◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 29. マイ シュガードール 

 

 あああ、もう。こんなはずではなかったんだけれどなー。
 少し伸びてきた黒髪をもさもさにかきまわしながら、補佐デスクで項垂れる。
「ドレスが決まらない。ドレスの試着……、まだできていない。会場の下見も全然できない!」
 結婚式の準備を始めたのに、まったく手つかずだった。
「帰還したらすぐに決められると思ったのに……」
 雅臣と日程調整をしようとしても、お互いの仕事のスケジュールがまったくあわず。というより、いま役職が変わってしまった御園准将の側にいる心優のほうが忙しい。
『そんな慌てなくていいだろ。入籍はしてもう夫と妻なんだから』
 雅臣はそういって、優しくゆったりしてくれている。
 
 准将、待ってください!
 隣の事務室から、栗毛の女ボスと事務官の男性がドアを開けて、新・ボス室へとやってきた。
 デスクの上に広げていた『ブライダルカタログ』をばたりと閉じ、心優はデスクにて背筋を伸ばす。
「准将! そういうことならそうだと教えてくだされば、それを条件に探しましたのに!」
 ミセス准将の後を、事務室を任されている金城少佐がついてくる。それを御園准将は素知らぬふりをして、デスクに戻ってくる。
「准将!」
 事務室長に任命された金城少佐が『室長デスク』にバンと手を突いた。
 御園准将がめんどくさそうに栗毛をかき上げ、『はあ』と椅子に座った。しかも金城少佐と目を合わさないように横座り。
 金城少佐の目線が、ボスのデスク配下にある補佐デスク、心優へと向かった。ドキリとした心優はさらに背筋がぴんと伸びる。
「園田さんも知っていたということだよな。いつから?」
「あの、……」
「心優を責めないで」
 すかさず准将がかばってくれたが、金城少佐はわかっていてそうしている。
「この事務室に自分を引き抜いてくださった時に、准将が『お手本になるパイロットを数名引き抜く予定だから、めぼしいパイロットの名簿を作成して欲しい』と言いましたよね」
「うん、言ったわね」
「その時に! アグレッサー部隊のパイロットとおっしゃってくだされば! それに適したパイロットをピックアップしましたのに。これでは自分がこの二ヶ月やってきたことは! 闇雲にパイロットをピックアップしていただけになりますでしょう!!」
 すごいなこの少佐。心優は唖然とした。いや、さすが御園准将が『準備室の事務官として是非ついてきてほしい』とスカウトしただけある。
 こんなふうに、准将にさえガンガンとものが言えないと駄目なんだと心優は改めて肝に銘じたくなってくる、そんな男性事務官だった。
 金城少佐が怒っているのは、ほんの数日前になって『私のこの対策室は、明日から訓練校準備室となります。いまここでやっている業務はすべて訓練校校長室での準備、アグレッサー部隊創設の準備室となります』と、いきなり告げたから。任務帰還後すぐにメンバーを抜粋した『航空部隊対策室』の事務室長と任された金城少佐の驚き顔と言ったら、怒っている顔に近くて心優は恐ろしくなったことを思い出す。
 その責めがいまボスに毎日襲いかかっていた。
 それでも葉月さんは『予測済みだし』となんのその。空部隊大隊長室にいた頃と同様にふてぶてしい態度で、金城少佐の小言を聞き流している。
「でも、金城君が選んでくれた中から、もうめぼしいパイロットは見つけているのよね」
「どちらのパイロットですか。アグレッサーとなれば、かなりの腕前と経験が必要となります。鈴木少佐が雷神にスカウトされた時のように、若さとセンスで抜擢することは、アグレッサーに限っては通用しないと思っています」
「うん。その通り。だから、その条件で選んでみたわ。バレットやソニックのように若い頃からセンスがあっても、実務経験浅いパイロットは落としている」
 金城少佐が、御園准将がデスクで始終眺めている名簿をざっと取り上げてしまう。
「では。その条件で作り直します。こちらはお返しください」
「わかりました。お任せします」
 もの凄い不機嫌な顔、眉間に深い皺を寄せた金城少佐が隣の事務室へと去っていく。
