。ということは、中尉を援護するための金原と諸星は来ないって事だ」
 獰猛に輝いた目が心優を射ぬく。
「一対一、俺と女の子の中尉。いまはなんとかかわせても、経験と力が違う。あんたを捕らえて艦長を引きずり出す餌にするよ」
 心優も歯を食いしばり腹をくくる。金原隊長と諸星少佐が確かに来ない。この男が言うとおりに、引き入れた不審者と遭遇してブリッジに入らないよう戦っているのだろう。
 彼がまた向かってきた! 再度、心優はロッドを構える!
 先ほどと同じ。父に仕込まれた警棒術で男の拳を制して、心優からも蹴りの攻撃をする。だがあちらも戦闘慣れしている男。空手家である心優の的確な蹴りを受けても、父と同じように的確に阻止してしまう。
 拳とロッドの攻防と、蹴りと蹴りの応酬とお互いの的確な阻止。互角の抗戦が繰り返される中、ついに二人は資料室前の入り組んだ通路から指令室前の通路に移動してしまう。つまり、心優は攻防はできているが、ハーヴェイ少佐は心優という『壁』と対しながらも『思うところへ移動している』ということに!
「ほうら! 管制室目の前だ!!」
「あっ!」
 指令室前の通路まで移動してしまった一瞬の焦りを読みとられたのか、心優の手にあったロッドを少佐に蹴られ手放してしまった!
 素手のみになった心優のふところを狙って少佐が突っ込んでくる! だが心優も同じところ狙う!
 お互いの胸元にがっしりと腕と腕が交差する。ハーヴェイ少佐が上から、心優が下から、お互いの襟元を掴んでいた。
 力は少佐が上、でも、技は……! 襟元を掴んだまま、逆に心優はふっと屈む。その瞬間、上から力を圧していた少佐の膝ががくんと折れた。
 今だ! 心優はその膝をさらに蹴り入れ、わざと少佐が自分を押しつぶすように体勢を崩した。この大きな男が心優の真上に乗っかればもうどうにもならない。でも! 今度、心優の脳裏には兄の声と顔と大きな手が浮かぶ! 
 行け、心優! 一瞬だ、逃すな! すべてはタイミングだ!
 お兄ちゃん!!
 倒れてくる男、その身体を蹴り上げ、襟元をおもいっきり引き入れ身体を反転ひっくりかえす! 少佐が床の上にどっさりと倒れ込んだ。
 心優はすぐに真上になりその首元をそのまま締め上げる。
 下に崩れ落ちた男の眼がさらに険しく心優を睨んだ。
「と、巴投げ……! ほ、本当に誰に教わっている!!」
「わたしのような女の子のことなんてどうだっていいんでしょ!」
 それでも、どんなに技で勝っても、少佐の首を締め上げているのは細腕。逞しい海兵隊の男が力でいとも簡単にそれを解いてしまう。
 その瞬間、今度は少佐が心優の首元に襲いかかってくる。大きな男の両手が心優の細い首に力強く食い込み、なおかつ今度は彼が心優を力で押したそうとしている。
「もうどうでもいい。おまえなんか必要ない。やっかいだ」
「……こ、光栄ね。あなたの邪魔をする力を持っているて認めてくれたの?」
 首を締め上げられて唸りながらも心優も男の手首を掴んで抵抗する。でもここまでがっしり掴まれたら女の力ではなかなかほどけない。
 やっぱり実力不足――。たった一年の護衛の女の子ができるのはここまでか。
 できているようで、できていなかった。でも諦めない! きっと金原隊長が来てくれるはず! それまではなんとしてもこの男の力に耐えなくては。なんとかして体勢を立て直さないと!
 息ができなくなりそうになって、でも男の腕に爪を食い込ませ心優は首を振る。
 臣さん、臣さん……! 絶対に一緒に還るんだから。シドも連れて……!
「は、離れろ! その手を離せ!」
 そんな男の声と共に、通路に銃声が響いた。
 ハーヴェイ少佐がさっと心優から離れる。心優も首元を押さえ、なんとか彼からさっと離れる。そこでやっと見えたのは、ハーヴェイ少佐の背後で銃を天井に向けて撃った光太の姿だった。
「よ、吉岡君……」
 しかも光太は銃を正面に構え、ハーヴェイ少佐へと向けている。
「床に伏せろ! 伏せねば撃つ!」
 銃口を向けられさすがにハーヴェイ少佐も両手を挙げた。
 どうして戻って来ちゃったの? 心優はそう思った。でも光太の気持ちもすごく通じてしまう。『バディなんだから、相棒を放って俺だけ閉じこもってられるか』、そう思って出てきてしまった? 
