◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

TOP BACK NEXT

 28. 花道をゆけ

 

 これで最後の航海となる御園艦長が空のお散歩中に、スクランブル発進。
 飛行隊指揮の雅臣も指示をする。
「念のため、規定通りに対領空侵犯措置で二機行かせます。管制、スコーピオンとドラゴンフライへ発進出動を」
「ラジャー、副艦長」
 久しぶりに騒がしくなる管制室と空母甲板。
 御園大佐もバレット機に呼びかける。
「バレット、聞こえるか。ほんとうにギリギリのところを飛んでくれたんだな」
『聞こえますよ〜。キャプテンの指示通りに、ギリッギリのところ狙いましたからね。来ちゃったでしょう〜』
 鈴木少佐も『待ってました』とばかりの余裕だった。
「ティンクも聞こえているか」
『聞こえてる。スクランブル指令出たの? うちの艦?』
「うちの艦に指令が来ましたよ。そろそろ目視できるかと」
 御園大佐の目の前にあるモニター、ミセス艦長が手に持っているカメラで撮影しているのはもう海ではない。雲と空。
『来たわ』
 ミセスの声で、雅臣も、心優も光太も、御園大佐目の前のモニターに身を乗り出す。
「え、どこっすか……。俺、わからないです」
「わたしも……、見えないんですけれど」
 だが雅臣は指さした。
「これだな」
 え、すっごい小さな黒い点? にわかに信じがたくて、心優は光太と一緒にモニターにさらに顔を近づけてしまう。
 御園大佐まで眼鏡の奥の目を懲らして、モニターに顔をひっつける勢い。
「俺もわっからないなー。くっそ、パイロットにだけわかるってなんなんだよ」
 でも雅臣が指さしたその黒い点が徐々に徐々に機体の形になって、ほんとうに近づいてきた。
「御園大佐、接近不明機が国際緊急チャンネルを使って大陸国を名乗り『大陸国領空に近づきすぎるので、すぐに退去せよ』と逆にこちら本国が侵犯になるとのアナウンスをしております」
「御園大佐、機体番号を確認。su27、王子です」
 なにもかも狙ったとおりになって、ますます御園大佐が笑む。
「ここ数日、この海域に必ず出現する王子の機体。待っていたぞ。狙ったとおりだ」
 そして御園大佐がヘッドセットのマイクと口もとに近づけて言い放った。
「ティンク、王子だ。会いたかっただろう」
 ザザと聞こえる雑音の向こう、なにも返答がない。でも御園准将が持っているカメラは、もう大陸国のsu27を目の前にして撮影している。機体番号もばっちり見えていた。
『貴方、ありがとう。なにもかもわかっていたのね。ここに来たくても私からはもう我が侭はいえないとわかって……』
「当たり前だろ。俺は『旦那さん』だぞ。王子かどうか知らないが、バックアップしてやるから行ってこい」
 管制からまた報告。
「御園大佐、横須賀の指令センターより、雷神7号機にて侵犯措置をするよう指示が出ました」
「ティンク、指令センターから侵犯措置の指令だ。やってやれ」
 雅臣もヘッドセットのマイクを口元に引き寄せ、言い放った。
「おもいっきり喧嘩してください。俺もバックアップ待機していますから」
『ありがとう、ソニック。行ってくる。映像も送るから確認して』
 モニターにはミセス准将が撮影している映像。コックピットからの空と海、少しの雲。その目の前に二機のsu27がそれほど遠くはない距離に詰めてきた。
 まるで鈴木少佐のバレットとクライトン少佐のスプリンターと併走するようについてくる。
「御園大佐。変わらず、あちらから『退去せよ』のアナウンスがあります」
「知るか。決められた領空から出ていない。いま飛行しているその位置は、こちら本国の領空だ。むしろ距離的には、王子のフランカーのほうが侵犯寸前だ」
