◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 22. 艦長、ジョーカーを切る

 

 しかし御園艦長もまったく負けていない。
「だめね、金に執着した男はみな私の目の前で終わった」
 くすっと笑うその余裕が、余裕でいたはずの男には癪に障ったようだった。
「絶対にその冷めた顔を崩してやる。お願い許してといいながらも物欲しそうに乞うとろけた顔を拝ませてもらう。その映像をおまえの夫に息子に娘に送りつけてやる」
 それでも御園准将はさらにおかしそうにしている。
「そこに堕ちた男は皆、同じ事を言う。滑稽ね」
 そうして、御園准将の笑みがすっと消えた。心優がよく知っているアイスドールの顔になった。
「見てみなさいよ。あなたが手引きした男達は金原と諸星に制圧されたわよ。シドも何を考えているかわらなくて扱いにくくて目障りだったでしょう。そういう子よ。私と同じ『信じない』の、世の中を」
 心優はどきっとする。まさにそうだった。シドの生き方がそう。心を開いたり閉じたりしてアンバランス、でも戦闘員としては一品の海兵隊員。
「そんなシドだから貴方が不審だとすぐに嗅ぎつけた。私、あの子の嗅覚をかっているの。それほどの子だから、貴方も危機を覚えまずシドを排除した。園田にシドを呼ばせに言ったところだったのに、一歩遅かったけど……」
 ミスターエドの救命処置が間に合うのか、心優も心配になってくる。
「女艦長を捕獲するための麻酔銃も、新人護衛官の捨て身に阻止されてしまったわね。あなたはいまもまったく成果を得ていない」
「だからいまから――」
「外からの総攻撃?」
「そうだ。飛行隊も雷神を空でひっかきまわす相手をしてくれる役目で、漁船爆撃もできないよう連携済みだ」
「大陸国のスホーイと連携済み――?」
 御園准将の表情がさらに凍った。ハーヴェイ少佐が今度は得意げに言い放つ。
「そうだ。さっきも侵犯され、一機を浚おうとしていっただろう。パイロットの身の安全を守りたければ、あんたが前に出てくるように言っていただろう。それであんたが約束通りに所定場所にのこのこでてくればそこで捕獲――というのが第一作戦だった。だが用心深いあんたはやはりでてこない。戦闘機を浚う攻撃をしかけるのを合図にコーストガードを攻撃、内部情報を漏らしていた俺が手引きして、内部からあんたを捕獲するのが第二作戦。そして、戦争ってシナリオだ」
「そういうことね」
 御園准将がそこで、どうしてか一瞬、眼差しを憂うようにふっと伏せた。しかしすぐに琥珀の瞳を輝かせ、ハーヴェイを心優の背後から見上げる。
「なんだよ。あんたはもう間に合わないんだよ。空も海も封じ込められて、大惨敗で横須賀に帰っても負け将軍としてはやし立てられるだけだ。おまえの信念が招いた結果だってね」
 それか。このまま捕獲されて、男達の快楽の道具になったほうがなにもかも考えられなくなって幸せなんじゃないかと高らかに笑い始めた。
 俺の勝ちだ!
 御園准将の眼差しが寂しそうに彼を見ているのが心優には意外だった。
『メディックワン、処置完了。フランク大尉は無事です』
『こちら金原、ブリッジ侵入者数名の制圧完了するも、甲板よりブリッジにさらなる侵入者を確認、侵入阻止を続行中!』
『こちら指令室コナー、中央管制指令センターより、コーストガードの被害が大きいため救援援護には時間がかかるとのこと。海東司令より、護衛艦からの対空措置と砲撃措置の許可申請中、漁船がミサイルを発射した際の対空処置についてのみ許可が出たとの報告』
『こちら管制、城戸。雷神、上空にて待機。大陸国飛行隊su-27八機も領空線付近を飛行中。ADIZに新たな機影四機確認、上空の雷神二機にて措置を行う予定』
『こちら空官、ダグラス。国籍不明不審船三隻、あと十分で目視の位置に到達予定。ミッキーの偵察にてミサイルらしき装備を確認』
 各所からの報告が御園艦長のメインインカムに届く。
 そして最後の報告が届く。
『艦長、再度、国際緊急チャンネルから問いかけがあります。変わらずに、艦長を出せ、緊急だ、もう時間がないと――』
「わかった」
 艦長はそれだけ答え、黙ってしまう。
 王子からの問いかけには応じないスタンス、それにいまはそれどころではない。心優はそう思ったのに。
「国際緊急チャンネルに繋いで」
 その声を背にして、心優は目を見開く。応じる? こんな状況の時に? 王子もどんな要求をしてくるのかわからないのに?