「金城君」
 彼が隣の事務室へ行くドアを開けようとしたところで、准将が呼び止める。彼も振り返った。
「私が適当で細かいことは苦手なことは知っているわよね。これから、アグレッサー部隊を作り上げていくすべての過程は貴方が作っていくの」
「自分が、アグレッサーを……」
「それから、いまは便宜上『事務室』としているけれど、二年後には貴方も校長秘書室の秘書官になるからよろしくね」
 ますます金城少佐が驚いた顔を見せた。でも、すぐに黒髪をかき上げふっと仕方ないように笑っている。
「かしこまりました。これでもミセス准将の配下で十年、鍛えられていますからね。もう、いちいち驚きませんよ。二日で名簿を作り直します。しばしお待ちくださいませ」
 またシビアな横顔で去っていった。
 そこで心優はやっと息が出来る。
「はあ、金城少佐て凄いですよね。いつも眉間に皺よせていて、いつもビリビリした空気を感じます」
 ボスに対する毅然とした態度も、仕事に対する姿勢もシビア。ミセス准将が『空部大隊本部事務室』から引き抜いてきただけある。
「金城君の事務仕事は精度が凄いのよ。情報収集にも長けていて、連れていくなら彼と前から決めていたのよね」
 しかもただの事務官ではないと御園准将の目が光る。
「空部に対するデーターの記憶量が半端じゃないのよね。空部管理官をやっていただけあって、ここ十年の空のデーターが頭に記憶されている男は彼がいちばん」
 そしてミセス准将がふと微笑む。
「彼も根っからの航空マニアでここに来た男だからね。パイロットになれなかった男でも、アグレッサー部隊を作るとなれば燃えてくれるでしょう。そういうことも見込んでるの」
 『アグレッサー部隊を、この準備室で創設!?』 金城少佐がとてつもなく驚いた顔をしたあと、また眉間しわを刻んだ怖い顔で、ミセス准将が差し出した海東司令が描いた『サラマンダー』のイラストをじっと眺めていた姿も思い出す。
『サラマンダー。濃紺、白い雷神とは対する藍の裏方部隊。でも影の最強部隊。雷神の雷もものともしない……』
 炎の中で悠然と空を見上げている藍色サンショウウオのイラスト。それがこれから作られるアグレッサー部隊の象徴。それを金城少佐が創設までリードして行くことになる。その男の燃える目を心優は覚えている。金城少佐は沖縄出身でアメリカ人とのハーフ。黒い目でもどことなく金色も思わせるタイガーアイ。
 心優も藍の部隊が誕生するのを心待ちにしている。
 それと同時に、雅臣が落ち着きをなくしてしまうことも知っている。
『雷神を任されたと思ったら、もっと最強の部隊を作ろうとしているだなんて』
 いつか俺もそこにいく。それまでは雷神で修行する。それがいまの雅臣の信条だった。
 そんな時の夫の『シャーマナイトの目』をうっとり思い出してしまう。あの目をする時の臣さん、色っぽいの、素敵なの。その信条ある眼差しが『心優』への想いとして見せてくれた時のときめき。
 帰還してから、その気になればいつだって抱き合ってしまう新婚生活を楽しんでいた。しかも、お望みどおりになにもつけないで。そのつもりで。
 なのに生理が一度来てしまった。なにもしなかったら、すぐできると思ったのに……。
 雅臣もちょっとがっかりしていた。ほんとうにすぐに子供が欲しかったんだなあ……とわかる顔だった。
 それでも『気にしない。まだ帰ってきてから一ヶ月ちょっと』と笑ってくれていた。
 さて。仕事しよう。そういえば吉岡君、帰ってこない。どうしたのかな。心優がふとバディの補佐デスクを見た時だった。
「心優、それ私にも見せて」
 ミセス准将がスチールデスクになったそこから手を差し伸べていた。心優のデスクにだしたままになっていた『ウェディングカタログ』。
「申し訳ありません。業務中なのに……。先ほど、休憩時間だったので眺めていました」
「いいわよ別に。貴女には申し訳なく思っているのよ。私の異動についてきて、忙しくて準備もままならないのでしょう」
 そうです――とは言いづらいまま、心優は黙ってドレスのカタログを差し出した。
「まあ、どれも素敵じゃない! やっぱり白いドレスはいいわねえ! ますますお洒落になってきている。羨ましいわ」