 それでも大陸国は勝手に防空識別圏の範囲を変え、日本のほうが無闇に近づいてくるとの主張をやめないのは何年も前から衝突していること。ある意味、日常。
 しかし今回はそれが頻繁に起きている。コーストガード襲撃事件の直後ということもあって、いまどちらも領海領空付近の防衛についてはピリピリしているのに……。
「バレット機からもアナウンスをさせます。ですが、パイロットでなく、ティンクにお願いしようと思います。よろしいですか」
 御園大佐も頷き『いいだろう』と管制にミセスのマイクを国際緊急チャンネルに合わせる指示が出る。
 そしてコックピットの御園准将へと指示が届けられる。
「こちら管制、ソニック。7号機、ティンクよりお願いします」
『ラジャー。ただいまより侵犯措置に入る』
 まるで業務に当たっている現役パイロットのような返答だった。
 上空にいる御園准将のアナウンスが始まる。
『こちら日本国、Su27、機体番号○○○○に告ぐ――』
 そちらの機体は直に日本国領空に侵入をするため、直ちに退去せよ。
 御園准将のアナウンスが聞こえてくる。管制室がシンと静まりかえる。
 誰もが密かに緊張しているのだと心優にはわかる。いま空では再度『ミセス艦長と王子』が接触しているから。
『こちら大陸国、NW02、機体番号○○○○に告ぐ――。こちら指定のADIZ侵入後、一定時間以上の領空付近の飛行と接近を確認。退去せよ』
 王子の声だと心優も確信する。
『飛行計画を出している。確認を求む』
 御園准将の声――。
『意図した接近に警告をしている』
 王子も引かなかった。
 御園大佐も雅臣も固唾を呑んでいる。今度は笑っていない。ここまでは『王子を前線に引っ張り出す作戦』、それが狙い通りになったことを喜んでいたが、ここから先は『いままで通りの真剣勝負』。
 本来あるはずの『摩擦』。前回の接触は大陸国側にどうしようもない事情があって協力はしたが、もうそんなことはしない。できない。もう対国同士の使命を背負っている。
『こちらは日本国が常より指定している空域である。引くのはそちらよ。退去せよ』
 王子からの返答がない。
 彼女のカメラは、併走飛行をしている王子のコックピットに向けられている。ヘルメットに酸素マスクをつけている顔が判らないパイロットが映っている。
『どうして今日は白い戦闘機が急にここに……。貴女の指示か』
 ようやっと聞こえてきた返答は、日本国アナウンスの声の主がミセス准将だとわかっていてのものだった。
『貴方のおかげで酷い目に遭ったわ』
『貴女が海にいるとわかったからもういい』
 王子のその言葉に、管制室の誰もが驚いた顔を見せた。
 御園大佐と雅臣も顔を見合わせたが、こちらはやるせなさそうに残念そうな顔になり、揃って溜め息をついている。
「やはり、葉月さんが解任されていないか案じていたのですね」
「じゃあ、心配していたミセスが解任されていないとわかっただろうから王子の用事はこれにて終わったってことだな。では、ミセス艦長に手厳しく追い返してもらおうか」
 御園大佐がマイクを口元に近づけ、御園准将に確固たる態度で退避のアナウンスをせよと伝えようとしている時だった。
『貴方がまだ小さくてかわいい男の子だった頃でしょうね。私がこのあたりをホーネットで飛んでいた頃は――』
 退去命令どころか、葉月さんから王子に話しかけてしまう。それでも、御園大佐はそこで口をつぐみ、じっと聞いている。
『随分、前の時代ですね。その時代と、今では情勢も異なりましょう。同じ対処は通用しませんよ』