「どうしたの。今度は繋いで」
 これまでのスタンスを崩そうとしているので、管制室で揉めているのが心優にもわかる。きっと雅臣と御園大佐が『どういうつもりだ。どうする。艦長に従うか、それともためにならないと聞かぬか』の判断をしているのだろう。
 彼等は、夫達はどう判断する? 心優も固唾を呑む。
『国際緊急チャンネル繋ぎました。どうぞ』
 官制員の声――。夫ふたりは、御園艦長の指示に従う判断をしたようだ。
「こちら日本国、国際連合海軍――艦隊、私は艦長である」
 御園准将がそう呟いたのに、ハーヴェイ少佐も気がついた。
「誰と通信している」
 だが御園准将は少佐の目を見ながらも答えない。神経は耳に、空へと向かっているからなのだろう。
 そして心優の耳にもついに聞こえてきた。
『やっと出てきた。遅い』
「お久しぶりね――と言えばいい?」
『はい、お久しぶりですよ』
「パイロット無事に復帰おめでとう」
『ありがとうございます』
 名乗り合っていないのに、王子と御園准将がそれだけで通じたことに心優は驚愕する。
『でもそれどころではない、もう時間がない。こちらの要求を聞いてもらう』
「聞くだけならば、いいわよ。どうぞ」
 通信をする御園准将を慎重に観察しているハーヴェイ少佐が妙な焦燥を垣間見せている。彼も胸騒ぎがするのだろう。
「いや、スホーイはなにもできないはずだ。裏切りもできないはずだ」
 だが心優はその耳に聞こえてきた『王子の要求』に息を呑む。
『こちらの国のことはなにも気にしなくても良い。だから、いまから数分で結構。そちら領空への侵入を許可して欲しい。後始末は自分達でする。その間の迎撃の解除を要求する』
 御園艦長に領空侵入の許可を要求してきた!
 心優にも驚きの様子が出てしまったのか、ハーヴェイ少佐が心優の目を見てまた落ち着きをなくしている。
「なんだ。なんの相談をしている――」
 彼が構えた。御園准将と王子の通信を邪魔しようと、こちらに飛びかかってきた! 心優も構え直し迎え撃つ!
「どけ! スホーイのパイロットに家族がどうなってもいいのかと聞いてみろ!」
 ハーヴェイ少佐の叫びに、また心優の血が熱く沸く。こんな、こんな卑怯な安全パイを用意して勝とうとしている男! 王子には確か待っている婚約者がいたはず。女を貶めて楽しもうとしているこいつらが、そんな女性を人質にとってなにを企もうとしているのかを考えただけで、心優の身体の奥から熱い力が湧いてきた!
「この卑怯者!」
 焦りで冷静さを欠いた少佐の目線は、心優ではなく御園艦長だったため、構えは隙だらけで穴だらけ。心優の渾身の回し蹴りが彼の脇腹にヒットする。ハーヴェイ少佐も鍛えているため倒れはしないが後退した。さらに心優は踏み込み拳を打ち込む。心優の頭の中にはもう『卑怯な男に負けない』しかない。鍛えた筋肉が女である心優の拳なんかでダメージを受けなくとも、心優が拳を打てば打つほど前進を食い止めらてしまうハーヴェイ少佐が下がっていく。艦長の目の前から離れるわけには行かず、心優はいったん立ち止まり、間合いを取り直す。
 その目の前に、大きな男が立ちはだかった。
「心優は艦長の前を死守しろ。この男は俺が相手する」
 ハワード少佐が戦線復帰。そっと通路の端に目線を移すと、倒れている光太の側に紺色戦闘服を纏った栗毛の男が付き添っていた。その男が心優を見つめている。そしてそっと会釈をした。やはり『ミスターエド』。今回はどうしたことかメディック専用の任務服の腕にアメリカ国旗のワッペンを付けていた。
 でも。これで光太は大丈夫。心優は通信をしている御園准将の前を護る。
 だが御園准将と王子のやり取りも瀬戸際――。
「スホーイパイロットの家族を人質にしていると聞いた。それでも貴方は総攻撃の任に反するというの」
『家族のほとんどが海軍人、妻も良くわかっている。それにそんなヘマはしない。貴女のご実家と同じと考えて欲しい』
「実家と同じ……」
『父を甘く見ないで欲しい。甘く見ていたのは、貴女の国に平気で勝てると早とちりで突っ込んでいった部隊だが、さきほどこちらの国でテロ行為と認定した』
 その話を鵜呑みにするかどうか、さすがにミセス准将も迷っている?