「准将も着られたんですよね。空母で披露宴的なお式をされた時に」
「家族のお披露目の時は、食事会用の白いドレスでシンプルだったんだけど、小笠原での披露宴の時はエドが選んでくれたドレスを着たわよ。お腹にもう海人がいたから、お腹がふわっとしたドレスを着たの」
 葉月さんの自宅に初めて訪問した時、リビングにその写真があったのを思い出す。クールビューティーな葉月さんが、とてもかわいらしく可憐にみえるドレス姿だった。御園大佐が真っ白な正装服姿で、後ろから葉月さんと少しまるくなったお腹の赤ちゃんごと抱きしめているのが印象的だった。
 おふたりともさすがに幸せそうなお顔で、心優もうっとりしたほど。
「雅臣とどんな日程を立てているの。早めに言ってくれたら、数日間の有給休暇取らせるわよ」
「はあ……、ですけれど……」
 その日程がまったく合わない。そのうちに妊娠が先になるのではと思っているところだった。生まれてから式を挙げてもいい――なんて、雅臣が言いだしているくらい。
「心優はどうなの。子供のことも考えているのでしょう。私はドレスを着ることについてはなりゆき任せで平気だったんだけれど、女性として妻として希望があるならいまここで通したほうがいいわよ」
 心優の気持ちは子供も欲しいし、白いドレスも早く着たいだった。欲張りなのはよくわかっている。
「子供より先に、ドレスが着たいです。早く終えて、日常で夫妻になって行きたいです。またいつ夫が海に出るかわかりませんから」
「そうね。私もそう思う。でね、心優にも自分で選びたい自由があると思って、差し出がましいかと黙っていたんだけれど……」
 心優が首を傾げていると、御園准将もまだ言うことはちょっと躊躇っている。
「余計なお世話でなければ、ドレス選びはエドに手伝ってもらってもいいのよ。知ってるでしょ。エドの本業はお医者様だけれど、本当の才能はファッションにあったこと」
 お医者様が本業、でも事業は何カ国かで美容室経営をしていたこともあると聞く。若い頃、彼のファッションセンスがいちばんで、いまも御園准将のプライベート服は彼がコーディネイトしているぐらい。心優も、制服ではない仕事に出向く時のスーツを選んでもらったことがある。
「美容室を経営していたんだもの。そこのあたり万全よ。ドレスを買ってもいいし、レンタルもあるし、ヘアメイクもばっちりよ。頼めば小笠原まで来てくれるから」
「あの、ほ、ほんとうによろしいのですか。それは願ってもないことです!」
 心優も飛び上がって喜んだ。
「私が日本にいる時は、彼も横須賀の実家に控えているから、いまなら動いてくれるわよ。連絡しておくね」
 ありがとうございます――と心優もほっと安堵する。
「ああ、でも。心優が希望する本島の式場が持ち込みを許可してくれるかどうかは確認しておいてね」
 あー、そうか。会場との兼ね合いも出てきちゃうのか。まずそっちから決めないとだめかもしれないと、心優はまた項垂れる。
「二人とも静岡出身。静岡でするのかしら」
「そのつもりです。伊豆か沼津かで迷っています。家族だけでする予定なので大きな会場は必要ないんですけれど」
「基地の皆もお祝いしたいと思っているわよ。こちらはこちらでできるように、私達仲人夫妻が手配してもいいのよ」
「空母とか派手なことは……」
「わかってる。アメリカキャンプの食堂でどう? 食事は私達夫妻からのお祝いで準備するから」
「そんな、申し訳ないです」
「それだけあなた達のお祝いをしたいのよ。させてちょうだい」
 雅臣にも聞いておいてね――と、上司ではない優しい顔で言われた。
 そこで二人揃ってデスクに残っている事務仕事に取りかかる。
「明日から四月ですね」
「関係ないわね、私達には」
 国際連合軍の暦はアメリカにあわせているので、日本のように年度末という慌ただしいものがこの時期にはない。
 それでも横須賀の桜も散った頃か。
 まだシドは小笠原には帰ってきていない。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 春の夕凪をみつめながら、心優は基地の駐車場へ。
 片手には車のキー。むかうは白いミニ四駆車。心優の初めての愛車だった。
 それに乗り込み、家路へ向かう。