『その頃から、こちら本国では護り通してきた海域、空域。いままでも、これからも。そして今も! ただちに退去せよ!!』
 若僧の貴方より、ずうっと前から、パイロットだった時も艦長となって空母に乗っても護ってきた。いままでとおなじ対処を貫き通す。ミセス艦長の声に、歴とした硬い意志が込められている。
 この前はここからこちらに入ることを許したが、もう二度と譲らない。そんな御園准将の再度の意思表示だった。
 それでも御園准将が撮影しているカメラにはまだ、寄り添うようにしてSu27が併走し退去する様子はない。
『艦に貴女がいると知りたかっただけだ』
『艦ではない。こっちよ』
 御園准将が構えているカメラ映像が揺れた。そのカメラを持って上下に振っているのがわかる。
『こっちよ。貴方の目の前。後部座席のほうね』
 向こうSu27のコックピットにいるパイロットが、ものすごく驚いた様子でこちらを見た。そうしてずっとずっと、バレット機を見ている映像が、心優たちが眺めているモニターに。
 そこで、王子とミセス艦長が無言で見つめ合っているのがわかる。
 会話はもうない。でも、お互いに見つめ合って何かを語っているのが心優には伝わってくる。
 対立する国同士、隣国の人間。その国で生きていくべき掟が異なっている。国の使命を背負い、それを護る者同士。すれ違い、食い違い、様々な摩擦があっても、もう二度と……、先日のような『実害』は出してはいけない。そう語られているだろうと、心優は思う。
「長いな」
 王子がこちらをじっと見ている映像に、御園大佐が焦れている。奥様と空で通じるそこに、ちょっとした居心地の悪さを感じているのか。
「あ、」
 雅臣がそう気がついた時、御園准将が撮影しているカメラに向かって、王子がコックピットから敬礼をしている姿。
 暫くその美しい敬礼の姿を見せると、su27が片翼を下げ、旋回をして降下していく。
「su27、二機とも退去していきます」
 管制からの報告。雅臣が確認しているレーダーにも、二つの点が徐々に徐々に大陸国本土へと遠ざかっていく。
「葉月に大きな借りがある。ここで一旦、こちらの指示通り従って退いたことで借りを返したというつもりだといいんだがなー」
「借りを返すというよりも、葉月さんに敬意を示してくれたのだと、俺は思いたいです」
「そうだな。これで、おあいこだ」
 御園大佐がほっとした笑顔を見せる。眼鏡のその微笑みはもう旦那さんの顔だった。
 自分から他国籍機の侵入を許してしまった指揮官が、最後に本来の意志を示し対国のパイロットを本来あるべき対処で退けた。
 御園艦長は容易く判断したわけではない。防衛の信念も変わっていない。貫き通した。その姿を最後の空と海で示す。
『こちら雷神7号、バレット。与那国沖へ向かいます。与那国から石垣、宮古、沖縄と、先日の飛行ルートにて戻ります』
 鈴木少佐からの通信。
『与那国、尖閣諸島上空です。降下したいので、許可願います』
「いいぞ。飛行計画でも許可されている」
 バレット機が上空から緑の島々が見えるところまで高度を下げ降りてくれる。
 徐々に徐々に、美しい島と海が――。
 モニターを見ている雅臣が誇らしそうに言う。
「俺達が護っているんだ、ここを。そして護ったんだ」
 緑の雄大な島々、蒼い海、そして青空と、まばゆい光。
「護ったんですね」
 光太も感慨深そうにして、じっと見つめている。
 それは心優も同じ――。
「忘れがたい青……」
 人に刻まれる青。夫が心に残している藍色を追いかけて、心優はここまできた。
『私のかわいい護衛官二人に見えてるかしら』
 見えています。艦長。そして泣いています。わたし――。
 貴女の青い花道を一緒に見ていること、歩いていることに。泣いています。