『自分を含むsu27二機を先導援護機として、あとsu35四機の侵入許可と迎撃解除を要請する』
「su35、まさか」
『対艦用だ。空母ではない漁船と船団を始末する』
 黙っていたのはほんの少し……。御園准将がマイクに呟く。
「なぜ私に……。こちらの中央管制指令センターへ要請するのが筋――」
『お堅い官制員からお偉いさんを通してでは間に合わないと言っているんだ!』
「こちらで相談する。1分だけ待って」
『わかった』
「管制室にもどして――」
 国際緊急チャンネルから、管制室へと無線が戻る。
「雅臣」
 心優の夫を呼んだ。
『はい』
「心優は無事よ。私を護ってくれている」
『はい……、そうですか……』
 若干、雅臣の声が震えているように心優には聞こえた。心配で堪らないけれど、お互いの責務だけに集中している。でも、心優の安否を知って泣きたいほどほっとしてくれているのだって……。
「雅臣、あとのことは頼んだわよ」
『え? あの』
 御園准将の視線がハーヴェイ少佐を睨む。
「切り札を使う。もう雅臣がいるから空の事はなんら案じていない。わかったわね」
『あの、艦長、まさか……。俺は確かに切り札をと言いました、ですがそれは絶対に……!』
「雅臣が帰ってきて嬉しかった」
 まるで何処かに行ってしまうかのような言い方に、心優はハーヴェイ少佐と互いにじりじりと制している気力を失って、振り返って葉月さんに問いただしたくなる。でもできない。
「澤村も、あとをよろしく」
『おまえ……、海東司令はどうするんだ。いま必死に護衛艦が照準を取る確認と許可を取っているはずだ』
「間に合わない。だから『御園の勝手』、知らないほうがいい」
『そうだな。そのほうがいい。わかった、任せろ』
 夫からの言葉を聞き終えた御園艦長が、口元のマイクに叫ぶ。
「いまからsu-27二機、su35四機の領空侵入を許可する。その間、迎撃、撃墜はいったん停止! 管制ともに上空の雷神は各指揮官の指示に従え!」
 とうとうやってはいけない決断をしてしまう。心優はいますぐにも艦長に抱きついて『やめてください。海東司令の指示を待ってください』と止めたい。でも……『現場でしかわからない危機感』がそうさせない。
「緊急チャンネルに戻して」
 戻ってすぐ、王子の叫びが心優の耳をつんざく。
『su35も到着した! はやくしてくれ。もうそちらのブリッジから漁船が目視できる位置に到着する。攻撃がはじまるぞ。まさか中央管制指令に許可を取るというのではないだろうな。そちらの幹部を通してからでは決断が遅れる! それともそちら国際連合軍の部隊でその漁船を爆撃する決断がすぐにできるのか? 攻撃されてからではないと手が出せないんだろ! その間に貴方の艦は間違いなく炎上する!』
 さらに王子は続けた。
『俺は貴女ならどんなことでも読みとって、どんなことでも判断してくれるだろうと思って、貴女の艦隊を前線に引きずり出すため、対国戦闘機を脅す作戦に参加した。他の艦隊ではない。俺と会ったことがある貴女の艦を呼びたかった。貴女の艦がここまでくれば、貴女ならどんなことでも……、通じると信じて……』
「領空侵入時間は三分。これで決着して、絶対よ」
『わかった。充分だ』
「だからって貴方の言葉を信じているわけではない。対艦ミサイル搭載のスホーイまで連れてきて、私に許可をさせてやすやすとこちらの空母を爆撃なんて作戦かもしれないしね。こちらは度々の貴方達の侵犯で撃墜命令が既に出ている。侵入してきたスホーイは侵犯として容赦なく撃墜する、その覚悟もできてるの!?」
『信じてくれないのは覚悟している。だが……、俺達に後始末をさせて欲しい。それが、必要なことなんだ、どうしても……』
