◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 33. 翼、光る、心 

 

 かつて、この部屋に心優もいた。
 空部大隊長、隊長室。または准将室。
 遠くなった訓練校がある棟から、久しぶりに基地中心である高官棟へとやってきた。
 出迎えてくれたのは、ハワード中佐だった。
「お久しぶりです。御園校長からのお届け物を持って参りました」
「心優、久しぶり。おお、子供おっきそうだな」
 いま心優のお腹はおおきく突き出ていた。妊婦隊員用のジャンパースカートが制服で用意されていてそれを着用、上着はボタンが締められないが羽織っている。そんな心優の妊婦姿を見て、ハワード中佐も嬉しそうにしてくれる。
「女の子だったよな、よかったな。女の子は大きくなったら母親と一緒になんでもやってくれるさ」
 ハワード中佐の家族は奥様とお嬢様ひとり。きっとそんな仲のよい母子を見てきたからなんだろうなあと心優も微笑ましくなる。
「もう、かわいいお洋服いっぱい取り寄せちゃったんです」
「そうか。じゃあ、うちもかわいいものお祝いに準備しておくな」
 女の子が生まれるのが楽しみでしかたがない心優の様子は皆にも知れ渡っていた。空手家で女らしい青春時代を過ごすことが出来ず、遅咲きで女性的なことを意識することになった自分を思い出し、心優はそれを娘にはいっぱい小さい時から感じさせてあげたいと思っている。まるで自分が出来なかったことを娘にしてあげているようにも思ってしまうことがある。
 女の子を育てている先輩ママさん達は『小さい時だけよ。大きくなると自分の好みが出てきてうるさくなる。いまのうちにいっぱい楽しんだらいい』とアドバイスをもらっていた。
 懐かしい准将室に入らせてもらったが、そこにはもうあの時の『海と風と花の匂い』はない。男らしい匂いに満ちていた。いわゆる基地独特の匂いに。
 それでもそこの大きな准将デスクに座っている男性からは、セクシーなトワレの匂いがしている。
「おお、心優ちゃん! うわ、おなかおっきくなったなあ」
「はい。そろそろ産休に入りますので、本日はご挨拶がてらのお遣いに参りました」
 白髪交じりの頭になってしまった橘准将がデスクから立ち上がって、わざわざドアのところまで心優を出迎えてくれた。
「そっか。もうそんな時期か」
「しばらくは基地には来られませんが、御園校長のこと、よろしくお願い致します」
「はは、最近は心優ちゃんが葉月ちゃんの面倒を見る娘みたいだな。まあ、あのお嬢さんも丸くなったよなあ」
 アドルフ、心優ちゃんにドリンクな――と言いつけた橘准将が、まるでお客様に対応するように心優をソファーへと誘った。
「いえ、アグレッサー部隊の訓練記録をお持ちしただけです。そんな、」
「いいから、いいから。俺からちょっと『城戸艦長の奥様』にお話があんのよ」
 夫の雅臣は予定どおりに本国海域巡回航海の任務に出ている。ユキナオの双子はまだ新人だけれど一緒に着任した。そんな夫は実務を担っているここ大隊に所属しているため、直属の上司はこの橘准将になる。
 お言葉に甘え、懐かしい応接ソファーに座らせてもらう。
「産まれたら、どうだろう。雅臣にすぐに産まれた子を見られるよう通信できる準備をしてあげるよ」
 その気遣いを嬉しく思いながらも、心優は頭を下げた。
「ありがとうございます。ですが、五千人の乗員の中にもわたしたち夫妻と同じ状況の隊員がいると思います。いくら艦長の妻だからとて、そんな特別扱いをしていただくわけにはいきません」
「相変わらず、心優ちゃんは真面目だな」
「いままでも、御園少将校長、御園准将管理長、橘准将大隊長、皆様のおそばでお仕えしていたことで特別な取り計らいは沢山して頂いております」
「それでもな、ちょっとだけ心優ちゃんと産まれた子の姿を見ただけで、艦長が頑張れることもあると思うんだ」
 頑張れる――? そんな言葉が橘大隊長から出てきたので、心優は不安に駆られた。
「なにか、ありましたか」
 向かいに座っている橘大隊長が溜め息をついて、ソファーに力を抜くように身体を沈めた。
「なんだろう。こっちもアグレッサー部隊が出来てから、やっぱり技術が向上してるんだろうな。それを知って、大陸国もそれなりの体勢を整えてきているらしい。おそらく王子が統率してあちらも技術が向上している。そうするとな、競り合いが長いんだよ。雅臣も普段はほんわかと愛嬌のよい男だけれど、ドッグファイトになるとエースの意地が出る。それは王子も同じだ。たぶん、ソニックと王子でライバル意識を燃やし合っているんだろう」
 連日のスクランブルで空母の中で疲れた空気が蔓延しはじめている――と聞かされ、心優は愕然とする。
「艦長として……、うまく艦をコントロールできていないということですか」
「いやいやいや、そこは雅臣。切羽詰まってもきちんとやっている。それでもな、だからこそ疲れていると思うんだよ。心優ちゃんと産まれてくる子を見れば元気が出ると思うんだ」
 そこで橘大隊長が提案したのが、空母航空団を指揮している管制センターまで心優と生まれた子を連れて行き、通信にて対面させたいということだった。
 心優は迷う……。でも、しばらくして答は出る。
「申し訳ありません。ご遠慮させていただきます」
「心優ちゃん。自分だけ特別と思うかもしれない。だが、心優ちゃんは艦長の妻だ。艦長がどれだけの重責を背負って航海をしているかよく知っているだろう」
「橘さんも妊娠されていた真凛さんを置いて出航して、そのあと一度も通信で対面するなんてことはしておりませんでしたよね。ご心配でしたでしょう。真凛さんもきっと」
「だから。俺たちは俺たち、城戸は城戸だよ」