「早く伏せろ!」
 ハーヴェイ少佐がゆっくりと床に手をついて身体を伏せようとしている。そうしたら心優もこの男の背中に乗って制圧することができる。だが心優は背後からハーヴェイ少佐のゆったりとした動きを見ていて気がつく。
 少佐の手がさっと胸元に入ったのを見る。しまった! まだ制圧もマニュアル通りである新人の男の子は隙だらけで、言うことを聞いているふりをして銃を抜くタイミングを計っている!?
「吉岡君、避けて!」
 本当に少佐が銃を胸元から引き抜いて光太に銃口を! 心優は必死になって少佐の背中に飛びついた。
 通じたのかすぐに光太がなんの疑いもなくさっと通路の端へと飛び込んだ。
 また銃声が通路に響く――。
「この、勘が良すぎて本当にやっかいだ!」
 光太の狙撃に失敗した少佐が銃を持ったまま、背中に飛びついて邪魔をした心優へと銃口を向けた。
「おまえが死ねば、艦長はさぞや哀しむだろう。それもまた一矢報いるというもの」
 男の眼が光る。でも心優はもう怯まない! 撃てるものなら撃ってみろ! その銃を持つ腕へと掴みかかる。だが男の力は銃口の位置を心優に揺らされながらもきっちりと額へと定めてくる。しかし心優も必死に阻止をする。
「ブリッジロックを誘導、その外で一人奮闘の殉死。誰もが讃えてくれるだろう安心しろ」
 その腕に歯を立てて、かぶりつきたい。そこまで抵抗したい。絶対に負けたくない! でも銃口が心優の額に定まってしまう。

「園田から離れなさい。容赦なく射殺するわよ」

 通路にひんやりとした空気が巻き起こった錯覚。そしてその声。
 男に押し倒されそうな体勢で抵抗していた心優の目の前、ハーヴェイ少佐の背中、その向こうに栗毛の女性が立っていた。
 何かを感じ取ったのか、ハーヴェイ少佐も心優を突き飛ばしさっと離れ立ち上がった。彼が立ち上がったそこには栗毛の女性、彼女がロッドを持って少佐に殴りかかっていた。
「か、艦長!?」
 心優が唖然として床にへたりこんだままでいる目の前で、ハーヴェイ少佐の拳と彼女が振り降ろしたロッドが衝突し交差した姿が!
「ま、まさか。どうして、艦長自身が……!」
 ハーヴェイ少佐も信じられない顔で拳を交え停止した。裏切りの海兵隊員とミセス艦長の目線も激突する。
「ほんとネズミって、上手い具合に網に引っかかってくれる」
 逞しい腕に阻止されたロッドをそれでも艦長は押し込み、海兵の男を制している。
「ネズミだと?」
 少佐の目が憎々しく艦長を見下ろす。
「そうよ。裏切り者をあぶり出していたわけ。最初からシークレットではないかと予測してけれど、見事に的中。ひっかかってくれて嬉しいわ」
 御園准将の琥珀の瞳も冷たく凍って男を睨み返す。
 そして心優はさらに驚愕する。『やはり准将は予測つけていた。しかも、秘密裏に手を打っていた』んだと!