 

 青い、青い、この道を。白い戦闘機と艦が往く。

 

 青い道をとおり、時に水鳥の群生に出会い、北では流氷に遭遇し津軽海峡へ回避航路変更となり……。
 御園葉月准将は、この一ヶ月後。航海を終え、艦を降りる。

 最後、降りるそこで、真っ白な正装制服姿の御園准将と御園大佐が並ぶ。
 彼女は艦に振り返り、夫と共に敬礼。白い制服の背と肩章が光る。
 その背を心優は見届けた。

 彼女が航海任務の碇を降ろし、陸に上がった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 小笠原の早い二月の桜も散ってしまい、三月末。
 冬制服のジャケット姿で心優は横須賀基地のカフェテリア近くを光太と歩いている。
「横須賀基地に出張に来ているというのに、まさかのドーナツ食べたいでしたねえ」
 それでも光太は『准将らしい』と楽しそうに笑っている。
「もう〜、長沼准将の大隊長室にお邪魔すると長居になるんだから。適当なところでお話を切り上げさせないと、帰りの便に間に合わないかも」
 心優は懐かしいカフェテリアへとバディと一緒に急ぐ。
 横須賀基地の窓辺には桜の花びらがひらひらと過ぎっていく。そんな季節だった。
「うわー、小笠原の桜が二月に咲いて早かったけど、本島でも咲いて二度も見られるだなんて思わなかった」
 本日は横須賀基地で総司令部の会議があり、御園准将も呼ばれて出席ということで、心優と光太も付き添いでやってきた。
 その会議が無事に終わり、毎度の如く、帰りの時間まで『長沼さんのところでお茶していこう』と葉月さんが言い出し『また俺のところがカフェか』と渋りながらも、コーストガード襲撃事件のことを聞きたくてうずうずしている長沼准将の大隊長室にお邪魔させてもらうことに。
 窓辺の空を仰ぐ光太を側に、心優はドーナツの種類を書いたメモを再確認。
「長沼准将まで食べたいとか、塚田中佐の秘書室にも差し入れって……。あのお兄さんたち甘いもの食べないのに……。もう売り切れるころだよね。わたしが横須賀にいる時はそうだったんだよね。いまはどうかな」
「そっか。心優さんにとっては横須賀も古巣なんですよね」
「浜松基地もわたしには古巣だけれど、ここ横須賀は秘書官としてスタートした場所だからね」
「で、城戸大佐とー、運命の出会いをした場所ってことですね〜」
 にやにやする光太に心優もちょっと頬が熱くなる。
 そういえばそうだった……と。あの『面接』から、もう三年が経ってしまう。
 カフェテリアの入口に辿り着くその手前、心優は懐かしい人と鉢合わせをする。
「黒帯ちゃん!」
 うわ、最悪。業務隊の井上少佐が目の前に。
 雅臣が秘書室長だった時に、秘書室の情報を探るために新人で疎い心優にちょっかいをだしてきたり、意地悪を言われたり、さらには雅臣の元カノさん現塚田中佐の奥様も利用して捨てたという嫌な男。
 しかも未だに黒帯ちゃんとは馴れ馴れしい。そんな心優の反応も、向こうの軽い態度もすぐに感じ取ったのか、光太の顔も強ばっている。
「あれあれあれ〜。もう後輩がついちゃってんの。さすがだねー。二年ですごいとこに行っちゃったね〜」
「ご無沙汰しております。申し訳ありません。いま准将のお遣いで先を急いでおります」
 でも以前通り。井上少佐は意味ありげな意地悪い笑みで、心優の前に立ちはだかった。
「でもさ、そのボス。ついにやっちゃいけないことやっちゃって大変だったらしいね。とうとう大隊長を解任ってことじゃないか。なんだって、今月からわけのわからない『飛行部隊対策室』とかいう、秘書官三名、事務官五名の小さな小さな新設部署に追いやられたんだってね。それって左遷ってことじゃないのー」
 相変わらずムカツク言い方。でも心優はもう動じない。新人秘書官だった時はこの少佐のほうが情報に精通していた。でもいまは……、こんな男。だから心優は表情を変えずに答える。
「さようでござますね。わたしは准将のお付きのままで良かったと思っているところです」
「大佐の奥様になると余裕だね〜いいね〜ミユちゃんは恵まれているよ」
 と変わらぬ調子だった男の目つきが変わった。いつにない真剣な男の眼だった。
「でさ。王子とかいうパイロットの情報が欲しいんだよ」
 業務隊の男は情報通。なんとかして情報をかき集め、それを業務にまたは個人の出世の手だてにする。この男はそうして生きている。
 でも心優はふっと笑う。そうか、この男より情報を持つ立場になれたんだ……と。だからこの男がようやっと心優を『かわいい黒帯ちゃん』とからかう目ではなくなった。