 王子の切なる声を聞いていて、『大陸国内部、とくに軍内でなにかが起きていたんだ』と心優は感じ取った。本当ならば、ここまで侵犯されたらこちらも遠慮なく攻撃ができる。しかしこちらも攻撃をしたらそれはそれでリスクを生むこともある。難しいその判断がいま、空と海で待ったなしに迫られている。
「だったら許してくれるわね。侵入したと同時に、全てのフランカーの背後に白い戦闘機を付ける。いつでも撃墜できるよう追尾させてもらう。少しでもこちら艦隊に被害がでると判断したら、容赦なく六機を撃墜する。さらに許可した以外の機体数で侵入してきた時も撃墜する。それが条件」
『構わない。その覚悟もしてきた』
「三分よ。わかったわね」
『ラジャー。許可後、テロと判断する不審船に対し爆撃体勢にて侵入をする』
 御園艦長と王子の前代未聞の交渉が成立してしまう。
「雅臣。聞いていたわね」
『はい。あちらの六機が侵入してきたらそれぞれの背後に撃墜体勢で追尾させます。担当するパイロットへいまから指示します』
 雅臣も素直に返答している。管制室も艦長の意向に従う心積もりを整えているようだった。
「隼人さん……」
 最後に御園艦長が葉月さんの声で夫を呼んだ。
『なんだ……』
「いままでありがとう」
 まるで別れの言葉のようで、でも心優にもこれが如何に重大な実行か先がわかるだけに涙が滲みそうになった。
『ずっと前からおまえの散り際も見る覚悟だったよ。大丈夫だ。思うままに行ってこい』
 そして止めもしない夫の後押し。もしかして葉月さんはこれが欲しかった?
 心優はふと肩越しの艦長へと振り返る。泣きそうな琥珀の目。その目と心優は合ってしまう。
「葉月さん、わたしも一緒についていきます」
「心優――」
 旦那さんから勇気をもらったんでしょう。そう言いたい。でも御園艦長はもうわかっている。その琥珀がいつものアイスドールのガラス玉に戻った。
「国際緊急チャンネルに戻して……」
 力無いこの声を管制室ではどう聞いていることか。自分が決意した痛みをわかっているからこその声……。
 だが御園准将はまだやってくる侵入者の制圧をしている通路を見据え、声を張る!
「こちら国際連合海軍――艦隊、艦長。上空のsu-27、su35に告げる。三分間の迎撃を解除、希望の六機のみ侵入を許可する!」
 その声に通路で戦闘をしている誰もが振り返った。その焦りはハワード少佐と殴り合っているハーヴェイ少佐にも。
「なんだと敵機を引き入れたのか! バカじゃないのか!」
 彼がハワード少佐を突き飛ばし、高らかに笑った。でも心優もそう、御園准将も彼を冷ややかに見つめるだけ。
『こちら城戸。いま指定の六機が侵入しました。背後に雷神をつけます』
「王子にはバレットをつけてあげて、もしテロ側から王子に攻撃があれば迎撃するように伝えて」
『そのつもりです。おそらく彼がリーダー機でしょう。率先して侵入を開始。コーストガードがいる沖縄方面にsu27一機、su35二機の三機が向かいました。雷神も追尾させています』
 コーストガードを攻撃している船団も彼等が爆撃してくれるということらしい。
『こちら管制。本艦に王子の編隊三機が接近。漁船船団ロックオン、あと50秒との通信あり』
「全クルーに告げよ。これより前方にて確認の『不審船爆撃予定のため』艦内に退避、安全を確保し待機するようにと」
『ラジャー。全艦内、伝令開始』
 艦内への避難サイレンが響いた。
 ハーヴェイ少佐が真っ青になって立ちつくした。
「あんた、なにやってるんだ。一艦長が……、そんな指令を勝手に下してどうなるかわかってんのか……」
「あと30秒――、」
 准将のカウントに、さらにハーヴェイ少佐が首を振って後ずさりを始めた。
「なんだってやるわよ。上空のスホーイのパイロットだって家族を人質にとられても命がけ。もう空を飛べない私だけれど、国籍が違っても、これで准将という地位を剥奪されても、彼等と同じよ」