 ロッドの力と男の腕の力の均衡が崩れそうになったそこで、お互いが間合いを取るために弾き合うようにして二人が離れた。
 間合いを取った栗毛の男女が視線で牽制する姿――。
「わたしが狙いだったんでしょう。なんて言われて雇われたの? 破格の金額で? 私を捕獲したら、引き渡したら、一生の生活でも保障してもらえた?」
 ロッドをまだ構えている艦長がふっと笑った。
 だがハーヴェイ少佐もにんまりと笑う。
「そりゃあもう、あんたは高値で取引してもらえるいい物件だったよ。軍隊でちまちま働くよりね」
「わたしを連れていってもなんの価値もないわよ。フロリダ本部にはなにかあれば私を容赦なく切り捨てるように伝えている」
「口だけだ。あんたでなくとも、人道上、救助は絶対に出すだろう。あんたは金になるんだよ。軍隊が金を出すんじゃないよ。実家が金を出すんだよ。必死になって出してくれるだろう」
 さらにハーヴェイ少佐は勝ち誇ったように嫌らしい笑みを浮かべ、御園准将を見据えた。
「あんたは年齢の割にはまだまだイケるんだと。若い男じゃなくて、まだまだ性欲に飢えている強欲なジジイたちが弄ぶには上玉なんだってよ」
 さすがに御園准将がぴくっと反応し、しかもその瞳に不快の色を灯したのが心優にはわかった。
「そこの若いミユちゃんも連れて行けば、さらに売れるかもな。ミユちゃんは若い男たちもジジイも夢中になって群がって徹底的に遊んでくれるだろう。二人とも薬漬けにしてくれるから、あんたもミユちゃんも揃ってわけわからないまま楽しめるようにしてくれるってよ」
 心優はゾッとする。自分を売られることにも鳥肌が立つが、それ以上に御園艦長が連れ去れる理由には、海を防衛する要を担う女艦長を徹底的に外す目的以外に、そうして人質にして金儲けや快楽のために貶めようと狙っている男達がこうして集ってきていたんだと――。
「そうして弄んでいることを知れば、実家の、元中将なんかは娘がいじられまくっていたら、さすがに四十半の娘でも死ぬほど辛いだろう。ミユちゃんが巻き込まれたとあってはそのほうが御園は必死になって動いてくれそうだしな。そうそう、あんたのお姉さんも男にいたぶられて死んだんだよな。御園の弱点だ」
 さっと血の気が引いて心優は言葉を失う。なにこの男――。ほんとうにフロリダで信頼されていた極秘任務の特殊部隊員? 崇高な精神であればこそのプライドがひとつもなく、下劣な傭兵に成り下がっているとしか思えなくなるし、やはりシークレットの極秘任務を任される男は御園のタブーまでも知っている。それを逆手にとって、御園准将を精神的に崩そうとしている!
 しかも少佐はさらに意地悪い笑みで言い放った。
「ナイフを振りかざす男も怖いんだよな? ちいさいお嬢ちゃんの時に殺されかけたんだろ。そんなに強がりもいつまで保つことやら」
 そうして彼が口元のマイクに低く呟く。『管制室通路に艦長が出てきた。捕獲のため集合しろ』と――。
 心優は息を呑む。この男が御園のタブーをどこまで知っているかわからない。でも、御園准将はこの手のトラウマがスイッチになっていて発作を起こす可能性が高い。ここでその弱点を晒すわけにはいかない。心優もロッドを探す。すぐに艦長を護衛できるように……と。
 しかしロッドを見つけて密かに手元に取り戻した時だった。このフロアへとあがる階段から武装とした男が二名現れた。目出し帽で顔を隠している戦闘服スタイル。
 すぐにロッドを握りしめ、心優は立ち上がる。心優の目の前に侵入者の男ふたり、背後には裏切りの少佐。どちらをどうすればいい!?
「心優、艦長は任せろ!」
 もう開かないだろうと思った管制室のドアが開いた。そこからハワード少佐が飛び出してきた。
「アドルフ、遅い!」
「申し訳ありません。準備できました」
 ハワード少佐が御園艦長の前に立ちはだかる。
「光太、俺の背中で艦長を護れ!」
「ラジャー! 任せてください」
 御園艦長の目の前に光太、そしてハワード少佐の壁ができた。
「心優、受け取れ!」
 しかもハワード少佐が床に何かを滑らせ投げてきた。心優もすかさず身をかがめて手に取る。
「メインインカムだ。装着しろ」
 メインインカム? 打ち合わせにはないことだったがとにかくそれを受け取る。小形の無線装着機。ハーヴェイ少佐が付けているものと同じ、小さなイヤホンに頬に伝わせる高性能ワイヤーマイクの無線機だった。しかし装着する暇がない。
 それをポケットに入れ、心優はロッドを片手に侵入者に立ち向かう!