 警備ゲートでIDカード退出。
「お疲れ様です、城戸中尉」
「ご苦労様です。お先に失礼いたします」
 ひとりだけの車内、運転席で敬礼をする。基地内でもまだ園田と呼ばれることが多く、『城戸中尉』と呼んでくれる数少ない部署だなあと、毎日ここで思っている。
 夕の海辺を白いミニ四駆が走り出す。水面がもう茜を映し始めていた。
 アメリカキャンプの長く続く金網フェンスも通り過ぎ、日本人官舎棟を通り過ぎ、シドが住まう丘のマンションも通り過ぎ、中心街のハーバー街も抜けていく。
 空かしている窓からはいってくる潮風が気持ちいい。
 でも遠いな……。そう思った。帰りにひょいとダイナーに行けなくなってしまった。同僚たちとちょっとそこでお酒を呑んでほろ酔いで官舎に帰るができなくなってしまった。
 それでも、夕の海のドライブは新しい楽しみでもあった。なによりも、心優の心は夫とふたりで作り上げた新居へと心が馳せていく瞬間。
 白い住宅街が見えてきて、心優はその脇道へと右折する。
 まだ舗装がされていない砂利のでこぼこ道の奥へと進む。もう既に一台、黒いワゴン車が止まっている。夫の車だった。今日も先に帰宅している。
 心優もワゴン車の隣にミニ四駆を駐車。運転席から降りると、花の匂いが心優を包みこむ。
 庭には春の花が咲き乱れていた。ここに越してくる前に、沼津から手伝いに来てくれた母が植えて揃えてくれた庭だった。
 マーガレットとパンジーの甘い匂いが庭を包んでくれている。
 庭からそのまま、ウッドデッキをあがり開いているリビングへ。
「ただいま」
 まだソファーとテーブルを配置しただけのリビングの向こう、アイランド型のキッチンにはエプロンをしている雅臣がいた。
「おう、おかえり」
「わあ、カレーの匂い。男カレーだね、やった」
「残念。今日は、先週末に海人から教わったビーフカレーに挑戦な」
「えええ、御園家のビーフカレーてことだよね。さらに臣さんのお手製。それも楽しみ!」
 スポーツパンプスを脱いで、まだ新しい木の匂いがするフローリングへあがった。
「なんで玄関から入ってこないんだよ、せっかく大きな玄関にしたのに。毎日、毎日、庭から出て行く帰ってくるなんて」
「私が先に帰ってきた時は、玄関からはいるよ。臣さんが先の時は、ここが開いているからつい」
 母がガーデニングしてくれた花々の中を抜けて、爽やかな風にそよそよ揺れるカーテンの向こうから、おいしい匂い。もうすぐそこにわたしの場所がある。そう思うと、裏の玄関を回ってなんて面倒くさかった。
「でもわかるなー。玄関にもカーポート作ったのに、俺も庭に駐車してしまうもんなー」
「まだ周辺に家が建っていないから、つい広い道幅のほうに来ちゃうんだよね」
 ダイニングテーブルにはもうサラダや付け合わせがそろっている。
「そういえば、玄関側のお向かいに三軒ほど一気に建ったね」
「御園系列の不動産会社さんが建て売りとか借家にするために急いで建てたらしい」
「そうなんだ。誰か越してくるってこと?」
「さあ。定年退職をした隊員でまだここに住みたい人なのか、この島に移住を考えている人なのか、地元の若い夫妻の新居なのか、老後の移転なのかわからないけれど、そういう需要があるんだってさ。官舎を出て借家でもいいから一軒家に住みたいという隊員もいるらしいからな」
「うーん、さすが商売上手。でも御園系列だからこそ手にある資本でこの島の需要を実現できるってことだよね」
「そうなんだろうな。隼人さんに誘われて、御園家で男同士の話をするとそういうこと教えてくれるんだよ」
 三月の初めにこの家が完成して、日本人官舎からとうとう引っ越してきた。この新興住宅地の初期からいる御園家は道の入口側にあって、城戸家はおなじ道筋の奥。ご近所さんになった。
 その為か、こちらは新婚なので遠慮して御園ご夫妻は訪ねてはこないが、御園大佐が雅臣に飲みに来いよと誘ってくれることが多くなった。
 御園家長男の海人も憧れのソニックが遊びにくるのを楽しみにしてるようで、最近は雅臣の料理の師匠になってしまったらしい。
「着替えてこいよ」
「はーい、大佐」
「家では大佐はなし!」
 ベッドルームへと行こうとした心優の腕を、大佐の大きな手が掴んで引き戻した。