「いいえ。わたしが艦で航海に出た時も、そうして陸に妻を置いてきた男性隊員たちの姿をたくさん見てきました。同じです。お願いします。ほかの隊員、いままでそうして乗り越えてきた隊員と同じようにさせてください」
 せっかくのお気遣い、無碍にしてしまい申し訳ありません。心優が頭を下げると、橘准将も溜め息をついて項垂れた。
「いや、可愛い後輩夫妻だからさ。ちょっと肩入れしちまったんだよ。つうかさ、」
 橘准将がソファーから立ち上がり、向かいにいる心優のそばに来て肩を叩いた。
「あんな頼りなげな空手家のかわいい女の子だった心優ちゃんがね、こんな立派な艦長の妻になるんだもんな」
 この人も歳を召したのか、涙を浮かべて、すぐそばにある単体のソファーに座り直して目元を拭っていた。
 そこへハワード中佐がレモネードをつくって持ってきてくれた。
「あれ、准将、どうかされましたか」
 いまは橘准将付き護衛官で、なんと大隊長秘書室室長に就任したハワード中佐がボスの顔を覗き込んで涙に気がついた。
「あーもう、くそ。最近さあ、涙もろいんだよ。俺……」
「はあ、先日も真理南ちゃんのピアノ発表会で泣いていましたもんね。そのあと、同じインターナショナルスクールの同級生の男の子が花束を持ってきてヤキモキされていましたもんねえ」
「娘のことはいうなっ。もうな、マリナの将来を考えただけで泣けてくる」
 橘准将のお子様はいまのところ、あの時に奥様のお腹にいた子、女の子お一人。橘准将の溺愛っぷりは有名で、もう娘が恋人じゃないかと言われているほどだった。これはお嫁にいく時が大変だ、も基地の隊員達のいつもの会話。
 レモネードのグラスを目の前に置いてくれたハワード中佐がおかしそうにして心優に教えてくれる。
「お父さんのような遊び人にひっかからないかどうか、心配しているんだよ」
 はあ、なるほど――と、遊び人時代の橘さんを知っている心優はつい苦笑いをこぼしてしまう。
「だからさ、雅臣にとって初めての娘ちゃんだからさ、会わせてあげだいと思って。『大島』の司令部にお願いしようと思っていたところだったんだよ。いまそこに控えている空母航空団司令(CAG)がミラー少将司令だろ。融通が利くからさ」
 それでもおなじこと。改めて心優は遠慮させていただく。橘准将も『わかった。その心意気うけとった』と笑って、一緒にレモネードを飲んでくれる。
「産休中に困ったことがあったら、真凛を呼んでくれよな。真理南も心優ちゃんのところに女の子が生まれると楽しみにしてる。母娘そろって妹が産まれるみたいにしているからさ。遠慮するなよ」
「いつも助かっています」
 橘准将と十七歳差で結婚した真凛もすっかり大隊長の奥様としての威厳が備わってきていた。もともとしっかり者の基地隊員だったため、いまは隊員達の奥様の面倒をよく見ている。
 お嬢ちゃんの真理南ちゃんはピアノをやっている。女の子の嗜み程度のようだけれど、いまは御園家にいる杏奈が島の子供達の音楽教室をしているため、そこに通わせるようになったようだった。
 橘家とも家族ぐるみの付き合いを城戸家はしていた。だからこそ、こうして大隊長が気にかけてくれる。
「大島の司令部もいまは大丈夫なのですか」
「おう。空母航空団司令(CAG)はあのクールなミラー司令だし、東南部総司令になられた細川中将もおられるしな、万全万全」
 雅臣を陸から護ってくれている上官たちのことを聞くと心優もほっとした。
「じゃあ、心優ちゃんは産まれた子を抱いて、大島までお出迎えになるってことか」
 『大島』とは小笠原基地が創設される少し前の数十年も前に海底噴火で出来上がった『新島』だった。そこに人が住めるように認定されるまで、また基地の新しい施設を建設するまでには、国で長く長く話し合いがされ、ついに認可され基地と観光を併設した街を造れることになった。
 そこに置かれたのが、横須賀同様の『司令部』だった。横須賀中央官制センターと同じ施設が造られる。東南諸島司令部として、東南部の防衛に特化した司令部となった。
 そこに横須賀の総司令部と同規模の司令部が造られ、細川連隊長が中将に昇進したと同時に、東南諸島総司令をしてトップに就任した。小笠原は小さな島でもう規模的に増設は無理になったため、『大島新島』に大きな港が造られ、そこで空母が出航帰港できるようになった。
 だから、雅臣をお迎えにいく時は小笠原からセスナかフェリーに乗って、新島へ行くことになっている。
「迎えに行く時は俺も大島に行くから、葉月ちゃんも旦那さんのお迎えいくんだろ。心優ちゃんも子供たちも一緒にセスナに乗っていこうな。あ、もちろん城戸の母ちゃんも一緒にな」
「はい。城戸の母もそのつもりです」
 そこで橘准将がハッとした。
「あの母ちゃん、もうすぐだっけ?」
「はい。もうすぐハーレーダビッドソンが先に到着すると思います」
 それを聞いてハワード中佐もにっこり微笑んだ。
「また海岸線をハーレーでかっとばす『ブラックソニックママ』が見られるってことか」
 城戸の母が小笠原に滞在する時には必ず相棒のハーレダビッドソンを持ってくる。浜松から長距離走行が難しい歳になってきたため、海運輸送で送られてくるようになった。
 そうしてゴリ母さんが黒いレザースタイルでハーレーをぶっ飛ばしている姿は島の隊員にも有名になってしまい、『やっぱりソニックの母ちゃんだった』と言われている。
 そのゴリ母さんが心優の出産に合わせて、そろそろ島入りをする頃だった。
 橘隊長に産休前のご挨拶を終えた心優は、空部大隊長室を出る。
 その隣はデーター管理の部署。以前、ミラー元大佐が管理していたところだった。元大佐が『司令、少将』として東南諸島司令部へと新島へ行ってしまったため、いまここの管理は『御園隼人准将』が勤めている。