 男が二人襲いかかってきた! 一人ロッドで動きを制し、もう一人に対して狙いを定める。蹴りを飛ばすと見事に命中した。一人がよろけている間に、ロッドで制している男を懐に呼び込んで動かし、こちらの思うとおりの動きをしてくれたため簡単にロッドで後退せることができた。
 そうして対戦して心優はかんじる。『戦闘慣れしてない?』。ハーヴェイ少佐単独での対峙のほうがよっぽど威圧感も恐怖も勝っていた。
 だがそのせいか、階段からさらに三名突入してきた。『まさか、プロというより人数攻め?』。心優一人で五人と対峙することに。
 あがってきた三名が間合いを詰めてくるその間にふと背後を振り返ると、ハーヴェイ少佐とハワード少佐が対峙しているところだった。ハワード少佐の後ろで光太が盾になって艦長を後ろに護衛している。
 その隙に艦長と光太があの小形インカムを耳に装着しているのを心優は確かめる。自分も隙を見て付けたい。だが目の前には心優に突き飛ばされ体勢を崩したものの、また向かってこようとしている男二名、さらにその背後に新たに三名向かってくる。
「園田! 遅くなった!」
 階段からさらに駆け上がってきたのは、黒い戦闘服の男。金原隊長!
「後ろは俺達が引き受ける。艦長の側に行け!」
 金原隊長の横には諸星少佐も。
「行け! 園田を援護せよ! ゴーゴーゴーゴー!!」
 諸星少佐の掛け声で、特攻班の警備隊員達がこの通路に次々と突入してきた。
 父が施した訓練通り、不審者へ突入する勢いに迷いも淀みもない。
「行け、園田!」
「隊長、シドが!」
「こちらで引き取るから行け!」
 いちばん背後で指揮を執る金原隊長の叫び、心優は少しだけシドを目の端に止めがら、急いで受け取った小形インカムを耳に射し込み口元にマイクを近づける。
 ――『こちら艦長。ここで指揮を執る!』
 心優が装着したと同時に、御園艦長の声が聞こえた。
 ハワード少佐とハーヴェイ少佐の対決は互角。身体の大きさも経験も腕前も同じようで一進一退となっている。しかし心優から見ると、ハワード少佐がやや押されているように見える。『まだ怪我が完治していない。全開の戦闘能力ではない』からだと心優は判断する。押されるハワード少佐の背後にいる光太もいつ突破されても自分が盾になるんだとばかりに、ロッド片手に艦長の前に立ちはだかっている。
 御園艦長はそこで護られながら、でもハーヴェイ少佐を目の前に叫んだ。
「ブリッジ管制、指令、艦長室前通路に不審者数名。内一名はフロリダ部隊から配属されたハーヴェイ少佐。護衛の隊員を一人負傷させた。あと五名は国籍不明。少佐の手引きによるものと見られる。しかし、上空の侵犯措置は続行。ブリッジは封鎖。全艦クルーは侵犯措置体勢にて待機、各部署へ伝達せよ!」
 心優の耳にもおなじ指令が聞こえた。このメインインカムが艦長の指令となっているらしい。
 その声に気を取られていると、ハワード少佐が頬を殴られ衿を取られ、あっという間に床に投げ飛ばされる。やはりまだ全開ではない。ハワード少佐が床にうずくまった。
「御園のお嬢さん、一緒に来てもらう!」
 ハーヴェイ少佐の手が光太の肩を越え、御園准将を掴もうとしている! 心優はダッシュで艦長の目の前へ目指す。間に合うか。
「くそ、艦長に触るな!」
 心優は目を瞠る。光太のロッドがハーヴェイ少佐の顎を押さえ、なおかつ膝蹴りを鳩尾に決めていた!
 すごい、いざという時になるとその力を輝かせ発揮する者がいる。光太はまさにそれではないか。しかし心優は驚きながらも『助かった、よくやってくれた』と感謝しながら、御園艦長の目の前に到着。
 光太の一撃で少しだけ後退したハーヴェイ少佐が『かはっ』と息を吐くと、すぐに体勢を整え艦長へめがけてまた向かってくる。
 間に合わない! その通りに、今度は光太がハーヴェイ少佐の拳を鳩尾に受けよろめいている。しかもハーヴェイ少佐がまた銃を構えた。
 しまった。光太がよろめいたことで艦長ががらあきに。無線連絡をしている御園准将へと銃口が向けられる。心優は覚悟する。私が盾になって撃たれればいい!