「知りません。もっと上の方がご存じだと思います」
「嘘だ。目の前で見ただろ、会ったんだろ。今回も接触したんだろう。いちばん接触しただろう御園准将の側にずっといたのは黒帯ちゃんだ。知らないはずがない」
 思いの外、必死の顔だった。以前だったら……、秘書室長であるラングラー中佐の許可がなければ、心優のような下っ端護衛官はなにも反応してはいけないと言いつけられていた。
 でも、いまなら。心優は『もしかして』と思って、ちょっとかまをかける。
「どちらの方が王子とやらのことを知りたがっているのですか」
 案の定、あの井上少佐が目線を逸らした。『お近づきになっておきたい上官から依頼されているんだ』と心優は感じ取った。
 それに気がついた心優にも、井上少佐は警戒しだした。つまり『もう黒帯ちゃんなどと油断してはならない』という目だった。
「言えば、教えてくれるのか」
「残念ながら、なにも存じません。申し訳ありません、准将のお遣いの途中ですから失礼します」
「次に西南海域に巡回任務に指名されるだろう艦長クラスの指揮官だ。王子について様子がわからず、どう防衛をすればよいか迷っていらっしゃる。聞けば、王子とか言うパイロットは向こうの国の司令官の息子で、接触には気を遣うとか遣わないとかで任命前から神経をすり減らしている」
「どちらの方なのですか」
 はっきりその指揮官の名を教えてくれたら、少しばかりぼかした情報を与えてもいいだろうかと心優は判断した。
 井上少佐の目がますます真剣味を帯びる。態度も神妙で、これこそ手練れの業務隊員ではないかと見直したほどだった。
 でも、言えそうにないのか言いあぐねている。
 ならばと心優から言ってみる。
「わたしに聞くぐらいです。御園とは離れている大佐か准将ということですよね。となればだいたい目星がつきます」
 井上少佐がはっとした顔になる。的中だった。
 城戸秘書室に配属された三年前、心優はこの男に『ボサ子』とからかわられ『黒帯ちゃん』と軽く呼ばれ、挙げ句に『秘書室のお人形ちゃん』とまで言われた。
 雅臣の下で一年、御園准将の側で二年。命がけの任務と、ミセス准将や御園大佐、そして橘大佐に夫の城戸大佐を側に『彼等のプライド』を見せつけられる日々だった。
 もうあの頃のわたしではない。その男がそれを思い知った顔をしている。
「それに艦長に任命されれば、今回起きたコーストガード襲撃事件の情報も対策として上から情報いただけると思いますよ」
「だから『引き受けて後に知れる情報』としてではなく、『引き受ける前に知りたい情報』なんだよ。引き受けないと詳細は教えてくれないわけだろ」
 引き受けてしまったらその重責を背負った航海をしなくてはならない。コーストガード襲撃事件の詳細も任務を引き受けないと知らされない。引き受ける前に知りたい。リスクが大きければ断りたい。その判断材料が欲しいということらしい。
 そんなもの、心優の知ったことではない。うちの御園准将はそれを引き受けて、あの重責の中……、耐えてきたんだから。判断材料なんて、葉月さんにはなかった。
 でも。艦長という指揮官になる幹部の不安もわかる。派閥なんて関係なく、防衛の情報を対策として報せたいという気持ちもある。迷う、迷うならば『言わない』。
「知ってる顔、だよな。艦長の護衛だもんな」
「それでは、失礼いたします」
「待って、黒帯……、いや園田中尉」
 慌てた少佐が胸ポケットから小さな手帳を出して、走り書きを始める。
「これ、これをやるよ」
 向こうからなにかを差し出してきた。
 やはり警戒する。ここでこの男に迷いや躊躇を見せたくなかったが出てしまう。そんな心優の隣から長い腕が伸びた。
「いただきます」
 光太だった。井上少佐からメモ書きを受け取る。
「これ、こちら御園准将側でどうしても構わないってことですよね」
「もちろん。甘く見ないで欲しい。こっちも常日頃、駆け引き三昧なんでね。いつでも『手土産』は準備しているんだよ。でも、ミセス准将に届くことも考えただけのものだ。馬鹿にはしていない」
「有り難く頂きます。中尉に預けますね」
 光太がさっと心優にそのメモ書きを渡した。
 心優も受け取り、その情報をさっと眺める。三つほど書かれていて……。心優は驚き、すぐにそのメモ用紙を胸ポケットにしまう。
「ミユちゃん、悪かったよ。いままで……。それ手土産として準備しているものだから、今回は見返りはいらない。じゃあな」