 元はパイロット達のデーターを管理する部署として始まったが、訓練校のパイロット候補生、アグレッサー部隊との実戦向け訓練、司令部から送られてくる東南防衛任務のスクランブル実録など、飛行データーが増えていくため、さらに大きな『データー管理部署』として、そこに工学科科長だった御園元大佐が『管理長』という役職にて就任した。
 ここで男ふたりの准将が控えているのだが、奥様がミセス准将と呼ばれてせいか、隼人さんも『ミスター准将』と呼ばれるようになってしまった。そこでがっかりしたのが橘隊長、『この大隊長室に来たら、俺がミスター准将になれると思ったのにー』と今でも悔しがっていた。
 そこもいま管理長は留守。夫の城戸大佐の後ろ盾として上官でありながら、空母に指令室長として乗船している。艦長は元パイロットしかなれないため、御園隼人准将にその資格はない。それでも彼は妻が『他国籍機を侵入させ拘束された後、艦長代理を務める能力があった』として、艦長になにかあった場合のために乗せられることがたまにある。それだけ東南海域の摩擦が強く気が抜けない航海任務ということになる。
 今度は奥様のミセス校長が夫の帰りを島で待つ妻となっている。近頃は島を拠点に音楽活動をするようになった娘と、長く離れていた間の母娘生活を取り戻すかのように仲良く暮らしていた。
「あ、英太も連れて行かないとな。あいつも御園家の一員だもんな」
 鈴木少佐も航海任務の部隊を卒業。いまは彼も島で御園家の留守を守る男手となっていた。アグレッサー部隊のエース、各基地からサラマンダーの訓練を受けるためにやってくるパイロット達を、紺と黄色の迷彩柄戦闘機で待ちかまえていた。
 何人乗りのセスナが手配できる? 橘大隊長がハワード中佐に問うと、中佐もすぐにそばにあるタブレットで調べている。
 こちらの上官と護衛官もすっかり息が合っていて、安定した秘書室と大隊長室になっていた。
 ラングラー中佐はもうここにはいない。彼は新島の総司令部の秘書官として、ご家族ごと新島の新しい基地街へと転属したから。
 でも、フェリーで行き来もできる。新島の司令部には業務のために小型機でよくお邪魔する。その時に昇進したラングラー大佐に会える。業務隊に移った吉田少佐にも会える。
 心優が小笠原に来て、もうすぐ十年が経とうとしている。まめぐるしい環境変化のなか、でも、なにも変わらない気がしているのは先輩達のおかげなのだろう。
「さて。明後日はアサ子お母さんがくるからね」
 大きくなった丸いお腹を撫でると、中からぽこんとかわいく蹴られた。
 大隊本部を通りすがる時も、すれ違う隊員皆に『大きくなりましたね』、『もうすぐですね』とたくさん声をかけられた。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 アサ子母が到着後の次週より産休予定だった。
「ただいま」
 温暖な島だからどんな時期でも花が咲いていて、今日も自宅はその香りに包まれていた。
 帰宅して誰もいない。シドも夫と共に空母に警備隊として乗船しているため、双子もおなじくで、夫を中心にいつも集まってくる男たちが揃って留守で静かだった。
 子供達はパパやシー君とユキナオちゃんが留守の時は、お祖父ちゃんお祖母ちゃんのお迎えで園田家にいる。
 買い物したものをキッチンカウンターに置いて、心優はふうっとひと息つく。お腹をさすった。
「挨拶回りで動いたからなあ……」
 適度な運動がひつようとはいえ、心優ももうそんなに若くはない。これが年齢的に最後の出産。ひさしぶりにお腹が張った。
 椅子に座って少し休んだら、息子達を迎えに行こうと座り込む。
「はあ、ふう。あと数日で、お休みだから。それまで頑張ろうね」
 長男も次男もこうして産休まで基地で働いて出産してきた。女性上官の部下である幸運もあり、また出産に理解のある先輩パパさんも揃っていて環境には恵まれていた。
 だから雅臣も安心している部分も大きかった。三人目の出産で、いままで産休まで何事もなく働いて出産してこられた妻だから。
 でもお腹が……、すごく張る。
「う、ソファーで横になろうかな」
 ダイニングテーブルの椅子から立ち上がり、ソファーへと移動しようよした時だった。
 下半身が一気に濡れた感覚、びしゃっと床に広がる液体。急激に痛む下腹。
「い……っ、いたっ!!」
 床に跪いてお腹を抱えた。痛い、そして破水している! 慌てて心優は立ち上がろうとしたが痛みで立ち上がれず、そのまま床に寝ころんでしまった。
 いいかい、ドーリーちゃん。私が来るまで無理するんじゃないよ。いままでは若かったからなんでもなかったかもしれない。今度は少し気をつけようね。
 電話で話す度に、アサ子母が心配そうに何度も繰り返した言葉がこんな時に蘇る。そうだ。三人目でも若くなかったのかもしれない。気をつけるべきだったのかもしれない。
 それでも床を這って、せめて携帯電話を入れているバッグまで行こうとする。
 やわらかに日が薄らいでいく夕のリビングでひとり、心優は痛みに耐えながら、連絡しようと届かぬものに手を伸ばす。
「臣さん、任せて。絶対にこの子を会わせてあげるから。安心して、ひとりで、わたし、この子を……護る……」
 痛みで気が遠くなってくる。
『心優、娘の名前決めたからな!』
 その名を聞いた時、心優はまた夫からの愛を感じた。
 その子を抱いた時に、最初に呼んであげるのは『心優だ』と雅臣がその名前を置いて、出航した。
「臣さん、臣さん――」
 軍人の妻はなにがあっても独り、護る覚悟がなければ妻は務まらぬ。そう思って……
「ママ!」
「まま!」
 気が遠くなっていたそこに、息子達の声が聞こえていた。
 長男の翼が、次男の光が、倒れている心優のそばに駆け寄ってきた。
「どうしたの、ママ」