 艦長とハーヴェイ少佐の隙間に心優は入り込み、両手をいっぱいに広げ艦長を護衛する。
 ハーヴェイ少佐のしまったという顔、しかしその引き金が引かれたのを心優は確認し目をつむってしまう。
 『パスン、パスン』――と、銃声とは違う軽い発射音が意外……、心優の胸についにその弾が……。いや、なにも胸に感じない? 心優の目の前に影、そこには心優より背が高い光太が立ちはだかっていた。
「よ、吉岡君!」
「光太――!」
 さすがに艦長も狼狽え、心優の背から飛び出そうとしたが、心優は足を踏ん張り背を押しつけなんとか阻止する。
 心優の目の前から、紺の戦闘服姿の青年がゆっくりと膝から崩れ落ちて床に倒れた。
「光太――!」
「駄目です。艦長!」
「くそ、邪魔をしやがって!」
 またハーヴェイ少佐が銃口をこちらに向けた。
 彼がふっと笑う。心優の目を見て。
「まずはミユちゃんからだ。安心しな。少し痛いだけだ」
 向けられた銃口に違和感を持った。先ほど、心優の額に向けられ銃と違う。もしや……。心優は床に崩れ落ちた光太をもう一度確かめる。
 『いてぇ……』と光太が胸を押さえながら立ち上がろうとしていた。彼が胸から何かを抜いて、床にぽろりとそれを落とすとまた倒れてしまう。
「女性ふたり、綺麗に持っていかないと金にならないんだよ。ミユちゃんも眠ってもらおうか」
 麻酔銃だ。光太の胸に撃たれたのは麻酔の針を施した弾。それでも強力な麻酔なのか、光太はそのまま朦朧とした目つきで立とうとしても立てずに何度も床に崩れ落ちて、ついにつっぷして動かなくなった。
「アドルフ、光太を保護して!」
 ハーヴェイ少佐との戦闘で艦長から離れてしまったハワード少佐が指示通りに光太を抱きかかえ、通路の端へと保護してくれる。『光太、光太』とハワード少佐が頬をたたくと、ぼんやりだけれど光太が目を開けた。でもすぐにかくんと頭を垂れ眠ってしまう。
 それでもほっとした。ほっとしたけれど、まだこちらも女ふたり捕獲で狙われている。
 ロッドを構え、心優は再度、ハーヴェイ少佐と対峙する。あちらももう弾数がないのか慎重になっている。すぐに撃ってこない。麻酔銃を一旦腰のベルトに引っかけ、また本気の構えを見せた。
 そこで心優もロッドを床に放る。こちらも『本気の真剣勝負』を挑むと腹を決めて。
「いいのか、ロッドを捨てて」
「だって。こっちのわたしが本当のわたしだもの」
 初対峙だった先ほどとは違う空気が二人の間に漂った。
 プロの戦歴がある海兵隊員、戦歴はないが技一筋磨いてきたメダル候補の空手家。少佐がやっと心優の実力を警戒してくれた間合いに眼になってくれていた。
「さっきの巴投げは堪えた。園田中尉を完全に倒してから、艦長だな」
 確実に、全力で心優を倒す。その眼差しになったのを見る。
「心優、応援がくるまでなんとか堪えて。ここで指揮をするけれど、私も援護する」
 艦長もロッドを握りしめ、脇には銃を携帯していた。
 どうしてこの人が出てきてしまったのか、心優にはわからない。でもこの人がでてきたことで、この男達は管制室を無理にこじ開けようとはしない。いちばんの獲物が室内ではなく、通路に出てきているから。
 そうか。御園艦長は自分を餌にして、管制室を守ろうとしているんだとやっと理解した。
 管制室では、空を飛ぶパイロットとパイロットの距離感や心理を繊細に読みとり指揮をしなくてはならない。そんなところにこんな騒がしい男達が侵入すると指揮に差し支える。
 だから――。
「メディックワン、早く来て。負傷者二名、一人はナイフで刺され重傷。急いで」
 心優の背後で御園艦長が指令を始めた。
「ドッグワンも突入の許可をする」
 メディックワンにドッグワン。これも心優には知らぬコールサイン。
 ハーヴェイ少佐もその指令に少し顔を歪めている。
「ドッグワン? 聞いたことがない」
 御園艦長が心優が護る背後で笑う声で告げる。