 あと20秒。
「護るためならなんでもする」
 こちら管制、su27、su35、目視で確認。13,12,11,10,9……
 管制からもカウントが続き、暫く。ドーンと大きな音が聞こえてきた。
 一度だけではない、さらに大きな爆破音が数回聞こえ、通路の窓がびりびりと揺れ始めた。
「管制、どうなったか報告して」
『前方確認の不審船三隻、侵入機の爆撃を受け炎上! 目視で確認』
『こちら城戸、雷神からの報告によると、コーストガードを攻撃していた船団も爆撃した模様。こちら空母側の爆撃も終了。su27、su35が領空線へ向かっているのを確認。退去まで追尾続行中』
 王子の飛行部隊が『後始末』と称した自国から攻撃へ出て行った船団を爆撃したとの報告。
『侵入のsu27、su35、六機とも領空線から退去、ADIZまで退去確認』
 そしてそのまま祖国へと素直に撤退してくれたようだった。
『六機の退避確認、念のためパトロールを続行中』
 ブリッジ指令フロア通路の窓が、青空を映しながらも赤色に染まる。まだ爆発音が響いている。
 御園准将がそこで心優の前にそっと出た。見上げたその顔は微笑を湛えている。
「退路もなくなったわよ」
 前に出ようとする艦長の正面を護りながら、彼女がハーヴェイ少佐に歩み寄ろうとしているのについていく。
 もうハーヴェイ少佐の額には汗がだらだらと噴き出している。
「ハーヴェイ少佐を捕獲せよ!」
 今度、前後と封じ込められたのはハーヴェイ少佐。その男が悪あがきのようにして、また銃を構える。今度は麻酔銃ではない実弾の拳銃を艦長へと向けている。
「いい加減にしろ!」
 そんな銃を構える男に果敢に向かっていったのはハワード少佐、彼が大きな身体でなりふりかまわず銃を構える男に体当たり。突き飛ばされたハーヴェイ少佐が衝撃で銃を落とした。だが体当たりで後ろにすり抜けたハワード少佐を横目に体勢を立て直し、艦長と心優へと向かってくる。
 行く! 今度こそ! 
 男の凄まじい形相と拳が見える。だが心優も姿勢を低くして拳を突き出してきた男の腕の中に入り込む、そして渾身の拳を真上に突きあげる! 
 拳の真上は男の顎、もうなにも怖くない。穏やかに暮らすわたし達にわたし達の家族、それと同じように暮らすたくさんの人々、それを護る隊員にも家族がいる。それはわたし達も、王子も同じ。それをなりふりかまわず、己の利益を追い求めるためだけに卑劣に傷つける者がいま目の前にいる。
 シドを殺そうとした、王子の妻を恐怖の配下に縛り付け、そして艦長とわたしを女として貶めようとするなんて絶対に許さない。負けない!!
「ぐっは……っ」
 男の顎が真上に跳ね上がる。それだけ身体の正面ががら空きになれば、もう心優のもの。次は鳩尾に膝蹴りを一発、男の身体が今度はくの字に曲がる。最後にもう一度、遠心力で威力が増す回し蹴りを首元に一発!
 男が床に倒れ込んだ。
「心優、よくやった。制圧だ!」
 ハワード少佐がロッドを片手にハーヴェイ少佐の真上に乗っかった。腕も首も大きなハワード少佐に締め上げられたら、もうこの男もどうにもならない。
「不審者、制圧!」
 だが艦長はまだ油断していなかった。
「金原隊長、ハーヴェイ少佐を制圧した。拘束衣を持ってきて」
『ラジャー。すぐに参ります。諸星、行け』
 諸星少佐と数名の警備隊員が駆けてくる。
「艦長、お見事でした」
「私ではない。園田とハワードが制した」
「俺じゃないです。心優が見事な空手道で――。そこを自分が制圧しただけです」
 艦長とハワード少佐の言葉に、拘束衣を部下に準備させている諸星少佐が心優を見た。
「凄いな、見たかった」
「いえ、必死で……」