「だ、大丈夫……、じゃないか。ママのバッグに携帯電話あるの、翼……取って」
「まま、やだよ! 足からなにか出てる! まま、赤ちゃん死んじゃったの!?」
 次男の光は心優の身体に抱きついて取り乱していた。
「翼、はやく、けいたい……、赤ちゃん……おかしくなっちゃうから」
 泣き叫ぶ次男の声を聞きながらも、心優は光の柔らかい黒髪をゆっくりと撫でる。
 ぼんやりとしながらも、長男の翼と目が合う。
 臣さん……。ソニックと同じ目。
 翼が毅然とした様子で叫んだ。
「光、いますぐ祖父ちゃんと祖母ちゃん呼んでこい。はやく!!」
 赤ん坊のように泣き叫んでいる弟をしがみついている母親から引きはがした。
「光、兄ちゃんになるんだろ! 妹、助けるんだ。はやく、祖父ちゃん呼んでこい!」
「わ、わかった」
 ぐすぐすしていたのに、甘えん坊の次男がお兄ちゃんに言いわれた通りに園田家へと走っていく。
 翼は心優の言うとおりに携帯電話を持ってきてくれた。
「ママ、電話できる?」
「う、うん。助産師さん呼ぶから」
「ぼく、校長呼んでくる!!」
「あ、翼、待って。は、葉月さんは……」
 でも、翼が走って庭から御園家へと行ってしまった。
 またひとりになった。静かになったリビング、痛いけれどでもなんだろう、少し和らいでいる気がした。
 ひとりじゃなかったかもしれない。しかも……、小さな息子ふたりが……。涙が溢れてきた。いつもやんちゃだけれど、あんなしっかりしてくれていたなんて。
「心優!! どうした!!!」
 父が駆け込んできた。
「お父さん、破水した……。たぶん、産まれる」
「な、な、な。なんだって!? だっておまえ、まだ産休前だろ!!」
 いままで安産だった娘の危機的な姿に、父親のほうが狼狽えている。
「心優! どうしたの」
 母も光と一緒に駆けつけてきた。
「お母さん……、助産師さん呼んで」
「わかったわ。一応、救急隊も呼んでおく。お父さん、救急隊を呼んで」
「わわわ、わかったー!」
「呼んだら、お父さんは翼と光の面倒をひと晩見て」
「わわ、わかったー!」
 あたふたしている父が救急隊をなんとか呼んでくれた。
「ママ! 校長いなかった」
 テキパキと助けを呼んでくれた翼が帰ってきた。
「今日は……キャンプで、昔馴染みの奥様とお食事会だから、いないって言おうと思ったら、翼、行っちゃって……」
 でも翼はちゃんと違う大人をふたり連れてきてくれた。
「心優さん!」
「園田さん!」
 杏奈と鈴木少佐だった。
「おお、英太ちょうどよかった助産師さんに連絡したから迎えに行ってくれないか」
「イエッサー、教官。自宅出産なんですよね、今回も」
「でもこれでは、医療センターになるかもしれないわね」
 父と母、鈴木少佐があれこれとどうするかを話し合っている声だけが交互に聞こえてくるだけ。
「助産師さん、車で連れてきます。おい、杏奈。おまえも一緒に来い。キャンプで降ろすから校長ママを連れ戻せ。大事な護衛官の出産、三人欠かさず立ち会うと言っていたんだろ」
「わかった。すぐに拾えるよう連絡する」
「俺の車でいくぞ」
 黒髪の女の子と逞しい中年のエースパイロットが揃って駆けていった。こんな時なのに心優は『お母さんが留守の時に一緒にいたんだ』と思ってしまった。
 鈴木少佐が言ったとおり。心優は長男も次男も自宅出産だった。島ではよくあることだった。だから今回もと思っていたが、今回はすんなりいかないよう……。
 手際のよい母のおかげで、あたふたしている父と共に、息子達を産んだ部屋に出産できる準備がされ連れていってもらう。
 もう陣痛が始まっていた。ひさしぶりの痛みに大きな声で叫んでしまう。そばにいる小さな次男の光が泣きっぱなしの顔で震えている。
 そんな次男の頭を撫でて心優は微笑む。
「光もこうやって産まれたんだよ。もうすぐ、妹に会えるからね」
「うん。まま、頑張って」
 じっと涙を堪えて、弟の隣でじっとしている翼にも心優は微笑む。
「翼、ありがとう。かっこよかったよ」
 お父さんと同じ目を初めて感じた。シャーマナイトの目。長男の手を握った。いつのまにか大きくなっている。
「光も、助けを呼びに行ってくれてありがとう」
 息子ふたりの手を握る。また痛みがやってきて心優がうううっと唸ると、息子ふたりがぎゅっと握りかえしてくれる。
 ほんとうなら、そこで手を握って付き添ってくれるのは、夫の大佐殿だったんだけれど。
 でも心優は痛みの中、微笑んでいた。息子たちが、臣さんがわたしに産ませてくれた彼らが、こうして一緒にいてくれて守ってくる、わたしを……。初めて息子たちの強さを感じ、そこに幸福を感じていた。
「心優!」
 出産部屋に制服姿のままの葉月さんが駆け込んできた。
「葉月さん……、わたし、やっぱり歳だったみたい」
「挨拶回りなんてさせるのではなかったわ。内線でさせるべきだった」
「いいえ……、わたしがやりたいって、皆さんに会っておきたくてそうしたんです……」
 彼女も母親のような顔で心優の額を撫でてくれる。
「園田のお母様、お手伝いします。なんでもいいつけてください」
「葉月さん……、いつもありがとうございます」
「杏奈、助産師さんは」
「もうすぐ英太が連れてくるって」
 そうしているうちに救急隊が到着してしまう。
 だが心優は自分にさらなる異変をかんじていた。
「だめ、う、産まれそう……!」
 二人産んだからわかる。子宮口がめいっぱい開いている気がした。
「医療センターの救急隊員よね。私が行ってくる」
 ミセス少将がすぐ対応に動いてくれる。
 それからバタバタと人々が出入りを繰り返す。その間、息子たちはずっとずっと心優の手を握ってそばにいてくれた。
 助産師さんが言った。
「間に合わない。ここで出産しましょう」
 その後、救急隊が念のため搬送することが決まった。