「でしょうね。こちらが本当の『シークレット』。あなたは最初から信用されていなかったというわけ。いまからそのドッグワンが来るわよ」
「フロリダの、どこの部隊だ!」
「さあ、どこの部隊だと思う?」
「いままで俺を信じて何度も起用してきたくせに! あんたのぎりぎりラインの航海で摩擦が生まれても、俺があんたの背後を護ってきたんだぞ」
 男が感情を露わにしている。またいつ飛び込んでくるか銃を構えるかわからない。心優はビリビリと投げつけられる大声と表情に警戒しながら、御園艦長の前を護る。
 そんな男に御園艦長が笑む声で、でも冷たく言い放った。
「信じる? フロリダで正義の男と言われ誉れていたそんな男に、私は二度も殺されそうになった。正義ってなに。信じるってなに。それに貴方は結局裏切った。信じるなんて真実はどこにあったというの。そんなものはどこにもない。私は信じない」
 アイスドールらしい言葉。でも心優はそれは『葉月さんの戦うための嘘だ』と信じている。でも事実。そして心優にはわかる。『信じていないのではない。正義の形が定まっていないから自分が信じるものしか信じない』、だから争いが生まれる。御園艦長はそれを知っているから、人の正義は肯定しないだけ。
 ハーヴェイの形相が歪む、これまでになく。彼はいったい何を望んでいたのだろうか。
 そんな男に御園准将が冷たく告げる。
「瀬川アルドはもっと冷酷で、だからこそ『生粋の黒い正義』でもあった。金に執着もなかった。あなたは中途半端――。まったく恐ろしくない」
 艦長の口から瀬川アルドの名が語られ、心優も、そしてハーヴェイ少佐も知っているのか驚き固まった。
『メディックワン、到着』
 心優の耳にそんな男性の声。聞いたことがある!? ハーヴェイ少佐と対峙している向こうでは、不審者と金原部隊が戦闘を繰り広げまだ制圧に至っていない。その間、金原隊長は資料室前通路、シドが倒れている通路に誰も入らないよう守っている。その通路に紺色の戦闘服を着た部隊が入ってきた。
『メディックワン、救助者確認。治療開始します。戦闘を避けるため、資料室に入りロックします』
「頼んだわよ」
 メディックワン。御園准将が特別に控えさせていた救急医療隊? 
『もうひとりの負傷者はどちらに』
「私の護衛が一人、いま側に倒れている。麻酔銃で撃たれた」
『後ほど伺います』
 聞き覚えあるその声を心優は思い出す。まさか『ミスターエド』!?
「これでシドは大丈夫。私もよく助けてもらっている敏腕医師に来てもらったからね」
 御園准将の言い方で心優も確信する。絶対にメディックワンとして配属されいたのはミスターエド。今回は影猫ではない配置にいたらしい。
 心優は心からほっとする。あのミスターエドならなんでもしてくれる、やってくれるはず。それに彼にとってシドは甥っ子みたいなもの、絶対に助けてくれるって。
 そのうちに背後の侵入者も諸星少佐率いる特攻班にひとりふたり制圧されていく。
 だがそれでもハーヴェイ少佐は余裕だった。
「そのうちに甲板の戦闘機が炎に包まれる大惨事になる。あんたはそれを防げなかった艦長として名を刻むだろう。あと十分もすれば攻撃が始まる」
「あれだけの大型漁船なら、ちょっとしたミサイルでも積んでいそうね」
「そういうことだ。確実な飛距離を確保したら攻撃開始。すでにコーストガードの巡視船が一隻、沈没寸前だそうだ」
 御園艦長の目が冷ややかになる。そして心優もコーストガードの巡視船が沈没しそうだと聞き、『あまりにも卑怯!』と怒りの血が沸いてくる。
 そして、ハーヴェイ少佐がさらにほくそ笑む。
「これで戦争開始。俺も仕事が増え、あっちで儲けられる」
 いままで得た国際連合軍の内情に情報を売ってやる。
 そういう話に乗ったのだと男は笑う。

 

 

 

 

Update/2017.10.10
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