 でもまた何かあれば駆け引きしよう――。男の目線を初めて向けられ、敬礼までされた。
 心優を、わたしを軍人として認めてくれた。
「あの、」
 去っていくその男が立ち止まる。
「王子にはまだ御園准将が海にいると思わせておいたほうがよろしいかと思います。彼は御園准将だからこそ、領空線で対等になってくれるんです」
 井上少佐が振り返った。
「辞めたとまだ知らないってわけか」
「わかりません。もう……、あちらの国にこちらの人事も知れ渡っているかもしれません」
 心優の隣にいた光太も付け加える。
「白い戦闘機の艦隊ではないとわかれば、荒っぽいことをしてくると思います。御園准将や高須賀准将のような押し気味の航海もリスクがあるでしょうが、引きすぎるとあちらに甘く見られ、以前より頻繁に侵犯をしかけてくると思います。難しいと思いますがそのバランスがこれから必要だと思いますので、御園准将の航路を参考に少し引き気味航路で行かれるとよろしいかと思います」
 下っ端護衛官の若い二人の言葉を、井上少佐はすらすらと手帳に記している。
 心優も最後に付け加える。
「王子も御園准将もおなじです。彼には彼の国の正義があれど、コーストガードや空母を襲撃して手柄を得ようとする卑怯なやり方はしません。その代わり、こちらも歴とした態度を見せないと踏む込む勢いは持っています。こちらはこちらの正義を断固示す、御園准将はそうしていました。王子はそのように歴とした態度で挑んでくれる御園准将を信頼しているように見えました。後の艦長にもおなじ志を示して頂きたいです」
「サンキュ、これでこの方は引き受けると思うよ。そちらの艦長が引退してから、次の艦長がなかなか決まらないんだってさ。そりゃそうだ。西南海域の防衛がどれだけ厳しいものか、責任重大な任務になってしまったからな」
 さらに井上少佐は続けた。
「正直、そちらのミセス艦長を引退させたのは失策だと思うよ。ま、そうなるよう望んでいたおっさんたちがいたみたいだけれど? 彼女におっかぶせていた重責の火の粉が飛んできちまって、いま自分達の配下の艦長指揮官に指名が集中して大慌てみたいだよ」
 そういうのも准将に伝えちゃっていいよと井上少佐は笑いながら去っていった。
 あの意地悪な少佐がこんなに情報を落としていってくれて、心優は呆然。ああ、やっぱり。あちらの少佐が一枚上手だったかも。それだけの情報収集力があるということだった。
「わたし……。あの少佐にめちゃくちゃ意地悪されていたんだよね」
「え、そうなんですか? 心優さんにお願い、これからもよろしく頼りにしているって顔だったじゃないですか」
「ううん。新人だと甘く見られてすっごくいじめられていたの」
 でも、心優はもうにっこり笑っていた。
 わたしはもうボサ子じゃないんだと。
「ところで心優さん。さきほど頂いた情報すごくないですか。あれが見返りナシの手土産て、あの少佐すごいですよ」
「うーん、あまり関わりたくない人と思っていたけれど、どうしようかな。この情報もどうしよう」
「准将に渡せばいいではないですか。あ、待てよ。御園准将に渡すと、即発射でなんかやりそうで怖いな」
 そのとおり。光太もすっかりミセス准将の性質をわかっていて頼もしい。
「どうしようかしら。ラングラー中佐に渡したらいいのかな。でも、大隊長室のための情報ではないし……」
「御園大佐も無理ですよね……」
「そうだね。もう以前のように自由にされていた工学科科長ではないものね」
「どうでしょう。ここは一旦、福留少佐に見せて相談するのは。福留さんならどこに見せれば有効か判断してくれると思います」
 光太の意見に心優も頷く。
「そうしましょう。福留さんなら、准将に直に見せる、ラングラー中佐に渡せばなんとかしてくれる、そうでなければどうすると決めてくれるよね」
 大隊長秘書室から一緒に異動した福留少佐も、いまは心優たちと同じ『対策室』にいる。若い隊員で配属された中、年長者としてまた『お父さん』としてミセス准将の側に置かれることになった。
 ドーナツを買う時も、まったく知らない隊員、顔見知りだった隊員、たくさんの人に声を掛けられてしまう。
 お遣いを終え、長沼大隊長室へ戻る。
「御園准将がカフェテリアではなくて、長沼准将の大隊長室でお茶をしたいという気持ち、俺もちょっとわかっちゃったかなー」
「そうだね。落ち着かなかったね」
 いままではラングラー中佐にハワード少佐がいてくれて、ボスへの目線の気配りをしてくれていた。
 これから暫くは、心優と光太がやらなくてはならない。