 その日は満月。
 カナリア色の月。
 大佐殿も、海上で見上げてくれている。きっと。
 同じ月を見つめていれば、そばにいると思える。
 『心美』。心優の娘だから、『ここみ 心美』だ。
 翼、光る、心。
 雅臣の声が聞こえる。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 翼、光る心。
 ソニックが残そうとしたものがそれだったのだろうか。
 青い珊瑚礁が見える窓辺で、心優は小さな娘を抱いて上空から見える海を見下ろしていた。
『もうじき、東南諸島基地滑走路へ着陸致します』
 航空隊員のアナウンスが聞こえ、心優は小さな娘を抱きしめたまま、もうすぐパパに会えるとはしゃぎまくっている息子たちをなんとかシートに座らせようと焦る。
「もう、翼! 光! パイロットのお兄さんの言うことを聞いて!」
 小さな産まれたばかりの娘を抱いて、このやんちゃ坊主たちを制御するのは至難の業だった。
「翼、こっちこい。俺とほら滑走路に並んでいる飛行機の名前をあてっこしよう」
 制服姿の鈴木少佐が手招きをすると翼も喜んですっとんでいく。
「光もおいで。ほら、パパの空母が見えてきたわよ」
 すっかりシックな大人の女性になった杏奈が呼ぶと、杏奈お姉ちゃん大好きな甘えん坊の光もすっ飛んでいってしまった。
 助かると心優もほっとする。
「ドーリーちゃんもほら、ベルトしっかりしめる」
「お姑さん、ありがとうございます」
 心優の隣にはアサ子母。今日も相も変わらず黒いレザースタイルでかっこよく決めている。そのアサ子母が、初めての女の子の孫を愛おしそうにみつめている。
 ちいさなほっぺをつんとつつくと、娘の心美も通じるものがあるのかじっとゴリ祖母ちゃんを見つめている。そうすると、なおさらにゴリ母さんも嬉しいようだった。
「よかったよ。無事に産まれて。私が島に行く二日前に生まれるだなんて……焦ったわ……。早く小さく生まれたけど、何事もなくてよかった」
 ゴリ母さんのハーレーダビッドソンが小笠原の港に到着した日に心美が産まれ、その翌日にアサ子母が横須賀便で島入りした。
 早く産まれてしまったこと、無事に産まれたことは連絡したが、もうアサ子母もものすごい剣幕で心優の入院している医療センターに駆け込んできて、もの凄い血相を変えた顔で抱きついてきた。
 ドーリーちゃん、無事でよかった! 生きた心地がしなかった! 心美も無事でよかった!! おいおいと泣かれてしまった。
 しばらく入院となった心優が留守の間も、園田の両親と揃ってアサ子母が子供達の面倒を見てくれた。
 出産してからしばらくの間、アメリカキャンプのスーパーへ家族証入場にて買い物へ行く姿がたくさん目撃される。海辺をハーレーダビッドソンで駆け抜ける黒いレザー姿のお母さんがせっせとソニックが留守の間、嫁さんとお孫さんを守る姿が基地でも話題になっていると光太に聞かされた。
「びっくりしたよ。しばらく会わない間とはいえ、翼と光がすごく男らしくなっていたね」
 まだやんちゃで融通が利かなくても、甘えん坊でも、ママがいない日、妹が産まれた後、ふたりともしっかりと自分のことをやったり、ゴリ祖母ちゃんのお手伝いをしてくれたとのことだった。
 バイクをぶっとばす祖母ちゃんも子供たちは大好きで、ハーレーダビッドソンが島にくるのも楽しみにしている。
「もうすぐパパに会えるよ、ここちゃん」
 青い珊瑚礁の中、緑豊かな大きな島の端に、空母艦が入港しているのが見える。
 ほら、あそこにパパがいるよ。産まれたばかりの娘にも窓辺の珊瑚礁の海が見えるようにしてみる。
 まだみえないだろうけれど、きっとこの『青』を感覚的に感じてくれるだろうと思って――。