 元ファイターパイロットのエース、その力には勝てなくて、心優の身体は彼の腕の中に抱きしめられている。
「臣さん」
 後ろからぎゅっと抱きしめられ、長身の雅臣が上から心優を覗き込むと、ちょうど耳元に息がふきかかる。
 熱くて湿ったその息だけで、心優は力が抜けてしまう。
「おかえり。全然、疲れてなさそうだな。今夜もいけそうだ」
 彼のシャーマナイトの目が、すぐそこにあって、にっこりと心優を見つめている。
「もう〜、そうやってると疲れちゃうってそのうち」
「朝も元気いっぱいに飛び出していって、帰ってきても……、」
 後ろから心優を抱きしめている雅臣の手が、顎を持ち上げた。心優のくちびるを求めている。
「帰ってきても……?」
 尋ねると、ふさがれるそこで彼の唇が止まる。
「帰ってきても、キラキラの笑顔だな。それに家の中も元気いっぱいだ」
 そんな時にどうしてか彼の目がせつなく揺れた。
「どうして、そんな目なの……」
 臣さんだって、いままで以上にずっとずっと優しい笑顔をみせてくれているよ。
 だって。わたしたち、いまこの新しい家にふたりきり。
 春の花の匂いに包まれて、優しい木の匂いがする白いカーテンのリビングで、潮騒も聞こえて、毎晩、素肌で抱き合って眠っている。
 眩しい海の陽射しと、花の匂い。彩られた華やかな朝、素肌の目覚めも甘くて極上。
 でも雅臣はときどきこんな目をする。
 そのまま彼がなにもいいたくさなそうにキスをした。心優も黙って、そのキスをもらって、自分からも彼の腕を解いて、心優から彼の首に抱きついてくちびるを押しつける。
 心優からちゅっちゅっと強く吸った。それだけで雅臣がほっとした顔になる。
「どうしたの、臣さん」
 わたしは毎日しあわせだよ。こんなしあわせな結婚生活が始まって、最高にしあわせだよ。言葉にせず、彼の目を見つめてじっと見つめて、それでも伝わってるのがわかる。
「怖いんだよ。急になくなったりしないよな」
 優しく抱きしめられた。強く、そして黒髪を撫でられて、彼の胸の中に深く。
 雅臣にとってもいまがいままでの中でいちばんしあわせ。だから、怖い。信じていた世界が一度粉々に壊れたことがある彼のその気持ちがわかるから、心優からも彼を優しく抱きかえす。

 濃紺の夜空に星が見えてくると、ふたりは静かにベッドルームで肌を重ねる。
 いくら求めてもやまない気持ちを、毎夜、毎夜、交わしている。
 新しくてもっと大きなベッドになった。男っぽかった独身男のベッドが、優しいアイボリーのファブリックに変わって。窓辺の景色も、大きな月が見える。海の音も近い。
 なんの遠慮もいらなくなってから、雅臣はさらに貪欲になっている。
 このベッドで彼がなにかを着て寝ているのを見たことがない。心優も下着だけ。つけていても、彼にすぐに脱がされてしまう。
 毎晩、毎晩。ほんとうに猿の発情期とばかりに、雅臣が心優の身体の奥を狙ってやってくる。
「はあ、もう……。元気なのは、お、臣さんのほうだよ……」
 シーツの上に手をつかされ、腰を持ち上げられている。つきだしたまるいお尻を撫でられ、前ならそこでひといき彼が男の塊に薄い膜を被せていたのに、もうそれがない。
 すぐに尖端を押しつけられて、でもそこで心優がちゃんと受け入れられるのかぐりぐりと入口の具合を確かめている。
「や、……もう、は、はやく」
 そんな確かめなくても、もういっぱい熱いものが溢れて、ちゃんと臣さんの先っちょが吸いつく音も聞こえているのに。
 お猿が上位になってにんまりと、心優の背中の向こうで笑っているのが見える。
「はやく、お願い」
 力無く降参すると、また雅臣があの泣きそうな目で心優を見つめている。その目を見ると心優も泣きたくなってしまう。
 ふたりで笑ってキスをしている時だって満たされているのに。なんでだろう。そうして『無くしたくない』という目をされている時、すごく雅臣に求められている気がしてしまう。
 後ろから男が望む時、その男が女以外にも目的を持っている気がする。目的? 本能だよね。お猿の雄々しい、その行為だけに集中している。相棒の顔を見ないで、ただそこに填め込んで、猿の男の本能となににも邪魔されない快楽を食む獰猛な瞬間。でもそこで従えられている女も、強く繋がれた灼けつく熱愛にとろけそうになって、シーツに力尽きたいけど、彼のなにもかもが零れないよう彼を受け止めようと……。