 夕方近くになり、ようやっと御園准将が長沼准将に挨拶をして去ろうとしている。
「それでは、長沼さん。お邪魔いたしました。塚田君のロイヤルミルクティーも相変わらず、おいしかったわ。ご馳走様」
 いろいろ話せたのか、長沼准将も満足そうだった。
「とうとうお嬢さんが空からも海からも退場か。お疲れ様だったな」
「長沼さんもサポートありがとうございました」
 いつになく二人とも感慨深そうで、御園准将は深々と頭を下げている。珍しいことだった。
「なんだよ。君が頭を下げるだなんて……。ほんとうに、現場任務を終えてしまったんだな」
 御園准将が頭を下げたままあげない。そのせいか長沼准将の声が少し哀しそう。
 でも。そんなことでしおらしいアイスドールではない。あるはずがない。
 顔を上げた御園准将がにんまりと先輩の准将に微笑む。
「と、いうことで。またパイロットの引き抜きを始めるので、協力をよろしくお願いします」
「はあ?」
「いままでの感謝は伝えたので、またガンガン立ち回っていきます。同じ陸の上、頼りにしてますから」
「いやいや、冗談やめてくれ。ほんっと、もう勘弁してくれ。どれだけうちの横須賀からパイロットをさらっていくんだよ」
「国防のためですわよ。長沼准将」
「やれやれ、どうせ君が『アグレッサーに来て』といえば、どのパイロットもウンというだろうさ。トップフライトの雷神と対等になる黒い仮想敵だろ。雷神すら恐れる表に出ない強敵部隊にスカウトされるなんて、男心くすぐるに決まっている。またパイロットたちが色めき立って、それをまとめる俺が苦労するんだ」
「長沼さんが現役だったら、いちばんに誘ってますよ。エースと言うよりは指令塔、そういうパイロットでしたものね」
「昔の話だよ。忘れた」
 それでも策士と言われるこの准将殿だから、きっとそういうパイロットだったんだろうなと心優も思う。心優の元ボスがパイロットだった時の姿も今度探して見たい。
 それでは、また来ます――と栗毛の准将が笑顔で手を振っても、長沼准将は『さっさと帰れ』と息巻くいつものやりとり。
「さあ。帰りましょう」
 飛行場へと向かう。
 その途中、あの駐車場の側を通る。これは横須賀に来た時はいつものことだけれど、御園准将は決して『一台だけ駐車できない場所』へと目線は向けることはない。
 でも。今回はそこで立ち止まってしまう。
 そこで倒れている御園准将をみつけてしまったのが、心優の護衛官としての始まりでもあった。
 もう事情をよく知っている光太も、心配そうな様子で落ち着きをなくす。
「もうこの駐車場の桜も今年でお終いね」
 昭和時代からあるこの古い駐車場は、飛行手続きをデジタル化するための増設工事でなくなることになっていた。
 この敷地にも立派な桜の木が数本ある。この通路の窓際にもひらひらと花びらが舞っているのが見える。
 御園准将が見ているのは、その花びら。
「帰ったら、アグレッサー部隊のパイロット選びとスカウトの準備に入るわよ」
「はい、准将」
「イエス、マム。室長!」
 心優と光太もその手伝いを始めていた。光太は沢山のパイロットに会える、その飛行視察のためにあちこちの基地へ行けるとわくわくしていて、この仕事に意欲を燃やしている。
 桜の花びらが舞う中、御園准将が歩き始める。その後を心優と光太も行く。
 この日、横須賀で行われた総司令部会議にて、夏目中将総司令より正式に発表された。