 

 新島の港が出来てから、小笠原の隊員家族はお出迎えに行きやすくなり、空母から夫や家族の姿が見えるとわっと沸きたつ。
「おかえりなさい、あなた!」
「パパ、お帰り!」
 中には『ママさん乗員』もいて、いつかの御園艦長のように夫や子供が迎えに行くシーンも増えてきたように思えた。
 港の桟橋は家族たちの抱擁で溢れる。そのなか、心優とアサ子母はじっと待っている。
「あ、パパよ。ほら、ママ、英太見て」
 白い正装、白黒の制帽をかぶった眼鏡の男性が甲板に現れたのが見えた。
「パパ!」
 杏奈がめいっぱい手を振った。杏奈は二十歳を過ぎると急に大人の空気を醸しだし艶っぽくなった。それでも父親に懸命に手を振るその姿は、まだ愛らしいお嬢ちゃんのまま。
「ねえ、英太も一緒に呼んでよ」
 なんの遠慮もなく杏奈が英太に甘えるように抱きついてお願いしている。
「は、なんで俺がそんな、めんどくせ。もうすぐ降りてくるって」
「ほら。降りてこないもん! 見てよ、また誰かに呼び止められてにこにこして話し込んじゃってるじゃない!! どんだけ待ってると思ってるの」
「しかたがないなあ。はあ、せーの、」
 『パパー』『くそ親父ー』
 ふたりが一緒に叫んだが、鈴木少佐が相変わらずの悪ガキ対応をしたので、横にいた杏奈が怒り出した。
「くそ親父ってなに!?」
 鈴木少佐が意地悪なやり返しをして、杏奈が怒るのも恒例の姿になってきたから、心優も苦笑いをこぼした。
 最後に降りる指令セクションの隊員を待つのはとても時間がかかる。すべての隊員が降りるまでかなりの時間を要する。
 ようやっと眼鏡の『ミスター准将』がタラップを伝って降りてくる。
「パパ、お帰りなさい!」
 やっぱり女の子、眼鏡のパパに一目散に抱きついた。御園隼人准将も嬉しそうだった。
「ただいま、杏奈。ママと仲良くしていたか」
「うん」
 こちらの眼鏡の旦那様も白髪がだいぶ増えたが、黒目がいつも生き生きしていて相変わらずだった。
 制服姿のミセス少将もそっと夫のそばへと歩み寄る。
「准将、この度もご苦労様でした」
 ミセス校長が敬礼をする。
「ただいま戻りましたよ、ミセス元艦長。あなたが護ってきた海域、今回も護り通しましたからね」
「ありがとう、あなた。おかえりなさい、隼人さん」
 母と父が見つめ合うと、杏奈もさっと引いて鈴木少佐のそばに戻っていく。隊員の目があるため、上官のふたりは抱き合うことはなかったが、眼鏡の旦那さんが愛おしそうに栗毛の先をつまむ指先に思慕が見えるのは変わらなかった。
 すると眼鏡の旦那様が心優がいるのに気がついた。もうそれだけで笑顔いっぱいになってこちらにやってくる。
「園田! この子か、心美ちゃん!」
「はい。心美です」
「聞いたぞ。37週で急に産気づいたんだってな……。後から聞いて肝を冷やしたよ。何事もなく無事に生まれて良かった。おめでとう」
「ありがとうございます」
「おお、園田そっくりな目をしているな」
 まさかそんなと笑った。
「ほら、相手をまっすぐに素直に見つめる。ママと同じ目だ。女の子だな、優しい目をしている」
 本気で言ってくれているようで、このミスター准将にそう言われると心優もさすがに本気にして嬉しくなってしまう。
「あの、うちの大佐は」
 すると眼鏡の准将がにっこりと微笑んだかと思うと、心優の背をそっと空母艦へと押した。
「翼と光、そしてアサ子さんもどうぞ」
 空母の甲板へどうぞと言われているんだとわかり、心優は驚き目を見開いた。
「いえ、あの! そんなことまでしてくださらなくても」
 だけれどミスター准将はにこにこしたまま、翼と光の手をとって甲板へ向かうタラップへと行ってしまう。
「准将、おかえりなさい。どこにいくの」
「准将、どこにいくの」
 白に紺色のラインが入っているセーラー服を着せてきた息子たちも訝しそうなまま、でも、いつも可愛がってくれる准将おじ様がにっこりと手を引いてくれるのでそのままタラップをあがっていてしまう。
「私はいいよ。ドーリーちゃん、行っておいで」
「でも、お母さんも……」
「きっとそこにあるんだろう。心優さんと雅臣が、翼と光と心美に見せたいものが。私はあんたたちの後ろにいるだけ。いさせてほしい。行っておいで」
 アサ子母に押され、心優も娘を制服姿抱いたまま歩き出す。
 懐かしい空母の匂いがする。油の匂い、潮の匂い。戦闘機の炎の匂い。
 タラップを登る間、娘の柔らかい髪を潮風がそよいで揺らす。今日は娘もお兄ちゃんたちと同じ、白いセーラー服。
 甲板も久しぶりだった。息子たちはもう『パパ』を見つけて抱きついているのかな。臣さん、初めて会う娘を見てどんな顔をしてくれるかな。
 そう思い描いて心優も徐々に笑顔になっていく。だけれど、最後の数段をあがる時になって気がついた。
 あれ、ユキナオちゃんは? シドは?
 甲板をあがった時だった。
「ふたりともそこに正座!」
 雅臣の怒声が聞こえて、心優はギョッとする。
「おまえら、最後の最後までほんっとになんてことしてくれるんだ!!」
 白い正装服姿の雅臣の目の前で、ほんとうにユキナオちゃんふたりが同じく白い正装着姿で正座させられていた。
 そのユキナオの後ろに、久しぶりに不精ヒゲのない凛々しい王子顔のシドも呆れた顔で立っていた。
「臣さんもさ、その変にしておけよ。せっかくの帰港なのに、こんな時に怒らなくてもいいだろ。島に帰ってからにしろよ」
 シドのほうがクールな面差しで、雅臣を止めようとしている。
 ミスター准将の隼人さんも呆れていた。
「また、ユキナオか。なにやったんだ、今度は」
「うちの出産を祝うためにと……、こんな横断幕をこっそり準備していたんですよ!」
 雅臣がその横断幕とやらを両手一杯に広げたが、あまりの長さに赤文字で『おめ』しか見えない。
 シドも説明に入ってくれる。