 身体の芯から襲ってくる、こみあげてくる快楽に、シーツに頬を埋め、心優は熱い息を荒げる。
「あん、あ……」
 熱い涙が目に滲んでいた。ああ、今夜は満月。すごく野性的な匂いがする。
 空も星も海も月もあって。花の匂いもあって。風もわたしたちのもの。なにもまとわないで、願っていた野生のままでわたしたち愛しあっている。
 しあわせだって、心優は涙をこぼしながら目をつむった。
 なのに。目をつむると。今度はあの珊瑚礁の海が浮かぶの。この人が見せてくれた藍の天蓋も見えるの。遠い青が見えるの。

 一緒にすべてを賭けてきた『青』が。
 あの『青』はこれからも、わたしたちと一緒にある。
 あなたが海軍大佐という夫で、わたしが海軍大佐の妻である限り。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 雅臣にドレスの話をしてみた。
 翌朝の朝食の時間だった。
 ふたりで向かい合って和食の食事をしながら。
「え、ミスターエドがドレスを合わせてくれるって」
「うん。時間がないし、お願いしちゃおうかなと思ってるの。でも選んだ会場に持ち込みできるかどうか確認しておくように言われたから、会場が決まらないとミスターエドに頼んでいいか決められないよね」
 すると、雅臣が持っていた箸をぱちりと置いてしまう。すでに制服のシャツ姿で背筋を伸ばして、心優をみている。
「そのドレス。レンタルなのか」
 セレブな御園家御用達のコーディネーターがくるから心配なのかと思った。
「レンタルもあるっていっていたから大丈夫だよ」
「そうじゃないのもあるのか」
「ある……みたいだけど……、そういうのは選ばないよ」
 妙に思い詰めた様子で、雅臣が黙ってしまった。
 そして、まるで空母にいた時に雷神をスクランブル発進させる副艦長の顔になって心優をみている。怖くなって、仕事でなにかがあったのかと思う。
「ドレス、俺が買う」
「え? な、なにいってんの」
「どうしようかと思っていたんだ。心優のウェディングドレス、俺が買うから。好きなものを選んだらいい」
「わ、待って、待って! 一度しか着ないんだよ! もったいないって!」
 なのに雅臣が、いやお猿の旦那が『んなの関係あるか!』と叫んで立ち上がったので、心優はびっくりして固まった。
「一生に一度だから買うんだ。そのあと記念としてずうっと取っておくんだ」
 まさか『娘が生まれたら、ママのドレスを着せて嫁に』なんていいだしそう!?
「も、もったいないって。も、もし娘が生まれても、その子が大人になった時にはそのとき流行の素敵なドレスがあって選びたいものがあるから、きっと着ないよ!」
「はあ? 娘になんてやるか! 心優のドレスは心優だけのものだ。俺が心優にプレゼントするんだから」
「どうして、ドレスなんて……」
 一度きりだと思っている。いままでも似合わないに決まっていると思ってきた。それでも似合わなくても今回一度きりでも楽しみにしていたのは確か。
 戸惑っている心優に、雅臣が気恥ずかしそうに本心を教えてくれる。
「お、俺のドーリーちゃんだからさ……」
 ドーリーちゃん。アサ子母は心優をそう呼び始めたが、雅臣もときどきこうして言う。彼にとっては心優を愛でる言葉であって、心優にとってもうれしくなる褒め言葉。
「昨夜も思った。後ろから愛してやってる時、心優のしなやかで綺麗に反る背中、なめらかな身体の線、俺の妻、めっちゃスタイルいいじゃねえか。まさに最高のドーリーだよ、最高!て」
 せっかく凛々しい大佐殿の肩章がついている夏シャツを着ているのに。そう力説する夫はお猿の顔で、でも真面目な顔だった。
「そんなこと……そんなふうに後ろからみてるの……」
「心優にも見えないだろ。だから俺だけのものだ。でも、ほんとうに綺麗なんだよ。最高のドレスを着せてやりたいよ」
 涙が出てきた。
「ど、どうしたんだよ」
「だって……」
 ボサ子だったのに。身体が大きくて男の人には選ばれないと思っていたのに。大佐殿の奥さんになっても、それはおなじ志があって一緒に頑張れるパートナーだから。