 

 小笠原総合基地 御園葉月准将 『小笠原飛行訓練校の初代校長』に任命する。
 
 よって開校のそれまで『訓練校準備室 室長』として準備にあたってもらう。
 
 さらに。開校にあたって、現役パイロットの技能向上を目的とする『アグレッサー部隊』結成の担当、責任者としても任命する。

 

 会議室がざわめいたのはいうまでもない。
 やってはいけないことをやって現場任務から外されたミセス准将だったが、陸に上がったら上がったで、大きなポストを与えられたのだから。
 しかもいままでフロリダ本部側に主導を任せていたアグレッサーとの訓練を、日本独自で展開させる始動も任された。
 もちろん『前(さき)の任務で違反を犯した指揮官に任命するのは何故か』と、夏目総司令に恐れず問う幹部もいたが――。
『彼女はもう洋上に任務に出る予定もない。大隊長も退き業務スケジュールも空白。これまでの航海任務の回数、洋上でこなしてきたスクランブルの回数は誰よりもその実績は勝り、対国のパイロットについても肌で感じてきた経験も豊富。これだけの経験者であれば、これから空に洋上へと赴く若者を育ててもらうには適任だと思ったまでだが、他に彼女を上回る経験者がいればいまここで聞いておこう』
 その夏目総司令官の『君たちからの候補者がいれば聞くよ』との問いに、誰もなにも提示することはなかった。
 ミセスがまた大きな仕事を仕掛けていく。その驚きで会議室はいつまでもざわついていた。
 本日午後開催の上層部会議で発表されたばかりだったため、さきほど会った井上少佐はまだ知らなかったことになる。『よくわからない部署に左遷』と思っていたようだったが、今日から正式に『訓練校準備室』を名乗れることになった。
 御園派と対立している副師団長派は度肝を抜かれた顔をしていたが、心優にしてみれば『ざまあみろ』だった。
 これまで御園准将がなにか失敗しないかと、面倒くさい任務はすべて彼女に押しつけて、リスクある業務は副師団長の力で避けてきた派閥。彼等が待ちに待っていた『ミセス艦長の失態』、他国籍機の侵入を許してしまった艦長というレッテルを貼れる日がやってきた。
 なにも処分がないのはおかしい。このままなにもなかったではすまされない。そうしてなにかしらの処分を願ったのは彼等だったとか……。
 でも心優は申し訳ないが笑いがこみ上げてきて仕方がない。御園准将にリスクばかり背負わせていた一派に、いましっぺ返しが来ている。
 御園艦長がいなくなってしまったせいで、いままで避けてきた業務がますますやりにくい任務として、彼等の派閥にのしかかってくることになったのだ。
 おそらく夏目総司令がそうしているのだろう。『そちらの望みは先日聞き入れた。そのおかげでこの状態になった。君たちが今度はやってくれるね』とか『そちらの望みを聞き入れた故ゆえにこの状態となっている。艦長の穴埋めは必須。やってくれるね』という駆け引きをしてバランスよく任命していることだろう。

 桜ひらひら、茜の空に戦闘機が飛んでいる。
 それを御園准将と光太と一緒に見上げた。
「白昼の稲妻『雷神』をものともしない、火の中でも平然としている『サラマンダー』を作るのよ。深い藍の飛行服、影のパイロットを集めるの」
 桜の花道を往く。
 そのあとを、わたしたちはついていく。
 新しい『ミセス校長』への道を――。

 

 

 

 

Update/2017.12.22
TOP BACK NEXT
Copyright (c) 2017 marie morii All rights reserved.