 前ならここで泣きたくなったはずなのに。今回はもうただただ『からっぽ』という感覚だった。
「くっそ、まだ終わっていないぞ! まだあっちの国にはおまえを排除したい軍人がたくさんいるんだからな!」
 黒い戦闘服の警備隊員数名に雁字搦めに拘束されても、ハーヴェイ少佐は暴れて叫んでいる。
「はやく拘束衣を着せろ。口にも嵌めろ」
 自殺防止の拘束専用猿ぐつわを装着されると『うー、うー』という唸り声しか聞こえなくなる。
 目隠しもされ、ハーヴェイ少佐はあっという間に白い拘束衣で身動きできない状態にされてしまった。
「すぐに留置場にて監禁します」
「お願い」
 御園艦長が心優を見た。
「よく護ってくれました。ブリッジも、私も……。アドルフもありがとう」
 艦長護衛官として労われたが、心優もハワード少佐も『いいえ』と首を振ってしまう。
「今回は貴方達に怪我はないようね。光太は……」
 艦長が急ぎ足でミスターエドが控えている通路脇へと向かう。心優も一緒に向かった。
「吉岡はどう」
 ミスターエドが今回は素顔をさらしたまま、艦長を見下ろす。
「大丈夫です。数時間すれば目を覚ましますでしょう。麻酔弾から検出した薬品の種類も確認しましたが大丈夫です。針が刺さった部分だけ消毒の処置と以後観察が必要です」
「よかった。シドは――」
「気管挿管の上、出血点を確認し遮断している状態です。これからさらなる処置が必要です。できればこちらのオペ室をお願いします」
「いいわよ。すぐに行って」
「ラジャー」
 そのままミスターエドはすっと走り去っていってしまった。
 そんな様子を見て、心優は葉月さんに尋ねる。
「あの、今回、あの方は……」
「あのような内通者がいると予測して、用心のために今回は『猫』として忍ばせるのをやめたの。彼は軍事の場にて表に顔をさらすのは嫌がったけれど、今回は医師としてフロリダで特別に契約して登録してもらったのよ。だからアメリカのワッペンを付けていたでしょう」
「じゃあ、メディックのためってわけではなくて――」
「犬になってもいいんじゃないって、架空の部隊名であって、彼の今回のみの単独コードネーム。なにかあれば医師から戦闘員へという指令だっただけよ」
 心優は唖然とする。ミスターエドがメディック部隊を引き連れながらも、彼自身がドッグワン――、つまり『メディックワン=ドッグワン』だったのだと。だからフロリダの本部隊員であるハーヴェイ少佐も知らない部隊名で当たり前だったということらしい。その架空のシークレット部隊、御園准将のはったりにハーヴェイ少佐は怯えていただけということになる。
「そのかわり医師の顔をなるべく貫くという約束だったから、ああやってなにも手出しをせずに控えていたの。なるべく顔と素性を知らせない、今後のためよ」
「そうだったのですか。あの、ミスターエドの本名って」
「登録名は、ジェームス=スミスだったかしらね」
 うわー、偽名そのものじゃないと心優は呆れかえった。でもフランク大将が後ろ盾にいればそんなことはきっとなんとかなってしまうのだろう。
「私も未だに彼の本名は知らない。ずっと前からエドだけよ。聞いても大昔に捨てたと哀しそうに言うだけなの」
 過去があって御園に寄り添うようになったと心優も雅臣から聞かされていた。そのミスターエドが率いてきたメディック隊がシドを担架に乗せて運び出すのが向こうに見えた。
「行ってきてもいいわよ。目の前で刺されたのでしょう、いってらっしゃい」
 一瞬迷って――。でも心優は頷いて、走り出していた。
 本当はいちばんにロックが解かれた管制室に飛び込んで雅臣に無事な姿を見せたかった。でも。
 ――『艦長の護衛に気易く触るな』
 シドがあの鋭い嗅覚で心優を守ってくれたから。ハーヴェイ少佐の悪意の手先が触れないよう守ってくれたから!