「雷神のパイロットたちが気がついてくれたんですよ。艦を下りる時、甲板いっぱいにこのメッセージを心優に見えるようにと企んでいたようです」
 隼人さんも仰天していた。しかもいつもやんちゃな息子たちも、お父さんがにこにこしていなくて、大好きなユキナオ兄ちゃんふたりが正座させられお説教をされている異様さに呆気にとられて固まっている。
 御園准将がその横断幕を手から手へと繰り出し、描かれている文字を読み上げた。
「城戸大佐艦長、城戸大尉、ご出産おめでとう。心美、会いたかったよ。兄ちゃんたち、帰ってきたよー……わははははは!!!」
 隼人さんが高らかに笑った。
「まあ、勝手な行動にはなるな。海軍の船乗りが帰還する時もりっぱなセレモニーだ。美しく規律正しく艦を下りる。許可が出ているならともかく。個人的にこれをやっていたら懲罰ものだぞ」
 笑っていた御園准将だったが、最後はきっときつく目頭があがった。それにはユキナオもびくっと震え上がった。
「止めてくれた雷神の先輩たちに感謝しておけ。雅臣君、二日ぐらい謹慎でいいんじゃないか」
「え、謹慎、ですか」
「まだ艦は下りていない。艦長に判断は任せますよ」
 久しぶりに眼鏡の隼人さんの裏がありそうなにっこり微笑みを見せつけられた。
 俺ならそこまで考える――と准将の彼が言えば、ユキナオたちもそれほどの軽率なものだったのかと身に沁みる。でも最後の助け船は『艦長殿』。雅臣がそれほどのことではないと収めてくれるとわかって投げかけているのがわかった。
「ほら。ご家族がお迎えだ」
 御園准将の後ろに、怒っているお父さんに遠慮して隠れていた翼と光がちょこんと顔を出す。雅臣がやっとはっと我に返った。
「翼、光!」
 雅臣がそう呼ぶと、シドも振り返り、正座していたユキナオの二人も立ち上がり、笑顔になる。
「お父さん、シー君、ユキナオ兄ちゃん。お帰りなさい」
 翼がそういうと、お父さんとシー君おじさんとユキナオの大人たちが顔を見合わせた。
「お父さん、おかえりなさい」
 甘えん坊の光も今回はちょこんとお辞儀をした。
 雅臣の表情が崩れる。笑顔ではない、泣きそうな顔だった。
 白い正装服姿のお父さんがゆっくりと、息子たちに近づいてくる。
「なんだ、おまえたち。大人しいじゃないか……。なんだよ、そんなお兄さんだったか?」
 いつもお兄ちゃんと弟でパパに先に抱きつくのを争っては喧嘩、お父さんが帰ってくるなり喧嘩、どっちがパパに抱っこしてもらうかで喧嘩。なのに今回は。心優が教えたわけではない、指示したわけではなかった。
 そんな大人しい息子たちのそばに来ると、雅臣は甲板に跪いて、まだ不思議そうに息子ふたりの顔を覗き込んだ。
 まだ静かな息子たちの黒髪もふたり一緒に、お父さんの手で撫でてくれる。
「聞いたぞ。ママを一生懸命、助けてくれたんだってな。お兄ちゃんになったんだな」
 そこで雅臣が真顔でぎゅっと息子ふたりを抱きしめた。
「よくやった。お父さん、安心して海にいられた」
「パパ、産まれたよ。心美」
「すごくちっちゃいんだよ、パパ」
 そうか、そうか。雅臣が存分に息子たちをその胸に抱いて抱いて、息子たちの匂いをかいでいるのがわかる。
「臣さん、後ろ――」
 セーラー服のベイビーを抱いている心優に先に気がついたのはシドだった。
「心優ちゃん!」
 ユキナオのふたりもまた笑顔になる。すぐにこっちに飛びついてきそうだったけれど、そこは先を越してはいけない、まだ息子たちとの再会を噛みしめている雅臣叔父さんを見て立ち止まった。
 でも心優は、笑顔で応える。
「シド、おかえり。ユキナオちゃん、おかえり」
 そして心優は敬礼をする。
「任務、お疲れ様でした。無事のご帰還、おめでとうございます」
 そんな心優の声で、やっと雅臣が気がついてくれる。
「パパ、見て。心美、小さいんだよ」
「パパ、ここみ、かわいんだよ」
 息子たちがパパの手を引いて、制服姿の心優のところまで連れてきてくれる。
「心優……」
「臣さん……、いえ、大佐殿、城戸艦長、おかえりなさいませ。西南海域の防衛、お疲れ様でした」
 でも雅臣は微笑んでくれない。心優が抱いている小さな小さな娘を見つめている。その小さなおでこに、ふわっとした黒髪が揺れているそこへ触れようとしている指先が震えている。
「翼も光もでっかく生まれたのに、こんな小さな……」
「でも、おっぱいはお兄ちゃんたちに負けないほど頑張って飲んでくれているよ」
「心優、大変だった時にいられなかった。後から聞いて、胸が張り裂けそうだった」
 わたしも……。そういいたいけれど、言ってはいけない気がして心優はそっとうつむく。
「届いていました。大佐殿の気持ち。だから怖くなかった。あなたがそばに置いてくれた息子たちが助けてくれたから」
「ありがとう、心優。俺に娘を届けてくれて。嬉しいよ。ほんとうにおまえと、なにもかも一緒にここまで来られたこと」
 抱っこバンドに寝かせている小さな娘を心優はそっと腕に抱き直して、雅臣へと差し向けた。雅臣も恐る恐る小さな娘をようやっと、その腕に抱いてくれる。
「うわ、かるい。ちいさいな、女の子ってかんじだ。わ、俺を見てる?」
 真っ黒な瞳がじっと雅臣を見つめているようだった。アサ子母と同じ、雅臣はその娘の眼差しに一発でやられたようだった。
「パパだぞ。心美。はじめまして」
 もうにっこにこだった。そんな夫を見られて、心優もほっとする。
 安心するとシドがやっと心優のそばに来た。
「大変だったな。まさか産休はいる前の37週とは、俺も聞いてびっくりしていたんだからな」
「ありがとうシド。また賑やかになるけれどよろしくね。きっとそのうちにあの子も『シー君』て呼ぶかもね」
「うーん、心美ならありかもな」
 あら、こちらも女の子には甘いおじ様になるかもと心優は思ってしまった。
 ユキナオちゃんも叔父さんの手元を覗き込んで『ちっせえ、かわいい』と大騒ぎになった。