 夫に綺麗って。心から美しいよ、最高のドレスを着せたいと言ってもらえるとは思わなかった。
 向かいに座っていた雅臣が、心優がいる椅子のそばまできて、そこの床に跪いて心優を覗き込む。
「心優。な、いいだろ。好きなものをおもいっきり選べばいい」
「車も……、買ってくれたのに……」
「心優があれがいいと気に入ったの、中古だっただろ」
「こんな素敵な家も建ててくれたのに……」
「どうして。嫁さんといつか暮らすくらいの夢はみて、空は飛んでいたよ。俺も夢叶ったんだけどな」
 初めて知った。あの過酷な空でそんなことは一瞬でも思わないはずだけれど。空に向かう男がその拠り所を夢見て向かうこともあったんだって。『空でなにがあるかわからないけれど、いつかしあわせになるために頑張ろう』。雅臣がひとりでそうして浅葱色の飛行服で空に向かっていた姿が初めて見える。
 今度は違う涙が溢れてしまう。こういう男の人達があそこに行くんだ、この人の場所も心も、わたしが護ってあげたいよ。そこで跪いて心優を見上げている彼の首元に抱きついた。
「夢、叶ったんだ。臣さん」
 彼の首元でぐずっと泣いてしまう。
「そうだよ。だから綺麗なドーリーちゃんを見たいんだって」
 抱きつく心優の背を優しくぽんぽんと撫でてくれる。
「嬉しい。好きなドレス、選ばせてもらうね。大事にするね」
 やっと笑顔になった心優をみて、雅臣も嬉しそうにしてくれる。
 そんな食事中の心優を、雅臣が座っている椅子からひょいと心優の身体を抱き上げてしまう。
 久しぶりの姫様だっこにびっくりして、心優はまた雅臣の首に抱きついてしまう。
「もう、臣さんびっくりするでしょ」
「あはは。ドレスを着たら、こうやって写真撮ろうな!」
 また泣きそうになっちゃう。大柄な空手家の女だったのに、好きなドレスを着てこうやって素敵な大佐殿に抱き上げてもらう日が来るだなんて……。
 そして雅臣は抱き上げている心優のお腹も見つめていた。
「来る前に決めて、着ないとな」
「うん……」
「昨夜のどうだった? 来るかな、来ないかな」
 はやく来ないかな。そうして微笑む夫を見て、大佐殿を見て、心優はまた彼の唇にキスをする。
 来るよ、絶対に。もうすぐ、きっとね。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 ミスターエドに衣装合わせをお願いしたいと、心優は正式に申し出る。
 御園ご夫妻主催の披露宴も、雅臣共々、お言葉に甘えてお願いすることにした。
 御園准将がすぐに手配してくれて、その衣装合わせの約束の日が近づいてきていた。

 季節は五月、小笠原ではもう初夏。

「護衛部の訓練に行って参ります」
 光太と一緒に、後藤中佐の護衛部訓練へと向かう。
 御園准将と福留少佐が『いってらっしゃい』と見送ってくれる。
 光太と一緒に陸部訓練棟へ向かう。
「最近、後藤中佐がめっちゃ怖いんですよ。すげえ手加減なしでどつかれるわ、投げ飛ばされるわ、たまんないっすよ」
 光太はむくれていたが、だからって彼は根を上げない。むしろ『悔しい、上手くなりたい』という闘志の現れだった。
 実際に光太は任務から帰還後、さらに厳しい訓練に臨むようになり、めきめきと腕を上げてきた。
 その進歩目覚ましい技巧育ち盛りの青年に『いまだ、ここだ』と厳しく仕込みたくなる後藤中佐の気持ちも心優はわかってしまう。
「心優さんはどうですか。まだシドさん帰ってきていないから、真っ向勝負ができる相手がいなくてやり甲斐ないかもしれないですね」
「うん。でも、最近は後藤中佐に言われて教える側にも回るようになったけど、それはそれで勉強になってるよ」
「しかし。すごいっすよ。護衛部の男共を恐れさせる、テロ主犯を素手で制圧した女ですもんね」
「やめて。また大魔神の娘とか言われて困ってるんだから」
 ほんとのことじゃないっすか――と光太がけろっと言って笑ったので、心優は顔をしかめる。
「今回のコーストガード襲撃事件は世間にも明るみになりましたからね。空母内に侵入者があったことは軍内情報で留まっていますが、一般隊員も知っているし、すでにジャーナリストが嗅ぎつけていて横須賀の司令部広報では追い払うのに大変らしいですよ」