 制圧された男達を次々と連行する警備隊員達の間をすり抜けながら、心優はオペ室へと運ばれていくシドを追う。
「す、スミス隊長」
 言いにくかったがそう叫ぶと、ミスターエドが振り返った。
「園田中尉」
「フランク大尉は……」
 彼が首を振る。いまは意識がないという意味だと心優にも通じた。
 それでも立ち止まってくれているミスターエドの側へと心優は行く。
「急いでいます。この艦内で処置後、沖縄基地の軍医療センターまで搬送する予定です。そこで予後を見ます」
 つまりもうこの艦には還ってこないということ。帰還するまでもうシドとはなにも話せない。
 それでも心優は、口に呼吸用の管を押し込まれた姿になって横たわっているシドの手を握った。冷たくなくて温かさを感じることができて、そこでやっと涙が出てきた。
「シド、守ってくれてありがとう。だからお願い、頑張って。会いに来てよ絶対に。わたしも頑張って還るから。帰ったら、一緒にごはんしよう……、ダイナーでビール飲もう、ね……」
 彼の黒い戦闘服にぽつりと心優の涙が落ちた。
「私から伝えておきます。行きます」
 いつもの淡々としているミスターエドの声に、心優も仕方なく担架から離れる。すぐさまシドが運ばれていってしまう。
 その担架を見送って、心優は騒がしい通路を戻る。光太も担架に運ばれ医療セクションへ運ばれていくのが見えた。御園艦長とハワード少佐がその担架を見送っているところへ戻ろうとする。
 その途端だった。心優の耳に聞こえてきた男性の声。
『御園准将を拘束せよ。艦長業務を停止とする』
 メインインカムに聞こえてきたその声は、海東司令の声だった。
『これからこの艦の指揮はひとまず横須賀司令センターの配下に置かれる。現場監督責任者として御園大佐を任命する。ただちに代理の艦長を派遣する。これより御園准将はブリッジへの滞在と出入りを禁止する』
 もう管制室には入室させるな。
 最後の険しい海東司令の指示に心優は凍り付く。
 管制室のドアが開いた。そこから御園大佐が出てきた。
 御園大佐も指示をするためのヘッドセットを付けている。
「艦内クルーへ伝達する。ただいまよりこの艦は、横須賀中央指令センターの指示により、私、御園隼人の指揮下に置かれる。御園葉月准将を拘束せよとの指示あり」
 そして御園大佐が、通路の向こう側に控えている金原隊長に叫んだ。
「金原警備隊長、空母航空団司令からの指示だ。やってくれ」
 眼鏡の大佐が表情も変えずに言った。
 心優も御園准将の元へ急ぐ。
「覚悟できているんだろ」
 御園大佐がうつむく妻の目の前で、やるせなさそうに呟いているところだった。彼女も素直にこっくり頷く。
「海東司令が、貴方を責任者にしてくれて良かった。雅臣にはまだ空に専念して欲しいから」
「そうする。代理の艦長も馴染みのある艦長を指名してくれるだろう」
 横須賀に送還され、厳しい査問があるだろう。大丈夫か――と御園大佐が艦を去るだろう奥様を労っている。
 金原隊長も信じられないという顔で、准将と大佐の目の前にやってきた。
「あの……、ほんとうなのですか艦長を拘束とは」
「本当だ。他国籍機の領空侵入を許可、侵犯機に対しての撃墜命令も勝手に解除したからだろう」
「ですが。あそこで准将が思いきって許可してくれなかったら、自分達の艦が危なかったんですよ」
「だが、本来ならば中央指令センターからの指示を待つべきだった」
 心優もそれを聞いて食ってかかる。
「艦長は艦もパイロットも護ったんですよ。コーストガードへの攻撃だって、侵入を許可したことで終わったんですよね」
 そこで心優は久しぶりに、ホークアイの恐ろしい視線に射ぬかれ、どっと冷や汗をかく。
「部下までがこのように擁護するとあっては、違反者に対してより厳しい取り締まりがあることだろう。そこをよく踏まえろ」
 心優も金原隊長もそこで押し黙るしかなかった。擁護すればするほど、御園准将が部下を扇動したと見られ罪が重くなる、艦長の一存に留めとけという御園大佐からの諫めだった。
「金原隊長、地下の謹慎室へ連れていってくれ。警護を付けるよう言われている。部屋の前に警備員を二名頼む」
「か、かしこまりました」
「この妻はなにをするかわからない。部屋まではきちんと拘束紐にて連行してくれ」
「連行……て」
 御園大佐の容赦ない指示に、金原隊長がショックを受けた顔になる。それは心優も、そしてそこに控えているハワード少佐も同じだった。
「待ってください。御園准将の腕を拘束して――ということですか」
「そうだ。夫の俺でも止められない妻だ。夫だからこそ、案じて命じている。警護を付けて、きちんと一室に拘束せよと言っている。部屋に入れたら外してやれ」
 まだ金原隊長は納得できない顔をして唸っている。
 そこへ、御園准将自ら両手を出してきた。
「金原中佐、仕事よ。きちんとしなさい。もしこれが澤村でも私は彼と同じように『夫を縛れ』と指示をする」
 御園准将からそう言われてやっと、金原隊長は腰に備えていた拘束紐を取り出した。
「失礼いたします」
 御園准将の腕に紐が掛けられた。
「緊急で横須賀指令本部から代理の艦長がくる。今夜になるか明日になるかってところだな。拘束となった艦長は横須賀司令部へ強制送還、その迎えは本日中に来るとのことだ。それまで大人しくしていろ」
「わかっている」
「チョコレートぐらい差し入れてやる」
 あらそう――と御園准将がそこでちょっと笑うと、何故か御園大佐もふっと微笑み返している。夫妻の覚悟はもとっくに決まっている。
 そして心優も同じ!