 甲板に一陣の風――。

 ざっと吹き込んできた少し冷たい潮風に、まだ下船していない城戸ファミリーと御園准将、子供たちでさえ、同時に海へと視線を向けた。
 まるで、海に触れてきた者なら通じているなにかがあるかのように。
 そこに海猫が飛んでいた。白い翼をきらりと光らせているのが見えた。
 眼鏡の目元をかざし見上げている隼人さんが呟いた。
「翼が光っている。城戸家の未来のようだな」
 翼が生まれ、光が生まれ、そして心が生まれた。
「ソニックの翼だ」
 飛べなくなったはずの男が空を護り隊員を護り未来へ紡ぐ大佐殿に、ソニックになった。そう言われている気がした。

 そのそばに、ずっといたい。
 この子たちと一緒についていきたい。

 空母艦の尖端に広がる空と珊瑚礁の海はずっとわたしたちを繋ぐ青。
 そして。翼、光る心で。なにもかも護っていくの。

 

 Final 蒼きSalamander 【完】 

 

 

お許しください、大佐殿はこれにてオール完結です。
今後はまた小話を思いつきましたら番外編としてアップしていく予定です。
大佐殿というシリーズを通して約三年もの長い連載におつきあいくださってありがとうございました。
その都度、応援してくださった皆様全てにこの感謝が届きますように 茉莉恵

 

    


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 園田 心優(ミユ)
 城戸 雅臣(小笠原飛行部隊大佐)
 御園 葉月(ミセス准将、艦長)
 御園 隼人(工学科大佐、葉月の夫)
 鈴木 英太(雷神、エースパイロット)
 テッド=ラングラー中佐(葉月の側近)
 長沼准将(心優の元上司)
 橘 大佐(小笠原空部隊、指揮官)
 塚田中佐(長沼准将秘書室、秘書官)
 シド=フランク(大将の養子、戦闘員)
 海東 直己(少将、空母司令官)
 細川 正義(少将、小笠原連隊長)
 吉岡 光太(心優の後輩、バディ)
 アドルフ=ハワード少佐(准将護衛官)
 園田 克俊(心優の父、少佐、武術教官)
    随時、追加予定v

 

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Update/2018.3.19
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