 だから前の任務より、心優の護衛官としての活躍が一般隊員にまで今回は知れ渡ることになってしまった。
 軍の内部情報を漏洩させ、空母と隊員を危険な状態に陥れたハーヴェイ少佐を制圧した女護衛官。艦長を護り、艦の指令室も護った。それを知った一般隊員たちがまず囁いたのは『やっぱり大魔神の娘だ』だったらしい。
 基地のあちらこちらからなんとなく聞こえてくる『大魔神の娘』。せっかくボサ子を卒業できたかと思ったら大魔神嬢とかミセス大魔神とか言われたらどうしようと、心優はびくびくしている。
 護衛部でもおなじだった。いままで心優のことは『女性の准将を護るために抜擢されたのは、同性の空手家というだけの理由』と軽く見ていた男性隊員たちが、急に心優のことを畏れるようになっていた。ここでもおなじく『あの大魔神、園田教官の娘。あなどるな』の空気になっている。
 帰還すると後藤中佐が『そろそろ教える側も考えてみないか。園田が現場で強いのは、積み重ねてきた技があるからだ。無我夢中にテンパっても技を身につけているから的確に緊急時にも実力を発揮できる。そこを教えてやってほしい』と言いだした。
 心優も思うところがあり『やってみます。教えるなど初めてで不得手なのでよろしくお願いします』と引き受けることにした。
 自分の訓練も兼ねての武道指導側の立場も得た。
 いま護衛部の訓練に行くと、護衛官や警備隊の男性たちと本気の勝負よりも、軽い組み手をして『このような状況になったら、このように身体を動かす』と考えるシミュレーションをするようになっていた。
 どの男性も真剣で本気だった。現場でフロリダの秘密特攻隊員を女性ひとりで制圧したとなれば、もう認めざる得ないということらしい。
 その護衛部に、今日も心優は紺色の訓練着で向かう。
 訓練をする道場に入ると、隊員たちが集まっている様子が見えたがいつになくざわついていた。
 既に後藤中佐も前に立っていたので、心優と光太は急いだ。光太は隊員たちの列の中へ、心優は教官側、後藤中佐の隣へと移動しようとして驚く。
 後藤中佐の隣に男性隊員がふたり。
「お、お父さん……、シド!」
 後藤中佐の隣に心優と同じ紺色の訓練着姿の父と、黒い戦闘服姿のシドが並んでいる。
「城戸中尉、そこに控えてくれ。いまから説明する」
 後藤中佐に言われ、心優も黙ってひとまず隣に控えた。
 後藤中佐の隣に心優、その隣に父とシドという並びになったが、心優はどうしてこのようになっているのか早く知りたい。
 目の前に並んでいるいつもの訓練仲間の男性たちも落ち着きがなかった。
「紹介するまでもないな。城戸中尉の隣にいらっしゃるのは、彼女のお父上である園田少佐だ。昨年の秋に鍛えてもらった者も多かったと思う」
 心優の隣で父が軽く会釈をした。
「こちら園田少佐だが、この春より小笠原にて武道教官として転属されることになった。護衛部の訓練も担当してくださる」
 え? 小笠原に……転属!? 心優はびっくりして父を見上げてしまう。

 

 

 

    


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 園田 心優(ミユ)
 城戸 雅臣(小笠原飛行部隊大佐)
 御園 葉月(ミセス准将、艦長)
 御園 隼人(工学科大佐、葉月の夫)
 鈴木 英太(雷神、エースパイロット)
 テッド=ラングラー中佐(葉月の側近)
 長沼准将(心優の元上司)
 橘 大佐(小笠原空部隊、指揮官)
 塚田中佐(長沼准将秘書室、秘書官)
 シド=フランク(大将の養子、戦闘員)
 海東 直己(少将、空母司令官)
 細川 正義(少将、小笠原連隊長)
 吉岡 光太(心優の後輩、バディ)
 アドルフ=ハワード少佐(准将護衛官)
 園田 克俊(心優の父、少佐、武術教官)
    随時、追加予定v

 

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Update/2017.12.24
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