「御園大佐。わたしは准将に付き添います。わたしは御園准将の護衛官です」
「いまから俺と代理の艦長の護衛に配置されると思うけれどな――」
「それでいいのですか!? 女性ひとり一室に閉じこめてそれっきり。職務停止を言い渡されても御園准将ほどの指揮官が、明日、護衛なしのお一人で輸送機に乗せられてしまうんですよ。まだ内通者がいるかもしれないではないですか! わたしは安心できません、絶対に准将を一人にはしたくありません!」
 そう言いきると御園大佐にまた冷たく見下ろされる。また怒られる? あのゴッドファザーみたいなびんたが飛んでくる??
「わかった。園田も覚悟できているんだろうな。上官の指示に従わなかっただけで、同じような処分を受けるかもしれないんだぞ」
「わたしの行動が間違っているというのなら処分を受けます。でも、こんなに混乱が生じていて、こちらも危険な目に遭ったんですよ。マニュアル通りですべてが護れるものではないと目の当たりにしたばかりです。はっきりいって、中央指令も後手後手だったではないですか」
 そこにいる男性上官達が『うわ』と目を瞠ったのに心優は気がつく。
「園田、おまえ、そんなに気が強かったか? 言うなー」
 御園大佐がしげしげと心優を見つめている。ハワード少佐も金原隊長も苦笑いを浮かべたほどだった。
 だけれどそこまで、心優はまたホークアイの厳しい目に見下ろされる。
「横須賀で査問が始まったら、おまえも自分のことは自分で守れるのか」
「もちろんです。御園准将もお守りします。ですから拘束するなら一緒に……」
「心優、私は大丈夫。戦場に一人なんて慣れているから。雅臣のところに行きなさい」
「嫌です! 葉月さんだって……、隼人さんと……、わたしは護衛官で、夫は飛行隊指揮官で副艦長です。全うするのが夫妻の約束です」
 一歩も引かなかったためか、そこにいる誰もがびっくりした顔でシンと黙ってしまっていた。
 最後に隼人さんが眼鏡の顔で微笑んだ。
「金原隊長、園田を護衛として付き添わせてくれ。俺の判断だ。男も敵わない空手家だ。艦長を助けようと何をするかわからないので、園田にも紐を掛けて連れていくように」
 それでも金原隊長がほっとした顔になった。
「かりこまりました」
 そうして金原隊長が『大佐の指示だ』と言いながらも、心優の腕にもきっちりと拘束紐を掛けた。
「御園大佐、自分も御園准将の護衛官です。明日一緒に横須賀に行かせてください」
 ハワード少佐も願い出たが、今度御園大佐は険しく却下した。
「駄目だ。園田は准将と同性の女性だから許可した。一室に男と女が混ざっているのも困る。たとえ信頼されている異性であってもだ。それにアドルフは護衛の主力、代理の艦長を護衛してもらわねばならない」
 これは絶対命令だとまで釘を刺され、ハワード少佐は残念そうにうなだれた。
「連れていってくれ」
 御園大佐のその指示で、心優とミセス准将は警備隊の男達に囲まれブリッジを後にする。
 甲板レベル1、2と階下へと降りる階段で、心優は管制室へとそっと振り返る。
 御園大佐に言われた。『雅臣君はまだ飛行隊を指揮している。雷神もまだ現状報告の偵察に追われていて着艦していないから、今ここには出てこられない。小笠原帰還まで会えなくなるかもしれないがいいな』――と。その覚悟もあって護衛の道を選ぶのか。そう聞かれた。
 当然だった。ここで夫と離れたくはないと、司令部の指示通りだからと、管制室に戻ったら。きっと雅臣はこう言うだろう。
 どうして御園准将から離れた。おまえはそのために引き抜かれた女性護衛官ではなかったのか。
 ―― 臣さん、どうぞ無事で。
 彼の左腕にある時計が護ってくれる。そんな気もしながら、心優は謹慎の身となった。

 

 

 

 

Update/2017.10.11
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